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Cカー列伝2

1 名前:CarNo.774:06/10/04 00:56:31 ID:23SFg6EQ
前スレ900超えたんで以降はこちらでやらせていただきます。

2 名前:CarNo.774:06/10/09 01:43:42 ID:p+RN8dxf
日産編 其の五拾四

WSPC初優勝こそ逃したとは言え大健闘した欧州チームに比べ、本家ニスモはR89Cのポテンシャルを結果に結びつけることはできなかった。
帰国後最初のレースはJSPC第3戦7月22〜23日富士500マイル。SCCN主催の日産のホストレースである。
R89Cは国内デビューとなるこのレースでPPを獲得した。YHP日産の長谷見である。タイムは1分18秒186。
カルソニック日産の星野は1分19秒256で3位とフロントロウ独占とはいかなかった(2番手はティノラスサードトヨタ)。
このレースからニスモはタイヤをダンロップにチェンジした。シーズン途中でのチェンジは異例である。
「BSの顔」的ドライバー、星野がダンロップ装着車をドライブするのも極めて異例のことである(ルマンからであるが)。

3 名前:CarNo.774:06/10/09 01:54:02 ID:p+RN8dxf
このレースにニスモが持ち込んだR89Cはル・マンとほぼ同じ仕様。WSPCで使い始めたリヤ19インチタイヤへの仕様変更はまだしていない。
17インチのままである。高速コースの富士ではこのままで構わないと言うこともあったろう。

決勝は快晴。主催者発表で5万8千500人の大観衆でスタンドは埋まった。ルマンでザウバー、ジャガー、ヨーストと互角に戦った日産R89Cの実力はいかほどのものか?
それがこの大観衆の最大関心事であったことだろう。
正午にスタート。いきなりオムロンポルシェとキャビン日産が接触・クラッシュし両車リタイヤ。ペースカーが入る。
4周目に再スタート。日産勢はYHPの長谷見がトップ、レイトンハウスポルシェを挟み星野のカルソニック日産が3位。
そして7周目にはカルソニックがレイトンを交わし、日産の1−2フォーメーションが完成する。
以後2台の日産R89Cは3位のレイトン以降を徐々に引き離していく。

4 名前:CarNo.774:06/10/09 02:09:24 ID:p+RN8dxf
15周目、星野は長谷見を交わしトップ浮上。
16周目、ダンロップコーナーでアルファブルンポルシェのララウリ(当時ユーロブルンでF1参戦中)がクラッシュ。
このため再度ペースカー。ララウリ救出にあたったデンソートヨタのバリラと、日石トラストポルシェのフーシェはピットインしシートベルトを締めなおし2周のビハインドを背負うことになる。
24周目レース再開。YHPの長谷見が再度トップに立っていたが、再び星野がトップに浮上し、3位以下を10秒以上引き離し、ル・マンでの走りがフロックでないことを証明する。
しかし好事魔多し。長谷見のマシンが急に燃圧が低下しエンジンがバラツきスローダウン。大事を取り予定より2周早くピットインする。
そして37周目最終コーナーでトップ星野が突如ストップ。燃料系のハーネスがショートし燃料ポンプが作動しなくなってしまっったのだ。
さらに57周目、オロフソンに代わった2位走行中のYHP日産がストレートでタイヤバースト。
ピットまで戻るもダメージはサスペンションにまでおよびここでリタイヤ。
ル・マンで9時間におよびトップ争いに絡み、JSPCでは優勝を期待された日産R89Cだが、予想だにしないマイナートラブルで序盤で消えてしまった。

5 名前:CarNo.774:06/10/09 02:21:57 ID:p+RN8dxf
レースはその後ティノラスサードトヨタが独走。139周目最後のピットイン(179周レース)。2位には1周以上のマージンが。
サード、並びにトヨタ89C-Xの初優勝かと思われたが143周目にドライブシャフト毀損でまさかのリタイヤ。
トップにはレイトンハウスポルシェが浮上、日石トラストが猛追するも追いつけず、レイトンハウスが逃げ切り優勝(関谷/岡田組)。
3位に小河/バリラ組のデンソートヨタが入った。

予想外のマイナートラブルでレースを落とすも、日産/ニスモは確かな手ごたえは掴んだことだろう。
次のレースこそ85年WEC以来遠ざかっている表彰台の頂点へ。だが日産/ニスモに勝利の女神が微笑むことはこの年は結局はないこととなってしまう…。

(眠いんで中断。おやすみ)

6 名前:103:06/10/09 08:30:08 ID:hFWLUYzw

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up6946.wmv.html

7 名前:CarNo.774:06/10/22 03:30:23 ID:F5stYzMi
ttp://www.minicarshop.jp/report/hobby46/qmodel.html

当然全部揃えるよな?

8 名前:CarNo.774:06/11/12 02:05:08 ID:akZB5Uns
日産編続き


富士500マイルで国内デビューとなった日産R89Cの快走は結果に繋がらなかったとは言え、
ライバルに脅威を与え、また日産/ニスモ自身の自信を深めたことだろう。ちょっと前のX6時代の「玉砕戦法」とは違う手応えを感じていたはずだ。
オートテクニック誌の関係者座談会で、トラストチームのメカニックは「日産は脅威だった。しかし次の鈴鹿1000kmで優勝できないと来年のルマン24時間制覇は難しいのではないか?」と述べている。
その鈴鹿1000kmは富士500マイルの1ヵ月後、8月26日に予選、27日に決勝が開催される、はずだった…。

このレースに向けて、日産はR89Cのリヤタイヤを19インチにアップし、それに合わせてリアカウルのフェンダー部分の盛り上がりも大きくなった。
NMEでは既に7月のWSPCブランズハッチから実施しているモディファイである。
午前の予選一回目でポールタイムをマークしたのはリースのミノルタトヨタ。タイムは1.52.586。
2番手にフーシェの日石トラストポルシェが付く。タイムは1.53.159。
日産R89C勢は新カウルがマッチしないためか1回目予選ではタイムが伸びない。
2回目の予選でR89C勢はタイムを上げるも長谷見のYHPが1.53.761で3番手、星野のカルソニックが1.54.374で5番手に留まった。



9 名前:CarNo.774:06/11/12 02:35:29 ID:akZB5Uns
しかし翌決勝の27日は、あいにく台風17号が三重県を直撃。午前7時40分に早々に中止(延期)が発表された。
後に12月3日に開催と発表され、真夏の祭典鈴鹿1000kmはこの年に限り冬の開催となってしまった。
日産R89Cの国内初優勝はまたしてもお預けとなってしまったのである。


中々勝利の美酒に酔えないニスモチームに対し、欧州のNMEの活躍が耳に入ってくるようになった。
ニスモの次のチャンスは10月7日、8日の「インターチャレンジ富士1000km」である。
このレースは前年までWSPCの1戦として開催されていた「WEC−JAPAN」の代替レースである。
WSPCのタイトルは4月の鈴鹿に持っていかれたため、この年はJSPCのみのレースとなったが、主催者側の尽力で、伊太利屋カラーの2台のヨーストポルシェが参戦することとなった。
この他アルファブルンがもう1台来日、シュパンの武富士ポルシェも参戦。チームデイビーのマルカツポルシェも参戦した。都合5台のポルシェがスポット参戦する。
メルセデスとジャガーはWSPCタイトルがかからないため来日しなかったが、中々の充実したエントリー内容である。
当初はアストンマーチン参戦と言う話もあったが、こちらは実現しなかった。WSPC後半戦では好走を見せていたアストンマーチンだが、4月の開幕戦鈴鹿はテスト中のクラッシュの影響で欠場している。
今回ぜひ姿を日本のファンの前に見せてほしかったところだが、実現しなかった。アストンは(フォードのジャガー買収の影響で)この年限りでグループC活動を終了することになる。
結局アストンマーチンのCカーは一度も来日することができなかった。


10 名前:CarNo.774:06/11/12 02:37:51 ID:akZB5Uns
続きは今日中にやります。お休み。

11 名前:CarNo.774:06/11/12 21:40:05 ID:akZB5Uns
続き

このインターチャレンジは予選から天候が不安定だった。
雨の予選はトヨタが1−2−3を占める。日産R89C勢は#23が6番手、#24が11番手と低迷。
翌決勝もウェットコンディションで行われることとなる。
しかしスタート直後のストレートで星野がクラッシュ!ウィングを引きづりなんとかピットまで戻るもそこでリタイヤ。
#24YHPもダンロップのレインがマッチせずトップ集団についていけない。
レースは時間ごとに雨の強弱が変わる不安定な天候の中、3度もペースカーが入る荒れた展開に。
98周終了時点で赤旗中断となった。

12 名前:CarNo.774:06/11/12 21:53:36 ID:akZB5Uns
この時点でトップデンソートヨタ89C-Vと同一周回なのは日石トラスト、オムロン、武富士の3台のポルシェのみ。
天候回復後、残り37周のスプリントを行う2ヒート制として再開されることになるが、優勝の権利を持つのはこの4台に絞られた。
YHP日産は2周遅れの7位と勝負も権利を失っていた。

結局37周の第2ヒートも無難に制し、#37小河/バリラ組のデンソートヨタ89C-Vが優勝。
純レース用X8エンジンとして日産より一足先に初優勝を成し遂げる。これで小河は最終戦を前にランキングトップに立ち、こちらも日産より先にJSPC王者獲得の可能性が高まる。
YHP日産はいいところなく8位でレースを終えた。またしてもR89Cの国内初優勝はおあずけとなってしまった。
ルマン、富士500マイル、そしてWSPCでの快走から優勝は時間の問題と思われていたのだが…。
序盤で#23カルソニックが消えたのも大きかっただろうし、この年から替えたダンロップタイヤも裏目に出た。
BSレインと星野の力が合わされば或いは…。
このレースの結果がどれだけ左右したかは不明だが日産/ニスモは翌シーズン途中から再びBSを履くようになる。

13 名前:CarNo.774:06/11/12 22:03:34 ID:akZB5Uns
それにしても、このレースをドライで見てみたかったと思うのは日産関係者や筆者だけでは無かっただろう。
WSPC第2戦ではザウバーメルセデスを破り優勝、ルマンでも深夜までメルセデス/ジャガー相手にトップを独走したヨーストをじっくり見てみたかったファンは多かったはずだ。
この時のヨーストは事実上ポルシェのセミワークスで、またGYタイヤは当時の耐久レースにおいて最強タイヤだった。
WSPCタイトルを失ったとは言え、この日の富士は鈴鹿のWSPCの2倍もの観客を動員(主催者発表6万1千人)してたのだから…。
その富士に来年2007年「世界選手権」タイトルが19年ぶりに戻ってくる。

1989年(平成元年)のJSPCは残り鈴鹿1000kmの1戦のみ。日産のチャンスもそれだけとなってしまった…。


(以下次号)

14 名前:6:06/11/12 22:25:03 ID:3asfes3s

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up7177.wmv.html

15 名前:CarNo.774:06/11/13 01:23:39 ID:Qq5optIa
乙です
>>14
頂きました
ラッツエン・・・ ・゚・(つД`)・゚・

16 名前:CarNo.774:06/11/26 01:31:26 ID:YMSqrwX4
日産編 其の五拾五

1989年JSPCの最終戦は、異例の真冬の鈴鹿1000km、8月の延期開催分である。
ルマンでの快走から、国内初優勝は時間の問題と思れれた日産R89Cだが、とうとう1勝もできないまま最終戦を迎えることとなった。
この最終戦まで、エルグ(オムロン)、フーシェ(日石トラスト)、小河(TTT)、フロムA(岡田)、国光(アドバン)の5人にチャンピオンの可能性が残されていた。
日産は蚊帳の外だったが、1990年ルマン制覇に向けて何としても勝利が欲しかったはずである。

17 名前:CarNo.774:06/11/26 01:43:46 ID:YMSqrwX4
この最終戦で、日産はいくつかのハンデを背負っていた。
監督の臼井が欠場し、水野和敏が代行を勤めることとなった。臼井は社内の健康診断で異常が見つかり入院したが、実は癌であることはまだ誰も知らなかった…。
水野は1987年に、林に半ば「拉致」されるかのごとくレース部門へと異動となった。
以降臼井をサポートし、主にシャシーの開発に当たっていたが、今回突然のハプニングで監督代行に就任、翌年正式に監督に就任することとなる。
#23のカルソニックもテスト中のクラッシュで欠場することになる。翌90年に向けてのプログラムは既に動き出しており、そちらを優先する形となった。

予選は8月の結果がそのまま有効となる。土曜日のテスト走行でミノルタトヨタのチーバーがクラッシュ。決勝への出走が不可能となり、得点対象外と言う条件で登録外のTカーでの参戦となる。
この時点で小河・TTTのチャンピオンは無くなったわけだが、このことはファンにまで充分伝わっているとは言い難かったため、混乱を招くことに。
まだインターネットのない時代である。PPグリッドを失ったため、予選3番手の#24YHPはフロントロウへと繰り上がる。

18 名前:CarNo.774:06/11/26 01:58:34 ID:YMSqrwX4
R89Cはサスペンションに改良を加え最終戦に挑むことになる。
スタートは日没時刻の関係で通常より早まり11時15分。オロフソンがスタートを勤めたYHPは序盤首位を快走する。
その後ティノラストヨタに首位を奪われるも、中盤まで上位をキープ。
終盤勝負と睨んでいた頃、オロフソンがダンロップ先で単独クラッシュし、修復のためピットイン、大きく後退する。
この時点で1989年シーズンの日産未勝利は決まってしまった。
レースはアドバンが優勝。高橋国光は浅間山レース以来、生涯通産50勝のメモリアルになった。
2位はTカーで挑んだミノルタトヨタ。これで小河はF3000に次ぐ二冠王、国産Cカー初のJSPC制覇、と多くのファンは思ったはずである。
しかし前述の通りトヨタは得点対象外と言うことで、国光の逆転チャンピオンとなった。


19 名前:CarNo.774:06/11/26 02:12:57 ID:YMSqrwX4
日産R89Cは結局10位に終わった。トヨタの不運で「国産マシン初のJSPC王者」のチャンスは残されることとなった。
しかしながらルマン以降のJSPC3戦で結局勝利なし。スプリントとは言え勝利を記録し、WSPCでも表彰台に立ったNMEに比べると尻つぼみ感は拭えない。
3戦だけのニスモに対しNMEはルマン以降はADACスーパーカップを含め8戦もあり一概には言えないが、ニスモは翌年のルマン制覇に向けて不安を残したままオフを迎えることになった。

このレースが最後となるX6エンジンを搭載するキャビンR88Xはシーズン最高の4位入賞で有終の美を飾った。

決して満足とは言えないが、日産/ニスモにとって収穫の多いシーズンであったことは間違いないだろう。
そして日産は1990年、勝負に出る。時はまさにバブル絶頂期。日産は史上最高の体制でグループC/ル・マン24時間レースに臨むことになる。

(以下次号)

20 名前:6:06/11/26 02:44:32 ID:ONubxfGr
真冬の鈴鹿1000km
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up7237.mpg.html

21 名前:CarNo.774:06/11/26 22:46:40 ID:BxOHYN/A
>>19
乙です
>>20
毎回ありがとうございます、いただきました

22 名前:CarNo.774:06/11/27 00:38:32 ID:4BkDXcXy
誤:フロムA(岡田)、
正:岡田(レイトンハウス)

ですた失礼

23 名前:CarNo.774:06/12/11 01:11:09 ID:F8Merzc3
日産編 其の五拾五


さて89年シーズンの最後はIMSAでまとめる。
前年88年シーズン逃したメイクスタイトルを獲得するべく、前年欠場したクラシック耐久にも参戦し、伝統のセブリング12時間を制したのは前述のとおり。
前年ドライバーズチャンピオンのジェフ・ブラバムに加え、1987年チャンピオンのチップロビンソンが加入。
この最強コンビ(第6戦、および第10戦以降は2カーエントリー)で日産GTP−ZXTは前年を凌ぐ10勝(全15戦参戦)をマーク。
見事にドライバー(ブラバム)とメイクスのニ冠タイトルに輝いた。
1−2フィニッシュ2回、ポール獲得9回、ポールトゥウィン5回の「完勝」である。

24 名前:CarNo.774:06/12/11 01:33:59 ID:F8Merzc3
(ジャガー3勝、ポルシェ2勝)
初出場のAARトヨタは、日本勢のトヨタ88Cが2位1回、3位2回、ポール2回とまずまずの健闘を見せる。

「最強」コンビ・ブラバム/ロビンソンにルエンダイク(オランダ 90年インディ500ウィナー)を加えたトリオが、NMEメンテナンスの#25日産R89Cで参戦したのは既に述べた。
結果は翌朝まで5位と好位置につけるもリタイヤに終わる。レース後エレクトラモーティブのドン・デベンドルフは「来年はドライバーだけでなくチームごと参戦したい」と町田に打診。
この時の要望は翌年実現することとなる。

そして永年、日産の北米におけるモータースポーツ活動を支えてきたエレクトラモーティブは、この年の末、大きな変革を迎える。
米国日産の出資を受け、「ニッサン・パーフォマンス・テクノロジーinc.」(NPTI)へと発展する。正式な米国日産のワークスチームとなったのである。
そしてIMSA-GTPのみならず、90年ル・マンにグループCでの参戦、3.5gNAエンジン搭載のカテゴリー1マシンの開発をも担うこととなる。

(以下次号)

25 名前:CarNo.774:06/12/12 22:19:41 ID:YsGbg8jh
乙です〜

26 名前:CarNo.774:06/12/23 12:15:05 ID:z4+6hPIR
日産編 其の五拾六

1990年シーズンに移る前に少々脱線。
グループCにも導入されることになった3.5g自然吸気エンジンへのレギュレーション変更の経緯、
そして1990年のルマン24時間開催問題・シケイン設置問題について述べて行きたい。

F1同様、グループCにもターボ廃止、3.5gNA(自然吸気)エンジン導入と言う話が初めて出てきたのは、1986年秋のことである。
F1はスピードを抑えるため(と言うのは建前で、本音はホンダバッシングとも言われたが)、87年から2年間で段階的にターボ縮小、89年から完全NA化が決まった。
この際、当時FIA会長ジャン・マリー・バレストルは唐突にグループCもターボ廃止、3.5リットルNA規定を導入すると発表する。
これが実践されれば、ターボのポルシェやメルセデス、大排気量のジャガーも参戦が不可能になる。
結局この案は通らず、12月のFISA(国際自動車スポーツ連盟=現在はFIAに統合)会議で、88年以降もグループCの燃費規定は続くことが決まった。
ただし89年と91年には段階的に10%ずつ使用燃料総量は削減される。
1000kmレースなら510g→460g→414gと。
つまりこの時点では91年まで燃費規定が続くことが決まっていたのである。

27 名前:CarNo.774:06/12/23 12:25:09 ID:z4+6hPIR
しかし今も昔もFIAのやること・決めることは朝令暮改、すぐに変わる。
1987年10月のFISA会議で、91年まで続くことが「決まった」はずのグループCの燃費規定が、
突如89年より燃費規定の廃止、3.5gNAの導入、そして世界選手権の廃止が提案されたのだ。
FISA(と言うよりバレストル)の暴走はさらに87年より開始されたばかりの世界ツーリングカー選手権(WTC)の1年限りでの廃止、
そして89年よりF1シャシー/エンジンに市販車セダンのボディを被せた「プロカー」なる珍妙なマシンによる世界選手権開始と言う形であらわになる。

28 名前:CarNo.774:06/12/23 12:35:31 ID:z4+6hPIR
WTCは、それまで20年以上続いていた欧州ツーリングカー選手権が、日本、豪州も取り込み「世界選手権」となったもので、
日本でも富士で「インターTEC」として開催され人気を呼んだ。しかし高額のエントリーフィー、不明瞭なグループA規則問題で混乱し、
わずか1年で欧州選手権に格下げされることになった。世界ツーリングカー選手権(WTCC)が復活されるのはこれより18年も後の2005年のことである。
グループAの規則に不明瞭な点が多いことはこれまでにも幾度も指摘されてきた。しかしそれはその都度改めていけば良いことであり、
事実この87年よりグループA規定が導入された世界ラリー選手権(WRC)はその後10年間グループA規定で行われ続けた。
FISAによるWTC廃止の本音は、グループA規則の問題と言うより、プロカー規定にメーカーの力を向けさせようと言う意図があったと推測せざるをえないだろう。

29 名前:CarNo.774:06/12/23 12:54:45 ID:z4+6hPIR
では「プロカー」とはいかなる代物か?なぜ考案されたのか?その後どうなったのか?
プロカーはシャシーはほぼF1と同じで、エンジンは3.5gNAエンジン。しかしボディは2万5千台以上製作されたグループA車両と同じ外観を保たなければならない。
プライベーターの参戦は考慮されず、すべてメーカーワークスのみの参戦となる。最低車重は750s。今で言えばトヨタF1にカローラのボディを被せたマシンを想像すれば良いか…?
この規定で1989年から、グループCに変わり世界選手権を開催すると。
バレストルは多くのメーカーの賛同を得たと豪語するも、その後実際にプロカーを製作したのはアルファロメオ(164、ブラバムが製作)のみ。結局いつのまにか企画自体消えてしまうこととなる。

なぜこのような珍妙な企画をバレストルは提案したのか?
それには2つの思惑があった。
一つは対プジョー対策である。1986年のWRCにおける2つの大きな死亡事故で、FIAは突如グループBの廃止、87年よりグループAで世界選手権を争うことを決めた。
これに対しプジョーはグループB開発に投入した膨大な開発費をいきなり無駄にされたとFIAを相手に裁判を起こした。
この裁判は結局88年4月に和解を果すのだが、そのウラにはプジョーのために新カテゴリーを創設することで矛を収めてもらうと言う取引があったと考えても決しておかしくないだろう。

30 名前:CarNo.774:06/12/23 13:16:52 ID:z4+6hPIR
2つめはF1エンジンの確保である。
3.5gNA化でF1エンジンサプライヤー(メーカー)の絶対数が不足することが予想されていた。
プロカー選手権と言うメーカーのフィールドを用意し、F1規定エンジンを作らせ、そしてF1に引き込むと。

この一連の思惑の中で、グループC/ルマンに参加するメーカー、およびそのレースのファンのことは完全に置き去りにされていたと言ってよい。
確かに87年当時はWSPCも決して(参加メーカー、開催地等の問題で)健全な状態とは言いがたかったのも事実である。
プロトタイプはむしろ成功しているIMSA−GTPとの統合路線の方が未来があるのでは?そう言う考えも出てくるようになってきた。

31 名前:CarNo.774:06/12/23 13:29:59 ID:z4+6hPIR
しかし88年になると状況は一変する。
WSPCにメルセデスベンツがワークス参戦するようになる。ジャガーVSメルセデスでWSPCは活況を呈するようになってきた。
一方のプロカーは前述のとおりアルファロメオ以外どこも興味を示さない。
「多くのメーカーが賛同している」と豪語したバレストルだが、ニスモの難波に言わせれば「NOと言わないと賛成したと受け取る人」だと。

そして88年ルマン。史上に残る大激闘となりジャガーの31年ぶりに優勝。
ドーバーを渡り多数のジャガーサポーターがサルテを訪れ、大観衆でスタンドが埋まった。
気が付けばルマンは、F1をも凌ぐヨーロッパ最大のモータースポーツイベントの地位を取り戻していたのである。


32 名前:CarNo.774:06/12/23 13:45:10 ID:z4+6hPIR
このルマンウィーク中、バレストルはサルテサーキットで89年以降のスポーツカー、プロカーについての構想を発表する。
またしても「朝礼暮改」、半年前「廃止」されると発表されたWSPCは、89年以降も継続されると。
・89年からは燃費規定を廃止、3.5リットルNAエンジン、6リットル以下のストックブロック規定の導入、
従来のエンジン(ターボ/ロータリー)は57o径のリストリクター装着義務。
・91年以降は、ターボ、ロータリー廃止

プロカー選手権は1年遅れて90年スタートと発表されたが、バレストル以外はもうこれは企画だおれに終わるとわかっていたはずである。
そのためのグループC世界選手権継続だと。

この構想は6月下旬にパリで開催されたFISA実行委員会で正式に提案される。

33 名前:CarNo.774:06/12/23 14:02:53 ID:z4+6hPIR
そして10月のFISA実行委員会で89年以降のCカー規定が正式に発表される。
87年の10月以降、二転三転したグループCの将来はようやく落ち着くことになる。
6月の提案と異なるのは、89〜90年の2年間は燃費規定が残ること、当初あった6リットルストックブロックエンジン規定が無くなったこと、がある。

・従来のグループCは最低車重を50s上げ900sに。燃費規定継続(90年まで参加可能)
・3.5リットルNA搭載の新規定グループCは燃費規定なし、最低車重750s
・89,90年の2年間はF1同様移行期間、91年より完全3.5リットルNA化、ターボ、ロータリー廃止

新規定Cカーとは、結局プロカーが、市販車のガワでないボディを被った車両、と考えてよいだろう(最低車重も同じ)。
プロカーは結局この後フェイドアウトしていくことになる。

ターボ、ロータリー廃止は日本の3メーカー、ジャガーが強く反対するが、結局強行される。
トヨタ、日産は渋々新エンジンの開発に乗り出すが、マツダの91年以降は不透明になってきた。
当時はバブル故、現行エンジンと新規則エンジンの同時開発と言うことができたが、メーカーとて決して余裕があってやれていたわけではないのである。

(一時中断、夜にでも再開)

34 名前:CarNo.774:06/12/24 01:42:52 ID:Zf/AynRU
FISAの発表を受け11月、早速プジョーは91年からの3.5gNAエンジンでグループC参戦を発表する。
3.5gNA化の是非はともかく、ルノー以来となるフランスメーカーワークスのスポーツカー/ルマン参戦は大いに歓迎された。

89年シーズン、カテゴリー1と名づけられた3.5リットルNA車(従来車はカテゴリー2)で、シリーズエントリーを済ませたのは、
C1にステップアップしたスパイスワークス(フォードDFZ搭載)2台と、スパイスのC2シャシーを改良してDFZを搭載したフランスプロトチーム
(鈴鹿では伊太利屋がスポンサード)の3台のみ。
この頃はまだカテゴリー1=C2の延長程度に捕らえる空気が強かった、カテゴリ−1が従来のカテゴリー2と同等の速さを見せるようになったのは90年シーズンになってからである。
5月のFISA会議で、91年からの世界選手権がカテゴリー1に一本化されることの確認と共に、従来2人のドライバーで争われたスポーツカーレースが、ドライバー1人の350qのスプリントレースになると発表された。
そうなると耐久レースはルマンを除き事実上消滅することになる。300q少々のスプリントレース用のマシンと、24時間走りきらねばならないマシンとでは互換性もなくなり、別々の車両を用意しなければならなくなる。
ドライバーも現在の台数分が「失業」することになり、逆にルマンでは1台あたり2人もの「助っ人」を探してこなければならなくなる。
当初予定していた「プロカー」レースの骨子に近づけようとする意図だったと思われるが、エントラントの賛同を得られず、その後結局は従来どおり1台2人で争われることになる。

35 名前:CarNo.774:06/12/24 02:01:29 ID:Zf/AynRU
89年ルマンウィーク中、密かにメーカー首脳が集められ、91年以降のグループCについて討議がなされた。
バレストルは相変わらず強硬に91年からのカテゴリー1完全移行を主張したが、ニッサン、ジャガーを中心に「91年までに新エンジンを開発するのはムリ」との主張が出た。
バレストルに言わせれば大メーカーには多くのエンジニアがおり、新エンジンの開発ができないわけないと。
しかしニッサンの町田は「確かにニッサンにも多くのエンジニアがいるが、全員がレース用エンジンを開発しているわけではない。レース専従のエンジニアなどごく僅かである」と反論した。
確かにF1のホンダのようにわずか2年でターボでレースを戦う傍ら新規格エンジンを開発すると言った例はあったものの、バブル期とは言えすべてのメーカーに同じようなことを求めてもそれは困難と言わざるをえなかっただろう。
バレストルは3.5リットルNA化の言いだしっぺとして、またプジョーの手前「例え参加台数が10台でもカテゴリー1に完全移行する」と言い張っていたが、情勢としては91年まではハンデ付きながらカテゴリー1も参加できる流れに傾きつつあった。
デビューして半年も経たない91年デビューのカテゴリー1マシンなら、ルマンで完走することなどとてもムリだろうと言うのは関係者の間では「常識」であった。「スプリント」はともかく、91年ルマンで優勝を争うのは従来のカテゴリー2のマシンであると。


36 名前:CarNo.774:06/12/24 02:22:37 ID:Zf/AynRU
(訂正)
誤:情勢としては91年まではハンデ付きながらカテゴリー1も参加できる流れに傾きつつあった。
正:情勢としては91年まではハンデ付きながらカテゴリー2も参加できる流れに傾きつつあった。

そもそもエンジン形式自由、ただし燃料使用総量に規制のある従来のグループC規定は、自動車メーカーにとって
実に意義のあるカテゴリーであった。
高出力と低燃費、これはつまり究極の燃焼効率を目指すもの。省エネを考えなければならない時代背景に合わせれば、
まさにメーカー向けのカテゴリーであり、続けたいと言うのが多くのメーカーの本音だっただろう。
NAエンジンで燃費規制なし、と言うことは、ただひたすらバイクや飛行機のような高回転エンジンにして出力を上げるしかない。
市販乗用車とは無縁のような高回転エンジン開発にどれだけ意味があるのかと。



37 名前:CarNo.774:06/12/24 02:24:51 ID:Zf/AynRU
90年シーズンは、少なくとも「スプリント」のWSPCにおいては、優勝争いが カテゴリー2で争われる最後の年となる
(JSPCでは92年まで従来どおり参加可能)。
カテゴリー1では相変わらずメーカーワークスの参戦はなし
(スパイスワークスにランボルギーニV12エンジン搭載と言う話がかなり進んでたが実現しなかった)。
スパイスワークス2台の他は、(89年一杯で廃止になった)C2からの移行組のみで総勢8台
(うち1台はスバルエンジンであったが)。
後にシーズン終盤2戦にプジョーのテスト参戦が認められることになる。

さて、この時期のグループCにおける政治的・規則的話題は、3.5リットルNAへの移行問題だけではない。
90年ル・マン24時間が、開催されない可能性が浮上してきたのである!


(以下次号)


38 名前:CarNo.774:06/12/24 10:53:32 ID:uo69e3fP
乙です〜

39 名前:CarNo.774:06/12/24 12:06:03 ID:Zf/AynRU
:追加

高出力と低燃費、これはつまり究極の燃焼効率を目指すもの。省エネを考えなければならない時代背景に合わせれば、
まさにメーカー向けのカテゴリーであり、続けたいと言うのが多くのメーカー/エンジニアの本音だっただろう。
NAエンジンで燃費規制なし、と言うことは、ただひたすらバイクや飛行機のような高回転エンジンにして出力を上げるしかない。
市販乗用車とは無縁のような高回転エンジン開発にどれだけ意味があるのかと。
ドライバー主体のレースであるF1なら燃費規制と言うものは、ないほうが良かったかもしれない。
しかしメーカー主体のスポーツカー耐久レースこそは、燃費規制は必要だったのでは?
燃費規制でレースがつまらなると言う意見もあったものの、残りガソリン残量にハラハラドキドキしながら終盤のクライマックスを迎えることは、
ある意味多くのドラマを耐久レースにもたらしていた。また低燃費で速く走るのもドライバーのテクニックである。
燃費の向上により、終盤もペースダウンせずレースタイムが短縮するようになる、そう言う技術の進歩をファンは目の当たりにできたのだ。
時代に逆行するようでなんとも残念な燃費規制の撤廃である。

40 名前:CarNo.774:06/12/24 23:11:55 ID:MHiv7cVh
>>27
●87年の状況
ランチアと入れ替わるようなカタチで参戦してきたTWRジャガーが、
ポルシェを圧倒し始める。
客も入らない、テレビ放映権も売れない。

世界選手権の維持は困難と考えるのが妥当。


41 名前:CarNo.774:06/12/24 23:15:22 ID:MHiv7cVh
>>32
ジャガー、ポルシェにはF1に進出できる力は無かったが、
ホンダの対抗馬に成りえるメルセデスが本格的に参戦してきた
から続けることにしたのだと思うよ。

メルセデスがF1に進出するためのレールを敷いたかな?


42 名前:CarNo.774:06/12/24 23:26:43 ID:MHiv7cVh
>>39
>メーカー主体
??????????

トヨタR36V
エンジン形式  V型8気筒
総排気量(cc)  3576
内径×行程(mm) 86×77
※シリンダーピッチは、R32Vと同じ。

ニッサンVHR35
エンジン形式   V型8気筒
総排気量(cc)  3496
内径×行程(mm) 85×77

43 名前:CarNo.774:06/12/24 23:27:52 ID:MHiv7cVh
つづき

80年代中頃のル・マンのコース、グループCの車両規定を徹底的に研究して
決めたのだろうねぇ。

社会的批判をかわすために仕方なかったのだろうけど、
IMSA‐GTPのように、
排気量に応じたエアリストリクターを装着させるほうが現実的。


44 名前:CarNo.774:06/12/24 23:29:09 ID:MHiv7cVh
>>39
>市販乗用車とは無縁のような高回転エンジン開発にどれだけ意味があるのかと。

「自動車メーカーが自動車レースを取り組むことにどれだけ意味があるのかと。」
と、言ってるのと同じ。

>ただひたすらバイクや飛行機のような高回転エンジンにして出力を上げるしかない 

熱効率が悪いとか、機械的損失が大きいとか、ダメだろ。

M291みたいに
回してもパワーが出ないエンジンもあったけどね。
燃焼室の形状を犠牲にしているし、オイルがなぁ・・・



45 名前:CarNo.774:06/12/24 23:39:41 ID:5EKKY3fQ
ID:MHiv7cVh
相変わらず突っ込みどころ満載なご指摘な様で・・・

46 名前:CarNo.774:06/12/25 00:37:50 ID:kIMyC6YA
ageてる時点で荒らしだね。


47 名前:CarNo.774:06/12/26 18:43:43 ID:uuZI2/fa
また来たか。
そんなにご自慢の知識をひけらかしたいなら壺にでも行けばいいのに。

48 名前:CarNo.774:06/12/26 20:57:37 ID:LJWNikbR
以降はCカースレにてお願いします

49 名前:CarNo.774:06/12/28 01:39:15 ID:csYijYMI
レーシングオンのコラムだけど、柿本さんてまじルマン復帰したいんだなあ。
「もう時間がない」ってまさかガンだとか???!!

50 名前:CarNo.774:06/12/29 23:16:22 ID:md2RRK94
>>45 >>46 >>47
「FIAがグループCスポーツカーレースを潰した教」の
布教活動を妨害したことを大変申し訳なく思っています。

51 名前:CarNo.774:06/12/29 23:23:10 ID:md2RRK94
>>26
そこまで詳しく書いて、
FIAが、水平対抗エンジンを搭載した車が不利にならないように
ボディワークに関する車両規定を改定したことを書かないの?
知らないはずないよね。



52 名前:CarNo.774:06/12/29 23:24:22 ID:md2RRK94
物書きってさぁ、
ある物事を面白おかしく書くことが飯の種なんだから、
「グループCスポーツカーレースのレース時間がテレビ放送に適さなかったから潰れた
(ル・マン24時間以外のレースが2時間以内で終わるようにも、F1が人気を博してる以上、
ダメだったろうが)。」
「メディアへの露出が少ないにもかかわらず88年ごろから参戦費用が急騰したので
エントラントがグループCスポーツカーレースに魅力を感じなくなったから潰れた。」
とか書かないで、「FIAが・・・・」と書くのだろうねぇ。


53 名前:CarNo.774:06/12/30 14:27:57 ID:kTFDHZrw
>>50
誰もそんなこと言ってないと思うけど……?

54 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/12/30 15:47:29 ID:PTuIdQxz
とりあえずおまいら。




ベルトラン賀正の準備はOKですか

55 名前:CarNo.774:06/12/30 15:59:37 ID:7Jn7GM4d
さながら予選で大クラッシュして決勝出る為に
絶望的な修復作業に取り掛かってるような有様ですが何か

56 名前:CarNo.774:06/12/30 18:41:28 ID:dHb9dqNu
ID:md2RRK94さん、後はCカースレでお願いします。

それではみさなん、良いお年を!2007年がプロトタイプ復権の年になることに期待!

57 名前:CarNo.774:06/12/31 01:45:22 ID:1kyPZMf1
>>56
ココ、反論禁止なの?

カルト教団?

58 名前:CarNo.774:06/12/31 10:54:22 ID:NuqVrQv7
おれも、z4+6hPIRさん、Zf/AynRUさん(同一人物?)中心の書き込みを希望
ここはここで、Cカーの大河ドラマを読んでいる気分に浸れるんで...


