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Cカー列伝アーカイブ

1 名前:CarNo.774:04/06/06 22:58
ルマンウィーク突入記念

2 名前:CarNo.774:04/06/06 22:59
・ポルシェ編

ルマン初参加の1951年から20年目にて917で初優勝(1970年)。翌年は未だに破られない総走行距離レコードを立て連覇。
しかし翌年から917はレギュレーション変更で参加できずワークスポルシェも不参加。翌73年、プロトでなく市販車改造のカレラRSRでワークスは復帰した。
マトラ、フェラーリのプロト勢を相手に4位の大健闘を見せる。73年にはルマン史上初のターボマシン、カレラRSRターボで参加、マトラに次ぐ第2位の快挙を成し遂げる。これが後の935のベースとなった。
オイルショックで75年は欠場し、76年、プロト(936)、G5(936)の両面作戦でエントリー(LMPとGT1でエントリーした99年のように)。ルノーとの死闘だったが5年ぶりの勝利をあげる。
翌77年もルノーを返り討ちにし連覇、78年ついにルノーがワークスポルシェを破って優勝した。優勝こそできなかったが935の78年仕様、通称「モビーディック」はまさにその名に相応しい独特のボディワークでタミヤのプラモで御覧になった方も多いと思う。

79年、ルノーが撤退したためポルシェも当初はワークスチームを送りこむ予定がなかったが、エセックス石油がスポンサーとなり936でエントリー(この年唯一のワークス)。
当然楽勝と思われたがライバル不在で気が抜けたかトラブルで自滅。優勝はなんとクレマーの935(ちなみに2位にポールニューマンが入った)。「ポルシェの敵はポルシェ」はこの年から現実となる。
他のワークスよりプライベートポルシェこそポルシェ最大のライバルたりえた。
80年はトップカテゴリーにワークスを送りこまず924カレラでエントリー。6位と健闘。
81年、ポルシェワークスは936でトップカテに復帰するが、従来と違うのはそのエンジン。排気量制限がなくなったため、インディ仕様(結局実戦には出なかったが)ベースの空水冷2.65Lターボエンジンを搭載していた。
つまり屋根がないとは言えこのマシンは翌年から世界中を席巻することとなるCカー「956」のベースとも言えるマシン。
他にワークスがなく2位に14周もの大差をつけて優勝した。この後に続く7連覇への第一歩となる。

3 名前:CarNo.774:04/06/06 23:01
82年、グループC規定が導入され、ついに不朽の名車956がデビューする。
新規定に合わせフォードもCカーを投入、ランチャは旧G6規定のマシンを投入。
ワークス以外でもロンドー、ローラ、マーチ、ザウバー、WMなどのコンストラクターもC規定のマシンを開発、投入した。

しかしそれも所詮ポルシェ956の敵ではなく、初のルマンを1−2−3フィニッシュで終える。
翌83年フォードワークスは撤退、ワークスチームはポルシェとランチャのみ。他のプライベートコンストラクターも
自らのマシン開発を諦め、「市販」された956でエントリーするマシンが激増した。
この年ワークスが優勝する一方、プラーベートも含めた956が9位までを独占する。
84年、この年はワークスポルシェはレギュレーション改訂におけるFIAの不手際に抗議し「欠席」。
それでもポルシェは勝った。唯一の「ワークス」ランチャ(予選は1−2)でさえプライベーターの956にも勝てなかった。
優勝はヨースト。後に「世界最強プライベーター」と呼ばれるチームの記念すべきルマン初優勝である。

4 名前:CarNo.774:04/06/06 23:03
85年、ワークスポルシェも復帰する。前年のジャガー(グループ44)に続き、ザウバーメルセデス、トムストヨタも初登場したが、
ポルシェのライバルたるにはまだ力不足であった。
しかし優勝したのは「楽勝」のはずのワークス・ロスマンズポルシェ(この年から962C)でなく、ヨーストのニューマンポルシェ。
なんと前年の同一マシンであった。ついにプライベーターがワークスを破ったのである。
86年、ついにポルシェにライバルたりえる「ワークス」が登場した。TWRジャガーである。この年もワークス×ヨーストのポルシェ対決であったがジャガーがポルシェ最大のライバルになるのは時間の問題であった。
87年、WSPCシリーズではもはやワークスポルシェでさえジャガーを追うことはできなかった。しかしルマンだけは特別。
この年、ワークスポルシェは予選で1台クラッシュで失い、本選でも序盤に粗悪ガソリンの影響で早々に1台がリタイヤ。わずか1台で残り23時間をジャガー3台と戦わなければならなくなる。誰の目にもジャガー優性であった。
しかしルマンは一筋縄ではない。1台また1台とジャガーは脱落し、終ってみればまたもワークスポルシェの勝利。しかしこのレースの後ポルシェワークスはWSPCからの撤退を決定する。962Cに変わる新マシン開発のためである。
ジャガーに苦戦したポルシェは、当時参加しはじめていたCART用のV8エンジンをベースにニューCカーを開発する予定であった。
しかしグループCでもF1同様ターボ禁止の方向になり、このプロジェクトはオクラ入り。
ポルシェではニューマシンでなくボッシュの新燃料供給システムを搭載する962Cでジャガーを迎え撃つことに。

5 名前:CarNo.774:04/06/06 23:05
88年ルマンはジャガーに加えメルセデスもついにワークス宣言し参戦、3メーカーが合い見舞えることとなる。
メルセデスは予選のタイヤトラブルで撤退するが、ポルシェ対ジャガーの2大ワークス対決は歴史に残る名勝負となる。
予選ではターボエンジンの利点を生かし、ポルシェが前年を6秒も上回る予選タイムをマーク。
決勝でも序盤から「24時間のスプリント」レースの展開。しかしワークスポルシェのエース車が日没前燃料ポンプの不調でガス欠状態になり
コース上でストップ。セルモーターを回しながらなんとかピットに戻るが大きく遅れてしまう。その後脅威の追い上げを見せレース終盤には同一ラップにまで持ちこむがそこまで。
394周しての同一周回での決着はまさに歴史に残る死闘であったがポルシェはついに破れたのである。
このルマンでの激闘を最後にワークスポルシェはグループC活動から休止、のはずであったが最後にもう一戦だけ活動した。
それが富士スピードウェイでのWEC−JAPANである。
見た目はJSPCを走るチームシュパンのオムロンカラーであるが、正真証明ポルシェAGからのエントリー。ドライバーはK・ニーツビッツとP・コブ。
(H・スタックはケガで欠場)
ついにポルシェ、ジャガー、メルセデスの3大ワークスの激突が実現した。
レースでは序盤のパンクで遅れ、またしてもジャガーに次ぐ2位に終る。そしてこのレースを最後にワークスポルシェはしばし休止。
その「正式」な復帰は96年のルマンまで待たなければいけない。

(以下次号)

6 名前:CarNo.774:04/06/08 22:24
グループC活動中、Cカーと共にポルシェが投入したルマン用ワークスマシンが959をベースにした「961」。
IMSA−GTXクラスでエントリー。スカイラインGT−Rが登場する4年も前に出た「4WDレーシングカー」である。
86年は真っ白なボディで、7位入賞。直線では日本のCカーをぶちぬく速さを見せた。
翌年はCカーと同じロスマンズカラーで登場。マツダ757とクラス優勝を争ったが、この年は炎上リタイヤ。連覇はならなかった。
そしてこの活動はこの年限り。同時に市販車ベースのマシンがルマンに復活するまでそれから6年かかることになる。

