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Cカー列伝
- 1 名前:ユニ(・・ ◆zZnos9Ow:04/03/10 11:27
- 用意しますた。心置きなくどぞー。
- 2 名前:CarNo.774:04/03/10 11:56
- 2ゲット
Cカー列伝キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
こっちでマターリ逝きましょう
- 3 名前:タナケン、復活!?:04/03/10 16:49
- では自分も。こちらで(つ´∀`)つ
- 4 名前:CarNo.774:04/03/10 20:59
- お世話になります。いつもスレ使わせていただいた者です。
今後Cカー列伝はここ、もしくは2ch内の死んでるスポーツカー関係スレあたりで連載再開を考えております。
みなさまにご迷惑にならない範囲内で。
なお現在私め、アクセス規制で2ちゃんには書きこめません。悪しからず。
- 5 名前:CarNo.774:04/03/10 21:08
- トヨタヲタか?と言うご指摘がありましたが、私もいい加減トヨタ編をひっぱりすぎたと反省しております。
トヨタ編はターボ車(〜91C−V)で一区切り付け、次は日産編かマツダ編を考えております。
HPに汁とのご指摘がありましたが、現在の文章だけでは面白みに欠けるので…。
他のサイトや雑誌の写真の無断転載はまずいし、私自信もそんなにCカーカメラに収めてませんでした。
このあたりを解決できればHP開設も検討しようかなと。
過去のポルシェ編、ジャガー編、トヨタ編は過去スレがhtml化するのを気長にお待ちください。
なお自分のパソには、改行、誤字脱字、事実誤認を修正して保存してあります。
ポルシェ編は9ページ、ジャガー編は26ページ、トヨタ編は現在までで45ページになってしまいました。
恐らく次回作もそれくらいになってしまうと思います。悪しからず。
- 6 名前:タナケン、復活!?:04/03/10 21:37
- >>4-5
存分にやっちゃってください。期待してます。
- 7 名前:CarNo.774:04/03/11 02:35
- http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/f1/1074405446/254
これってご本人のカキコでしょうか?
- 8 名前:CarNo.774:04/03/12 22:31
- やったね♪期待してまつ^^
- 9 名前:CarNo.774:04/03/17 21:43
- とくに問題なければ今週末ここで連載再開します。
- 10 名前:CarNo.774:04/03/20 10:39
- test
- 11 名前:CarNo.774:04/03/20 10:46
- トヨタ平成編 其の八
WSPC開幕戦の後、ルマンまでにはWSPCが3戦(モンツァ、シルバーストン、スパ)、
JSPCは1戦(富士1000km)があった。各メーカー/チームとも、これらのレースが
ルマンまでの貴重なテストの場となった。
JSPC開幕戦を完璧なポールトゥウィン、WSPC開幕戦をポール&決勝4位と、上々のスタートを切ったトヨタであったが、
これ以降は出口の見えない迷宮にはまることとなった。そしてルマン制覇どころか(レースの総予算では劣る)日産にさえ引き離されていくこととなる。
- 12 名前:CarNo.774:04/03/20 11:23
- JSPC第2戦、GWのインターチャレンジ富士1000kmは、日本のトムスおよび久しぶりのルマン参戦となるサードにとってルマンへの貴重な前哨戦であった。
しかしこのレースは雨のためスタートが遅延し、500kmに短縮してスタートへ。トヨタ勢は90C―Vを温存し、Tカーの89C−Vをグリッドに並べた。
しかしなんとかフォーメーションスタートに漕ぎ付けたあと、濃霧が発生し結局レースは中止に(JSPCの中止はこれが唯一)。ルマンに向けての貴重なテストの場を失った。
WSPC(欧州ラウンド)はこの90年からトヨタチームトムス(トムスGB)は2カーエントリーとなった。90C−V1台(タカQカラー)と89C−Vの2台体制である(この他Tカー1台)。
しかし90C−Vは前年の89C−V同様、富士以外のコースにはことごとくマッチせず、安定したシャシー性能を発揮できなかった。予選では2台ともクラッシュし、90C−Vは修復したものの、
89C−VはTカーで決勝に臨むこととなった(予選グリッドは9、10位)。
このレースはラルースF1と掛け持ちとなる亜久里のWSPC欧州ラウンド初戦でもあった。
しかしその亜久里が力を発揮するひまさえなく、2台のトヨタは決勝でも不安定なシャシーに足を引っ張られ、序盤でクラッシュ・リタイヤとなった。
速さと言う面でも目を見張るものはなく中盤に埋もれていた。
レースはメルセデス−ターボ・ジャガーの序列が明確になり、1−2がメルセデス、3−4はジャガー。
日産は終盤までメルセデス−ジャガーに次ぐ5,6位を走行していたが、
終盤ガス欠となり1台がリタイヤ、1台が7位で完走するに留まった。しかしトヨタはこれについていくことさえできなかったのである。
日産はWSPC序盤をルマンへのテストと割りきり、予選も決勝も同じエンジンで挑んでいた。
結果がついてこなかったとは言え、ルマンに向けて順調なテストプログラムをこなすことができたと言えるだろう。
なにしろこの日1−2−3−4となったメルセデス、ターボジャガーはルマンに来ないのであるから。
しかしトヨタはまったくいいところがなく、シャシーが安定した性能を発揮するまでにさえ至ってない。
以降トヨタと日産の差は徐々に広がり、シーズン終了までその差は縮まることはなかった。
- 13 名前:CarNo.774:04/03/20 11:45
- 続く第3戦シルバーストン。このレースは日本でもNHK―BSで予選・決勝とも完全生中継された。
メルセデスジュニアチームの一角、ミハエルシューマッハのWSPCデビューレースであった。しかしそのメルセデス#2は予選で規定違反で失格。
デビューはお預けとなった。序盤から波瀾含みのレースとなった。
ポールは2位のジャガーに1秒もの差をつける圧倒的な速さでメルセデス。
トヨタは6−9位、日産は4−7位。このレースには日本のトムスのエース、小河等がスポット参戦していた。
しかし決勝では相変らずいいところなく、燃費に苦しみ90C−Vは6周遅れの12位、
小河の乗った89C−Vもブラックフラッグ掲示で失格となってしまった。
圧倒的速さで独走していたメルセデスが珍しくリタイヤしたため、レースは「地元」ジャガーと日産の一騎討ちとなった。
しかし2位を走行していた日産の1台は終盤サスペンショントラブルでリタイヤ、もう1台もガス欠でチェッカーを受けれず3位表彰台をふいに。
ジャガーが地元で1−2を決める。シルバーストンでのジャガーは86年から4連勝となった(89年は開催されず)。
- 14 名前:CarNo.774:04/03/20 12:21
- ルマン前最後のレースとなる第4戦スパ。ここでもトヨタは安定しないシャシーのため亜久里の90C−Vが大クラッシュ。
決勝への出走を断念する。
残った89C−Vは、予選は6位とまずまずながら決勝は相変らず燃費に苦しみ7周遅れの18位。
一方の日産は、メルセデス、ターボジャガーに次ぐ同一周回の3位表彰台。「ルマン参加組」では首位である。
トヨタは安定しないシャシーが燃費の悪化を招くと言う悪循環にはまっていた。一方の日産は順調にプログラムを消化し、本気でルマン制覇を狙うところに来ていた。
当時はまだインターネットなどなく、各チームの詳細状況を知ることができたのは1〜2週間遅れの雑誌に限られていた。もちろんレース自体はほぼリアルタイムでテレビで見れる場合もあったのだが。
(60年代、70年代のオールドファンはレース結果でさえ知ることができたのは1ヶ月後くらいだったことに比べれば充分恵まれていただろうが)
トーチューがモータスポーツ情報に力を入れはじめ、毎日情報をレース情報を提供するようになったのは丁度このころ。しかし筆者自身はまだそれすら知らなかった。
今だから言えるが、ルマン前のこの時点で、トヨタは事実上ルマンに勝負をかける立場にいないのは明らかだった。一方の日産はV12ジャガーとがっぷり四つに組んで優勝を狙える位置にいた。
しかしインターネットのない当時の日本のファンにそれがリアルタイムで伝わることはなかった。日産の町田主管が本気で予選からルマン制覇を狙っていることを述べているインタビューが
オートスポーツに掲載されたのは、ルマン決勝スタートの前日だった。
JSPC開幕戦、WSPC開幕戦で見せたトヨタの快走が記憶にあり、ルマンでも優勝候補の一角を担うだろうと考えた日本のファンは多かっただろう。
しかし90年のルマンはジャガー×日産、それにブルンポルシェによる前年、前々年をも上回る激しいバトルとなり、トヨタはこのバトルからまったく蚊帳の外に置かれることになることを知るのは、決勝スタートまで待たなければならなかった。
(以下次号)
- 15 名前:CarNo.774:04/03/20 23:14
- お疲れ様。
- 16 名前:CarNo.774:04/03/27 10:38
- テスト
- 17 名前:CarNo.774:04/03/27 11:09
- 1990年のルマン24時間は、前年に続きWSPCから外れた。
それ以上にユノディエールに2ヶ所のシケインが設置された年としてファンに記憶されたことだろう。
そのためのプロテストと言うことでメルセデスはルマン不参加を決めた。もちろん「勝ち逃げ」と言う見方も多数あったが…。
WSPCから外れたとは言え、メルセデス以外のシリーズレギュラーはほぼすべて参加し、それ以外にもマツダもエントリーしていた。
またシリーズから外れたため、旧IMSAシボレー用ローラに1万CCのエンジンを積んだ「イーグル」なるキワモノマシンも参加していた。
参加ワークスは、ジャガー、トヨタ、日産、マツダの4メーカー。
ジャガーはWSPCのターボでなく7gV12NAのXJR−12が4台。
日産はこの90年ルマンに勝負をかけていた。日米欧(ニスモ、NPTI,NME)から5台のワークスマシンを投入した。
マツダも最後になるかもしれないルマンに初のカーボンモノコックマシン、787を投入。アドバイザーにジャッキーイクス、ドライバーはF1パイロット・ヨハンソン、
ガショー、バイドラー、ハーバードと契約した。しかし唯一のテストの場となるべき富士1000kmが中止になり、まさにぶっつけ本番状態となった。
- 18 名前:CarNo.774:04/03/27 11:25
- トヨタは3台の90C−Vをエントリーした。トヨタチームトムスから2台(#36ミノルタ=リース/関谷/小河、
#37タカQ=亜久里/ダンフリース/ラバグリア)、15年ぶりのルマンとなる加藤真率いるトヨタチームサード(#38デンソー=長坂/ラファネル/ラッツェンバーガー)から1台。
ジャガーの4台、日産の5台と比べれば、(予算的に余裕のあるはずの)トヨタのこの姿勢は消極的としか写らざるをえないだろう。
当時はインターネットのない時代。表面的には日本のファンにはトヨタも日産も等しくジャガーにチャレンジし「あわよくば」と写ったことだろう。
しかし日産の強い「本気度」を日産の町田主管が熱く語ったインタビューが掲載されたオートスポーツ7/15号が発売されたのは決勝の前日。
逆にトヨタの事実上勝負を捨てた消極姿勢(3.2gエンジン・カーボンブレーキは持ちこまず、予選タイムアタックはせず、完走狙いetc.)が日本に伝わることもなく、
それがはっきりするのはレースが始まってからだった。
- 19 名前:CarNo.774:04/03/27 11:43
- この年のルマン、日本車は総勢13台、日本企業のスポンサードを受けるプライベートポルシェも10台参加。
(ミズノ・ヨースト、ケンウッド・クレマー、伊太利屋・RLR2台、マルカツ・デイビー、富士ゴルフ・デイビー、オムロン・シュパン、
武富士・シュパン、日石トラスト、アルファ東名)
まさにバブル絶頂期を表わしていたと言えよう。
予選開始と共に、日産の「本気度」とトヨタの「消極姿勢」が明らかになる。
予選初日、トップタイムをマークしたのはNPTI日産R90CKのブラバム。トヨタは積極的なアタックは行わなかった。WSPC鈴鹿やJSPC、
それに前年の積極的タイムアタックを思い起こせば、トヨタこそポールの本命と考えるファンも多かったはずだが。
予選2日め、日産はNMEのブランデルが前日を6秒も上回る3分27秒02で日本車初のポールを獲得する。
トヨタ勢は#36ミノルタが3分37秒13で10番手、以下#37タカQが3分38秒72が14番手、#38デンソーが3分39秒76で16番手。
プライベートポルシェにも先を越され中盤に埋もれた。
確かに耐久レースで予選グリッドはあまり意味を持たない。しかしポールを獲得した日産とトヨタ、どちらがより注目され、どちらがチーム内の士気が高まったかは言うまでもないだろう。
- 20 名前:CarNo.774:04/03/27 12:04
- 6月16日、ペースカー日産フェアレディ300ZXに先導されフォーメーションスタート、
午後4時(日本時間午後11時)決勝がスタートした。
まず飛び出したのはベイリーの#24YHP日産。これをF1パイロットララウリのレプゾルブルンポルシェが追う。
これを#23カルソニックの長谷見が追う。序盤のトップグループには#36ミノルタも加わり国際映像にも写された。
1回目のピットストップ直前に長谷見のカルソニック日産が首位に立つ。これが日本人初のルマンのLAPリーダーである。
1回目のルーティーンピットワークを終えた後、トップグループを形成したのは4台のジャガー、3台の日産、それにブルンポルシェの計8台。
トヨタはこの時点で既に遅れ、国際映像に写されることもなくなった。首位を快走し、大写しにされる日産と対照的に…。
トップグループに付いていけないトヨタ勢が唯一国際映像に写される場面は、日産に周回遅れにされる時だけだった。
そのトヨタが国際映像に大写しにされる場面がスタート4時間過ぎに起きる。首位を走る#24YHP日産がダンロップコーナーで周回遅れの亜久里ドライブのタカQトヨタをかわそうとした時に接触、
タカQトヨタは大クラッシュし亜久里は脳震盪を起こし病院へ運ばれた。YHP日産は前部を大破しながらなんとか1周しピットイン。カウル交換後再スタートするも首位から陥落した。
レースアクシデントにどちらに責任があるか問うのはナンセンスだが、(国際映像に大写しになる)首位から陥落した日産と、クラッシュで大写しになったトヨタのほうが得したと言うのは言いすぎか?
いずれにしろ首位争いでもないのにムダな接触だったと言えよう。
その後#38サードもトラブルで大きく遅れたのちリタイヤ、トヨタは「完走狙いで完走できない」と言う最悪事態も想定しなければならなくなった。
- 21 名前:CarNo.774:04/03/27 12:32
- この時点でマツダもトラブルで大きく遅れ、依然としてトップに絡む日本車は日産だけだった。
しかし日産勢も徐々にトラブルに合う。
#25JECS日産はフォーメーションLAP中にリタイヤと言う大失態、#84ユニシアも序盤にしてホイールは外れるトラブルで脱落(しかし結果的にこのマシンが決勝中のFLをマークする)。
クラッシュ後は順調に追い上げていた#24YHPは深夜にミッショントラブルでリタイヤ。
#23カルソニックもカーボンブレーキの寿命が予想以上に短く、その交換作業でなかなか首位に追いつけない。(NPTIはスチールブレーキを使用)
その後早朝にショックアブソーバーが根元から折れると言う珍しいトラブルで完全に優勝争いから脱落する。
唯一首位グループにいたNPTI#83も、午前9時前、燃料タンクからのガソリン漏れでリタイヤ。日産の90年ルマン制覇はこの時点で消えた。
#23カルソニックも優勝争いからは脱落したとは言え、依然表彰台は狙える位置にいた。カルソニックの前を走っていたのは日本からエントリーの東名スポーツメンテのアルファポルシェ。
コース上を走っている限り日産のほうがはるかに速い。追い付くのは時間の問題と思われたが、スタート前からアキレス腱と思われたミッションがついに音を上げ交換しなければならなくなった。
この時ニスモは上に追い付くのをあきらめるのみならず、その後をひたすら地味に地道に亀さん走行を続けてきた#36ミノルタに追い付かれる危機に瀕したのである。
テレビ朝日の中継でもピット裏で悲嘆にくれる星野のインタビューは写された。
この時現地の取材陣は「これでずっとサラリーマンレース続けてきたトヨタが逆転したら許せない」と言う声が出ていた。取材陣もワークスとは思えない地味なレースを続けたトヨタより、
攻めて攻めたあげくトラブルに遭遇した日産のほうにシンパシーを感じたのだろう。
しかしニスモはここでも「攻めた」。ゴールまでピット待機と言う消極的作戦を取らず、わずか12分でミッション交換作業を終え、最終ドライバー利男をコースに送り出した。
(もっともこの「ドラマ」をテレビ朝日の中継は一切伝えず、筆者も気づいたらコース上をカルソニック日産が走ってる映像を見付けた。この映像を見て胸を撫で下ろした全国のニスモサポーターは多かったことだろう。
この「ドラマ」を筆者自身知ったのはその後発売された雑誌によってである。テレビ朝日の中継下手は当時からであった)
利男はミノルタの前の6位でコースに復帰し、2位を走行中のブルンが残り15分でリタイヤと言う悲劇に遭い、1ポジション繰り上げ。
カルソニック日産は日本車、日本人史上過去最高の5位でレースを終えた。続くミノルタトヨタは6位である。
- 22 名前:CarNo.774:04/03/27 12:47
- 結果は5位日産、6位トヨタである。しかし攻めて攻めての結果5位と、地味に走って結果6位では、
世間の評価は1つのポジション以上に差があったのは間違いない。
ほぼトラブルフリーで走りきっての6位は、現場をマネジメントするトムスにとっては意味があったのかもしれないが、
「ワークスチーム」としては評価に値しないだろう。「亀さん走行」はプライベートチームならではの作戦である。
そしてトヨタは、日本からエントリーしたプライベーターである東名メンテナンスの#45アルファポルシェ(3位)にさえ勝てなかったのであるから。
トヨタが日産に付けられた差は、前年の日産を見れば1年では済まないと言えるだろう。
翌91年ルマンはターボ車は参加できるのか、トヨタは参加するのか、それすら決まっていなかった。その割りにはなんとも消極的だったと言わざるをえないトヨタの90年ルマンだった。
このバブル全盛期、トヨタは日産の1.5倍の予算でグループCに取り組んでいたらしい。しかしこの結果。この差はどこにあったのか?
その明確な答えもないまま、トヨタはWSPC、JSPC後半戦に挑むこととなる。
(以下次号)
- 23 名前:CarNo.774:04/03/29 01:15
- 乙。
しかしこの当時のトヨタと日産は98年と99年のそれとは正反対だなと
改めて思った
(バブル崩壊前・・・亀のトヨタ、兎の日産
98〜99・・・↑の逆)
- 24 名前:CarNo.774:04/03/30 10:31
- test
- 25 名前:CarNo.774:04/03/30 10:49
- トヨタ平成編 其の拾
ルマンで惨敗(と言っていいだろう)したトヨタ。その不調はWSPC、JSPC後半戦まで引きずられた。
相変らずトヨタのCカーは富士以外のコースにはマッチせず、ガス欠リタイヤが続いた。
もはやメルセデスC11とは勝負にならず、ちょうどこのころNAのV10搭載マシンの開発が本格化したため、ターボ車の開発が進まなかったことも一因だろう。
もちろんトヨタは何もぜすただ手をこまねいていたわけではない。いよいよ3.6gR36Vエンジンを投入した。この90年シーズン後半戦だけのために投入されると言ってよい、
なんとも贅沢なエンジンである(もっともこのエンジンは数年後レギューレーションの改定で甦り大活躍することになる。ただし結局栄光は掴めなかったのでが…)。
- 26 名前:CarNo.774:04/03/30 11:11
- WSPC後半戦、トヨタチームトムスは前半同様、89C―Vと90C―Vの2台体制。
後半戦から投入された89CV−010シャシーは、90C―Vのカウルを被せたスペシャルシャシーである。
見た目だけでは完全な90C―V仕様。
後半戦初戦となる第5戦ディジョンはリースの#37(89C―V)が予選5番手と健闘するも決勝は序盤で2台ともリタイヤ。
対照的に日産は3位表彰台。
第6戦ニュルブリンクは小河も参加。予選7位も決勝はガス欠リタイヤ(もう1台もリタイヤ)。
第7戦ドニントンはリースが予選で3番グリッドを獲得。しかし決勝はまたも2台ともガス欠リタイヤ。
悲惨な結果しか残せないトヨタとは対照的に、日産はダンロップタイヤと言うハンデを背負いながら終盤ついにメルセデスに追い付くところまでに到達する。
- 27 名前:CarNo.774:04/03/30 11:45
- 第8戦カナダ・モントリオール。このレースには翌年からフル参戦する3.5gNA/V10エンジン搭載のプジョー905のデビューレースとなった(結果はリタイヤ)。
このレースでリース組#37が7位で久しぶりに完走を果たす。燃費の問題が解決されたからではなく、レースが赤旗中断→終了となったためである。
この年のWSPCはF1同様6位までが入賞だったため、後半戦初のポイント獲得とはならなかった。
一方の日産は、このレース予選で2番グリッドを獲得。決勝でも順調に首位を快走するが、突然のレース中断・成立の時点で2位、初優勝を逃がした。
終盤に向けてメルセデスより日産のほうが残り燃料に余裕があったため、フルディスタンスでレースが行われたなら充分優勝できたはずなのだが…。
最終戦メキシコは燃費規定で行われる最後のレースである。このレースでもトヨタは予選は4番手とまずますながら決勝は2台揃ってリタイヤとなった。
優勝はメルセデス。2位は日産。トヨタは結局1度もポイントを取れずにWSPC後半戦を終えた(ベストリザルトは開幕戦鈴鹿の4位)。
トヨタはメルセデスどころか日産にも大きく差を付けられて1年を終えることになったのである。
この時点で翌年のSWC(WSPCより改称)にはハンデ付きながら90年規定車も参加を認められていた。
しかしメルセデスC11のみならず、日産R90CKにもまったく歯が立たない悲惨な現状では、ハンデの内容がどうであれ翌年のSWC参戦を再考させるのには充分であったろう(詳細後述)。
- 28 名前:CarNo.774:04/03/30 12:16
- まったくいいところがなかったWSPCに比べれば、「得意」な富士を主な舞台とするJSPCではもう少しまともな戦いを見せた。
しかしここでもライバル日産には大きく水を開けられてしまったのだが。
JSPC後半戦は7月の富士500マイルで幕を開けた。第2戦のインターチャレンジ富士1000kmが中止となったため、事実上の第2戦である。
ルマンで入賞した日産、トヨタの凱旋レースと言うこともあり、主催者発表7万人と言う、国内戦とは思えない大観衆で富士のグランドスタンドは埋まった。
予選でポールを獲得したのは長谷見のYHP日産。決勝は開幕戦同様、ミノルタトヨタと2台の日産の三つ巴で序盤は推移する。
しかし1回目のピットストップ直前に長谷見のYHPはパンクで遅れ(3輪走行でピットイン)、星野のカルソニックは燃料のパーコレーションでピットからスタートできず、
4周遅れの最下位に転落した。(星野はこの後のレースでもこの「病気」に苦しめられることなる)
1回目のルーティーンを終えるとミノルタトヨタは独走体制に。このままレースは終盤に進みミノルタトヨタの開幕2連勝か?と思われた。
しかし好事魔多し、最後のピットイン直前の残り30周と言う時点でトラブル、リタイヤとなり開幕2連勝は消えた。
あとは長谷見は余裕のクルージングで、長谷見にとって初、日産にとって85年WEC以来5年ぶりの優勝となった。
最下位まで落ちたカルソニックは猛烈な追い上げを見せ、残り数周で3位走行のマツダ787を抜き去り3位表彰台。星野の表彰台も85年WEC以来である。
カルソニック日産はクールダウンLAP中にガス欠でコース上にストップ。燃料をギリギリ使い切ってゴール後ストップとはある意味理想である。それだけ日産のテレメトリーシステムが
充分機能していたと言えるだろう。
トヨタの独走中、場内FM放送で解説をしていた評論家の館内は「なんで長谷見組は勝負かけないんでしょうねえ?」と煽っていたが、それをピットで聞いていた長谷見は逆転できると確信していたと言う。
結果的にミノルタがリタイヤとなり、この長谷見の発言が強がりなのか、根拠のあるものかは証明できなくなった。しかし日産R90CPはこの後連勝街道を爆進することとなる。
一方完璧にレースを進め、開幕2連勝が見えながら不運にもリタイヤとなったトヨタは、その後は日産に大きく差を付けられる。
トヨタはこの後、得意の富士以外ではプライベートポルシェにすら勝てなかったのであるから…。
(以下次号)
- 29 名前:CarNo.774:04/03/30 12:24
- (追加)
星野に抜かれたマツダ787は、レース後車検で車両規定違反で失格となってしまう。
しかしマツダがトップグループに加わり、タナボタでなく実力で表彰台圏内を走行したのは、
GTPクラスステップアップ後初めてであった。
しかしこのレースでのマツダの快走が、ルマン制覇の序章であったことに人々が気づくのにはこの後1年を要した。
- 30 名前:CarNo.774:04/03/30 19:16
- 2ちゃんのCカースレ→スポーツカーレーシングスレから誘導されまくって
どこに定着してよいやら迷いますがとりあえずお邪魔しますw
一応ずっとトヨタ応援してて82年鈴鹿1000kmはセリカCを見に行きました。
最初は2コーナーで観戦、スタート直後の混戦でセリカを見つけられず
次の周、その次と待てど暮らせど帰ってこないのを待ち続け。
そして観戦ポイント移動しつつヘアピン先まで行くとコース脇に止まった
セリカCの姿が…( ´・ω・)ショボーン
先日、サードの加藤氏がマツダの大橋氏を口説いたwという豊田の高月院に
行ってきました。割と近場なんですが、なんかタイミング合わなくて行く
機会を逃していたり。
舞台になったという境内奥の建物は見当たりませんでした。まぁ30年以上
前の話だから様子も随分変わってるでしょうけど。
もうちょっとしたらまた行ってお寺の方に話でも聞いてみようかと思ってます。
- 31 名前:CarNo.774:04/03/31 00:06
- >>30
バックナンバーは過去スレ
ttp://ziro.no-ip.org/archive/2ch/0000152679.html
とルマンスレに
- 32 名前:CarNo.774:04/03/31 14:06
- Ron買いますた。ガレージルマンのマシンがほとんど触れられてないとか、WSPC鈴鹿が89と90を
間違えてるとか突込みどころも満載だけど46ページの大特集。はっきりイって買い。
国内Cカーレース全リザルト掲載(82WEC〜94鈴鹿1000、ノンタイトルも含む)
- 33 名前:30:04/04/01 19:04
- >>31
どもです。
んが、過去ログのほうが「ページを表示できません」となって見られません(^^;)。
僕もレーシングオン買ってきました。Ronは10年振りくらいでしょうか。
模型製作の資料になるかなとも期待したんですけど、残念ながらそちら方面には
イマイチですね。何より今一番知りたいグッピーが写真一枚だけって……_| ̄|○
正直購入を迷いましたが、この時期にCカー特集を載せた編集部に敬意を表して
買うことにしました。でももーちょっとだけ広く扱って欲しかったなぁ。
- 34 名前:CarNo.774:04/04/03 10:09
- >>33
過去スレがhtml化するのを気長にお待ちください。
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/f1/1074405446/-100
- 35 名前:CarNo.774:04/04/03 10:19
- トヨタ平成編 其の拾壱
JSPC第4戦鈴鹿1000km、トヨタは87年に優勝したゲンのいいレースである。
このレースからトヨタは2台目の90C―V(006)を投入した。スポンサーはWSPCと同じタカQで、
WSPCとバッティングしないリース/ラファネルが来日した。
予選ではTTTの2台がフロントロー独占する。
決勝では序盤からこの2台のTTT,カルシニック日産、フロムAポルシェがレースを引っ張る。
このレースからカルソニックはタイヤをDLからBSにチェンジした。YHP日産はDLのままと言う変則2カー体制である。
同じくDLをはくサードトヨタとともにYHPもペースが上がらなかったことから見ると、この灼熱のレースでは明らかにBSのほうが有利だったようである。
- 36 名前:CarNo.774:04/04/03 10:28
- 1回目のピットストップ時、星野のカルソニック日産は全戦富士500マイル同様燃料系のパーコレーションで再スタートできない。
消火器をかけ冷やしようやく再スタートするも遅れる。しかし全戦ほど致命的な遅れにはならなかった。
しかしカルソニク日産はその後猛烈に追い上げ、フロムA,トヨタ勢を抜き去り首位に浮上する。この急速な追い上げが燃費の悪化に繋がってるはず、
トヨタ陣営はそう考えたかもしれないが、カルソニックはその後もペースを落とすことすことなくチェッカーを受けることとなる。
日産の2連勝。星野にとって85年雨のWEC以来、5年ぶりのグループC優勝となった。フルディスタンスでは初の優勝である。
一方のトヨタはと言うと、ポルシェにすら前を行かれ、3−4位と完敗。ゴール後4位に入ったミノルタ号が再車検で失格(車高規定違反)となってしまう。
- 37 名前:CarNo.774:04/04/03 10:34
- この頃、日本のプライベートポルシェはバブル景気の豊富な資金量で、世界的に見ても
最強の部類に存在だったと言えよう。とくにノバはヨーストやブルンに比べても決してひけを取らない。
アルファ東名に至ってはルマンで表彰台をゲットしているのだ。
しかし所詮はプライベーター、しかもマシンはアルミモノコックの旧時代のものである。
確かにノバメンテのフロムAポルシェは世界最強部類のポルシェには違いないが、ワークスチームとして勝てないトヨタの不振はいよいよ深刻となった。
それだけ燃費の面で日産はおろかポルシェに差を付けられているのである。
- 38 名前:CarNo.774:04/04/03 10:47
- 続く第5戦、JSPC初開催となる菅生での500km。
予選でポールを獲得したのはまたしてもリースのトヨタ。5番手までをトヨタ、日産の
ワークス勢が占める。6番手にはなんとスパイスが入った。それだけテクニカルコースの
菅生にはマッチしたのだろう。
このレースからサードはマシンを89C−Vに戻している。それだけ90C−Vの開発が進んでいない証明と言えよう。
決勝では例によって燃費に苦しみ、トヨタ勢は日産どころかポルシェにさえ追いていかれる始末。
YHP日産の独走優勝となる。カルソニックは、またしても燃料系のパーコレーションで遅れる。
その後猛烈な追い上げを見せ、終盤3位の日石トラストポルシェを捕らえる。1コーナーではブレーキから白煙を上げる星野の撃走で。
結局この猛烈な追い上げが燃費の悪化を招きカルソニックは4位でレースを終える。
しかしトヨタ勢はこのさらに後となる、周回遅れの5位、6位、8位。
トヨタは富士でなければプライベートポルシェにすら勝てなかったのである。
- 39 名前:CarNo.774:04/04/03 11:08
- 最終戦富士1000kmを前に、事実上日産のチャンピオンは決まっていた。
焦点はドライバーズタイトルが長谷見になるか星野になるかのみ。
星野がチャンピオン獲得となれば、グループA,F3000と並び「三冠王」となる。
予選は日産がフロントロー独占。このまま日産の独壇場で終わるのか…?
トヨタはサードに続き、トムスの1台も89C−Vでエントリーした。トムスは今回は2台揃ってミノルタカラーである。
日産の一方的展開が予想されたが、二転三転する天候に翻弄され、レースは荒れた展開に。トヨタも#36ミノルタ(89C―V)が序盤にリタイヤするも、
他の2台は日産を付いていった。逆に#YHP日産はオロフソンがAコーナーでコースアウト、グラベルにはまり大きく遅れる。この時点で星野の三冠王は確定と思われたのだが…。
しかしチャンピオン争いを左右したのは皮肉にもトヨタ勢だった。
終盤まで上位を走っていた#37ミノルタがリタイヤし、順位を落としていたYHPが一つ繰り上がり5位に浮上する。
首位のカルソニック日産はこのまま優勝すればチャンピオン獲得となる。その最後のピットストップで、スリックに履き替えピットアウト。
このままチャンピオンへまっしぐらと思われた。しかし皮肉なことにその後また雨が降り出す。最後のピットインを引き伸ばし様子を見ていた#38サード89C―Vは、これでレインに履き替えピットアウト。
その後ますます雨足は強まりカルソニックは再度ピットイン、勝負はここでついた。
不振に悩まされたトヨタは、最後の最後に天の恵で2勝目をあげた。2位はカルソニック、YHPは5位。
星野と長谷見は同ポイントながら、優勝回数の差で長谷見がチャンピオンとなった。
- 40 名前:CarNo.774:04/04/03 11:17
- 優勝したとは言え、トヨタはチャンピオン争いの引き立て役に過ぎなかった。
この90年シーズン、終って見ればWSPCではメルセデス、JSPCでは日産に大きく差を付けられた1年だった。
ルマンではほとんど存在感を示すことができなかった。
時期は前後するが、このころ翌年のSWC(WSPCから改称)およびルマンにレギュレーションが確定した。
盛況だった90年シーズンから一気にエントリーを減らし、最終的にはCカーレースを崩壊させることとなるメチャクチャな
レギュレーションが採用された。
このバカバカしいレギュレーション(詳細は後述)は日産やプライベートポルシェ勢のその後の活動に大きく影響を与えた。
しかしトヨタはあまり関係なかった。現レギュレーションではメルセデスや日産と勝負にならない以上、ターボマシンはあきらめ、
92年以降の3.5gNAマシンの開発に専念したほうが得策と判断したからである。
(以下次号)
- 41 名前:CarNo.774:04/04/14 08:37
- 保守
- 42 名前:ユニ(・・ ◆zZnos9Ow:04/04/16 13:59
- >41
いやまず落ちないから(^^;
- 43 名前:CarNo.774:04/04/17 08:24
- test
- 44 名前:CarNo.774:04/04/17 08:43
- トヨタ平成編其の拾弐
さて時期は前後するが、90年9月ころ、翌91年のSWC(WSPCから改称)について、
従来のカテゴリー2(燃費規定のターボ、ロータリー、大排気量車)の参加問題について、マニュファクチャーコミッションが開催された。
90年シーズンが開始した時点、さらにルマンの時点(6月)でも、91年、カテゴリー2が参戦できるかどうかは決まっていなかった。
しかし90年時点でカテゴリー1(3.5gNA)の有力マシンはスパイス/DFRのみ。常識的に考えれば91年もカテゴリー2が参加できるものと誰もが考えていた。
問題はカテゴリー2のマシンのハンデがどれくらいになるか。90年ルマン終了時点で、日産のグループCプロジェクトリーダー町田は、
「来年のターボ車のハンデをどれくらいにさせるかが来年のルマン制覇のカギ」と発言している。
ルマンの時点でカテゴリー1の開発が進んでいたワークスはプジョーのみであった。少なくとも91年ルマンを制覇するのは、ハンデを背負っても「旧」規定となるカテゴリー2であろうと誰もが考えていた。
- 45 名前:CarNo.774:04/04/17 09:02
- なぜFIAはグループCにもF1同様3.5gNA規定を導入しようとしたのか?