討論などは、Cカースレで読みたい。


59 名前:CarNo.774:06/12/31 12:12:05 ID:icuYcvMQ
そもそもここはCカー列伝を書き綴る為に出来たスレだろ。
ID:MHiv7cVhやID:md2RRK94みたいなのはスレ違い。
自説を披露したいなら他所へ行け

60 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/12/31 19:59:36 ID:y39ULBkk
あー、すまん。ほんと議論に関しては他所でやってくださいませ。

61 名前:CarNo.774:07/01/08 12:18:20 ID:5rMIx9HQ
日産編 其の五拾六

前述の通り、1989年のル・マン24時間は、テレビ放映権、計時システム、その他諸権利の問題でルマン主催者のACOとFIAが対立し、WSPCシリーズから外れた。
それでもシリーズから外れることが決定したのは開催直前だったこともり、ポイントが加算されないだけで89年ルマンはWSPCレギュラーがほぼ揃う形で開催された。
対立したとは言え、1990年以降もル・マン24時間をWSPCのシリーズに留めたいと言う点ではACOもFIAも思惑は一致していた。
ACOはエントリー確保のためにシリーズに留まりたかっただろうし、FIAもWSPCシリーズ発展のためにはル・マンと言うステイタスは欠かせないと理解していたはずである。
1989年10月に発表された1990年WSPCシリーズの暫定カレンダーにはルマンも加わっていた。この時点ではこのまますんなりルマンはシリーズに復帰するのだろうと言う考えが支配的になりつつあった。

62 名前:CarNo.774:07/01/08 12:39:18 ID:5rMIx9HQ
ところが12月7日、FISA会議で急遽2km以上のストレートのあるコースは国際コースのライセンスを更新しないと発表した。
実はルマンのサルテサーキットのライセンスの有効期限は89年いっぱいで、また2km以上の直線のあるコースはルマンしかない。
言わばルマンのために作られた規則と言える。ルマンの直線部分は公道部分で、そこにシケインを設置すると言うことは土地の買収もしないとならない。
かなりの困難が予想され、このままではWSPCに繰り込むどころかレースの開催自体まで危うくなってしまうことになった。
12月21日に発表されたWSPC暫定カレンダーからはルマンは外され、スパで24時間レースが組まれるスケジュールになっていた。

63 名前:CarNo.774:07/01/08 13:08:16 ID:5rMIx9HQ
この発表はフランス政界までも巻き込む大騒動となり、また同時期の(日本で人気の高い)アイルトンセナのF1スーパーライセンス発給停止問題も絡み、
日本ではFISA会長バレストルは「モータースポーツ界のチャウシェスク」とまで呼ばれるようになった(今ならさしずめモータースポーツ界の将軍様か?)。
1月31日にはFISAは今年のルマン24時間は開催されないと一方的に発表する。

ルマンが開催されない、もしくはWSPCシリーズから外れるとなれば、グループC活動を行っている自動車メーカーにとって深刻な大問題となる。
予算・活動予定とも根本から見直さなければならないこととなるからだ。しかしメーカー側は冷静で、落ち着くところに落ち着くと読んでいたようである。
そのような情報も早いうちに水面下で得ていたのだろうと推測できる。実はフランスのスポーツ相が仲介に入っていたのである。
2月5日に一転条件付きでルマン開催を認めるとFISAは発表する。

64 名前:CarNo.774:07/01/08 13:25:38 ID:5rMIx9HQ
ユノディエールの6kmの直線には、途中2kmごと2箇所にシケインが設置され、それをフランス政府が責任を持って作業することとなった。
3月15日、FIAの総会が開かれ、そこで正式に90年ルマン開催(但しコース認定が遅れたためWSPCからは外れる)、およびセナへのライセンス発給が決定した。
日本のメーカー/ファンが気を揉んだ2つの問題はようやくここで解決したのである。メーカーは早いうちからどちらも「茶番」と読んでいたようであるが。

この時期、日本のどのメディアも一方的にバレストル=悪、セナ/ACO=善と言う一面的な報道に終始していたが、セナの件はどっちもどっちと言う子供のケンカでしかなかったと言うのが真実ではないか?
ルマンの件も、収拾つく寸前だった12月に突然テーブルをひっくり返すと言うバレストルの手法は、政治的思惑が絡んでいるだろうことは容易に推測できるが、
しかしACOもそれまでの怠慢を責められてもしょうがないとも言えただろう。
情緒はあるだろうが、あの狭いピットレーンとピットバルコニーはとても世界最高峰の耐久レースを開催するに相応しくない。
6kmのストレートも、見るほう、および走らせる技術者にとっては最高に魅力あるものだが、
ドライバーの立場からすればアクセル踏みっぱなしで1分間も400km近いスピードで走り続けると言うのは恐怖以外の何物でもないと言う証言が多く、決して評判の良いものではなかった。
(中にはデレック・ベルのように「ルマンはストレートで1分間休めるから楽だ。」と言うつわものも存在したが)

65 名前:CarNo.774:07/01/08 13:36:40 ID:5rMIx9HQ
「帰って事故が増える」などと言うジャーナリストもいたがそれは言いがかりに近い。
安全性は格段に向上したし、安全性こそ何よりも一番に優先されると言うバレストルの発言は非難されるものでもないだろう。
(この時期安全性を錦の御旗にするバレストルを批判する雑誌があったが、さすがにこれはいかがなものかと…)

かくして90年ルマンは、シケインを2箇所設置することで、ノンタイトルながら無事開催されることとなった。
WSPCから外れると言うことで、メルセデスはこの年のルマンの不参加を決定する。マツダは逆にルマンのみ参加しWSPCは不参加。
89年活動を開始し、デザイナートニサウスゲートを招聘し、フォードHBエンジン搭載のカテゴリー1マシンを製作することを決めていたアストンマーチンは、
フォードがジャガーを買収したことにより、同門対決避けるため急遽活動を停止してしまう。

さて日産である。時代はまさにバブル絶頂期。
60年代のR38シリーズ時代をも凌ぐ、日産のモータスポーツ史上最高と言って良い体制でこのシーズンに挑むこととなる

(以下次号)

66 名前:CarNo.774:07/01/08 14:13:36 ID:20zps3H2
乙です〜!

67 名前:CarNo.774:07/01/08 21:04:37 ID:5rMIx9HQ
書き忘れましたが、90年3月のFIA総会でセナ・ルマンの件以外に、カテゴリー1(ターボ、大排気量、ロータリー)廃止の1年繰り延べが決定してます。
ただしハンデ付きで。そのハンデの内容を決めるのはルマン以降で、この時決まったのはとりあえず廃止1年延期のみ。
このハンデ内容について日産(町田)vsプジョー(ジャン・トッド)で丁々発止。それは90年ルマンの後にでも詳しく書きます。

68 名前:CarNo.774:07/01/08 21:06:32 ID:5rMIx9HQ
すいません、「カテゴリー1」じゃなく「カテゴリー2」でした、延命されるのは。

69 名前:CarNo.774:07/01/08 22:19:31 ID:eYCJnSPX
最近ウィキで見当違いの更新する人いるけど、上のageの人かな?

70 名前:CarNo.774:07/01/12 22:38:41 ID:jigHzlRL
ここは2ちゃんじゃないから閉鎖しないよね?

71 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :07/01/12 23:36:36 ID:Shss1xxJ
>70
漏れもわかんねぇです。まだ連絡ついてないよヽ(´ー`)ノ

72 名前:CarNo.774:07/01/21 01:35:49 ID:4wvOGdHF
日産編 其の五拾七

1990年と言えばバブル絶頂期。17年経った現在でさえ当時の売り上げを越えることのできない企業・業界は多数存在する。
土地・株と言った実体のないものでの経済成長であったが、とにもかくにも1990年は未だ日本経済の頂点の時代であった。
日産自動車も「シーマ現象」と言う言葉に見られるように、高級車が飛ぶように売れ、業績は絶好調であり、そのお陰でモータースポーツ予算も過去最高レベルに達した。
一説によるとグループCの予算は80億円にも達したと言う(ちなみにトヨタは120億円、ホンダのF1は200億円だったらしい)。

好調な業績で予算が増える一方、ハードとしても日産はまさに頂点(すなわちルマン制覇)を狙えるタイミングにめぐり合わせていた。
前年登場したVRH35エンジンを積むR89Cは王者メルセデスを追い詰める所まで来ていた。
さらにそのルマンでは最大のライバルになると思われたメルセデスが欠場。
ジャガー、ポルシェ、トヨタとライバルは多いが、ルマン制覇が決して夢ではない流れができつつあった。



73 名前:CarNo.774:07/01/21 01:37:22 ID:4wvOGdHF
こうしたいい方向への「流れ」と共に、日産が勝負をかけざるをえない要素もあった。
ルマンシケイン設置条件での開催が決まった3月14、15日のFIA総会では、90年いっぱいで廃止されることになっていたカテゴリー2(従来の大排気量、ターボ、ロータリ搭載車)が、91年まで延命されることが決まった。
強硬にカテゴリー1(3.5gNA)一本化を主張したFIAやプジョーだったが、トヨタ、日産、マツダの日本勢、ジャガー、そしてポルシェ962Cを使うプライベートの強い反対で、結局1年延命されることになった。
ただしカテゴリー1が圧倒的に有利になる(つまりカテゴリー2にハンデを背負わす)と言う条件で。
例え普段のSWC(WSPCから改称予定)で優勝を狙えなくても、登場したばかりのカテゴリー1がいきなり24時間レースを制覇するのは難しいと見られ、91年のルマンに限ってはカテゴリー2から優勝車が出るだろうとの考えが支配的だった。
ただしカテゴリー2が背負うハンデが「常識」の範囲内なら。ハンデの内容はルマン後決めると言う事でこの時点では未定だった。
もしカテゴリー2の背負うハンデが「非常識」なものになれば、日産がルマンを狙えるのは取りあえずこの90年限りとなる。
日産も勝負をかけざるを得なかったのである。





74 名前:CarNo.774:07/01/21 02:23:31 ID:4wvOGdHF
では史上最高の体制と言える90年の日産のグループCの体制ついて、ハード、ソフトの面に分けて述べて行こう。
まずはハードから。

この90年、日産はWSPCを戦うNMEと、JSPCを戦うニスモで、別々に独自のマシンを開発すると言う両面作戦に出ることとなった。
NMEは前年のR89Cを正常進化させた、ローラの新開発マシン「R90CK」を投入する。
外観の変更もそれほどない。ルマン後投入された「スプリント仕様」のR89C(リアが19インチ)とほぼ同じである。この年のルマンは6kmのシケインに2ヶ所シケインが設置されるため、
各チームとも「ルマンスペシャル」は作らない方向でいた。そのためR90CKも特にルマンを意識したモデルではなくなった。
一方のニスモは、R89Cのモノコックを流用し、エレクトラモーティブで日産GTPの空力を担当した鈴鹿実隆によってデザインされたニューボディをまとう「R90CP」を開発する。
こちらは大胆に外観も変わった。決してスマートとは言えない外観だったが、「結果」を残すことでその「美しさ」は醸し出されていくこととなる。
両車ともエンジンは新型VRH35Zを搭載する。前年モデルは35と言いながら実態は3.4リットルエンジンであったが、このVRH35Zは設計者の林が他から干渉されずに開発した会心のモデルと言えるエンジンで、
VRH35Zの「Z」は究極を意味する。それだけ林の自信作と言えよう。


75 名前:CarNo.774:07/01/21 02:38:47 ID:4wvOGdHF
両車ともエンジンは新型VRH35Zを搭載する。前年モデルはVRH35と言いながら実態は3.4リットルエンジンであったが、このVRH35Zは設計者の林が他から干渉されずに開発した会心のモデルと言えるエンジンで、
排気量もその名のとおり3.5gとなった。VRH35Zの「Z」は究極を意味する。それだけ林の自信作と言えよう。

両車のネーミングの由来だが、「R90CK」のKは、開発されたクラウンフィール(Crownfield)のCを取り「R90CC」と当初考えたが、
それでは単気筒のバイクのようだと言うことで、同じ発音のkを付け「R90CK」とした。
「R90CP」は、開発された「追浜」(おっぱま)の「ぱ」から取りPを付け「R90CP」とした。

前年のR89Cのシェイクダウンが4月と言う遅い時期であったが(ニスモに至ってはルマンが事実上のシェイクダウンと言うぶっつけ本番)、
R90CPは1月11日に富士でシェイクダウン、その後22日よりオーストラリア・フィリップアイランドにテストを行う。
R90CKはこのテストに合流する形でシェイクダウンを行う。前年より3ヶ月も早いスケジュールである。
このテストは28日まで続き、その後米・アリゾナでもテストを行った。

76 名前:CarNo.774:07/01/21 02:50:37 ID:4wvOGdHF
この時期はバブルを象徴するかのように海外でのテストが頻繁に行われた。
特に日本とは正反対の季節である豪州は、耐久テストには格好の場所で、トヨタも1週間Cカーのテストを行ったほか、タイヤメーカーもF3000用タイヤ開発のためここを訪れている。

R90CKは都合6台がローラにより製作されることになる。その内2台はNMEでなくアメリカのNPTIに送られる。
NPTIとは前年までのエレクトラモーティブに日産が出資しワークス化したチーム。前年ルマンでエレクトラモーティブ代表のデベンドルフと町田が約束した通り、
この年はNPTIも独自のチームでルマンに挑むこととなり、3月にNPTI納車され、シェイクダウンを行う。タイヤはNMEと異なりグッドイヤーを履く。
これが後にNMEにとって大きな武器となる。

ハードの次はソフトである。
(眠いんで中断)

77 名前:CarNo.774:07/01/23 03:38:39 ID:U+gsu2Gm
乙です!

78 名前:CarNo.774:07/01/27 21:15:52 ID:nXRixqBK
乙です。
最近読み始めました。すごく面白いです。
過去の作品はどこかで読むことができますか?

79 名前:CarNo.774:07/01/30 23:08:58 ID:wByOJlJ+
「Cカー列伝」(ここは2)と「Cカー列伝アーカイブ」に行けば読めますよ。
全部じゃないけど。

80 名前:CarNo.774:07/01/30 23:35:20 ID:wByOJlJ+
日産編 其の五拾七の下

この年1990年、日産は日本GP時代をも上回る強力な体制でモータスポーツに臨むことになる。
そしてあれから17年経った今でもこの年を上回る体制を構築したことは一度もない。

国内のJSPCは、前年と同じワークス2台、サテライトとしてチームルマンが加わり計3台が
シリーズ全6戦(菅生ラウンドが加わる)に参戦。
マシンはワークスのニスモが前述のR90CP、ルマンもV8エンジンとなり
R89C(エントリーリストにはR90V)。
ドライバー/スポンサーもニスモがカルソニック(星野/利男)、
YHP(長谷見/オロフソン)で変わらず。
ルマンも第1ドライバーとスポンサーは和田とキャビンで変更ないが、
第2ドライバーが中子に変更となった。中子が日産Cカーをドライブするのは86年以来となる。
JSPCと同じ体制で、WSPC開幕戦鈴鹿にもこの3台が参戦する。



81 名前:CarNo.774:07/01/30 23:36:01 ID:wByOJlJ+


前年初めてフル参戦したWSPCにも、引き続きフル参戦する。
チームはNME(開幕戦のみニスモ)でマシンは前述のR90CKである。
当初1カーの予定だったが、開幕直前に全戦2カーエントリーに変更になる。
そしてビッグなサプライズ人事(と言う言葉は当時もちろんないが)が待っていた。
「あの」生沢徹がNMEの監督として加入したのである!
生沢と言えば第二回日本GPでS54スカイラインで一瞬とは言えポルシェ904をかわし、
今日まで続くスカイライン伝説を創った男である。
その後諸般事情でプリンスと合併した日産ワークスには加入しなかった。
日産(プリンス)への復帰は22年ぶりと言うことになる。
しかしファンを歓喜させたこの人事も、日産内部には後に大きな禍根を残すことになる。





82 名前:CarNo.774:07/01/30 23:56:13 ID:wByOJlJ+
ドライバーは前年のベイリー、ブランデルに加え、メルセデスジュニア育成プロジェクトの煽りでシートを失ったアチソンが加入。
もう一人は1987年WSPCチャンピオンのベイザルが加入寸前まで行ったが破談、
4人目のドライバーは85年ボルボでインターTECを制したブランカテリとなった。

そしてWSPCシリーズから外れることになったルマン24時間には、60年代のフォードを彷彿させる物量作戦で日産は挑むことになる。
ワークスとして4台(後に5台に変更)が参戦、サテライト2台も加わり、最終的にTカーを含め9台もの日産Cカーがサルテに集結することとなる。
ニスモからは、R90CPが1台(+Tカー1台)参戦。ドライバーは前年と同じ長谷見/星野/利男のトリオ。
NMEはR90CKが2台(+Tカー1台)。ドライバーはレギュラー4人に、
現役F1パイロットドネリー(ロータス)とグルイヤール(オゼッラ)が加わる。
これに更にアメリカのNPTIが加わる。前述の通り前年の約束どおりNPTIにもR90CKが与えられ独自に参戦することになるわけだが、
当初1台(+Tカー1台)の予定が、2台参戦に変更となる。ドライバーはIMSAレギュラーのブラバム、ロビンソン、デイリー、アールに、
ミレン、ローが加わることになる。


83 名前:CarNo.774:07/01/31 00:10:06 ID:1hTyb75P
ワークス5台(+Tカー2台)に加え、サテライトも2台参戦。
JSPCレギュラーのチームルマンが4年目のル・マン参戦。もちろんマシンはR89C。
但しスポンサーは国内のキャビンから(和田のF3000スポンサーである)ティノラスになった。
ドライバーは国内と異なり、和田/オロフソン/M・S・サラのトリオとなった。

サテライトにもう1チーム加わる。前年チームルマンのエントリーに枠を貸した(いわゆるヤドカリ。WSPCから外れたので意味が無くなったが)クラージュ・コンペティションにもR89Cが1台貸与される。
クラージュと日産はこの後も関係が続いて行くことになる。

タイヤはニスモが日本DL、NMEがUK−DL、NMEがグッドイヤー。
ルマンは国内と同じYH、クラージュはグッドイヤー。
グッドイヤーは後にNMEの強力な武器となるのである。

84 名前:CarNo.774:07/01/31 00:30:49 ID:1hTyb75P
Tカー含め日米欧総勢9台のCカー。ポルシェを除けば、過去これだけのCカーを送り込んだメーカーはもちろんない。
規則がどうなるか不透明な91年以降を踏まえ、日産はこの90年ルマンに勝負をかけたのである。

この中でも中心的存在になるのがNME。日産グループCプロジェクトの統括・町田は、
旧タイプの監督であるキースグリーンに換え、新監督として生沢徹に白羽の矢を立てた。
しかしこの生沢の起用が、日産内部に微妙な亀裂を生むことになる。
生沢は現役引退後、自チーム(チームイクザワ)を結成し、後にF1パイロットとなる中嶋悟を擁し81,82年の全日本F2を連覇する。
しかし83年に中嶋は離脱する。雑誌に堂々とケンカ別れと認めていた。「和を以て尊しとなす」とする日本では生沢は個性が強すぎたのかもしれない。
中嶋離脱後もリースを起用し(一時アイルトンセナの獲得の噂もあったのだ!)3年連続チャンピオンを獲得するも、リースもこの年限りで離脱。
翌年起用したデイブスコットは期待に応える走りができず、イクザワのF2活動はこの年限りとなり、トヨタのCカーでのJSPCに戦いの舞台を移す。
このCカー参戦も86年一杯で終了し、以降生沢がレースの表舞台に出ることは無くなっていた。

85 名前:CarNo.774:07/01/31 00:43:40 ID:1hTyb75P
この生沢に新監督として町田はオファーを出す。しかしニスモの難波は強く反対する。
しかし町田は生沢起用を強行し、このため難波との間に微妙な溝が生まれることとなってしまった。
生沢の起用はフィリップアイランドのテスト後マスコミに伝わった。
当時のAS誌には唐突に「生沢起用で日産のチームワークに問題が発生か」との記事が掲載された。
スポーツ新聞でもないモータスポーツ専門誌では異例な事と言えよう。

NMEは生沢を監督として招聘したほか、前年までザウバーメルセデスにいたエンジニア、デビッド・プライス(現DPR代表)を獲得した。
プライスは活動停止したアストンマーチンのメカニックも大量にスカウトした。
この時期のNMEは英国内においてマクラーレン、ウィリアムズに次ぐレーシングチームとまで言われることになったのである。バブルを象徴する話である。
しかし急激に強大化したため、決して一枚岩と言えるほど強固な組織でもなかった。その弊害は後に現れる。

86 名前:CarNo.774:07/01/31 01:05:53 ID:1hTyb75P
日米欧独自に挑むことになるル・マンでは、「社内運動会」と言えば聞こえは良いが、
同じ日産ワークスでありながらまとまりに欠ける体制となる。
それは肝心のル・マンで明らかになることとなる。

さて物量では間違いなく史上最強だった90年の日産のグループC活動。
バブルの当時はCカー以外の活動も強力な体制を敷いていたので簡単にまとめる。

まず「日産ワークス」となったNPTIは、引き続きIMSAをV6のGTPで戦う。
ワークス2台のほか、バスビーレーシングが日産GTPで参戦することとなった。
シーズン中盤には、R90CPをデザインした鈴鹿実隆の手になるニューマシンも投入される。



87 名前:CarNo.774:07/01/31 01:09:55 ID:1hTyb75P
WRCはこの年は実戦参加は1年休止となるが、次期マシンとなるパルサーGTI−Rを
ブロンクビストの手でテストを開始している。
「ラリーの日産」復活に大いに期待が集まったパルサーGTI−R
であったのだが…。

この年ル・マンプロジェクト以上に注目されたのが、
R32スカイラインGT−RのグループA参戦である。
「4WDはレースに不向き」との一部の下馬評をあざ笑うかのように、
GT−Rは圧倒的強さで連勝街道を突っ走り、
記録的な観客動員を各サーキットにもたらしていくことになる。

まさに「日産モータースポーツ我が世の春」であった1990年である。
その何としてもル・マンを制覇しなければならないこの年のグループC初戦は、
3月10日富士スピードウェーで迎えることとなる。



88 名前:CarNo.774:07/01/31 01:11:01 ID:1hTyb75P
(以下次号)

明日発売のレーシングオンの日産Cカーの連載にも注目!

89 名前:CarNo.774:07/01/31 10:03:56 ID:U/6ZDWxZ
毎度乙です!!
突っ込む様で申し訳ないのですが、
文中でNMEがGYを履く様な文句となっていますがこの頃のNMEはUK-DL使用の筈です。
(文中でその件にも触れています)
『この年はNPTIも独自のチームでルマンに挑むこととなり、3月にNPTI納車され、シェイクダウンを行う。タイヤはNMEと異なりグッドイヤーを履く。
これが後にNMEにとって大きな武器となる。』
『しかしタイヤはニスモが日本DL、NMEがUK−DL、NMEがグッドイヤー。
ルマンは国内と同じYH、クラージュはグッドイヤー。
グッドイヤーは後にNMEの強力な武器となるのである』
上記文章には矛盾があると思いますが…間違いでしたらご免なさい。

90 名前:CarNo.774:07/02/01 00:00:40 ID:COEEAe6L
>>89
訂正版
タイヤはニスモが日本DL、NMEがUK−DL、NMEがグッドイヤー。
ルマンは国内と同じYH、クラージュはグッドイヤー。
グッドイヤーは後にNPTIの強力な武器となるのである。




91 名前:CarNo.774:07/02/01 00:01:23 ID:COEEAe6L
>>90
自己レス訂正2
タイヤはニスモが日本DL、NMEがUK−DL、NPTIがグッドイヤー。
ルマンは国内と同じYH、クラージュはグッドイヤー。
グッドイヤーは後にNMEの強力な武器となるのである。




92 名前:CarNo.774:07/02/01 00:02:44 ID:COEEAe6L
>>91
自分に氏ねと言いたくなってきたw
再々度訂正
タイヤはニスモが日本DL、NMEがUK−DL、NPTIがグッドイヤー。
ルマンは国内と同じYH、クラージュはグッドイヤー。
グッドイヤーは後にNPTIの強力な武器となるのである。




93 名前:CarNo.774:07/02/01 09:36:37 ID:YZcg89l6
>>92
お茶でもどうぞ ( ^-^)_旦""

94 名前:CarNo.774:07/02/04 00:58:48 ID:zM+c924a
日産編 其の五拾八

1990年のグループCは3月10日、JSPCが真っ先に開幕した。WSPCの開幕はこの1ヵ月後、同じ日本の鈴鹿である。
この富士500kmにはJAF-GPのタイトルが掛けられた。と言っても内容は何も変わらないわけだが。
1988年はSCCN主催の500マイル、89年はTMSC主催の1000km、そしてこの90年はMSCC主催の500kmにと持ち回りでJAF-GPが掛けられたが、
どんな意味があったか未だによくわからない。JAF-GPもこの年を最後に消えてしまうことになる。

JAF-GPが掛かろうと掛かるまいと、このレースのは世界中が注目していた。今年こそWSPC、そしてルマンでトップコンテンダーになるかもしれない
日本の2大メーカーのニューマシンは世界に先駆けてデビューするからである。豪州でテストを充分にこなした上で。

95 名前:CarNo.774:07/02/04 01:10:40 ID:zM+c924a
トヨタ、日産以外でも、チームシュパンにはあのボブ・ウォレクが加わり注目された。
しかも相棒は前年ベネトンF1をドライブしていたジョニー・ハーバード。
更に同チームの監督は前年ベネトンF1の監督を勤めていたピーター・コリンズである。
前年までミナルディF1をドライブしていたルイス・ペレス・サラもアルファキュービックRからエントリーする。

10日の予選でポールポジションを獲得したのは、ミノルタトヨタ90C-Vの小河。ニューマシンのデビューを飾る。
タイムはレコード更新ならず1.16.270。2番手は長谷見のYHP日産R90CPで1.16.969。トヨタとフロントロウを分け合う。
以下トヨタチームサード(この年からワークス待遇に昇格した)のトヨタ89C-V、カルソニック日産とトヨタ・日産ががっぷり四つを組む。
星野/利男組のカルソニック日産は、カウルは前年型のR89C仕様である。



96 名前:CarNo.774:07/02/04 01:23:08 ID:zM+c924a
翌11日決勝。トヨタも日産もここで幸先良く開幕戦を飾り、翌月のWSPC鈴鹿、そして6月のルマン24時間に続けたいはずである。
12時20分、快晴の中スタート。序盤から#36ミノルタトヨタが飛び出し、それを#24YHP日産、#23カルソニック日産が追う。
15周目、3番手を走る#23カルソニックの星野がスピン、この時カウルを傷め17周目に緊急ピットインする。これで#23は1周遅れの最後尾にまで転落する。
30周過ぎから各車ルーティンのピットイン。これが終わっても#36ミノルタ、#24YHPのトヨター日産の1−2体制は変わらない。
序盤国産マシンが上位を独占したことは、それまでにも珍しいことではなかった。しかし最後にはトラブルもしくは燃費がきつくなりペースダウンで結局はポルシェ、
と言うのが毎回JSPCで見られた光景である。しかし今回はトヨタ・日産のリードは変わらないまま終盤を迎えることになる。

97 名前:CarNo.774:07/02/04 01:37:17 ID:zM+c924a
一方で#23カルソニックも猛烈な勢いで追い上げ上位を目指す。4位にまで上がり3位の日石トラストに迫る#23カルソニックを見て、
pit-fmの解説をしていた熊谷睦は「もう追い付いたんですか?1周カウント違いじゃないですか?」と言っていたが、これは熊谷の勘違い。
カウル交換で余計なピットインを強いられたが、その際給油も済ましている。ルーティーンのピットイン時には給油量が他車より少なく、
ピットストップの時間を短縮できたのであるから。99周目、カルソニック日産はついに日石トラストを交わし3位に浮上する。
このままの順位をキープすれば、星野は85年WEC以来の5年ぶりCカーの表彰台となるのだが…。

ミノルタトヨタとYHP日産の1−2体制は結局レース終了まで変わることなくチェッカー。トヨタ90C−Vはポールtoウィンの完勝でデビュー戦を飾った。
WSPC、ルマンに向けてこれほど幸先良いスタートは無かったと言えよう。
YHP日産は終盤ブレーキに不調をきたし追い上げはならなかった。レース内容としては完璧だったのだが、1位と2位とではチームの士気に与える影響は大きな違いだっただろう。
日産はカーボンブレーキ投入を急ぐことになる。


98 名前:CarNo.774:07/02/04 01:55:19 ID:zM+c924a
終盤怒涛の追い上げで3位にまで浮上したカルソニックだったが、その無理な追い上げがたたり最終LAP(112周)でガス欠状態に。
日石トラストに抜き返され星野は表彰台を逃した。こちらもスピン、カウル交換以外は完璧なレースだったのだが…。

このレースは、トヨタ、日産がワークスたるレースを初めて行ったレースとして記憶に残ることになった。
スプリント同様のペースで最後まで走りきり、トラブルも起きず、燃費も問題ない。こうなるとプライベートポルシェではもう太刀打ちできない。
JSPCも完全なワークス対決時代に突入したのである。
内容的には両社ほぼ互角ながら、「優勝」と言う事実を獲得したトヨタの、チームの士気向上は日産を遥かに上に行ったはずである。
万全の状態で2年目のWSPC鈴鹿を迎えることになった。
トヨタに敗れた日産も、ブレーキ不調以外はほぼ完璧な内容。それだけに「優勝」の2文字が欲しかったのだろうが…。



99 名前:CarNo.774:07/02/04 01:56:08 ID:zM+c924a

最高の状態でWSPCを迎えることになったトヨタ、日産。82年以来、
雨の85年を除き今までまったく現実味の無かったWSPC制覇に向けて大いに期待が膨らんだ。
今のトヨタ・日産なら、メルセデス・ジャガーに対し互角以上の戦いが出来るはず。

しかしほぼ互角状態に思われたトヨタ・日産も、この後実は日産の方が遥かに前を行く存在であることが明らかになっていく。

(以下次号)


100 名前:CarNo.774:07/02/04 08:31:51 ID:Y1kIE+Jm
JAF-GP富士500km

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7454.mpg.html

101 名前:CarNo.774:07/02/04 13:12:59 ID:9z4ekagg
乙です
>>100
いつも有難う御座います!

102 名前:CarNo.774:07/02/12 20:59:35 ID:436K2CRh
今やってる「バブルへGO」の舞台が、この富士500kmと同じ1990年3月です。
バブルは良かったなあ…。

103 名前:CarNo.774:07/02/17 16:41:38 ID:pCI2UcgH
日産編 其の五拾九

1990年のWSPCは、4月6日鈴鹿で幕を開けた。全戦エントリーが義務付けられて2年目のシーズンである。
ル・マンがこの年もシリーズから外れたため、マツダはWSPC参加を見送った。当然この母国ラウンドにも参戦していない。
しかしそのためマツダはカーボンモノコックのニューマシン787のテスト参戦の場を失ってしまうこととなる。
ジャガーがフォードに買収されたため、同門となってしまったアストンマーチンもシリーズから撤退。(前年は欠場したため)結局アストンマーチンのCカーが来日することは一度もなくなった。

マツダ、アストンマーチンが参加を取りやめたとは言え、メルセデス、ジャガー、トヨタ、日産、そしてセミワークスのポルシェと5つのメーカーが参戦。
これにカテゴリー1のスパイスが加わり、シーズン末にはプジョーもテスト参戦する。
数年前までは考えられないような充実したエントリーである。珍しいところではアルバ・スバルの参戦も…。(結局ものにならなかったが)
1953年に始まったスポーツカーの世界選手権史上、全盛期と言って良い時期である。この繁栄から一転、わずか2年でシリーズが崩壊するとは…。

104 名前:CarNo.774:07/02/17 17:00:26 ID:pCI2UcgH
鈴鹿2年目、日本開催9年目となるWSPC日本ラウンド。
この年から予選は2デイに改められた。と言うより1986年までの状態に戻ったと言ったほうがよい。

この予選では当初からメルセデスvsトヨタのポール争いになることが予想された。
その予想どおり、金曜日1回目の予選でトップタイムを叩き出したのは、リースドライブする#36ミノルタトヨタ90C−V。
タイムは従来のコースレコードを1.5秒以上縮める1.48.716。リースはこの年WSPCに専念するため、国内のJSPCとF3000にはレギュラー参戦しない。
2番手はメルセデスのニューマシンC11(マシン名も「ザウバー」から「メルセデス」となった)をドライブするシュレッサーの1.48.732。リースのわずか0.02秒落ちである。
以降3番手にラッツェンバーガーのトヨタで1.48.788。4番手には「メルセデスジュニアチーム」と組むマスで、1.50.623、こちらは旧型のC9である。
この年からメルセデスは将来のドライバー育成を考え、若手によるジュニアチームをベテランのマスと組む形で参戦させた。
このジュニアチームが、ベンドリンガー、シューマッハ、フレンツェンである。その後すべてF1まで上り詰めたように、メルセデスの目は狂っていなかった。
しかもその内1人はF1史上最強の「皇帝」と呼ばれるようになるのだから…。(しかし皮肉なことにそのメルセデスでF1に勝利をたらすことはなかった)
このジュニアチームの若手ドライバーが交代でマスと組む。初戦となるこの鈴鹿ではベンドリンガーが参戦した。


105 名前:CarNo.774:07/02/17 17:16:53 ID:pCI2UcgH
日産はこの予選を重視していなかった。あくまで目標はルマン。そのためエンジンもルマンの前までもたす。
星野の#23カルソニックが5番手となる1.50.753、長谷見の#24YHPが9番手の1.51.490に留まった。
今回は前戦富士500kmと逆に#23が90カウル、#24が89カウルで参戦する。なお鈴木利男が負傷欠場のため、星野のコ。ドライバーは急遽A・Gスコット(現佐藤琢磨マネージャー)となった。
前年のWSPCニュルブルクリンクで、日産R89Cでトップを快走したドライバーである。
チームルマンのキャビンR90V(R89C)の和田は18番手と出遅れる。今回のコ・ドライバーは、JSPCレギュラー中子でなく、前年のメルセデスからNMEワークス入りしたアチソンである。

トヨタ、メルセデスのポール争いは、翌7日さらに白熱することが予想されたが、予選開始直前に降りだした雨で文字通り水入り。
金曜日のタイムがそのまま生きることとなった。この予選でメルセデスのニューマシンC11がデグナー付近でクラッシュ、翌決勝はTカーのC9で臨むことを余儀なくされる(この年はTカーでも同じ車番のタイムが生きることとなっていた)。
この時点で予選7、8番手のジャガーXJR−11(ターボ)はノーマークだと言って良かったのだが…。

106 名前:CarNo.774:07/02/17 17:51:18 ID:pCI2UcgH
4月9日決勝。朝まで雨が残り、この朝のフリー走行でトップタイムをマークしたのは「伏兵」
(と言っていいのか?)ジャガーのブランドル。
前年ブラバムでF1フル参戦した88年WSPCチャンプ・ブランドルはF1で3流チームのシートを
得るよりも、
スポーツカーのトップチームに復帰することを選択したのである。


107 名前:CarNo.774:07/02/17 17:54:56 ID:pCI2UcgH
午後には完全に雨が止み、多少路面に水が残るものの、
ドライで決勝レーススタートを迎えることとなる。
しかしレーススタート前でも昨年同様スタンドはガラガラ。
急遽開催が決まった前年と異なり、この年は半年も前から前売りを開始し、
富士フィルムと言う冠スポンサーも付いた。
またF1パイロット鈴木亜久里もTTTから参戦。
前年の日本GPではPQ落ちしているので、88年以来の日本のレース参戦である。
(亜久里はかつて世話になったトムス舘のオファーを受け、
この年WSPCにTTTからスポット参戦する。
決勝に進めないF1ザクスピードヤマハで苦労した前年、
日産からWSPCに出場するチャンスがあったのに実現しなかったのは、
翌年トヨタへ移籍するための冷却期間としたかったためらしい)

108 名前:CarNo.774:07/02/17 17:55:32 ID:pCI2UcgH
加えてレースクイーンに当時人気のグラビアアイドル・シェイプUPガールズの
梶原真弓を起用。
F1並、かつての富士WEC並に盛り上る要素はいくらでもあったのだが…。
この日発表された観衆は4万1千人。実数はこの半分以下だったらしい。
鈴鹿F1が当時12万人、WEC富士は8万人と言われていたのだが…。
この日のレースの中継は、当時まだまだ普及のしていなかったNHK-BS。
地上波の中継はない。NHKも中継するだけで、
他の民放のようにイベントを盛り上げるための後援を兼ねていたわけではない。
加えて前年同様、JSPCの倍以上の入場料。これらが集客に響いたのだろうか?
(事実この後8月同じ場所で開催されたJSPC鈴鹿1000kmにはこの日をはるかに上回る
5万8千人の入場者があった)



109 名前:CarNo.774:07/02/17 18:12:24 ID:pCI2UcgH
一部路面に水が浮いているものの、時折日も差す中、スタートを迎える。
このスタート前、「予想外」のアクシデントが起きる。2位グリッドのメルセデス1号車が、燃料漏れで急遽ピットに戻り、ピットスタートとなった。
Tカーを使用したためのドタバタであるが、昨年の王者メルセデスに早くも暗雲が。

13時、34台のCカーが一斉スタート。ここでも「予想外」のアクシデントが起きる。#2のマスが2コーナーでハーフスピン!12位にまで転落する。
昨年王者2台のメルセデスが、序盤から大きくハンデを背負う。
序盤から「予想外」な展開が続く。新型3.6リットルエンジンを搭載する2台のトヨタ90C-V(#36ミノルタ、#38デンソー・サード)がレースを引っ張ることは充分予想できた。
しかしそれまでノーマークと言えた2台のジャガーXJR−11が激しくトヨタを追走してきたのである。


110 名前:CarNo.774:07/02/17 18:33:48 ID:pCI2UcgH
11周目、シケインで挟み打ちする形になったジャガーは、そこで#3のブランドルが#36ミノルタトヨタを交わしトップに浮上。
続いて#4のラマースのジャガーもトヨタを交わしジャガーが1−2フォーメーションを築く。