7 名前:CarNo.774:04/06/08 22:26
88年一杯でポルシェはグループCのワークス活動を休止し、新規定(3.5gNA)マシン開発を表明した。
新規定のエンジンは917以来のV12(あれはフラット12だが)。しかしこともあろうにポルシェはその後このユニットでF1参戦を表明する。
組むパートナーはバブルニッポンのフットワーク。当時フットワークはアローズを買収していた。この提携は単なるエンジン供給でなくエンジン開発プログラムへの支援も含まれていた。80年代中盤のTAGポルシェのように。
しかし今になってもあの時のポルシェの決定は理解に苦しむ。開発されたV12はフォーミュラー用としてはかなり骨太で、どうみてもスポーツカーエンジンそのもの。
ポルシェはCカー用に開発したエンジンをフットワークがスポンサーについたからF1に流用したと陰口を叩かれた。
実際そう言われてもしょうがない悲惨な戦績しか残せず哀れ91年シーズンの途中で撤退。ポルシェの歴史に汚点を残す。
もちろんその後F1には復帰せず、新Cカーも開発されなかった。最初から素直にV12Cカーを開発していれば…。
その後ポルシェ自体の業績不振でワークス活動からはしばらく遠ざかる。

話は前後するが、88年、ポルシェがCカーのワークス活動を停止た後も、完全にCカーの活動を停止したわけではなかった。
有力プライベーターを「隠れワークス」と言わしめるほど積極的に支援を続けていたのである。

この時期(89年)、Cカー用のタイヤはグッドイヤーが圧倒的な性能を誇っていたこともあり、GYタイヤを履くプライベートポルシェ筆頭のヨーストは、WSPCシリーズ、及びこの年シリーズから外れたルマンでメルセデス(MI)、ジャガー(DL)相手に予想外の健闘を見せる。
シリーズ第二戦ではメルセデスを破りポルシェにとって約2年ぶりの勝利。
続くルマンでは伊太利屋カラーのポルシェがあわやの大活躍。
このカーNo.9の「隠れワークス車」(ノルベルトジンガーが陣頭指揮、スタック/ウォレクがドライブ)と呼ばれ
深夜まで前年を上回るペースで周回。しかし冷却水漏れや火災で金星を逃がした(しかしジャガーを上回る3位)。

8 名前:CarNo.774:04/06/08 22:27
ポルシェは90年、ヨーストの2台をセミワークスとしてWSPCに参戦させた(ヨーストはこの他純粋プライベートの2台を含む4台でシリーズ参戦)。
しかしこの年はGYの供給を受けられずMIを使用。逆にメルセデス、ジャガーがGYの供給を受けることとなり差は広がってしまった。
ルマンでも予選で1台がクラッシュ。ヨーストは4位が最高位だった。
この年はヨーストよりむしろブルンの活躍が目だった(予選2位、決勝も残り15分まで2位を走行)。
ブルンがハイマウントウィングを選択し、ヨコハマタイヤを履いていたことも一因だろう。(ヨーストは従来のローウィング)

その後91年デイトナでの優勝を最後にポルシェは国際レースからの勝利から遠ざかる。
ワークス活動再開も96年まで待たなければならなかった。
しかし相変らずポルシェは「隠れワークス」をルマンに送り続けた。
93年、この年ルマンには6年ぶりに市販車改造のマシンが復活した。最大勢力はポルシェの911カレラRSR(NA)。
しかしその911勢の中に一際大きなウィングを持つ異彩のマシンがあった。
それが「ルマンポルシェチーム」からエントリーされたポルシェ911ターボLMである。
「ルマンポルシェチーム」とはワークスとヨーストとの混成部隊で、指揮を取るのはワークスのノルベルトジンガー。
限りなく「ワークス」に近い体制である。
このチームからエントリーされた911ターボLMは市販車と同じ空冷エンジンでなく、Cカー用の水冷3.2gターボを搭載していた。
セブリングではクラス優勝を果していた。ここルマンでもGTクラスを異次元の早さでリードするが、ラジエター破損でリタイヤとなった。

9 名前:CarNo.774:04/06/08 22:28
94年、隠れワークス「ルマンポルシェチーム」はまたまた話題を独占するマシンをルマンに送りこんだ。
正式名「ダウアー962LM・ポルシェ」。言うなれば「市販用に改造した962をレース用に改造したGT」。
どう見ても屁理屈だがレギュレーションに違反しているわけではない。
Cカーをこの年の規定で遅くしたトヨタ94C−Vのサードと激しく優勝争いをするが、幸運にも恵まれポルシェに7年ぶりの優勝をもたらした。
個人的主観だが、956/962ファミリーとして見た場合、このダウアーはもっともカッコよく見えた。とくにノーズが。
「GTみたいなプロト」と言うことに関して言えば、勝利を希求すればGTもプロトに近づいてしまい、結局はプロトに進化してしまうのは歴史の必然である。
その後のメルセデスCLK−LMやトヨタTS020に比べれば可愛いもんだ…。

翌95年、7年ぶりに「純粋ワークス」が復活することが発表された。しかしマシンは「純粋」ワークス製でなくTWRシャシーに962C用エンジンを積んだもの。
ポルシェはこのマシン(ポルシェWSC95)でデイトナとルマンにワークス参戦する予定であった。
しかしレース直前になってデイトナの主催者側は急遽エアリストリクターの口径を小さくする変更を行ったので怒ったワークスはボイコット。このプロジェクトごとオクラ入りにしてしまった。
(マシン自体は翌年ヨーストによって日の目を見る)
ちなみにその後のデイトナはクレマーポルシェが優勝してる(962のオープントップバージョン)。
ワークスの「復活」がお流れになったのは残念だったが、個人的にはポルシェに他(TWR)が作ったマシンで「ワークス」活動はしてほしくなかったのでほっとした記憶はある。
天下のポルシェにしてはあまりに安易ではないか?

ルマンにはグランドスタンド裏に博物館があり、そこでジャガーXJR−14、マツダMXR−01、ポルシェWSC95の3台の模型が飾られているディスプレイを見たことがある。
当然のことながらどれもそっくり(当然だ)。と言うよりほとんど同じ。
そのようなマシンが「ポルシェワークス」を名乗るべきではないだろう。

10 名前:CarNo.774:04/06/08 22:30
翌96年、ついに「ワークスポルシェ」が復活する。マシンは911GT1。これぞ現代に甦った「モビーディック」であった。
(第2部 完)

96年、遂に8年ぶりにワークスポルシェが復活した。
マシンは「911GT1」。その名のとおり911のGT1仕様。とは言えGT2のように市販911(当時は993モデル)をベースにしたわけではない。
「なんちゃってGT」ダウアー962よりは良心的であるとは言え(911に見える)、993のパーツを流用しているところヘッドライトとテールランプだけ。
特徴的なのはエンジン搭載位置で、911本来のリアでなくミッドシップ。
純粋なレース用ホモロゲモデルである。まさに現代に甦った「935モビーディック」。
このマシンについたスポンサーはモービル。ガルフ、エセックス、シェルとポルシェワークスは石油会社と縁が深いようである。
この年はBMWがワークスとして送り込んだマクラーレンF1−GTR(ビガッツィ)、デイトナを制したR&Sなどがルマンに参戦したが、ワークスポルシェの最大のライバルになったのが他ならぬヨーストのポルシェWSC95である。
前年「ワークス」として参加を表明しながら直前のリストリクター経変更に抗議しオクラ入りになったTWR製のマシンそのものである。
これをヨーストチームに放出し、晴れて日の目を見ることに。
レースは序盤からワークスとヨーストとの一騎討ち。しかし1台は縁石にアンダーボディをヒットし10分の修復、もう1台はスピン等で後退。
ノントラブルで走りきったヨーストが優勝した。ワークスにトラブルが無ければ或いはと言った展開だったが、85年の再現となる「ワークスを破るプライベーター」ヨーストである。
GT1とLMPが非常に実力拮抗した、絶妙のレギュレーション設定と言えた。

11 名前:CarNo.774:04/06/08 22:31
翌97年、ポルシェは911GT1をCカーの時と同様、プライベーターに供給(6台)、ワークスチームは97年型を投入した。
ボディワークの変更の他、ヘッドライトが996のものに変更された。もちろんそれ以外は市販996とは互換性のない純粋レーシングモデルである。
この年もヨーストが1台(前年優勝車そのもの)エントリーした他、BMWワークスのマクラーレンがビガッツィに代わりシュニッツァーから参戦。
日産もトップカテゴリーとしては90年以来となるR390GT1で参戦した。
しかしレースはまたしてもヨーストとワークスポルシェの一騎討ちとなった。
徐々にヨーストを離して行った2台のワークスであるが、夜明け前に1台がクラッシュ・リタイヤ、その後もトップをキープしたもう1台も残り2時間でミュルサンヌ手前でストップし炎上・リタイヤ。
またしてもヨーストがワークスを破り連覇を達成した。同一シャシーの連覇も84,85年のヨースト以来である。
2年前、自らが放出したマシンに最新のワークスマシンが破れ、ポルシェ首脳の心中は果してどうだったか?