この規定導入が発表された80年代後半、グループCには7つものメーカー(ポルシェ、ジャガー、メルセデス、
アストンマーチン、トヨタ、ニッサン、マツダ)が参戦していた。
排気量自由、燃費のみ制限と言うレギュレーションはメーカーにとって参加しがいのあるカテゴリーだったのである。
わざわざ規定を代える必然性は無かった。
一方のF1は88年当時(既に89年からの3.5gNA化が決定していた)、ワークスエンジンを供給していたメーカーはホンダ(ターボ)、フェラーリ(ターボ)、フォード(NA)のみ。
CカーとF1の規定を同一にし、F1エンジンの供給メーカーを増やそうと言う思惑があったと言えるだろう。
さらにもう一つ、政治的側面としてプジョーの参加があった。プジョーはグループB規定で行われていたWRCに参戦していたが、86年ヘンリ・トイボネンの事故死で急遽グループB規定が廃止され、参加する場を失った過去があった。
そのプジョーに対するFIAの「罪ほろぼし」として、新たに参加しやすいよう、新規定を導入したと言う思惑がなかったとは言いきれないだろう。
- 46 名前:CarNo.774:04/04/17 09:21
- 90年9月、パリコンコルド広場前のホテルでマニュファクチャーズコミッションが開催された。
バーニーエクレストンは当初、少数の参加者のみで行う意向で、日本のメーカーには日産の町田のみ声をかけたが、
全てのメーカー関係者が参加しないと不公平であると、トヨタの福井、マツダの小早川、大橋も出席させるようにした。
この時点で3.5gNAのマシンの開発が順調に進んでいたのはプジョーのみ。多くのプライベーターが使うポルシェが参加できなければ91年のSWCの参加台数は激減する。
この会議ではターボ車のハンデが+50kg、ロータリーのハンデが+30kgでまとまった。プジョーは強硬に反対したが多数はこの決定に同意した。
しかしこの会議の後、プジョーのジャン・トッドの逆襲が始まる。プジョーのマシン(905)と、ハンデ+50kgのターボメルセデス(C11)ではほとんど同じタイムになると言うシュミレーションから、
FIAバレストル会長にかけあい、急遽ターボ車のハンデが+100kgに変更されたのである。これではコンコルド広場でのマニュファクチャーズコミッションは一体なんだったのかと言うことになる。
さらにピットストップ時の給油速度は、カテゴリー1は従来の1秒/1g規定が適用され、カテゴリー2はクイックチャージがOKとなった。
2回のピットストップでは2分のハンデを背負うこととなる。この規定では日産や、多くのプライベートポルシェが参加を取りやめる気にさせるに充分なものだった。
- 47 名前:CarNo.774:04/04/17 09:39
- 確かに91年からのカテゴリー1導入は決まっていたことであり、そのマシンが優遇されるべきなのは正論である。
(信頼性がものを言う)ルマン以外は、すべてのレースでカテゴリー1が優勝するようになる規定がベストとは言える。
しかし、参加する側にやる気を失わせるほど、観客に関心を失わせるほどの過剰なハンデを与えれば、「プジョーのためのSWC」と言われてもしょうがない。
88年のF1において、(ハンデ付きながら)ターボ車がNAを圧倒した過去があったのは事実である。しかしこの時、NAのワークスエンジンはフォード(ベネトン)のみ。
ターボのハンデ(使用燃料150g/300km,ブースト2.5bar)が甘かったのではなく、ホンダ+マクラーレン+セナ+プロストが強すぎただけだったのだ。
このホンダの圧勝のとばっちりを日産が受けることになったとは言い過ぎか?
翌91年SWCの開幕戦、この規定のため参加車は前年の半分の15台に激減してしまった。急遽カテゴリー1マシンを作り上げたジャガーは圧倒的に速く、前年の「ハンデなし」カテゴリー2メルセデスC11のタイムを
はるかに上回るタイムで周回した。遅いカテゴリーのマシン(カテ2)にハンデ(+100kg、1秒/1g規定)を背負わせるメチャクチャなレギュレーションが浮き彫りになったのである。
そしてこのレギュレーション改正が結果的にグループC崩壊の引きがねとなったのである。
- 48 名前:CarNo.774:04/04/17 09:49
- さて、「トヨタ編」でありながら、トヨタのことはほとんど触れなかった。トヨタは実は早いうちから91年のSWC、ルマンの欠場を決めていた。
ターボ車のハンデに関わらず、である。
90年シーズン、トヨタのターボCカーはメルセデスどころか日産にすら水を開けられた。このまま参加しても結果は臨めない。それならば新規定(トヨタはカテゴリー1のV10マシンの開発に着手していた)
のマシン開発に集中したほうが良い。結論は早かった。91年、トヨタは92年に向けてのV10搭載車の開発(SWC終盤戦には実戦参加予定)、および実戦参加はターボ車によるJSPCに集中となった。
JSPCに集中する91年は日産に負けられない。トヨタの逆襲が始まった。
(以下次号)
- 49 名前:CarNo.774:04/04/17 21:48
- (・∀・)イイヨイイヨ〜
- 50 名前:CarNo.774:04/04/27 23:23
- 50ゲトー
- 51 名前:CarNo.774:04/04/29 10:06
- test
- 52 名前:CarNo.774:04/04/29 10:30
- トヨタ平成編其の拾参
1991年シーズン、トヨタはSWC(WSPCから改称)に参戦せず、3.5gNA−V10エンジン搭載のTS010の開発に専念することになった。
シャシーはそれまでの童夢デザインの88C−Vを源流とするものから、前年までアストンマーチンのデザインを進めながら、このプロジェクトがキャンセルされたため(ジャガーもフォード同門となったため)、
フリーとなっていたトニーサウスゲート(ジャガーXJR−6〜12もデザイン)にデザイン依頼したモデルへとフルチェンジした。TS010の完成までは89C−VにV10エンジンを搭載しテストした。
TS010はシーズン後半、SWCに実戦投入されることとなる。TS010とV10エンジンは項をあらためる。
従来の燃費規定ターボCカーは、JSPCに専念することに。不安定なシャシー性能しか引き出せなかった90C−Vの反省から新たにディメンションを見直した91C−Vを開発した。
91年は日産もルマンに参戦しない。トヨタ×日産の戦場はJSPCに絞られることとなった。トヨタとしては何度も取れそうで取れなかったJSPCタイトルを日産は90年あっさり奪取した。
トヨタはなんとしても前年のリベンジを果たさなければならなかった。
しかし91C−Vはシェイクダウンテストで充分な冷却効果が得られず、急遽サイドからフロントにラジエーター位置を変更することに。
このため開幕戦に91C−Vは間に合わず、90C−Vでエントリーすることとなった。
91年シーズン、トヨタ勢は、トヨタチームトムス2台、トヨタチームサード1台の3台体制。トムスは88年以来、久しぶりにフルシーズン2カー体制となった。
スポンサーはトムスがミノルタとデンソー(2戦目以降はエッソ)、サードはデンソー。
ドライバーはトムス#36が関谷/小河、#37がWSPCから戻ったリース/ラファネル,サードがラッツェンバーガー/長坂。
- 53 名前:CarNo.774:04/04/29 10:51
- 開幕戦は3月富士500km。ディフェンディングチャンプ日産は新型R91CPを投入した。
この時点でトヨタはルマン欠場を決めていたが、日産はまだ未確定だった。場合によってはこのR91CPがルマンに参戦することもありえたのだが…。
レースは新型91C−Vが間に合わないトヨタを日産が圧倒した。特に前年NMEが使用していたR90CKを手に入れた耐久の名門・フロムAノバはプラーベーターとは思えない快走を見せ、
ワークスのニスモを最後まで追いかけ回した。一時は日産勢は1−4位を占めたほど。最終的にはミノルタトヨタが追い上げ3位に入賞したが、前年からけられた日産との差は縮まらないままだった。
JSPC第2戦の前に、鈴鹿でSWC開幕戦が行われた。とは言えトヨタも日産も出場しない。そのためかその同じ日に富士でF3000が開催される日程が組まれていた。
トヨタ・日産の出場しないSWCなど、JAFにとってその程度のものだったのだろう。
JSPC第2戦はGWの富士1000km。このレースからフロントラジエターに改められた91C−Vが2台投入された。トムスの#37(90C−V)はESSOが新たにスポンサーに。
しかし決勝レースでは、またしても日産に大きく水を開けられた(3位)。
この日、2台のニスモ・日産R91CPは、224周の残り10周を切っても、チームメイト同士でフェンダーをぶつけ合いながら争う、日本レース史上に残る大バトルが繰り広げられた。
昨今のJGTCにおけるあからさまなチームオーダーを見せつけられると隔世の感があるが…。
- 54 名前:CarNo.774:04/04/29 11:09
- 本来であれば、この後はルマンであるが、この年はトヨタ(日産も)参戦しない。
例年に比べ事前の盛りあがりにかけたルマンであったが、この91年ルマンはマツダが日本車初(にして今の所唯一)の優勝を遂げることなる。
欠場したトヨタ/日産の心中、いかばかりであったか…?
もちろんルマン遠征の無くなった期間、トヨタは何もしてなかったわけではなかった。
それは第3戦富士500マイルで証明されることなった。
予選ではサードがこの年初のポールを獲得。
決勝でも「空を飛ぶ」(YHP、伊太利屋)日産を尻目に快調に周回を重ね、カルソニックの猛追をかわしミノルタがシーズン初優勝を遂げた。
(前年最終戦雨に助けられ優勝したとは言え)、日産に対してトヨタはようやく一矢報いたのである。
そしてやられっぱなしであったトヨタの逆襲がここから始まった。
- 55 名前:CarNo.774:04/04/29 11:37
- 第4戦鈴鹿1000km。このレースでもポールはリースのエッソトヨタが獲得した。
決勝も残り171周レースの残り10周を切った時点でも10秒前後の差で推移すると言う、
耐久レースとは思えない大接戦となった。この年のJSPCは間違いなく史上最激戦の耐久レースだったと言えるだろう。
残り9周でトップのカルソニック日産がサスペンショントラブルでコースアウト、リタイヤ。
デンソー・サードトヨタが今季初優勝を遂げた。トヨタは2連敗のあと2連勝。
続く第5戦ではエッソトヨタが勝ちトヨタは3連勝。シリーズはまったく読めない展開となった。
第6戦はインターチャレンジ富士1000km。「インター」と名はついたが海外からのエントリーは無かったが。
予選ではミノルタトヨタの小河等1分14秒523と言う、初の14秒代でタイムでポール獲得。
しかし決勝は雨で赤旗中断→成立となりカルソニック日産にわずかながら及ばず2位となった。
これでメイクスポイントは1位日産と2位トヨタの差はわずか6ポイント。ドライバーズも星野と小河の差はわずか2ポイント。
すべては最終戦菅生500マイルで決まることとなった。
- 56 名前:CarNo.774:04/04/29 11:59
- さて、JSPCの最終戦前に、オートポリスでSWC最終戦が行われた。
87年に西仙台で行われる予定だったWSPCが中止になっているので、日本国内で1年に2度行われるスポーツカーの世界戦はこれが初のことである。
このレースにトヨタは3.5gNA―V10エンジン搭載のTS010をデビューさせた。レギュラーのジャガー、プジョー、メルセデスに加え4ワークスが顔を揃える久しぶりに豪華なキャストとなった。
しかしこのレースの決勝日には、富士でもF3000が開催されていた。
開幕戦鈴鹿同様、日本にとってはもはや「どうでもいいレース」だったのだと言わざるを得ない。スタンドも普段のJSPCとは比べるべくもないほどガラガラであった。
このレースでトヨタTS010は6位入賞とまずまずのデビュー戦だった。優勝はメルセデスC291のシューマッハ/ベンドリンガー。
これがシューマッハ最後のCカーレースだった。それ以上にメルセデス最後のCカーレースだたのである。
- 57 名前:CarNo.774:04/04/29 12:26
- さて、このオートポリスSWCが、翌週のJSPC最終戦の菅生500マイルに微妙な影響を与える。
なんとTWRジャガーXJR−14が2台ゲスト参加したのである。
ポールはダントツでジャガーが獲得した。
燃費規定のないSWCだが、JSPCではカテゴリー1(3.5gNA)にも燃費規定は適用される。
決勝スタートではターボパワーを生かしサードトヨダがトップに出るも、すぐにジャガーに抜かれ、逃げられる展開。
V8のジャガーは燃費にも問題がなく、「未体験」の430km(SWCの距離)を超えても難なく走りきり、独走で優勝してしまった。
(もう1台のジャガーはトラブルで後退)
2位にミノルタトヨタが入るも、3位にカルソニック日産が入り、ドライバーは2ポイント差で星野、メイクスは3ポイント差で日産が獲得。
トヨタはまたしてもJSPCのタイトルを取りそびれたのである。
シーズン後半に限って言えば、トヨタ91C−Vは日産R91CPと互角どころか上回る戦闘力を発揮していた。
しかしわずかに及ばず、2年連続でトヨタは日産の後塵を拝することとなったのである。
60年代の日本GP同様、どうしてもトヨタは日産に勝てない…。
そしてターボCカーによるトヨタの「ワークス」活動はこの年限りとなった(ほぼ同じ体制で翌年のJSPCにも参戦したが)。
「ワークス」は3.5gNAのTS010で参戦するSWCに集中することとなる。
そして結局一度も日産に勝てないままJSPCは翌年で終焉を迎える。
(以下次号)
- 58 名前:CarNo.774:04/04/29 12:28
- 次回でトヨタ平成編は最終回の予定。
次回作は「日産編」を予定しています。現在資料を集めているところ。乞うご期待。
- 59 名前:CarNo.774:04/04/30 22:20
- 最近グループCにはまった俺にとっては数少ない
情報源ですので期待してます。
レーシングオンもどうやらグループCの特集を
これからも組んでいく可能性があるみたいだし
どこかであの頃のビデオとか今売り出せばいいんですけどねぇ・・・
- 60 名前:CarNo.774:04/05/06 12:04
- うわ〜リアルでCカーを見てきた世代としては懐かしいスレですね!
WECを「ウェック」なんて呼んでいましたね〜
- 61 名前:CarNo.774:04/05/08 11:51
- >>60
いやそう読むんですヨ!
- 62 名前:CarNo.774:04/05/11 10:07
- test
- 63 名前:CarNo.774:04/05/11 10:41
-
86年スパイスです。下記のJLOC34回ミーティング欄に暖気中の動画があります。
http://www.ne.jp/asahi/bravo/lamborghini/
- 64 名前:CarNo.774:04/05/11 10:45
- 1992年、トヨタは「ワークス」としては3.5gnaV10エンジン搭載のTS010でSWC
(スポーツカー世界選手権)に集中し、JSPCは「ワークス」でなく、トムス、サード、そして前年までポルシェを走らせていたトラストからの3台体制となった。
マシンは「92C―V」を名乗るが、新車でなく事実上91C―Vの改良版である。
SWCは前年にジャガーとメルセデスが撤退し、エントリーは10台前後と言う有様、事実上崩壊状態だった(SWCについては項をあらためる)。
JSPCもバブル崩壊の余波でプライベーターが多く撤退し、こちらも10台前後しか集まらない有様。JSPCもこの年限りで終焉を迎えることとなる。
さて、ワークス参戦しないトヨタに対し、日産は旧規定で新車「R92CP」を投入し、ワークス参戦を継続した(新規定のV12エンジン搭載NP35はSWCに参戦していない)。
当然のことながら、日産は開幕から4連勝とトヨタを圧倒した。
トヨタも黙っていたわけでなく、第4戦の菅生から新車(事実上唯一の92C−V)を投入した。これを制作したのはトムス。
トムスは88C以来久々の自製のマシンである。第5戦では小河がポールを獲得した。
しかし「ターボ車」では全6戦、結局一度も日産に勝てないままシーズンを終えることとなった。
SWC鈴鹿1000km(SWCと言っても大会史上最低の11台の参加しかなかった)で「凱旋走行」したワークスのTS010(2位)は、
JSPCにも第5戦富士1000kmから投入された。グッドイヤーの予選タイヤがないため、予選グリッドは低迷したが、決勝レースは「ターボクラス」の日産を圧倒し、
独走で優勝した。(この年はカテ1に燃費規定がなかった。燃費規定があったら完走できなかった)
第6戦美祢500kmでもトヨタTS010(2台投入)は独走で優勝し、結果この年のカテ1クラスのチャンピオンを獲得した(カテ2は日産&星野)。
このレースはトヨタ、日産(NP35)、マツダ(MXR−01)と国産3メーカーのカテ1マシンが初めて顔を揃えたが、それも最初で最後だった。
これが1983年鈴鹿500kmで始まったJSPC(当時は全日本耐久)の最後のレースとなったのだから。最初と最後のレースどちらにも顔を見せたチームはトムスとトラストのみであった。
- 65 名前:CarNo.774:04/05/11 10:47
- トヨタ平成編最終回
1992年、トヨタは「ワークス」としては3.5gnaV10エンジン搭載のTS010でSWC
(スポーツカー世界選手権)に集中し、JSPCは「ワークス」でなく、トムス、サード、そして前年までポルシェを走らせていたトラストからの3台体制となった。
マシンは「92C―V」を名乗るが、新車でなく事実上91C―Vの改良版である。
SWCは前年にジャガーとメルセデスが撤退し、エントリーは10台前後と言う有様、事実上崩壊状態だった(SWCについては項をあらためる)。
JSPCもバブル崩壊の余波でプライベーターが多く撤退し、こちらも10台前後しか集まらない有様。JSPCもこの年限りで終焉を迎えることとなる。
さて、ワークス参戦しないトヨタに対し、日産は旧規定で新車「R92CP」を投入し、ワークス参戦を継続した(新規定のV12エンジン搭載NP35はSWCに参戦していない)。
当然のことながら、日産は開幕から4連勝とトヨタを圧倒した。
トヨタも黙っていたわけでなく、第4戦の菅生から新車(事実上唯一の92C−V)を投入した。これを制作したのはトムス。
トムスは88C以来久々の自製のマシンである。第5戦では小河がポールを獲得した。
しかし「ターボ車」では全6戦、結局一度も日産に勝てないままシーズンを終えることとなった。
SWC鈴鹿1000km(SWCと言っても大会史上最低の11台の参加しかなかった)で「凱旋走行」したワークスのTS010(2位)は、
JSPCにも第5戦富士1000kmから投入された。グッドイヤーの予選タイヤがないため、予選グリッドは低迷したが、決勝レースは「ターボクラス」の日産を圧倒し、
独走で優勝した。(この年はカテ1に燃費規定がなかった。燃費規定があったら完走できなかった)
第6戦美祢500kmでもトヨタTS010(2台投入)は独走で優勝し、結果この年のカテ1クラスのチャンピオンを獲得した(カテ2は日産&星野)。
このレースはトヨタ、日産(NP35)、マツダ(MXR−01)と国産3メーカーのカテ1マシンが初めて顔を揃えたが、それも最初で最後だった。
これが1983年鈴鹿500kmで始まったJSPC(当時は全日本耐久)の最後のレースとなったのだから。最初と最後のレースどちらにも顔を見せたチームはトムスとトラストのみであった。
- 66 名前:CarNo.774:04/05/11 11:06
- さて、トヨタはこの92年、2年ぶりにルマンに復帰した。
「ワークス」としてTS010が3台、そしてサード、トラストからJSPCそのままの体制で92C−Vが2台の計5台体制。
カテゴリー2(ターボ)は、前年の100kgの重量ハンデは無くなったものの、燃料使用量は更に厳しくなった。事実上優勝はカテゴリー1のプジョー905と、
トヨタTS010で争われることになった。
ワークスのTS010はプジョーに及ばず2位であったが(関谷が日本人初の表彰台)、「ターボクラス」ではトラストが総合5位でクラス優勝と健闘した。
1993年、JSPC、SWCは終焉し、グループCカーレースは事実上ルマン24時間のみになった。
日産、マツダも活動を停止し、参戦する国産メーカーはトヨタのみ。
トヨタは前年同様、「ワークス」からTS010が3台、サード、トラストから93C−V1台ずつの計5台。
カテ1によるトヨタVSプジョーは前年と同様であったが、結果もまたしてもプジョーの勝利となり1−2−3フィニッシュのおまけまでついた。トヨタの最上位は4位だった。
完敗と言っていいワークスの「カテ1」であったが、サード、トラストの「カテ2」はこの年も健闘した。
この年のカテ2は、燃費規定が廃止されるかわりに、エアリストリクターでパワーが規制された。しかし規定が変わろうとも、両チームは善戦し、結果サードがTS010に次ぐ5位、カテ2クラス優勝を遂げた。
周回数は363周。91年のマツダの362周を上回る周回数(!)である。
- 67 名前:CarNo.774:04/05/11 11:26
- カテゴリー1のマシンが出走できるのは93年限りであったが、規制を加えることにより、翌94年のルマンにもCカーは生き残った。
94年、前年のカテゴリー2は、フルフラットボトム、大幅なパワー規制(550PS)で「LMP1」と言うカテゴリーで生き残った。
これが事実上、最後のCカーの出走できるレースである。
この年、トヨタはワークス参戦せず、トラストとサードから「LMP1」規定に改造された94C−Vが2台参戦。
前年、前々年のクラスウィナーであり、誰もが優勝候補最右翼と見た。
ところがここに大きなライバルが出現する。ポルシェ962Cを「GT1」クラスでエントリーしてきたダウアーである。
93年からルマンには市販車改造のGTクラスが復活したが、ポルシェ962のロードバージョンがあると言う理屈でGTのホモロゲをとり、GTクラスで参戦してきたのである。
GTクラスはタイヤサイズ、重量でLMPクラスより不利な半面、パワー規制はLMPクラスより緩く、直線ではLMPマシンより速かった。
レースは、予想通りこのGTクラスのダウアーポルシェと、トヨタ94C−Vの一騎打ちとなった。
トラストは深夜にミッショントラブルで後退したが、サードは残り2時間までポルシェを抑え首位を快走していた。
サードチームは燃えていた。チーム永年の夢であったルマン制覇が現実のものとして捕らえることができたこともある。それ以上に永年チームを支え、この年F1にステップアップしながら、
サンマリノGPで命を落としたローランドラッツェンバーガーの弔い合戦と言うこともあった。
しかし残り2時間を切り、91年のマツダに次ぐ日本車の優勝が見えたきた時、トラブルが起きた。
- 68 名前:CarNo.774:04/05/11 11:40
- 残り1時間半、首位を快走していたサードトヨタが突如ピットロード出口付近でストップした。
シフトリンケージのトラブルである。マシンを飛び降りたクロスノフが手でミッションを入れ、
なんとかスロー走行でピットまで戻り修復したが、ダウアーポルシェ2台に先行されて3位に転落した。
その後アーバインがラストラップまで猛追し、2位を奪い返すが、優勝は取りのがしてしまうことになった。
85年から始まったトヨタのルマン参戦は、ひとますここでピリオドが打たれた。
九分九厘捕まえかけていた栄光を掴むことができないまま。
サードの加藤眞代表も、シグマ時代からの73年の初参戦以来、最大のチャンスであったのだが…。
優勝を逃がしたとは言え、最後まで健闘したこの年のサードのトヨタ94C−Vがルマンの博物館で永久保存されることとなった。
時代を表わすように、メインスポンサー一色のバブル時代と異なり、多数の小口スポンサーのステッカーがボディを彩っている。
- 69 名前:CarNo.774:04/05/11 12:23
- さて、その後、「本当の」Cカー最後のレースが日本で行われた。鈴鹿1000kmである。
当初はダウアーも来日し、ルマンの激闘が再現されるはずであったが、ダウアーの来日が急遽キャンセルされ、
サードトヨタはライバル不在のまま孤高のレースを展開していたが、トラブルでリタイヤ、有終の美を飾れなかった。
これが82年鈴鹿1000km(トムスセリカCが出走)以来の、トヨタ、そして日本の最後のCカーレースであった。
・エピローグ
翌95年、サードとトラストはスープラのGT仕様でルマン参戦を継続することとなったが、トラストはテスト中のクラッシュで、
(シード権があったのだが)ルマン参戦を断念。サードは95年14位、96年リタイヤと言う結果に終った。
サードはトヨタのセミワークス活動とは別に、MR2をベースにしたオリジナルGTマシンMC8(セルシオ用V8搭載)での参戦も95年から開始したが、
目だった成績を残せないまま、97年には予備予選落ち、この年限りでルマン参戦を中断した。
トヨタワークスとしては98年、TMG(TTE)からのエントリーと言う形でワークス活動を再開した。「GT」と言いながらどう見てもCカーにしか見えないTS020で。
1台でもロードモデルの公認を得れば「GT」として参加できるレギュレーションのため、「GT」と言いながらCカーみたいなマシンは多数生まれたが、
ここまであからさまなCカーもどきの「GT」は強烈であり、それをあの堅実なトヨタがと言う点でさらに衝撃的であった。
エンジンは94年に、あと一歩で栄光を掴めなかったV8ターボ・R36V。
トヨタTS020はデビューレースでありながら他を圧倒し、トラブルで後退してもその圧倒的速さで首位奪還、と言うことを繰り返し、残り2時間を切っても首位。ルマンでの数々の不運に見まわれたトヨタにも
ついに女神が微笑むと思われたが、ルマンの女神はよほどトヨタが嫌いなようである。残り1時間半、ミッショントラブルでコース上でストップ。ピットに戻れなければ修理はできずここでリタイヤとなってしまう。
翌99年、前年の不運があったとは言え、その圧倒した速さから5つのワークスチームの中で誰も本命視していた。
予選はポール獲得、決勝でも快調に3台のマシンは周回を重ねるが、深夜のうち2台が消える予想外の展開。
残った日本人組(片山右京/鈴木利男/土屋圭一)は残り1時間時点で、BMWに次ぐ2位。片山右京が猛追し、20秒差にまで接近したが、
その後不運なタイヤバースト、なんとかコントロールしピットまで戻るが、この時点でまたしても栄光を逃がしてしまった(日本人トリオの2位は前年の星野/亜久里/景山の3位を上回る最高位)。
トヨタはこの年限りでルマンから撤退しF1参戦。結局1度も勝てないままサルテを去ることなった。
トヨタの財力、技術力、組織力に疑問を持つものはいないだろう。でありながら、モータスポーツの世界では、肝心なところで必ず勝てないと言うのは一体なにが原因なのか?
単に勝利の女神に嫌われているで片付けていいのか?
日本GP時代はトヨタ7は一度も日産に勝てなかった。JSPC時代も一度も日産からタイトルを奪うことはできなかった。
ルマンでは何度もチャンスがありながら結局勝てなかった。もちろん不運としか言い様がない年もあったのは事実だが…。
これだけ勝負弱いところを見せ続ければ、なにが原因なのか根本的な理由を考えなければいけないはずだ。
現在トヨタはF1にチーム/シャシーも含めた「オールトヨタ」体制で参戦している。結果はまだ出ていない。
結果はまだ出ていない。過去の教訓はどれだけ生きるのだろうか?
それ以前にスポーツカー/ルマンは負けっぱなしのままでいいのだろうか?
トヨタ平成編 完
(参考文献)
・「オートスポーツ」BN
・「レーシングオン」BN
・「レーシングニュース」BN
・「オートテクニック」BN
・「Sports−Car Racing」BN
・「ルマン―伝統と日本チームの戦い」(GP企画センター)
・「ルマン 偉大なる耐久レースの全記録」(ニ玄社)
・「ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち」(集英社)
他
- 70 名前:CarNo.774:04/05/11 12:23
- 次回からは日産。
- 71 名前:CarNo.774:04/05/12 02:09
- 乙です!
日産編、物凄く期待しております。
- 72 名前:CarNo.774:04/05/12 20:45
- 漏れ日産派だが、ものすごく感動した!!!!
てか、書き方がすごい上手。ますます当時興味を持っていなかったことを悔やむ。
せめて、10年前に戻りたい・・・・
- 73 名前:CarNo.774:04/05/12 23:43
- お疲れ〜。
ところでルマン耐久が始まりましたね。
鈴鹿か富士をシリーズに入れてほしいのは俺だけだろうか?
むしろ十勝でもいいから日本に呼んでくれ・・・
- 74 名前:CarNo.774:04/05/17 01:08
- LMESが発展して世界耐久が復活すればいいですね。もちろん日本ラウンドは新生FISCOで。
トヨタも日産もマツダもスポーツカー復活で。
- 75 名前:CarNo.774:04/05/28 22:21
- test
- 76 名前:CarNo.774:04/05/28 22:48
- Cカー列伝 日産編 其の壱
・序
日産がグループCカーの活動を開始したのは1983年のことである。
もちろんこの時はまだ、60年代のような自製マシンによるワークス活動ではなかった。
ラリー用がベースのLZ20(2g直4)ターボエンジンをホシノレーシング、セントラル20、ハセミモータースポーヅに供給すると言う形で、
シャシーも他社(マーチ、ガレージルマン)からの購入である。
燃料使用総量を規制する新しいカテゴリー「グループC」が創設され、そのグループCカーによる世界選手権「WEC−JAPAN」が富士スピードウェーで開催されたのがその前年の82年。
この、77年F1以来の日本における世界選手権は大いに盛りあがり、国内のメーカーに関心を持たせた。
そしてこの83年には新たな全日本選手権「全日本耐久選手権」がスタートした。
このような時代の状況に合わせるかのように、日産は60年代の日本GP以来となる、スポーツカーレースに参入を始めた。
そして84年10月、日産のモータスポーツ専門子会社「ニッサンモータースポーツインターナショナル」(NISMO)の設立により、
翌85年、日産はオイルショック(73年)以来となる国内モータースポーツ活動を再開したのである。
この85年、ニスモはグループA(R30スカイライン)、JSS(S12シルビア)、F3(ラルトRT31/FJ20,ドライバーは鈴木亜久里!)、全日本ラリー(Z31フェアレディ300ZX)にワークス参戦した。
グループCも米国の日産系チューナーエレクトラモティブのチューンのVG30(3gV6)を投入したが、体制は依然としてホシノR他からのエントリー、シャシーもマーチ/ローラのものだった。
さすがにニスモができたからと言って、グループCのようなトップカテゴリーでは、いきなり自製のマシンを作り、完全自チームからの参戦とはいかなかった。この体制で日産/ニスモは翌86年からルマンにワークス参戦を開始した。
完全にニスモがメンテナンス/エントリーするフルワークス体制に移行したのは3年後の88年、自製のマシンを投入するようになったのは91年からのことである。
日産のグループC活動をまとめるにあたり、まずは日産のモータスポーツ活動休止から再開までについて述べていきたい。
- 77 名前:CarNo.774:04/05/28 23:17
- ・日産国内モータスポーツ活動 休止から再開まで
日産がスポーツカーレースに初めてワークス参戦したのは、1966年、第三回日本GPである。
と言っても完全なプロトタイプを開発したわけではない。SR311フェアレディに新開発直6DOHCエンジンを搭載した「フェアレディS」である。
豪雨となった予選では、北野元の手によりポールポジションを獲得した。しかしドライとなった決勝レースでは、純粋なミッドシップ・プロトタイプの
プリンスR380や、ポルシェカレラ6の敵とは成りえず低迷した。
本来なら、このフェアレディSをベースに、翌年に向けてこの直6エンジン搭載の純粋プロトタイプを開発するのであろうが、それは日の目を見なかった。
日産とプリンスの合併のためである。プリンスR380は日産R380と名を変え、開発が継続された。
こうして、当時最高の技術者集団と言われた桜井真一郎率いるプリンスワークスと、北野、高橋国、黒澤等、2輪から転向した最強ドライバーを揃えた日産ワークスが合体した、
「最強」日産ワークスチームが誕生した。
翌67年第4回日本GP、誰もが「日産R380」と名を変えたマシンの連覇を予想したが、皮肉なことに日産―プリンスの合併により「新」日産ワークスからはじき出される形となった、
生沢徹のプライベート・ポルシェカレラ6(タキレーシング)に敗れることとなる。
生沢は64年、第二回日本GPで、純粋ハコのスカイラインGT(S54B)で、一瞬とは言えポルシェ904の前を走り、今日まで語り継がれる「スカイライン伝説」を産み出した男である。
そのプリンスからはじき出される形となり、世間は判官びいきで生沢シンパが多かったのも事実だった。そしてこの20年以上あとに日産のヨーロッパグループCチームの監督に就任するのはまさに運命のいたずらの感すらある。
68年の第五回日本GPには、日産は「怪鳥」R381を投入する。リアウィングがCAN−AMマシンばりに可動するのである。ただし自製エンジンが間に合わず、シボレーより5.7gエンジンを購入し搭載。
このマシンもポルシェ、そして2年ぶりにGPに参戦したトヨタ7を破り優勝を遂げる。
69年の第6回日本GPには、日産は6gV12搭載のR382を投入。トヨタも5gに拡大したトヨタ7で参戦。タキレーシングはワークスポルシェをそのまま招聘してしまった(5gフラット12搭載の917)。
この69年GPは、ある意味スポーツカーレースの頂点を極めてしまったと言って良い。
このレースでも日産はポルシェ、トヨタを破り優勝を遂げる。日産がGPにしか参戦しないのに対し、トヨタは数多くのスポーツカーレースに7で参戦し、好成績を残してきた。
しかし一番「おいしい」GPではついに1度も日産に勝てなかった。トヨタのこの勝負運の無さ(勝負弱さとも言える)は、その後も30年近くも続いていくこととなる。
- 78 名前:CarNo.774:04/05/28 23:31
- このGPバトルは翌70年以降も継続されるはずであった。
日産はさらに進化した「R383」を開発、トヨタも三代目「7」を開発。ちょうどこの70年にはポルシェも参戦19年目にして初めてルマンを制覇している。
しかしこのビッグマシン同士の激突は突如終焉を迎える。
日産は公害対策専念のため、70年GPの不参加を表明、戦う相手をなくしたトヨタもこれに続き、結局この年のGPは中止になってしまう。
日産はその後もR383によるCAN−AMへの参戦は健闘され、その主力ドライバーとして、一時日産を離れていた長谷見を呼び戻していた。
しかしこれも結局は実現せず、日産はプロトタイプカーのワークス活動を休止し、R383はオクラ入りしてしまう。
一方のトヨタはニュー7によるCAN−AM参戦が役員会で決定し、あとは参戦するだけと言うところまで来ていた。
しかしこれも不幸な事故によりキャンセル、結局トヨタもプロトタイプの活動を休止することとなった。
ビッグマシンの突如の活動休止、ファンから見ればなんとも言えない喪失感しか残らないが、これと同じようなことはその20年後にも繰り返されることに…。
- 79 名前:CarNo.774:04/05/28 23:42
- この日産のプロトタイプ活動をファン以上に悲しんでる男がいた。当時日産大森(二軍)入りしたばかりの、
若き日の星野一義である。「いつかはR381に」。その夢は潰えた。
しかしこの時厳しい現実を迎えた、長谷見、星野が後の日産ワークス活動の大黒柱として活躍することとなるのである。
プロトタイプの活動休止後も、日産もトヨタもツーリングカーによるワークス活動は継続した。とくにKPGC10ハコスカGT−Rは、
多くのレースファンを魅了し、連勝街道をばく進した。スカイラインGT−Rが50勝を達成したのは72年3月のFISCO,高橋国光によってである。
しかしその後のオイルショック(73年)により、日産、トヨタ双方ともワークス活動を休止してしまう。モータスポーツ冬の時代の始まりである。
国内メーカーが、モータースポーツ活動を再開するのは、これから10年近くの年月を経なければならなかった。
(以下次号)
- 80 名前:FAIRLADY S:04/06/02 01:11
- CarNo.774殿
楽しく読ませていただいております。77のフェアレディーSの所ですが、
もしそのエンジンに興味が有りましたら連絡下さい
- 81 名前:CarNo.774:04/06/04 22:16
-
>>80
昔 オートスポーツの 売買コーナーに出品されていたような記憶がありますが
その時に購入されたのでしょうか??