派手な立ち回りのトヨタ、ジャガーに比べ、日産はこのWSPC母国ラウンドでも「ルマンへのテスト」と割り切り、終始マイペースを貫いていた。
これはある意味予想どおり。更なる「予想外」は序盤大きく後退した2台のメルセデスの追い上げである。
1回目のピットインを前にはもう、ポルシェ勢、日産、トヨタを交わし、ジャガーに次ぐ3−4位フォーメションを築いていたのである!
1回目のルーティーンピット作業終了後の33周目、マスから代わった#2の「ジュニア」ベンドリンガーは、ジャガーを交わしついにトップに浮上する。
ベンドリンガーはデビュー戦とは思えない落ち着いた走行で首位を快走する。これを追うのはバルディに代わった僚友#1のみ。
こちらも最後尾からつに2番手まで浮上する。

1回目のルーティーンが終わりレースが落ち着くと、順位はメルセデス−メルセデス
−ジャガー−ジャガー−トヨタ−トヨター日産−日産となった。
トヨタ・日産はジャガーを完全に抜き去り、メリセデスと互角に渡り合えると言う戦前の予想は、見事なまでに瓦解することとなったのである。


111 名前:CarNo.774:07/02/17 18:50:24 ID:pCI2UcgH
37周目、AGスコットの#23カルソニックがスプーンでコースアウトし後退。
星野に代わった66周目に再びコースアウト、リタイヤとなる。
しかしこのリタイヤが90年JSPC、WSPC、ルマンを含めのニスモの唯一のリタイヤであった!
45周目、#4ジャガーがターボトラブルでピットイン脱落。
2回目のルーティーンまで新人ベンドリンガーは快走し、ピットイン時にはクルーから拍手で迎えられた。
この後マスに代わった後、#2メルセデスはピット作業時のペナルティで再度ピットインの指示。
これで#3ジャガーが2位に浮上するも残り5周でストップ。油圧トラブルとチームは発表したが、
序盤のハイペースがたたったガス欠ではないだろうか?
これでメルセデスの1−2フォーメーションは磐石に。

一方で#38サードトヨタ、#24YHP日産、#36ミノルタトヨタの4位後3位争いは白熱する。
しかし#36ミノルタは序盤のハイペースがたたり、燃料不足で大きくペースダウン。
安定したタイムでラップを重ねる#24長谷見の追い上げから逃げようと逆にペースを上げた#38は
残り2周でガス蹴欠、コース上にストップする。

112 名前:CarNo.774:07/02/17 18:57:36 ID:pCI2UcgH
優勝はメルセデス。前年同様最後尾スタートからの優勝、1−2フィニッシュも前年のとおり。
メルセデスと国産勢の差は、縮まるどころか、逆に開いていたのである。
ピットスタートのメルセデスに対し、「フォーメーションラップ中のガソリンが節約されている」とのクレームが付いたが、
それがなくてもメルセデスの優勝は磐石だったには違いない。

日産長谷見/オロフソン組は3位入賞。それでも1周遅れである。
WSPC日本大会の国産エンジン・日本人の表彰台は、雨の85WECを除けば、
82年第1回以来の快挙である。
最後燃料が完全に尽きた#36トヨタは惰性で坂道を下りチェッカー、4位に入った。

113 名前:CarNo.774:07/02/17 19:16:20 ID:pCI2UcgH
このメルセデスの圧勝、そしてジャガーの「予想外」の健闘は、実はグッドイヤータイヤに負うところが大きかった。
そのことについて言及するメディアはほとんど無かったが。
トラブルで後退したとは言え、カテゴリー1のスパイスでさえトヨタ・日産と変わらないタイムを刻んでいたのである。
メルセデス・ジャガーに至ってはTNより3秒もベストラップが速かった。
一方で前年度々メルセデスを追いかけまわし、ディジョンでは金星を上げたヨーストは、
この年もポルシェのセミワークスとして大いに期待されながら、グッドイヤーを失いミシュランにチェンジしたことがたたり、
下位に沈むこととなった。それほど当時のグッドイヤーは他を圧倒していたのである。

114 名前:CarNo.774:07/02/17 19:35:36 ID:pCI2UcgH
さて、3位表彰台獲得の日産である。
レース展開としてはインパクトに欠けたと言わざるをえない。
トヨタのようにトップ争いに加わるでもなく、淡々とテレメーターの指示どおりに走行。
その結果としての3位である。ワークスチームとしては面白みの無いレースだったろう。
しかし日産が向いているのは、すべてルマンである。
そのためにエンジンの使いまわしであり、計算どおりに徹したレース展開である。

このレースで活躍した、メルセデスも、ターボジャガーも、3.6gトヨタも、すべてルマンには参加しない。
#23カルソニックのリタイヤを除けば、ルマンに参加するマシンでほぼ完璧なレースを成し遂げた。
1990年のルマンの優勝候補筆頭は日産と言える状況になったのである。
「日産が本命」、そう断言したメディアは私の知る限り「レーシングニュース」(既に廃刊)だけであったが…。



115 名前:CarNo.774:07/02/17 19:36:20 ID:pCI2UcgH
インターネットのない当時、日産の優位性をファンが知ることは中々難しかったのであるが…。
WSPC欧州ラウンドから、NMEのR90CKが参戦する。こちらもル前半戦は完全にルマンのテストと割り切りレースに臨むこととなる。
ニスモもNMEも、ルマン前に「優勝」と言う景気付けはぜひ欲しいはずである。
しかしWSPCでは、ニューマシンC11を投入し、しかもWSPCに集中できるメルセデスを破るのは相当厳しいことが予想された。
となると、「優勝」と言う景気付けの最後のチャンスは、事実上JSPCしかないことになる。

次戦のJSPCは、5月GWのインターチャレンジ富士1000km。しかしこちらも「予想外」なことが起きてしまう…。

(以下次号)



116 名前:6:07/02/17 21:03:12 ID:6SsMAiae
90年WSPC鈴鹿

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7478.mpg.html

117 名前:CarNo.774:07/02/18 18:42:55 ID:pzjwh4px
>>116
ありがとう!
まさに「バブルへGO!」

118 名前:CarNo.774:07/02/19 15:46:53 ID:kaMRumzG
>>108
『この日発表された観衆は4万1千人。実数はこの半分以下だったらしい。』
生で初観戦したレースです。その中の1人です(笑)
当時中3だった私がGr.Cカーに興味を持っていた事が稀ですよね。
【まさに「バブルへGO!」】ですね。


119 名前:CarNo.774:07/03/03 18:06:46 ID:al9zADwQ
日産編 其の六拾

1990年WSPC開幕戦鈴鹿で、「ルマン参加車両クラス」と「JSPCクラス」で勝利を収めたこととなる、メルセデス2台に次ぐ3位表彰台を獲得した日産。
これからの2ヶ月が、ルマン制覇に向けて重要な期間となる。
JSPCを戦うニスモは、実戦は5月のインターチャレンジ富士1000kmのみ。
WSPCを戦うNMEは4月のモンツァを皮切りに、5月シルバーストン、6月スパと戦い、ルマンに臨む。
IMSAを戦うNPTIは、IMSAで走らせるGTPマシンとは別個に、英国から送られてきたR90CKをテストする。
このテストの結果に気をよくしたNPTIでは、先述の通り、1台をTカーとする当初の予定から、2台体制に変更した。

120 名前:CarNo.774:07/03/03 18:16:48 ID:al9zADwQ
ルマンに挑む前に、「勝利」と言う最高のカンフル剤を打ちたい日産陣営だが、WSPCではメルセデス相手には非常に厳しい状態。
NPTIはルマンまで(Cカー)実戦はお預けだから、ニスモこそルマン前に士気高揚の意味でも勝利を飾っておきたいところだっただろう。

ところがここで天の悪戯が起きる。
GWのJSPC第2戦インターチャレンジ富士1000km。
前年89年はこのレースはWECの代替として10月に開催され、海外からも数チーム参戦したが、今年は海外からのエントリーはなし。
TMSC主催の富士1000kmは10月開催になったため、単に富士1000kmが年2回になっただけとも言えた。
最近では当たり前だが、このGW真っ只中に開催されたこのレースは、渋滞を考慮し土日でなく金土(5月4日・5日)開催となった。
しかし金曜日の予選は雨。雨の予選でポールを獲得したのは、チームルマン・キャビン日産の和田。
翌日の決勝も豪雨に見舞われ、レースは1000kmから500kmに短縮し開催することとなり、トヨタ陣営はルマンに向けて90C−Vを温存しTカーの89C−Vで挑むこととなる。

121 名前:CarNo.774:07/03/03 18:24:33 ID:al9zADwQ
午後にはようやく雨も止み、さあこれからと言う段階で今度は濃霧が発生。
ここで中止が決定となる。ニスモは結局前年のルマン以降、1勝もできないま90年のルマンを迎えることとなった。
豪雨の中、WSPCよりも多くの観客がルマン前最後のレースを期待していたのだが…。
WSPCを欠場し、このレースが787のデビュー戦となるはずだったマツダ陣営は、ルマンがぶっつけ本番となってしまう。

「勝利」と言うカンフル剤を得ることはできなかったが、日産陣営はこのレースウィークに万全の自信を持って挑んでいた。
このレースからニスモは2台ともR90CPを投入。前戦から投入したカーボンブレーキのセッティングが決まり、
大言壮語しない長谷見が「ルマンでは狙える」と宣言するほどだったのである。
それだけに最後のテスト、そして士気を高揚する意味でこのレースに勝っておきたかっただろうが…。
インターネットのない当時、日産がルマンを制覇する可能性が相当高くなっていたことを当時のファンは知ることができmなかった。

122 名前:CarNo.774:07/03/03 18:43:29 ID:al9zADwQ
一方でNMEのWSPCである。フル参戦2年目、新監督に生沢徹を迎えての新シーズン。
第2戦モンツァが生沢監督と共に、R90CKのデビュー戦である。昨年あと一歩までメルセデスを追い詰めた日産だが…。
開幕直前に日産も全戦2台体制に変更し、#23はベイリーと前年メルセデスをドライブしたアチソン、#24をブランデルと85年インターTECウィナーのブランカテリが組む。

予選ではグッドイヤーを履くメルセデス(このレースから2台ともC11)とジャガーの一騎打ちとなった。
フロントロウをメルセデス、セカンドロウをジャガーが占める。2台の日産R90CKは6位と8位。
ポールのメルセデスは1.29.165、対する日産は1.32.261のブランデルのタイムがベスト。
3秒落ちだが、日産陣営はフルブーストのアタックを行わず、あくまで決勝、と言うよりルマン重視で、エンジンも数レース使いまわす。
鈴木亜久里が加わったトヨタ陣営は、リースが予選5番手を確保するものの、欧州のサーキットに合わずクラッシュの連続。
日産との差は徐々にはっきりして行くこととなる。

123 名前:CarNo.774:07/03/03 19:04:01 ID:al9zADwQ
決勝レースでは、1コーナーのシケインでマスのメルセデスと、ラマーズのジャガーが接触・コースアウトと言う前戦同様波乱の幕開け。
しかしグッドイヤーを履く両車の速さは次元が違い、レース中盤までには日産を交わし、メルセデス1-3位、ジャガー2-4位となる。
日産はメルセデス、ジャガーに次ぐ5-6位をランデブー走行する。
しかしベイリー組#23はナットが緩むというトラブルでピットインし後退、結局ポイント圏外の7位にまで落ちてしまう。
もう1台の#24も、テレメトリーが表示する燃料残量が正確でなく3周残しガス欠リタイヤとなってしまう。
優勝は#1メルセデス、2位にも最終ラップにジャガーを交わした#2メルセデスが入り2戦連続の1−2フィニッシュ。
「新人」ベンドリンガーも2戦連続の2位表彰台である。
3-4位がジャガー。日産もグッドイヤーを履いていれば、と想像してしまうが、当時のWSPCはメルセデス−ジャガー−日産の序列がはっきり形成されていた。
しかし何度も言うようにルマンではメルセデスとターボ・ジャガーはいない。
マイナートラブルで結果を残せなかったとは言え、NMEはルマンに向けて順調にプログラムをスタートさせたと言えるだろう。

(ちょっと小休止)

124 名前:CarNo.774:07/03/03 19:05:43 ID:al9zADwQ
今後の予定

・WSPCシルバーストン・スパ
・ルマンを前に
・90ルマン前編
・90ルマン後編

れーしんごんに追いつかれないようがんばります。

125 名前:CarNo.774:07/03/05 00:36:25 ID:55NtF/su
>>124
頑張ってください!

126 名前:CarNo.774:07/03/14 01:06:15 ID:BdkxtTxb
おなじく、頑張ってください!!

127 名前:CarNo.774:07/03/20 13:47:15 ID:wtjq9ILM
もう頑張らないで・・・

128 名前:CarNo.774:07/03/21 20:15:16 ID:vIb0UfLU
日産編つづき

WSPC第3戦はシルバーストン。ジャガーにとってはホームレースだが、NMEにとってもホームレースと言える。
シルバーストンのWSPCは前年(89年)は開催されなかったので、2年ぶりである。

88年にザウバーメルセデスがマークしたポールタイムは1分15秒02。2年ぶり開催にこの年は、6台がコースレコードを更新した。
ポールはシュレッサーが自らがマークしたレコードを3秒も上回る1分12秒073で獲得する。シルバーストンはこの翌年(91年)に大幅に改修されたため、
旧コースのレコードとしては、この年の記録が残ることとなった。
このシュレッサーに次ぐタイムをマークしたのがマスのメルセデスだが、予選中ピットエリアの外で修理をしたことにより失格処分となる。
マスの今回の「ジュニアチーム」の相棒は、ミハエル・シューマッハだったのだが、シューマッハのWSPCデビューはお流れになってしまった。
シューマッハがF1にデビューするのは翌91年ベルギーGPのことである。

129 名前:CarNo.774:07/03/21 20:28:57 ID:vIb0UfLU
ターボジャガーもメルセデスに次ぐタイムをマークするも、1分13秒073、13秒534と差は依然として大きい。
4番手にようやく日本勢のトップとして、#24ブランデルの日産が。タイムは1分14秒682。日産はルマンを見据え、
数レース同じエンジンを使用。フルブーストのアタックも行っていない。その条件では上々と言えるだろう。
5番手ヨーストポルシェ、6番手トヨタ90C−Vとここまでがレコード更新。もう1台の#23日産は7番手からのスタートとなる。

翌5月19日、決勝。日本でもこのレースはNHK−BSで生中継された。
丁度1年前のディジョンで、メルセデスはこの年唯一の敗北を喫する(ヨースト優勝)。
1年後、それが再現されようとは…。
スタートから1台だけとなったメルセデスは、2位以下を毎周1秒以上引き離す独走状態に入る。
2位以下とは異次元の走りで他を圧倒する。しかしメルセデスに悪夢が訪れるのは1回目のルーティーンピットワークが終った直後の41周目。
エンジントラブルでリタイヤ。メルセデスエンジンがトラブルを起こしたのは、1986年以来初のことである。
地元の神様がジャガーに味方したのか…?

130 名前:CarNo.774:07/03/21 20:41:54 ID:vIb0UfLU
これでレースは2台づつの、ジャガー、日産、スパイスの争いとなる。
カテゴリー1のスパイスはこの頃ようやく本領を発揮するようになった。
首位を行く#3ジャガーが、2位の日産以降を徐々に引き離して行ったの対し、
コンピュータチップの選択を誤った#4ジャガーはスパイスより更に下に低迷するが、
ピット作業でチップを交換し復調する。
レース終盤、#3ジャガーが独走状態になるも、2,3位には日産R90CKが付ける。
#3ジャガーに何かが起これば優勝を狙える位置。しかし「何か」が起きたのは2台の日産のほうだった。
残り10周で2位を走行する#23ベイリーの日産がストウコーナーを走行中サスペンショントラブルでクラッシュ、リタイヤとなる。
これで2位に上がった#24ブランデルの日産も最終ラップでガス欠。惰性でチェッカーを受けるが規定以上のタイムを要し、完走とは認められず。
5位の得点をフイにした。

131 名前:CarNo.774:07/03/21 20:51:45 ID:vIb0UfLU
優勝は#3ジャガー、2位にも#4ジャガーが入り、1−2。
(余談だが、このレースを中継したNHKは、最終LAPとウィニングランLAPを勘違いする大失態。まだレース中継に慣れていないこともあったのだろうが…)
ジャガーは1986年以降、シルバーストンでは4連勝である。
2台のメルセデス脱落のタナボタではあるが…。
3位にスパイス・フォード。カテゴリー1の表彰台はこれが初である。

トラブルで結果はついてこなかったが、日産もルマンに向けてはまずますのレースと言えたのではないか。
トラブルが起きた#23の方が燃費データが良かっただけに、悔やむ気持ちも大きかっただろうが。
日本勢のもう一方のトヨタ(1台が12位、小河もドライブしたもう1台は燃料給油量過多で失格)とは、この時期にはだいぶ差を広げてきたと言えた。


132 名前:CarNo.774:07/03/21 21:33:00 ID:vIb0UfLU
続く第4戦は、6月1〜3日のスパ。なんとルマンの2週間前と言うタイトなスケジュールである。
このレースでもポールはメルセデス。今回はバルディである。タイムは1分59秒350。
スポーツカーでスパで2分を切ったのはこれが初めて。プロストの持つF1のレコードタイムの2秒落ちでしかない。
「いつものように」フロントロウをメルセデス、2列目をジャガーが占め、#24日産が2分3秒079で5番手、#24が10番手に。

決勝は「スパウェザー」。フロントロウのメルセデス他多くのマシンがレインでスタートするが、次第に路面は乾きジャガーはスリックへ交換。
これが功を奏しジャガーはレインのまま走るメルセデスを交わしトップに浮上し、#3ブランドルは独走態勢に入る。
メルセデスは#1が今回もミスファイヤで後退。ジャガーの2連勝が見えてきたが、終盤#3ジャガーは電気系トラブルでリタイヤ、2連勝はならなかった。
これでマス/ベンンドリンガー組が首位浮上、そのままチェッカーを受ける。今回の「ジュニアチーム」はベンドリンガー。ジュニア勢トップを切っての初優勝である(21歳)。
この混乱のレースの中、日産は#24がマイナートラブルで後退するも、#23は終盤まで2位を走行。
ラマースのジャガーに交わされ3位となるも、ヨーロッパラウンド、そしてNMEにとって今季初表彰台を獲得する。
しかもトップと同一周回で。「ルマン参加クラス」ではトップである。一方のトヨタは18位と今回も低迷。もう1台は予選中にクラッシュ鈴木亜久里がクラッシュ、決勝出走を断念している。



133 名前:CarNo.774:07/03/21 21:34:18 ID:vIb0UfLU
「優勝」と言う最高の景気付けはならなかったが、ニスモ、NMEともメルセデス、ターボジャガーを除く「ルマン参加クラス」ではトップを取っている。
日産のルマン制覇は、かなりの現実味を帯びてきたのである。ただし残念ながらインターネットのない当時はそれが世間に広くは伝わらなかったのであるが…。
(スパの日産3位のレースがNHK−BSで放映されたのは、何とこの2週間後、ルマンの決勝中であった。)

いよいよ次戦はルマン。日本車初のルマン制覇は実現するのだろうか…?

(以下次号)

134 名前:CarNo.774:07/03/22 00:46:36 ID:9dTvGUox
乙でした〜

135 名前:CarNo.774:07/03/22 08:13:41 ID:7VmCKKDA
GJ!

136 名前:6:07/03/22 22:39:26 ID:w2E9Lkx2
90 WSPC RD2-4

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7546.mpg.html


137 名前:CarNo.774:07/04/01 00:59:05 ID:ydojkmv1
日産編 其の六拾壱

優勝こそ成らなかったが、「ルマンへのテストの場」と割り切っていたWSPCでニスモ、NMEとも3位表彰台を獲得と、大いに士気を高めルマンに乗り込むこととなった。
もう1チーム、NPTIは、R90CKのテストを重ねる一方、IMSAシリーズではすっかり勝ち癖が付き、ルマン前の8戦で5勝とこちらも好調。
マシンは違うが、伝統の耐久レースセブリング12時間も2連覇を達成し、またIMSA用ニューマシンNPT90もさっそく優勝している。
ニスモ、NME、NPTIとも気分よくルマンへの路へ向かうことができただろう。しかしこの日産の「3本の矢」は決して1本にならなかったのであるが…。

138 名前:CarNo.774:07/04/01 01:14:09 ID:ydojkmv1
ルマン前のWSPC、JSPCで順調にプログラムを消化し、日産は本気でこの年のルマン制覇を狙っていた。
幸か不幸か前年の覇者メルセデスは参加しない。WSPCでの走りを見る限り(WSPCとルマンは違うとは言え)とてもC11に太刀打ちできる雰囲気は無かっただけに、
日産の勝利に向けての大きな障害の一つは消えたと言えただろう。

日産はルマンに5台(+Tカー2台計7台)のワークスと2台のサテライトの総計7台(+Tカー2台)のマシンを送り込むことにしていた。
バブル全盛期とは言え、これほどのマシンを送り込むのは日産だけであり、60年代フォードを彷彿させる物量作戦である。
日産は事実上大会の冠スポンサーとも言える大盤振る舞いで、大会ポスター、チケットには#24の日産R90CKが踊る。
ペースカーもフェアレディ300ZXを提供。日本車がルマンのペースカーとなるのはこれが初めてであった。
ユノディエールに新設された2つのシケインのうち、第1シケインには看板を出し「日産シケイン」と命名された。
(もっともこれは単なるネーミングライツだったようで、フォードシケイン、ポルシェカーブのように半永久的に定着したものでなく後に度々変わることに)

139 名前:CarNo.774:07/04/01 01:30:14 ID:ydojkmv1
しかしこの日産の「本気度」が世間に充分伝わっていたかと言えば疑問符が付く。
今と違い当時はインターネットのない時代と言うこともあるが…。
一度でもWSPCもしくはJSPCで優勝を飾っていれば違ったのかもしれないが、
しかし本気で優勝を狙い、またその位置にいると言うことを当時の日産はもっとうまく宣伝しておく必要があったのではないか?
結果的にはしなくて良かったことになったとも言えるかもしれないのだが…。

客観的なファンの目からすれば、この年のルマンの本命はジャガー、対抗でヨーストポルシェ、トヨタ、日産、と見るのが平均的な予想だっただろう。
しかし今のようなインターネットで瞬時に情報が流れる時代だったら、日産とジャガーはむしろ6:4で日産と見る向きが多かったかもしれない。
伏兵ブルンの活躍は、レースウィークまで予想できなかったかもしれないが、トヨタが半ば試合放棄状態だったことも伝わっていたことだろう。
この時トヨタは新型3.6リッターエンジンを持ち込まず、カーボンブレーキも持ち込まず、また日産のようにシケインのネーミングライツを獲得するでもなく、レースの前に既に諦めている雰囲気があった。
もっともそう言うトヨタの消極的姿勢を雑誌が(知っていても)積極的に報道はするはずはなかったのであるが…(ファンはレースウィークが始まるまでこのトヨタの状態を知ることができなかった)。


140 名前:CarNo.774:07/04/01 01:50:49 ID:ydojkmv1
トヨタの消極策はともかく、日産が優勝を本気で狙ってると言うことが、世間に広く伝わっていないと言うことは、何とももったいないことであった。
雑誌はオートスポーツもレーシングオンも隔週刊で、どうしても情報が遅くなる。
レーシングオン7月1日号(6月1日発売)では、あまり大言壮語しない長谷見が、大きな自信を述べている。
曰く「ノントラブルで行けば確実に1位か2位に入る」「中止になった富士1000kmで足回りがばっちり決まっていた」
「カーボンディスクブレーキも具合がいい」「期待できる。あとは運」と。

既に予選1日目の結果が流れた6月15日発売のオートスポーツ7/15号では、町田收のインタビューが掲載される。

141 名前:CarNo.774:07/04/01 02:01:22 ID:ydojkmv1
既に予選1日目の日産1−2は日本に伝わっていたが、この時初めて日本のファンは日産がルマンでは予選から全開で行くことを知ったことだろう。
WSPCでは予選も決勝用のセッティングにあてていたから、ルマンでもそうなると予想していたファンは多かったはずである。
ここで町田は「必ず勝つ」と高らかに勝利宣言をしている。これも決してはったりでなく根拠のある自信があったのである。
しかしこのインタビュー(5月末日実施)をもっと早くメディアに載せる手はなかったのだろうか?
ファンはレースウィークが始まってからようやく日産の「本気度」を知ることができたのである。返す返すも残念である。
(このインタビューではWSPCにおけるメルセデス、ジャガーのレギュレーション違反(ガソリン疑惑、隠しタンク疑惑、ブースト圧コントロール疑惑etc)について町田は言及している。
匿名でないインタビューである以上、かなり信憑性があったのではないか?)

142 名前:CarNo.774:07/04/01 02:12:02 ID:ydojkmv1
伝わらなかった情報がもう一つ。予選用スペシャルエンジンの存在である。
これは日産サイドもトップシークレットであったため、今のようなネット社会でもそうは世間に伝わらなかったはずだ。
しかしこれが後に日産にとって大きな禍根になろうとは…。

NME監督の生沢は町田に対し、予選用スペシャルエンジン投入の要望を出した。
他のWSPCはともかく、ルマンにおけるポールポジションは別格である。あまり意味のない耐久レースの予選だが、
チームにとっては士気の高揚になるし、宣伝効果も大きい。
生沢の要望を受け、町田は林に予選スペシャルエンジンの製作を依頼する。

林は当初戸惑ったが、受け入れる。来季ターボが出場できなくなる(もしくは大幅に規制さっる)可能性がある以上、ターボのフルブーストのスペシャルエンジンで
スーパーラップタイムを出しておきたい気持ちもあった。(もっともこの時1100馬力のターボで叩き出すことになるタイムは、翌々年NAのプジョーのよって6秒も更新されてしまうことになるのだが)
しかし時間的に3基は無理で、1基のみと言う条件でである。

143 名前:CarNo.774:07/04/01 02:21:39 ID:ydojkmv1
この1基のみと言うことが後に禍根になる。
ではどこが使うか?使うチームが日産の「エース」チームなのか?
もらえなかったチームは心中穏やかにはいかないだろう。

NMEからの要望と言うことで、NPTIに予選スペシャルエンジンが必要か、密かに林は問い合わせた。
返ってきた返事は「いらない」。
次にニスモである。林としてはこのエンジンで星野にスーパーラップをたたき出してもらいたい気もあった。
しかしニスモから返ってきた返事も「いらない」である。この時点でスペシャルエンジンの行き先はNMEに決まった。
しかし日産チーム内でもそれが明らかにされるのは予選2日目のことであった…。

大きな期待と自信、そして様々な思惑を抱き、日産は90年ルマン24時間に本気で制覇するべく挑むこととなる。
まさに「史上最強の体制」で。
そしてこの年のルマンチャレンジが日産グループCにとって最後になろうとは、この時誰も知らなかった…。


(以下次号)

144 名前:CarNo.774:07/04/01 10:38:10 ID:G+l/0Vs8
GJ!!

145 名前:CarNo.774:07/04/01 17:01:06 ID:g6cVZI7a
ttp://w32.wazamono.jp/carmovie/src/32car0483.mp4.html

R90CK

146 名前:CarNo.774:07/04/08 21:44:43 ID:zidYher7
日産編 其の六拾弐

1990年6月12日、ジャコバン広場。ルマンの車検が始まった
時はまさにバブル全盛。この年のルマンには日本車が13台、日本企業のスポンサードを受けるポルシェが10台。
グリッドに付くマシンの半数近くがバブル日本と接点を持っていることになる。

この年のルマン、日産は本気で取りに行っていた。しかしこの年のチャレンジが日産グループCにとって最後になろうとは誰一人考えていなかたろう。
送り込むマシンはワークス5台、プライベート2台の計7台。かつてのフォード(13台)やジャガー(5台)を彷彿させる物量作戦である。
同じ日本車でもトヨタは3台、マツダも3台。この年の日産がいかに本気だったかわかるだろう。
何度も書くが、それが充分に日本に伝わっていたとは言いいがたかったのであるが。

車検場でも主役は日産である。この年、日産は日米欧から200名を越えるスタッフが送り込まれた。
この年はスタッフのウェア、ドライバーのスーツも一工夫されたいた。

147 名前:CarNo.774:07/04/08 21:55:26 ID:zidYher7
ドライバーのスーツは、1986年の初出場以来、胸に「NISSAN」と書かれたシンプルなものだったが、
この年は中央が青、左腕が白、右腕が赤のトリコロールスーツ。この年のルマンだけのスペシャルデザインである。
(その後1996年のルマンでのみ同じデザインのレーシングスーツが使用された)

スタッフのウェアは日米欧独自のもの。特に目を引いたのが、生沢徹率いるNMEのスタッフウェア。
ウェア自体もトリコロールをあしらった斬新なデザインだったが、車検後の記念撮影にはスタッフ一同がベレー帽、付け髭、サングラスを着用して登場。
周りの度肝を抜いた。(余談であるが、このNME生沢チームのウェアは日本でレプリカは発売されなかったが、数年前のニスモフェスのガレージセールで出品されていた。
筆者は即買いたかったのだが、現金がなく断念。当時はまだサーキット内に出張ATMがなかった。もう購入は不可能だろうか…?)

148 名前:CarNo.774:07/04/08 22:06:23 ID:zidYher7
ここで日産のルマン参戦体制をおさらいしておこう。
ワークスは5台(+Tカー2台)。エントラントは「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル」。
つまりニスモである。実際の動く部隊はともかく、今回の日産ルマンチャレンジは、日本のニスモからのエントリーとなる。
#23がニスモのR90CP。ドライバーは前年と同じ長谷見/星野/鈴木利男。スポンサーはカルソニック。
この他にTカーが1台。
#24、25はNMEのR90CK。#24がベイリー/ブランデル/ブランカテリ。#25がアチソン/ドネリー/グルイヤール。
ドネリー、グルイヤールは現役F1パイロットである。この年はF1カナダGPと日程がバッティングしなかった。
スポンサーは#24がYHP、#25がJECS。YHP(現hpジャパン)はhpと横河電機の合弁の日本法人。
つまりこのスポンサードはテレビ中継による日本向けスポンサードと言えるだろう。

149 名前:CarNo.774:07/04/08 22:21:30 ID:zidYher7
NMEにもTカーが1台。そしてこのTカーが後に物議を呼ぶことに…。

#83、#84がNPTIのR90CK。NPTIにとってはこれが初のグループC、そして北米以外のレースとなる。
#83がブラバム/ロビンソン/デイリー、#84はアール/ロー/ミレン。当初レース車1台Tカ1台の予定だったのを2カーエントリーに変更した。
そのためスポンサーは両車とも厚木ユニシアである。

サテライトが2台。1台はチームルマンの#85のR89C。ドライバー・スポンサーはJSPCと若干異なり、
和田/オロフソン/MSサラ、スポンサーはJSPCのキャビンでなく和田のF3000のスポンサーティノラスが付いた。
もう1台がクラージュの#82R89Cルゴー/クーディーニ/ロス。
クラージュは前年チームルマン用にヤドカリエントリー枠を提供した縁で、今年日産からマシンを1台貸与されることに。
日産とクラージュの関係はその後も続くが、1999年の撤退以降疎遠になってしまう。

以上の7台(Tカー含むと9台)が日産の全陣容である。

150 名前:CarNo.774:07/04/08 22:38:27 ID:zidYher7
車検が終ると記念撮影である。マシンの前に、チーム代表を中心にドライバーが並び写るのが恒例行事である。
ニッサン・モータスポーツからのエントリーとなる日米欧の日産ワークス5台が揃ってカメラに収まる。
総勢約200名の大部隊である。
ここで、ちょっとした悶着が。町田が難波を呼ぶが、難波は「おれはいいよ」と断る。過去4年の日産のルマンチャレンジはすべて難波がカメラの中心に収まっていた。
一応日産ワークスチームはニスモのエントリーである以上、この年もエントラント代表は難波であるが、実際に日産チームを率いているのは前年から本社の町田であった。
そのため難波はもういいと考えたのかもしれないが、町田もなおも誘うが、結局難波は記念撮影に加わらなかった。
照れと言うこともあったのだろうが、生沢起用の件で二人の間に微妙な空気があるのは間違いないようであった。
結局町田も遠慮がちに隅っこにいただけである(レーシングオン07年5月号135p参照)。

151 名前:CarNo.774:07/04/08 23:03:07 ID:zidYher7
さて、そのように呉越同舟、同じカメラに収まった日米欧日産ワークスチームであったが、
決して「日産ワークス」として一枚岩ではなく、それが後にレースに影響を及ぼすことになっていく。

「社内運動会」と言えば聞こえはいいが、「身内」であるだけに兄弟喧嘩は余計始末に終えなくなっていく。
88年のジャガーも、TWR本社とTWR−USAの欧米混合部隊であったが、トムと言うカリスマのもと一枚岩になっていた。
それをサラリーマンの町田に求めるのはいささか酷であるのかもしれないが…。

この年の日産チームは見た目から一体感に欠けていた感がある。
前年89年も、日産ルマンチームはニスモとNMEの混成部隊。決して一枚岩でもなかった。
#23がニスモ、#24がNME、#25がNMEメンテのエレクトラモーティブドライブと言うように。
しかし見た目はすべて同じトリコロールに日産R89C。見た目で異なるのはスポンサーとウィンドシールドのNISSANの文字のカラーのみ。

しかしこの90年のルマンでは、見た目でも日米欧まったく違うチームのように写るようになる。
マシンが異なるニスモはともかく、同じR90CKを使うNMEとNPTIは、同じトリコロールにカラーリングされてるにも関わらず、だいぶ印象が異なる。
ヘッドライトは両車ともシビエだが、見た目はかなり異なる。(ニスモは市光)
ホイールはNMEがスピードライン、NPTIがBBS、タイヤもNMEがUKDL、NPTIがGY、ウィングの位置もかなり異なるセッティングである。

152 名前:CarNo.774:07/04/08 23:15:41 ID:zidYher7
見た目以外でも、ブレーキはニスモはブレンボのカーボン、NMEはAPのカーボン、NPTIのAPのスチール。
これでは情報は共有できない。
共有できる部分の情報交換も、決してスムーズには行っていなかった。
「どこが勝とうが日産の勝利」そう言う「チーム」としての一体感はまったくと言ってなかったようである。
それが後に重大な結果を招くことになるのだが…。

とは言え、間違いなく必勝体制をしいた日産、この「社内運動会」を言い方向に向かうことを期待する向きも当然あっただろう。
ユノディエールにシケインができて初めて迎えたルマン、6月13日、予選が始まる。
この日、日産のパワーが炸裂する。

(以下次号)

153 名前:CarNo.774:07/04/09 13:43:20 ID:cIqEANjR
待ってました!
GJ!!


154 名前:CarNo.774:07/04/21 10:51:23 ID:MpJiy/fW
日産編 其の六拾参

6月13日、ユノディエールにシケインが設置されて初めてのルマンの予選が開始される。
日本で語られた一般的な予想は、本命ジャガー、対抗ヨースト・日産・トヨタ、マツダは眼中にない…、と言ったものが多かっただろう。
そして予選の本命はトヨタであると。まだインターネットがなく、瞬時に情報を仕入れることができない時代である。
しかしその予想も、予選開始とともに飛んでいくことになるほど、意外な展開が待っていた。

初日の予選は、まず「セミワークス」扱いの#8ヨースト・ジョナサンパーマーの大クラッシュから始まった。
この年のポルシェは、従来の「ルマン仕様」ロングテールと、「スプリント仕様」ショートテール、どちらを選択するか各チームでまちまちであった。
ユノディエールのシケインがどう影響するか。ちなみにヨーストはロングテールであった(それがクラッシュとは関係ないだろうが)。
ロングテールとショートテール、どちらが新ルマンにとって正解であったかは、後に判明する。

155 名前:CarNo.774:07/04/21 11:07:37 ID:MpJiy/fW
さて日産である。現地にいた記者には日産の本気度は予選前から伝わっていただろうが、日本のファンに伝わるのはこの予選結果が日本に伝わってからである。
初日の9時からの第2セッション、ここでNMEの#24ブランデルが3分33秒59を叩き出しトップに立つ。予選時のブースト圧は、決勝より0.2上げた1.4。
そしてこのタイムを破るマシンが現れた。「僚友」#83NPTIブラバムである。
ルマンはおろか、北米以外でレースするのも事実上初めてのNPTIである。しかしこの真夜中のセッションでブラバムは3分33秒28を叩き出し一躍トップに浮上する。
NPTIのR90CKはNMEのR90CKより50kg以上重く、しかもカーボンでなくスチールブレーキ。
しかしそれを補ってあまるほどのNPTIとブラバムのセッティング能力、そしてさらに大きな武器になったのがグッドイヤータイヤである。

3番手にスタックの「セミワークス」#7ヨーストポルシェ、そして4番手にはNME#25のアチソンがマークする。
予選一日目、日産は1−2−4の最高の結果を見せることになる。



156 名前:CarNo.774:07/04/21 11:18:03 ID:MpJiy/fW
13日水曜日の予選結果が日本で報道されたのは翌14日のテレビニュース。
この日初めて日本のファンは「日産の本気」を知ることとなる。
耐久レースに予選はあまり関係ないとは言え、予選で力を見せると言うことはそれだけチームに余裕があると言うこと。
この日を境に、日本のファンは「日産がルマンを制覇」と言う、夢のような話が現実感を持って語られるようになる。

しかし一方で日本人組#23ニスモはトップNPTIから10秒以上も遅れる3分44秒30。
やはり日本人ドライバー/日本チームは、「本場」欧米のドライバー/チームより落ちるものなのか…。
そう考えるファンがいてもおかしくなかっただろう。

157 名前:CarNo.774:07/04/21 11:31:49 ID:MpJiy/fW
14日、予選2日目。

「本気」で挑む日産とは対照的に、トヨタの厭戦気分も徐々に明らかになっていく。
前年の予選で一時トップタイムをマークしたトヨタであるが、この年は本格的なアタックも行わずたんたんとプログラムを消化するのみ。
プライベートチームならそれでいいだろうが、それが「ワークス」の戦い方となると疑問符を付けざるをえない。
チームの力を内外に示し、またチームの士気を高める意味でも、ワークスチームにとって予選も「戦い」の場であるはずである。
日産の7台(ワークスは5台)に対し、トヨタは3台。前年はトムスから3台エントリーしており、サードが加わったこの年は4台体制も充分可能だったはずである。

マツダも初のカーボンモノコックマシン・787は4ローターエンジンも大幅改良され、決して戦闘力の低いマシンではなかった。
しかしシェイクダウン後実戦参加は(富士1000kmの中止で)なし。あまりにも時間が無さすぎた。

「日本車が勝つ可能性がある」と報じられたこの年のルマンだが、実際は「日産が勝つ可能性があるルマン」である。
そのように報道されなかったのは、トヨタ・マツダに対する日本的な配慮であったのだろうか…?