12 名前:CarNo.774:04/06/08 22:33
98年、この年のルマンはワークスチームが5チームも参加し、久しぶりに活況を呈した。
日産R390、(ルマンには参加しなかったが)メルセデスCLK−GTRなど益々「GT」からかけ離れて行ったGT1クラスに対応するため、この年のポルシェはカーボンモノコックの生粋のレーソングマシンたる98年型911GT1を投入した。
ヘッドライトが996のものを使用しているとは言え、過去2年のモデルとは異なりもはや「911風」にすら見えないポルシェとしては962C以来のプロトタイプと言って良いマシンである。
しかしそれすらあざ笑うかのように、もはや完全なCカーと言っていいマシンをトヨタは投入。日産R390やポルシェのニューマシンなどかわいく思えてしまうほど。
メルセデスはCLK−GTRの進化型CLK−LMを投入(これもトヨタに比べればまだGTっぽい)、BMWはマクラーレンと袂を分かちウィリアムズによりオープントップのLMPを投入。
ルマンは再びプロトタイプの時代を迎えたようである。
さてワークスを打ち破り連覇を果たしたヨーストは、なぜかこの年「ワークス」の一員としてモービルカラーをまといLMPクラスでエントリーした。
(但しタイヤはGT1のMIでなく前年と同じGY)
とは言えマシンは前年と同じ年代物のWSC95である(ボディワークは新たなものに換えてありLMP98を名乗るが)。
少なくとも天下の「ワークス」ポルシェを名乗らせるべきものだったのか…。
この年の大方の予想はメルセデス、トヨタ、BMWは信頼性に不安が残り、結局最後に残るのはポルシェと日産であると言うもの。
事実、PPのメルセデス、BMWは序盤で消えた。しかしトヨタはその予想をあざ笑うかのようにポルシェ、日産を引き離して行く。
その後トヨタはトラブルを抱え後退するも圧倒的速さで首位を奪還、と言うパターンを繰り返す。レース終盤、誰もが予想しなかったトヨタの優勝はもはや確実に思われた。
しかしルマンの神様はよほどトヨタがお嫌いなようで残り1時間半の時点でギアボックストラブルでリタイヤとなる。
ポルシェは前年の不幸が今年は他のチームに降りかかり、ワークス復帰3年目にしてついに表彰台の中央に立つことになる(LMPはリタイヤ)。
ワークスポルシェの勝利は87年以来、11年ぶりのことである。

13 名前:CarNo.774:04/06/08 22:34
「GT」が形骸化したのはもはや明らかであった。
名ばかりとなった「GT1」クラスをACOは翌年から公道用ホモロゲを必要としない完全なプロトタイプ「GTX」(後にGTP)に変更すると発表した。
プロトは「屋根つき」LMPと「屋根なし」GTXの二本立てになることに。
こうした中、ルマンで勝利したとは言え、ポルシェは規定変更に対応するため翌99年のいルマン欠席を決める。もちろん今回はすぐ復帰するつもりで。
ポルシェでは新開発中であった市販用ミッドシップスポーツ「カレラGT」用V10を搭載するプロトタイプの投入を考えていた。
検討した結果、選択したカテゴリーはLMP。99年11月には早くもモービルのステッカーを貼ったLMPのシェイクダウンを済ませ、00年に向けて準備は万端と思われた。
しかし「ある事情」から突然このV10搭載LMPはオクラ入りとなる。

99年からアウディはルマンにワークス参加した。00年にはポルシェとドイツ勢同士の対決、とはならなかった。
現在ポルシェとVWアウディグループ(以下VAG)の間に直接の資本関係はない。しかしVAGの総帥はフェルナンドポルシェの孫。
過去CAN−AMに参戦した時にスポンサーとなたのもVAGである。親戚関係なのは間違いない。
もちろん公式には誰も認めないが、ポルシェの突然のルマン参戦休止が「ある方面」から圧力が働いたのは明らかであろう。

「ポルシェのいない」00年以降のルマンは、大したライバルも存在せず、盛りあがりにも欠いたまま(たった4年前の99年とは隔世の感がある)VAGが4連覇を果たす(アウディ3+ベントレー)。
しかしポルシェの欠けるルマンは、ある意味フェラーリのいないF1と考えるのは私だけではあるまい。こう言った「外部の事情」によってファンからすれば残念極まりないことである。
ポルシェからは04年以降に関しても未だなんら発表はない。
「ワークス」ポルシェのカンバックを臨むファンは世界中にいるはずなのだが…。
その日が来るのはいつになるのだろうか?

(ポルシェ編 完)

14 名前:CarNo.774:04/06/09 23:19
ジャガー編

1950年代にルマンで黄金時代を築いたジャガーの名が、再びルマンに戻ってきたのは1984年、アメリカのグループ44チームによってである。
このチーム/マシンを「ワークス」と呼ぶことに異論もあるだろう。しかし後に黄金時代を築くことになるTWRもジャガーから見れば同じ外部組織。
と言うことでこの「アメリカ製」ジャガーについても簡単に触れることにする。
70年代、グループ44チームはIMSAシリーズにジャガーのGTマシンで参戦していた。そして82年、ジャガーの6gV12エンジンを積むGTPマシンを開発しステップアップを果たす。
「アメリカ製ジャガー」の誕生である。ドイツ製トヨタ、英国製BMW、アウディもあるのだからとりたて珍しいことではないだろう。
ネーミングは「ジャガーXJR−5」。「5」であるのはそれまで開発したGTマシンが1から4と言うことである。
このマシンがルマンに初参戦したのは84年、決して長期計画で参戦したわけではなかった。
1982年、WECのレギュレーションが改訂され、翌83年からIMSAのマシンは参加できなくなった。
しかし「強すぎるポルシェ956」のためWECの参加台数は伸び悩み、翌84年から再びIMSAのマシンの参加が可能になった。
ルマンの主催者ACOは参加台数確保のため、グループ44に「アメリカ製ジャガー」の参加を要請し、快諾された。言わばゲストとしての参加である。
初参加のジャガーXJR−5は一時5番手まで上がる健闘を見せ、20時間、291周走ったところでミッショントラブルでリタイヤとなる。
しかし「ジャガー」の名前がルマンに復活したことが大きな意味を持ったのは間違いない。

15 名前:CarNo.774:04/06/09 23:20
このグループ44のルマン参戦がどれだけの影響を与えたか定かではないが、この年84年の暮れ、ある契約が成立する。
ジャガーカーズ会長ジョン・イーガン卿と、TWR代表トム・ウォーキンショーとの間にである。
「3年でジャガーのルマン制覇を果たす」との。
この84年、TWRのグループAジャガーXJSはETCを制覇していた。次のステップはグループC/ルマンである。
トムもマツダオート東京と組みルマンに参加した実績もあった。このTWR+ジャガーのコラボレーションが数年後グループC/ルマンを席捲することになるのである。