また別の雑誌ではR382に搭載されていたV12エンジンを個人で所有されている方
も紹介されていたような記憶があります。
- 82 名前:CarNo.774:04/06/04 22:21
- 日産編 其の弐
オイルショックにより、国内メーカーは一斉にモータスポーツから手を引くことになった。
しかしその「撤退」のスタンスもトヨタと日産では微妙に異なる形となった。
トヨタは、オベアンダーソン率いるTTEのWRC活動を除き、モータスポーツから一切手を引き、ワークスチーム(TMSC−R)は解散、
ワークスドライバーの契約も解除した。
一方の日産は、国内における「ワークスチーム」としての活動は停止したものの、依然として追浜(実験課)、大森(宣伝課)のファクトリーは存続した。
WRCのワークス活動はこの追浜がベースとなった(つまり正式には日産「ワークスチーム」は解散していない)。
ワークスドライバーも契約金は減額したものの、高橋国、長谷見、星野らは契約を続行した。
契約ドライバーは、WRCマシンや市販車の開発に関わる一方で、FJ1300(F3の前身)、FP(フォーミュラーパシフィック=市販車エンジンベースの2gフォーミュラー)のエンジン供給を受けていた。
こうして細々と続いた日産のモータースポーツ活動が、その後ワークス活動再開時の大きな財産となったのである。
- 83 名前:CarNo.774:04/06/04 22:22
- TEST
- 84 名前:CarNo.774:04/06/04 22:45
- さて、このオイルショックに前後して、モータスポーツに限らず、自動車と言うものにとってエポックメイキングなものが出現した。
ターボチャージドエンジンである。
初めて市販車に積まれて販売されたのはBMW2002ターボ。その後ポルシェ930ターボが発売された。日本車で市販車にターボ車が出現するのは1980年のことである。
レースの世界で本格的に活躍したのは、CAN−AMのポルシェ917/10。
シリーズそのものを崩壊させる程の大活躍をする。その後ポルシェのターボマシンがルマンを席捲することとなり、80年代に入るとF1もターボの時代となる。
日本において初めてターボエンジンを搭載したマシンは70年のトヨタ7。同じころ日産もV12ターボエンジンを積むR383を開発している。
しかし先述のとおり、どちらも実戦に姿を表わすことはなかった。
その後トヨタは1.6g2T−Gにターボを装着したエンジンを搭載する「ダルマ」セリカで73年の富士1000kmを制することとなる(雨に助けられた感も強いのだが)。
そしてこのエンジンはシグマ(サードの前身)に搭載され、富士GCやルマンに参戦している。
一方の日産も、710型バイオレットにL18型+ターボエンジンを搭載したマシンを開発している。74年に高橋国光の手でマーレシアGPを制覇している。その後は実戦に登場する機会もなかったが。
- 85 名前:CarNo.774:04/06/04 23:08
- オイルショックによるワークス活動の停止により、その後トヨタも日産もターボマシンを開発することもなくなったわけだが、
トヨタは77年に、シュニッツァーチューンによるGr.5セリカターボがドイツの国内選手権に参戦していた。タミヤのラジコンでがお馴染みのモデルである。
1979年、富士GCで行われていたスーパーツリーングが、Gr.5によって争われるスーパーシルエット(SS)になったため、トヨタ系チューナートムスはこのシュニッツァーセリカターボを「逆輸入」して投入した。
同じ頃、日産も古い710バイオレットを引っ張りだし、ハラダレーシングから長谷見、星野、柳田と言った日産系ドライバーの手により、SSや富士LDに参戦を開始した。
そしてこの年の後半から、ワークスの手によるPA10バイオレットGr.5がハラダレーシングから投入する。「史上もっともかっこ悪いGr.5」と称されるほど、外観はひどいものだったが、
今にして思えばこれが後の日産ターボCカーの源流とも言える。このマシンは80年、SSでチャンピオンを獲得している。
- 86 名前:CarNo.774:04/06/04 23:32
- 翌81年、ムーンクラフトデザインによるS110シルビア/ガゼールが投入される。(ドライバーは星野、柳田)
前年型のPA10とうって変わって今度は非常にカッコいい外観を備えていた。
依然として、日産ワークスからでなく、あくまでプライベーターとしての参戦であるが、
徐々に日産の支援体制も強化されてきた。当時他にライバルと言えば童夢チューンのセリカくらいしかなく、
この年も圧倒的強さを見せる。このマシンは81年の東京モータショーの日産ブースに誇らしげに展示された。
モータショーでレーシングマシンが日産のブースに展示されることなどオイルショック以来のことと言えた。
そして翌82年、この年日産はワークス活動再開に向けて、大きな転機となる年を迎えることとなる。
(以下次号)
- 87 名前:CarNo.774:04/06/05 22:55
- >>80
せっかくですから、とっておきの情報ここで公開してみませんか?
- 88 名前:タナケン、復活!?:04/06/06 05:26
- http://bs2ch.xrea.jp/upload/source/No_0105.jpg
ASに出た幻のエンジン
- 89 名前:CarNo.774:04/06/06 22:56
- タナケンさん毎度ありがとうございます。
でもあっさりオクラ入りしたくらいだから、R380のプリンスGR8に比べればかなり落ちたンでしょうね?
- 90 名前:CarNo.774:04/06/07 01:44
- 日産編 其の参
1982年と言う年は、スポーツカーレース全体にとっても、日産のモータスポーツ活動にとっても転換期と言える年となった。
スポーツカー耐久レースの世界では、この年からレギュレーションが大きく変わった。言うまでもなくグループC規定の導入である。
従来のGr.1〜6と言うカテゴリーの分け方を、Gr.A〜Cと言う形に変えた。
Gr.Aが量産ツーリングカー、Gr.Bが少量生産GTカー、Gr.Cがスポーツプロトタイプカーとなる。
プロトタイプカテゴリーが、Gr.6からGr.Cに変わったわけだが、オープントップからクローズドボディへの変更以外にも大きく変わった点があった。
それがガソリン使用量の制限、いわゆる燃費規定の導入である。
- 91 名前:CarNo.774:04/06/07 02:07
- 二度のオイルショックで参入メーカーが伸び悩み、またポルシェ一辺倒で盛りあがりに欠けたスポーツカー耐久レースの活性化を狙っての導入である。
使用ガソリンの制限と言うことは、より高い出力と低燃費と言う相反するものを同時に追求しなければならず、時代に合致する規定として多くの自動車メーカー(もちろん日本も)が関心を示した。
低燃費エンジンとはいかに燃焼効率の良いエンジンを開発するかと言うことである。技術者としてはこれほど挑戦しがいのあるレギュレーションは無かっただろう。
そしてこの後の80年代にはスポーツカーの世界選手権史上、もっとも多くのメーカーが参入することとなる。
この燃費規定のスポーツカーシリーズ、世界耐久選手権(WEC)は、この82年、10月に富士スピードウェイでも開催されることとなっていた。77年のF1日本GP以来の世界選手権レースである。
60年代のスポーツカーによる日本GP時代にトヨタ、日産が本格的にレースに参戦したように、このWEC開催により、トヨタ、日産もこの後ワークス活動を本格的に再開していくこととなる。
一方の日産のモータスポーツ活動だが、この年もワークス活動を再開したわけではない。しかしその後のワークス復活に向け、重要な位置付けとなる年であったと言える。
オイルショックで多くの高性能スポーツタイプのクルマがカタログから消えたが、このころになるとようやくそれも一息つき、続々高性能スポーツ車が登場した。
GT−R以来となる日産DOHCエンジンFJ−20(2g16バルブ)を搭載するR30スカイラインRSもその一つである。
日産としてはこのFJ20エンジンを、古くなったLZ20に変わるWRC用エンジンとして開発することは最初から検討していた。
しかしスカイラインにこのようなスポーツタイプのグレードが登場した以上、サーキットへの復帰を望む声が高まった。
当初日産としてはあまり乗り気でなく、長谷見がハセミMS独自の活動としてスポンサーを募り、またスカイライン復活を望む全国のプリンスディーラーもこれを支援した。
この状況を見て日産はより強力な体制での支援を決断する。前年からのシルビア(星野)に加え、ブルーバード(柳田)、スカイライン(長谷見)の3台体制でのスーパシルエット参戦である。
それぞれの販売店(シルビア=サニー店、ブルーバード=日産店、スカイライン=プリンス店)の要望に応える形である。もちろんあくまでプライベート(ホシノR、セントラル20、ハセミMS)からのエントリーではあるが、日産自体もかなり積極的に関わるようになった。
- 92 名前:CarNo.774:04/06/07 02:19
- エンジンはFJ20ではなくLZ20。デザインは前年のシルビア/ガゼール同様、ムーンクラフト。
前年のシルビアに比べ、エンジンは500PSから570PSへと大幅パワーUP,オーバーフェンダーも前年型より大きくなり迫力あるボディに生まれ変わった。
シルビアがまず最初に3月のGC開幕戦、ブルーバードは第二戦の5月、スカイラインはその後のRRC筑波チャンピオンズでデビューした。
日産はこのスーパーシルエットマシンを積極的にCMに登場させた。
3月にシルビアにFJ20を搭載するRSが発売されたのに合わせ、シルビアスーパーシルエットと星野一義が登場するCMが作られた。
5月にはデイトナで撮影された、ポールニューマン+スカイラインスーパーシルエットが登場するCMが放映される。
メーカーが自社のCMにレーシングマシンを登場させることなど、オイルショック以降はなかなか無かったことである。当時は「モータスポーツ=暴走族」と言う偏見が色濃く残っていた。
日産のこの姿勢は今後徐々にモータスポーツに力を入れていく考えの現われと言えたかもしれない。
- 93 名前:CarNo.774:04/06/07 03:29
- (余談であるが、デイトナでCM撮影されたスカイラインシルエットと、長谷見車は別物らしい。)
この年のSSには、日産ターボ軍団3車以外は、童夢セリカも参戦せず、ライバルは事実上オートビューレックのBMW−M1のみ。
当然ながら日産勢中心にシリーズは進む。その中でも人気があったのはやはりスカイライン。8月のRRC富士チャンピオンズでは、最終コーナーをトップで駈け上がるスカイラインに、
グランドスランドの観衆は総立ちで歓声を送った。このレースがスカラインのレース復帰後初優勝レースとなった。
さて10月のWECに向けて、日産ターボ軍団の活躍には多くのファンが期待を寄せたことだろう。しかしこの日産ターボ3車に積まれるLZ20は耐久仕様でなく、日産は早々にWECに参戦させないことを表明していた。
しかし、スプリント仕様の3車とは別に、耐久仕様のスカイラインGr.5仕様が別個に開発されていたのである。シェイクダウンは長谷見スカイラインが初優勝を遂げた直後の8月の富士。
日産の発表では、南アフリカのキャラミ9時間(ノンタイトル)参戦用に現地ディーラーの要望に応えて制作したと言うことだが、同時期にトムス童夢セリカCがWEC参戦を発表した直後だけに、WEC参戦がおおいに期待された。
この「耐久仕様」スカイラインは、総合プロデュースが若林隆志WRC監督を中心とする追浜ワークス、スカイラインやR38シリーズの生みの親・桜井真一郎がアドバイザーとして加わり、組みたてがルマンガレージ、東京R&D,セルモ、マスカーズの協力と言う体制で制作された。
限りなく「日産ワークス」と言って良い体制である。
一時は長谷見とポールニューマンのコンビでWEC参戦と言う噂もあったが、結局WECには参戦しなかった。
日本初開催となるWECに日産は結局事実上不参戦となった。(後に日産グループC/GTP活動の中心となるエレクトラモティブのS130Zが参戦はしたが)
ワークス体制ではないとは言え、セリカCを参戦させ、5位に入賞することとなるトヨタとは対照的である。確かに参戦しても大きな期待はできなかったかもしれないが、
日本初のWECには「参戦」するだけでも意義はあったと思えるのだが。ファンをさらに失望させたのは、同日南半球で行われたオーストラリアのバサースト1000kmに長谷見/星野を遠征させたことである…。
耐久仕様スカイラインターボはこの1ヶ月後の南アのキャラミ9時間に予定通り参戦、ドライバーは長谷見/D.ホッブス。
予選で10位と健闘するも決勝はリタイヤに終る。その勇姿を富士で見たかったファンは間違いなく多かったはずだが…。
WECの日本大会は大成功に終り、観衆も主催者発表で8万人以上と、当時のモータスポーツの置かれた状況を考えれば異常とも言える盛りあがりだった。
テレビのナマ中継がある中、国産初のCカーセリカCが5位に入賞し(優勝のワークスポルシェより30周遅れだが。当時はそれでも入賞できた)トヨタはおおいに気を良くし、日産は指をくわえて見ている他なかった。
ただし日産もこの国内最高のモータースポーツイベントを2年続けて傍観することはできなかった。翌83年から日本でもGr.C規定の全日本耐久選手権(後のJSPC)がスタートするのに併せ、
Gr.C参戦を決断する。トヨタ/トムスもセリカCからより進化した本格的なCカーを開発することを決めていた。
もちろんかつてのような自製マシンによるワークス体制ではないが、1969年以来となるトヨタvs日産のスポーツプロトタイプカーのバトルがついに再開することとなったのである。
(以下次号)
- 94 名前:CarNo.774:04/06/08 23:16
- いい終わり方するなぁ・・・w
おつかれ!楽しませてもらったよ。
タナケン氏もいろんなとこでお世話になってます。ペコリ
- 95 名前:CarNo.774:04/06/19 13:23
- age
- 96 名前:CarNo.774:04/06/29 21:44
- 連載中断してすみません。現在83年、84年の資料を調べてる最中です。
近々再開します。乞うご期待。
(国会図書館日曜やってないから。代休・有休取らないといかんから。83年当時のAT,ASなんか懐かしい!”)
- 97 名前:タナケン、復活!?:04/06/29 23:02
- >>96
読み返すとハマりますよね〜
じっくりと練り上げてください。
- 98 名前:CarNo.774:04/06/29 23:12
- そろそろかな・・・ワクワク(・∀・)ソワソワ
- 99 名前:CarNo.774:04/06/30 00:49
- 83年当時のAT.AS見ると、中嶋チームイクザワ離脱⇒ハラダRへ移籍(生沢徹氏がケンカ別れと暴露)、
星野もヒーローズ離脱⇒インパルからF2・GC参戦ヒーローズ田中氏に謝罪、チームイクザワがセナにオファー(!)、フォードがWEC撤退決めたのは年が明けた3月15日、
などなど。
WECの記事で「LM03Cの2号車が完成」なんて表記あったけど、これATの勘違いですよね>タナケンさん?
- 100 名前:◆droyrexQ :04/06/30 05:13
- 国会図書館まで逝って原稿作成してるんですか!すげー。
- 101 名前:タナケン、復活!?:04/06/30 10:47
- >>99
この2号車って1号車がクラッシュで全損になっちゃったんで新たに仕立て直したという意味ではないかと。
8月のテストで富岡選手がやっちゃって、鈴鹿1000kmをパスしてWECに間に合わせたほどの事故でしたし。
で富岡選手はおろされてしまい、ASに載ってた氏のダイアリーも中止に・・・
- 102 名前:CarNo.774:04/07/01 19:22
- タナケンさんどうも。
ところで富士1000km(LM03のデビュー戦)には第三ドラーバーとして亜久里の名があったけど、これがセントラル20(そして日産)とのファーストコンタクトでしたっけ?
翌年からセントラル20でF3,そして翌85年にニスモワークスドライバーの座ゲットしたけど。
- 103 名前:CarNo.774:04/07/01 21:29
-
82 wec japan
ttp://www.otl-3.org/up/filez/161.wmv
- 104 名前:CarNo.774:04/07/02 21:01
- 耐久仕様スカイラインターボ,haikisiyobunするからOOOマンでどう?と話きたときに買っとけばよかった。でも、公にだすとダメヨー。で、やめました。
- 105 名前:CarNo.774:04/07/03 01:12
- >>104
スカイラインターボCって現存するんですか?
カッコはほんとに最高だが。
- 106 名前:CarNo.774:04/07/03 02:06
- >>103
GJ!
85年からはリアルタイムで見ていたのだが、それ以前のWEC富士の映像初めてみました。
続きとかありますか?UPして下さると嬉しいのですが・・・
クレクレ君でスイマセン。
- 107 名前:タナケン、復活!?:04/07/03 13:18
- >>102
多分そうだと思います。館さんと柳田氏は仲いいから、共に会ってたりはしたのかな?
AS別冊オプション3ハコ特集でカローラG5シェイクダウン!のグラビアで柳田氏がでかでかと写ってて
なんで?日産の?
と当時は悩んだものでした。
- 108 名前:CarNo.774:04/07/03 19:25
- タナケンさんってまさか田中健二郎さん自身、じゃないですよね?単なるファン?
今日も国会図書館行ってきたけど、83年当時のASに田中健二郎さんのコーナーがあって、
日産Cカーに対してけっこう的確な(厳しい)批評してました。
また「富岡や亜久里はCカードライブするレベルに達してない。柳田はなんで長谷見と都平呼んで乗せないんだ?」
と厳しい一言も。
この年は富岡や徹のレーシングダイアリーが途中で終わってしまったんですね…。
富岡選手もこのチャンスうまく生かせばニスモワークスの座も見えたかもしれないのに。
ところでスレ違いですが、83年のアクロポリス910ターボが出て5位に入ったんですね。
当初はGr.AのつもりがレギュにマッチせずGr.4での参戦。
- 109 名前:103:04/07/03 21:16
-
>>106
続きというのは82 WECの続きでしようか それとも 83WECとか84WECのことでしょうか?
ここの連載はとても楽しみに、また懐かしく読ませてもらってます。
連載の進み具合にあわせて、いろいろな写真が出てきたりするのが良いですよね
ただいま ニッサン ターボー軍団(83)の動画作成中。
- 110 名前:タナケン、復活!?:04/07/03 22:17
- >>108
単なるファンです〜(^。^;)
ASの毒舌やGCでの解説等、氏の復活を期待してのHNです。
最初は最後にしる!とつけてたんですが・・・どうも公には現われてくれないので・・・
日産のCカーのエンジン周りは、さつまいも畑だ!なんて迷台詞もありましたね。
PCが不調でなければ、自分も動画のキャプを再開するんですが・・・
mpegでしか出来なくなってしまい・・・サイズの問題がクリアできなくて・・・
1983年のアクロの5位ってオペルじゃなかった??
ブルターボは11983年は走って無かったと思うんですが、資料を調べてないので
間違っていたらスミマセン。
- 111 名前:CarNo.774:04/07/03 22:18
- 富士フィルムのCMも見たかった…。
でもGJです。なんで消しちゃったなんだろう?自分に回線切って首釣って氏ねと言いたいです。
- 112 名前:103:04/07/03 22:21
- 83年 日産ターボ軍団
画質が悪くて ごめん
ttp://www.otl-3.org/up/filez/165.wmv
- 113 名前:タナケン、復活!?:04/07/03 23:15
- CMといえば、グラチャンのテープの中にサスケのCMが入っていたのを
発見した時は嬉しかった・・・
- 114 名前:CarNo.774:04/07/03 23:18
- 日産編 其の四
1982年に、グループ5シルエットのターボマシンをスプリントレースに送り込んだ日産は、次なるモータースポーツ活動をWEC−JAPAN開催,そして全日本耐久選手権スタートでにわかに盛り上がってきたグループC耐久レースへ求めた。
トヨタ−トムスも「セリカ風」の呪縛を解かれた、ウィングカーである本格的Cカー・トムス83Cでの耐久シリーズ参戦を決めていた。
まだ完全なワークス体制と言うレベルではないが、1969年の日本GP以来途絶えていた、トヨタ・日産のビッグ2(当時はまだこう呼ばれていた)によるスポーツプロトタイプカーの対決が形を変えて復活することになったのである。
トヨタがコンストラクター=チームであるトムスへのエンジン供給と言う、言わばF1のような参戦体制を取ったのに対し、日産は前年のスーパーシルエットの延長と言う体制(ホシノR、ハセミMS、セントラル20からの参戦)を取った。
すなわち顧客である日産自動車が、3チームにそれぞれ(Cカー耐久レース参戦形態を)プレゼンさせ、3チームそれぞれ独自に活動すると言う形である。出した条件はLZ20ターボを使うこと、なるべく市販車のイメージを残すこと。
前年のSS同様、ディーラー(日産店、サニー店、プリンス店)の支援を取り付けたためである。そのため後にデビューするCカーには「フェアレディZ」「シルビア」と言う名前が付けられた。
テールランプ以外、どこにもイメージは残っているとは言えなかったのであるが…。
トムスで一本化して開発・活動するトヨタに比べ、日産のこうした体制はこの後トヨタに大きく差を付けられてしまう遠因となった。
- 115 名前:CarNo.774:04/07/03 23:43
- 83年4月、記念すべき全日本耐久選手権(JSPCの前身)開幕戦、鈴鹿500qが開催された。
しかしながら日産勢はこのレースに間に合わず、参戦したCカーはトラストのポルシェ956、トムス82C(セリカC改)の2台のみ。この2チームは後にJSPC最後のレース(92年MINE500km)まで参戦し続けることに…。
日産ターボ勢のうち、もっとも早く参戦体制が整ったのはハセミMSの「スカイラインターボC」。
この後6月の富士500qから参戦を開始した(当時富士LDは全日本耐久に含まれず)。
このマシンはCカーとは言え、実は前年キャラミ9時間に遠征した追浜、東京R&D、ガレージルマンの合作であるGr.5スカイラインターボをCカー規定に改造したもの。
スカイライン(R30)がベースであるから当然フロントエンジンである。世界唯一の「フロントエンジンのCカー」。また元がスカイラインだから後に出る「フェアレディZ」「シルビア」よりはるかにスカイラインっぽく見えた。
エンジンは当然のごとくLZ20で、公称550PS。Gr.5仕様からの主な変更点は、屋根を切りつめ車高を1125mmから1060mmへ短縮、リアウィングの大型化、Gr.5規定では禁じられていたドア形状の変更など。
見た目は実にカッコ良かったが、生粋のCカーでない以上、多くを期待できるマシンではなかった。
このマシンでハセミMSは富士500kmにエントリー。このレースにはトムス82C、トラストポルシェ956もエントリーしていたから、これが14年ぶりのトヨタ、日産、ポルシェの対決レースと言うことになる。
スタートでスカイラインターボCはポルシェ956をかわし、ヘアピンをトップで通過、そのままグランドスタンド前に帰ってくるが、コントロールライン前でかわされ結局記録上はLAPリーダーになれず。
レースはその後リタイヤとなってしまう(優勝はポルシェ)。
- 116 名前:CarNo.774:04/07/04 00:00
- 他の2台の日産Cカーが登場するのは、この次のレースとなった7月の富士1000q。
このレースには日産勢3台の他、トムスの本格的Cカー83C、トムス83Cの姉妹車でフォードDFLを搭載する童夢RC83、古いマーチシャシーにMCS製カウルをかぶせた「グッピー」が3台と、
ポルシェを含めCカーが9台揃った。このレースが事実上日本初のCカーレースと言えるだろう。
セントラル20が持ち込んだCカーは「フェアレディZCコカコーラ」。もちろん「Z」は名前だけで本格的なCカーである。
エントリーリストの正式名で言えば「LM03C/日産」。エンジンはもちろんLZ20ターボである。
このチームのCカープロジェクトは2月にスタートした。前年スカイラインターボを開発したメンバー中心に進められた。
シャシーのデザインは望月一男、サスペンションのデザインは望月広光(親戚・兄弟ではない。共にルマン商会)。
3月にクレイモデルが完成し、日産の1/5風洞で実験を重ね、実際の製作に取り掛かったのは6月。
この富士1000qのレースウィークぎりぎりに完成と言う状態であった。
- 117 名前:CarNo.774:04/07/04 00:56
- ホシノRが持ち込んだマシンは「シルビアターボCニチラ」。こちらはマーチ83Gである。
ホシノRとしては国産のマシンを開発していくよりも、IMSAで実績のあるマーチシャシー導入と言う手法を選び、6月にはLZ20を英国に送っている。
しかし実際に日本に上陸したのは7月19日と、こちらもレースウィークぎりぎり。
「シルビア」のイメージはカウルに翌8月に発売されるニューシルビア(S12)のグリル、ヘッドライト「風」のペイントが描かれたに留まった。
トヨタも本格的なCカー83Cのデビューであり、日産の本格的Cカー2台と共にエントリーしたこのレースこそ「1969年日本GP以来のTN対決」再開戦と言えるだろう。
そしてこの後バブル経済の波にも乗り、60年代をも上回るスポーツカーバトルが、日本国内のみならずルマンにまで、数年にわたり繰り広げられていくこととなるのである。
レースは2台の日産Cカーはどちらも早々にリタイヤに終わっている。このレースはとりあえずグリッドに並べただけで良しとしなければいけないスケジュールだったと言えるだろう。
このレースで光ったのはむしろフロントエンジンの「スカイラインターボC」。(ポルシェ以外の)他のCカーが序盤から次々にトラブルを抱えるの対し、
既に半年強の実績のあるスカイラインターボCはポルシェに次ぐ2位を快走。ポルシェがマイナートラブルでピットストップした52周目から73周目までは国産Cカーとしては初めてLAPリーダーとなる。
しかしオーバーヒートで139周でリタイヤ。とは言え600qの走行はLZ20としては最長不倒である。
レースは結局ポルシェの独走、2位、3位に入ったのはひたすら「亀さん走行」のグッピー2台であった。
- 118 名前:CarNo.774:04/07/04 01:29
- 「とりあえず」と言う形だった富士1000qの日産Cカー2台だが、次戦鈴鹿1000qに向けて開発が本格化した。
鈴鹿1000qはWEC−JAPANに向けて各チーム最後のテストの場となる。
しかし日産はここでいきなりつまずく。LM03Cが富士でテスト中クラッシュ、鈴鹿の不参加を余儀なくされる。ようやくテストプログラムが進みかけた矢先のアクシデントである。
一方のマーチ83Gは、インタークーラー他補機類のレイアウトに大幅に手を入れた。LZ20ターボエンジンがミッドシップマウントされたのはこれが初めてのこと。
そのため試行錯誤の連続だったと言えるだろう。
こうして向かえた鈴鹿1000q。このレースは全日本戦のため予選が行われた。そしてポールポジションを獲得したのは星野のマーチ83G。2番グリッドはトムス83Cの松本と、ポルシェを押さえ国産マシンがフロントローを独占した。
タイムは2分07秒※※。4月の鈴鹿500qでポルシェがマークしたタイムを7秒も更新している。
スペアエンジンに限りのあるプライベートポルシェよりは、メーカー系のチームのほうが有利であったのは事実である。しかしこのタイムは星野の腕に負う部分が大きかったと言えるだろうが。
元がラリー用であまりハイブーストにならず、しかも2バルブのトヨタ4T−Gよりは、予選時はよりハイブーストに設定でき、4バルブのLZ20のほうが1発のパワーは上回っていたのも一因ではあるが。
パワー以上にタイム差がない(2分08秒※※)のは、(Cカー開発を)1年早くスタートしたトヨタのアドバンテージとも言えるが、それ以上にトムスのシャシー性能が安定していたからだとも言える。
決勝ではまたしても日産勢は中盤までにリタイヤしたが、トムスは安定して走行を続け、ポルシェに次いで2位に入賞する。おなじく(フォードエンジンを積む)童夢も終盤まで2位を走行、終了間際にトラブルで後退するも4位に入賞した。
少なくともWECでそれなりの戦いを期待させたのはトヨタの方であった。日産は問題山積である。
トヨタ、そして前年欠席した日産とも万全、とまでは言えないものの、遠来のワークスポルシェを迎え撃つ。
少しでもレースを知っているファンであればトヨタも、(かつてワークスポルシェを破った)日産も、とてもワークスポルシェに立ち向かうことのできるものでないことは充分承知していたはずである。
しかし「ポルシェを迎え撃つトヨタ・日産」と言う図式は多くのファンの関心を引き起こすには充分の魔力があった。
そしてこの魔力(「打倒ポルシェ」と言ってよい)こそが後にトヨタ・日産をCカーへ全力投球させていくこととなる。
その序章となる第二回WECが始まった。
(以下次号)
- 119 名前:CarNo.774:04/07/04 01:34
- ところでこのサイト見れなくなっちゃったんだけど、私のパソだけ?
http://www.wspr-racing.com/index.htm
これ見れないと細かいデータわかんないよー!(伏字はこのため)
連載はすぐ再開します。
- 120 名前:106:04/07/04 01:48
- >>119
私のパソですとclassiccars.comなんて表示されますが、これで正常なのかな?
>>103氏
乙です。勿論83年WECの続きや他の年のWECも見たいです。
それにしてもスーパーシルエット懐かしい・・・
- 121 名前:103:04/07/04 11:06
- 日産ターボ軍団
別のレースの動画です
ttp://www.otl-3.org/up/filez/167.wmv
- 122 名前:訂正くん:04/07/04 22:46
- タイムは2分07秒33。4月の鈴鹿500qでポルシェがマークしたタイムを7秒も更新している。
スペアエンジンに限りのあるプライベートポルシェよりは、メーカー系のチームのほうが有利であったのは事実である。しかしこのタイムは星野の腕に負う部分が大きかったと言えるだろうが。
元がラリー用であまりハイブーストにならず、しかも2バルブのトヨタ4T−Gよりは、予選時はよりハイブーストに設定でき、4バルブのLZ20のほうが1発のパワーは上回っていたのも一因ではあるが。
パワー以上にタイム差がない(2分08秒27)のは、(Cカー開発を)1年早くスタートしたトヨタのアドバンテージとも言えるが、それ以上にトムスのシャシー性能が安定していたからだとも言える。
※やっと見えるようになりました。
- 123 名前:106:04/07/04 23:11
- >>121
頂ますた。
詳しい方が多いので、質問なのですが、
1984年のWEC富士カーナンバー3 Rothmans Porsche(カメラカー)
のドライバーのR.ロイドってあのリチャード・ロイドでしょうか?
- 124 名前:CarNo.774:04/07/13 01:10
- 日産編 其の五
83年10月、第二回目となるWEC−JAPANが開催された。
前年はドライバーズタイトルのみだったが、この年はメイクスとのダブルタイトルとなった。
(しかしこの時点でメイクスタイトルはポルシェで決定していた)
レース距離も6時間から1000kmに変更となった。メイクスタイトルが決まり「消化試合」になってしまったため、ランチャは来日を取りやめたが、
ポルシェは国内レギュラーのトラストの他、ワークス2台を含む8台の956が来日した。珍しいところでは、ザウバーがBMWエンジン搭載のC7で来日(この年のルマンでは非ポルシェ最上位の9位)。
迎え撃つ国産勢は、富士1000km、鈴鹿1000kmとほぼ同じメンバー。これにトヨタはチームイクザワからトムス83Cの2号車が加わり2台体制に(しかし練習中のクラッシュで欠場)。
前年欠場し、これが事実上初のWECとなる日産勢は鈴鹿1000kmを欠場したフェアレディZC(LM03C)ももちろん参戦し、スカイラインターボC、シルビアターボC(マーチ83G)の3台体制。
予選では当然のごとくワークスポルシェがフロントロー独占(PPタイム1分10秒02)。国内勢トップはトラストポルシェで5番手で1分11秒98の好タイム。
日産勢は星野のアタックで国産勢最上位の7番手をゲット。しかしタイムはポールからは3秒以上遅れる1分13秒29。LM03Cは11番手(1分14秒13)、スカイラインターボCはフロントエンジンとしては大健闘の1分20秒を切る1分19秒86。
「Gr.5改」ではこれが限界だろう。このスカイラインターボCは、レース中はフロントエンジンであるが故、コックピット内は灼熱地獄であったと言う。
- 125 名前:CarNo.774:04/07/13 01:31
- レースでは、ポルシェ勢と、国産Cカー勢では「別クラス」のレースとして進行した。
序盤「国産クラス」で首位を走ったLM03Cだが、コースアウトした際カウルを傷め交換し後退、その後規定より早くオイル交換を行ったと言うことで失格となってしまう。
スカイラインターボCもトラブルで前半で消え、残るは星野/萩原のマーチ83Gのみとなった。
トムスは国産勢で首位を行くばかりか、一時は6位まで浮上するほど健闘する。しかしことらもコースアウトした際カウルを傷め後退してしまう。
代わって「国産クラス」トップになったのは星野のマーチ83G。決してトラブルフリーではなかったが、終盤7番手にまで浮上する。当時はピットストップ時間も長く(当時は給油1秒/1gではなく、1分/50gだった)、規定の2分を超え5分近く止まることもザラ。
それだけのんびりした「耐久」だったのだが、確実に周回を重ね順位をあげた。追うのはCジュニアクラスのMCSグッピートヨタ、そしてカウルトラブルで遅れたトムス83C。
しかし残り5周と言うところで、9番手走行・松本恵二ドライブのトムス83Cがストレートでタイヤバースト・クラッシュ。赤旗が出されレースはここで成立した。
星野/萩原組シルビアターボCニチラ(マーチ83G)は初のWECを国産エンジン最上位(かつ非ポルシェ最上位)の7位で終える大健闘となった。トップのワークスポルシェから27周も遅れてはいたが…(それでも入賞できるくらい、まだ当時の耐久レースはのんびりしたもののだったのだ)。
国内勢としては3位表彰台と健闘のトラストポルシェに次ぐ2番手。日産LZ20エンジンは、耐久レース参戦4戦目にして初の完走。850km走破はもちろん過去最長距離である。
- 126 名前:CarNo.774:04/07/13 02:09
- 83年から活動を開始した日産のCカー活動のこの年最大の目標がWEC−JAPAN。そのWECで国産最上位獲得は、100点満点の結果と言って良いだろう。
しかし現場のがんばりはともかく、これが日産LZ20エンジンの熟成によって成された結果とは言いがたかった。単純な熟成度を比較すれば明らかにトムス83C/トヨタに劣っていたと言わざるをえなかった。
WEC入賞のマーチ83G日産は、直後の東京モータショーで、日産ブースで誇らしげに展示された。
日本におけるグループC元年と言えるこの年の、最後のレースとなったのは11月の富士500マイル。このレースにシルビアターボCは欠場し、日産はフェアレディZC、スカイラインターボCの2台体制。
スカイラインはリタイヤに終り、フェアレディZCは完走するもトラブルで大きく遅れ10位に留まった。
WECでの入賞と言う金星があったとは言え、その他は完走は1回だけ。日産にとってほろ苦いグループC参戦初年度と言えただろう。
優勝はトラストポルシェ。この年の国内耐久6戦中5勝(残り一つはWEC3位)と言うパーフェクトな内容だった。
一方の雄トヨタ−トムスは着実に走りきり、この年2度目の2位入賞。ポルシェとの差は依然大きいものの、着実にステップを踏んでいた。日産との差は予想以上に広がっていた。
翌年も日産は基本的に同じ体制で挑むこととなる。日産宣伝課が予算を組みエンジンを供給、各チーム独自の体制を組むと言うもの。
このような中途半端な体制ではそうそう好成績は見込めない。一方のトヨタはコンストラクターズ=チームと言うわかりやすい体制。しかもこの翌年、トムス/童夢は傑作マシン「84C」を投入することとなる。
翌84年、日産はポルシェはおろか、トヨタにさえ追い付きがたい差を付けられることとなるのである。
(以下次号)
- 127 名前:タナケン、復活!?:04/07/13 14:37
- いつも乙です。
1983年のWECを欠場した生沢チームの83Cはクラッシュではなく、マシントラブルからの炎上です。
AS誌にコクピット周りが炎に包まれている写真(読者投稿)が載ってました。
>>123
多分そうだと思うのですが、断定にいたる資料が未だ見つからず・・・
- 128 名前:103:04/07/13 19:35
- 83 WEC
ttp://www.otl-3.org/up/filez/205.wmv
- 129 名前:訂正くん:04/07/18 13:17
- 迎え撃つ国産勢は、富士1000km、鈴鹿1000kmとほぼ同じメンバー。これにトヨタはチームイクザワからトムス83Cの2号車が加わり2台体制に(しかし練習中のトラブル・炎上で欠場)。
タナケンさんドモ。
>>128さんまいどありがとう。
1コーナーが鋭角でなくバンクへの退避路があり、AコーナーもBコーナーもなくピットウォールがガードレールなFISCO懐かすい。
まあAコーナーBコーナーも過去のものになってしまったわけだが。
WECの中継は昔からペースカー宣伝しまくりで変。
この年はフロントカウル飛びまくりでしたね。
- 130 名前:タナケン、復活!?:04/07/18 21:51
- >>129
http://upload.fam.cx/cgi-bin/img-box/mjm40718214740.jpg
燃える83C・・・
1983年のWEC、1コーナーの舗装が悪かったですよね。
フェアレディZ・Cの失格の遠因になっちゃいましたし・・・
トムスがドムスになったのは、ビクーリしました。
- 131 名前:CarNo.774:04/07/19 12:18
- チームイクザワはトヨタのCカー2台もオシャカにしてますね。ん?86年富士500マイルで大クラッシュした86Cもシャカってのかな?次の鈴鹿は85Cだったし。
とすれば3台。恐るべし。
これが後に日産の監督に就任した遠因か?
- 132 名前:タナケン、復活!?:04/07/19 14:59
- 生沢氏、浮谷家と繋がりがあったりしてそのためか?ヨーロッパでレースしているときに
トヨタからセリカ1600GTを貸与されたりしてました。
GCで18R-G改を使用したのも、トヨタへのアプローチと公言してました。FPもトヨタ使ってたし。
WECでクルマ燃しちゃったときも、トヨタからは批判されずに逆に慰められたとか・・・
それだけに、日産の監督になったときは結構びっくりしました。しかも自分からの売り込みだったと聞いては尚更。
- 133 名前:ピカイチ ◆KsDuZC0Q:04/07/21 12:14
- 過去スレはまだhtml化されないんでしょうか・・・?
昔のを見てみたいのですが。
- 134 名前:ピカイチ ◆KsDuZC0Q:04/07/21 12:14
- あ、すみません。アーカイブの方のが昔のと言うことでよろしいのでしょうか?