158 名前:CarNo.774:07/04/21 11:45:59 ID:MpJiy/fW
さて予選2日目。意外な「伏兵」が登場する。そしてこの伏兵が日産にも決して小さくない影響を及ぼすことになる。

その「伏兵」とはブルンポルシェ。米アンディアルチューンの3.2リッターエンジンで、
現役F1パイロットのララウリがアタック。3分33秒02をマークし、1日目のNME、NPTIのタイムを破りトップに立つ。
ブルンが選択したボディはヨーストと異なり通常のショートテール。タイヤはヨコハマ。
いまいち冴えないポルシェの「本命」ヨーストに代わり、以降ブルンがポルシェ勢の中心となる。

一方の日産勢。前日セッティングに時間を費やし下位に低迷したニスモが、その力をついに見せつけることになる。
星野のアタックで3分33秒31をマーク。NMEを凌ぎ一気に3位に。これでも遅いクルマに引っかかったタイムである。
そして今度は長谷見がアタック。3分33秒17。NPTIのタイムを破り日産勢最上位に浮上する!しかしブルンのタイムにはわずかに及ばない。

ニスモにとって、そのチーム力、ドライバーの力は、決して欧米のチーム/ドライバーに劣らないことを証明できた快挙であろう。
過去日本のチーム/ドライバーがルマンの予選でこのようなパフォーマンスを示したことなどなかったのだから。

159 名前:CarNo.774:07/04/21 12:03:45 ID:MpJiy/fW
とは言え、この時点で日産勢は2−3−4−5位。
決して悪い内容ではないが、「本気」でルマン制覇を狙いに行ってる以上、1位の伏兵ブルンはなんとも邪魔で目障りな存在であった。

そこで日産は伝家の宝刀「予選スペシャル」の投入を決断する。そしてこのマシンの投入が後にチーム内に大きな禍根を残すことになるのだが…。

予選2日目の第2セッション開始早々、NMEは#24Tを投入する。外観の違いはウィンドシールドの「NISSAN」の文字の色が白であることくらい。
前年Tカーのタイムが無効にされてしまったトヨタであるが、この年は認められることになっていた。
ブースト圧は1.8、1100馬力と推定される。
このマシンでブランデルはタイムアタック。
奇跡的に13kmのロングコースで一切遅いマシンに出会うことなく、3分27秒02と言う驚異的なタイムをマークする。
それまでのトップグループのタイムを6秒も上回る。
NMEのピットも歓声に沸く。設計した林のシミュレーションタイムともぴったり符号する。

しかし歓声に沸くNMEと対照的に、NISMO、NPTIは別の空気で騒然となる。そしてレースに向けて大きな禍根を残すこととなってしまう…。

160 名前:CarNo.774:07/04/21 12:22:59 ID:MpJiy/fW
「日産チームの中でうちが一番攻撃的なことを示せた」と喜ぶNMEの生沢。

しかしスペシャルエンジンの存在を知っていたのは、日産社内のごく一部の首脳だけ。
当然ニスモ、NPTIの現場のスタッフは大半が知らない。当然スペシャルエンジンを「与えられなかった」チームは穏やかな気持ちでいられなかっただろう。
「うちはNMEのニ軍なのか?」
怒るニスモのメカニックを、臼井の後任として3代目監督に就任したばかりの水野は「この悔しさは決勝にかけよう」となだめる。水野は予選でのパフォーマンスで一喜一憂することに利がないことを悟っていたのである。

しかしNPTIは収まらない。そしてついには両チームのスタッフが殴り合いの喧嘩を始める始末である。
もちろんこの「醜態」は日本には一切伝わってない。
それが活字になったのは、筆者の知る限りこの2年後に出版された黒井尚志著「ル・マン 偉大なる草レース挑戦者たち」が初めてである。
日産が報道陣を抑えたのか、報道サイドがあまりの醜態に伝えることをためらったのか…(この後レーシングオン2007年5月号でも掲載)。

このためレースを前に、ピットの並びが変更されることになる。
当初カーナンバー順にニスモ#23、NME#24,#25、NPTI#83、#84の並びだったが、決勝前にNPTIとNMEの間にニスモのピットが入ることになったのである。

161 名前:CarNo.774:07/04/21 12:42:03 ID:MpJiy/fW
日産がポールを何が何でも取りに行ったのは当然だろう。
ポスター、ペースカー、チケットからしてこの年のルマンはニッサンだらけ。ニッサンのためのルマン。
しかもトヨタはポールを取りにいかない。ジャガーはNAで予選ではライバルではない。
プライベートポルシェに負けるわけには行かず、ポール奪取がマストと言ってよかった。
そのために予選スペシャルを用意するのも間違ってない。できれば3基用意できれば良かったのだが。

では1基しかない場合、それをどこのチームに与え、誰にタイムを出させるか?そこで日産は戦略をミスした。
言うまでもなく日産自動車は日本の自動車メーカーである。この年の日産チームは日米英3国合同チームではあったが、
エントリー名はニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(ニスモ)、つまり日本のチームである。

であるならば、日本のニスモにスペシャルエンジンを与え、星野にもの凄いタイムを出させるべきではなかたのか?
ニスモに与えられたなら、NMEもNPTIも「まあしょうがない」と片付いたのではないか?
日本のメーカーのマシンで日本人ドライバーがポールタイムを出すとなれば、絶好の演出となる。
F1に行った中嶋よりも鈴木よりも速いドライバー、日本に出稼ぎに来たドライバーに、この人を超えない限りF1には行けないと言わしめたドライバー。
その星野一義によって、日産が日本車初のポールタイムとなれば、よりニュース価値は高まったはずなのだが…。

162 名前:CarNo.774:07/04/21 13:03:29 ID:MpJiy/fW
さて、日産の日本車初のPP獲得は日本にどのよう伝わったか?
今まで書いてきたことは、もちろんリアルタイムで知ったことでなく、後に知ったことである。
(日産の内紛も含めて)
インターネットのない当時は、この日産のPP獲得のニュースが流れたのは15日金曜日の昼以降。
その時の模様を筆者の記憶と共に書いて行きたい。

当時筆者は学生であった。授業に出ていたため昼のニュースは見ていない。
午後は授業がなく、友人数人と六本木へ。当時はまさに映画「バブルへGO!!」の時代で、ディスコ(今で言うクラブ)全盛期。
しかし筆者はそう言ったものに一切関心が無く、友人について六本木まで行った目的は、アークヒルズのスタジオ(外部から見学可能)。
テレビ朝日の夕方のニュースを直に見るためである。
18時15分頃、スポーツコーナーに。ここでルマンの予選2日目の模様が流される。
初日1−2の日産をブルンポルシェが一度は逆転するも、ブランデルが逆転ポール奪取。
初日低迷した日本人組も星野のアタック(実際は長谷見だったが)で3位!このニュースが流れた瞬間、筆者の他にも数人いたレースおたくとおぼしき人から歓声が!
体中の血が熱くなるのが感じられた瞬間である。頭の中ではMALTAの「オブセッション」(星野出演CABINのCMテーマ曲)が何度も何度も流れる。

163 名前:CarNo.774:07/04/21 13:22:10 ID:MpJiy/fW
冗談抜きで、今年のルマンは日本車、日本人が勝つかもしれない。日本中のレースファンの夢が現実になるかもしれない。
レースウィーク突入まで日産の本気度が中々伝わってこなかったが、この時点で期待度・興奮度は頂点に達したと言ってよい。

この後軽く祝杯上げた後、ディスコへ行った友人らと別れ帰宅。翌日の徹夜に備え早く眠らなければ…。
帰りの日比谷線には「また今年も眠れない夜が来る」と言うコピーのテレビ朝日・ルマン中継のポスターが。
自信満々に優勝宣言をする町田のインタビューが掲載されたオートスポーツ1990年7/15号が発売されたのはこの日のことである。
ニュースステーションでも日産ルマンPP獲得は大きく取り上げられた。

翌日の一般紙でも、写真入りで日産のルマンが報道される。
いよいよ、である。

スタートは日本時間午後11時。その24時間後、歴史的瞬間が訪れるのか?
1990年ルマン、日本車が初めて「戦い」を挑んだルマンである。

(以下次号)

164 名前:CarNo.774:07/04/21 16:00:06 ID:8+mxXt74
いつも乙です!

165 名前:CarNo.774:07/04/28 12:27:11 ID:F2keW8vM
毎度GJ!!

166 名前:CarNo.774:07/05/02 22:15:22 ID:c2oq2W16
ディスコ!ディスコ!

167 名前:CarNo.774:07/05/03 01:40:47 ID:nfiV78Jh
日産編 其の六拾四

1990年6月15日金曜日、決勝の前日。
パドック内にあるウェルカムホールで日産は記者会見を開いた。
日米欧の日産チームの首脳が勢ぞろいしたが、主役はもちろん町田である。
「私どもはサーキットを劇場と考えております。観客を感動させるレースをお約束します」と宣言。
その後の質疑応答はすべて英語でこなした。これを見た日本人プレスはおおいに感動したと言う。
欧米メディアと対等に渡り合える日本のメーカー首脳の誕生に。今までの日本メーカーにはなかったことである。

168 名前:CarNo.774:07/05/03 01:50:26 ID:nfiV78Jh
現地時間午後4時にレースはスタートを迎える。
しかしスタート前から日産には暗雲が漂う。
#25NMEのR90CKが、ウォームアップ走行でギヤボックスからオイル漏れ。急遽ギヤボックスを交換するハメに。

予選のパフォーマンスから、日産、とくにNMEを本命視する空気ができつつあった。
しかしNME,そしてニスモも他のレースでさえ未だ勝ったことはない。
1987、88年のジャガー、89年のメルセデスとはそこが根本的に異なる。
NPTIはIMSAで勝ち慣れてはいたが、グループCカテゴリーでレースに臨むのはこのルマンが初めてである。
メルセデスが欠場とは言え、他のWSPC、JSPCでさえ勝ったことのない日産が素直に勝利を狙えるのだろうか?
そう言う疑問を持つ者も決して少なくなかっただろう。

169 名前:CarNo.774:07/05/03 01:59:52 ID:nfiV78Jh
スタート10分前、ローリングLAP開始。
49台のマシンが日本車初のペースカー・フェアレディZに率いられ動き出す。
ここで日産はちょっとした悪戯。ブルンが2位に入ってしまい、フロントロウは日産の独占とはならなかった。
そこであえてフロントロウアウト側のブルンを先行させ、PPの#24YHP、4番手の#83ユニシアで「擬似フロントロウ」の画を作ったのである!
もっとも日本の中継はスタート直前1分前、隊列がメゾンブランツェを通過するあたりで始まるのであまり関係なかったのであるが。

日本時間22時59分、テレビ朝日の中継開始。ペースカーに率いられ先頭を走る#24YHP日産が写し出される。
現地時間16時、日本時間23時、レーススタート。参戦5年目のルマン制覇に向けて日産がスタートした。



170 名前:CarNo.774:07/05/03 02:18:29 ID:nfiV78Jh
せっかく取ったポール、なにが何でも1周目のLAPリーダーは守らねばならない。
#24のスタートドライバーはPPタイムを出したブランデルでなく、前年24分でレースを終えたベイリーである。
2位のブルンも激しく迫り、早くもこの2台が先行する。3番手は#23カルソニックの長谷見がキープする。
一方、ウォームアップでトラブルが起きた#25は、ローリングLAP中でもトラブル再発。
何とローリングLAPを終えることすらできず0周リタイヤ、リタイヤ第一号の大失態を晒してしまう。
ただしテレビではスタート直後、解説の熊谷睦が「日産#25が帰ってきませんね」と言ったのみで、その後の情報は一切フォローしなかった。

先頭でグランドスタンドに帰ってきたのは#24である。ルマン史上初めて日本車がLAPリーダーとなった瞬間である!
(もっとも前年のベイリーの失態がなければ、1年前に実現した可能性もあったのだが…)
この時、実況のテレビ朝日三浦アナは「ルマンで初めて日本車がリードを奪いました!」と絶叫する。

続いて「LONG LONG JOUR,熱い熱い24時間が今スタートしました!」。
ここでオープニングテーマが流れる。前年までの、プロ野球や新日プロレスでお馴染のテレビ朝日のスポーツテーマでなく、
この年はルマン中継用に高中正義の「CAN YOU FEEL IT,MOTION?」が使われた。
筆者はレース中継のオープニングを見てこれほど感じたことはないくらいと言って過言でない程の興奮を覚えた記憶がある。
いよいよ日産ルマン制覇に向けてレースは始まったと…。

171 名前:CarNo.774:07/05/03 02:33:35 ID:nfiV78Jh
5周目にブルンがYHP日産をかわしトップに立つ。#23長谷見は依然として3位をキープ。
9周目にYHP、10周目にブルンがピットインし、#23長谷見がトップに立った。日本人初のルマンLAPリーダーの誕生である!
13周目に長谷見もピットイン、星野に代わる。直後のテレ朝のインタビューでは「日本人全てが応援してますから!」と激励される。

1回目のルーティーンが終わり、トップグループは3台の日産(ニスモ、NME、NPTI1台ずつ)、4台のジャガー、そしてブルンの計8台に絞られた。
序盤でトヨタはトップグループについていけないことが日本のファンにも伝わった。
マツダに至っては下位に低迷、解説の熊谷に「残念ですねえ」と言われる始末である。この時どれだけの人が1年後のマツダの快挙を予想したか…。
オープニングLAPの#25に続き、NPTIの2台目#84もホイール脱落、水漏れ等で序盤で大きく後退した。(もっともこの#84が後にFLをマークすることになるのだが…)
日産のジャガーに対する数的優位は序盤で早くも崩れてしまったのである。これが後々響いていくことに。


172 名前:CarNo.774:07/05/03 02:58:01 ID:nfiV78Jh
例年、ルマンの中継はトップ争いと「日本車クラス」は別の次元で争われていたのだが、
この年は違った。3台の日産がジャガーに一歩もひけをとらずトップグループを快走する。
とくに#24はピットインのタイミングで上げ下げがあるものの、常に首位をキープする力走を見せた。
しかしスタートから4時間半が過ぎた頃、ハプニングに見舞われる。
ブランカテリのドライブで首位を快走中、グランドスタンド先のダンロップコーナーで周回遅れの#37トヨタと接触。
トヨタはそのままウォールに激突する大クラッシュで全損リタイヤ。ドライバーの鈴木亜久里は病院送りとなる。
#24も3輪走行で長いコースをほぼ一周、カウルとタイヤを交換するが、首位から大きくダウンし2周遅れになってしまう。
亜久里はこの乗り込む直前に、テレビカメラに向かっておどけるシーンが写されていたのだったが…。
同じ日本車とは言え、相手はお互い順位争いをしているわけでもなかった。双方なんともムダでもったいないクラッシュであった。
ただ全損のトヨタに対し、日産は派手なクラッシュの割には損害は大きくなかった。首位の座は失ったが依然トップグループに一角は占めていた。



173 名前:CarNo.774:07/05/03 03:13:21 ID:nfiV78Jh
#23もトップグループをキープしていたが、日没が迫ったころ、トラブルに遭う。
2000qはもつと予想されていたカーボンブレーキであったが、予想以上に消耗が早く1000qしかもたなかったのである。
このディスク交換も思った以上に時間を要し、一時10位にまで順位を落としてしまうことになる。

トラブルに遭うNME,ニスモに対し、NPTI#83は快調そのもの。
耐久性を重視し、カーボンでなくスチールブレーキ、車重も他より50s重かったが、IMSA王者の実力は伊達ではなかった。
グッドイヤータイヤと言う強力な武器もある。初めてのルマン、初めてのグループCなど関係なく夜を迎えてもトップグループを快走する。
対ジャガーの本命はNPTIなのか…?

夜を迎え(現地時間午後11時)、テレビ中継も中断する。ただしこの年はテレビ朝日だけでなく、文化放送のラジオ中継も実施されていたのである!
ラジオ中継はテレビ中継終了後1時間後まで中継。今やテレビ中継もなくなってしまったことを考えると、当時のバブルの凄さが偲ばれる。

(以下次号)

174 名前:CarNo.774:07/05/03 13:39:20 ID:etvd/gdo
乙です!
Cカーの時代にでてた、車検で付けられたナイフ傷が気になる。。。

175 名前:CarNo.774:07/05/04 12:38:00 ID:wU7Z4kuW
いつもいつも乙です!
>>174
今月号のレーシンゴンには、タンクの形状云々と記述されていましたが
真偽の程は『神のみぞ知る』ってやつですかね???

176 名前:CarNo.774:07/05/05 16:32:35 ID:Bv5jSdnw
いつもいつもGJ!!

177 名前:CarNo.774:07/05/15 16:43:20 ID:A0PWbFM0
スポーツ!!

178 名前:CarNo.774:07/05/19 17:14:10 ID:4HGXLsAs
日産編 其の六拾五

完全に日が暮れた午後11時7時間経過時点で、トップはブルン、僅差で#83NPTI、#4,2,3のジャガーが追う。
ジャガーの1台#1は水漏れを起こし大きく後退した。一方でクラッシュした#24、ブレーキディスク交換で後退した#23の日産勢も2周遅れの6,7番手と上位につける。
勝負はこれから、と言う9時間目、日産の一角が崩れる。#24がシフトロッド毀損でストップ、ピットで修理し再スタートしようとするが、今度は4速にスタックしピットロードでストップ。
ギヤボックスを18分かけて交換するが結局ストップ、リタイヤとなってしまった。本命視されたNMEは折り返し点に着く前に全滅である。
これで勝負できる日産勢は#83と#23の2台となった。

179 名前:CarNo.774:07/05/19 17:30:57 ID:4HGXLsAs
ローラ製のミッションはシケインのできたこの年のルマンではアキレス腱になると言われていた。
NPTIやニスモはその辺の対策を打っていたが、同じ日産ワークスでありうながらその情報をNPTIと共有していなかった。
「社内運動会」と呼ばれたこの年の大所帯・日産チームの問題点である。

レース折り返し12時間目の時点で、トップは#3ジャガー、#83日産が追う。#23日産は5位。
ジャガー勢はその後#4がスロットルトラブルで脱落、#2もコースアウトで遅れ、ノントラブルは首位を走る#3のみに。
夜明けを迎えた14時間目には#23は2周遅れの4位にまで挽回した。まだまだ優勝を狙える位置である。

180 名前:CarNo.774:07/05/19 17:48:04 ID:4HGXLsAs
しかし朝を迎え日産にも不運が訪れる。
#23は15時間めの朝7時過ぎ、星野から利男にチェンジしピットアウトしようとした直後、クルマのリヤが滑りピットウォールに激突してしまう。
ショックアブゾーバーが折れると言う、国内では考えられないトラブルである。この修復で#23は7週遅れの8位にまで後退し優勝争いから完全に脱落する。
優勝争いはジャガー、日産、ポルシェ(ブルン)1台ずつに絞られた。
だが優勝争いに唯一生き残っていた#83日産にも終わりの時が来る。
ブレーキローター交換で首位に1周差を付けられていた#83だが、16時間目の8時44分、チップロビンソンが緊急ピットイン。
燃料の異臭がすると言うのでコックピットチェック、確かに燃料タンクに亀裂が入りガソリン漏れが発生していたのである。
90年日産ルマン制覇の野望はこの時終ったと言ってよい。

181 名前:CarNo.774:07/05/19 18:11:43 ID:4HGXLsAs
実は日産Cカーのコックピット下にあるガスバックは、走行中当てものをしないと擦れてゴムに穴が開く危険性があった。
NMEではその対策をきちんとしていたが、NPTIにその情報が共有されることはなかった。
日米欧3チーム体制で、一枚岩になれなかったこの年の日産チームの問題がここではっきり示された格好になった。
(レーシングオン誌で後にタンクにNMEがナイフで傷つけたとの記述もあるが、真偽は不明)

これで優勝はなくなったが、#23は決してレースを諦めなかった。まだ表彰台は狙える位置にいる。
燃料もたっぷり余ってる。
日本でテレビ中継のある17時間目ころ、星野がドライブする#23がグランドスタンド前で首位の#3ジャガーを抜き去るパフォーマンス。
場内放送も「オシノ!」と連呼する。(フランス語ではhは無声母音となる)

実はこの時#23日産の前のポジションにいたのは日本のジ・アルファポルシェ(東名メンテナンス)。
JSPCでは新興チームで、オーナー何川祐の妻がタレントのセイラ(1986年プロ野球ニュースで「マンデースポーツワールド」を担当した。プロストファン)。
日本においては名門と言えるトラストさえ凌ぐ大健闘である。
しかし走っている限り日産の方が遥かに速い。追いつき追い越すの時間の問題と思われたが…。

182 名前:CarNo.774:07/05/19 18:25:26 ID:4HGXLsAs
午後のテレビ中継が終ると、日本では夕方のテレ朝のニュースを除きレースの情報が一切遮断される。
インターネットのない時代である。

#83の脱落で#3ジャガーが独走状態。それを#16ブルンが追う。エースのF1パイロット・ララウリの体調不良で、
終盤はオーナーのブルンとパレハ2人でのドライブを余儀なくされたが、ポルシェ勢トップを快走する。#3にもしものことがあれば…。
この年のルマンのポルシェの主役は、間違いなくブルンであった。
セミワークスのヨーストは、予選で1台失い、またロングテールの選択、ミシュランタイヤの不調でイマイチ精彩に欠けた。
ショートテールを選択し、横浜タイヤ、米アンディアルチューン3.2gエンジンがまさに絶好調。しかしこのブルンにも残酷な結末が…。

レースは終盤を迎え、トップが#3ジャガー、2位がブルン。3位に#2ジャガーが挽回。4位#45アルファポルシェ、5位#23日産、6位#7ヨースト。
この順位で日本時間23時から(実際は録画。残り1時間)の最後の放送が始まる。

183 名前:CarNo.774:07/05/19 18:37:12 ID:4HGXLsAs
#23がアルファに追いつくのは時間の問題と思われたが、実は終盤日産にも問題が起きていた。
最初から問題ありとされていたローラのミッションだが、ドライバーの頑張りで何とかもたせていた。
しかし終盤トラブルでペースが上がらなくなり、ついには2速、3速、4速が失われる。
前を走るアルファどころか、後の#36トヨタにまで抜かれる可能性が出てきたのである。

この時テレビ朝日の中継では、星野の絶望的なコメントが流される。残り1時間を残しピットに待機なのか…。
現地の記者は、これでトヨタが国産トップに立つことに反感を覚えるものも多かった。
「こんなサラリーマンレースでトヨタが日産の前に出るのか…」。トヨタは終盤まで残っていたとは言え、日本のプライベーターのアルファポルシェにさえ適わないスローペースのレースをしてきたのである。
とても「ワークス」と言える戦いではない。それで「国産勢トップ」なのか…?

184 名前:CarNo.774:07/05/19 18:45:49 ID:4HGXLsAs
しかし日産もピットステイでなく、勝負に出る。残り1時間だが関係ない。ミッション交換を決断する。
NMEが18分掛かった作業をわずか11分で終え、再び利男がコースに戻る。あとは残り時間マシンをもたせるのみである。
ヨーストには抜かれ6位に転落したが、トヨタにはまだ1周のマージンがある。
この勝負に出たミッション交換の早業こそが、後にニスモをチームとして大きくしたと監督の水野は語る。

しかしこのニスモクルーの一世一代の大勝負も、日本のファンには一切伝わらず、筆者自身も後に雑誌のレポで知ったにすぎない。
日産のピットイン後の状況レポートは一切なく、多くの日本のファンは日産はピットステイと勘違いし、絶望感に浸ったことだろう。
その後コースを走るR90CPを画面上で見て初めて安心したが、その際も一切の説明はなし。
テレビ朝日の中継下手は今も昔も変わらない。

185 名前:CarNo.774:07/05/19 19:05:55 ID:4HGXLsAs
レース残り15分、90年ルマン最大の悲劇が訪れる。
2位と大健闘だった#ブルンが、残り15分で白煙をあげ、ミュルサンヌにストップ!
マシンから降りたパレハがシグナルステーションで泣き崩れる。
これで日産は再び5位に浮上。そしてそのままチェッカーを受ける。

優勝は2年ぶりのジャガー、しかも1−2フィニッシュである。
優勝も表彰台も成らなかったが、ニスモの#23日産R90CPは、過去国産車最上位の5位、日本人(長谷見/星野/鈴木利男)ドライバーの過去最上位も更新した。
序盤のトラブルで大きく遅れたNPTIの#84R90CKのミレンが3分40秒03のファスティトラップをマークしてる。
PP、FL、最高速(366km、#23)、「総合優勝」以外の一番はすべてマークした。
決して満足はできなかっただろうが、とは言え「健闘」とも言って良い結果だったのではないだろうか?
少なくとも日本国内では現地ほど日産を「本命」とは見ていなかったのだし…。
(放送終了直前に、解説の熊谷の「国産勢は情けない!」発言は物議を醸した)



186 名前:CarNo.774:07/05/19 19:08:18 ID:4HGXLsAs
それにしてももったいなかったのが、ジ・アルファの3位表彰台と言う快挙が、たいした話題にならなかったことである。
ちなみに同じく日本のプライベーター、トラストは13位。国内の実績ならトラストの方が上回っていたのだが。
単なるスポンサードでなく、東名スポーツメンテナンスの「純日本」チーム。
ほぼノントラブルで24時間走りきったことを考えれば、後のチーム郷優勝に匹敵する快挙だったのだが…。日本でお馴染のアンソニー・リードがいたとは言え、
せめて一人でも日本人ドライバーが加わっていたら…。

(以下次号)


187 名前:6:07/05/19 20:52:01 ID:VwEIZSoU
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7634.wmv.html
テープの状態が悪いので期待しないで

188 名前:CarNo.774:07/05/20 22:43:02 ID:KNnwuuzf
久々に当時の映像、やっぱりいいですね!
よろしければ、中継時のブルンポルシェがリタイアした時の映像もupしていただけないでしょうか。
好きなチームだったので、是非。

189 名前:CarNo.774:07/05/24 00:38:45 ID:dmt2/Qgx
GJ!GJ!GJ!

190 名前:6:07/06/12 10:16:48 ID:3O0tUPSC
残り15分ブルンの悲劇
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7688.mpg.html

191 名前:CarNo.774:07/06/16 08:48:27 ID:1/yOkmV8
日産編 其の六拾六

さて、勝てなかったとは言え、日産は過去国産最高位、日本人選手過去最高位の5位入賞をどう見るか?
しかし日産/ニスモにとって本当に大きかったのは「5位」と言う結果より、前述のとおりこのル・マンでの「経験」であった。
それはこの後に証明される。しかしその貴重な「経験」もル・マンでは生きることがなかった。
この年のル・マンが日産にとって最後のグループCのル・マンになるとは、この時まだ誰も考えていなかったはずである…。

192 名前:CarNo.774:07/06/16 09:06:10 ID:1/yOkmV8
町田も林も、「来年こそ」と言う気持ちで一杯だった。
「来年は絶対勝たないと。今年勝てなかったぶん、倍返しします」(林)
「来年こそケリをつけます」(町田)

優勝こそ逃したが、日産チーム内ではそれなりの手応えを掴んでいたはずである。
ポールポジション獲得、ファスティストラップ獲得、最高速マーク。マシンは間違いなく最速だった。
エンジン自体は壊れてない。
敗因はブレーキ、タイヤ、ミッション、日産として一体感の無かったチーム体制、そして時の運…。
「時の運」以外はどれも解決が可能なものばかりである。
同じレギュレーション(カテゴリー2)なら、ターボ&X12NAのジャガー、トヨタ、ポルシェ、そしてマツダに対し、翌年の日産が負けるとは考えにくい。
同じカテゴリー2のメルセデスC11はもちろん互角以上の強敵だろうが、このシケイン設置の90年ルマン欠場と言うハンデを自ら背負っていた。
カテゴリー2に背負わされるハンデ次第では、「速さ」ではカテゴリー1(3.5リットルNAエンジン搭載車)が圧倒するだろうが、この新しいカテゴリーが完走できるとは考えにくい。
この時点で翌1991年のル・マンの予想を聞けば、間違いなく「本命」は日産となっただろう。
1991年のル・マンこそ日産が制覇する。そう考える人は多かったし、日産の関係者も自信を深めていただろう。

193 名前:CarNo.774:07/06/16 09:16:37 ID:1/yOkmV8
町田は「来年こそケリをつけます」と言った後、「最大の問題はカテゴリー2に背負わされるハンデがどうなるかの交渉」と話している。
3月の時点で翌1991年のカテゴリー2のハンデ付き条件の存続が決まっていた。ただしその内容はこの時点でも決まってなかった。
決まってるのは「カテゴリー1が確実に優勝できるハンデ」と言うことのみ。
それでも日産は構わなかった。普段のスプリントのWSPC(SWCと改称される)ではプジョー905に勝てなくても、ルマンさえ勝てればいい。
カテゴリー1(と言うよりプジョー)がル・マンで完走できるとは思えない。ル・マンの優勝はカテゴリー2から出る。
常識的ハンデならそのままWSPCに参戦する。さらに言えば、ル・マンがWSPCに復帰しないのであれば、ハンデなど一切なしに参加できる。
日産としてむしろそれが望むところだったかもしれない。

194 名前:CarNo.774:07/06/16 09:28:52 ID:1/yOkmV8
実はこの時点で町田はカテゴリー2に背負わされるハンデは「50kgの最低重量UP」と言うことで根回しをし、内諾を得ていた。
この程度ならそれほど大きな影響はない。スプリントのWSPCでは苦戦するだろうが、ル・マンさえ勝てれば良いと。

しかしこの内諾も土壇場で反故にされることになる。
町田を苦しめるのはそれだけではなかった。「外」からだけでなく「内」からも町田バッシングが起きることになろうとは…。
そして日産は、「大本命」と言われた1991年ル・マン制覇のチャンスを、自ら葬り去ることになるのである…。

(以下次号)

195 名前:CarNo.774:07/06/16 09:36:44 ID:1/yOkmV8
と言う事で、2007年ル・マンは今夜スタートです!
テレビ中継はないけど、2ちゃんの実況とおひさるのLAPタイムモニターで徹夜で楽しみましょう!
動画発見できたら教えてくださいね!

196 名前:CarNo.774:07/06/27 13:15:20 ID:j3EpsJH8
懐かしい。ルマンてまだやってたんだ?

197 名前:CarNo.774:07/06/27 23:42:34 ID:0sKBKXDD
Σ(゚д゚)オイオイ
世界三大レースの1つですよ?

198 名前:CarNo.774:07/07/01 01:11:29 ID:SdabE6IR
日産編 其の六拾七

ル・マン後の話としては、本来WSPC、JSPC後半戦へのと繋がるべきだが、少し時を前後させ、1991年のWSPCあらためSWCのレギュレーション決定、
それに伴う日産の91年ル・マン不参加の流れについてこの項ではまず述べて行きたい。

1991年からF1同様、3.5リットル自然吸気(NA)エンジンに統一されることになっていたグループCだが、
プジョー、メルセデス以外のジャガー、日産、ポルシェは大反対、結局3.5リットルNAエンジンへの完全移行は1年伸びることになった。
この決定が90年3月。この時の条件が「カテゴリー1(3.5gNA)を優位にする」と言うこと。従来のカテゴリー2へはハンデが背負わされることになったが、
この時はその内容は固まっていなかった。

199 名前:CarNo.774:07/07/01 01:22:51 ID:SdabE6IR
「カテゴリー1優位」、常識的に考えれば「カテ1、カテ2がヨーイドンでスタートし、何事も起きなければカテ1が勝つ」と誰もが思うだろう。
だがこれを「カテ1に何が起こっても絶対カテ1が勝つルール」だと考える者がいたとしたら…。

91年シーズンに向けて、カテゴリー1のマシンが開幕から間に合うワークスはプジョーだけと言って良かった。
ジャガーはフォード傘下になったため、F1用HBエンジンを搭載するロスブラウンデザインのカテ1マシンの開発を始めたばかりであった。
メルセデスも当初予定より、カテゴリー1マシンの開発は遅れていた。
トヨタ、日産、ポルシェに至ってはこれからと言う状態。アルファロメオも開発をしていたがこれは結局オクラ入りになってしまう…。

特に多くのプライベーターが使うポルシェにいなくなってしまっては、レース自体が成り立たなくなる。
ポルシェに代わるプライベーター向けマシンとしてはスパイスしかなく、そのスパイス自身の経営危機のため多くのチームにマシンを供給できる状態ではなかった。
カテゴリー2の延命の決定は当然の帰結だったと言えよう。


200 名前:CarNo.774:07/07/01 01:35:20 ID:SdabE6IR
加えてル・マンの問題である。89年、90年とWSPCから外れたル・マンだが、91年にはSWCに加わる可能性が出てきた。
カテゴリー1だけでは、24時間レースに相応しい台数は到底集らない。また走り始めたばかりのカテゴリー1では24時間を完走するのは厳しいと思われていた。
「テスト参戦」に近いプジョーを除けば、どのメーカーも従来のカテゴリー2での挑戦を考えていたはずである。

91年以降のSWCシリーズを考えれば、カテゴリー2へのハンデは「常識」の範囲内に収める、誰もがこう考えただろう。
こうした流れで、ジャガーのトム・ウォーキンショー、日産の町田收を中心に根回しが行われ、パリで行われたグループCのメーカー委員会では
「カテゴリー2のハンデは50kg、ロータリーも参加可」で一応の決着を付けた。
(当初4時間レースになると言われた)SWCではパワーウェイトレシオを計算しても、カテゴリー1優位は動かないだろう。
しかしル・マンではカテゴリー2同士の勝負になるはず。実際ル・マン仕様のマシンは最低重量を上回ることが多く、ハンデが50kgなら事実上はないに等しい。

日産の町田も、この条件で本社に翌91年のSWC参戦の了承を得た。
しかしここからプジョー/ジャン・トッドの逆襲が始まる。

201 名前:CarNo.774:07/07/01 01:52:41 ID:SdabE6IR
プジョー905のラップタイムをシミュレーションしてみると、50kgハンデのメルセデスC11と大差がない。
これでは何かの拍子に優勝をさらわれる。カテゴリー2のハンデは甘すぎないか?

これがジャントッドの論理である。確かにカテゴリー1移行が決まりそれに合わせマシンを開発してきたメーカーが有利になるべきと言う理屈は成り立つ。
しかしこれはカテゴリー1でなくプジョー自身の問題ではないのか?もしジャガーXJR-14がこの時期シェイクダウンを終えていたらそんな話が出てきただろうか?
これではカtゴリー1優位と言うより、プジョー優位の発想と取られてもしょうがない。レースは相手がいて成り立つものなのだから…。

しかしこの無茶な論理も通ってしまう。メーカー委員会が内定した「カテ2ハンデ50kg」のレギュレーションはいきなり反故にされ、
ハンデはいきなり100kgに倍増されることが6月27、28日に開催された世界モータースポーツ委員会で決定する。
FIAがプジョーの意向を呑んだのは、1987年のグループB廃止における裁判に和解の条件とも噂された。
日産、ジャガー、メルセデス、ポルシェのカテ2車両はハンデ100kgの最低重量1000kg、マツダは880kgと。
加えてカテ2は従来どおりの市販ガソリン使用が義務付けられるが、カテ1はF1同様特殊燃料使用可、給油時もカテ2は従来通り1秒/1リットル、カテ1はクイックチャージ可。
ピット作業2回だけで1分もの差が付くことになる。さらに上位グリッド10台分はカテ1車両にシード。
これでは「カテ2は出るな」と言っているに等しい。

202 名前:CarNo.774:07/07/01 02:11:16 ID:SdabE6IR
同一条件で戦っても、今後はカテゴリー1の方が速くなるだろう。
遅い方のマシンにハンデを課す、モータースポーツの常識を超えた決定である。
FIAとしては16戦15勝を上げた88年のF1ホンダターボエンジンのことが頭にあったのかもしれない。
しかしあれはターボが優位であったわけではなく、マクラーレン、ホンダ、そしてセナ/プロストが他を圧倒していただけではないか。

この動きに、日産は翌年のSWC参加を白紙に。引き続きハンデを50kgに戻す交渉を続ける。
ポルシェは、ユーザーに1000kgでの参戦は危険であり回避するよう通達を出す。
90年シーズンに20台近く参加していたプライベートポルシェが参戦しなければ、91年SWCはどうなるか…?
マツダもハンデを80kgから下げる交渉を水面下で行い、そしてそれは実を結ぶことになる。
「マツダが勝つわけないのだから…」
トヨタはハンデに関係なく、91年はル・マン、SWCとも欠場を早いうちに決めていた。
「日産に勝てないのに…」91年はJSPCとカテゴリー1開発に専念する。
ジャガーの動きは速かった。これでは勝負にならないと悟ったトムは、カテゴリー1マシンの開発を急がせ、そして翌年の開幕戦に間に合わせてしまう。
グループCの歴史を変えてしまう究極のマシンを…。こう言った素早い芸当は日本のメーカーには真似できないことだろうか…?