トムはマシンの設計をトニーサウスゲートに依頼する。そのマシンの大きな特徴はCカーでは初となるカーボンモノコック。F1では既に主流になりつつあったが、
Cカーでは最強ポルシェ956もまだスチールモノコックの時代である。
当初は85年のルマンに間に合うよう参戦する予定だったが、実際にはやや遅れルマン後のモスポートから参戦することとなった。
このマシンのネーミングは「ジャガーXJR−6」。そう、グループ44のGTPマシンを引き継ぐネーミングである。TWRとグループ44のプロジェクトは全くの別個であったが、
それまでの活動にTWRが敬意をい表し、それをつぐマシン名としたのである。
85年のルマンには引き続きグループ44のXJR−5が参戦する。今回は完走し13位。(ちなみに12位がトムストヨタ、11位がEMKAアストンマーチン、それより上位はすべてポルシェ、ランチャである)
この結果自体は大した意味を持たなかっただろう。その直後についにTWRのXJR−6がWECデビューを果たす。
当初TWRがテスト用にグループ44から購入したXJR−5がブリティッシュグリーンに塗られたマシンが誤って「XJR−6」として世界中に配信されると言うハプニングもあった。
すぐに訂正された、TWRオリジナルのサウスゲートデザインの流麗なボディワークを持つXJR−6が配信されたが、グループ44のマシンよりはるかに美しく完成度の高いマシンがそこにあった。
ブリティッシュグリーンの奇麗なカラーリングに貼られるステッカーは「TWR」「JAGUAR」「Castrol」「DUNLOP」のみ。

16 名前:CarNo.774:04/06/09 23:21
85年シーズン終盤から参戦したジャガーXJR−6はまだまだワークスポルシェとの差は大きいものの、シーズン終盤には表彰台をゲットしたりトップを走行するようになった。
(10月にはWEC富士で来日。ただし豪雨のためレース序盤で撤退)
翌86年、TWRジャガーはシルクカットタバコのギャラハーインターナショナルをスポンサーに得(このためブリティッシュグリーンのカラーリングは消滅)、引き続きWSPC(この年WECから改称)全戦に参戦するほか、いよいよルマン参戦を果たす。
この年はカラーリングだけでなく、エンジンも6gから6.9gに変更された。
そしてWSPC第二戦「地元」シルバーストンでTWRジャガーはついに初優勝を果たす。開幕から2戦連続ポールのランチャはこのレースを最後にワークス活動を休止したため、今やTWRジャガーはワークスポルシェに唯一立ち向かえる存在となったのである。
そして第三戦はルマン、ジャガーは大サポーター軍団と共にドーバーを渡りサルテに乗りこんだ。

1986年、TWRジャガーはルマンに初お目見えした。この年は日産が初のワークス参戦を果たし、
トヨタ(ワークスではないが)、日産、マツダ3メーカーが揃ったことから「ルジャポンアタック」と言う看板がいたる所にかかげられていた。
しかしこの年に限って言えば真の(ポルシェに対する)アタッカーはジャガーであった(前年撤退したザウバーメルセデスもクーロスをスポンサーに参戦)。
レースどころではないドタバタな日産チームとは対照的に、同じく初参戦のジャガーはNAながら予選最上位は5位と順調な滑り出し。
レースはこの年から燃費規定が緩和されたため、ワークスとヨーストのポルシェ同士による激しいバトルが序盤から続いた。しかし夜中に起きたクレマーポルシェによる事故のため,
長い時間ペースカーが入りヨーストはオーバーヒート、トップの位置からリタイヤとなった。
3台出走したジャガーのうち、朝まで残った1台も、一時はワークスポルシェに次ぐ2位まで浮上し朝を迎えたところで後輪がバースト、
サスペンショントラブルを起こしリタイヤとなった。
しかし初出場ながら果敢なチャレンジを見せたTWRジャガーに対し、ドーバーを渡って来たジャガーの大サポーター軍団は大きな拍手を送った。
ジャガーのピットにはサポーターへの感謝のメッセージとして「WE WILL BE BACK」の文字の入ったボードが掲げられた。
TWRジャガーの一年目はこうして終った。

17 名前:CarNo.774:04/06/09 23:23
ルマン後のWSPCでもジャガーは勝利こそ上げられないものの、安定して上位に入賞するようになり(もっともスタートの1コーナーで同士討ちと言う大失態を演じたハラマのようなレースもあったが)、最終戦富士の結果次第ではながらチャンピオンを狙える位置につけた。
レースはワークスポルシェの自滅でヨーストが優勝し、暫定結果ではジャガー2位、ポイントでワークスポルシェを上回り、フル参戦1年目でチャンピオン獲得、
かと思われたがこれは主催者側の掲示ミスで正式結果は3位、この結果チャンピオンはブルンのものとなった。
とは言えフル参戦1年目でのこの健闘は、翌年以降のルマン/WSPCへ大きな期待を膨らませることとなった。
翌87年、ジャガーはV12エンジンを6.9gにスケールアップし、空力的にも一層リファインされたXJR−8(ルマン用はXJR−8LM)を投入した。
ジャガーの怒涛の快進撃が始まり、この年のWSPCはワークスポルシェさえ寄せ付けず開幕4連勝、シリーズチャンピオンを早くも確定的なものとする。
しかし真のスポーツカーチャンピオンはWSPCでなくルマンで決まることは当のジャガーもトムも充分承知していただろう。
真のチャンピオンの座をポルシェから奪うべく、2回目のルマンへTWRジャガーは挑んだ。

18 名前:CarNo.774:04/06/09 23:26
この年からトヨタもワークス参戦を開始(ザウバーは未だクーロスレーシングのエントリー)、ルマンもかつての華やかさを完全に取り戻した。
しかし日本勢が真のトップコンテンダーになるには尚時間を必要とした。
予選ではワークスポルシェが1−2、しかし3rd.カーを予選中にクラッシュで失い数的不利にならざるをえなくなった。(ワークスポルシェの4台目はGTクラスの961)
一方のジャガーはNAながら3−4−5を占め、決勝に向けてより一層期待が高まる。
この年のルマンは例年にも増してガソリンが粗悪で予選から悩まされるターボ車が続出した。
決勝ではこの傾向がさらに強まり、ヨースト、クレマーと言った有力プライベートポルシェ、そしてワークス2nd.カーも序盤にデトネーション(異常燃焼)を起こしリタイヤ。
序盤にしてポルシェは1台で3台のジャガーに挑まなければならないと言う絶体絶命の位置に追い込まれたのである。ターボ潰しの陰謀の噂さえ出たほどである。
もはや誰の目にもジャガー優勢は明らかだった。
しかしサルテの魔の手はその後ジャガーのほうに忍び寄ってきた。
まず4位走行中のW・パーシードライブの5号車が深夜ユノディエールでタイヤバースト、クラッシュリタイヤ。
朝8時には2位を走行の6号車がエンジントラブルでリタイヤ。残る1台もその直後にミッショントラブルで大きく後退、
圧倒的優位に思えたジャガーはここで事実上優勝を諦めなければならなくなった。
しかし徹夜で声援を送り続けたジャガーサポーターはなおも声援を送り続けた。そしてピットからジャガーが出るとより大きな声援を送る。
そんなサポーターの期待に応えるためトムは順位に関係なくドライバーに攻めさせた。
結局優勝はまたしてもポルシェ。満身創痍の最後のジャガーは5位で完走した。しかしそれは完走狙いで得た5位ではなかった。攻めて攻めて破れた結果の5位。
「来年こそ」そう考えるTWRのスタッフは今年も彼らのサポーターへ向け「WE WILL BE BACK!」のボードを掲げた。