- 135 名前:CarNo.774:04/07/22 00:35
- アーカイブがそうです。
23から28まで追加しました。
- 136 名前:CarNo.774:04/07/24 00:39
- test
- 137 名前:CarNo.774:04/07/24 01:22
- 日産編 其の六
83年シーズン、WEC7位入賞と言う金星を得たとは言え、日産Cカー勢は内容では明らかにトヨタに負けていた。
しかし84年シーズンを迎えるにあたり、その体制に根本からメスを入れることはなかった。
日産はこの年、前年までの3チームに加え、潟ーピーのスポンサードによりチームルマンが加わり4台体制となった。
LM03Cの進化版LM04Cに他と同じくLZ20を搭載。言わばガレージルマンのワークスとも言える。
車名は「パナスポーツ日産ターボC」。車名に市販車名が付かないのはディーラーからの支援がないから。日産的には「第4」のチームと言えた。
ハセミMSもいよいよ本格的Cカーを投入することに(LM04C)。車名も引き続き「スカイラインターボCトミカ」である。
カラーリングは「幻の」R383と同じシルバー&ブルーメタリック、「TURBO−C」のステッカーはこの84年2月に発売されたばかりスカイラインRSターボインタークーラー(通称ターボC)のもの。
前年同様プリンスディーラーのバックアップを受け、このような形となった。
ホシノR(マーチ83G)とセントラル20(LM03C)は前年とほぼ同じ。マーチはシーズン後半からムーンクラフト製カウル装着が予定され(結局は流れた)、またエンジンもシーズン途中からFJ20へのチェンジが予定されていた。
しかしながら日産の宣伝課が予算を組み、各チーム独自に参戦、と言う体制ではコンストラクターズ=チームのトヨタ・トムスとは前年以上に差を付けられることとなった。
- 138 名前:CarNo.774:04/07/24 01:38
- シーズン初戦、そして全日本耐久開幕は鈴鹿500km。このレースにはハセミMSが間に合わず3台体制。
ホシノR、セントラル20は前年と同じ組み合わせ(星野/萩原、柳田/和田)、パナスポーツは日産の開発ドライバー高橋健二がスポット参戦、鈴木利男と組んだ(次戦から利男/中子修に。健二はアドバンポルシェに)。
全日本戦のため予選もある。ポールを獲得したのはこの年からトムス入りした中嶋悟駆るトムス83C。84Cが間に合わず83Cでの参戦となったが、
シャシーの熟成が進み、トヨタパワー初のポール獲得となった。2番手は星野のマーチ83G。この年から日産勢はレスポンスUPのためタービンを小径化し、そのため僅かながらパワーダウンしたのも一因かもしれない。
国産パワーがポルシェを押さえフロントローを独占した。
小雨の決勝は、序盤から星野がトップを快走。これはLZ20の熟成が進んだ、と言うよりは明らかに星野の腕によるものだろう。しかし1回目のピットストップで手間取りイセキポルシェに抜かれ2位に。その後もイセキポルシェに次ぐ2位をキープしたが400kmを過ぎたところでリタイヤ。
惜しいレースを落とした。
- 139 名前:CarNo.774:04/07/24 02:14
- 続く6月の富士500km。全日本のタイトルはかからず富士LDの初戦となる。
このレースからハセミMSの「スカイラインターボC」(LM04C)が加わった。
そしてトムスは大国正浩デザインのブランニューマシン「84C」をデビューさせた。
ポルシェ956の亜流でない流麗なデザインのみならず、後に国産C1カーとして初めて表彰台の中央に立たせることとなる安定したシャシー性能など、
間違いなく歴史に残る傑作であった(後のトヨタ88Cまで基本的に同じデザイン)。
序盤、このトムス84Cと「スカイラインターボC」が3、4位でタンデム走行するがどちらも序盤で消えた。レース途中から雨が降りだし、デビュー以来無敵の快進撃を続けてきたトラスト(イセキポルシェ)も初のリタイヤとなるハプニングも。
雨と言えば星野。一時はトップのアドバンポルシェから1周以上遅れたが、雨中のレースでトップを10秒以上上回るタイムで追い上げ同一周回に持ち込み、尚も追い上げたがなんとガス欠(規定ガソリンを使い切ったわけでなくコース上でストップ)でリタイヤ。
このまま追い上げていけば或いはと言う感じだったのだが。ただこのガス欠も当時はテレメーターもなくまた電子インジェクションでなくメカニカルインジェクションで燃費も安定していなく、ピットインのタイミングもわかりづらい面もあった。一概にドライバーを責めるわけにもいかないだろう。
もちろんこの追い上げは日産パワーの力ではなく、星野の力によって成されたものである。
優勝はこれがデビュー戦となるアドバンポルシェ。2位には初のトヨタエンジンレースとなった童夢(トムス83C)。トムス83Cは3度目の2位表彰台である。3位には安定した走行でセントラル20のLM03Cが入った。
日産Cカー初の表彰台となった。と言うよりこれが初のフルディスタンス完走である。前年の富士1000km以来、これまでまともに完走したのはWECのシルビアターボCだけだったのだから…。
ただし結果でわかる通り、日産は耐久性のみならず、速さでもトヨタに水をあけられていた。
日産は速さ、エンジンパワー、燃費、シャシー性能、体制、すべての面でトヨタに大きな差を付けられていることが、この後満天下に示されることとなる。
さて、シーズン後半に進む前に少し脱線。実はこの富士500kmの前に日産のCカーが実は初勝利を挙げている。と言っても耐久ではない。4月に菅生で行われたスプリントレースである。
参加したCカーはわずか3台(他にBMW−M1C、マツダ727C)だが、セントラル20のLM03Cが予選2位、そして決勝ではトップでチェッカーを受けた。これが記念すべき日産Cカーの初勝利となった。あまり知られていないのだが。
(中断、すぐに再開予定)
- 140 名前:CarNo.774:04/07/24 02:18
- すいません、ところでこれ
http://www.wspr-racing.com/index.htm
がまた見れなくなっちゃったんですが、みなさん見れます?私のパソだけ?
これ見れないと詳しい記録引っ張れなくて…。
- 141 名前:CarNo.774:04/07/24 09:06
- 串はずすとか…
- 142 名前:CarNo.774:04/07/24 14:14
- >串はずすとか…
どうすればいんですか?
- 143 名前:103:04/07/24 22:59
- >>139
富士500km
ttp://2st.dip.jp/uploader/src/up2433.wmv
DO スポーツ
- 144 名前:CarNo.774:04/07/24 23:10
- 日産編 其の六ー弐
6月の富士500kmの次の耐久レースは、全日本タイトルのかかった7月の筑波4時間。
しかしこの筑波初のCカーレースには日産Cカー、と言うよりC1カーは参戦しなかった。
やはり筑波と言うコースの特性から大パワーのターボCカーには不適格と判断したのだろう。トムスはなんとカローラG5で参戦した(中嶋もドライブ!3位入賞)。
結局参加したCカーはC2が4台のみ。MCSグッピーマツダがこの筑波最初で最後のCカーレースを制している。
7月の下旬に富士LD第2戦富士1000kmが開催された。翌年からは全日本に組み入れられ、7月はSCCN主催の500マイルとなり、
ルマン直後のレースと言うことから、ルマン遠征組の「凱旋レース」の様相を呈してくるのだが、この84年はまだルマンに遠征したのは童夢withウチダRの童夢RC83i/DFLと、
マツダスピードの2台のマツダ727Cのみ。
ルマンでクラッシュした童夢も、マツダスピードも不参戦だったのでその感覚は無かった。
- 145 名前:CarNo.774:04/07/24 23:29
- このレースからチームイクザワのキャノンカラーのトムス84Cが加わり、トヨタ勢は2台体制に。
ポルシェもフロムAが3台めのポルシェとして加わる予定であったが(メンテナンスはノバでなくOZレーシング)、エンジンが間に合わず不参加。
日産は前戦同様の4台体制だが、セントラル20のLM03が赤いコカコーラカラーから、白/赤の美しいコカコーラライト+キャノンのコラボレーションカラーに変更となり、
車名も「フェアレディZCコカコーラ/キャノン」に変更になった。チームルマンのLM04も新たに音響のサウンデバイスがスポンサーに付き、「サウンデバイス日産ターボC」に車名が変わった(カラーリングは白/黄緑)。
レースは2台のポルシェ、2台のトヨタ、4台の日産の、チーム力の序列どおりの順番で進行した。
この当時日産のCカー勢はトヨタ勢に比べ車重が50kgもオーバーしていたのである。
その影響は速さだけでなく、燃費にも現れていた。このレースで1回目のピットストップ時、#23日産は38周して95g給油、#1イセキポルシェは38周して80g、トヨタ勢はイクザワが45周で95g、
トムスが48周して90gと、トヨタの好燃費とともに日産の燃費の悪さが際立っていた(しかも遅いのにである)。
- 146 名前:CarNo.774:04/07/24 23:51
- その後ポルシェ勢がマイナートラブルで遅れると2台のトムス84Cが1−2体制を固める。しかしその後トムスがミッショントラブル、イクザワがクラッシュで後退し、レース中盤からは「スカイラインターボC」がポルシェに継ぐ3位をキープした。
(この時点で他の日産勢はリタイヤ)。
日産勢としては2戦連続表彰台が見えてきたが、しかし残り30周を切った時点で他車と接触、この修復に5分失う。3位のポジションも失った。その後これが遠因とみられる左リアロッカーアーム破損でさらに12分のロス。大きく後退する。
上位陣ではトップを快走していたアドバンポルシェがストップ、2位のイセキポルシェもガソリンを吸い上げきれないトラブルでゴール目前ピット待機となり、なんとタナボタでC2のMCSグッピーマツダが前戦の筑波4時間についで優勝した。今回はC1をうっちゃっての勝利である。
「たられば」を言えば、他車との接触を避けることさえできれば日産Cカー初優勝もあっただろう。しかしそうなっていても「タナボタ」には違いない。速さ、燃費と言うCカーレース最大の要点でポルシェ、トヨタに大きく遅れているのは明白となったのだから。
左リアのロッカーアーム破損も接触が遠因とは言え、LM04シャシー自体が(LZ20エンジンの熟成不足で)フルディスタンスを走りきるのが初めてで、皮肉にもエンジンが最後まで持ったことによりシャシーの強度不足が明らかになったのである。
エンジン、シャシー共、日産Cカーは難問山積であった。
(中断、近々再開)
- 147 名前:CarNo.774:04/07/25 01:15
- >>142
proxyを外すには、使用しているブラウザの接続設定のあたりに
プロキシーサーバーがなんたらとかあると思うんですが…
めんどくさかったら、↓でいけると思います。wspr-racing.comをIPアドレスに変更しただけです。
http://64.254.248.67/index.htm
- 148 名前:147:04/07/25 01:27
- あ、串以前に
そこのサイト開いて右クリ>最新の情報に更新か、
http://wspr-racing.com/index.htm <www.を削除
でいけるかもです。
- 149 名前:CarNo.774:04/07/25 10:34
- >>143
まいどまいど天より降臨ありがとうございます。
「DOスポーツ」ってTXでやってた番組でしたっけ?たしかルマンもやってた記憶が(ジャガーだかアストンだかがせこい作戦でトップにたった年の)。
トヨタびいきなのはトヨタがスポンサーだから?
TXで富士LD全戦中継(て言うかTNMのそれぞれの提灯番組だな)するようになったのは翌年からでしたね。
>>147>>148
だめですた・゚・(ノД`)・゚・。
てかプロキシーってなんですか?会社だと見れるのに自宅や実家のパソだと見れなくなりました。
- 150 名前:CarNo.774:04/07/27 00:30
- プロキシーは関係無いみたいですねぇ
どこかの質問板で聞いてみては?
役立たずすまそ
- 151 名前:CarNo.774:04/07/28 00:54
- 日産編其の六ー弐
富士1000kmの次レースは鈴鹿1000km。こちらは全日本耐久の第3戦である。
この鈴鹿1000kmの前に日産陣営はLZ20に変わるニューCカー用エンジン、FJ20をテストしている。
日産はこのFJ20エンジンのテスト用にLM04Cの3号車を発注している。追浜で開発されたこのエンジンは2081CCまでスケールUPされ、ブロック剛性、熱対策でLZ20に比べ進歩していると言う。
LZ20は、元々15年以上前に誕生した市販車用L型4気筒エンジンがベース。これをWRC用に4バルブヘッドを搭載したものがLZ20で、それをG5用にターボチューンし、それを更に耐久用にチューンしたのがその当時のCカーエンジン。基本設計の古さは否めない。
FJ20は1981年に、GT-R用S20以来8年ぶりに登場した日産の市販ツインカム。当初からLZ20に替わるコンペティションユースを念頭に開発されていたため、タイミングベルトでなくチェーン駆動を採用、フルジャケットなど、「骨太」なエンジンであった。
このFJ20にターボ仕様が追加されたのは83年(R30スカイラインRS)、インタークーラー仕様が追加されたのが84年2月。このインタークーラー仕様のCMコピーが「クールに乗れ」(ポールニューマン)。
このインタークーラー仕様のスカイラインRSターボの愛称がグループCを意識した「ターボC」。もはやスカイラインとは関連性の無くなった「スカイラインターボC」であるが、エンジンがFJ20ターボなら関連性は生まれる。そのため宣伝サイドでは一刻も早く投入したかったであろうし、まず長谷見車に投入する予定であった。
目標馬力は600馬力で、WECへの投入を目差す。しかしFJ20もLZ20と同じ2g4気筒。これを投入したからと言って今までの劣勢を一気にひっくり返す原動力にはなりそうにもなかっただろう。
- 152 名前:CarNo.774:04/07/28 01:29
- さて、鈴鹿1000kmは全日本耐久のため予選が行われる。前年のこのレースでは星野のマーチ83G日産、4月の500kmでは中嶋のトムス83Cと国産エンジン車がポールを獲得している。
しかしこのレースではポルシェがフロントローを独占した。ポールのアドバンポルシェのタイムは4月の中嶋のタイムを上回る2分1秒11でレコードタイムを樹立。2番手のイセキポルシェは1秒91。
3番手はこのレースでデビューとなる童夢の84C(2分2秒44)、4番手はトムス(2秒73)とトヨタが2列目(チームイクザワは前戦のクラッシュで欠場)。そして3列目が星野のマーチ83G、チームルマンのLM04Cと、マシンの序列通りの予選となった。
星野は2台のトヨタに迫る2分2秒75をマークしたが、中子のLM04はこれより4秒も遅れをとっていた。戦闘力の劣るマシンながらいかに星野ががんばっていたかがわかるだろう。
決勝レースもこの序列通り進行するが、2台のトムス84Cは好走を見せながら中盤までにエンジントラブルでリタイヤした。
日産勢は星野組のシルビアターボCと長谷見組のスカイラインターボCが中盤までポルシェに次ぐ3−4位を走行していたが、折り返し地点で長谷見組はデフトラブルでリタイヤ。
残り100kmまで3位につけ、初の表彰台が目の前だった星野組も166周レースの148周でオーバーヒートリタイヤ(当時はチェッカー優先でないため記録上は12位完走)。
優勝は耐久初制覇となるアドバンポルシェ。トヨタも日産も1ヶ月後のWECに向け不安の残る結果となった。
しかしリタイヤしたとは言え、一線級の速さを見せ好走し、高燃費をマークしているトヨタ勢に比べ、日産はなにもいい材料が無かった。FJ20が間に合ったとしても劇的変化は望めそうにない。
毎回好位置につけるが結果に結びつかない。好位置と言っても、その場にいられたのはマシンの熟成が進んだからでは決してなく、ひとえにドライバーのがんばりと言っていいだろう。
それでも「タナボタ」でも結果が出ればチームの士気も高まったのだろうが…。
そしてこの好対照なトヨタと日産の勢いは、「晴れ舞台」のWECであからさまにはっきりすることとなる。そこで受けることとなる日産の「屈辱」が、ある意味その後の日産Cカープロジェクトのスタートとなるのであるが…。
(以下次号)
- 153 名前:103:04/07/31 09:29
- 143が見れなくなっているので こちらで
ttp://www.otl-3.org/up/filez/222.wmv
- 154 名前:CarNo.774:04/08/08 00:43
- test
- 155 名前:CarNo.774:04/08/08 01:21
- 日産編其の七
84年9月、4回目を迎えるWEC−JAPANが開催された。前年に続きワークスランチャは欠場したが、ワークス3台を含め6台のポルシェ956が来日した。
練習走行でアドバンポルシェがクラッシュしたため、国内2台を含む8台のポルシェが参加することに。
迎え撃つ国産勢は日産が従来通りの4台。次期耐久用エンジンFJ20は、練習走行時はハセミMSのスカイラインターボCに積まれたが、結局本番はLZ20で行くことになった。
トヨタは3台の84C、ミサキスピードの83Cの4台。マツダはマーチ84Gにロータリーターボを積み、初めてC1に参戦した。
富士LDシリーズでは予選がないため、このWECがシケイン設置後初めてのCカーによるタイムアタックとなった。
PPは予想通りワークスロスマンズポルシェ。タイムは1分17秒49。日本勢ではトラストのイセキポルシェが今回マツダに戻った片山の替わりの助っ人H・スタック(翌年からワークス入り)のアタックで1分18秒46の好タイムをマークし3番手に。
3列目までは順当にポルシェ勢が独占し、非ポルシェ&国産最上位はトヨタ童夢84C。童夢はこのレースから美しいワコールカラーでの参戦となった。タイムは1分20秒70。8番手もトムス84Cとトヨタ勢が4列目。
さて日産は?
日産はこのWECに備え、LZ20を20基持ちこんだ。しかし練習時からタービントラブルが続出。そんな中星野、長谷見が鬼神のアタックを見せ、トヨタに次ぐ5列目をゲットした。タイムは1分21秒07、22秒01。戦闘力の落ちるマシンでのこのポジションは、ドライバーのがんばり以外の何物でもないだろう。
しかしそれでもトヨタの1秒落ち、ポルシェの4秒落ちでしかないのである。
- 156 名前:CarNo.774:04/08/08 01:32
- 9月30日決勝。なぜか2台のペースカー(Z31フェアレディZ、MR2)に先導で、1000kmレースはスタートした。
しかし日産勢はスタートと共にことごとくトラブルに見まわれる。
サウンデバイスターボCカウル破損でピットストップ、その後燃料系トラブルでリタイヤ。
シルビアターボCはタービントラブルでリタイヤ。フェアレディZはタイヤトラブルでピットイン、その後ミッショントラブルでリタイヤ。
スカイラインターボCもブレーキトラブルと、日産勢は序盤にして総崩れ。
結局スカイラインターボCがトップから47周遅れで唯一完走しただけであった。
他の3台はすべてリタイヤ。ZCが27周、シルビアが28周、サンデバイスが49周とレース距離の4分の1ももたずにリタイヤ。このレースはTBS系で全国放送されていたから、
まさに日産は全国に恥をさらしたのである。
- 157 名前:CarNo.774:04/08/08 01:46
- 一方のトヨタは好調で、アンダーパワーを補うシャシーの力で、ポルシェ勢を追いかける。
トムス、イクザワは中盤リタイヤするも、童夢84Cはキャノンポルシェらと6位争いを繰り広げる。
終盤サージタンクトラブルで後退するも、その後も確実に走りきり、C2トップのBMW−M1Cには先行されるも20周遅れの7位。
前年の雪辱を果たす。そのワコールカラーの流麗な姿は最後までブラウン管から消えることはなかった。
トヨタは100点満点とは言えないまでも、満足できるレースができたと言えるだろう。対する日産は惨敗以外なにものでもない。序盤で総崩れで、テレビの映ることすらろくになかった。
トヨタと対照的な中途半端な体制が、このような結果を招いたと言えるだろう。この差はちょっとやそっとでは追い付けるものではない。誰もがそう考えたはずである。
優勝はロスマンズポルシェ。この時翌年のWECを日産が制覇するなどと考えた人が、はたして全国で何人くらいいたのだろうか…?
- 158 名前:CarNo.774:04/08/08 02:08
- この年最後のCカー耐久レースは、11月の富士500マイル。
このレースでようやくFJ20がスカイラインターボCに積まれデビューした。
序盤イセキポルシェに次ぐ2位を走行するも、オーバーヒートでリタイヤ。
ZCはクラッシュ、サウンデバイスはデフトラブルでまたしても序盤で消えた。
星野組のシルビアターボCは残り30周を切るところまで2位をキープしていたが結局リタイヤ。
終盤まで上位につけるレースが何度もありながら、結局星野は1度も表彰台、どころか完走できずにシーズンを終えたのである。
対照的に序盤サージタンクのトラブルで大きく遅れた童夢が追い上げ3位表彰台に。84Cは最終戦でようやく表彰台にまで辿り付いた。
そして翌年さらにトムス85Cのユーザーは増えることとなる。
日産は結局、のべ23台出走で3位1回、4位1回でシーズンを終えた。惨敗と言っていいだろう。毎回(WECを除く)終盤まで好位置についていた、星野組マーチ83Gは1度もまともに完走できなかった。
対するトヨタは「傑作」トムス84Cの熟成で、ポルシェに迫っていた。トムスと童夢はトヨタエンジンでのルマン遠征を決断していた。
フルワークスではないとは言え、トヨタはついにルマンチャレンジのスタートラインに付いたのである。この時点で日産にとってはルマンなどはるかに遠い世界であっただろう。
しかし翌85年、日産は一気に攻勢に出ることとなる。時期は遡るが、84年10月1日に、ニッサンモータスポーツインターナショナル設立、守勢であった日産がついに重い腰をあげた。
69年日本GP、1度はワークスポルシェを破った日産。眠れる獅子がついに目覚める時が来たのである。それはオイルショック以降途切れていた、日産のワークス活動の再開である。
(以下次号)
- 159 名前:103:04/08/08 05:52
-
84 WEC
ttp://www.otl-3.org/up/filez/229.wmv
- 160 名前:CarNo.774:04/08/13 23:17
- 日産編其の八
・日産ワークス活動再開
さて時間を84年WECの翌日、10月1日に戻す。この日は日産が惨敗したWECの翌日にして、(株)ニッサンモータースポーツインターナショナル(ニスモ)の設立日、そして日産自動車の定例役員会であった。
そこで日産のモータスポーツ担当役員川合勇常務とニスモの社長に就任した難波靖治は、翌年日産自動車の社長に就任する副社長の久米豊に叱責された。
「昨日テレビをい見ていたが、うちのクルマは出れば止まるでなんなんだ。ポルシェどころかトヨタにさえ適わなかったじゃないか」と。
川合は「今までの宣伝三課がやる形では、やり方、予算ともはっきりしなかった。これからはニスモできちんとやります」と応えた。難波も「昨日負けたのは宣伝三課。ニスモができたのは今日です。来年は勝ちます」と応えた。
とは言え難波も「勝つ」と言ったが、そのあてがあったわけではもちろんなかった。
難波は海軍兵学校出身で、戦後茨城大学に進学、技術者として日産自動車に入社した。その後1958年の豪州大陸1周ラリーでは自らハンドルを握りクラス優勝を果たし、凱旋した羽田では信じられない歓待を受けた。
敗戦に打ち沈む日本に大きな希望を与えたのである。
以降、難波は日産のモータスポーツ活動の中心として、サファリ制覇、日本GP制覇に関わってきた。役職定年を迎えるにあたり、日産は役員の椅子ではなく、モータースポーツ専門子会社の社長を用意した。
同じ頃(翌85年)、日産はもう一人の「スターサラリーマン」、スカイラインとR38シリーズの生みの親でもある桜井真一郎に、も特殊車両、モータスポーツ車両開発専門会社「オーテックジャパン」の社長に就任させた。
当時の日産はバリバリの東大閥で(ゴーン体制の今はそんなことないであろうが)、東大出身でなければ難波、桜井と言った最高の功労者でさえ本社の役員にはなれなかったのである。だが本人にとっては本社の役員より数倍やりがいのあるポストであったのは想像に難くない。
- 161 名前:CarNo.774:04/08/13 23:32
- ニスモの業務は、
1.レースの参加
2.一般車用パーツ、ニスモグッズの販売
3.サーキットサービス
4.レース車両の販売・整備
5.レーシングスクールの開催
の5つが柱となった。このうち3から5はそれまで日産大森分室がやっていたことをそのまま引き継いだ。
2のチューニングパーツ、グッズ(ウェア等)販売はまだ当時としては一般的ではなかったが、今やクルマ関連業界では大きなマーケットに成長している。
その中でもニスモのパーツ、ウェア類はトップブランドの地位を得ている。
特筆すべきは1である。このころ三菱自動車(ラリーアート)、東洋工業(マツダスピード)とモータスポーツ専門子会社の設立が続いていた。しかし自らチームを結成し、レースに参戦すること(つまりワークス活動)を明らかにしたのはニスモが最初であった。
翌年からニスモはあらゆるカテゴリーでワークス活動を開始する(ニスモのワークス活動については後述)。
長谷見や星野と言ったドライバーもニスモとの契約となった。宣伝三課(大森)が予算を組み、実験部が協力すると言う、はっきりしない体制はニスモに一本化されることとなった。
- 162 名前:CarNo.774:04/08/14 00:04
- WECの日、難波と桜井は富士のピットに顔を出していた。そこで出た言葉が「こんなエンジン3年も使ってアホじゃない?」。
実際そうであった。LZ20はもともと20年近く前のL型4気筒がベース。しかもEGIでなく機械インジェクション。パワー、燃費、耐久性、どれをとってもポルシェの前では「竹ヤリ」でしかなかった。
このWECの大惨敗がニスモのスタートと言っても過言ではなかっただろう。
かくしてニスモのメインカテゴリーはGr.C耐久となったのである。「来年はポルシェに勝つ」と。
とは言え「打倒ポルシェ」を実現するために何一つあてがあったわけではなかった。まずは「竹ヤリ」LZ20に変わる次期Cカーエンジンの選定である。
この時(84年終りころ)日産では既にLZ20に変わるCカーエンジンとしてFJ20の開発が進んでおり、最終戦富士500マイルにデビューしていた。
電子インジェクションを採用することもあり、FJ20は明らかにLZ20よりは高い性能を期待できた。しかし基本はLZ20と同じ2g4気筒。2.6g6気筒のポルシェに対しアドバンテージがあるとも思えなかった。
FJ20は拡大しても2.4gが限度。ポルシェの2.6gには及ばない。
またFJ20自体、先述のとおり決して基本設計の新しいエンジンではなかった。それはFJ20が翌86年に生産打ち切りになり、一方このころデビューした、ライバルトヨタの新世代2g4気筒16バルブエンジン3S−Gが、その後20年近くも市販車、レース車に搭載され続けたことを見れば明らかである。
(乗る楽しみとして、FJ20は最高のエンジンであったと筆者自身は思っているが)
そこで白羽の矢が立ったのが、セドリック/グロリア用に開発されて83年にデビューした3gV6エンジン、VG30である。VG30は当時日本唯一の市販車用V6エンジンであった。
しかしレースユースを考慮されデビューしたFJ20と違い、VG30はまったくそのようなことを考慮されて開発されたわけではなかった。当時はまだ4バルブヘッドも用意されていなかった。
- 163 名前:CarNo.774:04/08/14 00:47
- この頃ニスモに、アメリカのボブシャープレーシング経由で、エレクトラモーティブチューンのVG30をグループC用に使わないかとの打診が来ていた。
難波と桜井、そしてニスモの監督に就任することとなる柿本邦彦はさっそくアメリカへと渡った。
アメリカにおける日産系レーシングチームと言えばボブシャープレーシングが有名である。パイオニアスポンサードで、プレジデント用のV8を搭載し、ポールニューマンもドライブしたフェアレディZが東京モータショーで展示されたのを目にした人は多いことだろう。
ボブシャープと共に、フェアレディZ(ダットサン240Z)販売開始と同時にレース参戦したのはピートブロック率いるBRE。このBREが73年一杯で活動を停止、それを引き継いで74年から活動を開始したのがエレクトラモーティブである。
ボブシャープ、エレクトラモーティブは、アメリカにおけるフェアレディZチューナーの双璧であった。82年の第一回WECにはエレクトラモーティブの280ZXターボが来日している。
そのエレクトラモーティブが85年シーズンに向け、IMSA−GTPへステップアップすることとなった。エンジンは市販のフェアレディ300ZXに搭載されているVG30ターボである。
IMSA−GTPとはIMSAにおけるプロトタイプクラス。FIAのグループCと似たようなカテゴリーであるが、燃費制限がなく、エンジンタイプで最低車重が細かく決められている(Gr.Cは一律850kg)。
エレクトラモーティブではVG30エンジン用の専用シャシーをローラに発注し、参戦することを決めていた。当時のIMSA−GTPはポルシェが962(Cカーの956をIMSA規定に合わせたもの)、フォードムスタングプローブ(ザクスピードUSA),コルベットGTP(ローラT710)、ジャガーXJR−5、マーチ84G(ポルシェ、シボレーエンジンを搭載)が参戦するなど、
ポルシェ956一辺倒にWECより活況を呈していた。
- 164 名前:CarNo.774:04/08/14 01:11
- 「分家」が開発するVG30エンジンを、「本家」ニスモは導入することを決定した。ターボ、ウェストゲート、インジェクションと、ブロック本体以外はほとんどパーツが外製であった。
当然ながら、まだ当時の日産/ニスモに独自のシャシーを開発する力はない。エンジンのみならず、シャシーも引き続き外部の物を導入することとなった。
この時、シャシーはエレクトラモーティブ専用に開発中のローラT810をニスモ側は推奨されていた。しかし当時の日産はローラを使ったことがなく、ゼロからのスタートは危険であると言うことから、引き続きマーチも導入と2面作戦で行くこととなった。
とは言えマーチは日産専用でなく汎用の85G。85G自体は84年IMSA最終戦デイトナでシボレーエンジンを積みデビューしている。
ほとんど国内で賄うトヨタとは対照的に、「日産Cカー」と言いながら日産製の部分はほとんどなかったが、後先こだわらず日産が勝ちに行く姿勢に転じたことは特筆すべきことだろう。
そしてこのマーチ85G/日産VG30がCカーレースに大きな衝撃を与えることなるのは、この約1年後のことであった。
エレクトラモーティブのローラT810/日産はその3年後はIMSAにおいて無敵の快進撃を開始することとなる。
さて、とにもかくにも日産は翌年のWECでの勝利(難波に言わせれば「別に総合優勝すると言ったわけではない(笑)」)に向けてスタートを切った、1984年の暮れのことである。
しかしニスモにはもう一つ大きな難題がこの時起きていた。「日産の顔」とも言うべき、星野一義の日産離脱問題である。
(以下次号)
- 165 名前:CarNo.774:04/08/14 12:29
- >>159
毎度降臨ありがとうございます。
ペースカー2台は間抜けだが…。
20年前なんてぜんぜん思えないほどCカーは古さを感じませんね。すごいことだと思います。
今レース出ても全然違和感なさそうで。逆にそれだけ今のレース界が寂しいのか…。
85富士500マイル、85WECも期待しております!
- 166 名前:103:04/08/14 22:47
-
>>159
84 WECの中継でペースカーが2台、そしてペースカーが最初2ラップしたのも番組スポンサーの関係とか
リタイヤした星野がインタビューをうけている後ろに、ウオークマンを聞くマッチが映っているんですねよね。
- 167 名前:CarNo.774:04/08/20 00:04
- TEST
- 168 名前:CarNo.774:04/08/20 00:26
- 日産編其の九
新生ニスモ難波丸にとって、新型エンジンと共に大きな問題となったのが星野一義の日産離脱問題である。
当時の国内レースは完全に星野−中嶋時代であった。84年シーズン、F2のチャンピオンは中嶋、富士GCのチャンピオンは4戦全戦ポールtoウィンの星野が獲得した。
GCは星野も中嶋も同じBMWエンジンを使うが、F2は中嶋がV6のホンダ、星野は直4のBMWだった。ホンダがF2に復帰した際、国内で独占供給したのが中嶋だった。以降もホンダはBMWのようにエンジンを市販せず、限定供給のみだった。
84年になるともはやBMWはホンダの敵とはなりえなかった。欧州F2はこの年限りで終焉、F3000へ移行することになる。日本ではJAF−F2として引き続き2gフォーミュラーが行われることになっていたが、「ワークス」活動を終了したBMWエンジンではホンダに勝負を挑めないことなど火を見るより明らかだった。
この84年シーズン、ホシノレーシングはF2、GC、耐久の3カテゴリーに参戦していた。ホシノRの社長は監督の金子豊、ホイール販売のホシノインパルは星野が社長だった。ホシノインパルの広告灯が星野自身であると言える。ホシノインパルの売上げのためにも星野は勝って勝ってかちまくるしかなかった。
レーシングドライバーの本能として、ホシノインパルの社長として従業員を養っていくため、星野にとってホンダエンジンは喉から手が出るほど欲しい物であった。
- 169 名前:CarNo.774:04/08/20 00:56
- 当時の「常識」としては、一人のドライバーが、例えカテゴリーは異なっていても複数の自動車メーカーと関係を持つと言うことは有り得ないことだった。(F2はホンダ、GCはマツダ、耐久はトヨタと言う中嶋のような例もあったが)
星野のホンダエンジン獲得は、イコール星野の日産離脱と受け取られるのが普通だった。実際星野もこの84年は日産のテストを「愛弟子」萩原光に託す機会が増えていたこともあり、「星野と日産はこの年限り」と見るむきは多かった。
ホシノレーシングのビジネスとして考えても、遅い、壊れる、勝負にならないの日産Cカーで耐久に出場するよりも、日産を離れ最強ポルシェを購入しBSタイヤで走らせた方が対スポンサーの営業的面からも有利だろう。
そして「星野日産離脱」は噂にとどまらず、実現一歩手前まで来ていたのである。
もちろん星野は義理固い男である。自分をここまでに育ててくれた日産に砂をかけるようにしてサヨナラすることはできない。深く悩んだ末、銀座の日産本社のモータスポーツ役員川合勇(後富士重工社長、収賄で逮捕)を訪ねた。「日産を辞めさせてください」と。
世話になった日産に対しては心苦しいが、レーシングドライバーとしてビジネスマンとしてどうしてもホンダエンジンが欲しいと。
あわてたのは日産側である。新たな船出を迎える日産のモータースポーツ活動にとって、星野はその実力、名前とも欠かすことはできない存在である。
出した結論は「日産は今後もF2をやるつもりはない。F2でホンダに乗っても構わない。日産としても星野は絶対必要な存在。ポルシェを破ることも本気で考えている。今までのような思いはさせない。ぜひ残ってほしい」と。
こうして星野は日産に残ることとなった。もちろん情だけで残ったり、引きとめたりしたわけではない。恐らくこの時すでにVG30プロジェクトの話は聞かされていたことだろう。
85年シーズン、星野はF2にはホンダレジェンドで、耐久には従来どおり日産グロリアでサーキットに向かうこととなる。そしてこの時できたホンダとの関係で、86年シーズン、F1ウィリアムズホンダの国内テストを担当することとなった。
(以下次号)
- 170 名前:CarNo.774:04/08/28 23:09
- おつかれっす。相変わらず読み応えありますね。
- 171 名前:CarNo.774:04/09/02 10:15
- TEST
- 172 名前:CarNo.774:04/09/02 10:38
- 日産編 其の拾
明けて85年、事実上の「ニスモ元年」。オイルショックで中断して以来、12年ぶりの日産ワークスの国内モータスポーツ活動再開である。
ここで再開することになった日産/ニスモのワークス活動をまとめてみる。
まず最初に来るのがグループA規定のJTC(全日本ツーリングカー選手権)。
グループAとは連続する12ヶ月間に5000台以上生産された4座席以上の量産車をベースとするカテゴリーで、82年からETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)がグループA規定を採用し、人気を得ていた。
85年からこのグループA規定の全日本選手権が始まり、最終戦は国際格式レース(インターTEC)が富士で開催されることになっていた。クラスは1.6g以下のDiv.1、2.5g以下のDiv.2、2.5gオーバーのDiv.3の3クラス。
このレースにニスモはR30スカイラインRSターボ(Div.3)と、S12シルビアRS(Div.2)で参戦した。ワークスのスカイラインが登場するのはKPGC10GT−Rが50勝を達成した72年以来のことである。
当時のワークス活動と異なり、ニスモの活動はただ勝利を目指すだけでなく、ユーザーのための開発・支援も大きな要素で、翌86年にはR30スカイラインユーザーは8台にまでふくれあがっていた。これも大きな成果だろう。
初年度は勝利をあげることはできなかったが(チャンピオンはBMW635)、翌86年は鈴木亜久里が2勝をあげチャンピオンを獲得している。カート育ちの亜久里はハコを操ったのはニスモ入りしてからが初めてであった。
シルビアは開幕戦に東名自動車に貸し出した後、2戦目以降は雑誌社とのタイアップで日産レーシングスクール校長の辻本征一郎と各誌編集者(毎回交代)のコンビで臨む異色の体制で、最終的に辻本がクラスチャンピオンを獲得した。
- 173 名前:CarNo.774:04/09/02 11:02
- 同じくハコのJSS(ジャパンスーパースポーツセダン)には、マッチこと近藤真彦がニスモのワークスマシン・S12シルビアを操った。
ジャニーズ人気は今も当時も変わらない。場違いの女性ファンが多数サーキットに詰め掛けた。「なんで(素人同然の)マッチがワークスマシンに」と苦々しく見ていた専門誌記者も多かったが、
その後近藤はJGTCでの勝利、F3000、ルマン24時間参戦、自チームを結成しFニッポン、ルマンへの参戦など、「タレントレーサー」の枠を超えた日本レース界になくてはならない存在へと駆け上っていくことなど、どれだけの人が考えただろうか?