203 名前:CarNo.774:07/07/01 02:29:28 ID:SdabE6IR
ここで重要なのが、翌年に向けてのル・マンの動きである。
ル・マンが90年同様シリーズから外れ単独レースとなれば、従来のカテゴリー2もSWCと関係なくハンデなしに参戦できることになる。
日産としてはむしろこちらのほうが望ましい。

しかし幸か不幸か、FIAとACOは和解し、9月18日ル・マンがSWCに加わることが発表される。
90年以前なら間違いなく誰もがハッピーになるニュースだったのだが…。
これにより、ル・マンでもカテゴリー2は最低重量1000kg、しかもSWCに参加しないメーカーは参戦できない。
しかし参加者激減が予想されるSWCに加わったことにより、91年ル・マンの参加台数に対する懸念は残った。
FIAは例年通り50台の参加を保障すると言っているが、本当に可能なのだろうかと。

204 名前:CarNo.774:07/07/01 02:39:42 ID:SdabE6IR
日産はハンデが50kgに戻らないなら、翌年のSWCには参加しないとFIAに言い続けてきた。
それまでの何でも欧米の言いなりになってきた日本の外交を考えれば、まさに当時ベストセラーとなった石原慎太郎の
「NOと言えるニッポン」だったと言えるだろう。

しかしチキンレースを続け、その結果テーブルがひっくり返って終わり、で良かったのだろうか?
落としどころを見つけるのもまた外交なのだが…。
SWCがどうあれ、「何が何でもル・マンには参加し勝つ」、これが基本スタンスでなかったのか?

10月10日、FIAは最終的にSWCのレギュレーションを決める。6月の世界モータースポーツ委員会の決定がほぼそのまま踏襲された。
変更されたのは、当初4時間レースになる予定だったのが、430kmレースになったこと。
これもプジョーの意向が強く反映されたらしい。4時間ももつのかと言う考えからか?
430kmと言う中途半端な距離も、プジョーが2回のピットストップで済むように、と言うことのようだ。
何から何までプジョーのため。ある意味トッドのしたたかさのよく表わしていると言えよう。

205 名前:CarNo.774:07/07/01 02:58:19 ID:SdabE6IR
10月25日、日産自動車は正式に1991年のSWC欠場を発表する。FIAの言いなりにならないと言う意思の表明かもしれない。
それはそれで潔い。しかし本当にル・マンは諦めてしまっていいのか?
100kgのハンデは無茶苦茶とは言え、それは他も同じ。カテゴリー1のマシンが勝つとも思えない。
依然日産は91年ル・マン制覇の一番近いところにいたのである。

「日産」の看板を背負う以上、「ワークス」として恥ずかしいレースはできない。
SWCのワークス活動休止はある意味正しいかもしれない。しかし「優勝候補最右翼」と言われた91年ル・マンを欠場することなどありえないことのはず。



206 名前:CarNo.774:07/07/01 02:58:41 ID:SdabE6IR
マツダは「何が何でもル・マンに出る」と決め、そのためまったく意味のないSWC参戦を決めた。
日産も、SWCワークス活動は停止しても、ル・マン参戦、そして折角集めた人材の確保は翌年以降も絶対で、
そのため全社挙げて動くのが当然のことだったのではないか?
しかしSWC不参加を決めたこの時点では何も決まっていなかった。
日産には町田がいる。欧州の海千山千のモータースポーツ界の重鎮に対等に渡り合ってきた数少ない日本人である。
町田がいる限り、日産は91年ル・マン参加資格を得て、そしてル・マンを制覇するだろう。

しかしその町田を引きずり落としたのは、意外にも「外」の力でなく、「内」の力であった。
そしてその結果、日産は有能な人材、欧州モータースポーツ界における信頼と共に、日本車初のル・マン制覇と言うことを自ら葬り去ってしまったのである。

(以下次号)




207 名前:CarNo.774:07/07/01 02:59:32 ID:acxcwoGR
毎度乙であります!

208 名前:CarNo.774:07/07/16 12:56:46 ID:lwQIE/D4
日産編 其の六拾八

さて、日産が91年SWC欠場を表明し、そしてそれが最終的に91年ル・マン24時間欠場と言う結論を出すまでのこの後の流れは後に回す。
再び時計を戻し、この項では90年ルマン以降のWSPC、JSPC後半戦の日産の戦いを書いていく。
少なくともこの時点では翌91年のルマンに出場しないなどと誰も考えていなかったはずである。
90年ルマンのPP、FL、5位入賞を手土産に、91年ルマンに向けての90年後半戦が始まると。
WSPCでは(翌年のルマン最大のライバルになるであろう)メルセデスC11に一矢報いること、JSPCではトヨタを撃破し国産マシン初のチャンピオンを獲得すること、これが日欧日産チームのミッションである。

209 名前:CarNo.774:07/07/16 13:11:42 ID:lwQIE/D4
まずはJSPCから。
帰国後最初の一戦は7月21日・22日、日産のホストレースとなる全日本富士500マイル。
第二戦が中止になったため、事実上の第二戦。
ルマンで5位に入賞したとは言え、日産Cカーは85年雨のWECから5年も勝利に見放されている。
V8になってからは未勝利。なんとしても勝たないといけないレースである。
土曜の予選でPPを獲得したのは長谷見のYHP日産。タイムは1.16.156。コースレコードにわずかに及ばないとは言え、
この灼熱のコンディションでは驚異的なタイムである。
ルマンまでは、エンジン温存のため予選にそれほど力を入れてなかった日産だったが、このレースはホストレースと言うこともあり従来の1.3バールから1.4にあげてのアタック。
長谷見は1年ぶりのポール奪取となった。しかし日産は相変わらず予選専用エンジンは用いず、エンジンは3レースオーバーホールなしで使う。
以下2番手が#36ミノルタトヨタの1.16.468、3番手#38デンソートヨタの1.16.967、4番手#23カルソニック日産の1.17.002と、2列目までトヨタ・日産ががっぷり四つとなる。

210 名前:CarNo.774:07/07/16 13:25:26 ID:lwQIE/D4
明けて翌22日決勝。快晴である。
今回のレースからカテゴリー1のスパイス/DFZが参戦し注目された。果たしてどんなレースを見せるか?

決勝当日は、ルマンで5位、6位に入賞した日産・トヨタのCカーの凱旋走行を一目見ようと、また中止になった第二戦富士の半券が有効なため、
早朝から国内レースとは思えないほどの多くの観客が詰め掛ける。
WECやインターTECのような国際レースの時にしか明けないサブゲートがオープンにされた。
(観客が一斉に動く)帰りの渋滞はいつもお馴染みの光景だが、この日はゲートに入るまでも渋滞が発生。
サブゲートから、通称「オールージュ」を過ぎ、国道246菅沼の交差点まで数珠繋ぎとなっていた。
主催者から発表された観衆は72,000人。実数では(8万と発表される)WECやインターTECを上回っていたのではないか?
もちろん4月のWSPC鈴鹿を遥かに上回っていたのは間違いない。単なる国内レースとしては驚異的な動員である。
当時のJSPC人気を表わしていると言えるだろう。

211 名前:CarNo.774:07/07/16 13:38:16 ID:lwQIE/D4
レースは序盤から、#24YHP、#23カルソニック、#36ミノルタの3台がトップグループを形成し後続を引き離していく。
3周目にYHPをかわしミノルタがトップに浮上。逆に3番手にいたカルソニックの星野が16周目にYHP、18周目にミノルタを交わしトップに立つ。
上位3台が4位以降を引き離した状態で1回目のルーティーンピットを迎える。ここで日産勢にトラブルが…。

32周を終え、2位に10秒近い差をつけたカルソニックがピットイン。給油、ドライバー交代を済ませピットアウト、
のはずが、エンジンが始動しない。燃料系がベーパーロックを起こしたのである。消火器で冷却しなんとか始動させピットアウトするが、
これで#23はビリにまで転落してしまった。以降この「病気」はシーズン終盤まで星野を悩ますことになる。
一方の長谷見のYHPは、左リヤタイヤがスローパンクチャー。予定より早くピットイン。こちらは致命的なタイムロスにはならなかったが、
ミノルタとの差は20秒近くに開いてしまう。

212 名前:CarNo.774:07/07/16 14:28:04 ID:lwQIE/D4
その後1位ミノルタ、2位YHPでレースは膠着状態に入る。このままミノルタが逃げ切り開幕2連勝か?
日産はまたしても勝てないのか…?この膠着状態を嫌ったPIT-FMの解説の舘内端と西山平夫が「日産はこのまま勝負かけないで2位キープなんですかねえ」と煽る。
しかしこれをピットで聞いていた長谷見は「うちのペースに合わせて向こうが逃げてる。こっちのほうが余裕ある。最後に必ず逆転できる」と確信していたと言う。
しかし、この長谷見の言葉が強がりなのか本心なのかは永遠の謎となる。

残り20周余り。最後のピットインを前に後は逃げ切るだけ、と言うミノルタだったが、179周レースの149周目、突然白煙を上げスローダウン、ヘアピン先の退避路にマシンを止める。
トップ快走のままリタイヤとなってしまう。
これで首位はYHPに。2位に日石トラストには2周もマージンがあり、後はゴールまでマシンを持っていくだけでる。
終盤のハイライトはまだあった。序盤燃料系のベーパーロックで最下位にまで転落シタカルソニックがその後猛追。この時点で4位にまで浮上していた。
3位はアートマツダ787。4ローターになってから初めてと言って良い好走で表彰台圏内に。これを星野が1周2秒以上速いペースで追う。
そして残り6周のストレートでマツダを交わしついに3位浮上。この瞬間、おとなしく行儀良く観戦する人が多い日本のレースファンから珍しく大歓声があがる。



213 名前:CarNo.774:07/07/16 14:29:56 ID:lwQIE/D4

そして長谷見がトップでチェッカー。日産Cカーは85年10月雨のWEC以来5年ぶり、JSPC26戦ぶりの勝利となった。
長谷見/オロフソンもグループC初優勝。日産V8エンジンも初優勝となる。「91年」ルマンに向けて最高のスタートを切ることができた。
2位に日石トラスト。そして3位に星野/利男組カルソニック。星野も85年WEC以来5年ぶりの表彰台である。
#23カルソニックはチェッカーを受けた後ガス欠でコース上にストップ。終盤猛追しても、チェッカー後にガス欠と言うのはある意味理想である。
日産のテレメトリーシステムの綿密な計算が、この理想的な展開を可能にした。
星野は表彰台に上がる前、マシンの屋根に上るお馴染みのパフォーマンスでファンの声援に応えた。

一方、最後の最後まで好走しながら、カルソニックに撃沈されたマツダだが、レース後車検で燃料タンク容量のオーバーが発覚(0.5リットル)し、失格に。4位の座を失う。
しかしこの地味なマツダの好走が、翌91年ルマン制覇の第一歩だったとは、この時富士にいた何人が気づいたのだろうか…?


214 名前:CarNo.774:07/07/16 14:38:39 ID:lwQIE/D4
長い「トンネル」をようたく抜け出した日産グループC。そしてこの後はその鬱憤を晴らすかのような快進撃を始める。
1ヵ月後の鈴鹿1000km、ここで日産チームの自信はタイトル奪取への確信へと変わる。

(以下次号)

215 名前:6:07/07/16 14:40:31 ID:bPuiUoiF
全日本富士500マイル

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7786.mpg.html

216 名前:CarNo.774:07/07/16 20:00:12 ID:0u2yr335
>>215
今年は西暦2007年だよね。

217 名前:CarNo.774:07/07/16 21:25:23 ID:oun0ZbAJ
燃料系のベーパーロックって、いわゆるパーコレーションのことか?

218 名前:タナケン、復活!?:07/07/17 18:02:55 ID:TXRLYouD
シグナス病・・・

219 名前:CarNo.774:07/07/18 00:46:58 ID:uq4aaV6/
>>215
いつも乙です。
久しぶりに見て感動。うまく20分にまとめましたねw


220 名前:CarNo.774:07/07/22 22:04:25 ID:kRK2k7/g
気ままな御館様はいらしゃいますか?
感動した!

221 名前:CarNo.774:07/08/19 00:18:21 ID:7l3hKamV
鈴鹿1000kmまでに鈴鹿1000km行こうと思ってましたがまだ夏休みも取れてないので
近々再開します

222 名前:CarNo.774:07/09/02 01:05:19 ID:bmpv2HCT
日産編 其の六拾九


富士500マイルから1ヵ月後の8月25〜26日、JSPC第4戦(実質3戦目)のインターナショナル鈴鹿1000km。
前戦同様灼熱の耐久となる。
このレースからトヨタチームトムスは2台体制に。WSPCに専念するため国内のJSPC・F3000を欠場していたリースが久々の参戦。
WSPCと同じタカQカラーである。コ・ドライバーはラファネル。
日産陣営にも変更が。88年以降、星野車、長谷見車とも開発の効率化のため同じタイヤを使用してきたが、
このレースから星野車は(本来履くべき)BSにチェンジ。そしてこのBSタイヤがこの灼熱の耐久では大きな武器となるのである。


223 名前:CarNo.774:07/09/02 01:17:43 ID:bmpv2HCT
予選ではTTTの90C-Vがフロントロウ独占。#37リースが1分49秒674。#36関谷が1分49秒987。4月のWSPCの約1秒落ちだが、この気温では驚異的タイムと言えよう。
日産勢は#23が1分50秒663、#24が1分50秒936。予選ではトヨタに出し抜かれたとは言え、この週に鈴鹿で行ったシミレーションテストで万全の自信を得ていた。勝負は決勝…。
そしてこの週末、富士500マイルの日産の優勝が強運でなく実力であり、またトヨタとの間に大きな差を広げていることを証明することとなる。

26日決勝、快晴。真夏の耐久。
4月のWSPCではガラガラだったスタンドが満員に膨れ上がる。8耐用に組み、そして10月のF1まで残してある仮設スタンドまでぎっしり満員。
WSPCの主催者発表観衆は4万1千人。この日の発表は5万8千人。実数ではもっと差があったのではないか?
単なる国内耐久の方が、世界選手権をも上回る動員を記録していたのである!


224 名前:CarNo.774:07/09/02 01:37:18 ID:bmpv2HCT
決勝スタートは午後1時、既に気温は30度を超えていた。路面温度は50度を超える。
スタートからフロントロウのトヨタがリードし、2台の日産R90CPが追うと言うTNがっぷり四つの展開。
しかしDLユーザーの#24YHPはこの後徐々に後退。代わって上がってきたのが#27フロムAポルシェ。
「ポルシェの時代は終わった」と言われても、世界最強プライベーターのノバメンテのポルシェは早々勝負から脱落しない。その強さはレースが進むにつれ証明される。

1回目のピットイン#36ミノルタ、#37タカQ、#27フロムA、#23カルソニックの順。すべてBSユーザーである。
1回目のピットイン時に、#23カルソニックにまたしても「病気」が発生する。
富士500マイルでも出た燃料系のベーパーロックである。幸い富士の時のような絶望的なタイムロスにはならずコースイン。やや差を広げられることに。
しかしその後他車が燃費を気遣いクルージングペースになる中、#23だけは序盤と変わらぬハイペースでトヨタ勢とフロムAを追い上げる。
2回目のピットイン前にトップグループのBSユーザー4車の4つ巴状態となる。
そして2回目のルーティーンピットを終えた星野がなおもハイペースで猛追。59周目にフロムAを交わしついにトップに立つ。


225 名前:CarNo.774:07/09/02 01:48:38 ID:bmpv2HCT
その後もペースを緩めず2位以下を引き離す#23。「燃費は大丈夫なのか?」
その心配をよそに一向にペースを落とさない。
このペースにはノバ+BSと言う、その時点で考えうる世界最高のパッケージのポルシェであるフロムAでも付いていけない。
137周目にはデグナーでコースアウト、差が若干広がる。
一方、DLユーザーの#24YHPはこの灼熱コンディションに苦戦しながら中盤まで5位をキープしていた。しかし94周目、S字で突如ストップ。
ヒューズのトラブルである。ドライバーが対処し再スタートするが大きく後退してしまう。

さて、トヨタ勢は燃費に苦しみ日産どころかプライベートポルシェにさえ追いつけない。
WSPCでの苦戦も考えると、トヨタ90C-Vはほとんど「富士スペシャル」に近いマシンだったのではないか?
この後のシリースでもトヨタ90C−Xは苦戦し、日産との差が明らかになっていく。

226 名前:CarNo.774:07/09/02 02:00:32 ID:bmpv2HCT
そして夕闇の中、最後までペースを緩めず、序盤のベーパーロックを除けば完璧なレース展開でカルソニックがチェッカーを受ける。
日産は2連勝。
星野はあの雨の85年WEC以来、5年ぶりのCカーでの優勝である。しかもこの月は全日本の異なるカテゴリー、F3000、グループA、グループCで3週連続の勝利である。
フォーミュラー、ハコ、プロトでの3連勝など、世界的にも例が無かったのでは?星野はこれで3部門ともポイントトップに立ち三冠王が見えてきた。

2位にはフロムA。プライベーターとしては大健闘である。3位、4位にトヨタ。しかし4位でチェッカーの#36ミノルタはその後再車検で車両寸法違反が発覚し失格になってしまう。
いくら世界最強プライベーター・ノバ相手とは言え、鈴鹿ではポルシェにさえ勝てない。それがトヨタの現実だった。
日産のライバルはもはやトヨタでなく、メルセデスしかないと言えるところまで来たと言えよう。

227 名前:CarNo.774:07/09/02 02:07:47 ID:bmpv2HCT
ポイントランキングはこの時点で星野が42点でトップ。、3位(実質2位)の長谷見が39点。その下がフーシェの35点だが、日産の調子を考えればチャンピオンは星野か長谷見で決まりと言ってよかった。
果たして星野の三冠なるのか?長谷見が阻止するのか?いずれにしろ日産の王者は時間の問題だった。

ファンが期待するのはその先、91年ルマンである。日産は果たしてメルセデス、ジャガーを相手に勝利できるのか?
しかしその答は永遠に出る事がなかった…。

228 名前:CarNo.774:07/09/02 02:09:01 ID:bmpv2HCT
(以下次号)

229 名前:6:07/09/02 09:09:02 ID:6OHNc7hn
90suzuka1000k

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car7945.wmv.html

230 名前:CarNo.774:07/09/02 18:31:01 ID:dfx1Bcj7
>>229
著作権者の許諾を得るのは大変だったでしょ。
それとも、無断でアップロードする馬鹿の方ですか?

231 名前:CarNo.774:07/09/03 08:14:19 ID:t7VmZSnq
性格悪いな

232 名前:CarNo.774:07/09/03 13:14:11 ID:mTzxCqn0
たまに現れる妙な人を除くと、このスレにこういう人が来るのは久しぶりだね

233 名前:CarNo.774:07/09/04 17:45:58 ID:/IniAXz0
こういうのはスルーで行きましょう!!

234 名前:CarNo.774:07/09/20 00:33:06 ID:P8w9cpbF
日産の町田さん、がん闘病中だそうです・・・

235 名前:CarNo.774:07/09/24 20:04:55 ID:yOH4fCNy
>>234
まじですか?レーシンゴンに出てた時はだいぶ痩せられたイメージありましたが…

236 名前:CarNo.774:07/09/30 09:15:45 ID:vSDQ1piE
番外編
雨のfuji 回る Cカー スピン続出 修理費用は????
かわしま なおみ

ttp://w64.wazamono.jp/carmovie/src/64car0531.wmv.html
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8025.wmv.html

237 名前:CarNo.774:07/09/30 11:29:47 ID:rsfXx81F
236殿。いつもいつも有難うございます<(_ _)>

238 名前:CarNo.774:07/10/06 20:16:08 ID:x6iixDwU
zです。
私の記憶の範囲では富士で一番最悪な天候のレースだったと思います。
この間のF1や85WECが普通に思えるくらいw

239 名前:CarNo.774:07/10/08 14:29:47 ID:m6di1h7v
日産編 其の七拾

1990年JSPC第5戦は、初開催となるスポーツランドSUGO。
ここでも日産とトヨタの差ははっきりと出る。しかし日産は決して小さくないトラブルに見舞われ、それがチャンピオン争いに大きな影響を与えることになるのだが…。

予選でPPを、獲得したのはリースの#37タカQトヨタ。タイムは1.11.910。菅生での初代ポールシッターとなった。
2位に#24YHPの長谷見で1.11.964。以下#36ミノルタトヨタ、#23カルソニック、#39デンソートヨタとトヨタ・日産ワークスががっぷり四つ。
しかし決勝では大きく差が開いてしまうことに…。
#39のサードは、このレースはタイヤとのマッチングを考え89C-Vにマシンチェンジ。本音は熟成の進まぬ90C-Vに見切りを付けたと言うことか…?

6番手に伏兵、カテゴリー1の#21スパイスの松田。ツイスティな菅生のコースが合っているようである。ポルシェ最上位は前戦2入賞の#27フロムAの中谷で7番手。

240 名前:CarNo.774:07/10/08 14:52:18 ID:m6di1h7v
9月16日決勝。1987年西仙台WSPCが中止になっているため、東北初となるJSPCがスタートした。
序盤はリースの#37タカQトヨタ、長谷見の#24YHP日産、星野の#23カルソニック日産が引っ張る。
長谷見はタイヤの選択を誤りペースを落とし、星野が19周目に交わし、さらに星野は33周目にリースを抜き去りトップに立った。
約7秒のマージンを築きピットピン、ドライバーを利男に交代し給油、タイヤ交換。ここまではすべて予定どおりであったが、またしても「あの」病気が発生。
燃料ラインのベーパーロックである。始動に手間取り利男がコースに戻った時は2番手に後退。トップはYHPのオロフソン。ラファネルに変わったトヨタはタイヤトラブルで後退していた。
第2スティントに入りトップはYHP、以下カルソニック、そしてタイサンと日石トラストのポルシェ勢が追う。レース中盤にしてトヨタは早くも脱落、ポルシェにさえ付いていくことができない…。
82周目、利男がオロフソンを捉え#23がついにトップを奪回する。優勝争いは完全にこの2台の日産に絞られた。
92周目、YHPがピットイン、長谷見に交代、給油、タイヤ交換、パッド交換を済ませピットアウト。
翌周カルソニックがピットイン。ベーパーロックを起こさないよう、ピット作業中クルーが消火器でマシンを冷やす。しかしやはり再スタートができない。
ピットストップが2分37秒。約1分のロス。終盤になって決定的なタイムロスで#23はポルシェ勢にも先行され4位に転落する。トップYHPとは絶望的な1分の差…。

241 名前:CarNo.774:07/10/08 15:09:26 ID:m6di1h7v
コースに戻った星野は、怒りをぶつけるような鬼神の走りで追い上げる。96周目にはファスティストラップをマーク。
徐々に3位の日石トラストを捕らえにかかる。134周レースの残り10周を切り、ついにテールtoノーズに。
そして残り6周となる128周目の1コーナーで星野は日石に勝負を挑みインに飛び込み、一旦は前に出るがオーバーラン。
翌周も勝負をかけるが日石のフーシェが抑え、以降猛追で燃費の苦しくなった星野はペースダウン、4位でレースを終える。

優勝はYHP日産。僚友カルソニックの後退があったとは言え完勝である。2位はタイサンポルシェ、3位は日石トラスト。
ポルシェには未だに上位を狙える実力があることの証明と言えよう。

一方のトヨタ。富士以外では日産どころかポルシェにさえ付いていけない。
序盤リードしたタカQは前述のタイヤトラブルの後、ペナルティささらに遅れ結局8位。#ミノルタは特にトラブルは無かったが燃費がきつく6位。
トヨタ勢最上位は、前年モデル89C-Vを持ち出したサードの1周遅れの5位だった…。
日産に大きく水を開けられたトヨタ。レギュレーションに関係なく、91年ル・マンは徐々に不参加の方向でまとまって行く…。

242 名前:CarNo.774:07/10/08 15:19:13 ID:m6di1h7v
シリーズポイントリーダーは、長谷見が59ポイントとなり再びトップに浮上。星野は52ポイント。その差7。
長谷見は星野が次戦優勝しても2位でチャンピオンが決まる。圧倒的に優位な位置に来た。星野の三冠王はピンチに立たされた。

日産が国産初のJSPCメイクス&ドライバーズチュンピオンを獲得するのはほぼ決定していると言ってよい。
問題はドライバーズが長谷見か星野か?
そして1990年JSPC最終戦富士1000kmは、お馴染み「富士ウェザー」の悪戯で、レース・チャンピオン争いとも劇的な結末を迎えることとなるのである。

(以下次号)

243 名前:CarNo.774:07/10/08 15:42:53 ID:72HsWowH
90年JSPC第5戦Sugo500k

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8052.wmv.html

244 名前:CarNo.774:07/11/04 17:00:22 ID:lFfWo068
番外編
84 fuji 
DO スポーツ
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8146.mpg.html
 

245 名前:CarNo.774:07/11/11 15:05:46 ID:X/nly2d5
>>244
まいどありがとぷございます!

246 名前:CarNo.774:07/11/12 23:33:21 ID:F2+OvtGk
申し訳ないですが・・・
誰かサードトヨタ94CVの当時の中継映像を持っていらっしゃったら、
アップしていただけ無いでしょうか?

247 名前:CarNo.774:07/11/12 23:34:49 ID:F2+OvtGk
ル・マンの方です。

248 名前:CarNo.774:07/11/28 18:53:43 ID:jufIfy3p
???

249 名前:CarNo.774:07/12/02 19:27:27 ID:nHKLNMlr
番外編
88 suzuk 1000k

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8258.wmv.html

250 名前:CarNo.774:07/12/02 20:30:15 ID:JxA+fzfS
>>249
いつも有難うございます (_ _)

251 名前:CarNo.774:07/12/08 01:11:10 ID:xKeiLJWm
番外編
シルビアターボCニチラ

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8281.mpg.html

252 名前:CarNo.774:07/12/08 19:37:24 ID:EqQPET4n
>>249>>251
いつもありがとう!

諸般の事情で連載中断してますが、読者が5人でもいる限り92年まできちんと続けます。
期待しないで気長におねがいします。

253 名前:CarNo.774:07/12/09 10:07:48 ID:ebMSmYQG
>>252
気長に待っていますのでこれからの掲載も、
無理しない程度で頑張って下さいね(^_-)-☆

254 名前:CarNo.774:07/12/09 11:26:23 ID:9Fs8cTXV
>>252
楽しみにしておりますので無理のない範囲で
これからもよろしくお願いします。

255 名前:CarNo.774:07/12/10 15:34:57 ID:NU7X7cT/
>>252
のんびり待ってます。
余裕が出来たら、ということで。


256 名前:CarNo.774:07/12/11 19:15:49 ID:zizar31g
>>252
自分も楽しみにしておりま〜す!
気長に楽しみに待っております。

257 名前:CarNo.774:07/12/12 23:34:01 ID:DV2OCCSP
同じく、楽しみに首を長くして待ってますので
何とか続けてください!!


258 名前:CarNo.774:07/12/15 17:12:39 ID:/hA5Yg1d
番外編
88_suzuka500k

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8299.mpg.html

259 名前:CarNo.774:07/12/15 22:53:41 ID:sm8NmfCd
>>258
毎度毎度乙過ぎるw
神ですな!w ありがとうございます!!

260 名前:CarNo.774:07/12/16 19:20:42 ID:B0KfoS+C
>>258
まったく「神」ですよね♪
ありがとうございます!!

261 名前:CarNo.774:07/12/16 23:42:36 ID:2eK8cHCX
>>258
いつもありがとう。

俺も録画したテレビ番組をアップロードしようと思っているのでけれど、
権利者の許諾を得るにはどうしたらいいの?
電話をすればいいの?
お金を払わなければならないの?

(社)衛星放送協会の放送番組不正防止キャンペーンCMを見たのだけれど、
録画したテレビ番組を権利者に無断で動画サイトにアップロードするヤツはたくさん居るの?
無断で他人の自転車を使用したり、
無断で他人のスカートの中を撮影するようなバカがやっているの?



262 名前:CarNo.774:07/12/17 13:42:21 ID:+BYX6Yw/
>>261
本当は駄目なんだけどねw
むしろ誰でもアップロードしてる。
暗黙の了解。

263 名前:CarNo.774:07/12/21 14:42:18 ID:bbLIzxtK
>>258
神のお方。
91年のJSPCの動画は持っていませんかね?

264 名前:CarNo.774:07/12/24 20:43:51 ID:RMxWvUac
>>263
列伝の連載にあわせて準備済ではあるが、連載より先に
動画が出るのは避けている。
ただ、ID:dfx1Bcj7やID:2eK8cHCXなどの発言もあり今後も
続けるかどうかは思案中



265 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :07/12/28 22:10:32 ID:CYhc66LQ
F1等モータースポーツの動画、集めようぜ 【パート13】
ttp://ex21.2ch.net/test/read.cgi/f1/1193314382/
こっちでやるってのもアリじゃね?

266 名前:CarNo.774:07/12/29 01:20:53 ID:rIK5hj3k
>>265
F1動画の独占場になってるからすぐ流れてしまうでしょ。


267 名前:CarNo.774:08/01/02 01:46:43 ID:LGxlLPYE
おめでとうございます!w

268 名前:CarNo.774:08/01/07 14:59:59 ID:7HF4WTM+
64car0678-9
car8373-5


269 名前:CarNo.774:08/01/13 00:41:28 ID:hy51OjGT
>>268
ありがとうございます!
感動しました!

270 名前:CarNo.774:08/01/14 13:22:21 ID:8gLbliC9
car8388,8394,8395,8396,8398,8399,8401,8402

271 名前:CarNo.774:08/01/14 22:06:47 ID:c8VQXswy
>>270
ありがとうございます!!!!
神様ですねまったく!

272 名前:CarNo.774:08/01/15 00:22:26 ID:4YF1HvGG
すいません、来週日曜に90年富士1000q書く予定です。
せっかくの動画ストック状態にしてすいません!

273 名前:CarNo.774:08/01/15 00:36:25 ID:4YF1HvGG
>>258
あらためてありがとう!ネ申!
88年ケンウッドのCM(87年ルマン)なんて20年ぶりに見たよ!感動した!

274 名前:CarNo.774:08/01/15 17:15:08 ID:h64EsLBY
あれ?業物が消えてる・・・

275 名前:CarNo.774:08/01/17 00:42:29 ID:PzdGM+Ds
復活してた

276 名前:CarNo.774:08/01/17 23:47:33 ID:3CgtQ8kt
タナケンさん亡くなったなんだね。
このスレの常連さんじゃないほうw
ご冥福お祈りします。

277 名前:CarNo.774:08/01/18 01:39:49 ID:KRsWIbq6
>>276
タナケンさんって誰だっけ?
ご冥福お祈りします。


278 名前:CarNo.774:08/01/18 19:44:03 ID:3gDMwIhi
>>277
田中健二郎氏の事でしょ。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%81%A5%E4%BA%8C%E9%83%8E

上記参照願います。

279 名前:CarNo.774:08/01/18 23:15:02 ID:KRsWIbq6
>>270
ありがとう!
できれば94年ル・マンもお願いします!

280 名前:CarNo.774:08/01/20 15:34:49 ID:90NwXEGa
日産編 其の七拾壱


1990年全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)は、最終戦富士1000qを迎えた。
この時期(10月第1週)は前々年まで世界選手権のWEC-JAPAN、前年は海外チームを招聘したインターチャレンジ富士として開催されたが、
この年はTMSC主催の従来の富士1000qとして開催された。

トヨタのホストレースながら、このレースの主役は完全に日産。
既に国産Cカー初のメイクスタイトルは決定し、ドライバーズタイトルを長谷見と、7点差で追う星野の一騎討ち。日産勢同士の対決。
星野がタイトルを取れば、既に決定しているF3000、グループAに続き三冠達成となる。
まったく異なるマシン(フォーミュラ、ツーリング、プロト)、異なるレース形態(スプリント、セミ耐久、耐久)での三冠達成となれば、世界的に見ても大きな偉業と言えるだろう。
もちろん長谷見にも先輩の意地がある。長谷見は奇しくもこの10年前の1980年に四冠(全日本F2、鈴鹿F2、全日本FP、富士GC)を獲得した実績がある。
とりあえずは2位には入れば星野が勝ってもチャンピオン決定で、有利な立場にはあった。

281 名前:CarNo.774:08/01/20 15:44:16 ID:90NwXEGa
一方のトヨタはホストながら厳しい状況。
既にタイトルの目はなく、また90C−Vの不振から、エースナンバー#36も、89C−Vでの参戦となった。
今回#37はリースがWSPCメキシコで不在。タカQでなくミノルタカラーの90C−Vでエントリー。
ドライバーはラファネルと鈴木恵一、黒澤琢弥のトリオとなる。
#39サードも今回前戦菅生同様89C−Vでのエントリーとなった。

予選ではこのシーズンはトヨタ優位で進んできたが、この最終戦フロントロウを独占したのは日産。
長谷見が1.16.728でポール。星野が1.17.100で続いた。もはや流れはすべて日産に傾いているように思われた…。
しかし気まぐれな天候が、チャンピオン争いに大きな影響を及ぼしてしまうことになろうとは。

282 名前:CarNo.774:08/01/20 16:06:18 ID:90NwXEGa
翌10月7日決勝。
台風が接近して富士の上空からはパラパラと小雨が。しかし路面はドライ。
全車スリックでスタートを迎える。
序盤からキャビン日産も加え1−2−3フォーメーションを形成する絶好調日産に比べ、
トヨタは早くも10周でエース#36ミノルタがリタイヤ。
1回目のピット作業が終ると、1位カルソニック、2位YHPで磐石となり3位以下を30秒以上も離す独走状態。
以下#27フロムAポルシェ、#39デンソーサードトヨタと続くが、その差はどんどん開いて行く。
2回目のピットイン時に雨が強くなり始め、ここでタイヤ選択によって各車明暗を分けることになる。
スリックを選択したYHP、インターミディエトを選択したカルソニック、結果は雨足が強まりカルソニックは徐々にYHPを引き離し独走態勢に入る。
しかし3回目のピットイン直前に上位を走っていたフロムAポルシェが最終コーナーでクラッシュ、ペースカーが入り貯金が無くなってしまう。


283 名前:CarNo.774:08/01/20 16:21:12 ID:90NwXEGa
3回目のピット作業を終え、天候回復を読みスリックでピットアウトする#24YHPオロフソン。
ところがそのアウトラップのAコーナーでスピン、サンドトラップにはまってしまう(ちなみに筆者はそれを目の前で見ていた)。
オフィシャルによってコースに戻されたものの、トップカルソニックから9周遅れに。大きく順位を落とす。
これで長谷見のタイトルは絶望的、星野の三冠は決定と思われたのだが…。

タイヤ選択・交換でドタバタしてしまった日産勢に比べ、「守り」に徹し淡々とラップを重ねた#39デンソーは、ペースカーランの混乱に生じ#23カルソニックの直後につけていた。
#39長坂の周回を稼ぐ作戦で、#23カルソニックより1回ピットインが減る状況になった。つまり事実上首位に浮上したことになる。

一方、サンドトラップにはまり絶望視された#YHPだが、その後は着実に走行。前を走る#33武富士、#1アドバン、#7アルファのポルシェ勢が脱落し、気がつけば6位にまで順位回復、一縷の望みを持って終盤戦を迎えることとなる。

284 名前:CarNo.774:08/01/20 16:29:16 ID:90NwXEGa
184周目、トップを走る#39デンソーサードがピットイン。雨のペースダウンで使えるガソリン量は余裕があったが、
これで給油せずとも224周目までギリギリ走り切れる状況にはなった。しかし給油をしないなら終盤ペースを下げざるをえないだろう。
この時点で首位に立ったカルソニックは、2位をキープしチャンピオンを確実に狙う作戦もあった。
しかし何とも皮肉なことにライバルの脱落が事態を変える。3位を走行していた#37ミノルタトヨタ90C−Vが、189周目ミッショントラブルでリタイヤ。
#24YHPは何と5位に浮上する。YHPが5位ならカルソニックは2位ならば同ポイント。
優勝回数の違いでYHPの長谷見がチャンピオンなる。カルソニック星野陣営は何が何でも優勝を狙わないといけない立場になったのである。

285 名前:CarNo.774:08/01/20 16:38:33 ID:90NwXEGa
#23の星野が199周目最後のピットイン。これで40秒差の2位に後退。
#23は何が何でも首位を狙うしかない。猛烈なペースで追い上げ、燃費走行をしないといけない#39デンソーに迫る。
我慢しきれずにピットインさせれば優勝が転がり込んでくる。
そう呼んだカルソニック陣営は、スリックタイヤを選択し、鈴木利男をコースに送り込む。
しかし何とも皮肉な事態が起きる。この直後再び雨が降り始めしかも雨足が強まる。
#23は再びピットイン、カットスリックに交換、この時点で勝負はついた。
#39サードはそれを見て余裕のピットイン、タイヤ交換。そしてコースに戻りチェッカーを受ける。
サードは1986年の参戦以来、JSPC初制覇であった。
そして5位に入った長谷見が1990年JSPC王者に輝いた。星野の三冠は成らず…。

286 名前:CarNo.774:08/01/20 16:54:51 ID:90NwXEGa
目まぐるしく変わる天候に翻弄され、完璧なはずだった日産陣営の思惑はずれたものの、
国産メーカー初のJSPCダブルタイトル獲得は、1983年グループC初参戦以来、
そして1984年ニスモ設立以来の悲願の成就であったと言えよう。

新耐久王者日産に対しては、多くのマスコミ、ファンが翌1991年ル・マン制覇を意識させたはずである。
この時点で、91年SWC(WSPCから改称)カテゴリー2(従来のCカー)へのハンデは最低車重1tと言う常軌に逸したレギュレーションが決定的になっており、
日産もワークスは不参加の方向で話が進んでいた。そしてこのレースの2週間後の10月25日にそれは発表される。


287 名前:CarNo.774:08/01/20 16:55:43 ID:90NwXEGa
しかし91年のル・マンに日産が参加しないなどとは、関係者以外誰一人考えていなかったのではないか?
いかにハンデがひどくても、カテゴリー2を抑えカテゴリー1のプジョーがいきなりル・マンを制覇するとは思えない。
優勝争いはメルセデス、ジャガー、そして日産のカテゴリー2勢で争われるだろう。ハンデはイコールコンディション。
翌年のル・マンは日産にとって最大のチャンスのはず…。
レース後のピットFM実況でも、舘内端、西山平夫は翌年のル・マンにおける日産への期待を口にした。
来年こそは日産がル・マンを制覇するのではないか…?