ルマン後のWSPCは、直後のノリスリンクではルマン敗戦の尾を引いたかRLRポルシェに優勝をさらわれたが(ワークスポルシェはインディプロジェクト集中のためルマン以降WSPCを撤退)、その後の全レースで勝利(日本の富士でも初勝利)、余裕でチャンピオンを決める。
しかしルマンに勝たない限り真のスポーツカーチャンピオンとは言えないのである。
それをトムも充分承知していた。

(以下次号)

19 名前:CarNo.774:04/07/06 20:59
88年シーズン、TWRジャガーは更に戦線を拡大し、従来グループ44が活動していたIMSAにも進出することになった。スポンサーはカストロール。
IMSAでもビッグキャットはポルシェに挑戦状を叩きつけたのである(もっともこの年ジャガーを苦しめたのはWSPCもIMSAでもポルシェではなかったのだが)。
88年用のTWRジャガーは前年のXJR‐8の進化版XJR‐9(WSPCは6.9g、IMSAは6.0gのいずれもV12)である。
さてここで脱線するが、なぜXJR‐6の次が8なのなかと思われた方もいるだろう。実はXJR‐7はグループ44の86、87年シーズン用マシン。
ジャガーと袂を分かったグループ44は89年デイトナに「グッドイヤーイーグル」と言うマシン名でエントリーしている。
本題に戻ると、88年のIMSA開幕をつげるデイトナ24時間、TWRにとってもIMSAデビュー戦である。
このレースで(ワークスは出ていないとは言え)ポルシェを破り、カストロールジャガーXJR−9IMSA−GTP仕様はデビューウィンを飾ると共に、
ポルシェの24時間レースの連勝もストップさせた。ルマン制覇に向けて幸先のいいスタートである。

20 名前:CarNo.774:04/07/06 21:00
さて、ルマン制覇に向けて突き進むTWRジャガーであるが、WSPC,IMSAでも強力なライバルが出現した。
WSPCでは、メルセデスベンツが長い沈黙を破りついにワークス参戦を果たす。
実際の体制は前年までのザウバーメルセデスとなんら変化はないが、メルセデスがついに本腰を入れワークス宣言をしたのである。
メルセデスのワークス活動は1955年、「あの」大惨事を起こして以来33年ぶりのことである。
一方のIMSAでTWRジャガーに立ちふさがったのはポルシェではなくエレクトラモーティブ日産。この年IMSAチャンピオンを獲得したのは、
デイトナを制覇したジャガーでなく日産を駆るジェフ・ブラバムである(メイクスは台数の優位でポルシェ)。しかも圧倒的強さで。
WSPCも開幕戦は「ワークス宣言」したメルセデが制する。しかしジャガーも負けてなく2戦目以降3連勝、上々の調子でルマンに挑むことになる。
この年は復活したメルセデス、ルマンだけスポット参戦のポルシェ、そしてジャガーと有力3大ワークスが揃い対決ムードは最高潮であった。
(日本のトヨタ、日産、マツダワークスも参戦したがまだ「対決」できるレベルまでには達していなかった。)

この年のルマン、TWRジャガーはIMSA部隊を合流させ、5台のマシン、100名を越すスタッフでサルテに乗り込んだ。
一方のワークスポルシェも3台体制。エースマシンの17号車にはルマン5勝のベル、2勝のスタック、3勝ルドウィッヒの「10勝トリオ」が乗りこむ。
もう一つの雄、ザウバーメルセデスは予選中にタイヤトラブルを起こし決勝を撤退した。メルセデスはつくづくルマンとは相性が悪いようである。

21 名前:CarNo.774:04/07/06 21:01
予選は圧倒的速さでワークスポルシェが1−2。ジャガーは4−6−11−15−19,NAとしては上々だろう(日本勢最上位はトヨタの8位)。
スタート前、TWRジャガーの知恵袋ジョン・ワトソンは「今年のルマンはもっとも過激な走りに耐えぬいたマシンが勝利するだろう」とコメントした。
従来のペースを守り最後まで走りぬく「亀さん走法」でなく、最初から最後まで「長距離のスプリントレース」として戦い生き残った「兎」のみが勝利できると言うことである。
事実レースはその通りとなり、この年のルマンは歴史に残る大激闘となった。

前年に増して大挙押し寄せたジャガーの大サポーターに見守られ、歴史に残る88年ルマンはスタートした。
スタートからポルシェ・ジャガーの両ワークスはがっぷり四つに組んだ「スプリント」レースが続く。
ラマース組Aジャガーが逃げ、スタック組Pポルシェが追う。
3時間後、最初のトラブルはポルシェ、エース17号車は燃料ポンプのトラブルでガソリンを吸い上げることができなくなりコース上にストップ。
セルモーターを回すだけで這うようにピットに戻ってくる。これで2周のビハインド。これが後々大きく響く。
4時間目にはウォレク組Qポルシェがトップに立ち、9時間目までトップをキープするもエンジントラブルでリタイヤ。
朝を迎え生き残っているのはAジャガー、猛烈な追い上げを見せたPポルシェ、ブランドル組@ジャガーの3台。しかしその後@はリタイヤ。
いよいよAジャガー、Pポルシェで雌雄を決することになる。

22 名前:CarNo.774:04/07/06 21:02
残り4時間、コース上に雨が降り出す。しかしサルテサーキットは1周13kmのロングコース。
コース上の一部で雨が降ってウェットコンディションになっても、別の所は完全ドライと言うことが珍しくない。
ポルシェ、ジャガーともスリックのままで一騎討ちレースを続ける。
雨は1時間で上がり、なおもポルシェの猛追は続き、残り1時間でついに同一周回に。
しかしそこまでであった。2分35秒のマージンで、ラマーズ/ウォレス/ダンフリース組Aジャガーが他の2台のジャガーを従えデイトナフィニッシュ。
ついに31年ぶりにビッグキャットがルマンを制覇したのである。
表彰式ではジャガーサポーターの歌う「God Save the Qeen」が高らかに響き渡った。

この年のルマンは記録づくめ。Aジャガーの走行距離は5332km。1971年のポルシェ917にわずか2.5km及ばなかった。
当時はポルシェカーブもなく、また燃料使用料規制もなかった。
90年にユノディエールにシケインが設置されたため、もう71年、88年の記録が破られることはないかもしれない。
ユノディエールの直線ではWMプジョーが405kmをマークした。シケイン設置後の記録は90年の日産R90CPの366km。
現在のマシンはエアリストリクターでパワーを抑える方向なので、今後この記録もまず破られることはないだろう。
そして最大の記録が、394周走っての1−2位同一周回。いかにこの年のレースのレベルが高かったかを物語っている。

23 名前:CarNo.774:04/07/06 21:04
ポルシェファンからすれば「あの2周のビハインドが無ければ」と考えるだろうが、ゴール後ポルシェのタンクの中はほとんどガソリンが残っていなかったのに比べ、ジャガーはまだ余裕があった。
もちろん2周のビハインドを跳ね返す猛烈な追い上げを見せなければ多少は余裕ができたはずなのでこればかりはなんとも言えないが。
しかしトムはレース後自身満々に「来週同じレースをやっても勝てる」と述べている。

8連覇の夢絶たれ破れたポルシェはライバルを称え、後日「ジャガーおめでとう!」との新聞広告を打った。モータースポーツファン全体が拍手を送りたくなることであろう。
当時の英国はまさに「英国病」の時代。そんな中で英国人に元気と勇気を与えたのがF1のナイジェル・マンセルとジャガーであった。
当時はまだ日本ではサッカーのワールドカップが一般的でなく(当然だ)、筆者自身も名前を聞いたことがあったくらいで詳しくは知らなかった。
従って(五輪を除けば)スポーツの部隊で母国の栄光に喜び、歌い、泣きわめく英国人の姿は非常に新鮮で、かつ羨ましくもあった。
いつの日かこのサルテで日の丸が揺れ、君が代が歌われる、そんな光景を初めて想像するようになったのも、ジャガーの勝利に酔う、英国人の姿に負うところが大きかった。