F3にはFJ20の開発ドライバーとして鈴木亜久里が日産トリコロールの#23ラルトRT31で参戦した。
当時亜久里はF3参戦7年目の「ベテラン」。カートチャンピオンからF3へステップアップ。トムスでアルバイトをしながら資金を稼ぎ活動を続けてきたが、それもいよいよ底をつき、レース活動を断念しようとしていた。
その際トムスの舘がセントラル20の柳田を紹介。その縁で亜久里はF3活動を開始する日産の開発ドライバーをまかされた。84年のことである。そしてニスモ元年の85年からニスモの契約ドライバーとなる。初めてハコを操ったのもこの時である。
この後ワークスドライバーとして初めて資金に心配なくレース活動を行うことができるようになった亜久里はめきめき頭角をあらわし、JTCチャンピオン、ルマン参戦、F2参戦、日産のCM出演(ラングレー)、そしてF3000チャンピオンを獲得し、F1へと上り詰めることとなる。
ただしこの年の「最後」のF3シーズンは2勝あげるもシリーズ2位で、結局チャンピオンを獲れないまま「卒業」することとなるのだが。
- 174 名前:CarNo.774:04/09/02 11:25
- ニスモは国内ラリーにも参戦した。AE86カローラが主流の中、トリコロールのワークスカラーに彩られたZ31フェアレディ300ZXで参戦。
神岡政夫が2勝をあげチャンピオンを獲得した。「国内ラリーにワークスが?」と言う声もあったが、ニスモのサービス部隊が来ることにより会場が華やかになったのは事実である。
しかしこの時のニスモの遠い目標であったWRC日本誘致が実現するには、それから20年近くもかかってしまったのだが…。
WRCはこの年に限り従来の追浜チームが参戦。サファリでは240RSが3位に入賞している。S110シルビアがベースのGr.B,240RSはプライベーターには扱いやすく人気のあるマシンだったが、NAでFRでは、他の(4WD+ターボの)Gr.Bとは勝負にならなかった。
日産は翌86年を開発に費やし、87年からニスモの手によりGr.S(ラリー用スペシャルカテゴリー)でWRC復帰を狙っていた。しかし相次ぐ死亡事故でGr.Sカテゴリーそのものがキャンセルされ、WRCは87年からGr.Aで争われることとなった。
このためニスモは87年から日産200SX(S12シルビアに3gV6を積んだ輸出用車)Gr.AでWRC参戦。89年のコートジボワールでは久々のWRC優勝を飾る。
90年は小休止、91年から4WD+ターボのパルサーでWRCに復帰(ニスモではなく子会社のニスモヨーロッパ=NMEから)するも、92年限りで撤退。以降日産がWRCにワークス参戦したことはない。
ついに念願にWRC日本開催が実現したのに、「ラリーの日産」がいないのはなんとも寂しい限りだが…。
- 175 名前:CarNo.774:04/09/02 11:57
- さて肝心のGr.Cである。実はこの「ニスモ元年」でも基本的な体制は前年とは変わらなかった。
ニスモができたとは言え、いきなりGr.Cのような高度のマシンを、ハコやF3のようにメンテナンス&エントリーする力はまだニスモには無かった。
そのためエントリー&メンテナンスは従来通り(ホシノR+セルモ、ハセミMS、セントラル20、ルマン)である。ニスモのメンテ&エントリーとなる「フルワークス」体制に移行したのは88年からである。
VG30(とFJ23)投入は第3戦富士500マイル(7月)から。それまでは基本的に84年と同じ体制。ただしエンジンはLZ20からFJ20に変更された。
ホシノRは第二戦まで従来のマーチ83GでエンジンはLZ20からFJ20にチェンジ。ドライバーも星野/萩原で変わらない。ハセミMSは前年最終戦からすでにFJ20を採用しておりそのまま(LM04C)。コ・ドライバーは都平に替わり和田孝夫となった。
セントラル20は前年最終戦でLM03Cをクラッシュさせたため、日産がFJ20テスト用に購入していたLM04Cにチェンジ。和田に替わり亜久里がコ・ドライバーとなった。カラーリングも小変更。前年のコカコーラライト+キャノンのコラボカラーから、ロイドポルシェのような完全キャノンカラーに。
ルマンはサウンデバイスカラーのLM04Cと言うのは前年そのまま(エンジンもLZ20で変更なし)。しかし前年までトムスにいた松本恵二が、この年からニスモと契約し、日産Cカーを操ることになり、松本/中子修のコンビになった。
これらの体制はVG30が投入されるまでの暫定的なもの。第3戦以降はドライバーの組み合わせを含め小変更があった。
「ニスモ元年」本当のスタートは第3戦富士500マイルと言える。それまではほとんど「旧体制」のままであるのだから。
しかし全日本耐久開幕戦、鈴鹿500kmは、雨に助けられたとは言え、「ニスモ元年」に期待を込められたような幸先の良いスタートとなったのである。
(以下次号)
- 176 名前:CarNo.774:04/09/04 15:54
- ラリーの日産も懐かしくなったもんだな。
シルビアが無くなりサニーも消滅。残るはZのみかぁ・・・( ´・ω・)≡3
- 177 名前:オーバルマスター:04/09/04 22:55
- >140
こんな掲示板(?)があったんですね。ヤフー掲示板から来ました。
2チャンネルで書いたことがあるのですが、私が日本関係は全部作りました。
今から5〜6年前だと思いますが、資料が揃ってないし、日本語版も作っていないのに
英語版をいきなり作ったので結構間違いがあると思います。
で、私も足りない資料は国会図書館で書き写しました。あそこはコピーも手続きが面倒だし、
五時までしかやってないので、結構大変でした(^_^)
もしあのサイトが見られなくて、今後も必要でしたらエクセルを送っても良いですよ。
折角作ったのが役立つなら嬉しいですね。
- 178 名前:CarNo.774:04/09/07 00:20
- >>177
ネ申降臨!
なぜか見えるようになりますた?パソ詳しくないんですがなんででしょう?
ほんとこのサイト重宝させて頂いております。耐久ってトップ10までしか予選/決勝結果載らない雑誌多かったですから。
シャシーもすごいです。ぜいたく言えばこの後も追跡調査お願いします、ってのはワガママですよねえ…。
昔は良かったと思うようになったのはじじいになった証拠かもしれませんが、そう言うの抜きにしてバブル期のレース界のほうがはるかに盛りあがってたな。
あのころの写真、ビデオ見てもぜんぜん古臭く感じない。
Cカーじゃないけど今月のRonのキャビンカラーの松本/マーチ・ヤマハ初優勝の写真、ほんとに昨日のようだ。
- 179 名前:CarNo.774:04/09/07 22:29
- 今日のNHKプロジェクトXはプリンスR380。感動しました。
この項の冒頭にもあるスカイラインS54vsポルシェ904、プリンスR380vsポルシェカレラ6。
桜井眞一郎さんも出てきました。明日再放送があるようなので見逃した方はぜひ。
- 180 名前:オーバルマスター:04/09/09 22:15
- >>178
この列伝も読み応えがあって、相当凄いですよ!
リザルトはいずれは日本語版を作りたいです。
70年代前半のGCの資料も当時と比べると沢山集められたし。
でも今は仕事が忙しいから無理だなぁ。(>_<)
昔が良く思えるのは今みたいに整然としていなかったからもあるんじゃないかな。
何でもありみたいな方が面白いな。
プロジェクトX、私も見ました。
外国人の方も見ててこんなスレッドもあります。
http://forums.atlasf1.com/showthread.php?s=&threadid=72736
- 181 名前:CarNo.774:04/09/11 10:43
- TEST
- 182 名前:CarNo.774:04/09/11 11:19
- 日産編 其の拾壱
「ニスモ元年」最初のグループCカーレースは4月の開幕鈴鹿500km。この年から富士LD3戦も全日本戦に加わり、全日本耐久選手権は全6戦となった。
このレースで日産はCカー活動開始以来、最高の結果を残すこととなる。もっとも「国産C1カー初勝利」の栄誉はトヨタにさらわれることになるのだが…。
予選でPPを獲得したのはアドバンポルシェ(このレースから962Cに)で、タイムは1分59秒09のコースレコード。Cカーで初めて2分を切った。2番手、3番手はトムス、童夢とトヨタ勢が続く。タイムは59秒16、59秒85と接近している。
4番手にこのレースから自社メンテになったトラストのイセキポルシェ。日産勢最上位は星野のマーチ83G/FJ20の5番手だが、タイムは大きく離され2分05秒45。前年の鈴鹿1000kmのタイムにさえ及ばない。
決勝レースは雨。これが日産/星野陣営には有利に効いた。前年から雨のレースでは星野+BSレインタイヤが抜群の力を示していたのだから(結果には結びつかなかったが)。
レースはエルグ/リースのコンビになったトヨタ童夢84Cが抜群の速さを見せ、それをアドバンポルシェが追う展開。しかしこの85年シーズンから燃費規定が厳しくなり、500kmレースの場合、前年の300g(gあたり1.66km)から275g(同1.81km)となった。
また雨となったことでコンピューターの不調から燃費が安定せず、アドバンポルシェは童夢追走を断念、最終LAPの突入前にゴールライン手前で待機。そこを3位走行の星野/日産が抜き去った。
優勝は童夢トヨタ。ついに国産C1カーがポルシェを破り初優勝を飾った。そして2位に最終LAPでアドバンポルシェをかわした星野/萩原のマーチ83G/日産。はっきり言って「暫定エンジン」FJ20の熟成が進んだと言うより、雨に助けられたと言っても過言ではない。
しかし2位は日産Cカー過去最高位。トップと同一周回でレースを終えたのもこれが初めてである。5位にもパナスポーツ日産が入りダブル入賞。松本も日産初レースを上々の結果で終えることとなった。
ニスモ陣営の士気が高まったのは想像にかたくない。
- 183 名前:CarNo.774:04/09/11 11:46
- 続く第二戦は富士1000km。この年から富士GC第2戦と日程が入れ替わり、富士LD初戦は6月開催からGW開催となった。
先述のとおりこの年から富士LDは全日本戦に加わり、日程も5月1000km、7月500マイル、11月500kmとなった。
1000kmはTMSC,500マイルはSCCN、500kmはMSCC主催と、事実上トヨタ、日産、マツダの冠レースとなった。
ホストたるトヨタはこのレースから85Cを5台投入。ルマン参戦の壮行試合的レースとなった。
全日本戦に加わったため、この年から富士LDも予選を行うようになった。PPは2戦連続連続アドバンポルシェで1分19秒97と唯一20秒を切る。
しかしWECでイセキポルシェがマークしたタイムには及ばない。2番手はイセキ、3番手はこのレースから参戦した伊太利屋ガレージのランチャ。
ランチャはワークスドライバー(ナニーニ/ペスカロロ)とメカニックも来日する「セミワークス体制」で、日本の耐久レースもそれほどにまで注目されるにまで発展したきたと言えよう。
国産最上位は前戦優勝の童夢の4位。日産最上位は星野組の6番手。
決勝レースはルマン遠征を控えるトヨタ陣営にトラブルが続出し、アドバンもリタイヤしたためイセキポルシェの独走優勝。自社メンテでは初優勝である。
トヨタ勢はトラブル続出で表彰台をC2のグッピーに奪われ、ルマン遠征に不安を残す結果となった。
(余談だが、この年から富士LDがトヨタ、日産、マツダの事実上の冠レースになったこともあり、その翌週にTX系で放送されるようになった録画中継はホストメーカー((このレースはトヨタ))の宣伝番組と化し、不満を持つファンは多かった)
しかし5〜8位に入賞したトヨタはまだいい。
日産勢はレース距離の3分の1で4台とも全滅。前年のWECを思いおこす大惨敗である。
とりあえず日産勢の「旧体制」はこのレースまで。新型エンジン/シャシーを投入する次戦からは「日産の逆襲」は期待できるのだろうか?このレースを見る限り、例え大幅に体制をチェンジしてもそう多くは期待できないのではないか?
そう言う不安を持つファン/関係者は決して少なくなかったはずだ。
- 184 名前:CarNo.774:04/09/11 12:10
- さて、この後7月の富士500マイルでのVG30デビューに向け、ニスモは多忙な毎日を迎えるわけだが、
一足先にVG30をデビューさせたエレクトラモーティブの状況を簡単に述べたい。
2月にはローラT810と合体しテストを開始、4月のIMSA第5戦リバーサイドにエントリーするも予選(15位)のみで決勝はキャンセル。
続く第6戦ラグナセカでデビュー、11位で完走している。
暫く休んだあと、7月の第11戦ポートランドから復帰。結局この年は予選8位、決勝9位が最高位と目立った戦績はあげていない。
エレクトラモーティブ的にはこの年はむしろ日本の活動の方にプライオリティがあったのだろうか?
しかしこの3年後、エレクトラモーティブの日産GTPが無敵な快進撃を見せつけることになろうとは、この時どれだけの人が考えたのだろうか?
そのエレクトラモーティブチューンの日産Cカーは7月、リバーサイドサーキットで「デビュー」することとなる。
(以下次号)
- 185 名前:CarNo.774:04/09/12 15:55
- 毎度おつかれさま
- 186 名前:103:04/09/13 20:52
- 今まで 使っていたアップローダ ttp://www.otl-3.org/up/upload.php
が閉鎖されてしまったのですが、どこか良いロダーないでしょうか
結構 大きめの動画ばかりだったので 代わりがなくて困ってます。
- 187 名前:CarNo.774:04/09/16 22:58
- 今週のASにルマン耐久シリーズ(LMES)の写真出てたが、シルバーストンのスタンド人稲杉。
ヤフーBBスタ並。
これじゃあ「WEC復活!」とはなかなか言えないなあ。WTCCは復活するのに。
- 188 名前:CarNo.774:04/09/21 00:57
- ニスモ20周年記念本が発売中(ガッケンムック2000円)
- 189 名前:CarNo.774:04/09/21 00:57
- ニスモ20周年記念本が発売中(ガッケンムック2000円)
- 190 名前:CarNo.774:04/09/21 11:28
- 日産編 其の拾弐
85年7月上旬、ニスモのスタッフとドライバー(星野、柳田)は空路アメリカへ渡った。
10日〜13日にリバーサイドで行われるVG30エンジンのシェイクダウンのテストである。日本に持ち帰っている時間の余裕がないため、こうした形となった。日産がCカー活動を開始して以来、海外テストはこれが初めてである。
この時星野は「従来のことあるから、そんなに期待できるものなのか正直不安」との心境を吐露している。
用意されたマシンはマーチ85GとローラT810。マーチはマーチエンジニアリング、ローラはエレクトラモーティブが担当する。初日からテストができたのはマーチのみ。
ついに始動したVG30のテストを終えた直後、星野は「メチャクチャ速い。パワーも抜群。これならポルシェと勝負できる。LZ20やFJ20と違いトルクも太い。」と最上級のコメント。
LZ20やFJ20は500馬力程度。当時まだ星野はホンダF1のテストをしていないから、800馬力を越す強烈なパワーは初めての経験であった。
1日遅れで柳田のローラも始動。マイナートラブルも起きこちらは順調ではなかったが、強烈なパワーを体験したい希望を聞き、フルブーストでアタック。「これほどパワーのあるマシンは初めて」との感想を漏らす。
最終日は国内スケジュールの関係で星野は帰国するが、「ポルシェに乗りたいと思ったこともあるし、そのチャンスもあった。でも日産にかけて残って、それが報われた。」とのコメントを残した。
号砲一発、「打倒ポルシェ」に本気になった日産がついに始動した。
- 191 名前:CarNo.774:04/09/21 11:45
- 7月28日の富士500マイルがVG30パワーの初陣であった。
このレースはこの年からSCCNの主催、つまり日産の冠レースとなった。日産は自らのホストレースをニューエンジンのデビューの場に選んだのである。
このレースからホシノRは星野/松本/萩原の体制となりマシンもマーチ85G/VG30にチェンジ。ハセミMSはドライバーは長谷見/和田で変更なしでマシンもマーチ85G/VG30、セントラル20も柳田/亜久里で、こちらはローラT810/VG30。
VG30は公式リリースには決勝時650馬力と公表されていた。出場全車中最大である。
チームルマンもニューマシンLM05Cを投入。エンジンは国内で開発したFJ23(FJ20の拡大版)。松本の後釜に松本の愛弟子でF3ドライバー森本晃生が加わり中子と組む。
エントリー名は従来と変わらず「シルビアターボCニチラ」」「スカイラインターボCトミカ」「フェアレディZCキャノン」「パナスポーツ日産ターボC」。
Zはともかく、V6・3gのエンジンを積んで「シルビア」「スカイライン」ではもはや失笑ものであるのだが…。
- 192 名前:CarNo.774:04/09/21 12:13
- 日産はこの年、マーチ85Gを3台(うち1台はFJ23テスト用)、ローラT810を2台、そしてLM05Cと6台ものニューマシンを購入している力の入れようであった。
予選時、マーチの底面についてちょっとしたトラブルが起きた。Cカー規定では底面に80×100ミリのフラット面を作らねばならない(IMSAにはない)。
日産では底面からフラット板をぶら下げる形で対処したが、これが物議をかもした(ぶら下げるのでなく装着しなければいけないのではと)。結局このレースではJAF預かりと言うことでクリアになったのだが…。
予選でポールを獲得したのはアドバンポルシェ(1分19秒69)。2番手は伊太利屋ランチャでここまでが20秒を切った。
そして3番手、国産パワー最上位を星野が獲得した。タイムは1分20秒10と、真夏ながら日産Cカーの富士のレコードである。
以下柳田は5番手。長谷見は7番手。
決勝前、ニスモの難波は「今回は4台グリッドに並んだだけでも大成功と言える」とコメントしている。そうであろう。わずか2週間前に海外でシェイクダウンを済ますタイトスケジュール。
セッティングも充分積める時間も無かった。それでいての3番グリッドはVG30の強烈なパワーと星野に負うところが大きかったはずだ。
日産はこのレースに向け、VG30デビューを告げるポスターを製作している(マシンは写真でなくイラスト、しかも旧カラーリング)。レース当日も日産は盛んにプロモート活動を行った。
そして決勝日には当時の久米豊社長も富士に来場したのである!これはかつての日本GP時代にも無かったこと。この当時はタイヤメーカー以外、レース・イベントに深く関わるメーカーは無かったが、ようやく自動車メーカー自らレースイベントを直接盛り上げていかなければいけない認識を持つようになったのだろう。
- 193 名前:CarNo.774:04/09/21 12:21
- 決勝レース、序盤こそ上位を走るも、やはり時間の無さはいかんともしがたく日産勢は徐々に後退。
長谷見車が13位で完走するに留まった。しかしVG30は確かな一歩めを刻んだと言えるだろう。
一方ルマン帰りのトヨタは確実に熟成された。ルマン12位の中嶋/関谷のトムスはアドバンに次ぐ2位を筆頭に、3,4、6位に入賞。
60年代日本GP時代以来のTvsNのバトルの再現は、いよいよ本格化していくこととなる。
(以下次号)
- 194 名前:CarNo.774:04/09/22 22:13
- 2ちゃん見れないのでことらへ。
AS今週号の黒井さんのルポ(GC大事故)で、(ぶつけあいを当たり前としてきた)「日産の責任」(日産だけでなく他のワークスも)とありましたね。
しかし黒井さん、仲の良い難波さんをかばいたいのか(ワークスぶつけあい全盛の)「66年〜74年まで難波はラリーに専念しレースには関わってない」とありました。
しかし昔のレーシングオンの日本GPの記述に難波さんが出てきたし、Jstipoで片山義美さんが対GT−Rの思い出で「難波監督がどう言う作戦とるかと思ってた」と言うような記述がありました。
難波さんってレースにも関わってたのでは?監督は青地さんだったと思うけど。
タナケンさん、わかりません?
- 195 名前:103:04/09/25 22:04
-
http://www.mxec.net/uploader/6/so/No_0218.mpg
- 196 名前:CarNo.774:04/09/25 23:43
- 毎度ありがとうございます。インタビュアーはクマ編ですね。
富士500マイルの特番ですか?
Cカーは最高だ!
- 197 名前:103:04/09/26 10:37
-
リバーサイド&500マイル
http://www.mxec.net/uploader/6/so/No_0230.zip
- 198 名前:タナケン、復活!?:04/10/02 22:43:21 ID:BHA+km39
- >>194
難しい話ですね。1971年のグラチャン第3戦に日産のラリーチームの選手が
難波氏の意向?でエントリーしてます。
http://www.wspr-racing.com/wspr/results/gc/gc1971.html
このときにはサーキットに姿を見せていましたけど…
http://sylphys.ddo.jp/upld2nd/car/img-box/img20041002222954.jpg
ぶつけ合いのレースはそれこそ第1回日本グランプリの当時からやってましたし
当時の関係者なら100%シロはありえないと思ってます。
1968年の日本GPで生沢氏が2台のフェアレディに観客から見えにくい場所で執拗に当てられた
と証言し
実際に記録映像に残っていて、日産はこれを勇猛果敢にブロックしたとコメントを入れていたとか…
氏がASのfromザ・コックピットに書いてました。
またあの事故について黒沢だけが悪いんでない!あのような事を許してきた日本のレースが一番悪い!
と書いてます。
1975年の田中健二郎氏が寄稿して事故に付いて詳細に考察してますが、氏は黒沢氏に問題が…
という流れに見えました。
- 199 名前:名無しさん:04/10/04 00:49:02 ID:QnW5nhq/
- レーシングオン88年の何月号かの日本GP回顧記事に「生沢のポルシェに迫る高橋国の日産R380を見て日産の難波監督はいけると思っていた」と言う記述があるが、ライターの勘違いでしょうか?
- 200 名前:タナケン、復活!?:04/10/04 05:09:51 ID:AirVNPMn
- 生沢氏の著書だと、1967年の日本グランプリの時、日産の監督は田中次郎(プリンス→日産)部長と
書いてあり、R380-IIのタイムが悪いので無給油作戦を取るのか??と質問したとあります。
難波氏の名前は出てこないですね。
でも田中健二郎氏の本だとR380に乗れなくなった経緯のあたりでは、難波さんの名前が出てきます。
青地さんの本を捜してみます。出勤前なんでこのあたりで。
- 201 名前:名無しさん:04/10/04 23:32:41 ID:42UqrsPT
- Cカースレ落ちた?
- 202 名前:名無しさん:04/10/05 03:39:59 ID:CgslAoWW
- >>201
落ちたので立てました
グループCを語るスレ其の六
http://ex8.2ch.net/test/read.cgi/f1/1096914695/
- 203 名前:名無しさん:04/10/13 01:52:40 ID:Kg1y+zBm
- モータスポーツ板はいつまで人大杉なんだろう?
- 204 名前:名無しさん:04/10/17 11:37:24 ID:cqPfVT3a
- >>203
多分ずっとだよ、ギゴナビとか使えば見れるから良いけど
- 205 名前:名無しさん:04/10/21 10:01:30 ID:uQSqg0nC
- test
- 206 名前:名無しさん:04/10/21 10:32:29 ID:uQSqg0nC
- ・日産編 其の拾参
富士500マイルでデビューを果たしたVG30パワーの2戦目、そしてWEC前最後のレースが第4戦鈴鹿1000kmである。
「とにかくグリッドに並べる」状態だった前戦から、どこまで戦うレベルに達しているか?注目はその1点だった。
実は日産陣営はこのレース前に問題を抱えることとなった。富士500マイルでも問題となった、マーチシャシーの床面に80×100ミリのフラット板を「吊り下げる」ことがJAFによって「クロ」と判断され、
床面にピッタリと隙間なく装着しなければならなくなったのだ。これによりマーチシャシーの操縦性は著しく低下することとなった。
しかしそのネガティブ要素を吹き飛ばしたのが予選での星野である。2年前の同じ鈴鹿1000km以来の、日産にとっては2度目となるポールポジションを獲得したのである。真夏でありながらコースレコード(1分58秒602)のおまけ付きで。
まだまだ熟成段階でのこの結果は、VG30の強烈なパワーと星野自身のがんばりに負うところが大きいと言えただろうが。
2番手に熟成進むトムス85Cが中嶋のアタックでこちらもレコードタイムをマーク(1分58秒916)、3番手は長谷見(1分59秒183)と、国産パワーが予選上位を占めることとなった。
決勝は星野が飛び出し、F2/GCを思い起こさせる独走体制を築く。トップのまま1回目のピットストップ、ここで松本にドライバーチェンジ。トップのまま周回を重ねるが好事魔多し、44周目オイルシールの毀損でリタイヤとなる。
一方の長谷見車は序盤パンクで大きく遅れるも、その後は順調に周回を重ね、トップから5周遅れながら7位で完走した。WECに向けて大きな「データ取り」になったと言えるだろう(セントラル20のローラ、パナスポーツのLM05はリタイヤ)。
優勝は序盤シートトラブルで遅れるも盛り返したアドバンポルシェ。トムス85Cは2戦連続の2位に入賞した。アンダーパワーながらトヨタトムス85Cは熟成の域に達しつつある。
「パワーの日産」か、「熟成のトヨタ」か?4回目となるWEC−JAPANは過去最高の期待感、盛りあがりを持って迎えることとなった。
- 207 名前:名無しさん:04/10/21 11:01:02 ID:uQSqg0nC
- 時期は前後するが、ルマン遠征前、トムスの舘はインタビューで「日産が情けなさすぎる」と話している。
舘がトヨタワークス入りした時は既にトヨタ7のプロジェクトは終了していたが、舘を始めトヨタワークスの面々は「強い日産」を打倒することを目標に戦ってきた時期が永かった。
そうした舘からすれば、ライバル日産の体たらくに歯がゆさを感じずには入られなかったのだろう。舘の厳しいエールに応えるように、日産はついに重い腰をあげた。
一方のニスモの難波もWEC前のインタビューで「まかり間違ってWECに勝つようなことがあったら来年はルマンに出ます」と応えている。
実はその時に備えてニスモはこの年のルマンに偵察部隊を送り込んでいる。
難波曰く「WECに勝って、さあルマンだ、と言う時『ところでルマンってどこにあるんだ?』じゃ話にならないから(笑)」と。
前年のWEC惨敗後、難波は日産の久米副社長(当時)に「来年は勝ちます」と答えている。しかし難波に言わせれば
「勝つとは言ったが総合優勝するとは言ってない(笑)。大体1年で勝てるならポルシェはなにやってるかと言うことになる。1年でこんな予算で簡単に勝てると思われても困るし。」と。
「とにかく予選でも、直線の速さでも、トップでヘアピン通過するでも、なにか一つはは必ず一番を取る」この難波の「公約」はWECで充分に果たされることとなる。
1年前、まったくの「端役」でしかなかった日産は、この85年WECでは間違いなく「主役」に上り詰めることとなるのだから…。
- 208 名前:名無しさん:04/10/21 11:04:13 ID:uQSqg0nC
- (以下次号)
- 209 名前:103:04/10/21 19:12:32 ID:w6RaoxAn
-
http://impulse.dyndns.info:9999/uploadedFiles/clip107.wmv
削除予定/Time to be deleted: 2004/10/22 11:10
- 210 名前:103:04/10/24 19:19:45 ID:78qWkJoG
- >>209
suzuka 1000k mpeg版
http://www1.axfc.net/uploader/5/so/No_0248.mpg
- 211 名前:名無しさん:04/11/10 01:11:14 ID:e4zL7eLU
- WECではないがFIA−GTが来年日本でやるそうですね。
- 212 名前:名無しさん:04/11/10 10:54:53 ID:e4zL7eLU
- 日産編 其の拾四
1985年10月4日、4回目となるWEC−JAPANが開幕した。
過去「3回出てるだけ」だった国産勢だったが、今回は違った。さすがに総合優勝まで期待する声は大きくなかったが、今年はトヨタも日産も「なにか」やってくれる期待があった。
注目度もケタ違い。今では珍しくないが、F1もやっていなかった当時、文藝春秋発行の「NUMBER」で耐久レース特集が組まれたのである。
世界的に見ても観客動員が伸び悩む他のラウンドに比べ、富士ラウンドは4回目にして既にル・マンに次ぐ地位を得ていたのである。
練習走行で松本恵二ドライブのマーチ85G/日産が炎上するトラブルがあった幸い「ボヤ」程度で済み大事に至らず。
金曜日に1回目の予選を迎えた。注目はやはりフロントロウはワークスポルシェの「指定席」なのか?これを脅かすとすればやはり日産V6パワーなのか…?
とりあえずのターゲットタイムは前年ワークスポルシェのステファン・ベロフがマークした1分17秒49。これを目標に2台のワークスポルシェ、2台のマーチ85G/日産、
この年のル・マン覇者ニューマンポルシェ、日本の王者アドバンポルシェ、そして中嶋悟駆るトムス85Cがアタックする。
そしてついに星野駆るマーチ85Gがベロフのコースレコードを0.5秒も上回る1分16秒92をマーク。タイムチャートのトップに浮上する。予選終了間際には長谷見もコースレコードとなる1分17秒45をマーク、2番手に浮上。
長谷見曰く「最終コーナーで遅いポルシェに引っかかってしまった」と。予選はこれで終了。1回目とは言え日産はワークスポルシェを出しぬき予選1−2番手を独占したのである。去年の悪夢を思い起こせばまさに「1年目の奇跡」と言って良いだろう。
「なにか一つは一番を取る」難波のこの公約は充分過ぎるほど果たされたと言って良いだろう。ワークスポルシェ陣営は「噂には聞いていたけど…」と驚嘆な表情を見せながらも余裕が感じられた。
翌日にはしっかり巻き返す算段があったのだろう。しかし実はこの時、翌土曜日は雨の予報が出ていた。本当に雨ならば日産のフロントロウ独占は確定する。4回目にしてついに日本人・日本エンジンのポールシッターが出現するのか?
多くのファン・関係者が雨乞いをする中、翌土曜日を迎えた。
- 213 名前:名無しさん:04/11/10 10:57:11 ID:e4zL7eLU
- 訂正:
世界的に見ても観客動員が伸び悩む他のラウンドに比べ、富士ラウンドは4回目にして既に
エントリー台数・内容、観客動員でル・マンに次ぐ地位を得ていたのである。
- 214 名前:名無しさん:04/11/10 11:24:05 ID:e4zL7eLU
- 土曜日の予選2回目、雨乞いは実らず、時折ぽつりと来るものの、完全ドライコンディション。
前日1−2を取った日産勢はこの日は決勝用セッティングに終始。タイムアタックは行わなかった。
一方のポルシェは予選用スペシャル(3.0g)を持ちこみ果敢にアタック。すぐさまに前日の星野のタイムを上回ったかと思えばその後もタイムアップ。
結局#1スタックが星野のタイムを1秒上回る1分15秒92、#2マスが1分16秒56、ワークスロスマンズポルシェが世界王者の力をまざまざと見せ付けフロントロウを「奪還」した。
予選終了直前にエンジンブローまで起こさせたことを考えれば、ポルシェに「本気」を出させた日産の健闘は充分に賞賛に値すると言えるだろう。
予選終了直後にバケツをひっくりかえしたような雨が降り出す。日産勢にすればもう少し早く降ってくれれば、と言うのが正直な感か?
フロントロウ独占を逃がしたとは言え、日産の奮闘でWEC−JAPANの盛りあがりは最高潮に達した。翌日曜の決勝日にも雨は残る予報が出ていたので、波瀾含みの展開も予想された。「ひょっとしてひょっとすると…?」
過去最高の盛りあがりで決勝を迎えた第4回WEC−JAPAN,そしてこの雨が更なる大波瀾を迎えることとなった。
(一時中断、深夜再開予定)
- 215 名前:名無しさん:04/11/12 12:05:42 ID:2iJYwrvQ
- >>214
毎度お疲れ様です。
しかし2ちゃんもうだめぽ。F1シーズン終了だというのに
ex8鯖から抜け出せないし人大杉のせいで俺が保守し
忘れると過疎スレはじゃんじゃん死んでいくし。orz
- 216 名前:名無しさん:04/11/15 23:31:51 ID:+fB107fg
- 2ちゃん書けないんでここへ。
「Sports−Car Racing」vol.15が出たので買ってきました。
TWRジャガー特集でしたです。全部でTWRジャガーは30台ほど作られたようですね。
XJR−14は3台作られ、1台が保存、1台がコレクターへ、1台がポルシェWSC95に変身(!)だそうで。
もう1台のWSC95とマツダMXR−01は新車だったそうです。
ザウバーメルセデス、ポルシェ956/962,TWRジャガー、トヨタとやったけど、日産、マツダはやらないのか…?
- 217 名前:名無しさん:04/11/17 01:31:41 ID:f/lNtorV
- プジョーが2006年からスポーツカーに復帰とあったな。
- 218 名前:名無しさん:04/11/18 09:02:46 ID:ajojrTFi
- SportsCar Racing 買って来た。相変わらずの内容ではあるが
このご時世でこういう雑誌を出してくれるだけ感謝せにゃならんかな。
- 219 名前:名無しさん:04/11/19 22:50:25 ID:WT4cw3QG
- 今週のAS見ると、GTにしちゃ過剰と言えるニスモの体制はルマン復帰を考慮にいれてのものかと…。
- 220 名前:名無しさん:04/11/25 08:26:33 ID:muUOQyU1
- 3人くらいしか見て名イだろうがあえて書く。
金曜の夜に続き書きます。2ちゃんもフカーツしたことだし。
- 221 名前:名無しさん:04/11/25 14:18:40 ID:k/kPbL71
- 期待してまつ (^^;
- 222 名前:名無しさん:04/11/25 21:51:43 ID:mrOXHz9M
- おいらも見てるYO! 当時を思い出しながら楽しみにしてるですよ。
土曜日にまたのぞいて見ますね。 ノシ
- 223 名前:タナケン、復活!?:04/11/26 20:53:53 ID:hKNi3lS+
- 自分も見てますから。期待してます。
- 224 名前:名無しさん:04/11/27 00:44:51 ID:KlboPYjA
- 日産編其の拾四の弐
1985年10月6日、この日は日本のモータスポーツ界にとって歴史に残る日となった。
前日降り始めた雨は一向にやまず、雨の決勝日を迎えることとなった。
しかしこの日のFISCOは早朝から多くのファンがつめかけていた。雨の富士に慣れた日本のファンからすればこれくらいの雨はそう驚くものでもなかったとも言えただろう。
決勝スタート予定の午前10時30分には富士のグランドスタンドは笠を指したファンで既に埋め尽くされていた。富士でWECが開催されるようになってから毎年観衆は8万人と発表されてきた。
もちろんこれはプロ野球同様の水増し発表で、実数は5万人くらいらしい。この年の観衆も8万3千人と発表されたが、実際は過去最高、富士では69年日本GP以来の大入りだったそうである。
しかしこの大観衆を前にしながら、スタートは遅延され、とりあえず正午スタートの4時間レースに短縮と発表された。
富士に慣れた日本勢はともかく、欧州勢にとっては危険極まりないと感じる天候であったのだ。それはドライバーの習熟だけでなく、この天候に耐え得るレインタイヤを欧州勢が持ってないことも一因であったようである。
この年のWECではベロフ(前年ウィナー)、ウィンケルホックと言う2人の現役F1ドライバーがスポット参戦した際、事故で他界すると言う悲劇に見まわれていた。WECレギュラーは慎重にならざるをえない状況にあったのだ。
- 225 名前:名無しさん:04/11/27 00:58:47 ID:KlboPYjA
- 正午を迎えても雨足は弱まらず、欧州勢は「走れない」と言う方向で一致していた。しかしこの大観衆。
延期となった場合、予備日程いつとするのか?実際可能か?主催者は厳しい選択を迫られた。
日本勢はいつでも走れると考えるチームも多かった。そして主催者はギリギリの判断を下す。午後1時30分スタートの2時間レースにすると。
これならテレビ中継の枠に収まり、ハーフポイントながらWECは成立する。まさにギリギリの決断であった。
予定より更に遅れ午後1時55分、38台のマシンはウォータースクリーンの中ローリングラップを開始する(ペースカーは日産が東京モーターショーに出展することが決まっていたミッドシップ4WDスポーツのMID4であった!)。
とは言えまずはドライバー習熟のため10周のペースカーラン、その後にスタートと言う変則形態。このローリングパレード中に欧州勢じゃことごとくピットインしスタートを断念した。丁度同じここ富士で76年に行われたF1GPにおけるニキラウダのように。
フロントロウのポルシェが消え、隊列を引っ張るのは星野、長谷見の日産勢となった。10周のパレードランの後、「全日本戦」となってしまった4回目のWECがついにスタートした。
- 226 名前:名無しさん:04/11/27 01:20:25 ID:KlboPYjA
- スタートと同時に他を圧倒する速さで飛び出して行ったのは星野のマーチ85G/日産。
スタートのディレイが繰り返された鬱憤を晴らすように2位以下を引き離し早くも独走体制を築く。
これを追うのが長谷見の日産と国光のアドバンポルシェ。この2台はその後接触しさらに星野に離される。
この後アドバンポルシェは雨によるコンピューター不調でリタイヤとなる。
星野は異次元の速さで後続を引き離す。雨の星野にBSレインはまさに鬼に金棒だった。途中300R手前でスピンするもきれいに1回転、その後何事もなかったように再スタートを切る。
2時間レースとなったためピットストップは1回のみ。星野はピットイン後もドライバー交代をせす一人で走りきることとなった。
さて雨のレースと言えば、中嶋、そして中子修だろう。中嶋のトムス、中子のLM05C/日産共にタイヤはBSである。星野を追うのはこの2台のみとなったが、この日の星野に追い付くことはできなかった。
トムスはスタートは関谷で、ピットイン後中嶋に交代するも星野、そして中子の日産勢に先行を許した。結局このままの順位でレースを終えた。82年の参戦開始以来初の3位表彰台の大健闘であったが、その前を走る2台が日産では素直に喜べなかっただろう。
レーススタートから2時間後の午後3時55分、星野のマーチ85G/日産はトップでチェッカーを受けた。雨の短縮レースとは言え日本人初のFIA選手権ウィナーの誕生である。
2位には中子が入り日産は1−2フィニッシュ。前年の惨敗を考えれば奇跡と言って良い結果である。
ウィニングラン後、マシンを降りた星野はマシンの屋根に飛び乗り高々と手を上げスタンドのファンの声援の応えた。
その後のインタビューでは喜びを語る前に「やるのかやらないのかはっきりしないまま待たされるのはドライバーにとって苦痛でしかなかった」と言う主催者への苦言であったが…。
- 227 名前:名無しさん:04/11/27 01:29:46 ID:KlboPYjA
- 1年前、日産はただ「出てるだけ」のレースだった。そしてまったく見せ場もないまま早々にリタイヤした。
その翌日にニスモが誕生し、それから1年。誰も考えていなかったVG30の投入で、予選では王者ワークスポルシェとポール争いをし、
決勝は変則レースになったとは優勝。難波率いるニスモの「1年目の奇跡」であった。
2位に入ったLM05C/日産はすべて日本のスタッフが走らせた「純国産」。1戦目、2戦目がまったくレースにならなかっただけに喜びはより一掃大きかっただろう。
もちろんマシンの熟成が進んだ結果と言うよりは、中子の腕とBSレインにに負うところが大きかっただろうが。
日産勢はこの他長谷見組が5位、柳田組が8位と全車トップ10で完走した。
- 228 名前:名無しさん:04/11/27 01:49:27 ID:KlboPYjA
- 余談だがこの日産の勝利を素直に認めたがらない人もいた。
確かにトヨタのファンからすれば2時間の「全日本スプリント」で勝っただけで「WECウィナー」と言われるのは悔しかっただろう。
ドライならその熟成された力を最大限に披露できたのはトムスであると言う自信があっただろうから。
特定のチームのファンではないが、この日のレースを楽しみにしていながら、欧州勢が撤退し国内勢だけのレースになってしまったことを不満に思うファンも大勢いたことだろう。
しかし評論家までそう言う態度に出るのはいかがなものか?