しかし日産はこの大きなチャンスを、自らの内部の問題でみすみす逃すこととなる。
その過程について述べる前に、次回は時計を戻し、90年WSPC後半戦について述べて行く。
ダンロップタイヤのハンデがありながら、NMEのR90CKはメルセデスを追い詰めることになるのだ…。

(以下次号)



288 名前:CarNo.774:08/01/20 23:58:22 ID:baOxQ8Q6
>>272
変なプレッシャーを、かけてしまったようで 申し訳ない
色々と意見が出る中、時間をかけていると動画も
アップできなくなるかもしれないので まとめて
あげさせてもらいました。
car8415,8424

だれが64car0510みたいなセンスの良い編集動画ないですか?




289 名前:CarNo.774:08/01/25 20:41:21 ID:4n/uKTDR
>>283
まさかあのオロフソンが…。
ご冥福お祈り申し上げます。

290 名前:CarNo.774:08/01/26 19:30:47 ID:Y06m5kAv
神のお方。
わがまま言って申し訳ないが、89年ル・マンを再うp希望。

291 名前:CarNo.774:08/01/29 19:24:46 ID:lDbZlqts
はじめまして、真冬の1989鈴鹿1000kmレース再アップ希望します。
番組中にリタイヤ続出中にかかった挿入歌?の題名わかる方いますか
♪ナイティエイティフォー...サクセス...♪

292 名前:CarNo.774:08/01/30 23:10:12 ID:MHnNlRtc
291です。有難う御座いました。♪ナイティエイティフォー サクセス求め 歌い続けたい♪
♪数え切れないチャンス逃して 何かのせいにした事もあった♪


293 名前:CarNo.774:08/01/31 16:28:38 ID:dMzLNwOW
神のお方!97年LM・94年LM・89年LMありがとう!!!

294 名前:CarNo.774:08/02/03 11:03:55 ID:pghqLG4M
98年LMサンクス!

295 名前:CarNo.774:08/02/03 13:58:22 ID:AtFJJ+OG
有難う

The JSPC Part2〜Battle&Glory〜



296 名前:CarNo.774:08/02/09 10:12:30 ID:PFbkOqDN
test

297 名前:CarNo.774:08/02/10 15:03:50 ID:NXo3B+AS
日産編 其の七拾弐

さて、再び時計を90年6月に戻し、今度はWSPC後半戦の模様を述べていく。
NME生沢チームの活躍である。タイヤのハンデがあったとは言え、再びメルセデスを追い詰めるところまでいったのだが…。

実はルマン後の初戦は、翌週6月24日に行われるハラマのはずであった。しかしこれはルマンウィークに入って突然キャンセルが発表された。
もともとルマンの翌週、しかもF1と日程が被るハラマでのレースは、FIAのACOに対する嫌がらせと見るムキも多かった。
しかもこの時期はサッカーW杯イタリア大会と開催時期がもろに重なる。当初から開催が疑問視されていた。
とは言え、予定がある以上、WSPC参加チームは準備を進めなければならない。各チームは結局無駄な労力を強いられたのである。

と言うことで、ルマン後のWSPC初戦は、7月22日、フランス・ディジョンのレースとなった。

298 名前:CarNo.774:08/02/10 15:54:34 ID:NXo3B+AS
予選でポールを奪ったのはシュレッサーのメルセデス。1.05.527。自身がC9で昨年マークしたレコードから2秒近くのタイムアップである。
2番手にブランドルのジャガーで1.05.965。もう1台のメルセデス、ジャガーが3,4番手となり、トヨタが1.07.614で5番手。
日産はベイリーの#23が6番手の1.07.750、#24が1.08.759で9番手と、フルブーストのアタックなしではまずますのタイムをマークする。

明けて決勝。気温は38度と上昇し、まさに灼熱の耐久レースとなった。
(シルバーストンで失格となった)後のF1王者ミハエル・シューマッハの実質デビュー戦である。
レースは終始2台のメルセデスがリードし他を圧倒。日産は、ジャガーはタイヤののマッチングに難があるのを尻目に、#23が3位浮上。
これを守りきり3位表彰台を獲得する。#24は序盤トヨタが蒔いたオイルに乗りクラッシュ、大きく後退し21位完走に留まった。

メルセデスのシューマッハはデビュー戦でバルディと互角の勝負を挑む好走を見せたが、今にして思えば極めて当然のことだっただろう。
その2台のメルセデスから1周遅れとは言え、ジャガー2台(4位、5位)を抑えての3位表彰台は、シーズン序盤苦戦したNME生沢チームが確実に力をつけてきた証だろう。
これでスパに続き連続表彰台となった。

しかしメルセデスの差は依然として大きかった。タイヤのハンデを差し引いても。
ルマンを欠場していた間、彼らは決して何もしてなかったわけではなかったのだから…。


299 名前:CarNo.774:08/02/10 16:13:36 ID:NXo3B+AS
続く第6戦はドイツ・ニュルブルクリンク。
前年日産は終盤までレースをリードする好走を見せたゲンのいいサーキットである。

予選でポールは指定席どおりメルセデス。しかし今回もドライブすることになった「地元」のシューマッハは、シュレッサーと激しくタイムアタック合戦。
前年のレコード1.23.125を上回る1.20.344でシュレッサーがポール。シューマッハーも1.21.013でこれに次ぐ。
シューマッハーは初めてのCカーのタイムアタックでこのタイムである…。

3,4番手に2秒落ちでジャガー、5,6番手にヨーストと2.3列目を分ける。
トヨタは7番手。タイヤのマッチングに苦しむ日産は8番手、9番手(1.25.428、1.25.554)と大きく水を開けられる。
しかも日産はこの予選で大失態、ベイリーが義務集回数をクリアできず予選不通過、決勝はブランデルが一人で走りきらなければならなくなってしまった。

300 名前:CarNo.774:08/02/10 16:36:32 ID:NXo3B+AS
決勝の朝行われた、前座のドイツF3ではシューマッハがポールtoウィン。
その勢いはWSPC本戦にも続いた。

このレースは、日本ではNHK-BSでナマ中継された。
しかし日産もトヨタも、日本の視聴者にいいところを見せることなく終っている。

レースは序盤から(またしても)メルセデスのワンサイド。ジャガーはそれから大きく離れて3、4番手。
ブランデル一人での走行となる#23はさらにその後ろの5番手。今回はダンロップタイヤがまったくコースにマッチしなかった。
淡々と走りぬき、そして3週遅れの5位で完走する。#24は9位完走。
序盤ジャガーに次ぐ4位を走行した#37トヨタ(リース/小河)は最後はガス欠リタイヤ、#36もリタイヤと日本勢にいいところは見られなかった。

退屈なレースの唯一の見所は、マスから2番手でマシンを引き継いだシューマッハが、バルディを交わし中盤トップに浮上したことである。
既にこの時から非凡なところを見せていたのである(最終的に2位)。

メルセデスC11と日産との差は依然として圧倒的なものがあったのである。

301 名前:CarNo.774:08/02/10 17:14:58 ID:NXo3B+AS
第7戦はイギリス・ドニントン。
すでにメルセデスのタイトルは決定的である。
そう言う意味ではFIAのレギュレーション変更強硬は決して間違っていなかったのかもしれない…。

予選でもメルセデスは他を圧倒してフロントロウ独占。
前年のタイムを2秒以上縮める1.16.952でバルディがポール。
メルセデス以外の「Bクラス」では3番手にリースのトヨタが入るが、
それでも1.19.432。2秒以上のギャップがある。
以下4番手ジャガー、5,6番手日産、7番手ジャガーと続き、
ここまでが19秒台。

決勝では、序盤#23ベイリーがジャンプアップして2番手まで浮上する好走を見せたものの、
終盤タイヤカスがルーバーに詰まるトラブルでカウル交換のため後退、
#24も周回遅れのポルシェと接触しカウルを傷めピットイン。



302 名前:CarNo.774:08/02/10 17:15:28 ID:NXo3B+AS
結局レースはメルセデスの1−2でタイトル決定、3位ジャガー、
終盤まで4位にいた#23ベイリーは燃費が苦しくペースダウン、スパイスと僚友#24にも抜かれる。
しかしレース後、燃料供給過多で3位ジャガーが失格、
結局日産R90CK2台は4位、6位でダブル入賞となった。

依然としてメルセデスとは埋めがたい差がある。
しかしWSPC残り2戦、生沢NMEはその総決算となるレースを展開する。
そしてそれが(今のところ)生沢にとってもレースシーンにおける最後の「表舞台」となってしまうのだ。

(以下次号)



303 名前:CarNo.774:08/02/12 01:49:11 ID:By/Q8FEH
84年LM・91年・99年LMサンクス!

304 名前:"":08/02/22 18:09:11 ID:Dphr1PxW
92LMありがとう!

305 名前:CarNo.774:08/03/04 20:45:12 ID:B2y3o20A
87年ル・マンがUPされていました。

ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/car8585.mpg.html

貴重な映像に感激致しました!!(●^o^●)
映像をUPされた方に感謝します _(_^_)_

306 名前:&quot:08/03/27 00:25:20 ID:9mOu3cte
SWCうpありがとう!

307 名前:CarNo.774:08/03/27 23:37:22 ID:lILkyjNx
3000ccバイオディーゼルならどこでも作れそうだから、
Cカーできないかね?

308 名前:CarNo.774:08/04/19 21:34:28 ID:U3iFN9rC
明日WSPCカナダ・メキシコうpします(多分)。

309 名前:CarNo.774:08/04/20 16:59:15 ID:YalUaf0L
日産編 其の七拾参

WSPC第8戦はカナダ・モントリオール。F1カナダGPではお馴染みのサーキットで、WEC自体もカナダではモスポートで開催されたことはあるが、
モントリオールでの開催はもちろん初めてである。
このレースで日産生沢チームはついにメルセデスに迫るところまでくる。ただし現行レギュレーションは残り2戦のみであり、
そしてこの日産生沢チーム自体、後2戦で解散と言うことになてしまうのであるが…。

カナダGPでお馴染みの、レースウィークのピットストップレースといかだレースが、WSPCでも開催された。
ピットストップレースでは日産が優勝!イカダレースハオベルマイヤーが制した。

このレース最大の注目は、あのプジョー905がついにデビューすることである。
ワークス製カテゴリー1第1号である。他のターボ車にない魅力的なV10サウンドを振りまく。
そしてドライバーも元F1チャンプのケケ・ロスベルグと、元F1ドライバージャン・ピエール・ジャブイーユ。
レース前の主役は間違いなくプジョーであった。そしてこのプジョー905は、後にグループCを大きく変え、そして滅亡へと導いていくことになる…。


310 名前:CarNo.774:08/04/20 17:09:02 ID:YalUaf0L
予選では、これまでどおりメルセデスの独壇場とはならなかった。
WSPC初レースであること、主催者の用意するガソロンが粗悪であることから、各チームの条件の差は縮まった。
PPはシュレッサーが1分25秒407で獲得するも、2番手は日産のブランデルの1分25秒897が続く。
日産が予選でメルセデスにこれだけ迫ったのはこの年初めてと言ってよい。
以下3番手ブランドルのジャガー1分26秒034、4番手メルセデスの1分26秒086と続く。
リースのトヨタは8番手。アチソンの日産は9番手。注目のプジョーは1分29秒257で12番手に留まる。

311 名前:CarNo.774:08/04/20 17:29:26 ID:YalUaf0L
翌9月23日決勝。
このレース、「あと少し」の運さえあれば、日産は85年雨の富士以来のWSPC優勝を遂げることができたのだが…。
ポールのメルセデスが飛び出し、F1でもこのサーキットの経験があるブランドルのジャガーがブランデルの日産をかわし2番手に浮上する。
そして2週目のヘアピンでメルセデスをかわしトップに浮上。徐々にリードを広げていく。
序盤トップグループを形成したのは2台ずつのジャガーとメルイセデ、そして日産とトヨタ90C-V。トヨタは今回は好調である。
5周目にALDがクラッシュしペースカー導入。モントリオールは燃費に厳しいコースであったが、このペースカーによって多少のセーブとなった。

(全110周の)25周目で再びペースカーイン。今度はブルンポルシェのクラッシュである。
このペースカーインを最大限に利用したのが日産である。ピットインで給油を済ませた後、ペースカーがコントロールラインに戻ってくる前にコースイン。
このためレース再開後、日産は実質2位のラマースのジャガーに76秒もの大差をつけていたのである!

312 名前:CarNo.774:08/04/20 17:48:21 ID:YalUaf0L
再スタート後、2〜4番手につけていたラマースのジャガー、ベンドリンガーのメルセデス、バルディのメルセデスは毎週2〜3秒の猛烈な勢いで日産追撃を始める。
ベンドリンガーはその後パンクで後退するが、メルセデス、ジャガーの追撃の手は緩まない。
しかし日産陣営は慌てていなかった。この燃費のきついモントリオールでの猛追は、必ず終盤にガス欠を招く。
ペースを守り終盤勝負に持ち込めば必ず勝てる、そう計算していた。
しかしその後の「神のいたずら」までは予測できなかった…。

59周目、ついにメルセデスがベイリーの日産をかわす。勝負は終盤、しかしそうはならなかった。
日産陣営は簡単に首位を明け渡したことを直後に後悔する。
62周目、多重クラッシュが起きる。
モントリオールは公道サーキットのため、コース内にマンホールがある。Cカーの強烈なパワーのためその蓋がレース中飛び上がってしまったのである。
これでスパイスに接触、その後クラージュとブルンポルシェに激突し両車炎上、レースは赤旗中断となる。
110周の61周と言うことで、ポイントは半分ながらレースは成立となった。

優勝はシュレッサー/バルディのメルセデス、わずか4秒差でブランデル/ベイリーの日産、赤旗直前にラマースのジャガーがリタイヤしていたため、3位は伊太利屋カラーのRLRポルシェ。
4位にケンウッドカラーのクレマーポルシェが入った。

313 名前:CarNo.774:08/04/20 18:09:06 ID:YalUaf0L
5位にもアチソンの日産が入る。

WSPC2位は、85年雨の富士を除けば日産のWSPC歴代最上位である。
しかしレースが何事も無く最後まで成立していれば、メルセデスに追いつかれた後もう少し抵抗していれば、アクシデントがもう少し早く起きていれば…。
しかし日産は勝てなかった。日産生沢チーム、いや日産の世界選手権の(今のところ)最後のかもしれなかった優勝のチャンスは、こうして費えたのである。

そして日産生沢チーム、日産WSPC最後のレースとなるメキシコを迎えることになる。

(以下次号)

314 名前:CarNo.774:08/04/20 20:57:15 ID:uiCSL+v9
乙です〜

315 名前:CarNo.774:08/04/21 19:56:23 ID:nq4/6QYx
いつも乙であります!

316 名前:CarNo.774:08/04/23 23:38:12 ID:d0nwW0JS
待ってました!
>>308にもwktk

317 名前:CarNo.774:08/05/17 00:08:30 ID:Oybcr2Kc
GTR改良したプロトでないかな?

318 名前:CarNo.774:08/05/25 00:25:26 ID:6xJfqr70
日産編 其の七拾四

WSPC最終戦となる第9戦はメキシコシティ、こちらもメキシコGPでお馴染みのサーキットで、2年連続の開催となる。
高地のためターボ車に有利で、NAのプジョーには辛いところである。

このレースは1990年WSPC最終戦であるだけでなく、1982年から始まった燃費規定最後のCカーレースとなる(一部残るが)。
そしてシーズン終盤に向けてメルセデス、ジャガーと肩を並べうるレベルにまで達するほど成長してきた日産生沢チーム、最後のレースにも結果的にはなってしまう…。


319 名前:CarNo.774:08/05/25 00:36:59 ID:6xJfqr70
その日産も、もしやと期待を抱かせるレースを見せることになるのだが。タイヤがグッドイヤーだったら…。

予選でPPを獲得したのはブランドルのジャガー。前年バルディのメルセデスがマークしたタイムより2秒近く更新する1分20秒626をマーク。
メルセデス以外のポ−ルシッターは開幕戦のトヨタ以来のことである。
以下2,3番手がメルセデス、4番手がトヨタ、5,7番手が日産、6番手がもう1台のジャガー。
8,9番手のヨースト・ポルシェまでがコースレコードを樹立した。すべてターボ車である。
注目のプジョーは1分23秒778で11位。やはりここではNAは厳しい。

320 名前:CarNo.774:08/05/25 00:52:34 ID:6xJfqr70
10月7日、最後のWSPC(翌年からSWCと改称)決勝がスタートした。
序盤から飛び出したのはブランドルのジャガー。これを2台のメルセデスが激しく追う展開。
しかしその後ジャガーはタイヤトラブルでピットイン、その後バッテリートラブルも起きてしまい脱落する。
これでメルセデスの1−2に。
1回目のルーティーンピットワークが終ると、トップに浮上したのは#23ブランデルの日産だった。
タイヤのハンデがあるとは言え、日産はメルセデスと互角に争えるポジションにまで昇ってきたのである。
しかし燃費的にやや厳しくペースダウン、終盤はメルセデスの1−2体制が磐石となる。
ゴールまで19周残した90周の時点で#23ベイリーの日産は、トップのシューマッハの#2メルセデスから約1周差の78秒のビハインドを付けられていた。

321 名前:CarNo.774:08/05/25 01:10:27 ID:6xJfqr70
レースもこのまま終るかと思われた終盤、大きなドラマが発生する。
突然のスコールでレースは大混乱になる。
トップを走るマスの#2メルセデスはピットインするもストップする位置を間違え、スリックのままもう1周するはめに。
これでトップは#1シュレッサーに。コース上はスケートリンクのようにスピンするマシンが連続した。
この混乱で、結局メルセデスの1−2、レインタイヤに交換するも大きく遅れて#23日産が3位でゴールする。

しかし!1位でゴールしたはずの#1メルセデスは、給料量がわずか0.1リットル多かったため失格。#1のメルセデスのタンクには25リットルものガソリンが残っていたのだが…。
これで#23は2位となる。結果的に日産生沢チームは終盤2戦を連続2位で終えることとなったのである。

322 名前:CarNo.774:08/05/25 01:55:15 ID:6xJfqr70
日産生沢チーム(NME)は、町田が主導し編成したチームである。
その強引な手法には批判的な声も多く、また序盤は期待を裏切る成果しかあげられなかったが、
ル・マン以降はチームは急速に力をつけ、タイヤがメルセデスと同じグッドイヤーであったのなら、充分に互角に戦えるレベルに達していた。

しかしこのチームはわずか1年で終焉を迎えることとなる。
日産が91年SWC不参加を発表したのはこのレースの2週間後の10月25日のことである。
これは同時に日産生沢チームの解散を意味することであった…。

さて、日産はSWC不参加を決め、日産生沢チームは解散となったが、まだこの時点で日産は完全には91年(SWCに復帰する)ル・マン24時間への参加・不参加は決定していなかった。
NMEはWRCに専念することになるとは言え、まさかル・マンに日産が参加しないようなことはないだろう、多くのものは当然そう考えた。
この時点で91年ル・マンの本命に日産を推す評論家も多かった。

しかし「何が何でもル・マン参戦」を決めていたロータリーが今度こそ最後になるマツダとは対照的に、日産は最後まで態度を決めず、
そしてその結果日産は「日本車初のル・マン制覇」と言う栄光と、欧州モータースポーツ階における信頼の両方を失ってしまうことになるのである。

(以下次号)

323 名前:CarNo.774:08/05/25 15:16:09 ID:hEHdQJeT
>>318-322
乙です!

>欧州モータースポーツ×階○界における信頼を失ってしまうことになる。
 これはどうなんでしょ?
 レギュをFIAがゴリ押しで変更したことに対しての態度だから、信頼を失ったといってしまうのはいかがかと。。。

324 名前:CarNo.774:08/05/26 21:47:46 ID:EYEW7xMg
久々に乙です!!
また、よろしくお願いします <(_ _)>

325 名前:CarNo.774:08/05/26 22:03:09 ID:7VLfLV+x
ベンツもジャガーも1000kgで渋々出てきたのに、日産だけチーム解散じゃ信頼失うだろ?
それ以前に町田氏が定例人事異動でいなくなちゃったから欧州勢から舐められちゃったろうな。

326 名前:&amp:08/06/23 01:17:01 ID:wlPot8KC
内部派閥抗争があったんだから仕方なかろう・・・

327 名前:CarNo.774:08/06/29 14:45:07 ID:xltmiOZH
日産編 其の七拾五

さて、ここからは「大本命」と言われながら、自らそのチャンスを投げ捨ててしまった、91年ル・マン不参加について述べていく。
其の六拾七で書いたように、一旦「カテゴリー2ハンデ50kg」で91年SWC参加を決めていた町田・日産だが、そのハンデが反故にされ、ハンデが100kg(最低重量1000kg)になった時点で白紙になった。
その後9月に幸か不幸か、91年ル・マンにSWC復帰が決まる。91年SWCに参戦しないとル・マンにも参戦できなくなってしまったのだ。

日産(町田)はこの後も、ハンデを50kgに戻すよう交渉を続けてきたが、それは適わず90年WSPC終了直後の10月10日、正式に91年カテゴリー2の最低重量は1000kgと決まった。
日産はこれに合わせ、91年に3つの選択肢があった。
1つが完全な91年も渋々(勝てるわけのない)SWCに参戦し、ル・マンだけに全力投球をし制覇を狙うというもの。
2つめが、勝てるわけのない以上、日産の看板を背負ってのSWC参戦はせず、NMEスタッフ・マシンをプライベートチーム(クラージュが有力だった)にレンタル移籍させ、ル・マンの出場権を得た上で、ル・マンに全力投球する。
そして3つめが、一番ありえない選択肢に思えたが、一切活動を休止し、92年以降のカテゴリー2開発に専念するというもの。当然91年ル・マンへの参加権も失う。

町田の日産社内における立場が健在なら、3つめの選択肢など絶対にありえないもののはずだったが…。

328 名前:CarNo.774:08/06/29 14:59:19 ID:xltmiOZH
しかしこの頃、町田の立場も微妙に変わっていた。
日産の社内も何が何でもル・マン制覇、というわずか4ヶ月前の熱気が消えかけていた。

確かに町田の強引なNME生沢チームの運営には社内からの反発が大きかった。予算も当初予定をオーバーしていた。
しかし終盤には確かに結果を残すところまできていたのだ…。

しかし町田を全面支援していくという空気はこの頃消えかけていた。変わって反町田勢力が拡がってきていたのである。
その勢力が、モータースポーツ以外の部署なのか、同じモータースポーツでもWRC関係者なのか(日産は伝統的にラリーは旧日産、耐久は旧プリンスと言う色分けがあった。
もっとも難波はラリー部隊の元トップだったし、町田は日産・プリンス合併後の入社だが)、グループC関係者なのかはわからない。
だがこの頃の日産は日本車初のル・マン制覇より、町田追い落としを優先する勢力が闊歩していたのも事実である。
こういった派閥構想体質が、後に日産を倒産寸前にまで追いやった元凶とは言えまいか?

329 名前:CarNo.774:08/06/29 15:12:19 ID:xltmiOZH
91年10月25日、日産は正式に91年SWC不参加を発表する。
同時にNME生沢チームも解散。NMEはWRCに専念することになり、グループCの有能なスタッフをすべて手放すことになる。
町田のグループCプロジェクトから外れることがこの時ほぼ内定していた。

日産は国産車初のル・マン制覇のチャンスと、欧州モータースポーツ階の海千山千の重鎮を渡り合える町田という人材を、自ら葬り去ったのである。

マツダは対照的だった。「何が何でもル・マンを制覇する」、その目的のためまったく意味のない91年SWC参加を決めていた。
単純な可能性だけで言えば、マツダより日産のほうがはるかに可能性が高かったのだが。

330 名前:CarNo.774:08/06/29 15:23:47 ID:xltmiOZH
訂正;91年10月25日、日産は正式に91年SWC不参加を発表する。→90年10月25日

91年SWC不参加を決めても、SWC参加車両のあまりにもの少なさから、ル・マンだけのスポット参戦が認められる可能性はまだ残っていた。
そのため現場の部隊では引き続き91年ル・マン参戦の準備は続行していた。しかしもちろんマツダのように全社あげてという熱気はない。

NMEグループCチームが一旦解散した以上、91年にル・マンに日産が参加するとすれば、日本のニスモとアメリカのNPTIである。
両チームは91年デイトナ24時間にグループCカーが参加可能になったため、ル・マンへのテストの意味も含めてCカーでの参戦を決定する。
(しかしこの後湾岸戦争勃発で、ニスモは参加をキャンセルする)
結果はコース上に落ちた他のマシンのパーツを踏んでしまうというトラブルに巻き込まれながら2位完走(デイトナ詳細は後述)。
上々のテスト結果と言えよう。

331 名前:CarNo.774:08/06/29 15:57:42 ID:xltmiOZH
91年JSPC開幕戦、町田は既に日産本社から退任し、関連会社に左遷されていた。
ニスモはこのレースで初のオール自社製CカーR91CPでポールtoウィンと言う完勝を遂げる。
この時はまだ91年ル・マンへの日産の参加・不参加は決定していなかった。
現場はやる気満々だった。
(ル・マン仕様)の1000kgのマシン、ル・マン専用ミッションのテストも始まっていた。

90年ル・マンの敗因は、ミッション、ブレーキ、チームワーク、タイヤ、そして時の運…。
ニスモには、NPTIを通じ、グッドイヤータイヤの供給が決まっていた。
時の運を除けばすべて改善されていた。日産の91年ル・マン制覇に死角は無かったと言えた。

3月28日、予想されたことだが、SWCのあまりの参加台数の少なさに、FIAはル・マンへのスポット参加を認める発表をする。
ル・マンに参加したかった日産・現場部隊の思惑どおりになったのである。
しかしSWC全戦参加を決めている他のチームは激怒して猛反対する。朝令暮改、1週間後逆に急遽FIAはSWCに参加していないメーカーのル・マン参戦を認めない発表をする。


332 名前:CarNo.774:08/06/29 16:08:02 ID:xltmiOZH
FIAも決して日産を追い払おうとしたわけでもない。
SWC開幕戦鈴鹿の前日まで、SWCエントリー期限を延ばし、それまでにエントリーを済ませばル・マン参加を認めると。
開幕戦にはとにかく予選だけでもマシンを走らせ、第2戦以降はクラージュあたりにマシンを貸与しシリーズ参戦する。
そうすれば日産は「ヤドカリ」エントリール・マンにワークス参戦できる。

しかし官僚的な日産にそのような早急な判断力、そして「何が何でもル・マン制覇」と言う熱気は無かった。
91年4月12日、SWC鈴鹿開幕戦予選前日、日産はエントリーを済まさなかった。
この瞬間、「大本命」と呼ばれた91年日産のル・マン参戦は完全に無くなった…。

333 名前:CarNo.774:08/06/29 16:17:43 ID:xltmiOZH
一部のマスコミに、この時期に就任したフランスの反日首相クレッソン女史、そしてFIAや欧州メーカーの陰謀だと書き立てるものもあった。
しかし日産以外のメーカーはすべて(思惑はどうあれ)SWC参加を決めていたのである。
決して日産だけ不利な判定がされたわけではない。

当時流行した「NOと言える日本」気分には浸れたかもしれないが、それで日本車初のルマン制覇と言う目標を捨てても構わなかったのか?
2ヵ月後、ル・マンのポディウムの中央に立つマツダの3人のドライバーの姿を、日産の役員・全社員はどのような目で見ていたのだろうか?

(以下次号)

334 名前:CarNo.774:08/06/30 00:17:16 ID:aJqWygTB
乙です!
いやー、いまさらながらですが、ほんとに惜しかったですね。。
Cカーの開発を長年してきたことの集大成がここで結実できた・・・かもしれなかったのに、残念www

335 名前:CarNo.774:08/07/07 00:13:27 ID:uUdkO5Mn
>>333
最低重量を変更をすれば、
各車両のエンジンの総排気量等に違いがあるので、
競争力が上がる車両もあれば下がる車両をあるはず。

燃料使用総量を変更した場合でも、
競争力が上がる車両もあれば下がる車両もあるはず。


336 名前:CarNo.774:08/07/07 21:59:24 ID:GUiefsss
>>335
最低車重上げて競争力上がった車両なんてあるわけないだろうに。

337 名前:CarNo.774:08/08/10 15:42:18 ID:1qRDSVaO
日産編 其の七拾六


さて、次に日産Cカーの91年デイトナ24時間参戦に触れておきたい。
NME生沢チームの翌年の活動・存続が危ぶまれていた90年秋、IMSAは開幕戦デイトナ24時間にグループCカーの出場を認める決定をする。
このプランにNPTIは飛びついた。実戦こそ最大のテストの場。ここからもわかる通り日産本社・FIAの決定と関係なくNPTIは91年ル・マンに出場する気が満々だったのである。
これはニスモも同じで、JSPCチャンピオン獲得の御褒美という形で1台参加を決める。
この時点(90年末)でNPTIもニスモも91年ル・マンは現実的な目標だったのである。


338 名前:CarNo.774:08/08/10 16:01:07 ID:1qRDSVaO
11月2日、3日、NPTIは早速R90CK2台をデイトナに持ち込みテストをする。結果は上々。
12月3、4日にも2回目のテストを行い決勝セッティングでコースレコードをマークしている。

グループCとIMSA−GTPは外観こそほぼ同じだが、レギュレーションはかなり異なる。
最大の違いはGTPには燃料使用総量規制がないこと。
この他グループCとの主な違いを列記すると、
・給油時の時間規制(グループCには1リットル/1秒の規制があるがGTPはクイックチャージ可)
・燃料タンク容量(GTP120リットル、グループC100リットル)
・排気量(グループCは無制限、GTPはNAが6リットルまで、ターボが3gまで、ツインターボ不可)
・最低重量(グループCは900kg一律だが、GTPは排気量ごとに細分)
・パワー規制(グループCにはないが、GTPにはエアリストリクターによる規制あり)

91年デイトナでは、ルマンより50リットル多い2600リットルが使用できることになったが、
給油時の1リットル/1秒規定は適用されるため、1回のピットストップにつきCカーはGTPに対し約70秒ものハンデを背負う。
1周あたりグループCはGTPに対し2秒は速いタイムで走行しなければならない。
NPTIはそれでも「勝算あり」と判断したのである。

339 名前:CarNo.774:08/08/10 16:12:54 ID:1qRDSVaO
NPTIは90年ル・マンに参加した自らのR90CK2台に加え、活動を停止したNMEの1台を譲渡され3台体制で臨むことに。
ニスモは長谷見/オロフソンのチャンピオンコンビに鈴木利男を加えたトリオでR90CPで参戦。
タイヤはNPTIを通じグッドイヤーが供給されることになった。

年明けのデイトナテストにはニスモも参加、決勝セッティングながら前年のポールタイム並の1分37秒台をマークしている。
長谷見も「トラブルがなければ表彰台の真ん中も充分狙える」と自信満々に語っていた。

しかし残念ながら、ニスモのデイトナ参戦は、1月15日に開戦した湾岸戦争の影響で、
22日に中止と発表されてしまう。
ニスモがこの時の「リベンジ」を果すのはこの1年後になってしまう…。

340 名前:CarNo.774:08/08/10 16:36:02 ID:1qRDSVaO
決勝は1991年2月2、3日。公式予選1回目は1月31日木曜日。
ジャガーはGTP仕様での参戦となり、結局グループCでの参戦はNPTIの3台のみとなる。
NPTIもNMEから譲渡され#1を付けるマシンは「タイヤの皮むき」として使用するつもりであり、実質は#83、84の2台体制である。

予選フロントロウは初日に、GTP優先で決まる。雨となった予選でポールを決めたのは#6ヨーストのボブ・ウォレク。
2番手は前年の覇者、GTP仕様のジャガーXJR-12D。しかしジャガーはもう1台を予選で大破し、24時間を1台で挑まなければならなくなる。
日産はタイムでは1−2−3を独占し、3−4−5番グリッドを#1、#83、#84を分け合う。

2月2日土曜日午後3時30分、46台のマシンで1991年デイトナ24時間はスタートを迎える。

(以下次号)

341 名前:CarNo.774:08/08/11 12:43:08 ID:bxaiOndi
乙です〜

342 名前:CarNo.774:08/08/17 17:53:33 ID:yvi7bbZd
乙です。
1991daytonaに星野一義はエントリーしてなかったんですね。
知らなかった。

343 名前:CarNo.774:08/10/04 18:13:23 ID:61p65Qik
日産編 其の七拾七

NPTIは実質2台のマシンに、前年ルマンに参戦した、ブラバム/ロビンソン/デイリー/アール/ミレンの5名に加え、
デイル、そして前年までのNMEレギュラーベイリー、89年ルマンに参戦したルエンダイクの計8名のドライバーに委ねた。

レース序盤は2台の日産、2台のヨースト・2台のダウアー・ダイソンのポルシェ勢、そして1台のみとなったジャガーがトップグループを形成する。
#1日産は1スティントを終えるとピットに入った。この後もタイヤの皮むきを行うためリタイヤ届けは出していない。
ピットストップのハンデで中々抜け出せなかった日産勢だが、4時間経過時点でようやく#84、#83の1−2フォーメーションを形成することになる。

344 名前:CarNo.774:08/10/04 18:25:32 ID:61p65Qik
スタート8時間時点で、トップを走行していた#84日産はオーバーヒートを起こしラジエター交換、順位を5位にまで下げる。
12時間経過時点でトップは#6ヨースト、2番手に#83日産、3番手に#7ヨースト、4番手に#16ダイソンとなりここまでが同一周回。
しかしこの直後#6ヨーストはオイルポンプのトラブルでリタイヤ、#83日産が首位に返り咲く。
しかし#83日産はブラバム搭乗中、そしてデイリー搭乗中にコース上に落ちていたクラッシュ車の破片を踏みフロントカウルやドアを傷めるという不運に遭い後退する。
代わって首位に立ったのは序盤からマイペースで走っていた#7ヨースト。スタートから14時間20分後のことである。

345 名前:CarNo.774:08/10/04 18:38:30 ID:61p65Qik
しかし#84もラジエター交換後はハイペースで追い上げ、15時間半時点でトップに返り咲いた。
しかしその後リアアクスルの交換で1時間のストップ、再スタート後1時間後にエンジンマウントが壊れリタイヤに終ってしまう。

結局#83が18周遅れで2位完走。Cカーによるデイトナ制覇は成らなかった。
優勝は#7ヨースト。

優勝を逃したとは言え、NPTIは3度目のデイトナ参戦で初の完走。不運なトラブルに見舞われたとは言え、「91年ルマンへのテスト」と割り切れば上々の結果だと言えただろう。
少なくともコース上では間違いなく日産R90CKは「最速」だった。
そして今までで最高のポイントを獲得してデイトナを後にすることになったのである。

1991年ル・マン制覇に向けて、日産は上々のスタートを切った、はずであった…。

(以下次号)

346 名前:CarNo.774:08/10/04 22:59:23 ID:UvpCMZNq
乙です

347 名前:CarNo.774:08/10/11 00:56:14 ID:3+L3WF4a
91年はデイトナ参戦、X12開発開始、JSPC激戦&王者獲得、そして勝てるはずだったル・マン欠場か…。
そう言や空飛んだのもこの年だなw