(以下次号)

24 名前:CarNo.774:04/07/22 00:29
さてルマンを制覇し、名実共にスポーツカーの王者の称号を得たとは言え、TWRジャガーが向かうところ敵なし、と言える状態を続けられていたわけではなかった。
WSPCはルマン後、ザウバーメルセデスがその本領を徐々に発揮しだし、ブルノ、ニュル、スパ、そして最終戦サンダウンを制する。
ジャガーが勝ったのは「地元」ブランズハッチと富士のみ(メルセデスは初出場、ワークスポルシェ最後のレースで2位)。
チャンピオンを死守したとは言え、来季以降に課題を残すこととなった。
一方初参戦のIMSAでは日産が圧倒的強さを見せ、ジャガーはわずか2勝のみ(日産9勝、ポルシェ3勝)。
もはや時代遅れの大きな12気筒ではデイトナ・ルマン以外の「スプリント」レースでは不利なことは明らかであった。
WSPCはこの時期既に91年からの3.5gNA化は決定していたが、TWRは残り2年のため伝統の12気筒に換わるターボエンジンマシンの投入を決める。
同グループのオースチンローバーのV6エンジンAJ6にターボを装着したマシンである。

25 名前:CarNo.774:04/07/22 00:30
89年、IMSA開幕デイトナで24時間レース3連覇を狙ったジャガーであったが、マイナートラブルで遅れ、ミラーハイライフカラーのバスビーポルシェに同一周回ながら優勝をさらわれる。
以後の「スプリント」レースも日産に圧倒され、ターボジャガーの投入は一刻を争う事態に。
一方WSPCはこの年からF1のようにFIAの直轄となり、全戦参加が義務付けられるようになった。このためトヨタ、日産、マツダも全戦エントリーし、
シリーズ参戦するワークスは(セミワークスのポルシェも含めれば)7つに膨れ上がった。スポーツカーの世界選手権史上最大の隆盛と言ってよい。
(もっともFIAが直接運営に乗り出すと、F1以外のシリーズは悲惨な末路しか待っていないのはその前も後も変わらない)
とくにザウバーメルセデスはこの年からカラーリングに「シルバーアロー」を復活させ、より本気度を高めて臨んできた。
ジャガーはルマン後にターボマシンを投入する予定であったがそれまでは我慢のレースを強いられることに。
とは言え2年連続のWSPCチャンピオンである。極端にメルセデスに差をつけられるとは誰も予想しなかっただろう。
しかしWSPC開幕鈴鹿で、V12ジャガーの苦戦は明らかなこととなる。

26 名前:CarNo.774:04/07/22 00:30
予選でフロントローを独占したのはトヨタ89C−V。レース序盤はトヨタとメルセデスの一騎討ち。
88年型で臨むジャガー、日産はトップグループについていけず中団で我慢の走行。
やがてトヨタも燃費を気にしペースを落とし、開幕戦は圧倒的強さで「シルバーアロー」ザウバーメルセデスC9は制する。
我慢の走りの日産は健闘し4位、スピンでカウルを痛め一回ピットストップが増えたトヨタは6位に入る。
しかしディフェンディングチャンピオンシルクカットジャガーXJR−9は、まったくいいところなく、(88年型)日産にも先を越され5位。(もう1台は終盤ガス欠でストップ)
たった半年前、同じ日本の富士で優勝したマシンの信じられない低迷である。この年のTWRジャガーはその頃流行った言葉で表現するならまさに「天中殺」の1年であった。

もはや「スプリント」ではV12ジャガーがメルセデスに適わないのは明らかであったが、ルマンは別、ルマンはジャガーが再び制覇するだろうと言うのが大方の予想であった。
なにしろザウバーメルセデスはジャガーが制覇した前年のレースに「参加」してないのである。「ザウバー」として臨んだその前の3年間もいいところなく序盤で消えている。
「経験」がなによりものを言うルマン。87年、「スプリント」では圧倒されたポルシェがルマンだけは死守したように、今度はジャガーが死守するだろうと。
この年ダークホースとして注目されたのが「隠れワークス」H伊太利屋ヨーストポルシェ。ドライバーはスタック/ウォレク。陣頭指揮を執るのはワークスのノルベルトジンガー。
ヨースト自体もWSPC第二戦ディジョンでメルセデスを破っており(ポルシェにとってはほぼ2年ぶりの勝利)のっている。
特に当時のグッドイヤータイヤはグループC最強の性能を発揮しており大きな武器となる。
さらにトヨタ、日産のニューマシン未知数ながら一暴れしそうな期待を抱かせ、ルマン史上に残る華やかで話題の多い年であった。

27 名前:CarNo.774:04/07/22 00:32
予選はフロントローをメルセデスが独占。実はトヨタが一時ポールとなるタイムをマークしたがTカーなので認められず。
そのタイムを更に上回るコースレコードタイムをマークしている。
ジャガーは3−4−6−8グリッド。NAとしては上々である。
しかしザウバーは決勝は「来年へのテスト」と割り切っていた。確実に走りデータの蓄積に勤めると。
一方のジャガーは優勝以外ない。昨年マークした394周を再現できれば確実に優勝できるはずだと。
レース序盤、飛び出したのはBジョーンズ組のジャガー、Aニールセンのジャガーが続く。メルセデス勢はトップ争いに加わろうとせず、
代わってYHP日産のベイリーが3位に上がる。日本車がトップグループに加わるのはルマン史上初のことである。
しかしその直後2位に上がろうとしAジャガーに追突、ベイリーの日産はリタイヤ、ジャガーも優勝に向けてのプログラムが早くも狂ってしまう。

その後Bジャガーもミッショントラブルで遅れ、H「隠れワークス」ヨーストがトップに立つ。
ジャガーはその直後に@ラマース組がつける。そしてメルセデスに長谷見組のカルソニック日産を加えトップグループを形成する。
深夜を迎えても4位と日本人ドライバーとして史上初めてトップグループに加わった長谷見/星野/鈴木利組であったが、10時間過ぎエンジントラブルでリタイヤ。
しかしこの時点で(優勝することになる)メルセデスの前を走っていたのである!
トップのヨーストは、グッドイヤータイヤが見事なまでに決まり一時は2位に2周差の独走体制を築く。
しかし深夜水漏れを起こし、さらに給油中の火災も起き後退してしまう。
代わってトップに@ジャガー。ついに本命が来た。2−3位に付けたのはメルセデスだが決して順調だったわけでもない。
2位につける61号車は水温上昇に苦しみ、3位の63号車はレース序盤に踏みつけた異物でアンダーボディを破損し20位にまで後退していた。
このまま@ジャガーが独走するだろう、そう言う考えが支配的になり朝を迎える。
しかしこの年のジャガーはどこまでも勝利の女神に嫌われていたようである。