日産が勝ったとは言え、これで「日産がワークスポルシェより優れている」とは誰も思わないだろう。しかしレースは必ずしも「強いもの」だけが勝つとは限らない。ドライバー、マシン、チーム、天候、そして時の運。
雨で危険と判断し、撤退するか、スタートするかを決断するのもチーム/ドライバー。すべての要素が交錯した結果がレースの結果なのである。
そしてその結果がマーチ85G/日産の星野組の優勝なのだから。文句なしの勝者である。
雨の混乱したレースを否定するのなら、84年、雨中のモナコで当時新人アイルトンセナがポンコツトールマンで最強マクラーレン/ポルシェのアランプロストを追いかけ回した快挙も否定しなければいけなくなってしまう。
- 229 名前:名無しさん:04/11/27 01:59:28 ID:KlboPYjA
- レース後の11月の東京モータショーで、WEC−JAPANを制覇したマーチ85G/日産(シルビアターボCニチラ)が、日産ブースの一角に誇らしげに展示された。
(レースを中継した)TBSのみならず、多くのメディアでこの日産の快挙は報道された。スポンサーの日本ラヂエータも優勝を伝えるCMを制作した。
反響は大きかった。「ルマン参戦」が冗談ではなくなってきた。そして難波はすでに動き出していた。本来は翌々年から考えていたルマン参戦を1年前倒して翌86年から実現することへ向け、本社と掛け合う交渉を開始していたのである。
(以下次号)
- 230 名前:名無しさん:04/11/27 02:06:30 ID:VHmlpofV
- 乙です!
お茶ドーゾ ( ^^) _旦~~
当時、中学生だったのですが、たまたまTV放映を見てからCカーに見せられ
モータースポーツに興味を持つきっかけになったレースです>85年WEC富士
当時のAS誌やオートテクニックを読み返すと、当時の興奮がよみがえります。
- 231 名前:103:04/11/27 09:39:07 ID:EE9lh2Ie
- >>225
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0033.mpg
- 232 名前:103:04/11/27 10:08:57 ID:EE9lh2Ie
-
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0034.mpg
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0035.mpg
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0036.mpg
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0037.mpg
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0038.mpg
- 233 名前:103:04/11/27 10:20:49 ID:EE9lh2Ie
-
http://www11.axfc.net/uploader/1/
- 234 名前:名無しさん:04/11/27 11:55:42 ID:vm3Atvk/
- >>231-232
右クリック保存が出来ない orz
どうしたらいいんでしょう?
- 235 名前:名無しさん:04/11/27 22:55:10 ID:KxFglgnW
- >>231-234
私も見れません、トップに「50MB以上のアップローダーは凍結・・・」と書いてありますので、
関係あるんでしょうかねぇ
- 236 名前:名無しさん:04/11/27 23:37:47 ID:BvgGy3AJ
- >>234
>>235
>>233から入っていくと見れます
- 237 名前:名無しさん:04/11/28 02:46:42 ID:E2G1v38U
- 103氏毎度ながらグッジョブ。
- 238 名前:234:04/11/28 08:38:14 ID:zthoxXJL
- うちはプラグインエラーが出て見る事もできない・・・ OTZ
折角貼って頂いたのにショック・・・
- 239 名前:名無しさん:04/11/28 21:22:34 ID:wQOLC4RU
- おいらも見れません・・・
- 240 名前:名無しさん:04/11/29 00:11:57 ID:3Fi94n6W
- >>238-239
普通のMPEG-1なのに見られないってのも変だね.
- 241 名前:名無しさん:04/11/29 00:17:48 ID:q5iVIZLC
- 見れるけど保存出来ない。。。俺だけ?
- 242 名前:103:04/11/30 21:17:32 ID:vZEOMwR2
-
http://www1.axfc.net/uploader/5/so/No_0056.mpg.html
キーワード 23
- 243 名前:名無しさん:04/12/01 01:49:04 ID:r5IB+3Dp
- 見れね・・・・
- 244 名前:名無しさん:04/12/01 03:13:49 ID:NGhcoNHG
- 落とせないorz
- 245 名前:名無しさん:04/12/01 14:08:31 ID:ClS/WQRc
- >>242
「一定時間内に呼び出される回数が多すぎます。数分後アクセスし直して下さい。
1回/2分まで許可されます。」
何度やってもこのメッセージ・・・
- 246 名前:名無しさん:04/12/01 16:53:06 ID:vlkRDD2L
- >しかし評論家までそう言う態度に出るのはいかがなものか?
スポーツカーレーシングの著者のことですか?w
- 247 名前:名無しさん:04/12/06 00:10:49 ID:HpfGpNke
- test
- 248 名前:名無しさん:04/12/06 00:28:45 ID:HpfGpNke
- 日産編 其の拾五
WEC前、難波はインタビュー冗談半分で「WECで総合優勝することがあれば来年はルマン参戦」と応えていた。
しかしそれが冗談ではなくなってしまった。本来翌々年の87年から予定したルマン遠征は一年繰り上がるのか?
WECの勝利直後、難波は「本当に優勝してしまったが、まだ実際24時間戦えるまでのエンジンになっていない。現時点では(来季のルマン参戦は)五分五分」と慎重な、かつ正論を述べていた。
しかし実際には難波はWECでの勝利でルマン遠征を決意していたと後に述べている。「マシンに不安があるのはわかってる。でもこう言うことは勢いのあるうちにやっておかないと。」
本社に話をつけ、とりあえず「WECーJAPANの勝利のプレゼント」と言う名目で86年ルマン遠征を実現させる。ただしこの時確保できた予算はあくまで86年単年のもの。日産本社がかつてWRCや日本GP制覇に向けた長期的なビジョンがあったわけではなかった。
しかしこれには難波一流の計算があった。「ルマン参戦」と言う既成事実を作れば本社もおいそれと撤退できず、本気で取りこまなければいけなくなるはずと。そのためにも参戦初年度とは言え、ニスモは恥ずかしい結果で日本に帰るにわけにはいかなくなった。
日産の86年ルマン遠征が発表されたのは12月5日。ホテルで派手な発表記者会見が行われたわけでもなく、それを報じた新聞は(筆者の知る限り)中日新聞と日本自動車新聞のみであった。
- 249 名前:名無しさん:04/12/06 00:47:45 ID:HpfGpNke
- さて、時期は前後するが、WECの勝利後の初レース、そして全日本耐久最終戦となる富士500kmが11月23〜24日に行われた。
予選でポールを獲得したのは長谷見のマーチ85G/日産。1分16秒48とスタックのワークスポルシェのレコードは破れなかったものの、WECの星野のタイムを上回った。
2番手も星野で1分16秒72。日産がフロントローを独占した。以降「予選の日産」は国内耐久レースの代名詞となる。
WEC2位の中子のLM05C/日産も20秒を切る1分19秒17の好タイムをマークし8番手。(柳田のローラT810は欠場)
翌決勝日はWEC以上のドシャ降りとなる。しかし雨に慣れた国内勢だけのためか、定刻どおりレースはスタート。
まるでWECのビデオを見るかのように星野が飛び出し独走する。1周2秒以上の差をつけ、10周目には早くも20秒のマージン。
星野の独走はなおも続くが、星野の運はWECで使い果たしていたのか?2位以下を50秒も離す独走状態のなか、27周目300R手前で単独クラッシュ、2連勝を逃がした。
この時は単なる1勝を逃がしたくらいにしか日産陣営は考えていなかったかもしれない。しかしこの後日産Cカーは5年にも及ぶ連敗街道の無間地獄にはまることになろうとは、この時誰が予想しただろうか?
失った「1勝」は大きかったのである。この後日産Cカー、そして星野が勝利の美酒を味わうのは4年と8ヶ月もの期間を要することになるのだから。
- 250 名前:名無しさん:04/12/06 01:01:08 ID:HpfGpNke
- 星野リタイヤ後は、アドバンポルシェの独走状態。長谷見/和田組がワコール童夢と激しく2番手を争う。
長谷見ドライブ中に、天候の変化を読みタイヤをソフトに交換、僅差で争う童夢を一気に抜き去ろうとするも、この日の日産はことこどくツキに見放されていた。
75周目、100R手前の260Rで大クラッシュ(長谷見は無傷)。皮肉なことにこの直後にレースは113周から85周への短縮が決まる。
LM05Cもスタート直後の1コーナーでクラッシュしリタイヤしていたので、前戦とは対照的に日産勢は全車リタイヤとなってしまった。
優勝はアソバンポルシェ。全日本耐久と富士LDのダブルタイトルとなった。
「たら」「れば」だが、星野があのまま優勝していれば、ホシノRは富士LDタイトルを獲得することになっていたのだが…。
こうしてニスモ、そしてVG30パワーの1年目は終った。最終戦で惜しい結果に終ったとは言え、上々のシーズンだたっとは言って良いだろう。前年が前年と言うこともあるが…。
翌86年、日産/ニスモがルマンに初登場する記念すべき年となる。同時に日産Cカーにとって、蟻地獄のような這い出せない丸々4シーズン未勝利の連敗街道へのスタートともなってしまうのだが…。
(以下次号)
- 251 名前:名無しさん:04/12/06 01:08:24 ID:NFAEWgg7
- 乙です!
- 252 名前:103:04/12/06 21:31:08 ID:wqiQQcxs
-
http://www1.axfc.net/uploader/5/so/No_0091.mpg.html
キーワード 23
>>186 でも書きましたが 良いロダーあれば 別の所にでも登録しますが
WMVの方が良いとは思いますが
- 253 名前:103:04/12/06 22:25:14 ID:wqiQQcxs
- >>249
85 最終戦
http://www1.axfc.net/uploader/5/so/No_0092.mpg.html
キーワード 23
- 254 名前:名無しさん:04/12/07 03:11:31 ID:uOBe96iF
- 90年代に入ってからの日産とは対照的。>勝てない日産
それはそうとお二方ともお疲れ様です。
- 255 名前:103:04/12/07 20:31:49 ID:Udss1+AL
-
>>252
動画が途中で停まるようなので 改めて
http://www1.axfc.net/uploader/4/so/No_0038.mpg.html
- 256 名前:名無しさん:04/12/10 23:07:34 ID:aJqmJ7TT
- 過去にアップしてたwecの動画が(も)見たいです。
よろしく願いますorz
- 257 名前:名無しさん:04/12/23 09:18:15 ID:sHlPFF0l
- test
- 258 名前:名無しさん:04/12/23 09:39:31 ID:sHlPFF0l
- 日産編其の拾六
1986年、日産は初めてルマンに参戦することとなる。
60年代、R380時代にルマンから日産に招待状が届いたことがある。結果的には参戦は実現しなかったのだが。
それから20年、ついに日産がルマンを走る日が来ることとなった。
とは言え、前年偵察部隊を送りこんだとは言え、日産/ニスモはルマンに関するノウハウがほとんどない。
この時ニスモがアドバイスを求めたのがマツダスピードの大橋である。大橋は快くニスモに知っている限りのことを説明した。
輸送、通間、車検、予選、決勝、はては食事まで。
大橋は多くの日本メーカーが参戦し、より日本におけるルマン人気が高まるのを期待していた。マツダもこの年から3ローターエンジンを投入しGTPにステップアップすることが決まっていた。
日産の参戦により、この年はトヨタ、日産、マツダの3メーカーが揃い、現地には「ル・ジャポン・アタック」(日本の襲来)のポスターが貼られることとなる。
この後大橋の期待どおり日本では空前のルマンブームが巻き起こり、毎年多くの日本車、ドライバー、スポンサー、プレスがサルテのパドックに集い、まるで鈴鹿や富士のような光景が見られるようになる。
そしてそのブームのルマンで最終的な勝利者となるのが大橋率いるマツダスピードとなろうとは、この時はまだ誰も知らない。
- 259 名前:名無しさん:04/12/23 09:53:15 ID:sHlPFF0l
- ソフトの次はハードである。
前年使用したマーチ85GはCカー規定より100kgも思いのがネックであった。
そのため100kg軽量した新型マシン、マーチ86Gを日産は購入する。
マーチはこの年86Gを11台制作した。前年の85Gと異なる点はサイドラジエータに変更になったこと。
BMW用が6台、日産用が4台、汎用は1台のみ(ビュイックエンジン)制作された。
BMWはこの年、IMSA−GTPにワークス参戦(運営はマクラーレンノースアメリカ)。
BMW−GTPはワークスカラーに塗られ、独自のスタイルのボディを纏った。
日産用も「日産専用」と謳われたが、スタイルは汎用車と大きく変わらない。
日産用は3台がニスモ、1台がチームルマンに納入された。
- 260 名前:名無しさん:04/12/23 10:24:12 ID:sHlPFF0l
- ここでこの86年の日産のルマン、国内耐久の体制を述べる。
しかしこの当初のプランはその後日産に次々と襲いかからうアクシデントで大幅な変更を余儀されなくなるのだが。
ルマンはエントラントはニスモで2カー体制。ただし実際の体制は前年から続くホシノR+セルモ、ハセミMSで変わらない。
臨時のお雇い監督として前年リチャードロイドの監督だったキースグリーンを招聘した。
マシンはマーチ86G2台。1台をまず日本に空輸しテストと実戦参加をし(星野車)、もう1台はヨーロッパでテストを行い、ルマンテストデーにも参加。
ルマン本番で長谷見車となり、その後は日本に空輸し国内耐久を走る。
ドライバーは星野車が星野/松本/萩原、長谷見車が長谷見/和田,そして助っ人として前年チームイクザワでトヨタを駆ったジェームスウィーバーが招聘された。
ウィーバーはヨーロッパにおけるテストも担当する。
国内耐久(まだ当時JSPCの略称は使われてない)も前年と同じ4台体制。
エントラントもホシノR、ハセミMS、セントラル20、チームルマンで変わらない。
ホシノRとハセミMSは基本的にルマン24時間の体制と変わらない。ただし松本恵二はチームルマンのファーストドライバーに。
スポンサーはホシノRはニチラ(この年初めてCALSONICのロゴが)で変わらないが、ハセミMSはアマダになった。
セントラル20はローラT810を引き続き使用。ドライバーは柳田と、コ・ドライバーは亜久里に変わり中川隆正となった。スポンサーはTAKA−Qに変更。
チームルマンは当初LM05CにVG30を搭載する予定だったが、テストしてみたところLMシャシーではVGパワーを受けとめることができず、マーチ86Gを追加注文し使用することとなった。
(チームルマンはマーチの輸入代理店のため話は早かった)
ドライバーは松本恵二と鈴木亜久里の強力コンビ。スポンサーは前年から続くパーソンズ。
- 261 名前:名無しさん:04/12/23 10:24:51 ID:sHlPFF0l
-
変わったと言えばもう一つ。日産はこの年からようやくCカーを「スカイライン」「シルビア」と呼ぶ理解不能なネーミングをやめた。
マーチ86Gはエントリーリストに「ニッサンR86V」と記されるようになった。かつてのR38シリーズを彷彿させるネーミングである。
「本名」はマーチ86G/ニッサンで変わらないのだが。
レーシングスーツも前年までの各スポンサーカラーのものから、胸に大きく「NISSAN」と刺繍されたお揃いのものに変わった。
ニッサンの本格レース復帰を感じさせるものと言えよう。
しかしルマンに向けて順風に見えた日産チームにはこの後ハード、ソフトとも大きなアクシデントに遭遇することになってしまう。
日産は早くも試練を迎えることとなる。
(以下次号)
- 262 名前:名無しさん:04/12/23 14:14:29 ID:D3sgmEsU
- >>258-261
乙です!
- 263 名前:名無しさん:04/12/25 11:30:13 ID:yvWTldz9
- 毎度毎度乙です!
お茶ドーゾ ( ^^) _旦~~
- 264 名前:名無しさん:05/01/07 00:58:50 ID:3wPWyy6Q
- あけましておめでとうございます
- 265 名前:名無しさん:05/01/08 08:41:24 ID:5bPstl1N
- 日産編其の拾七
日産のルマン元年となる86年シーズンの幕開けは、例年どおり鈴鹿500km。
このレースが日産R86V(マーチ86G)のデビューレースとなる。しかしR86Vは到着が遅れこのレースが事実上シェイクダウンのぶっつけ本番状態。
4月5日の予選、R86Vはトラブルでまともに走ることができず、コ・ドライバーの萩原は走れず予選落ち。翌日の決勝前にタイムを出す条件で最後尾スタートとなった。
長谷見は前年型のR85V(マーチ85G)を使用し、コースレコードとなる1:57:667の好タイムをマーク。2番手につける。しかしもはや日産の「指定席」と思えたポールを獲得したのはアドバンポルシェの高橋国光。
新たな2.8gエンジンを獲得したポルシェは、コースレコードを4秒も上回る1:54:835をマークしダントツのポール。新エンジンの力を見せ付けた。
柳田のローラも不調で最後尾スタート。チームルマンはマシンが間に合わず開幕戦を欠場した。
- 266 名前:名無しさん:05/01/08 08:57:47 ID:5bPstl1N
- 翌5日決勝。日産ルマン参戦への暗雲はここから徐々に広がって行くこととなる。
朝のフリー走行で萩原が基準タイムをマークすることで決勝の参加が許されたR86Vだったが、そのフリー走行で1周して帰ってくる前に、
エンジンから出火する「カチカチ山」状態に。結局R86Vは出走を断念した。デビューはお預けとなったのである。ギリギリの上陸でぶっつけ本番状態な上、
冷却レイアウトの変更(フロント⇒サイド)が大きな要因と思われるが、日産のルマンプログラムは早くも狂いだすことになった。
そしてこのトラブルが更に日産へ災禍をもたらすことになろうとは…。
決勝レースは、まずトムスのリースが飛び出すがフライングを取られ、実質トップは長谷見のR85V。しかしオイルリークでわずか9周でリタイヤ。まるで数年前に逆戻りしたような失態である。
レースはこの長谷見のオイルをかぶり1回余計なピットストップを強いられながら余裕の独走でアドバンポルシェ。2位もフロムAポルシェとまたまたポルシェの力を見せつけられる展開となった。
前年型の85Cで臨んだトヨタ勢も健在で3−4位を占めた。
- 267 名前:名無しさん:05/01/08 09:18:41 ID:5bPstl1N
- R86Vの炎上で日産はマシンをマーチに戻し修復することに。ルマンプログラムは早くも修正を迫られることになった。
そしてこの朝、マシンが炎上し決勝の出走を断念したことから、更なる不幸が日産に連鎖して起きることとなった。
決勝レース出場がなくなりヒマになった萩原は、この後トンボ帰りで東京に戻り、そのまま仙台・菅生のレイトンハスウのテストに向かった。
萩原は前年は日産契約ドライバーとして都平健二と組みグループAスカイラインを駆ったが、この年はF2/GCで所属するレイトンハウスレーシングから
ベンツ190EでグループAも参戦することになった。
そのテストが当日菅生で行われていたのだ。
萩原は星野の「愛弟子」として、Cカーのコ・ドライバーや日産関連のテストを務めていた。一方でF2/GCでは自チームから参戦していたが満足できる体制ではなかった。
しかし前年から萩原をスポンサードしていた赤城明率いる不動産会社丸昌興産が本格的にレース界に参入することになった。
そのために「LEYTON HOUSE」と言うブランドを立ち上げ、85年ルマンのトムスにスポンサードした。
86年から単なるスポンサーではなく自チームを立ち上げ萩原を全面バックアップ。F2/GCに参戦する他、JTCにもメルセデスベンツ190E2.3−16で参戦することとなった。
萩原もはじめてレースに専念できる体制でシーズンを迎えることとなったのである。レイトンハウスは更にルマンに参戦する日産のスポンサードも買って出た。
しかしまだ実体のよくわからない企業に、日産の看板を掲げるワークスチームのスポンサードは時期早々であるとニスモの難波は断りを入れている。
この難波の考えは数年後杞憂でなくなるのだが…。結局レイトンは鈴鹿500kmでR86Vのフェンダーにステッカーを貼るだけのサブスポンサーに留まった。(レイトンはルマンではこの後トムスにスポンサード)
- 268 名前:名無しさん:05/01/08 09:38:39 ID:5bPstl1N
- 話が飛んだが、レイトンハウスでは、JTCでは2カー体制を考え、ベンツ190Eをもう一台購入した。
この当時グループAのディビジョンU(2.5g以下クラス)は空白クラスで、JTCでは2gのシルビアRSと
1.8gのVWシロッコが参戦するくらいであった。欧州ではアルファGTV、BMW325(M3はまだデビューしてなかった)が有力であったが、ベンツ190E2.3-16はもっとも有力のマシンと見なされていた。
JTCでは総合も狙えると…。
この日本上陸2号車のシェイクダウンを担当したのが本来そこに「いるわけのない」萩原であった。そして4月7日午前、菅生の2コーナーでクラッシュした萩原は帰らぬ人となってしまった…。
もしR86Vがまともに走り完走し入賞すれば、表彰式等で菅生に直行はできなかったのだが…。
萩原光の他界で、レース界からの撤退も考えたレイトンハウスであるが、遺族に遺留され活動を継続する。そして翌87年にはF1にも参入することとなる。
その後バブルニッポンの象徴としてレイトンブルーはF1、ルマン、国内レースと世界中のサーキットを席巻する。そしてバブル崩壊と共に消えていくのだが…。
「たら」「れば」の世界になるが、もしこの時萩原光が悲劇に遭遇しなければ、萩原はこの時29歳。中嶋に次ぐF1レギュラードライバーが彼になったことは充分に考えられただろう。
かくして主力マシン、主力ドライバーを失い、日産は早くも体制の変更に迫られることとなったのである。
(以下次号)
- 269 名前:名無しさん:05/01/08 09:44:45 ID:5bPstl1N
- (追記)
この2日後に放送されたTX「モーターランド」(当時は水曜放送)では鈴鹿500kmをレポート。
決勝に出走できなかった萩原が「ルマンではがんばります」とインタビューで応えているのを見て切なくなりました。
下にテロップで「萩原選手は4月7日テスト中の事故で他界されました」と出ていたのがなんとも…。
- 270 名前:103:05/01/08 11:18:22 ID:qPOG4dQH
-
いしの まこ
http://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0423.mpg.html
- 271 名前:名無しさん:05/01/08 14:17:01 ID:vCWn55dm
- 乙です!
- 272 名前:名無しさん:05/01/08 17:04:13 ID:zraPTnlI
- どなたかF1Cカーの映像をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
- 273 名前:名無しさん:05/01/08 20:00:42 ID:XOQncrV/
- >>272
F1Cカーって何?
- 274 名前:名無しさん:05/01/09 01:42:25 ID:WjanhKaB
- >>272
これなんかどう?
F1&Cカーの写真館
ttp://www2.nsknet.or.jp/~zero/
- 275 名前:名無しさん:05/01/10 13:58:47 ID:BlOzlpkN
- >>270
最後に出たランチアは037かな?
- 276 名前:名無しさん:05/01/13 21:04:14 ID:dzx+aAwz
- F1Cカーって3.5gエンジンのSWCのことかな。
- 277 名前:名無しさん:05/01/16 11:02:29 ID:Rucq4fxf
- 高橋健二さんお亡くなりになられました。
ニッサンのワークスで活躍されてた頃が懐かしいです。
ご冥福をお祈りします。
- 278 名前:名無しさん:05/01/21 00:37:42 ID:9rqYbGLY
- TEST
- 279 名前:名無しさん:05/01/21 00:51:02 ID:9rqYbGLY
- 日産編 其の拾八
萩原光の他界、R86Vのトラブルと言う二重の悲劇に見舞われた日産/ニスモであったが、ルマン参戦に向けて留まっている時間はなかった。
まずはハード面の修正である。
R86Vをトラブルで英国・マーチに送り返したことにより、ニスモは国内におけるテスト/実戦参加の予定が大きく狂うこととなった。テストも不充分なままルマンにそのまま投入するのはあまりにリスクが大き過ぎる。
そう判断した難波はR86V2台体制と言う当初の予定を、R86V1台、R85V(マーチ85G)1台と言う二面作戦に切り替えた。R86V1台を予定どおり欧州でテストしルマンのテストデーに参加、国内ではハセミMSのR85Vでテストを重ねた後、ルマンに送るこむと。
星野車がマーチに送り返されるのと入れ替わるように、チームルマンにもR86V(シャシーNO.8)が納入された。虎の子R86Vと共にルマン参戦用R85Vはテストを重ねることとなった。
- 280 名前:名無しさん:05/01/21 01:06:47 ID:9rqYbGLY
- 次は後任ドライバーである。こちらは萩原の師でもあった星野のショックも大きく、正式な発表までには冷却期間が置かれたが、ルマンテストデー後の5月中旬、予想どおり鈴木亜久里が後任として発表された。
前年ニスモワークス入りした亜久里は、この年和田孝夫とのコンビでニスモのワークススカイラインRSターボでグループAで参戦し、開幕戦を制している。この年は最終的にチャンピオンを獲得している。
(亜久里にとっては4輪ステップアップ後初のタイトルとなった)
一方耐久は松本恵二とのコンビでチームルマンのR86Vで参戦。この他日産ラングレーのCMに出演するなど亜久里は「日産の顔」となりつつあった。
GCでは自チームから参戦し、既にトップクラスの走りを見せていた。F2は当初参戦できなかったが、シーズン終盤にはムーンクラフト入りし、これがきっかけに亜久里はF1に向け大きくはばたくこととなる。
亜久里にとって86年は大きな飛躍となった年であった。
その亜久里が初めてルマンに参戦することになったのがこの86年。この後亜久里はF1・ルマン双方で表彰台に登る唯一の日本人になるとは、この時まだ誰も知らない。
- 281 名前:名無しさん:05/01/21 01:29:20 ID:9rqYbGLY
- さて、時期は前後するが、GWの5月3,4日、ルマンの前哨戦となる富士1000kmが開催された。
日産陣営はホシノRのR86Vが欠場。このレースから松本/亜久里のパーソンズR86Vが加わった。
トヨタ勢はトムスと童夢がニューマシン86Cを投入。マツダ757はWSPCシルバーストン1000kmに参戦のため欠場した。
雨となった予選でポールを獲得したのは開幕戦に続きアドバンポルシェの国光。一回目トップに立った長谷見は4位。2,3位はトムス、イクザワと、トヨタ勢の後塵を拝した。
翌決勝は、雨は止んだがウェットコンディションでのスタートとなった。
一周目のヘアピンで、トムス・イクザワのトヨタ勢は、ポールから飛び出したアドバンを挟み打ちするようにかわして前に出る。この年の全日本耐久の1,2番に記憶に残る名シーンとなった。
一方の日産勢は序盤に亜久里のR86Vが好走したのを除けば地味な展開。ルマンに向けての最終テストとして完走が厳命されていた。ドライバーとしてフラストレーションがたまったはずである。
トヨタ勢は終始アドバンポルシェを追いかけまわしたが、マイナートラブルが続出し、ノントラブルで走りきったのは前年型85Cで臨んだオートビューレックのワープゾーン85Cのみ。ワープゾーンは2位に入賞した。
我慢の走りの日産勢は長谷見組のR85Vの3位を筆頭に、松本組5位、柳田組6位と3台全て上位で完走した。出走した3台すべて上位完走とは日産Cカーにとっては初めてのこと。
踏みたいアクセルをこらえての完走はドライバーにとってはフラストレーションのたまるレースであったろうが、日産/ニスモ陣営からすればルマンに向けて自信と士気が高まったであろうことは想像にかたくないであろう。
- 282 名前:名無しさん:05/01/21 01:51:29 ID:9rqYbGLY
- さてこの一週間後、ルマンではテストデーが開催された。ルマンのテストデーは13年ぶりの復活であった。
ルマンのサルテサーキットは一部公道を使うため、レースの時以外走れない。テストデーは参加各チーム重要なセットアップの場となった。初出場の日産チームにとっては特に。
このテストデーに、日産/ニスモは当初日本人ドライバーの参加も予定していた。しかし西日本F2と時期が重なり断念している。この時のテストはジェームスウィーバーが務めた(カラーリングは#32アマダ仕様)。
ウィーバーは本番は長谷見組に加わる。
そしてこのウィーバーは全体でジャガー、ワークスポルシェに次ぐ5番手のタイム、3分33秒73をマークする。ジャガーやポルシェ、前年のポールタイムを考えると、特に突出したタイムをマークしたわけではないが、
それまでの日本勢のベストタイムは84年童夢/DFLの3分39秒。初出場の日産はこれを軽く上回ったのである。
英国オートスポーツ誌は、リップサービス込みであろうが、「日産R86Vはレース中最速マシンになるかもしれない」と報じている。
とは言えこの時日産はエンジンを壊している。原因はルマン特有の粗悪ガソリンのためである。この時日産陣営はこの粗悪ガソリンを「リキュール」と偽りアメリカに持ち帰り成分を研究したと言われている。
フランスではガソリンを国外に持ち出すことは禁じられているからである。
この後ルマン本番で、日産は数多くのトラブルに遭遇するが、エンジンには致命的トラブルが起きなかったことを考えれば、この話は恐らく本当であったのだろう。
- 283 名前:名無しさん:05/01/21 02:00:21 ID:9rqYbGLY
- 決してすべて順調にきたわけではないが、ルマンに初出場する日産は、予定どおりのプログラムを消化してきた。
目標はあくまで完走。「千里の道も一歩から」「ローマは1日にして成らず」。
しかしルマンの「魔物」は想像以上のものであることを、日産/ニスモはこの後十分過ぎるほど痛感することになる。
日産が初めて挑むルマン。1986年5月28日、1回目の予選を迎える。
(以下次号)
- 284 名前:名無しさん:05/01/22 20:37:36 ID:14uwDuDH
- おつかれさまです
- 285 名前:名無しさん:05/01/23 22:55:35 ID:P+EtOmjZ
- もうちょいで20年経つんですね。
ポルシェも20年かかりましたよね。
うわごめnさいよsふじこlp
- 286 名前:名無しさん:05/01/24 00:58:39 ID:+djn0QSc
- 「ポルシェでさえルマンを制するのに20年かかった」
日産ももうこの言い訳使えなくなりますね。
- 287 名前:Le Mans Japon:05/01/27 23:21:18 ID:lPsp7EvU
- はじめまして、楽しく読まして頂いております。。
すごい文章の量ですね。。
最初からとなると小生読むの遅いんで10時間はかかるかな・・・
このままトヨタ・日産のIMSAでの活動は掲載していただけるんでしょうか??
特に92年デイトナは日本の輝かしき栄光!!