348 名前:CarNo.774:08/11/02 18:25:43 ID:AspkFXNB
保守

だれかLM95の動画持ってないかねえ・・・

349 名前:CarNo.774:08/11/03 13:51:50 ID:eeJlqmhT
日産編 其の七拾八

さて、ル・マン参戦が未確定のままスタートした1991年シーズンの体制について述べていこう。
カテゴリー1(3.5リッターNA)の開発も前年末から始まり、エンジンはV12、シャシーはNPTIで開発されることが決まっていたが、この件については後述する。

1991年シーズン最大のトピックは、ついに完全自社製マシン、R91CPの投入である。90年末には早くもシェイクダウンを終えている。
半自社製だったR90CPをベースに、日産自社製のカーボンモノコックに、R90CP同様鈴鹿実隆デザインのカウルを纏う。
R90CPとの外観の相違は少ないが、カウル後部にNAマシンのような大きなエアダクト(リアブレーキ冷却用)が取りつけられ、
給油口がリアカウル部分からモノコック部分に、右のミラーが埋め込みフェンダーミラーからドアミラーに変わったことくらいしか、ぱっと見の外観の相違点はない。

このマシンをJSPC開幕戦から投入する。ル・マン制覇への最終兵器となるかもしれない…。

350 名前:CarNo.774:08/11/03 13:58:48 ID:eeJlqmhT
次に大きなトピックは、フロムAノバの日産陣営参画である。
もはや世界最強部類に入るポルシェ使いと言えたノバだが、この年から日産R90CKで参戦することに。
マシンは前年NMEが使用した6号車と、新車状態の7号車の2台(1台をTカーとして使用)。
ノバがローラの輸入代理店であったと言うことも影響していただろう。
日産+ノバの組み合わせは、ワークスのニスモさえ食ってしまうことを期待できるものであった。

1991年、日産はニスモワークス2台、チームルマン1台(和田/岡田)、フロムA1台(中谷/バイドラー)の4台体制で挑むこととなった。

351 名前:CarNo.774:08/11/03 14:30:36 ID:eeJlqmhT
1991年シーズン開幕戦は3月9、10日の富士500km。
このレースR91CPを使うのは#23カルソニック号のみで、前年チャンピオン#1YHP号はR90CPのまま。ただしYHP号もタイヤはBSとなった。
チームルマンは前年同様R89C。次戦富士1000kmからR90CPへチェンジの予定である。

9日の予選でポールを取ったのは、デビュー戦となるR91CPを駆る星野。コースレコードとなる1.16.081をマークする。
トヨタ勢は、SWC不参加ということで、この年のJSPCには常時3台体制を敷くが、91年用シャシーは間に合わず全車90C-V。



352 名前:CarNo.774:08/11/03 14:31:52 ID:eeJlqmhT
10日の決勝は#23R91CPが序盤から独走する。しかし中盤ドアが半開きになるというマイナートラブルでペースダウン、トップを#1に奪われる。
しかしその#1もオロフソンのピットイン時、周回数が足りないと言うことでもう1回ピットインするドタバタ。
そうした中でもレース終盤は日産が1−2−3−4体制を固めるなどトヨタを圧倒。
#1が燃料系トラブルで遅れたこともあり、#36ミノルタトヨタが3位に浮上し日産勢の表彰台独占とはならなかったが、このレースを支配したのは完全に日産だった。

序盤のハイペースがたたり、ペースの上がらない首位カルソニック日産を終盤フロムA日産が猛追する。
わずか1秒017差でカルソニックが逃げ切り日産は1−2フィニッシュ。
R91CPはデビューウィン、フロムAノバは初の日産車のレースで2位と日産にとっては完勝と言えるレースとなった。



353 名前:CarNo.774:08/11/03 14:32:35 ID:eeJlqmhT
しかしこれだけ最高の開幕戦を迎えながら、依然日産のル・マン参戦は未確定だった。
現場としては参加すれば勝てる自信はおおいにあっただろうが…。
このレースには町田は顔を出していなかった。もう日産のレース統括責任者でなく、左遷された一介のサラリーマンである…。
「なぜ戦ってくれなかったんだ…」、そう思う記者も多かった…。

4月には鈴鹿でSWC開幕戦が行われる。しかしこのレースに日産の参戦予定はなかった。
次のレースは5月の富士1000km。この頃までにはル・マンへの参加・不参加は決まっているだろう…。

(以下次号)


354 名前:CarNo.774:08/11/03 21:16:05 ID:31fkE/6y
いつも乙です。

最近のFIAはF1に参戦しているメーカーにルマンに目を向けさせる
ようなレギュレーション改正ばかり実施しようとしてますな。
GJ!FIA

355 名前:CarNo.774:08/11/06 11:53:02 ID:cAcVgne5
乙です

356 名前:CarNo.774:08/11/17 15:53:12 ID:cDByNqX+
今日始めてきました。
実は当時の日産、R89C〜90の熱狂ファンでした。
当時の情熱と情報、記憶をこの板で補完させていただきました!
ありがとう!!
先日、R89C 23号車ミニカーをゲット!
毎晩眺めながら胸を篤くし、酒の力をかりて目頭を押さえています。

357 名前:CarNo.774:08/11/24 12:07:15 ID:mc56PsM+
日産編 其の七拾九

さて、前述した日産の91年ル・マン欠場と被るが、その流れを再び整理したい。
3月28日、SWCへのエントリーがあまりに不足したFIAは、SWCにシリーズ参戦していないメーカーの参戦も可能と発表する。
日産のル・マン参戦の道が開かれたのである。しかし当然ながらシリーズ参戦している他のメーカーは猛反発、1週間後にこの発表は反故にされてしまう。
海千山千の欧州モータースポーツ界の重鎮と渡り合える町田が、もしこの時日産に残っていたら…。

358 名前:CarNo.774:08/11/24 12:15:03 ID:mc56PsM+
FIAも日産に一方的「意地悪」をしていたわけではない。
4月12日に予選で開幕するSWC開幕戦鈴鹿の前日までにエントリー締め切りを延ばすと。
予選だけでも走ればよい。欧州ラウンドはクラージュあたりに昨年型マシンを貸与しエントリーすればよい。そしてル・マンにのみ全力投球すれば…。

前年までの「何が何でもル・マンを制覇する」という熱気に溢れた日産なら、このような決定をしたであろう。
しかしNPTIからの再三の要望もありながら日産はエントリーを済まさなかった。4月11日、日産の91年ル・マン欠場が正式に決定したのである。
出れば確実に優勝を狙えるマシンを擁しながら…。欧州のジャーナリストには理解不能な日産の決定であった。

359 名前:CarNo.774:08/11/24 12:25:47 ID:mc56PsM+
4月14日、SWC鈴鹿開幕戦。出走わずか15台。全年の34台の半分以下である。
それ以前に日本サイドが、このレースを「どうでもいいと」思っていたのは、同日に冨士でF3000が開催されていたこと。
ビッグレースの同日開催など常識的にはありえないことである。

1982年以来、多くの注目を集めてきたスポーツカーの世界選手権日本ラウンドだったが、
トヨタ・日産の欠場が濃厚になった時点でJAFにとってもどうでもいいレースに成り下がったのであろう。
ジャガー、プジョー、メルセデスのニューマシンがお目見えするとは言え、ファンの注目は鈴鹿より富士に集った。
主催者発表で鈴鹿4万5千人、富士6万5千人。世界選手権が国内選手権より集客できない状態だったのである。

360 名前:CarNo.774:08/11/24 12:33:13 ID:mc56PsM+
鈴鹿のレース自体は大いに注目できる内容ではあった。
注目の的はなんと言っても「スポーツカーの歴史を変える」ニューマシン、ジャガーXJR−14。
コンセプトは「2座席屋根付きカウル付きF1」。これを見てプジョー監督ジャン・トッドはプジョー905のエボリューションモデル開発を決意する。
決勝のタイムが、前年のターボ車の予選タイムを上回る圧倒的速さを見せたXJR−14だったが、トラブルで後退。
優勝はプジョー905。参戦3戦目での初優勝である。
この時地味に6位に入賞していたマツダ787Bにどれだけの人物が注目しただろうか…?

361 名前:CarNo.774:08/11/24 12:42:18 ID:mc56PsM+
(なおSWCはこの年、最終戦として日本で2戦目となるオートポリスでも開催されたが、この時も富士のF3000と同日開催、FのSWCに対する態度がよくわかる)

ル・マン欠場が決まった日産の次のレースはGWの富士1000km。
毎年このレースは「ル・マンへの前哨戦」として注目される。しかしこの年はル・マンに遠征するメーカーはマツダのみとなってしまった…。
しかしトヨタのニューマシン91C-X、サンテックからジャガーXJR−11、チームフェデコからスパイス(ル・マン遠征も決定)の参戦も決まっており、
注目度は高いレースではあった。事実決勝の動員は主催者発表で63,200人。SWC鈴鹿をはるかに上回る大観衆が富士のグランドスタンドを埋めた。
世界選手権<国内選手権、普通に考えればどうみても異常である。

362 名前:CarNo.774:08/11/24 13:03:54 ID:mc56PsM+
予選でPPを獲得したのは、このレースからR91CPを投入した#1YHPの長谷見。1.15.188のコースレコード。
以下デンソーサード、カルソニック日産、ミノルタトヨタ、エッソトヨタがコースレコードをマーク、ル・マンに出場しないTNのワークスマシンがグリッドを分ける。

だが決勝レースは完全に日産のもの。終盤までカルソニックとYHPが争う。
首位のまま終盤を迎えたカルソニックだが、4回目のピット時の給油時間が短く、最後のピットストップでペナルティ、首位をYHPに奪われる。
最後はカルソニック鈴木利男と、YHPオロフソンの、セカンドドライバー同士の「スプリント」レースである。
224周レースの残り20周を切った215周目、ついにカルソニックがYHPを抜き去りトップに立つ。しかしオロフソンも負けていない。
翌216周目、今度はYHPがカルソニックを抜き返す。1コーナーではフェンダー同士が軽く接触する。
218周目、再びカルソニックがYHPを抜き去り、結局このJSPC史上に残る「スプリント」はカルソニックが制す。
林正義スポーツエンジン開発室長曰く「うちはチームオーダーなんてケチなもんは出しませんから」。
チーム内どころかメーカー内でもオーダー出しまくりの現在のSGTとは隔世の感がある。

ニスモの1−2、3位にミノルタトヨタが入った。これが「ル・マンの前哨戦」なら最高の結果だったのだろうが…。
このレースでも2周遅れで地味にマツダが6位に入賞している。しかしこれに注目した人は少なかっただろう。
しかしル・マンにはトヨタ・日産は出ない。ポルシェは100kgのハンデを負う。流れは密かにマツダに傾いていたのである。
それにどれだけの人が気づいていたか…?

363 名前:CarNo.774:08/11/24 13:22:53 ID:mc56PsM+
さて、幻となってしまった91年日産のル・マンだが、現場が最後まで用意していた体制を書いておこう。

まずニスモからR91CP1台(+Tカー1台)、アメリカのNPTIからR90CK2台(+Tカー1台)、ワークスは3台である。
これにチームルマンのR90CP、フロムAノバのR90CKが加わる。
計5台(Tカー含め7台)。前年からNMEが消えているが、それでも前年に負けない体制は用意できていた。
それだけに参戦していればと日産陣営は悔やんでも悔やみきれない91年ル・マンとなるのだが…。

91年ル・マン24時間、6月22日に決勝がスタートする。そこに日産はいなかった…。

(以下次号)

364 名前:CarNo.774:08/11/26 02:13:06 ID:vKiGMizN
乙!

365 名前:CarNo.774:08/11/27 23:30:43 ID:bTsQq5c5
乙です

366 名前:CarNo.774:08/12/30 11:29:29 ID:3bDeGMaV
日産編 其の八拾

91年ル・マン、日産は参加しないにも関わらず、フォードシケイン、メインスタンド、そして日産シケインには日産の大きな広告看板が出ていた。
最後まで日産に「出たい」と考える勢力もあった証だろう。
参加台数は38台。戦後最低である…。

レースはご承知のとおり、マツダが日本車初の優勝を遂げる。独走していたメルセデスC11が20時間目に潰れ、マツダに優勝が転がり込んだ。
メルセデスのトラブルは、ハンデ重量増に伴う燃費対策で空燃比を薄くしたためのオーバーヒートで、ある意味必然であった。
マツダも決してタナボタではなかったと言えよう。

この年のル・マンは、序盤だけ快走したハンデ付メルセデス>マツダ>ハンデ付ジャガーXJR12と、速さの序列がはっきりしていた。
もしここに日産がいたら…。

367 名前:CarNo.774:08/12/30 11:38:50 ID:3bDeGMaV
(訂正)この年のル・マンは、序盤だけ快走したプジョーを除けば、ハンデ付メルセデス>マツダ>ハンデ付ジャガーXJR12と、速さの序列がはっきりしていた。
もしここに日産がいたら…。

歴史に「たら・れば」はないと言うが、あえて日産が91年ル・マンに出ていればというシミュレーションをしてみよう。
この年の日産のマシンは、ミッション、ブレーキの改良、タイヤのグッドイヤー化で、前年と同じ900kgならタイムは8秒アップするシミュレーションができていたと言う。
100kgのハンデで5秒落ち。差し引き3秒のアップ。予想されるベストタイムは3分37秒台。メルセデスはシューマッハが3分35秒台、他の2台が38秒台。
速さだけならメルセデスと日産が互角だったと言えよう。
しかも日産/ニスモはこの1年でチーム力を格段にあげている。
レースはメルセデスと日産の一騎打ちで進行することが予想される。

368 名前:CarNo.774:08/12/30 11:49:34 ID:3bDeGMaV
そして結果的にはメルセデスはトラブルを抱え後退することになる。
もし日産がノントラブルで走りきれば優勝出来たことになるだろう。
もちろん重量増によるトラブルが日産にも起きないとは限らない。
日産にトラブルが起きればマツダ優勝、起きなければ日産優勝、これが91年、日産がル・マンに出場した場合のシミュレーションである。

しかしシミュレーションはあくまでシミュレーション。91年日産がル・マンに出場していればという仮定は永遠の謎となってしまった。
ただし日産が一番ル・マン制覇に近い位置にいたのが(その後も含めて)91年だったのは間違いない。
最大のチャンスを自ら葬り去ってしまった日産。マツダの優勝を日産陣営はどのような目で見ていたのだろうか?

369 名前:CarNo.774:08/12/30 11:56:30 ID:3bDeGMaV
日本車初のル・マン制覇と言う目標を奪われてしまった日産陣営。
その後のJSPC後半戦も消化試合になってしまった感もある。

しかしこの年のJSPC後半戦は、トヨタ・日産の激突でより一層盛り上がることとなる。
そして日産は「ル・マンの仇」を翌年のデイトナで討つことになるのである。

(以下次号)

370 名前:CarNo.774:08/12/31 20:02:41 ID:M0wiSoyN
乙です

371 名前:CarNo.774:09/01/02 02:49:49 ID:+CiTQHBQ
>>366
理論空燃比より燃料を薄くすれば、
シリンダー内の温度は下がるよ。

372 名前:CarNo.774:09/01/02 03:35:08 ID:+CiTQHBQ
正確には燃焼温度だな。

373 名前:CarNo.774:09/01/05 13:32:55 ID:36Lfmh8t
>>371-372
空燃比薄くすると燃焼温度の低下以上に燃料の気化冷却が減るので実際には温度は上昇します

374 名前:CarNo.774:09/01/25 13:31:39 ID:ixKl5CW4
日産編 其の八拾壱

ル・マンから1ヵ月後の7月20,21日、JSPC第3戦富士500マイルが開催された。
このレースの主役は、JSPC2連勝し、ホスト(SCCN主催)でもある日産ではなく、もちろんル・マンを制覇したマツダ787Bである。
F1と日程も被らなかったため、現役F1パイロットでル・マンウィナーであるハーバート、ガショーも来日しドライブする(バイドラーはフロムA日産)。
まさにマツダの凱旋レースである。

375 名前:CarNo.774:09/01/25 13:42:44 ID:ixKl5CW4
このレースで日産は、レースの結果以外で目立ってしまうことになる…。

20日の予選でポールを獲得したのはサードトヨタのラッツェンバーガー。1.15.701。トヨタはこの2ヶ月半のインターバルで大幅にシャシーの改良を進めていた。
フロムA日産もこのレースからSWCジャガーのような2枚刃ウィングを使用している。
決勝スタート時は気温35度、路面温度は50度を超える灼熱地獄であった。
序盤はポールのデンソーサードを先頭に、#37エッソトヨタ、#1YHP日産、#23カルソニック日産、#27フロムA、#36ミノルタトヨタと、
トヨタ・日産ががっぷり四つを組む。

12周め、日産に最初のアクシデントが襲う。7番手走行中の#25伊太利屋日産が、1コーナーで宙に舞い横転炎上、幸いドライバーの和田は自力で脱出した。
直後を走っていた#201マツダ787Bのハーバートは1コーナーにマシンを止め救出に向かう、
2年前の同じ500マイルでのバリラ、フーシェのような勇気ある行動である。
このため#201マツダは2周のビハインドを背負ってしまうことに。

376 名前:CarNo.774:09/01/25 13:52:05 ID:ixKl5CW4
レース折り返し時点での90周め、トップはカルソニック、2番手にわずか4秒3差でミノルタ、以下エッソ、YHPと続く。
このままカルソニックの開幕3連勝となるのか…。

105周め、日産勢に再びアクシデントが。長谷見がドライブするYHPがストレートで宙を舞い1コーナーで大クラッシュ。
まるで伊太利屋日産のビデオを見るような光景である。幸い長谷見は自力で脱出し無事だったが、ここでYHPも戦線離脱。
日産のアクシデントはなおも続く。3回目のピットインからのスタート時、スターターマグネットが熱でダメージを背負いスタートできない。
これも前年の燃料系のベーパーロックを思い出させるアクシデントである。このトラブルでトップはミノルタに奪われることになる。

377 名前:CarNo.774:09/01/25 13:59:26 ID:ixKl5CW4
その後カルソニックはコンマ6秒までミノルタを追い上げるシーンがあったが、結局10秒差で優勝を奪われ2位となる。
開幕3連勝はならなかった。トヨタの逆襲の開始である。3位は1周遅れでエッソトヨタ。
そして4位にはなんと3周遅れで#201マツダ787Bが入った。序盤のビハインドがなければ充分3位表彰台を狙えただろう。
ソフトタイヤをF1パイロットは充分に使いこなし、トヨタ・日産と渡り合えるペースでレースを走りきったのである。
こう言っては何だが、マツダはドライバーさえ充分な戦力が整えば、JSPCでもトヨタ・日産と互角に戦えたのではないのだろうか?

378 名前:CarNo.774:09/01/25 14:07:07 ID:ixKl5CW4
ル・マン凱旋と言えば、フェデコスパイスも7位に入賞している。ル・マンでは12位で完走し、カテゴリー1クラス優勝を遂げているマシンである。
しかしスポンサーの不祥事でフェデコスパイスが見れたのは、このレースが最後になってしまった…。

開幕連勝を止められた日産。しかしこれだけでは終わらなかった。ここからトヨタの底力を感じる逆襲を、日産は充分以上に体感することになってしまうのである。
この時、このレースに集まった7万1千人の大観衆はどれだけそれを予想できただろうか?
トヨタvs日産の激闘の第2幕は始まったばかりであった。

(以下次号)

379 名前:CarNo.774:09/01/25 20:50:44 ID:xH+mBGKN
乙です!

1991年 富士500マイル
ttp://jp.youtube.com/watch?v=-gIuVPKrm9I&feature=related
ttp://jp.youtube.com/watch?v=fif3Neh1Suw

380 名前:CarNo.774:09/01/25 21:32:58 ID:2UJyHCce
>>379
ワザモノにうpできませんか?

381 名前:CarNo.774:09/02/01 12:47:05 ID:U0l3asB4
日産編 其の八拾弐

JSPC第4戦は、前戦から1ヵ月後の8月24〜25日、伝統の鈴鹿1000km。
スポンサーの不祥事でル・マンクラス優勝フェデコスパイスがエントリーを取り消し、総エントリーはわずか12台である…。

予選では#37エッソトヨタのリースがポール獲得。1.47.376のコースレコード。#38デンソーサードが2番手につきトヨタがフロントロウを独占した。
3番手もミノルタとトヨタの予選は1−2−3となる。
日産勢は前回クラッシュした#1YHPがR90CPで、#25伊太利屋がR89Cでのエントリーとなった。


382 名前:CarNo.774:09/02/01 12:58:29 ID:U0l3asB4
決勝当日は気温27度、路面温度28度ど前戦富士500マイルの灼熱地獄が嘘のようなコンディション。
序盤は#37エッソがトップをキープ、#38デンソーが続き、#23カルソニック日産が3番手に浮上する。
その後デンソーがトップを奪い、2番手にもカルソニックが浮上、3番手に#27フロムA日産がつける。フロムAは19周目にはカルソニックを交わし2番手に浮上する。

絶好調だったフロムA日産だが、1回目のピットストップで不運が襲う。漏れた燃料に火がつき炎につつまれる。
これで約90秒のタイムロス。序盤のマージンを吐き出してしまう。その後好ペースで追い上げただけになんとももったいないロスであった。
1回目のピットを終え、順位は#23、#38、#36、#37、#1、#27と続く。

383 名前:CarNo.774:09/02/01 13:14:17 ID:U0l3asB4
その後34周目にエッソがガソリンタンクにクラックが入りリタイヤ。
序盤からペースを守って終盤勝負ををかけていた前回優勝ミノルタが111周目にフロントサスペンション毀損。
ピットには戻れたが、優勝争いから脱落してしまう。
これでレースは#23カルソニックと#38デンソーの一騎打ちとなる。1回目のピット以降、この2車の1−2体制が延々と続く。
この模様を星野は「もう耐久じゃない。ピットインの度に30周ごとのスプリントをやっているようなもの」と述べている。
149周め、最後のピットアウト時、両車の差は21秒490だった。
ここからデンソーの猛追がはじまり、残り10周の161周目時点では10秒582に縮まっていた。
162周目、ついに10秒差を切り8秒572。この直後ドラマが起きる。

384 名前:CarNo.774:09/02/01 13:25:05 ID:U0l3asB4
1コーナーで鈴木利男駆るカルソニックがスピンコースアウト。
しかしこれは利男がプレッシャーからくるミスではなかった。左リアサスペンションアームの毀損だった。
ギリギリのレースがマシンにストレスを与えたのか…。

これで敵のいなくなったデンソーが余裕のクルージングで優勝を決める。
2位には同一周回でフロムA日産が入る。序盤の炎上がなければ…、と惜しまれる。
ドライバーの中谷は「エンジンの中で燃やさなきゃいけない燃料をピットで燃やしてしまった」と悔やむ。
3位は90で淡々と走った#1YHPが入った。

これでトヨタと日産は2勝ずつ。シーズン序盤の日産のワンサイドから完全な互角のレースとなった。
シリーズは残り3戦。トヨタ・日産の激突は益々激化していくことになる。

(以下次号)

385 名前:CarNo.774:09/02/02 09:33:51 ID:8La7mNHt
乙彼〜

386 名前:CarNo.774:09/02/03 10:26:16 ID:DPq6VTY7
乙です。
'91SUZUKA1000km懐かしい。
TVで観てGr.Cにはまるきっかけになったレースだな。
日産派だったからCALSONICの1コーナークラッシュはショックだった。

387 名前:CarNo.774:09/03/14 19:36:03 ID:BpridjgD
日産編 其の八拾参

2勝2敗でトヨタ・日産が迎えたJSPC第5戦は9月14,15日の菅生。
14日の予選は台風で中断。翌15日早朝に予選が行われた。
まだ前日の雨の残るウェットコンディションの中、トップタイムをマークしたのはスティーブン・アンドスカーの日石ポルシェ。
アンドスカーにとっては初、そしてポルシェにとっては88年WEC以来の3年ぶりのポールである。

さてドライになった決勝でまず飛び出したのが、フロムA日産。1コーナーでトップに立つ、しかしこの時フロムAは日石ポルシェと接触。
左側ドアが浮き上がってしまいオレンジボールが出され5周目にピットイン。最下位に転落する。
これで10周目過ぎにはトヨタの1−2−3フォーメーションが出来上がり、これはレース中盤までキープされる。



388 名前:CarNo.774:09/03/14 19:51:38 ID:BpridjgD
日産勢と言えば、ここまでポイントリーダーのカルソニックがまず脱落。
鈴木利男が「フロントがガタつく」とメカニックに指示するが原因が分からない。
ブレーキローターを交換して出て行くが1周して戻ってくる。フロントサスをそっくり返し出て行くがこれで完全に脱落してしまった。
原因はホイールベアリングに破損。カルソニックは2戦連続のトラブルである。

レース中盤を迎えトヨタの1−2−3は磐石だった。しかしトヨタにも魔の手が。
#38デンソーはバッテリーを交換し大きく順位を落とす。予選時のクラッシュが原因らしい。
ポイントランキングトップに立つ絶好のチャンスだった#ミノルタもコースアウトし大きく後退。

こうして#37エッソの独走体制となったレースだが、これに猛然とチャージをかけたのが1度の余計なピットインと2度のスピンで遅れたフロムA日産である。


389 名前:CarNo.774:09/03/14 20:03:58 ID:BpridjgD
135周のレース中、100周目に48.6秒あった2台の差は、110周目に35.3秒、
120周目に21.5秒と20周で約27秒も縮める。2台には1周2秒以上のビハインドがあった。
さすがに#37エッソもペースを上げ、最後は6秒差まで詰められながらも135周のレースを制覇した。

これでトヨタは3連勝。メイクスポイントで日産の1点差まで迫り、ドライバーズでは関谷/小河組は星野/鈴木組と並んだ。
91年JSPCの展開は残り2戦、まったく予測の付かない状態になったのである。

390 名前:CarNo.774:09/03/14 20:13:57 ID:BpridjgD
それにしてももったいなかったのがフロムA日産である。今回のレースの「最速」マシンは間違いなくフロムAであった。
まさに世界最強プライベーターと呼ぶに相応しいノバエンジニアリングである。
前戦に続き、マイナートラブルによってポディウムの中央を獲ることが適わなかったが…。
なにしろトラブルフリーで走りきったワークスの#1YHPを抑えての2位入賞である。
フロムA日産の初優勝は、JSPCが続く限り時間の問題のように思えたが…。
フロムAはトップと4点差。チャンピオンを狙える位置にいるのだ。

91年JSPC、残り2戦は富士と菅生。果たして最後に笑うのはトヨタか日産(ニスモ)かフロムAか?
神のみぞ知る。


391 名前:CarNo.774:09/03/14 20:16:27 ID:BpridjgD
(以下次号)

392 名前:CarNo.774:09/03/17 04:59:20 ID:0Uk7DFw7
乙です〜

393 名前:CarNo.774:09/03/17 11:15:26 ID:ylf5NOXN
乙です。
出版して欲しいくらいだ。

394 名前:CarNo.774:09/04/18 21:14:29 ID:Z4aWtb80
日産編 其の八拾四


91年JSPC第6戦はインターチャレンジ富士1000km。「インター」の名は付くが海外からのエントリーはない。
これまでトヨタ3勝、日産2勝。シリーズポイントはドライバーズが星野/鈴木と関谷/小河が55ポイントで並び、メイクスポイントが日産85ポイント、トヨタ84ポイントと僅かに日産がリード。
まさにがっぷり四つの体制でこの第6戦を迎えた。

トヨタ・日産の激突は予選から始まった。ターゲットタイムは長谷見のコースレコード1分15秒188。
結果は#36ミノルタトヨタ(1分14秒523)、#38サードトヨタ(1分14秒940)と2台のトヨタ91C−Vがコースレコードをマークしフロントロウ独占。
練習中に14秒台を出した日産は予選時にはタイヤとのマッチングが合わずコースレコードをクリアできず#1YHP、#23カルソニックが3,4番手に留まる。

395 名前:CarNo.774:09/04/18 21:39:25 ID:Z4aWtb80
翌決勝日は朝から今にも雨が降り出しそうな雲行き。そしてスタート前から雨が降り出しウェットコンディションとなる。
スタート時は小降りとなり各車カットスリックで行くかインターミディエイトで行くか準備に追われることになる。

スタートで飛び出したのは#23カルソニック。それと同時に#37エッソトヨタが壁に激突するクラッシュ。トヨタ陣営は1台失うことに。
1周目のオーダーは#23カルソニック、#38デンソーサード、#27フロムA、#36ミノルタ、#1YHPと続いた。
5周目にスピンし4番手まで#23は後退するが、10周を終えると雨は上がりインターミディエイトをチョイスした#23がペースアップしていく。
トップに立った#38だが、その直後第1コーナーでスピン、スロー走行でピットに戻るがサスペンショントラブルでリタイヤ。序盤でトヨタ勢は2台失う羽目に陥った。
17周目にトップに復帰した#23は、1回目のピットインまでそのポジションを守る。雨は止み、各車スリックをチョイスしコースに復帰する。
#23は快調で、52周目には#27フロムAを周回遅れにし、早くも同一周回は#36ミノルタのみとなった。
2回目のピットストップを迎えるころ、再び強い雨が降りだし、#1YHPがその犠牲になり100Rでクラッシュ、リタイヤしてしまう。これで長谷見の連覇は無くなった。
#1撤去のため77周目にペースカーが入り、10秒以上あった#23の#36に対するマージンは消滅した。

396 名前:CarNo.774:09/04/18 22:00:35 ID:Z4aWtb80
次の犠牲車は#27フロムA。81周目の再スタートでハイドロプレーニングでコントロールを失いウォールに激突。リタイヤとなる。
これで優勝争いは完全に#23と#36に絞られた。
これで83周目に再びペースカーが入る。一旦ペースカーは戻るものの、ストレートにストップした2台撤去のため3度目のペースカーランが94周目から。
#23は17秒のマージンを失う。
102周目にレースは再開、3秒以上早いペースで猛然と#36を突き放す#23だが、今度は123周目霧で4回目のペースカー。56秒のマージンが帳消しに。
度重なるアクシデントで主催者側は224周のレースを168周に短縮すると発表。これなら全日本選手権フルポイントが与えられる。
#36ミノルタはクラッチトラブルを抱えており、ペースカーが入らない限り#23に追いつく余力は無かった。161周目には30秒にまで差が広がった。
そしてラスト2周でジャガーがクラッシュし、赤旗中断。ここでレースは成立した。
5度もペースカーが入り、その度にマージンを失ったカルソニックだが、コース上では最速で結果的には完勝だった。


397 名前:CarNo.774:09/04/18 22:10:15 ID:Z4aWtb80
3位にはペナルティを受け後退した日石ポルシェに変わり#202レナウンチャージマツダ787Bが入った。
マツダ初のJSPC表彰台である。

レース距離の75%の168周を走破しなかったため、レース直後はフルポイント与えられるか不明だったが、10月28日のJAFの審査委員会でフルポイントと決まった。
これでドライバーズポイントは星野/鈴木組が関谷/小河組を5ポイントリード、メイクスポイントは日産がトヨタを6ポイントリードして、最終第7戦菅生500マイルを迎えることになった。
トヨタ3勝、日産3勝、ポイント差もごく僅か。シリーズの行方は混沌としたままである。
そしてこのチャンピオン争いに微妙に関わるゲストが菅生500マイルに登場することになるのだ…。

(以下次号)


398 名前:CarNo.774:09/04/18 22:30:13 ID:gCnOd0XA
乙です!

399 名前:CarNo.774:09/05/16 21:28:42 ID:HSJ1TTBN
すいません。家族が体調崩し週末はあまりネットできません(平日はもちろん)。
なるべく早く連載再開します。

400 名前:CarNo.774:09/05/20 05:14:59 ID:xDLsa2gD
連載再開、気長に待ってます

401 名前:CarNo.774:09/05/31 11:10:02 ID:38t3dcCM
日産編 其の八拾五


91年JSPC最終戦菅生500マイルの前週、オートポリスでSWC最終戦が開催された。
このレースにはトヨタの3.5リッターNAマシン、TS010が参戦した。3.5リッターNAのワークスマシンが、ジャガー、プジョー、メルセデス、トヨタと4車揃ったのである。
しかしそれもこのレースが最初で最後になった。翌年ジャガー、メルセデスは撤退してしまう…。
レースはメルセデスC291のシューマッハ/ベンドリンガー組が優勝。メルセデスC291の最初で最後の優勝となった。
このレースが何より不可解だったのは、同日に富士でF3000が開催されていたこと。ビッグレースの同日開催など常識ではありえない。
4月の鈴鹿同様、トヨタ・日産の出場しないSWCをどうでもいいレースとみなしていたJAFの姿勢が見てとれる。


402 名前:CarNo.774:09/05/31 11:31:22 ID:38t3dcCM
さて、菅生500マイルである。このレースには前週SWCを戦ったジャガーXJR−14が2台急遽参戦することが決まった。
430qレース用に開発され、しかも燃費規制のないマシンが、800q、燃費規定ありのレースを制することができるのか…?

注目のチャンピオン争いだが、前戦富士がフルポイントと決まったため、ドライバーズでポイントリーダー星野/鈴木組と関谷/小河組の差は5ポイント、メイクスで日産とトヨタの差は6ポイントとなった。
日産はトヨタが優勝しても2位に入ればドライバー/メイクスの2冠が決まる。トヨタは1−2を取るしかない。そこにジャガーが割り込むことに…。

11月2日予選、ジャガーの2台は圧倒的タイムでフロントロウを独占した。ポールのファビのタイムは1分06秒514。Cカーのレコードを5秒も更新したばかりか、F3000のタイムも上回るコースレコードとなった。
(そしてこのレコードは18年経った今でも破られていない!)
以下3〜5位がトヨタ、6〜8位が日産となった。

403 名前:CarNo.774:09/05/31 11:52:54 ID:38t3dcCM
翌3日決勝。スタートでは予選4番手のデンソーサードトヨタがターボパワーの加速を生かしジャガーの2台を抜き去りトップに浮上する。
しかしこの奮闘も5周目まで。ジャガーはS字でトップを奪い返す。その後はジャガー2台のまさしく独演会。異次元のタイムでトヨタ、日産のターボ車を引き離して行く。
37周目にはジャガー2台が全車を周回遅れにしてしまう。

序盤に接触で遅れた#36ミノルタトヨタだが、1回目のピットインを早く済ませ給油量を減らし、ジャガーに次ぐ3位に浮上した。一方で序盤トップを快走したサードは23周でデフトラブルでリタイヤとなる。
ミノルタが3位に浮上したが、チャンピオンを狙う#23カルソニック日産がその直後4番手に付ける。このポジションをキープできればチャンピオンは日産のものとなる。
順位は終盤までこのままで推移する。変化が訪れたのは残り18周の198周目、2番手を走る#18マルティニ/クロスノフ組ジャガーがデフトラブルでピットイン、修理で大きく後退する。
これで1位#17ジャガー、2位ミノルタトヨタ、3位カルソニック日産となる。このままでも日産のチャンピオンは揺るがない。
結局#17ジャガーは2位以下を4周引き離す独走で優勝、以下ミノルタ、カルソニックと続き、チャンピオン争いはドライバーズ2ポイント差、メイクス3ポイント差の僅差で日産の二冠達成となった。





404 名前:CarNo.774:09/05/31 12:04:53 ID:38t3dcCM
ジャガーXJR−14は、未踏の800qを走りきり、特殊燃料が使えない環境でも圧倒的速さを見せ、燃費規制もクリアした。
翌年JSPCにフル参戦となれば完全にシリーズを席捲してしまうのでは?何よりル・マンの優勝候補筆頭となるであろう。しかしこれはジャガーのSWC撤退でどちらも露と消えてしまうのだが…。

91年JSPCは最後にジャガーと言う異次元の侵略者が現れたとは言え、完全にトヨタVS日産の一騎打ちで、僅差で日産が2年連続タイトル獲得となったわけである。
星野も利男もレース後、そのプレッシャーが大きかったことについて語っていた。
しかし既にデビュー戦を終えたトヨタの3.5リットルNAマシンに対し、日産はまだシェイクダウンも済ませていなかった。果たして翌年に間に合うのか…?

次回ではその日産の3.5リットルNA、V型12気筒エンジンの開発状況について書く。

(以下次号)

405 名前:CarNo.774:09/06/03 06:54:13 ID:HvmPSXo6
乙です

406 名前:CarNo.774:09/06/03 09:20:51 ID:FhFemgMR
乙です!
いよいよVRT35かぁ。
楽しみだ。

407 名前:CarNo.774:09/06/06 21:56:42 ID:OWENtIfF
>>404
1992年のル・マン24時間レースに、
マツダスピードがXJR−14のシャシーに
ジャッドGVを載せた車を出場させたが、
優勝候補筆答などというハナシはなかったよ。

408 名前:CarNo.774:09/06/06 22:32:11 ID:KCfWE2yu
あのままジャガーXJR−14が出てたらダントツの優勝候補だったろ。
TWRのマネジメントとフォードHBを舐めちゃいかん。

409 名前:CarNo.774:09/06/09 04:52:25 ID:zSuLXk9Z
当時、この時点ではメルセデスもTWRもSWC撤退を表明してなかったしね

410 名前:CarNo.774:09/06/11 21:45:11 ID:+M0egNnP
>>408
あのまま出ていたらって?
ジャガーは、XJR−12が競争力を保っていたから1991年も参戦したんでしょ。
小規模で、従業員を大量に解雇しなければならないような自動車メーカーが、
新しい規定のエンジンを載せた車による選手権をF1の前哨戦と考えて資金を投入している
ベンツとプジョーを相手に選手権を闘うなんて常識では考えられない。
1992年以降の世界選手権に参戦の予定など無く、1991年シーズン終了後に予定通り撤退したのでしょ。

フォードHBってなに?
HBエンジンをベースとした24時間レース用のエンジンをつくる計画があったの?