28 名前:CarNo.774:04/07/22 00:33
早朝6時、@ジャガーはミッションケースからのオイル漏れを起こし、その交換作業のため50分ものピットストップ。
8番手に後退。この時点でジャガーのルマン連覇の夢は絶たれてしまう。
「最後の牙城」ルマンまでジャガーは陥落することになってしまったのである。
「今年はテスト」と割り切り、ひたすらマイペースでレースプログラムを進めてきたメルセデスがスタート以来14時間目にしてついにトップに立ったのである。
その後トップの61号車はコースアウトしその修復で順位を2位に下げるがメルセデスの1−2は変わらず。
序盤20位まで大きく順位を落としていた63号車がついにトップへ。
トラブルで大きく遅れたジャガーとヨーストは猛烈なペースで走行するがトップ2台はあまりに大きく離れていた。
レース終盤、61号車はギヤが5速に入ったままになると言うトラブルを抱えたが、追いかける3位ヨーストもクラッチが切れなくなり追走どころではなくなっていた。
(ちなみにヨーストはピットスタート時はクラッチにコーラをかけ半クラッチ状態にして再スタートしたそうな)
最後のピットストップ時、メルセデス勢はフロントカウルのスリーポインテッドスターの部分の汚れを拭い落として余裕の再スタート。
5位の62号車も含めて3台でデイトナフィニッシュを決める。3位はヨースト、4位はディフェンディングチャンピオンジャガー。
トップのメルセデスの周回数は389周。前年のジャガーに比べ5周も少ない。
単純に考えればジャガー、ポルシェがノントラブルで走りきれば勝ち目はなかったことになる。
日産も加えた4ワークスの、前年を上回る激しいバトルがトラブルを誘発させたのかもしれない。
かくして絶好調シルバーアローはルマンさえも1−2フィニッシュを決め、ジャガーは最後の砦まで奪われる。ジャガーの天下は思いも寄らぬ早さで陥落したのである。
しかしジャガーもこのまま黙っているつもりはなかった。

(以下次号)

29 名前:名無しさん:04/10/13 01:54:02 ID:Kg1y+zBm
ジャガーF1撤退⇒ルマン復帰祈念age

30 名前:CarNo.774:06/04/27 22:05:44 ID:2gUcpbwy
89年ルマンと前後するが、TWRはIMSA用とWSPC用のターボマシンをデビューさせた。
IMSA用は3.0g、WSPC用は3.5gのV6ターボを搭載し、前者がXJR‐10,
後者がXJR‐11と名づけられた。
IMSAでのデビューが5月の第6戦ライムロックで2位、
WSPCのデビューが7月の第4戦ブランズハッチで5位であった。

しかし大西洋を挟んだ両方ともターボジャガーは熟成が進まず、
IMSAでは1勝(この他NAのXJR‐9が2勝)、WSPCではついに1勝も
できないままシーズンを終える。
シーズン終盤には両シリーズともXJR‐9にマシンを戻してしまう有様である。
こうしてTWRジャガーにとって思い出したくもない89年シーズンは終った。


31 名前:CarNo.774:06/04/27 22:07:07 ID:2gUcpbwy
この89年、レースの現場以外にもジャガーにとって大きな出来事があった。
ジャガーがフォードに買収され、その傘下に入ったことである。
それによりまず最初に起きたレースへの影響が、同じくフォードの傘下にあった
アストンマーチンのWSPC&ルマンの撤退である。
アストンマーチンはジャガーを離れたトニーサウスゲートを招聘し、
彼のデザインしたマシンにベネトンF1に搭載されていたフォードHBV8を
搭載する予定であった。
しかしジャガーがフォードに買収されたため、同門となるアストンマーチンの
ワークスチームは解散しこのプロジェクトもキャンセルとなる。
しかしこのフォードのジャガー買収劇はジャガーにとっては良い方向へと進む。
まずはタイヤがUKダンロップからグッドイヤーへと変更になる。
この効果は想像以上に大きかったことが後に証明されることになる。
もう1点が91年以降の3.5gNAマシンのエンジンだが、これは後の項に譲る。

(以下次号)


32 名前:■□■ドナドナされますた■□■:■□■ドナドナされますた■□■
■□■ドナドナされますた■□■

33 名前:CarNo.774:07/03/05 23:02:26 ID:KSbfRf1A
test

34 名前:CarNo.774:08/01/06 21:46:55 ID:dtR+Lkhm
てst

35 名前:CarNo.774:08/02/20 19:53:30 ID:LwDWHABi
123

36 名前:CarNo.774:08/10/11 17:45:04 ID:3+L3WF4a
90年IMSA開幕戦デイトナ24時間、ジャガーは幸先よく勝利を収める。88年もデイトナでの勝利がルマンへの勝利へと繋がったこともあり、チームの士気が高まったことは想像にかたくない。
この年のTWRジャガーは「スプリント」をターボで戦い、ルマンは従来のV12マシンで戦うと言う両面作戦に出る。
そしてWSPC開幕鈴鹿を迎える。実はこの年、メルセデスはルマン欠場を表明していた。前年に続きこの年もルマンはFIAとACOのゴタゴタでWSPCから外れた。
そのことに関するプロテストとしてルマンをボイコットするのだと言う。もちろん「勝ち逃げ」と非難する外野の声が無かったわけではないが。
逆に言えばそれだけメルセデスはWSPCに集中できることとなる。


37 名前:CarNo.774:08/10/11 17:45:45 ID:3+L3WF4a
さて予選は昨年に続きトヨタの1−2。メルセデスはカーボンモノコックの新型C11(このマシンから車名からザウバーが外れ「メルセデス」に)を1台持ちこむが、雨の予選でクラッシュし決勝は2台ともC9に。
しかしこの年からメルセデスもグッドイヤータイヤを履くこととなっており、その脅威はすぐに証明されることになる。
ジャガーもその恩恵に預かることになるのはレース開始と共にすぐに明らかになる。
レース前、口の悪い評論家に「トヨタ・日産に比べれば軽自動車みたいなもん」と酷評されたターボジャガーだったが、その評価レーススタートともに変わる。
レース序盤は、トヨタとジャガーの激しいバトルとなる。一方のメルセデスは1台がピットスタート、1台がスタートの1コーナーでハーフスピンし大きく後退、この時点でメルセデスの勝利を予想するものなどどれだけいたか…。
あまりに激しいバトルのため、ジャガーもトヨタも燃費が悪化し、1回目のピット作業の後はペースダウンしレースは落ちついた、かに見えた。
しかしいつのまにかメルセデスが上位に進出しているのである。そして終ってみればメルセデスの1−2。一体あのハンデはなんだったのかと言いたくなる完勝である。
他チームとの差は縮まるどころかまたはるか先に行ってしまった。グッドイヤーを履くメルセデスはまさに鬼に金棒だった。


38 名前:CarNo.774:08/10/11 17:46:59 ID:3+L3WF4a
レース序盤を引っ張ったトヨタはガス欠になりながら惰性でカシオトライアングルを下り4位入賞、ジャガーはガス欠でリタイヤ(公式発表は電気系トラブルだったが恐らくガス欠だろう)。
メルセデスに次ぐ表彰台をゲットしたのは序盤のバトルに加わらずレースを進めた長谷見組の日産(89年型)。メルセデスのいないルマンは日産が制覇するかもしれないとの予想が多くなった。
開幕前評価の低かったジャガーだが、グッドイヤータイヤの高性能にも助けられ予想以上のパフォーマンスを示したことはジャガーチームの士気を一気に高めたことだろう。
(一方グッドイヤーを失いミシュランにチェンジしたヨーストはほとんど存在感を示すことなくレースを終えた)
WSPCヨーロッパラウンドが始まると、メルセデス>ジャガー>日産>その他の序列がはっきりとしてくる。第二戦モンツァでは1−2メルセデス(2台ともC11を投入)、
3−4ジャガーと言う結果になる。終盤まで5−6位の位置にいた日産は2台ともガス欠リタイヤ。