これからもよろしくお願いします。。
- 288 名前:名無しさん:05/02/01 01:29:41 ID:scwBBEw+
- test
- 289 名前:名無しさん:05/02/01 01:43:35 ID:scwBBEw+
- 日産編 其の拾九
「LE JAPON ATAQUE」(日本の襲来)と書かれたポスターがルマンの街のあちこちで見られた。
フォードがアメリカ的大物量作戦でルマンを1966年。その時フォード二世は「ヨーロッパ車の次のライバルは日本車になるだろう」と発言している。
多分にリップサービスも含まれていただろうが、その後日本車は世界の市場を席巻するようになった。
しかしモータスポーツの世界ではまだ覇権を握るまでには至っていなかった。この時期ようやくホンダのF1エンジンが快進撃を始めたばかりであった。
そしてこの年、耐久レースの頂点、ルマンに日本の3メーカーが揃うこととなった。
実力ではまだまだポルシェ、TWRジャガーに及ぶところではないとは言え、この年は過去にないほど日本からのプレス、ファンが訪れたいた。そしてこの後数年間、バブル景気にわく日本から多くのマシン、スポンサー、プレス、ファンがルマンに「襲来」することとなる。
そう言った意味でこの日産がルマンに初めて姿を表わした86年ルマンはまさに「LE JAPON ATAQUE」元年だったと言えよう。
- 290 名前:名無しさん:05/02/01 01:57:56 ID:scwBBEw+
- あくまで童夢、トムスからのエントリーであるトヨタに比べ、日産は「ワークス」である。
初出場ながら招待客・プレスは日産が日本のメーカーでは一番多かった。
しかしこの日産の意気込みは、ルマンの「魔物」の前では空回りする。初出場の日産は予選からいきなりルマンの厳しさに直面することとなる。
一口に「日産ワークス」と言っても、ニスモ単独チームで挑んだわけではない。
国内と同じく実体はインパル、セルモ、ハセミMSの混合チームである。これにマーチ、エレクトラモーティブのスタッフ、さらにルマンでの臨時監督として前年までRLRにいたキースグリーンを招聘。
日米欧の混成部隊となった。決してチーム内のコミュニケーションがうまくとれていたわけではなかった。
しかもドライバーはウィーバーを除く日本人5人はルマンはまったくの初出場。一周4分も5分もかかるロングコースはほとんど初体験。
1セッション2時間もあればドライバーもじっくりコースを修得できるだろうとの希望的観測はもろくも打ち砕かれた。R86Vに乗る3人は2時間もあった第1セッションで乗れたのはそれぞれ、2周、4周、5周のみであった。
- 291 名前:名無しさん:05/02/01 02:21:26 ID:scwBBEw+
- 初出場のドライバーはルマンの単調に思えながらも長く覚えにくいそのコースに戸惑った。「右に曲がるのか左に曲るのかまっすぐなのかさっぱりわからない」。
今ならテレビゲームで覚える、と言う手もあったのだろうが…(ちなみにコナミから初めてルマンのゲームが世に出たのはこの86年の秋)。
第二セッションでさらに日産は混乱する。マシンのセットアップの意見の相違で臨時監督のグリーンと長谷見が大喧嘩。
日産の混乱は尚も続いた。この時の模様を松本恵二は「カントクが多過ぎて誰のこと聞いたらいいのかわからない」と半ばあきれながら語っている。
たまりかねた難波はバルコニーからピットに降り自ら陣頭指揮を執った。難波は後に「ぼくは本当はピットの上で見てるだけで良かった。しかしあそこではぼくが指揮とらないとチームはメチャクチャになっていた」と語っている。
結局2時間2回を2日、計8時間の予選を日産チームは混乱の中終えることとなる。
#23R86Vは星野が3分41秒49をマークし25番手、#32R85Vはウィーバーにより3分47秒35で34番手となった。
#23は日本勢最上位であったが、テストデーの3分33秒73を上回ることができないばかりか、C2最上位のタイムをも下回った。
初出場のプログラムを消化することに追われたとは言え、前年の富士で見せた俊足に注目していた欧州勢からすれば肩透かしであっただろう。
大混乱であった日産チームであるが、エンジンは長谷見組にトラブルが出たとは言え大きなトラブルには遭遇しなかった。テストデーにおけるガソリン抜き取り(?)が効を奏したと言えよう。
対照的にトヨタは粗悪ガソリンに悩まされることとなる。
- 292 名前:名無しさん:05/02/01 02:36:44 ID:scwBBEw+
- ルマンの予選は水、木の2日間行われ、金曜日は休日となる。
各メディアはこの日に多く人にインタビューを敢行する。難波もその一人であった。
難波はルマンへ来る前のインタビューで「マシンは不安だらけだが、チーム、ドライバーはとくに心配してない。ルマンのコースは覚えやすそうだし、長谷見も星野も海外の経験は豊富だから」と応えていた。
ルマンでの予選を終え、難波はこの希望的観測がまったく甘かったことを痛感していた。
「ルマンを甘く見ていたね。ぼくは長谷見も星野も海外経験豊富だから問題ないと思っていた。でもここだけは特別だった。一周13.5kmのコース。そんなのわかっていたけど、実際走らせると4分も5分も帰ってこない。
この長さ実際ここへ来なきゃ理解できない。予選も8時間あると思ったけど全然時間が足りない。ここは練習できないしセッティングもできないし。厳しいけど完走したいよ…」
多くの不安を抱えながら、5月31日16時、日産は栄光への24時間へ初めて足を踏み入れた。
(以下一両日中に再開予定)
- 293 名前:名無しさん:05/02/03 19:36:36 ID:U74pAogm
- >>212
注目度もケタ違い。今では珍しくないが、F1もやっていなかった当時、文藝春秋発行の「NUMBER」で耐久レース特集が組まれたのである。
世界的に見ても観客動員が伸び悩む他のラウンドに比べ、富士ラウンドは4回目にして既にル・マンに次ぐ地位を得ていたのである。
チョット批判するわけじゃあないんですが・・・
世界的に見てそんなにWEC-JAPANって人気があったんですか??
それだったらル・マンみたいに単体レースとして、継続してほしかった・・・
- 294 名前:名無しさん:05/02/04 11:56:21 ID:ypZcSdbf
- 日本で、って意味でしょ。
富士のグラスタ埋まって、かつテレビナマ中継あり、スポ面1面ゲトなんて当時は考えられなかったぞ。
- 295 名前:名無しさん:05/02/04 11:58:46 ID:ypZcSdbf
- WECのシリーズ戦中、これだけエントリーが充実して観客が集まる、なんてのはルマン以外じゃ富士しかなかったよ。
- 296 名前:名無しさん:05/02/04 20:01:51 ID:+hhLrHjZ
- >>47
翌91年SWCの開幕戦、この規定のため参加車は前年の半分の15台に激減してしまった。
急遽カテゴリー1マシンを作り上げたジャガーは圧倒的に速く、
前年の「ハンデなし」カテゴリー2メルセデスC11のタイムを はるかに上回るタイムで周回した。
チョットわからないんですが・・・
1990 Silverstone 1. Mercedes C11 Grid: 1st(1:12.073) Result: did not finish (Engine)
3. Jaguar XJR-11 Grid: 2nd(1:13.008) Result: winner - 101 laps (207.332 kph)
ttp://www.racingsportscars.com/photo/Silverstone-1990-05-20-photo.html
1991 Silverstone 4. Jaguar XJR-14 Grid: 1st(1:27.478) Result: winner - 83 laps (196.400 kph)
1. Mercedes C11 Grid: 8th(1:32.117) - 6th fastest qualifier Result: 4th (4 laps behind the winner)
http://www.racingsportscars.com/photo/Silverstone-1991-05-19-photo.html
ジャガーXJR-11は前年の「ハンデなし」メルセデスC11のタイムよりも15秒近くラップが遅いです・・・
同じ年の「ハンデあり」メルセデスC11のタイムとだと5秒近くラップが速いんですけど・・・
- 297 名前:名無しさん:05/02/04 20:04:08 ID:+hhLrHjZ
- >>296
訂正・・・
ジャガーXJR-11は→ジャガーXJR-14は
- 298 名前:名無しさん:05/02/04 20:13:34 ID:+hhLrHjZ
- >>46
さらにピットストップ時の給油速度は、カテゴリー1は従来の1秒/1g規定が適用され、カテゴリー2はクイックチャージがOKとなった。
2回のピットストップでは2分のハンデを背負うこととなる。
この規定では日産や、多くのプライベートポルシェが参加を取りやめる気にさせるに充分なものだった。
ここもチョットわからないんですが・・・
従来のカテゴリー1(3500cc/NA)は1/1リットル規定・・・
従来のカテゴリー2(ターボ)はクイック・チャージ・・・
クイック・チャージって急速に給油するってことですよね?
- 299 名前:名無しさん:05/02/04 20:49:26 ID:PTcfm5H3
- >>296
一周4.778 kmと5.226 kmじゃ前者のほうがラップタイムは速い
そのページの一番上を見比べてみるべし
>>298
これについてはここの928前後を見ると分かりやすい
ttp://ex9.2ch.net/test/read.cgi/f1/1103183827/
- 300 名前:名無しさん:05/02/04 21:25:59 ID:+hhLrHjZ
- >>299
90年と91年とで、シルバーストーンのコース距離が変更されてた・・・
それにしても、XJR-14って前年の「ハンデなし」メルセデスC11よりも速かったんですか・・・
マイナス100kgで5秒速い・・・
- 301 名前:名無しさん:05/02/04 22:59:16 ID:CaGzo80V
- 更新乙彼様。
- 302 名前:名無しさん:05/02/05 09:21:29 ID:LQP94TUf
- 素直に御免なさいって言えない人もいるんだな
- 303 名前:名無しさん:05/02/05 10:07:44 ID:oBGj2Qce
- >>302
あっ、すみませんでした・・・
- 304 名前:作者:05/02/05 14:29:22 ID:KCC7EvVw
- >>298
悪かったヨ!
カテ1とカテ2反対にしてました。ごめんなさい!カテ1=3.5gNA,カテ2=旧規定Cカーです。
ご指摘ありがトン!
- 305 名前:名無しさん:05/02/05 14:44:14 ID:oBGj2Qce
- >>304
こんな感じの訂正文でいいですよね・・・
さらにピットストップ時の給油速度は、カテゴリー2(ターボ・マシン)は従来の1秒/1リットル規定が継続して適用されるが、カテゴリー1(3500ccNA)にはその規定がされず、クイックチャージがOKとなった。
これではターボ・エンジンを搭載した各メーカーのマシン(カテゴリー2)は、1回のピットストップでおよそ1分のハンデを背負うこととなる。この規定では日産や、多くのプライベートポルシェが参加を取りやめる気にさせるに充分なものだった。
1回のピットストップでおよそ1分のハンデを背負う・・・
この部分もチョット変えちゃいました・・・
いや、自分が知らないことも多くありますので、大変ためになるお話ありがとうございます。。
これからもがんばって執筆してください!!
- 306 名前:作者:05/02/05 14:50:01 ID:KCC7EvVw
- カテ2=ターボではありません。
ジャガーXJR−12やマツダ787BはNA。
カテ1=3.5gNAエンジンのみ、燃料使用量フリー
カテ2=エンジン形式・排気量自由、燃料使用総量規制あり
- 307 名前:名無しさん:05/02/05 15:08:39 ID:oBGj2Qce
- >>306
あっ、そうでした・・・
ターボ限定みたいなかんじで訂正文書いちゃった・・・
- 308 名前:名無しさん:05/02/11 03:33:31 ID:nY/mSinP
- 東海大学ルマン号は4リッターツインターボだな。
- 309 名前:名無しさん:05/02/11 12:42:26 ID:1DEnJW4L
- 日産編 其の弐拾
5月31日16時、日産にとって初めてのルマンがスタートした。
この年のルマンは前年に比べ燃料使用量総量が緩和されたたため、ペースは大きくUPした。
ワークスポルシェ、ヨースト、ジャガーの三つ巴はもはや「24時間のスプリント」とも思えるもの。
この年のルマンは以降続く「スプリント化元年」と言えよう。
このトップ集団に及ばないもの、日本勢も過去にないハイペースでレースに挑んだ。
日産は1000kmレースで680psと言われるVG30を、耐久重視でブースト圧を若干下げ23号車は630ps、32号車は600psにセッティングしていた。
6台出た日本勢でリードしたのはマツダ757。初めて勝負できるクラス(IMSA−GTP)にステップアアップしたマツダだが、日本では後塵を拝してきたターボ勢のトヨタ・日産を、ここでは逆転しリードし続けた。
日産も初めてのルマンを順調に進める。前年のトヨタのような消極的なペースでは決してなかった。予選とほぼ同じタイムでLAPを重ねていたのである。
最初に脱落したのは以外にもマツダ。4時間を迎えるころ、日本人トリオ(片山、従野、寺田)の乗る171号車がミッショントラブルでストップした。
次にトラブルに見まわれたのは#23日産R86Vである。4時間めの時点で順調に17番手まで順位を上げていた。しかしユノディエールを走行中、突然激しい振動に見まわれる。以降ノロノロと這うようにピットに戻って来る。
その横を300kmでポルシェやジャガーが駈けていくわけで、さすがに星野もびびったと言う。
原因はフライホイールのアライメントが狂ったことによるクランクシャフトの毀損。#23はここでリタイヤとなる。これまでR86Vはろくに走らなかったことを考えれば、4時間・800kmも走ったことは大きな意味はあったとも思えるが…。
以降日産/ニスモの望みは長谷見組#32R85Vに託される。
- 310 名前:名無しさん:05/02/11 13:05:32 ID:1DEnJW4L
- 7時間半後、19番手まで浮上したトムスがウェストゲートのトラブルでリタイヤ。これで残る日本勢はトヨタ・日産・マツダ各1台ずつ。
10時間経過の深夜2時。もう1台の外国人組の#170マツダ757がコース上でストップ。原因は日本人組と同じインプットシャフト毀損。マツダは初完走した82年以降、初めて全滅した。
以後マツダはニューマシンを投入した1年目は不調に終るが、熟成の進んだ2年めに結果を残す、と言うことを繰り返すようになる。
この時点で童夢は13位、長谷見組日産は17位にまで順位をあげていた。
11時間後、衝撃的な事故が起きる。ユノディエールでヨー・ガルドナー駆るケンウッドクレマーポルシェがクラッシュ、ガルドナーは死亡した。このマシンには初出場となる高橋国光も乗りこんでいたのだったが…。
(余談だが、このルマンの後、テレビ朝日で放送されたルマンのダイジェスト番組で、ケンウッドのガルドナーの追悼CMが流れた。事故が起きるとダンマリを決めるスポンサーが多い中、実に秀逸もののCMであった)
この事故によりペースカーが長時間入り、それまでワークスポルシェと耐久とは思えないテールtoノーズのバトルを演じてきたtaka−Qヨーストポルシェは、このスローペースでエンジンがオーバーヒート、ガスケットが飛び、首位からリタイヤとなってしまう。
- 311 名前:名無しさん:05/02/11 13:42:45 ID:1DEnJW4L
- 童夢、#32アマダ日産も夜明けを迎える。ルマンでは朝を迎えることができれば完走できると言うジンクスがあるのだが…。
その夜明けを迎えた8時半、初出場でありながらポルシェと互角に渡り合い、一時は2位にまで浮上したTWRジャガーがついにリタイヤとなる。
徹夜で応援し続けたジャガーのサポーターに対し、ジャガーのメカニックは「We will be back!」と大きく書きこんだベニヤ板を掲げ、サーキットを去った。
レース4分の3となる18時間、童夢が7位、アマダ日産が9位。2台揃ってトップ10入賞か、そう期待させた直後両車ほぼ同時にトラブルに遭遇する。
9時53分、アマダ日産ピットイン。給油終了後再スタートをしようとしたがエンジンがかからない。国内では体験したことのないトラブルである。
バッテリー、スターター、イグニッション、ありとあらゆるものを交換した。約1時間ストップの10時45分にようやくピットアウト。順位は17位にまで下げてしまった。
以降日産はゴールまでピットストップのたびにこのトラブルに見まわれ、修羅場と化したピットではその都度ありとあらゆるパーツを交換、トラブルの原因さえわからなくなっていた。
11時35分のピットストップでは再スタートできたのは1時間半後の13時2分である。
一方の童夢も、7位に上がった10時過ぎ、オーバーヒートでピットストップ。11位まで順位を下げてしまう。
- 312 名前:名無しさん:05/02/11 14:03:02 ID:1DEnJW4L
- 残り1時間、最後のピットストップを終え、なんとかエンジンがかかった日産は、拍手でアンカー和田をピットから送り出した。
一方童夢はその後は順調に走り続けていたが、ラジエターから煙が出ているのが確認された。水漏れである。この時点で童夢は既に日産より多くの周回をこなしていた。
最後の1時間をピットで待機し、何が何でも完走、トヨタのモータスポーツ担当役員、専務の高橋はこう考えた。しかし童夢の林は「そんなアホなレースはできない」と拒否、
そのままレースを続け、結果コース上でストップ、リタイヤとなる。
この時の詳細は「トヨタ編」を参照されたいが、レース屋の林と、自動車屋の高橋の見解の相違としか言えないだろう。どちらが正しいとは言えない。
しかし結果的に(その時点で)これが童夢最後のルマンとなってしまった。これだけが原因とは言えないだろうが。
そして童夢がワークスとしてサルテに戻ってくるのはそれから19年も待たなければいけなくなったのである。
童夢がリタイヤとなり日本車はアマダ日産のみとなった。この時長谷見は「最後に残ったのはうちだけ。日本から応援に来てくれたファンのために何が何でも完走しなければいけないと思った」と語っている。
一方の和田は最後のドライブで「ゴール後は観客がコースに入ってきてゴチャゴチャになるらしい。ピットに置きっぱなしにしてきた俺のジャンパー大丈夫かな」と考えていたらしい。
6月1日16時、ロスマンズポルシェを先頭にルマンがゴールを迎えた。日産は16位。初出場で初完走の快挙である。
初出場の日産/ニスモは、完走する難しさと喜びを一辺に同時に味わうこととなったのである。表彰台で優勝者がシャンペンファイトをしている中、
日産チームもピット前でささやかなシャンペンファイト、そして難波の胴上げが行われた。難波は24時間一睡もしないで日産チームの戦いを見守ったのである。
ピットが隣だったロスマンズポルシェチームも祝福にやって来た。「初出場の日産はすぐにリタイヤして隣のピットまで広く使えると思ってたのに。お見事」
こうして日産はルマンを苦しみながら初出場・初完走。ルマンへの大きな一歩を記すこととなった。
しかし未だにそのゴールへは到達していない。あれから20年経ったのであるが…。
(以下次号)
- 313 名前:103:05/02/11 14:03:49 ID:qUdGZGa4
- >>309
いよいよルマン
ttp://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0785.mpg.html
ttp://www1.axfc.net/uploader/5/so/No_0787.mpg.html
Keyword:23
- 314 名前:名無しさん:05/02/11 16:57:49 ID:8FYcp7lX
- >>309-313
ご両人とも乙彼。
日産はパリダカはドスードに任せて撤退らしいけどこっちの方は・・・orz
あれからもう20年経つのか。
- 315 名前:名無しさん:05/02/11 22:37:20 ID:4XvL6R28
- 更新乙です!
>>313
見れない orz
「こくれん」の方がまだ繋がるかも・・・
- 316 名前:名無しさん:05/02/12 09:24:51 ID:+7lYMK77
- >>313
UPして下さるのは有難いのですが、Axfcになってからは
何度チャレンジしても弾かれてしまうので見れません・・・
- 317 名前:名無しさん:05/02/12 09:52:11 ID:wSwisp1r
- >>309-312
お話ありがとうございます。
日産・ルマン初出場・初完走!!
トヨタと童夢とでそおいったやりとりがあったんですか・・・
それにしてももったいない・・・
>>313
Video fileありがとうございます!!
0785の方はDownloadできたんですが、0787の方はなかなか・・・
Uploaderってあんまり利用したことがないんでわからないんですが、誰かがDLしていると利用できないんですかね?
0785の86年ル・マンの映像・・・
この三田村邦彦ナレーションの映像って、
私偶然にも88年あたりにTV朝日で深夜再放送したとき、たまたまチャンネルがあってみてたんですよね・・・
亜久里とかかが疲れ果ててピットで寝倒れるところとかあるんすよね・・・
他にもありましたら(過去にUpしたものは私知らないんで・・・)、またよろしくお願いします。
- 318 名前:103:05/02/12 21:43:18 ID:t8XQcTgc
-
続きも あげましたけど つながりませんかぁ・・・・
http://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0794.mpg.html
http://www11.axfc.net/uploader/1/so/No_0795.mpg.html
- 319 名前:103:05/02/12 23:47:51 ID:t8XQcTgc
-
http://krn4.x0.com/ultimate/
ファイル番号は3013です。受信用パスワード 123
69MBです
- 320 名前:名無しさん:05/02/13 01:29:14 ID:IXcymEGC
- 103さん毎度どうも。
見せて頂いてる身分で恐縮ですが、最近全然見れません。昔みたいに簡単にできなんでしょうか?
贅沢言ってすいません。82年WECや84年富士500km、VG30シェイクダウンは感動しました。それ以降見れませんorz
- 321 名前:317です:05/02/13 02:05:37 ID:hp5muFrr
- 103さんどうも。誠にありがとうございます。
先の0785に引き続き、0795(ゴール・シーン)もDLできました。
しかし、0787、0794、3013(ですか?)はDLできていません。
まぁ何とかDLできるよう、トライしていきます。。
- 322 名前:名無しさん:05/02/13 13:24:32 ID:hfx+UbKZ
- 全部見れね orz
- 323 名前:名無しさん:05/02/13 14:51:09 ID:bncFdpoo
- >>318-319
おつかれ〜。
>>319はダウンロードできる今落ちてきたとこ。
>>318は転送量制限で明日になればダウンロードできるようになると思うよ。
- 324 名前:317です:05/02/13 20:37:56 ID:hp5muFrr
- 0795(ゴール・シーン)を見たんですが、
No.8 Porsche 956, Team: Joest Racing, Sponsors: SPIRIT OF AMERICA
のピット・クルーがtaka-Qのスーツ着てました。
まぁ・・・
No.7 Porsche 956, Team: Joest Racing, Sponsors: taka-Q
があるだけに当然といえば当然ですか・・・
それにしても両者のカラーリング(黄色と米国星条旗模様)があまりにも違うので、違和感ありあり・・・
ttp://www.racingsportscars.com/photo/Le_Mans-1986-06-01-photo.html
- 325 名前:名無しさん:05/02/13 21:14:57 ID:WOU3e6Sz
- ダウソできんorz
- 326 名前:322:05/02/13 22:53:52 ID:oA5ry07e
- >>313は何とか落とせました、アリガd
他の物も根気良く落としてみます
- 327 名前:322:05/02/13 22:54:53 ID:zZseCHBk
- >>313は何とか落とせました、アリガd
他の物も根気良く落としてみます
- 328 名前:名無しさん:05/02/14 13:28:30 ID:Ehw9DA4M
- マシンは・・・寺田選手は・・・ ってシーンで流れている曲って??
- 329 名前:317です:05/02/15 12:19:20 ID:PxfbDPJz
- 0794と3013(ル・マン1986最初から最後まで)をDLさせていただきました。
少し身が震えるほど、感動しました。
それにしても皆さん若い・・・国光さんも松本恵二さんも星野さんも亜久里も・・・
白髪混じりで小太りでメガネかけた日産の方が難波さんでしたっけ?
それにしても貴重なFile、誠にありがとうございました。。
- 330 名前:322:05/02/16 03:26:04 ID:KZkKyUk1
- >>319
流れている・・・ orz
- 331 名前:名無しさん:05/02/16 16:04:57 ID:b26AM5wT
- shareで共有しとこうか?
本人の了解があれば繋がりやすいように
クラスタでっちあげて放流しとくけど。
- 332 名前:名無しさん:05/02/17 02:14:16 ID:DAf0TdUw
- orz orz orz orz orz orz orz orz orz orz orz orz
落とせたのに壊れてるとかいわれたよ・・・ WinRAR入れてるからとかって関係ある?
- 333 名前:名無しさん:05/02/17 02:31:41 ID:Ve7rz1h1
- orzってなんすか?
- 334 名前:名無しさん:05/02/17 02:35:45 ID:DAf0TdUw
- ○| ̄|_ orz
- 335 名前:名無しさん:05/02/17 02:37:02 ID:Ve7rz1h1
- 意味不明っす。
- 336 名前:名無しさん:05/02/17 02:39:08 ID:DAf0TdUw
- ○_| ̄|○
○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○|_ /\ \/\
| ̄ _| \ /○
 ̄| ○ / _|
○ |_ ○ |_
| ̄ _| | ̄ ○
 ̄| ○  ̄| /\/
○ |_ ○/ ○\
| ̄ _| \/\○| ̄|_
_| ̄|○_| ̄|○ ̄| ○
- 337 名前:名無しさん:05/02/17 02:42:29 ID:Ve7rz1h1
- なにがしたい?
- 338 名前:名無しさん:05/02/17 10:05:41 ID:rrWuUwFw
- 荒らし発生?
- 339 名前:322:05/02/17 11:04:04 ID:jgDFJ2jp
- >>333
http://www.media-k.co.jp/jiten/wiki.cgi?%A1%E3%C6%C9%A4%DF%CA%FD%C9%D4%BE%DC%A1%E4#i1
を参照に汁!
- 340 名前:名無しさん:05/02/18 01:44:11 ID:Bxkr+Ifd
- 見て分かれよ・・・ orz
- 341 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :05/02/18 21:17:24 ID:wuFdfcgm
- (o_ _)o
- 342 名前:名無しさん:05/02/19 00:49:59 ID:P+pQHZNi
- 管理人さま、スレと関係ない書きこみはあぼーんお願いします(※これも一緒に)。
- 343 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :05/02/19 17:00:20 ID:cp0b6JfP
- まーべつにいいんじゃね。
ていうか2ちゃんブラウザのあぼーん機能つかいなさいなw
- 344 名前:名無しさん:05/02/20 05:35:47 ID:lbbKHqll
- 多少スレ違いにはなるがギコナビ使いなら
[外部登録]
ユニの作業所=http://yy11.kakiko.com/yuni/
モータースポーツ実況板2004=http://live-racing.net/livebbs/live/
コレをメモ帳にコピペして"\gikoNavi\config\Board"以下に
外部登録.txtというファイル名で保存したら板選択の
プルダウンから外部登録と言う項目を選択すれば見れるようになる。
ついでにモタスポ実況板もこれで見れるようになる。
ソフトウェア板にはギコナビ用スレのほか各メジャーブラウザの
スレが立っているのでそこでやり方を聞くのもありだろう。
スレ違いだけど消さないで。w>ユニ氏
- 345 名前:名無しさん:05/02/20 17:31:44 ID:fNOJZkdf
- 日産編其の拾参
初出場・初完走を果たした日産への反響は予想以上に大きなものだった。
本社は早速ルマン完走を伝えるCMを作った。帰国二週間後には赤坂のホテルで本社主催の完走祝勝パーティも開かれた。
16位ではしゃぎすぎと言う声もあるにはあったが、本社に「ルマン完走」を認知させたことは、ニスモの難波にとって非常に意味のあることであった。
もともとニスモのルマン遠征は単年度の予算しか確保できていなかった。ルマン参戦を既成事実化し、優勝まで参加を続けさせるには結果を残し続けるしかない。
ニスモ/難波にとってルマンでの完走はルマン参戦を続けていくための絶対果たさなければならないノルマであったのだ。
この日産のはしゃぎっぷりをトヨタ本社は苦虫かんで見ていたかもしれない。リタイヤしたとは言え走行距離は上回っていた。
最後の1時間ピットでウェイティングすれば日産より上位で完走できたのだ。もっとも童夢の林にしてみれば「今更そんな完走して何になる」であっただろうが…。
(余談だが、ルマンから1ヵ月後、当時まだナマ中継をしていなかったテレビ朝日で、この年のルマンのドキュメンタリー
「三田村邦彦inルマン 栄光への24時間」が放映された。内容、BGM、果てはCMまで非常に内容のある番組であった。
当時のビデオを保存されている方はDVDに落とし永久保存されることをお勧めしておく)
- 346 名前:名無しさん:05/02/20 17:33:56 ID:fNOJZkdf
- さて、その日産の祝勝パーティー前後に明らかになったことがある。日産はVG30に代わる次期耐久エンジンとして、あのR382のV12エンジンGRX-3以来となるレース専用エンジンを開発していると言うことである。
形式はV8、排気量は3000cc、もちろんVG30と異なり4バルブDOHCである。日産もついに重い腰を上げたのだ。
そしてこのエンジンを開発するのが、「あの」桜井真一郎を社長として作られる日産の特殊車両・エンジン開発専門子会社「オーテックジャパン」である!
日産本社としてはかつてのR38シリーズのように桜井に総合プロデュースとしてルマン用マシンを任せる考えだった。
ゴーン体制の現在と異なり、日産は当時はバリバリの東大閥企業で、桜井、難波と言った最高の功労者でさえ本社の役員には成れなかった。
その代わり当時の社長久米豊は、功労者二人に報いる最高の場所を用意したのである。もちろん桜井、難波とも、本社の役員なんかに収まるより、
はるかにやりがいのある職場であったはずだが…。
日産本社の構想としては、日産がエンジン・車両を作り、オーテックがそれを開発し、ニスモが実戦部隊として走らせると言うもの。
予定としては翌年(87年)は新エンジンの開発に専念し、シャシーは従来どおりマーチを使用。翌々年(88年)には独自のシャシーも開発と言うもの。
R38シリーズに思いをはせたオールドファンにとってはあの桜井の手によるCカーとはどんなものなのか大きく期待が膨らんだことは想像に難くない。
(但しこの構想はその後若干修正を迫られることとなったが)
日産もニスモ設立、WEC制覇、ルマン参戦・完走で、日産もより本腰を入れてモータースポーツに取り組むようになってきたのである。とは言えかつてのR38シリーズの日本GP時代や、
当時のホンダがF1に取り組む姿勢に比べれば、まだまだ「全社一丸」と言える体制とはほど遠かったのであるが…。
- 347 名前:名無しさん:05/02/20 18:14:37 ID:fNOJZkdf
- さて、ルマン後の最初のレースは7月の富士500マイルである。このレースは前年からSCCN主催となり、言わば日産の「ホストレース」。
ルマン完走の凱旋レースとしては最高の場であった。ラジオでスポットCMが多く流され、また前年同様日産Cカー4台の載る大きなポスターが作成された。
ルマンを含む過去三レース、日産にとっては我慢のレースを強いられた。それはある意味当然だったのかもしれないが。
日産はこの年4レースめにして初めて野に放たれたかのごとくその俊足を見せつけることなる。もっともそれと結果は必ずしも結びつかないのだが…。
このレースから長谷見組のマシンもR86Vとなり、R86Vは3台体制となった。また星野のコ・ドライバーは中子修が務めることとなった。
予選では星野がポール、長谷見が2番手とR86Vがフロントローを独占した。
星野は午前中の1回目で本番セッティングに専念し、午後の2回目でタイムアタックと言う落ち着いた取り組み。タイムは1分16秒87をマーク。
これは前年のWECの時とほぼ同じタイム(1コーナーが若干変更されたが)。真夏のタイムとしては驚異的である。
長谷見は予選中タイヤバーストでカウルを毀損し、そこで走行を断念したが、それでも2番手となる1分18秒01をマーク。VG30パワーをまざまざと見せつけた。
翌決勝、濃霧で若干スタートが遅れた後レースはスタートした。まず飛び出したのは星野。
それをこれがデビュー戦となるトヨタ3S−Gエンジンを搭載するトムス86Cのリースが交わしトップに立つ。F2やGCでは普通に見られるシーンが耐久にも波及したようだ。
リースがシケインで勢いあまりスピンすると再び星野がトップ、それを長谷見が押さえトップに浮上と、序盤は国産Cカーの独断上となる。
- 348 名前:名無しさん:05/02/20 18:17:34 ID:fNOJZkdf
- しかし22周目に星野はスローパンクチャーでピットイン、タイヤ交換でピットイン。その後31周目にはタイヤバーストでリタイヤと不運が重なる。
ずっと上位をキープしてた長谷見組も69周で、前日のトラブルが尾を引き燃料系トラブルでリタイヤ。松本組が日産Cカーで唯一完走を果たすが、トラブルでピットインの連続で12位と低迷した。
終わってみれば「いつもの日産」に戻ってしまったのである。
序盤のスピンの後は新エンジンのデビュー戦とは思えない快走で独走態勢を築いたトムス86Cであるが、2時間86周走ったところでリタイヤ。結局ポルシェの1−2−3と表彰台独占となった。
優勝はイセキポルシェ。以下アドバン、レノマと続いた。
日産はエンジン自体のトラブルでなかったことがせめてもの慰めだった。しかしエンジンが原因でないとは言え、走りきらなければVG30の耐久力があるのか無いのかさえわからない。それ以上の問題は燃費である。
このころになると耐久レースとは言え、最終LAPまでシビアなレースが続くことが普通になってきた。
このレースでも優勝したイセキとアドバンは同一周回で最後まで優勝を争った。そう言った中でのVG30は最後まで走りきれる燃費が確保されるのか。それこそ完走してみなければわからない。俊足を披露したとは言え不安をかかえたまま、
日産Cカー軍団はWEC前最後のレース鈴鹿1000kmに挑むこととなる。
(小休止、今日中に再開)
- 349 名前:名無しさん:05/02/20 22:05:54 ID:fNOJZkdf
- 鈴鹿1000kmがCカーによる全日本耐久選手権の一戦となってからこの年で4回目。日産勢は過去3回中、PP獲得は2回と予選では相性が良いが決勝では一度も表彰台に立っていない。
このレースでも予選では日産VGパワーは爆発した。星野が2戦連続でポール獲得。鈴鹿1000kmとして2年連続3回目となる。タイムは1分56秒486。
コースレコードの1分54秒835(高橋国光)には及ばないが前年の鈴鹿1000kmよりは2秒以上縮めている。この真夏の灼熱の時期としては驚異的なタイムと言えよう。
2番手も日産。但し今回は松本のパーソンズR86Vである。タイムは1分57秒352。このレースの予選もF2/GCのような結果となった。日産R86Vは2戦連続でフロントロウ独占。
問題はこの勢いが決勝に繋がるかである…。
8月24日、薄曇の中真夏の耐久はスタートした。しかしスタート直後に3S−Gエンジン2戦目となる予選3番手トムス86Cが他車と接触しスピン、その勢いでピットウォールに激突しリタイヤとなってしまう。
1000kmレースなのに、100m少々走っただけでトムスの夏は終わってしまったのである…。トムスチーム2台(35,36号車)はこの真夏の耐久に備えなんとエアコンを装備してレースに臨んだのであるが…。
- 350 名前:名無しさん:05/02/20 22:11:28 ID:fNOJZkdf
- 日産勢も順調にはいかない。#23日産R86Vニチラは今回スタートドライバーを中子が担当したが、なんとわずか9周でクラッチトラブルでリタイヤ。
テストから順調にこなし、エンジン自体も特にトラブルもなく来ていた。しかしまたしても本番レースではマイナートラブルで序盤で消えてしまったのである。
鈴木亜久里がスタートを担当した#9パーソンズR86Vもなんとタイヤがホイールごと外れるトラブルでわずか23周でリタイヤ。
第三ドライバーとしてティフニーデルを助っ人に招いていたのだったが、ニーデルに回る前に終わってしまった…。
比較的順調に進んでいた長谷見組#32アマダR86Vであったが、141周走ったところでクラッチトラブルでリタイヤ。日産R86Vはまたしても3車ともリタイヤに終わってしまった。
レースはフロムAとイセキのポルシェ同士による優勝争い。燃料補給時の規定違反でペナルティタイム1分を背負ったイセキがトップでチェッカーを受けた40秒後、フロムAがゴール。
後の耐久チャンピオン岡田秀樹共々初優勝となった。ゴール後の再車検でイセキはタンク容量オーバーで失格となってしまうのだが…(この結果2位に繰り上がったのは#35ミノルタトムス86C。エアコン装着車である!)。
またしても完走できなかった日産。確かにエンジン自体のトラブルは減ってきた。しかし耐久レースは完走しなければ次に繋がらない。
完走しなければレーススピードで走行した場合の正確な燃費もわからない(当時はまだテレメータシステムはCカーレースには導入されていなかった。F1でホンダが使用し始めた時期である)。
このレースも1−2位は同一周回(結果的にイセキは失格となったが)。終盤まで接戦が続く以上、今後益々燃費は重要なファクターになることが予想された。
予選で一発の速さを見せるものの、決勝ではいい結果が残せない日産勢。
前年の大きな期待と打って変わって大きな不安を抱えたまま、日産として4回目、ニスモとして2回目の第5回WEC−JAPANを迎えることとなってしまったのである。
(以下次号)
- 351 名前:名無しさん:05/02/20 22:45:52 ID:3XyRdcM5
- 乙彼。
この時点ではまだまだひよっこだーね。
最初のV8も散々だったし。
- 352 名前:名無しさん:05/02/20 23:24:38 ID:0sIhgiAm
- 乙です
雑誌広告で86年のニッサンのル・マン挑戦を発見しましたので、そこのコピー文を
パリから190km、フランス北西部の田舎町で行われる24時間の熱狂の祭り。
ル・マンは、現在考えうる最高の技術が駆使された、マシンたちの集うカーニバルだ。
一週約13km。ほぼ長方形のコースを平均時速200kmオーバーでまる一日走り続ける。
この苛酷な24時間レースに、今年、2台のニューカマーがエントリーする。
私たち日産のマシンだ。
'85 WEC JAPANでのあの熱い走り以来さらに熟成を重ねたマシンである。
いよいよ、ルマンへのワンステップが動き始めたのだ。
あのユーノディエールストレートを私たちの夢が駆け抜ける━━━。
リザルトは、誰にもわからない。
私たちの
"THE 24HOURS"
- 353 名前:名無しさん:05/02/21 00:11:20 ID:9cTWIUhx
- う、日産ものは大概記憶してたが、そんな雑誌広告が出てたとは知らんかったorz…。
雑誌って週刊誌とかですか?今度国会図書館で見てみたい…。
- 354 名前:352:05/02/21 00:53:55 ID:B4DK2qE8
- 雑誌っていうか何かの増刊号かムックみたいな奴で、
スポーツカー・エンデュランス'86」「っていう本です
暇をみてスキャン&UPしてみます、気長に待っていて下さいm(_ _)m
- 355 名前:名無しさん:05/02/21 02:44:54 ID:AO1yXA0d
- 86年はオートテクニック(廃刊w)のルマン特別増刊が出てた。レース後なんでその広告はないが。
今でも大事に持ってます。
- 356 名前:名無しさん:05/02/21 18:42:39 ID:9cTWIUhx
- 日産Cカーが詳しいサイト
ttp://www.sugibuchi.com/Car/NissanRacing.php
- 357 名前:352:05/02/21 22:57:51 ID:nZuYA6iG
- >>353
スキャナー出すの面倒臭いかったので、とりあえずデジカメ画像で勘弁してください
全体
http://www22.big.jp/~15ch/up/source/ichigo2956.jpg
左上アップ
http://www22.big.jp/~15ch/up/source/ichigo2957.jpg
- 358 名前:名無しさん:05/02/22 23:39:53 ID:EYye3Ypw
- 貴重なサンプルありがとうございます。
ところで
>スポーツカー・エンデュランス'86
ってどこが出してて雑誌ですか?全然見た記憶ないんで。ルマン前ですよね?