24時間回すエンジンを専用に設計するなら、
ピストン速度、振動を考えて8気筒はどうなんしょう。

シリンダー数が多ければ燃焼間隔が等しくならないことは問題になりにくいが、
8気筒はどうなんでしょう。 24時間回すエンジンで。

411 名前:CarNo.774:09/06/11 22:25:05 ID:au+7SXsA
>>410
もう少し当時の情勢お勉強してから書き込んだ方がいいよ

412 名前:CarNo.774:09/06/15 22:30:59 ID:8dUEFKJI
>>410
こんな香ばしい奴が来るなんて久しぶりだな。

413 名前:CarNo.774:09/07/28 22:22:28 ID:i46vGUeA
父が亡くなったため、色々忙しく連載中断しています。
全国4名の読者のため、連載は近々再開する予定です。もうしばらくお待ちください。

414 名前:CarNo.774:09/07/28 23:29:57 ID:/ruA0N9u
>>413
つ菊

415 名前:CarNo.774:09/07/29 19:56:59 ID:u8VZALxo
乙です

416 名前:CarNo.774:09/08/08 21:42:29 ID:It0bj4dP
日産編 其の八拾六


さて、今回は時計の針を戻し、日産の3.5リットルNAエンジン、VRT35について書く。
F1に3.5リットルNAエンジンが導入されたのは1987年シーズンから。そして1989年にターボは廃止され、完全にNAエンジンに一本化された。

グループCにも3.5リットルNAエンジン導入が決まったのは1988年。このFIAの政策によりプジョーがグループC参入を決めることになる。
F1同様、2年間の猶予を起き、1991年から3.5リットルNAに一本化となる。しかし実際には過剰なハンデを背負う条件ながら、従来の排気量無制限燃料使用総量規制のある旧グループCは1991年一杯まで存続することになる。

日産はターボエンジンでのル・マン制覇計画を進める傍ら、1991年以降のグループCのため、3.5リットルNAエンジンの開発もしなければならなくなったのである。


417 名前:CarNo.774:09/08/08 21:54:08 ID:It0bj4dP
日産がNAエンジンの開発をスタートしたのは1989年秋のことであった。
FIAの新規定には懐疑的な日本のメーカー関係者も多かった。日産ではスポーツ車両開発センターの町田がその急先鋒であった。
一方で同じ日産社内でも、究極のターボエンジンを開発した、スポーツエンジン開発室の林は、むしろ新規定に賛成の立場であった。
そして新規定のエンジンのレイアウトとしてV型12気筒を迷わず選択する。
この時期はターボエンジンのVRH35の開発も続けていたから、まさに二足のわらじを履いていたことになる。

選択されたバンク角は70度。これは当初はターボのR89C同様、ストレスマウントを意識していたためである。
エンジンに実際に火入れが行われたのは1990年12月のことである。

418 名前:CarNo.774:09/08/08 22:11:25 ID:It0bj4dP
このエンジンを搭載するシャシーについて、R89Cの時と同様、日産は様々なコンストラクターとコンタクトを取った。
その中にはマクラーレンやウィリアムズも含まれていた。
最終的に選ばれたのが、NPTIであった。しかしNPTIにストレスマウントの経験はなく、結局セミストレスマウントとなる。

エンジンは火入れの直後の1991年1月にアメリカに送られ、NPTIが購入したインディカーのシャシーに搭載され開発されることになった。
スパイスのシャシーを購入してテストすることも念頭にあったようだが、オープンホイールの方がメンテナンスに有利と言うことで、このような選択となった。

林はこのV型12気筒に2種類のスペックを用意した。予選用と決勝用である。
そしてこの予選仕様エンジンはF1で使うことも念頭に置いていたと後に語っている。
F1を意識したニューマチックバルブ仕様も密かに開発されベンチの上で動いていた。
このVRT35の燃焼室の形を、林は「18歳の女子高生のオッパイ」と、とんでもない比喩を使って説明している。
昨今なら問題になった可能性も…。

419 名前:CarNo.774:09/08/08 22:22:50 ID:It0bj4dP
1991年は、インディカーのローラシャシーに搭載されて開発し、NPTIの製作したCカーのシャシーに搭載されて
シェイクダウンが行われたのは1992年4月のことである。(その直前の3月にエンジンの公開が行われている)
NPTI製のシャシーには「P35」と言うコードネームが付けられた。1992年のSWC、ル・マンには間に合わなかったが、翌1993年のIMSA−GTP、JSPC、そしてル・マン参戦を念頭に置いてあると発表された。

以降、1992年シーズンを通してNPTIにより、このP35並びにVRT35エンジンは開発されて行くことになる。
しかしこのプロジェクトも日産自動車の業績悪化のため、この年の末に突如中止となる。かつてのR383のように…。
日産のグループCプロジェクトの中止に関しては、項をあらためる。

次回は、「究極のターボエンジン」VRH35Zによる、デイトナ24時間制覇について述べていく。

(以下次号)

420 名前:CarNo.774:09/08/09 22:59:48 ID:LE/4QO1F
いつも乙です

421 名前:CarNo.774:09/08/15 23:47:41 ID:fKPzOimZ
18歳じゃなくて14歳っていう記憶ががが
どっちでも大差ないがw

422 名前:CarNo.774:09/10/12 15:18:56 ID:ZS8MwXwB
日産編 其の八拾七


1992年シーズンの幕開けは、前年ニスモが湾岸戦争のため参加できなかったデイトナ24時間である。
このレースに日産は5台ものCカー/GTPを参戦させた。

地元NPTIは前年と同じR90CKの3台体制で、1台はタイヤの皮むきとバックアップ用。
日本からはニスモから長谷見/星野/鈴木利男のR91CP、フロムAからバイドラー/マルティニ/クロスノフのR90CKである。
NPTIはシリーズポイント獲得のため、R90CKをGTP仕様にしての参戦である。VRH35Zエンジンは3.5リットルから3.0リットルにスケールダウンされた。
日本からの2台はグループC仕様のままである。

予選では、1列目がGTPに優先的にキープされる。しかしニスモは果敢にタイムアタックを敢行した。
しかしターボからインタークーラーにつながるホースが緩みブースト圧が上がらず3番手のタイムに留まった。
NPTIは決勝に重点を置き予選タイムアタックはそれほど行わなかった。5,6,9番手のタイムである。
ポールポジションはイーグルトヨタ。2番手にターボ仕様のジャガーXJR−16が付けた。


423 名前:CarNo.774:09/10/12 15:32:25 ID:ZS8MwXwB
決勝を前にNPTIではトラブルが生じた。#83と#1に燃料タンクに亀裂が発見されたのである。
このためそれまでの#84を#83に、トラブルの症状の軽かった#1を#84として登録し直した。このため両車ともグリッドはGTP/グループCの最後尾の13,14番手からのスタートとなった。

決勝を前にターボ仕様のジャガーXJR−16がトラブルでスタートできず。
ニスモのR91CPは実質2番手グリッドからのスタートとなった。

2月1日午後3時過ぎ、決勝レースがスタートした。
オープニングラップの最終コーナーでポールスタートのイーグルトヨタを交わすと、ニスモのR91CPは早くも独走体制に入る。
3時間を経過し102周した時点で依然トップは#23R91CP、以下#83NPTIR90CK、#2ジャガーXJR−12(NA)、
#30ヨーストポルシェ、#84NPTIR90CK、#7ヨーストポルシェ、#27フロムA日産と続いた。
しかしこの後フロムAはトラブルで後退していく。NPTIの#84もピットレーン出口でガードレールにクラッシュ、リタイヤとなる。


424 名前:CarNo.774:09/10/12 15:47:47 ID:ZS8MwXwB
レーススタートから8時間を過ぎた午後11時22分、NPTIのもう1台#83がエンジントラブルでストップ。
一時はニスモを抜いてトップに立ったNPTIだが、ここでレースを終え、再び#23がトップに立つ。
ジャガーはクラッシュやミッショントラブルで遅れ、ニスモを追うのは2台のヨーストのみとなった。

一方ですべて順調に来ていた#23ニスモにもマイナートラブルが訪れた。水温の上昇をテレメトリーシステムが伝えた。
この原因究明には少し時間が必要だった。結論は、コース上のオイル、砂、タイヤカスがラジエーターの表面に付着し充分な冷却が行われなかったこと。
このためニスモ車はピットインの度にフロントカウルを外しラジエーターの清掃を行うことになった。
このためピットストップ時間が30秒ほど長くなる。徐々に2台のヨーストに差をつめられていくことになる。

425 名前:CarNo.774:09/10/12 16:04:38 ID:ZS8MwXwB
しかし午前1時過ぎに#7が、午前7時過ぎには#30がストップ。2台のヨーストポルシェが消えた後には#23を脅かすものはいなくなった。
2位のシュパンポルシェとは15周以上の差があったのである。残り8時間をクルージングすれば良いだけであった。
その後シュパンポルシェをジャガーが交わし2位に浮上するもニスモは安泰。
結局762周の大会新記録のおまけをつけて#23日産R91CPが優勝する。GTSクラスの300ZX、GTUクラスの240SXを従えてのデイトナフィニッシュであった。
日本車、日本人(長谷見/星野/利男)初のデイトナ制覇である。
前年にスパ24時間をスカイラインGT−Rで制覇したニスモにとって、世界3大24時間レースのうち2つを制覇したことになる。残りはル・マンなのだが…。

前年ル・マンに参加できなかった鬱憤を晴らすようなニスモの完勝であった。
全762ラップ中、#23以外がトップに立ったのは、#30ヨーストの2周、#83の91周のみ。まさに完勝である。
実はこの762ラップもまだ延ばせる余地はあった。しかし来年度以降背負わされるハンデを考え、ギリギリ新記録(それまでは90年ジャガーの761周)を立てるだけに押さえ、
意図的にペースダウンしていたのである。

残る目標はル・マンだけになったと言ってよい日産/ニスモ。しかしその道は果てしなく険しいものであった…。

(以下次号)

426 名前:CarNo.774:09/10/26 00:15:34 ID:zVQAwGy6
グループCではなく
LMクラスでは?

427 名前:CarNo.774:10/01/11 17:56:10 ID:1w+Lw6z/
日産編 其の八拾八


デイトナからの帰国直後、日産の92年活動計画が発表される。
特徴的だったのは、国際的には既に2年前に終了してしまった燃費既定グループC(カテゴリー2)にニューマシンを投入し、ワークス活動を続行すること。
トヨタはJSPCのワークス活動を停止し、カテゴリー2のニューマシンも用意しなかった。マツダはJSPCもワークス活動をカテゴリー1に完全に切り替えた。
この時点で日産の92年JSPC制覇は見えてきてしまったと言えるのではないか。(ただしこの年はカテゴリー1、2別々にタイトルが与えられた)

トヨタもマツダもワークス活動はカテゴリー1(3.5リットルNA)に集中することにしていた。
一方で日産はカテゴリー2のワークス活動を続行する傍ら、カテゴリー1のニューマシン開発と言う二足の草鞋を履く事になった。
日産のカテゴリー1はこの年もSWC/ル・マンに間に合わず、シェイクダウンを済ませるのは5月のことである。
相手のいないJSPCでカテゴリー2の王者を目指すより、カテゴリー1の開発に集中するべきではなかったか…?


428 名前:CarNo.774:10/01/11 18:09:22 ID:1w+Lw6z/
既にバブルが崩壊し、JSPCも参加台数の減少が深刻になっていた。
そのためこの年、日産はサテライトチームを1台増やし、チームテイクワンにもマシンを提供することになった。
これで全5台の体制でJSPCに挑むはずであったが、チームルマンはスポンサーの獲得ができず、この年は不参加になってしまう。
結局前年と同じ4台体制(ニスモ2台、フロムA、テイクワン)と言うことになった。

日産4台、トヨタ3台、マツダ3台、計10台がこの年のレギュラー出走台数である。不況は深刻化していた。
マツダのカテゴリー1(MX−R01)が思ったような成績を残せず、トヨタもワークス活動を停止(トムス、サード、トラストのプライベート参戦)した状況の中、
92年用のカテゴリー2ニューマシンR92CPを投入した日産のワンサイドゲームになることが予想され、実際そのようになった。

次の項ではその日産の完全制覇となった92年JSPCについて述べていく。

(以下次号)

429 名前:CarNo.774:10/01/15 12:16:10 ID:teM/LRho
乙です

430 名前:CarNo.774:10/02/21 14:21:38 ID:OftN6bQx
日産編 其の八拾九

1992年のJSPCの開幕戦は鈴鹿500qである。3年前からWSPC(SWC)に組み込まれていたこの時期の鈴鹿戦であるが、この年は鈴鹿1000qがSWCに組み込まれたたため、
4年ぶりに「鈴鹿500q」が復活となった。富士3戦、鈴鹿、菅生、そして美祢が加わりこの年のJSPCは全6戦となる。

そして結果から言えば、旧来の燃費規定カテゴリー2(C−1クラス)では日産は6戦6勝の完勝となる。特に前半4戦中3戦でフロントロウを独占する完勝ぶりであった。
開幕戦の鈴鹿に集まったマシンは僅か9台。ポルシェが戦闘力を失い、バブル崩壊もあってのこの状況である。JSPC自体の存亡が危うくなる状況であった。
開幕戦にはカテゴリー1(Cクラス)のマツダMX−R01も参戦したため、昨年の菅生のジャガーXJR−14のように圧倒的タイムでPPを獲得すると思われたが8位に留まる予想外。
PPは長谷見の日産R92CPでタイムは1分45秒456。従来のタイムを2秒上回るタイムである。
2番手に日産が来なかったことが日産陣営にとって唯一の想定外か。トラストトヨタ、エッソトヨタ、カルソニック日産、キッツサードトヨタ、フロムA日産と上位6台がコースレコードを更新した。



431 名前:CarNo.774:10/02/21 14:38:56 ID:OftN6bQx
開幕戦はパラパラと雨が降る天候。各チームタイヤ選択に頭を悩ませるがほとんどのチームがインターミディエイトを選択。#39サードのみカットスリックを選択した。
レースは10周目には雨もやみ、インターミディエイトでスタートした各車がいつスリックに交換するかがカギとなった。
ディフェンディングチャンピオンの#1カルソニック日産は1周目のスプーンでクラッシュし大きく後退し勝負権を失う。しかしその後ファスティストラップを出し、最下位で完走しポイントを得ている。
18周目にピットインした#24YHP、27周目まで引っ張った#27フロムAが結果的に優勝を争い、僅か7秒差でYHPが逃げ切り優勝を遂げる。日産の連勝街道の始まりである。
YHPは長谷見/クロスノフ/影山の新メンバーでの初優勝である。

上位5台が同一ラップと、台数は少ないが内容の濃い開幕戦であった。

432 名前:CarNo.774:10/02/21 15:03:11 ID:OftN6bQx
第2戦はGWの富士1000q。この伝統のレースも前戦から1台(マツダ767B/フォード)加わっただけで10台。過去最低台数である。
金曜日の練習走行では13秒台を出していた日産。予選ではそこまで行かずも、1分14秒088(星野)、14秒226(長谷見)とフロントロウを独占する。
ちなみにこのレコードは、富士スピードウェイが大改修される2003年まで保たれた。

決勝は序盤長谷見が飛び出し、それを星野が追う展開、ながら今回は長谷見がミス。5周目のAコーナーでコースアウトし、後にオフィシャルの手で復帰するものの大きく遅れてしまう。
序盤の17秒台のハイペースから落ち着いたレースは、トップに#36エッソトヨタが浮上し、それを#1カルソニックが追う展開となる。
しかしトラブルは次々とトヨタ勢を襲う。トラストとサードはデフトラブルでリタイヤ、トップを走行していたエッソも2速と4速ギヤを失い大きくポジションダウンしてしまう。
こうなるとトップカルソニック日産に脅威は無くなる。終盤はクルージングダウンする余裕でチェッカーを受ける。
それでも前年のタイムを8分も縮める大幅なタイムアップである。

433 名前:CarNo.774:10/02/21 15:12:09 ID:OftN6bQx
2位にはこの年から新規参戦の#61コクヨテイクワン日産。3位に#27フロムA日産。4位にYHPと日産勢は1−2−3−4フィニッシュを達成する!
本来であれば、このGWの富士1000qの先にはル・マンがあるのだが、日産はこの年も参戦しない。
一方でマツダは今回参戦したMX−R01(リタイヤ)、トヨタはプライベートとしてカテゴリー2でトラストとサードが参戦する。
日産も過去のものとなったカテゴリー2でJSPCにワークス参戦するよりも、カテゴリー1でSWC/ル・マン24時間に参戦する道を選ぶことができなかったのであろうか?

完勝した日産がル・マンに遠征しない皮肉な結果となってしまったのである。

(以下次号)

434 名前:CarNo.774:10/03/18 22:51:19 ID:WBjSkeL2
乙です

435 名前:CarNo.774:10/04/18 15:00:10 ID:Cbjms0Ov
日産編 九拾


富士1000kmを終えると例年各メーカーがル・マン遠征の準備に追われるのだが、この年は日産だけは無縁だった。
6月20〜21日に第60回となるル・マン24時間が開催される。SWCの不安定さの煽りを受け、戦後最低の出走28台である。
この中にトヨタ、マツダも含まれる。トヨタはJSPCを戦うトラスト、サードも参戦している。
レースの結果はプジョーの優勝、関谷も乗るNA3.5リットルV10搭載のトヨタTS010は2位に終わったが、日本人としては過去最高位である。
表彰台ではル・マン直前に亡くなった小河等の遺影を高々と掲げた。マツダMXR-01が4位。
旧来のカテゴリー2ではトラストトヨタが5位でクラス優勝する健闘。サードも9位で完走した。
JSPCのレベルの高さの証明か?


436 名前:CarNo.774:10/04/18 15:15:04 ID:Cbjms0Ov
国内耐久は、7月25〜26日の富士500マイルで再開である。
参加台数は減ってしまったが、決勝日の観衆は主催者発表で6万100人と相変わらずJSPCの人気は高かった。
予選でPPを獲得したのは長谷見のYHP日産。1分14秒445。以下カルソニック日産、フロムA日産と日産勢は上位3台を独占する。
フロムA日産は今回からへッドライトをコクピット内に移植し軽量化を進めている。

明けて決勝。序盤フロムAがリードし、終盤はトムスが猛追をしかけてくる場面もあったが、結果的には終始リードを保ったカルソニック日産が優勝を遂げた。
2位にトムス、3位にフロムA。
日産はこれで開幕3連勝となった。


437 名前:CarNo.774:10/04/18 15:31:35 ID:Cbjms0Ov
日産Cカーの次のレースはSWC鈴鹿1000q。特認でJSPC車両の参戦も認められたが、JSPCタイトルがかからないため参加したのはフロムA日産のみであった。
JSPC、SWCとも参加台数の減少に頭を痛めていた。であるならこの鈴鹿1000qをSWC、JSPCのダブルタイトルにすると言う発想は無かったのであろうか?
ル・マンウィナーのプジョーと、デイトナウィナーの日産の対決と言う、大きな見所のあるレースになったと思うのだが…。

予選ではプジョーが1−2。トヨタが3,4番手と続きフロムA日産は5番手につけた。
プジョーのタイムは4月に長谷見が出したタイムを2秒も上回る1分43秒957である。
決勝は結果から言うとプジョーが1,3位、トヨタが2位。フロムA日産が8周遅れながら4位に入賞した。
参戦しても勝つことはできなかっただろうが、ここに日産ワークスのR92CPがいたら…。

438 名前:CarNo.774:10/04/18 15:50:27 ID:Cbjms0Ov
例年JSPCである鈴鹿1000qがこの年は加わらなかったため、7月の富士500マイルから2ヶ月空いて9月12〜13日に菅生でJSPC第4戦が開催された。
予選ではまたしても日産がフロントロウ独占。ポールは長谷見、2位は星野。これで3戦連続のフロントロウ独占である。

レースは2周目に星野が長谷見を交わしトップに浮上すると、その後一度もポジションを譲らず独走で500qを駆け抜けた。
全車周回遅れにしての優勝である。2位にトムス、3位にサード、長谷見組は4位だった。
日産はこれで開幕4連勝である。SWCとの力の分散があるトヨタと比べ、JSPCに集中できる日産の方が優位だったのかもしれない。

ここでトヨタは奥の手を出す。次戦富士1000KmからSWCを戦うTS010を投入するのである。
この年のJSPCは旧来のカテゴリー2をC1クラス、新しいカテゴリー1をCクラスと別々のタイトルをかけた。
そのため厳密には直接対決とは言えないのだが、ハンデなしのガチンコバトルでカテゴリー1と2が戦うのはJSPCだけである(SWCではハンデがあった)。
カテゴリー2最強と言えるほど進化した日産R92CPと、カテゴリー1トヨタTS010の対決は、次戦富士1000Kmで実現することになる。

(以下次号)

439 名前:CarNo.774:10/04/18 22:39:15 ID:7cTLx8lO
乙です!!

440 名前:CarNo.774:10/04/25 00:16:32 ID:saNR9OuA
このまま、R390のルマンの記事もお願いします。。

441 名前:CarNo.774:10/06/02 21:36:45 ID:vPmlBUBE
こんな読み物アップルのアプリで電子書籍にするとスゲじゃない?
タップすると当時の映像、写真がリンクする代物。


442 名前:CarNo.774:10/07/18 13:07:43 ID:ypYWrl5z
日産編 九拾壱

日産のJSPC4連勝で迎えた第5戦富士1000km。この年はTMSC主催とMSCC主催で2回1000qレースが開催された。
このレースの注目は、SWCを戦うカテゴリー1トヨタTS010の参戦である。カテゴリー1と2がハンデなしで戦うのは
(鈴鹿1000qがピットストップハンデがあったため)この富士1000qが初となる。

予選では(GYの)Qタイヤを持たないトヨタTS010は平凡なタイムで終わる。
予選でポールを取ったのはエッソトヨタのラファネル。1分14秒161でレコード更新はならなかった。
12秒台突入を狙った日産勢だが、2,3番手に終わる。

443 名前:CarNo.774:10/07/18 13:18:59 ID:ypYWrl5z
果たしてカテゴリー2最強の日産R92CPはカテゴリー1のトヨタTS010に対し互角に戦えるのか?
10月4日決勝レースがスタートする。

結果から見ればカテゴリー1のトヨタTS010の圧勝であった。序盤2周目にスピンで遅れるが、その後27周目に#23カルソニック日産を交わし首位浮上。
以下は独走で1000qレースを制することになる。カテゴリー2より燃費が悪く、1回余計なピットストップがあってのこの勝利である。
燃費規定がないと言うことは、どこでもアクセルを踏んでいける。ヘアピンで周回遅れに詰まった時も、そのまま踏んでパスができる。
カテゴリー2だと燃費を気にし、いったんアクセルを緩め立ち上がりで抜いて行くしかない。

カテゴリー1にはカテゴリー1(NP35)で挑むしかないと日産陣営は感じたはずである。

444 名前:CarNo.774:10/07/18 13:31:44 ID:ypYWrl5z
レース自体はカテゴリー2(N−C1)とカテゴリー1(グループC)は別クラスである。
このクラスでは#1カルソニック日産が独走でクラス優勝しタイトル連覇を決めた。
#24YHP日産は、メインハーネスの断線と言うトラブルに見舞われ5位に終わった。

予断であるが、3位(クラス2位)に入賞した#36エッソトヨタ92C−Vについて。
リザルトを読むとクラストップの#1カルソニックと同一周回でゴールし、黄旗追い越しで1周減算とある。
しかし同一周回で#1に迫った#36は最後ガス欠で#1に周回遅れにされているはずである。
これで1周減算となれば順位は#39サードの下の4位(クラス3位)でないとおかしい。当時それを指摘する雑誌は無かったが…。

445 名前:CarNo.774:10/07/18 13:38:03 ID:ypYWrl5z
このレースによって、カテゴリー1にはカテゴリー1でなければ歯が立たないことがはっきりした。
そこで日産もついにカテゴリー1のニューマシン、NP35の投入を決める。まだ熟成は進んでいなかったが…。

トヨタ(TS010)、日産(NP35)、マツダ(MXR−01)の3メーカーのNAマシンが、次戦美祢500qに勢ぞろいすることになる。
しかしそれが最初で最後となってしまうとは…。そしてこのレースがJSPC最後のレースとなってしまうのである。

(以下次号)


446 名前:CarNo.774:10/11/21 10:51:22 ID:maEvxfiK
最近の読者です。
列伝1,2読みました。懐かしいです。
当時メディアが今ほど発達していない中、
それほど興味があったわけではなかったのでこれだけ詳しい解説のこの列伝は面白いです。
十分当時の熱気が伝わります。

Cカーとしては残りわずかの連載、楽しみにしております。

447 名前:kerokero:11/03/19 21:34:58 ID:d7rBRR7D
皆様、今晩は!
かれこれ8ヵ月投稿がないですが、いかがいたしましたでしょうか?

448 名前:kerokero:11/06/08 15:12:34 ID:ZK4yMo+u
テスト

449 名前:CarNo.774:11/07/04 17:19:23 ID:820DgPHA
Cカー好きのおっさんです。
'83年富士1000kmの木・金での練習走行で、GC、F2とは違う
迫力のスタイリング、ターボの加速を初めて間近に見て以来とりこになりました。

当時は平日ならピットは入り放題、トムス83Cの独特のタービン音、
シルビアCは全然エンジンが吹けなかったり、懐かしいです・・・
またCカー復活してほしいなぁ・・・


450 名前:CarNo.774:11/12/15 00:41:48 ID:eDKkWluP
すいません、親父が死んだり、体調壊して入院したり、付き合っていた女と別れたり、応援してるJクラブがJ2落ちとか色んなこと多すぎて一年以上後無沙汰してしまいました。
その間にレーシンゴンがムック出してしまいました。あちらはプロの本。
アマの文として近々連載再開します。

451 名前:ユニ(・・ ◆MinardiJLk :11/12/20 20:33:14 ID:Zf4KjqVI
>450
いろいろと乙であります。( TДT)⊃旦 オチャドゾー

452 名前:CarNo.774:12/02/02 15:20:27 ID:Vl6+W1EX
この前、ebayでプジョー905のボディカウルの一部ってのを落札したんだけど本物?偽物?どっちだろ
一応証明書のコピーらしきものは入っているんだけどね 実物は偽物っぽい雰囲気なんだよね

453 名前:CarNo.774:12/02/05 20:38:26 ID:Aakzg9nL
あやしいな


454 名前:CarNo.774:12/02/13 14:23:02 ID:sHLR7R8q
日産編 九拾弐

1992年11月1日、美祢でJSPCが初めて行われた。MINEインターtyレアンジカップ500kmである。
このレースにはトヨタ(TS010)、マツダ(MXR−01)、日産(NP35)と初めて3社のカテゴリー1マシンが揃うことになった。
しかしそれが最初で最後となることはわかっていたが(後述)、JSPC最後のレースになってしまうとはこの時点では誰も知らない。
F1日本GPで「ホンダラストラン」が行われた翌日の10月25日、マツダは翌年以降のル・マン/SWC等のグループCレースからの撤退を発表した。
ホンダのF1撤退に続きマツダもル・マン撤退。当時のバブル崩壊後の厳しい経済状態の表れである。そしてこれに日産が続くことになるとは(一部の人を除き)まだ誰も知らない。

455 名前:CarNo.774:12/02/13 14:41:14 ID:sHLR7R8q
ここでレースの前に今回がデビュー戦となり、結果的には最後のレースとなってしまう日産NP35について語らなければならない。
カテゴリー1用V型12気筒3.5リットルNAエンジン「VRT35]が発表されたのは92年3月(前述)。91年秋には1号エンジンがアメリカに送られインディカーに搭載されテストされている。
シャシーに関しては、R89Cの時と同様、様々なコンストラクターとコンタクトを取った。マクラーレン、ウィリアムズ、ペンスキー…。そうした中で選ばれたのが、90年より日産の子会社となったエレクトラモーティブ→NPTIであった。
NPTIでは88年から自社製のシャシーを走らせ、この当時もオリジナルのIMSA−GTPマシンを走らせていたからである。
こうしてNPTIが開発したマシン「P35」がシェイクダウンを果たしたのは92年4月、カールスバッドである。
外観は当時IMSA−GTPを走っていた「NPT91」と酷似していたが、コクピット両サイドが低められ、リアウィングが独立形状になっていたのが大きな相違点である。
このマシンはR89C以降特徴的であったストレスマウント方式を採用しないセミストレスマウントであった。
そして1号車はアルミモノコック、2、3号車はアルミとカーボンのハイブリッドモノコックであった。

456 名前:CarNo.774:12/02/13 15:05:13 ID:sHLR7R8q
設計はトレバーハリス。IMSAマシンと同様である。ボディデザインは当時IMSA・JSPC用のマシンをデザインしていた鈴鹿美隆である。
このP35を92年シーズン、IMSAを戦う傍ら、NPTIはテストを重ねて行く。このテストには鈴木利男も参加している。

そしてこのP35をベースに日本サイドで製作されたのが「NP35」である。日産内製のフルカーボンモノコックを採用した純国産マシンである。
JSPC最終戦を控えた10月19日追浜工場で、鈴木利男の手によりシェイクダウン。21日、菅生でテストが行われた。利男曰く「P35より剛性がしっかりしている」と。
タイムは1分15秒台。前年のジャガーの1分8秒台に比べると大きく落ちるタイムである。これは水野和敏監督曰く「美祢用のセッティング、スプリングも合わなかった」と。
まだまだNP35は実戦レベルまでは熟成されていない。

それでもあくまで「開発テストを兼ねた参戦」と言うことで、急ごしらえの感は否めない。
前年、SWC最終戦にエントリーしたトヨタTS010は夏にシェイクダウンを行って熟成しており、SWC最終戦オートポリスでは5い入賞とまずまずの結果を残した。
しかし日産のNP35は10日前にシェイクダウンしたばかり。レースになるとは関係者は誰も思っていなかっただろう。
しかしこの「強行参戦」が無ければNP35は1度もレースに出ることなく終わってしまうことになってしまうところだったのだ…。
(以下次号)


457 名前:CarNo.774:12/02/13 22:24:57 ID:Qi6Ud1Ys
復活を感謝してます

458 名前:CarNo.774:12/05/28 16:51:02 ID:heS3gsdl
日産編九拾参

1992年10月31日、MINE初の、そして結果的には最後のJSPCになってしまう、MINE500qの予選が開始される。
このレース、トヨタは2台のTS010を持ち込んだ。1台はESSOカラーとなり、
2台ともトヨタチームトムスからのワークスエントリー。
7号車デンソー号には若手アーヴァイン/ジャック・ビルニューブ/トム・クリステンセンが駆る。
後にF1/ル・マンで大活躍する若獅子である。
従来エッソカラーの92C−Vで臨んだマシンはトムスカラーとなりトムスからのプライベート扱い。



459 名前:CarNo.774:12/05/28 16:51:57 ID:heS3gsdl
トリッキーなMINEのコースでは、カテゴリー1が有利と思われたが、グッドイヤーは予選タイヤは用意せず、2台のTS010はそれぞれ3位、7位と精彩を欠く。
注目の#23NP35は最後尾スタート…。
PPは星野の#1日産R92CP。カテゴリー2としては最早世界最強のマシンと言って良い。タイムは1分13秒160。
トリッキーなMINEながら、F3000のレコード1分13秒032とそん色無い。
今回NP35に利男が乗るため、コ・ドライバーは(「あの」事故以来久々のCカードライブとなる)和田孝夫である。
日産ワークスのマシンに乗るのも88年ル・マン以来。
2番手はこの2年間、「勝てそうで勝てない」レースが続いた#27フロムA日産。
以下#7デンソーTS010、#24YHP日産、#39キッツトヨタ、#8トムストヨタと続き、本命視された#36エッソトヨタTS010。以下#5マツダMXR−01、#61コクヨテイクワン日産、#99トラストトヨタと続き#23NP35が最後尾。

そして翌11月1日、「最後の」JSPCがスタートする。



460 名前:CarNo.774:12/05/28 17:22:32 ID:heS3gsdl
155周の決勝スタート時は雨。#24が浅溝を選んだ以外、他車はすべて「標準」のウェット。
しかしグッドイヤーにはミディアム1種類しかない。断然有利なはずだったTS010勢に暗雲が。
レースはPPの星野/カルソニック日産が飛び出し、マウロ・マルティニのフロムA日産が追う。トップ2台が他を離して行く。
37周目、マルティニが単独スピン。木曜のテストから好調で「今度こそ」と思われたフロムAがまたも勝利の女神から見放される。
レース中盤雨もやみ、青空が見えだす。ラインが乾きはじめ、各車スリックへと交換する。70周目にマツダがピットイン。エンジンアースの断線。
「最後」のレースを満足に走り切ることはできなかった(以来マツダのワークスマシンは姿を消す)。



461 名前:CarNo.774:12/05/28 17:23:10 ID:heS3gsdl
最後の焦点は「ターボvsNA」#1日産と#36トヨタのクラスの異なるマシン同士の総合争いである。
74周目には66秒あった差がじわじわ縮まり、ついに95周目、第2コーナーでパスする。
103周目に3度目のピットインをした#1日産は和田から星野にチェンジ。ゴールを目指す。
燃費の悪い#36トヨタは残り2回のルーティーンピットインが必要であり、両者の逆転も考えられた。
ラスト10周で#36トヨタがピットインし、再び#1カルソニックがトップに立つ。
しかしドライではここMINEではカテゴリー1と2では勝負にならない。「特に総合は意識しなかった」
と言う星野は147周目に#36トヨタに首位を明け渡す。このままゴール。
3位にはスピンで大きく遅れたフロムA日産。あのスピンさえ無ければ…。

注目の#23NP35は、94周目にシフトが入らなくなるトラブルで修復に追われるが、何とか最後尾で完走。
「テスト」参加としては上々だったかもしれない。しかしこれが「最後」のレースとなるとは、この時は誰も知らない…。


462 名前:CarNo.774:12/05/28 17:34:23 ID:heS3gsdl
結局92年JSPCは、ニスモが6戦6勝の完勝であった。(うちクラス優勝2度)
トヨタはSWCのTS010にリソースが回り、JSPCは「プライベート」扱いの活動であった。そこがトヨタと日産の違いであったかもしれない。
カテゴリー2のトヨタはこの年のル・マンにも遠征しており、トラストが総合5位の大金星をあげているのだ。

カテゴリー1とカテゴリー2がハンデ無しでガチンコ勝負が出来たのは、唯一JSPCだけであったが、カテゴリー2最強の日産でもカテゴリー1(最強では無く、この年のSWCチャンピオンはプジョー)の
トヨタとは勝負にならなかった。日産もカテゴリー2のJSPCはプライベート扱いにし、カテゴリー1の日産NP35の開発にもっと本腰を入れるべきでは無かったのではないか?

そして誰もが期待した93年SWC&JSPCのトヨタTS010対日産NP35の対決は実現しないまま終わるのである…。
(以下次号)


463 名前:CarNo.774:12/05/28 17:42:32 ID:heS3gsdl
(追記)
結局92年JSPCは、ニスモが6戦6勝の完勝であった。(うちクラス優勝2度)
「C1クラス」(カテゴーリー2)のチャンピオンは日産/星野。2年連続のチャンピオンである。しかしこの年はカテゴリー1の「Cクラス」が別に設けられ、終盤2戦にトヨタTS010が参戦したことで、クラス成立。
当然のようにチャンピオンはトヨタ、ドライバーズはジェフ・リースのものとなった。日産との直接対決には勝てなかったが、83年以来、トヨタのCカー初タイトルである。

トヨタはSWCのTS010にリソースが回り、JSPCは「プライベート」扱いの活動であった。そこがトヨタと日産の違いであったかもしれない。
カテゴリー2のトヨタはこの年のル・マンにも遠征しており、トラストが総合5位の大金星をあげているのだ。

カテゴリー1とカテゴリー2がハンデ無しでガチンコ勝負が出来たのは、唯一JSPCだけであったが、カテゴリー2最強の日産でもカテゴリー1(最強では無く、この年のSWCチャンピオンはプジョー)の
トヨタとは勝負にならなかった。日産もカテゴリー2のJSPCはプライベート扱いにし、カテゴリー1の日産NP35の開発にもっと本腰を入れるべきでは無かったのではないか?

そして誰もが期待した93年SWC&JSPCのトヨタTS010対日産NP35の対決は実現しないまま終わるのである…。
(以下次号)


464 名前:CarNo.774:12/06/20 00:08:24 ID:9kpmKx4Q
>>459
1992年のJSPCが開催されたコースで
3.5スポーツカー(FIAスポーツカー規定)がナショナルC1に対して有利な順
SUGO‐鈴鹿‐美祢‐富士

低い速度から加速する箇所が多いコースは3.5スポーツカー有利とは言えない。
1990年のWSPCでカテゴリー1エンジンを搭載したスパイスが活躍したのは
速度をあまり落とさなくてもいいコース。


>>463
1990年中頃は一時的な景気の後退だと考えていた人も多かったが、
1991年に入って多くの人が事態は深刻であると悟った。

日産が1992年の世界選手権とル・マン24時間の参戦を取りやめたのは妥当。



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