39 名前:CarNo.774:08/10/11 17:47:51 ID:3+L3WF4a
そして第三戦シルバーストン、「地元」でターボジャガーにとって記念すべきWSPC初勝利の日を迎えることになる。
予選は圧倒的パフォーマンスでメルセデスの1−2、となるはずだったが予選中の規定違反でA号車が失格となる(実はこのマシンに乗るミハエル・シューマッハのWSPCデビューレースだった)
決勝でも残り1台のメルセデスが異次元の速さで独走するが、なんと電気系トラブルで白煙をあげリタイヤ!ジャガーがトップにたつ。
レース終盤までジャガーと2台の日産のバトルが続く。しかし2位走行中の日産はタイヤーバーストでリタイヤ、その後を走っていたもう1台の日産もガス欠(チェッカーを受けることもできず表彰台をふいに)、
ターボジャガーの初優勝を1−2で飾る。ジャガーにとっては88年富士以来のWSPC勝利である。
ルマン用のマシンとは異なるとはいえ、2年ぶりの勝利に向けてチームのムードが最高潮に達したことだろう。
そしてジャガーは2年ぶりの制覇を目指しメルセデスのいないルマンへ臨む。ライバルは日産。

(以下次号)

40 名前:CarNo.774:08/10/14 21:53:15 ID:g+LchP07
90年のルマンはユノディエールのストレートにシケインが設置された年として多くの人々の記憶に残ったことだろう。
ルマンの特色が失われるとなげくむきもあったが、決勝でさえコンスタントに400kmが出るようになろうかとなればやむをえなかっただろう。
メルセデス不在のルマンだったが、不在であるが故に、この年のレースはまったく予想できないものとなった。
ジャガーは4台、日産は日米欧で5台のワークスマシンを持ちこんだ。トヨタも3台のワークスマシンを持ちこみ、JSPC、WSPCの開幕戦で見せた速さから多いに期待をよせられていたが、
実際はカーボンブレーキを持ちこまず、3.6gの新型エンジンを持ちこまず、前年と異なり予選もアタックをせずただひたすら完走を目指す雰囲気で戦う前からあきらめている感があった。
マツダも初のカーボンモコック&テレメーターシステムを導入したが7872台を含む3台をエントリーしていたが、ことらはあまりに時間がなさすぎた(JSPC富士1000kmが雨天中止になったため、787はルマンがぶっつけ本番状態)。


41 名前:CarNo.774:08/10/14 21:53:56 ID:g+LchP07
この他ポルシェも昨年も見せた速さから決してあなどれない。とくに「セミワークス」の2台のヨーストは。
予選は期待されたトヨタがアタックせず日産の一人舞台になった。初日はブラバム組のNPTI日産がトップタイムをマークする。
2日め、ポルシェが激走を見せる。それもポルシェ本命のセミワークスヨーストでなくブルンが。NPTI日産、長谷見組カルソニック日産を上回りトップタイムをマークする。
この年のポルシェはシケインができたことで、それまでルマンの定番だった「ロングテール」だけでなく、通常のスプリントの「ショートテール」、クレマーやRLRのようにオリジナルカウルで臨むところなど千差万別。
結果的には「ロング」を選択したヨースト(セミワークス2台のうち1台はクラッシュし決勝断念)より「ショート」を選択したブルンのほうが正解だったようである。
このブルンのタイムをブランデルのNME日産が1100psはあろうかと言う予選スペシャルエンジンで6秒も上回るタイムを出し、日本車初のPPを確定する。フロントロー独占と行かなかったのがタマに傷だったが、日産は1−3−4−5グリッドを獲得。


42 名前:CarNo.774:08/10/14 21:54:30 ID:g+LchP07
耐久に予選グリッド自体にあまり意味がないとは言え、チームの実力を満天下に示し、かつチームの士気を高めるのには最高の結果だった。
ついに日本車がルマンを制覇するのか?一方のジャガーは7−8−9−17。NAのジャガーにとってはあくまで「決勝」と言う考えだろう。
この年ジャガーが持ちこんだマシンはV12エンジン搭載のXJR−9の空力を一層リファインしたXJR−12。
新たなチャンピオンが誕生するのか?かつてのチャンピオンが奪還するのか?午後3時52分、PPのNo.24YHP日産を先頭にペースカー日産300ZXを先導にフォーメーションがスタート、午後4時レースはスタートした。


43 名前:CarNo.774:08/10/14 21:55:05 ID:g+LchP07
レースをリードしたのはPPスタートのベイリーの24番YHP日産。これをF1パイロット・ララウリのブルンポルシェが激しく追う。
長谷見の日産が3位につけ、1回めのピットストップ直前日本人として初めてルマンの首位にたった。
1回目のピットストップ後、トップグループを形成したのは4台のジャガー、日米欧3台の日産、それにブルンポルシェであった。やはり決勝になればジャガーが出てくる。
それ以外のポルシェ、トヨタは完全に脱落した。
日米欧から5台エントリーした日産であったが、欧州組(NME)の1台(現役F1パイロットグルイヤールとドネリーがドライブ)はなんとフォーメーションラップでミッションを壊し0周リタイヤと言う大失態。
NPTIのもう1台も序盤でホイールが外れるトラブル、水漏れなどで大きく後退(もっともこのマシンがFLをマークするのだが)、この時点で3台と数の上でジャガーに対してビハインドを背負うこととなった。

この中から最初に脱落したのはトップを走るNME日産。周回遅れの鈴木亜久里ドライブのトヨタと接触、トヨタはクラッシュしリタイヤ。
ブランカテリ駆る日産もマシン前部を傷め3輪走行でピットイン。こちらはカウルとタイヤ交換しコースに復帰するが大きく遅れてしまう。
最終的にはミッショントラブルで深夜にリタイヤとなる。ニスモのカルソニック日産もカーボンブレーキの寿命が予想以上に短く、その度に交換。
脱落はしないもののトップにはなかなか追い付けない状態が続く(NPTIはスチールを採用)。
ジャガーはエース@号車が大きく遅れるも3台が生き残り朝を迎える。
これまでなんとかトップグループに食らいついてきた23番カルソニック日産だが、朝方ショックアブゾーバが根元から折れると言うアクシデントで大きく後退。優勝争いから脱落する。


44 名前:CarNo.774:08/10/14 21:56:44 ID:g+LchP07
この時点でジャガーも首位争いに残るのは1台のみで、優勝争いはNPTI日産とブルンを加えた3台に絞られた。
しかしBジャガーと激しく首位を争うNPTI日産であったが、16時間目、燃料漏れのトラブルを起こしリタイヤとなってしまう。
追うべきブルンポルシェもエースラルウリが体調不良で追い上げもままならず、Bジャガーは残りをトラブル起こさず終えれば優勝は確実な状態となった。
その後トラブルが起きたのはブルンのほうで、2位は確実だった残り15分、エンジントラブルを起こしリタイヤとなる。
これでAジャガーが2位に上がり1−2体制に。午後4時、大サポーター軍団が待つ中、ジャガーは2年ぶりにトップでルマンのチェッカーを受ける。
ジャガーの王者奪還である。Bジャガーは一切トラブルのない、完璧なレース運びであった。
この勝利はフォード傘下入りで翌年以降のレース活動が不透明であったジャガーにとってフォードに対する最高のアピールと思われた。
前年はトラブルで勝利を逃がしたとは言え、この年は前々年同様完璧なマネジメント。
トムのもと、システマチックに運営されたジャガーに比べ、日産はそのマシンに見合う運営がなされたとは言いがたかった。
日米欧3チームで「社内運動会」と称されたチーム体制も、いい方向に行けばいいが実際には一体感(情報交換、協力体制)に乏しく、日産チーム内でケンカしていることさえあった。
しかしもはや旧態然としたV12でジャガーが日産に勝つのは翌年以降は至難の業とも思われた。
3.5gNA化する翌年のSWC規定でジャガーはどう言う動きを見せるのか、この時点ではまったく見えていなかった。
しかし水面下ではスポーツカーレースの歴史を変えるマシンを開発していたのである。
それはフォードの傘下に入ったからこそできるプロジェクトであった。

(以下次号)


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