- 359 名前:CarNo.774:05/03/09 22:28:57 ID:Qo3hZXFm
- 近々に再開予定です。
- 360 名前:CarNo.774:05/03/14 11:16:02 ID:JuDkDayn
- 日産編其の拾四
不安だらけでWECを迎えることとなった日産陣営であったが、予選でPPを獲得するのは星野の日産R86Vであろうと言う予想が支配的であった。
7月の富士500マイルでは星野は1分16秒87をマークしている。涼しい10月の富士ならば確実にタイムは縮まるだろう。
この年のWSPC、過去8戦のポールシッターはブルン3回、ランチャ2回、ロスマンズ2回、ヨースト1回。
ロスマンズポルシェはこの年のルマン以降、PDK(セミオートマ)の開発に主眼を起き、予選を積極的に狙ってない。日産が予選最有力と見られたのも当然だろう。
日産としても、例え決勝では優勝を狙えないにしろ、予選でポールを獲得すればテレビ・新聞で話題になるし、フロントロウを獲得してレースの序盤を引っ張れば(そう富士500マイルのように)当日にテレビ中継のあるWECでは大いなるプロモートになる。
しかし予選が始まると、大方の予想、そして日産の思惑は大きくずれていくこととなる。
- 361 名前:CarNo.774:05/03/14 11:32:33 ID:JuDkDayn
- 10月3日金曜日、第5回WEC−JAPANの予選1回目。快晴。
この年からシリーズは「WSPC」に改称されたが、日本ラウンド富士1000kmの大会名は「WEC−JAPAN」のまま継続された。
ターゲットタイムは14秒台。しかしこの予選1回目を制したのは本命の日産でもロスマンズポルシェでもなく、意外な伏兵ブルンであった。
イエリンスキーが1分16秒599をマーク。2番手もブルンのララウリで1分16秒618。
3番手に3S−G3戦目となるトムス86C#36「T」のリースで1分16秒618。
4番手にロスマンズ#1のスタック、5番手にようやく星野の日産R86Vで1分16秒918。7月の富士500マイルのタイムさえ上回れない。
長谷見車(このレースに限りニスモからエントリー、メンテ&マネジメントはハセミMSで変わらないが)に至ってはエンジン不調でタイムを出せずじまい。
肝心なWECの予選で日産VG30勢はコンピューターの不調などでそのパワーを披露することができない。それどころかトヨタの後塵を拝することに。
日産陣営の当初のもくろみが大きく外れることとなった。
- 362 名前:CarNo.774:05/03/14 11:50:23 ID:JuDkDayn
- 訂正
誤:3番手に3S−G3戦目となるトムス86C#36「T」のリースで1分16秒618
正:3番手に3S−G3戦目となるトムス86C#36「T」のリースで1分16秒812
4日土曜日、予選2回目。
日産勢は長谷見が6番手となる1分16秒924をマークするも星野はタイムアップせず。
ブルンはラルウリが前日のイエリンスキーのタイムを上回る1分16秒519をマーク、トップに立つ。
16秒を切るマシンがなく全体的に低調であった予選に衝撃を与えたのは星野でも日産でもなく、#36Tトムス86Cであった。
リースがまず15秒台に突入、予選トップに立つ。さらにルマン以来のCカー搭乗となる中嶋が1分14秒875のダントツのタイムをマーク、PPを確実にする。
中嶋は翌87年からロータスホンダでF1フル参戦が決まっていた。トヨタ3S−GパワーとF1パイロット中嶋の実力をまざまざと見せ付ける予選結果となったのである。
誰もが予選ポールを期待した星野/日産であるが、今回ばかりは中嶋/トムスに主役の座を奪われてしまったのである。
- 363 名前:CarNo.774:05/03/14 12:04:18 ID:JuDkDayn
- しかし予選終了後、急転中嶋のタイムはTカーでのタイムのため無効となり、ポールはブルンのララウリとなった。
しかし1回目の金曜日の予選では正式タイムに#36Tは記載されている。ポールタイムをマークすれば無効になるのか?
なんとも不可解な決定である。もし仮に2番手がブルンでなく日産であったら、同じような決断が下されたのだろうか?
(もっともこの時トムスのTカーのタイムに異議を唱えたのは他ならぬ日産であると書いた評論家もいるのだが…。真相は?)
タイムが有効だろうがなかろうが、とにもかくにも予選で主役になったのは間違いなくトムスと中嶋であった。予選で主役を演じるはずだった星野・日産も今回は確実に脇に回されてしまった。
この仮を返すには本番で結果を残すしかない。
10月5日日曜日、前年のウィナー日産にとって4回目となるWEC−JAPANは豪雨の前年とうってかわって快晴で迎えることとなった。
(近々再開)
- 364 名前:CarNo.774:05/03/14 12:09:59 ID:RcCfwjl2
- おおお、お疲れです。記憶が戻ってくるなぁ。そのとき富士にいたです。
中嶋のタイムはインパクトがありました。
「シケイン通過してないんじゃない」なんて冗談がでたなんて
話をどっかで読んだような。あの36号車は格好よかった。
- 365 名前:CarNo.774:05/03/15 20:56:05 ID:Q3nUQAhp
- 私もFISCOで中嶋のあのラップを目撃しました。
素晴らしいタイムだったのですが非常ににスムーズな走りで、決して激しい感じがする走りではなかったと記憶しています。
- 366 名前:CarNo.774:05/03/16 02:43:48 ID:YmUGzwKV
- 乙彼!
ラリーとかならともかくダウンフォースで車体を押し付けて走る車は
スムーズに走った方が一般的には速いと聞いた。
今のラリーも昔ほどスライドさせずに滑らかに走るね。
しかし中嶋の伝説の1ラップを見た方がお二人もいらっしゃるとはうらやましい。
- 367 名前:CarNo.774:05/03/20 18:01:05 ID:CH+myG8k
- 364でつが、その伝説のラップの瞬間はフィルム交換してたですよ…orz
- 368 名前:CarNo.774:05/03/23 14:59:22 ID:u7oGWrt9
- デジカメが使えるようになって枚数の問題は
解決されつつあるが今度は肝心のレースがない罠。
- 369 名前:CarNo.774:05/03/30 01:20:36 ID:wYKE1MI9
- 日産編其の拾五
この86年のWEC−JAPANの出走台数は40台。過去最高である。しかもこの40台は全てCカー(C1、C2)で、GTは参加していない。
ある意味WEC−JAPANが最高潮に達した大会だったと言えよう。
午後10時半、快晴の中40台は一斉にスタート。ジャガー、ヨースト、ブルン、ロスマンズが序盤のレースをリードする。
予選でそのパワーを見せ付けることのできなかった日産勢だが、少なくとも序盤だけはこれら欧州強豪勢と張り合えるのではないか?そう言う期待を抱いたファンは少なくなかっただろう。
しかし日産の不振は決勝でも続いた。スタート直後こそテレビの映像に写っていた日産R86Vだが、星野はすぐにコンピューター不調でピットイン。ここで序盤にして早くも5周のビハインドを背負ってしまう。
長谷見組は順調に周回を重ねるが、爆発的な速さを見せるには至ってない。松本/亜久里組パーソンズは序盤でリタイヤ、このレースからローラからマーチ85Gにマシンをチェンジした柳田組も下位に低迷、その後タイヤが外れるトラブルに遭遇する。
一方、ポールを取りそびれたトムスだが、ホイールベースを延長しタイムを叩き出した本命マシンが使用できず、しかも中位からのスタートとなってしまったが、こちらは順調に順位を上げた。
トップを走るタカQヨーストポルシェに周回遅れにされるも、離されずについて行く姿がテレビの画面で全国に流された。しかしその後カウルにタイヤが当るマイナートラブルで後退する。
- 370 名前:CarNo.774:05/03/30 01:32:58 ID:wYKE1MI9
- やはりWSPCを転戦する欧州勢は次元の違う速さ、ピットワークでレースを進める。
この中で特筆されたのがシルクカットジャガー。デビュー時期は日産VG30エンジンとほぼ同じ前年の夏である。しかし日産の一歩も二歩も前をジャガーは歩んでいた。
マイナートラブルでコース上にストップしたりと、未だ磐石とまでは言えないが、速さの点では既にポルシェ勢を凌ぐレベルまでに達していた。
一方「王者」ロスマンズポルシェはトラブルで2台とも後退。チーム王者獲得に黄信号が灯る。
レース終盤、タカQポルシェが独走体制を築く中、チーム王者を争うジャガーとブルンが激しく2位争いをする。国産勢は完全に蚊帳の外でテレビに写ることもなくなった。
午後4時、タカQヨーストポルシェがスポンサーのお膝元でトップでチェッカーを受ける。2位には暫定でジャガー、3位にブルン。
この結果ならジャガーがチームタイトル獲得となる。しかし正式発表で計時ミスが発覚し、2位ブルン、3位ジャガーに改められた。
この結果チームチャンピオンはブルンモータスポーツとなった。しかし参戦2年目で王者獲得寸前まで言ったTWRジャガーの底力は賞賛に値するだろう。
- 371 名前:CarNo.774:05/03/30 01:44:17 ID:wYKE1MI9
- さて、前年主役を演じた日産は?
9位に国産最上位として、トムス86Cが入り、それに次ぐ10位、国内勢4位に星野/中子組の#23日産R86Vニチラが入った。
11位に長谷見組。星野組はコンピューターロム交換後は調子を取り戻し順調に周回を重ね、ほぼトラブルフリーで走った長谷見組をも上回るほど盛り返してきたのである。
序盤の5周のビハインドが無ければ…。
しかしこの年のWECは異様にレベルが高かった。完走は40台中31台。国内勢トップは3周遅れのイセキポルシェで6位。2年前なら確実に表彰台をゲットできたはずである。
#23日産ニチラの序盤のトラブルが無くても、10周遅れが5周遅れになるだけで、せいぜい7位か8位くらいにしか入れなかっただろう。
形はどうあれ、前年の大会を制した日産であったが、世界との差は縮まるどころか逆に開いてしまったのである。
- 372 名前:CarNo.774:05/03/30 02:00:50 ID:wYKE1MI9
- (訂正)
形はどうあれ、前年の大会を制した日産であったが、この1年で世界との差は縮まるどころか逆に開いてしまったのである。
課題ばかりが残った日産だが、実は星野組はVG30投入以来、ドライで完走したのはこれが初めてであった。そう言った面では明るい兆しは見えたと言える。
しかし欧州勢との差は歴然。「井の中の蛙大海を知らず」、国内のみを走るだけで、「世界」と向き合わないと言う姿勢こそが、世界を転戦する欧州勢との違いなのだろうか…?
日産は、ポルシェ、ジャガーとの差をハード(エンジン)に求めた。開発を表明していた耐久専用V8エンジンの実走テストがこの間もなく後に始まろうとしていた。一刻も早く実戦参加させるべく。
しかしこうした早急な新エンジンの投入が、更に日産が泥沼にはまり込んで行くことへと繋がっていくことになるのだが…。
(以下次号)
- 373 名前:CarNo.774:05/03/30 09:39:48 ID:L/IPdpyk
- 毎度乙&GJです。フィルム交換してて36T取り損ねた者です。
あうあう、懐かしいよう。
86年はF1も耐久もWRCも濃いシーズンだったなぁ。
WEC決勝、たしかおおむね1コーナーにいました。ジャガーのブレーキング
ポイントが深くて、ダウンフォース多そうとか思った記憶がかすかに。
排気音が独特だったのは今でもはっきり覚えてるです。
- 374 名前:CarNo.774:05/03/31 15:03:30 ID:Vo8a6dyF
- 泥沼ワロスw
VEJの設計者は左遷されたらしいね。
- 375 名前:CarNo.774:05/04/03 16:01:57 ID:9Ato/IXJ
- VEJなぁ……
VGより遅い「レース専用エンジン」なんて……。
長谷見さんがル・マンでブチ切れたのも無理ないよな。
それで翌年のル・マンに連れて行かないあたり
この当時の日産の体制のアホさ加減が見えようかというモノ。
- 376 名前:CarNo.774:05/04/05 09:35:01 ID:Fgq7sqLg
- test
- 377 名前:CarNo.774:05/04/05 10:12:43 ID:Fgq7sqLg
- 日産編其の拾六
日産が耐久レース専用となる3gV型8気筒エンジンの開発に着手したのは85年の6月である。
ニスモとして真剣にグループC耐久に挑むことが決定したころで、ニスモはとりあえずの「暫定」処置として
「分家」エレクトラモーティブが開発する市販車エンジンベースの2バルブVG30を使うことを決めていた。
「本命」エンジンとして、日産はあのR382の6gV型12気筒GR−X以来となるレース専用エンジンの開発を決断したのである。
当時レース専用エンジンを持っていた日本のメーカーはF1とF2のホンダだけ、と言う時期である。
このエンジンの存在が公になったのが86年のルマン直後、そして9月には追浜のテストコースでマーチ85Gに搭載されて実走テストが開始されている。
11月になると富士でのテストも開始された。このころは「来年7月の富士500マイル(SCCN主催)デビュー」と言う予想が支配的だった。
あるいはJSPCはV8を使ってもルマンはVG30で行くのではないか?少なくとも来年いきなりルマンに新型エンジンを使うと考えた人はそうは多くなかっただろう。
デビューしたてのエンジンでルマンに挑むことなどあまりに無謀だからである。ただでさえ日産チームはまだまだソフト的にも改善しなければいけない点が数多くあった。ハード(エンジン)までチャレンジしてる余裕はないはずであった。
- 378 名前:CarNo.774:05/04/05 10:35:19 ID:Fgq7sqLg
- 12月15日、日産自動車は報道陣を富士に呼び寄せ、新型耐久レース専用エンジン、VEJ30を発表した。VEはV8、Jは特殊エンジンを意味する(FJ20は4気筒特殊エンジン)。
設計したのはR382のGR−Xを開発した石川義和。最高出力700馬力、重量は165kgと発表された。しかし関係者によれば「机上の空論にすぎない」ものだった。
バルブを上下に動かすのにロッカーアームを介したり、バルブタイミングがベルトでなくチェーンだったり、やたら部品点数が多いなど、決して設計の新しいエンジンとは言えるものではなかったのである。
燃費もこの時点ではまだリッターあたり1.3`ほどしか走れなかった。実戦投入するにはまだまだ難問は山積だった。
しかし日産はこの場で「来季2台JSPC全戦参戦、ルマンにもこのエンジンで参戦」と発表する。この決定は「作ったから使え」と言う、いかにも日本的、サラリーマン的、そして日産的決断とは言えまいか。
ルマンまでには実戦は2戦(鈴鹿500km、富士1000km)しかない。2レースしか戦えない新型エンジンでルマンに挑む、無謀以外のなにものでもないだろう。
少なくともニスモの本音はこうだったはずだ。(後に難波はチームルマンにVG30でのルマン参戦を要請している。本社に対する「あてつけ」として)
- 379 名前:CarNo.774:05/04/05 10:36:56 ID:Fgq7sqLg
- こう言ったプレス向け会合で、難波はサービス精神旺盛に、面白いコメントを連発する。VG30のデビューの時は「ポルシェがB29ならLZ20は竹ヤリ」と言う発言もしている。
普通のサラリーマンなら自社製品をそこまでボロクソに言えないものなのだが…。
しかしこの場での難波のコメントはイマイチ冴えがなかった。
「WECで苦戦する日産勢を見て久米社長(当時)に『日産以外はみなレース専用エンジンを使ってる』と言ったら『間もなく専用エンジンができあがる』と言われた」
「市販車ベースのエンジンでしかないVG30は自動小銃でしかない」などなど。
レース専用エンジンでないのは日産だけではない。と言うより当時Cカーでレース専用エンジンを使っていたのはポルシェだけである(3S−Gは限りなくレース専用に近かったが)。
WECで日産本社の社長からV8エンジンの存在を知らされた、と言うことなどあるわけないだろう。「自動小銃」に至っては今更「竹ヤリ」と言えないから進化(?)したのか?
少なくともこれらのコメントは難波の本心と言うより、ムリヤリ作っただけのものとしか思えない。そんなコメントしか出せないこと自体が難波の複雑な心境を吐露していたと言えないだろうか?
- 380 名前:CarNo.774:05/04/05 11:03:54 ID:Fgq7sqLg
- そもそも市販車用ベースとは言え、VG30は「自動小銃」としか言えないような代物か?
レーシングエンジンについてよく言われることに
「強力なエンジンを作るのは難しいが、耐久性のあるエンジン、燃費の良いエンジン、扱いやすいエンジンを作るのはそう難しいことではない」と言うことがある。
強力(高出力)なエンジンは基本的な素性がものを言う。しかし高出力のエンジンを改良して耐久性、燃費を上げることはそう難しいことではない。
VG30は紛れもなく「強力なエンジン」であった。肝心のWECでポールを取りそびれたとは言え、85〜86年の10レースでPPは5回、うちフロントロウ独占は4回。
耐久性、燃費に問題が多かったのは事実だが、これは熟成を重ね改良することも可能なことである。事実、この後エレクトラモーティブによって開発が続けられたVG30はIMSAで圧倒的強さを発揮することとなるのだから。
日産本社は、ニスモがポルシェ(しかもワークスではない)に勝てないのは、ハード(エンジン)だと判断したのか?外部のエレクトラモーティブ(後に日産ワークスとなるが)で開発した、市販車用ベースの2バルブでしかないVG30だから、そう判断したのだろうか?
永い目で見れば、レース専用に開発したV8を早期に実戦投入し熟成を重ねる、と言う考えも間違いとは言えない。しかしそれでもいきなりルマンに投入すると言うのはレースを知っている者の判断とは思えない。
未成熟なエンジンを未成熟な日産チームが使う。出てくる答は「泥沼」である。翌87年、日産/ニスモはこれ以下はないと言えるくらい悲惨なシーズンを迎えることとなってしまうのだから…。
- 381 名前:CarNo.774:05/04/05 11:25:25 ID:Fgq7sqLg
- さて、時期は前後するが、11月22、23日、全日本耐久最終戦富士500kmが開催された。
これまで予選では速さを見せながら、1勝もできなかった日産勢。最終戦でこそ結果を残せるのか?
このレースでまず注目されたのは予選。WECで中嶋がマークした「幻のタイム」1分14秒875を破るタイムを誰が叩き出すのか?
トヨタ、日産勢とも積極的にアタックを繰り返す。今回トムスには急遽中嶋も参戦した。翌年からのF1参加が決定している中嶋にとっては最後のCカーレースとなった。
同じマシンで同じドライバー、しかしながら結果的に1分15秒703、WECのタイムを上回ることができなかった。
一方の日産も燃えていた。WECでの不振のお返しとばかりに中嶋の幻のコースレコードにチャレンジする。結果、長谷見が1分14秒685、星野が1分14秒689で中嶋のタイムを上回りフロントローの独占である。
主戦が最後となるVG30で、日産勢は意地を見せコースレコードを樹立することができた。しかしこの富士500kmとWECでは注目度は大きく違う。このタイムをWECで叩き出せたら、これが日産陣営の本音だったろう。
- 382 名前:CarNo.774:05/04/05 12:07:03 ID:Fgq7sqLg
- 翌決勝、日産勢は今季最高とも言える走りを披露する。しかし結局結果には結び付かなかったのであるが…。
序盤、まず飛び出したのはトムス、童夢のトヨタ勢。しかし童夢はブレーキトラブルで後退、トムスはドライブシャフト毀損でわずか15周でリタイヤとなる。
中嶋は最後の国内レースを飾れなかった。
一方の日産勢は順調にレースを進める。今回亜久里がスタートを務めたパーソンズはブレーキトラブルで22周でリタイヤとなったが、長谷見、星野とも3台のポルシェ勢と共にトップグループを形成する。
1回目のピットストップまで首位をキープしたのは星野の日産R86Vニチラ。しかし中子の交代後、ミッショントラブルで3速が抜ける。爆弾を抱えた走行となる。
2回目のピットストップまでもったニチラだが、星野の交代後94周目にリタイヤとなる。
長谷見組アマダは順調に表彰台圏内をキープしていたが、残り10周を切った104周でリタイヤ。公式にはクラッチトラブルとあるが、或いはガス欠だったかもしれない。レーススピードで最後まで走ったことがない日産勢は正確な燃費のデータなど無かったのだから。
レースは最後の最後までアドバン、イセキの両ポルシェが争い、最終周でガソリンを使い切ったアドバンをかわしイセキがトップでチェッカーを受けた。アドバンはセルモーターをまわし這うようにゴール、2位を死守しポイントゲット、86年の耐久チャンピオンを獲得した。
3位はフロムAと終って見ればポルシェの表彰台独占。86年シーズン、日産勢は結局1勝もできないまま終えることとなった。
予選ではフロントロウ獲得3回と速さを見せた日産R86Vであったが、耐久はチェッカーを受けなければ意味がない。エンジンのみならずシャシー、チーム体制と日産は課題がまだまだ山積であった。
前述のとおり、翌87年シーズン、日産はVG30に見切りをつけVEJ30を投入する。そしてこれが逃れ様にも逃れることができない泥沼に日産をはめていくことになるのである。
(以下次号)
- 383 名前:CarNo.774:05/04/05 20:21:57 ID:RHgoxxdc
- 乙です!
- 384 名前:訂正くん:05/04/05 21:57:24 ID:4qAtp2Gy
- 誤:当時レース専用エンジンを持っていた日本のメーカーはF1とF2のホンダだけ、と言う時期である。
正:当時レース専用エンジンを持っていた日本のメーカーはF1・F2のホンダと、F2のヤマハだけ、と言う時期である。
失礼しました。
- 385 名前:CarNo.774:05/04/06 00:27:19 ID:MZZVR1qy
- さて、ここで「日産Cカー」とはずれるが、「分家」エレクトラモーティブのIMSA−GTPの活動にも触れておこう。
86年シーズンは全17戦のうち、9戦に参戦した。デイトナ、セブリングのクラシック耐久イベントは欠席している。
どうしても「本国」ニスモのグループC・ルマンの活動にプライオリティが傾いた感があるが、
彼らの「ホームグラウンド」IMSAでも予選ポールポジション2回、決勝最上位3位と、それなりに速さを見せ熟成も進んできた。
何より当時のIMSAは多数のポルシェ962の他、グループ44ジャガー、ザクスピード・フォードプローブ、ローラシボレー、
マーチ・BMW−GTPと、WEC以上に活況を呈し、且つ激戦のシリーズだったのだから。
この年の大きな出来事は、後半戦から投入したエレクトラモーティブオリジナルボディ。
フロントはオーバーハングが詰められ、丸みを帯びたスタイルに変更された。
リアカウルはウィングがステー1本で支える形だったローラT810オリジナルから、翼端板とボディが一体のタイプに変更された。
- 386 名前:CarNo.774:05/04/06 00:30:17 ID:MZZVR1qy
- 日産GTPが速さを見せるようになったのは、このエレクトラモーティブオリジナルのボディを投入した第12戦ポートランド以降である。
それだけ効果は絶大だったと言えるのだろう。「本国」日本では、鈴鹿1000kmを最後にローラT810(セントラル20)は見切りを付けられてしまったのだが…。
このボディをデザインしたのは日本人デザイナー・鈴鹿美隆である。そしてこの鈴鹿デザインのボディとほとんど同じスタイルで、
その後エレクトラモーティブは独自にGTPを製作している(88年)。
そして鈴鹿は帰国後、ローラ製の日産R89Cにオリジナルボディをデザイン(R90CP)、
IMSA−GTPと同じ流れで翌年外観はほぼ同じ日産自製のCカーR91CPが誕生することとなる(これらについては項を改める)。
本国・日本ではローラシャシー同様、見切りを付けられてしまうことになるVG30だが、
「ふるさと」IMSAではこの後無敵の快進撃を続けることとなる。あくまで結果論であるが、ニスモがもう少しVG30を永く使い熟成を重ねていれば…。
(以下次号)
- 387 名前:CarNo.774:05/04/06 01:15:02 ID:FxizOoe4
- そろそろ林義正氏の登場だな? ワクワク
- 388 名前:訂正くん:05/04/06 02:17:13 ID:iwDHPbp6
- 誤:WEC以上に活況を呈し
正:WSPC以上に活況を呈し
- 389 名前:CarNo.774:05/04/07 23:01:10 ID:Wi8KyHpd
- 鈴鹿美隆氏って今でも日産かニスモにいるのかな。
- 390 名前:CarNo.774:05/04/10 09:24:50 ID:ddczVKFb
- 林教授によるとアメリカにいるんじゃなかったかな。
- 391 名前:CarNo.774:05/04/19 19:17:55 ID:UbPS5wJ1
- 主はお忙しいようで
- 392 名前:CarNo.774:05/04/20 10:23:04 ID:OkwbMsLf
- 日産編 其の弐拾五(だった)
87年、日産/ニスモはその活動を更に拡大した。そのメインはもちろん新エンジンを投入するルマン/グループC活動であるが。
前年チャンピオンを獲得したグループA全日本ツーリングカー選手権(JTC)はR30スカイラインのワークス活動を停止し、シーズン後半から新型R31スカイラインGTS−Rを投入することに。
WRCにも2年ぶり復帰。追浜からニスモに移管され、S12シルビアの輸出仕様3gV6エンジン搭載の200SXでサファリ以降数戦参戦。
F3は新型エンジンCA18の一般供給を開始した。
さてメインの活動となるグループCだが、前述のとおり18年ぶるとなるレース専用エンジンヴぇJ30
- 393 名前:CarNo.774:05/04/20 10:43:36 ID:OkwbMsLf
- さてメインの活動となるグループCだが、前述のとおり18年ぶるとなるレース専用エンジンVEJ30を初戦から投入することに。
体制として前年同様、ホシノR、ハセミMSからのエントリー(ルマンとWECのみニスモから。但し体制・メンテナンスは国内と変わらず)。
シャシーは新たにマーチ87G(R87E)を導入(3台)。外観はマーチ86Gとほとんど変わらないが、リアのホイールサイズが19インチに拡大されたため、
リアフェンダーの盛りあがりが大きくなり、またリアのオーバーハングがショートカットされたのが大きな違い。タイヤがホシノRがBS、ハセミMSがDLなのも前年と変わらず。
ドライバーは星野のコ・ドライバーに、アドバンから高橋健二が移籍してきた。高橋はMTのサニー育ちで、FP、日産レーシングスクールの講師など日産との繋がりは以前から深かった。
ニスモのワークス活動には初の参加だが、「耐久王者」の走り方を期待されての移籍である。
ハセミ車のコ・ドライバーは和田から鈴木亜久里となった(グループAもこのコンビ)。
V8の2台が「ワークス」扱い。
この他前年に続きチームルマンからV6搭載のR86Vが参戦。エースドライバーが松本恵二から和田孝夫となり、コ・ドライバーとしてボルボで前年インターTECを制したA・オロフソンが起用された。
これにあわせチームルマンのマシンはタイヤがYHに変更された。スポンサーはパーソンズで変わらず。
(松本レギュラー参戦せずホシノ車の助っ人に)
日産のグループC活動開始(83年)以来、活動を続けてきたセントラル20は、この年から参戦せず、日産のグループC活動は3台に減少した。
セントラル20はグループAでも日産との関係が切れてしまったのだが…(柳田はBMWで参戦することに)。
- 394 名前:CarNo.774:05/04/20 10:55:19 ID:OkwbMsLf
- ルマンではホシノ車に松本、ハセミ車に和田が加わることに。
当初の予定では、V8搭載車2台で開幕戦鈴鹿500kmから参戦し、ルマンにも遠征、と言うシナリオであった。
しかしマーチシャシーの上陸の遅れ、予期せぬタイヤトラブル、そして進まぬエンジン熟成などの理由で当初の予定は大きく狂うこととなった。
そして熟成の進まぬエンジンに足を引っ張られる形で、前年をも上回る「最悪」のシーズンを過ごさなければいけなくなることを、あるいは日産/ニスモ関係者は覚悟していたかもしれない。
(以下次号)
- 395 名前:103:05/04/29 00:57:23 ID:QFeQz0PN
-
ttp://krn4.x0.com/ultimate/
4854
パス 8623
- 396 名前:CarNo.774:05/04/29 01:02:13 ID:fMefb029
- どれなの?
- 397 名前:CarNo.774:05/04/29 05:01:27 ID:2ZOtwJbq
- >>395
乙です
- 398 名前:CarNo.774:05/04/30 00:52:51 ID:F+aVG+nh
- 手にはいらねぇ・・・つながんねぇ・・・
- 399 名前:CarNo.774:05/05/01 08:02:14 ID:HzCnyBYB
- 夜中の3時でもつながんね・・・
GW厨どもは氏ね
- 400 名前:CarNo.774:05/05/02 14:59:57 ID:YsCDUvqE
- 国連ってファイルどのくらい持つ?もう流れた?
- 401 名前:CarNo.774:05/05/03 12:23:05 ID:VBkjGCsg
- 4時に試した時点でもう接続数制限。
今試そうとしたらすでに転送量制限。
GWの力恐るべし。
- 402 名前:CarNo.774:05/05/03 16:57:46 ID:25A0pTJ8
- >>401
繋がったと思ったら、もう流れていた
orz
- 403 名前:CarNo.774:05/05/04 03:13:50 ID:NmvK8MVT
- ありゃまw切り上げて寝るかな。
- 404 名前:CarNo.774:05/05/07 08:48:04 ID:5woLQTrt
- 世界最強のエンジンVRH35マダー??
- 405 名前:103:05/05/08 03:06:51 ID:ZYj2KV7Z
-
ttp://www.kr4.net/ultimate/
ファイル番号 0155
パスワード 8623
- 406 名前:CarNo.774:05/05/08 11:27:19 ID:fKGISihf
- >>405
ありがとうございますm(_ _)m
過去にUPしていただいた物も再UPして頂けると嬉しいのですが・・・
- 407 名前:CarNo.774:05/05/12 11:36:34 ID:ciGqt7MR
- モータスポーツ板はいつまで人大杉なんだろう?
- 408 名前:CarNo.774:05/05/14 00:30:37 ID:XTF2ftKB
- ばーほんだが復帰するまで。
- 409 名前:CarNo.774:05/05/18 11:05:09 ID:P5aKlj1h
- 日産編其の弐拾六
VEJ30エンジンのデビュー戦は87年シーズンの開幕戦、鈴鹿500kmである。
それより少し前に日産は日産R87E(マーチ87G)の公開テストを富士で行っている。2号車(長谷見車)は日本に上陸した直後で塗装もまだの黒いカーボンむき出しのまま飾られたのみ。
日産としては順調に開発が進んでいることをアピールしたかったのであるが、決して順調に事が運んでいるわけではなかった。
結局鈴鹿500kmにエントリーしたR87EはホシノRの1台のみになった。ハセミMSは急遽R86Vで臨むこととなった。
予選では早速星野が激しくアタック。1回目ではコースレコード(1.54.63)でトップに立つ。デビュー戦でPPか?
しかし2回目の予選で、この年からタイヤをBSにチェンジし、岡田秀樹をエースに抜擢したフロムAが逆転でPPを獲得する(1.54.016)。
星野もタイムアップするも(1.54.436)も2番手に留まる。デビュー戦でのPP獲得はならなかった。
和田のR86Vパーソンズは4番手、長谷見は7番手。
- 410 名前:CarNo.774:05/05/18 11:29:45 ID:P5aKlj1h
- フロントロウ獲得とは言え、VEJ30は燃費も耐久性もまったく未知数。
熟成度のみならず、一発のパワーもまだまだVG30の方が上であると。
(事実VG30は3月のIMSAマイアミGPで初優勝を独走で飾っている)
明けて決勝。
2番手からスタートした星野のR87Eが一瞬前に出るも岡田のフロムAポルシェが先に1コーナーに進入。
#27フロムA、#23日産の1−2で序盤は推移する。
しかし2番手走行中の17周目の1コーナーで突然ストップ。ドライブシャフトの毀損である。
エンジンのトラブルではなかったが、1周でも多く走り、燃費・耐久性をチェックしたかったはずだが…。
なにしろこの生まれたてのエンジンで2ヶ月後ルマンに挑むことになるだから…。
和田組R86Vは順調に上位を走行していたが、オイルリークで31周目にリタイヤ。長谷見組は急遽持ちこんだマシンのためかペースが上がらず5周遅れの8位に留まった。
対照的にこのレースから「ワークス」復活となったトヨタ87Cが3位表彰台と順調な滑り出しとなった。
優勝はフロムAポルシェ。ポールtoウィンの完勝である。
日産勢はまたしても多難な開幕となってしまった。
- 411 名前:CarNo.774:05/05/18 11:40:24 ID:P5aKlj1h
- 第2戦はGWの富士1000km。TMSC主催の言ってみればトヨタのホストレース。
このレースから日産はVEJ30搭載のR87Eが2台体制に、となるはずであったが、今回も1台のみとなってしまった。
このレースの前に行われたテストで、ホシノRの日産R87Eがリアタイヤのバーストでクラッシュしてまい、急遽マーチに送り返しリビルトしなければならなくなった。
このため富士1000kmにはホシノR車がR86Vで臨むこととなってしまった。
このタイヤバーストは他のチームにも影響が及び、同じBS19インチ大径タイヤを使うレイトンハウスクレマーポルシェは、WSPCでクレマーチームが横浜タイヤを使う関係から、急遽横浜からのタイヤ供給を受けることとなった。
(R86VはBSの16インチを使用)
- 412 名前:CarNo.774:05/05/18 12:02:07 ID:P5aKlj1h
- 予選では、VEJ30初レースとなる長谷見が1.15.450でPPを獲得した。前年長谷見自らがマークしたレコードには及ばないが、VEJ30エンジン2戦目での快挙となった。
一方で急遽持ちこまれたR86Vで臨んだホシノRは24位と低迷した。
決勝スタート時は激しい雨。ポールを獲得した長谷見であるが、ローリングラップ後急遽ピットイン。なんとワイパーが動かないのである!
このトラブルはホシノR車にも及んだ。プロのレーシングチームとは思えない大失態である。
この後再スタートしたしたハセミMS車だが、わずか36周でエンジントラブルでリタイヤ。
和田は1周目にクラッシュリタイヤ。#23ニチラR86Vは雨の中星野が奮闘し一時は5位にまで浮上したが、またしてもトラブル。結局18周遅れの8位に留まった。
日産勢にとっては散々なGWとなってしまった。
優勝はミノルタトヨタ87C。2位以下を5周も離す独走優勝である。
トヨタのホストレース、ルマンの前哨戦で、これ以上ない結果を残すこととなった。「ワークス」復帰後のトヨタ初優勝である。
- 413 名前:CarNo.774:05/05/18 12:55:05 ID:P5aKlj1h
- 最高の状態でルマンに挑むこととなったトヨタ。対照的に日産は深刻である。
VEJ30搭載車はルマン前の2レースで合わせても300kmも走っていない。テストでもトラブル続き。
このようなエンジンでルマンに挑まなければならないのか?
ニスモはこのような事態から、ルマンへはVG30で臨むことを日産本社に訴えたが、VEJ30が失敗作と認めることになると言う極めて日本的な判断で、本社は却下している。
このためニスモの難波はチームルマンの花輪に急遽VG30(R86V)でのルマン参戦を要請した。難波は後にこれを本社に対する当て付けと認めている。
- 414 名前:CarNo.774:05/05/18 12:55:44 ID:P5aKlj1h
-
富士1000kmの2週間後、ルマンではテストデーが行われた。ルマン24時間レースを行うサルテサーキットは一部公道を使うため普段はテストできない。前年復活したこのルマンテストデーは、レース以外で唯一サルテを走行できる日である。
このテストデーに日産はリビルトの済んだR87E2台、チームルマンのR86V1台の計3台で参加した。
このテストでワークス2台は相変らずトラブルの続出で、タイムも星野車が、3.44.63、長谷見車が3.48.34に留まった(トップはジャガーの3.24.38)。
しかし「当て付け」で参加したチームルマンのR86Vはワークスを上回る3.31.10をマーク。全体で7番手の好タイムである。
この後日産のスタッフ(セルモ、ハセミMS、ニスモの混成部隊であるが)は欧州に留まり、シルバーストンでテストを実施した。
しかしここでもVEJ30エンジンは壊れまくった。ニスモの柿本は後発部隊にシリンダーヘッドのパーツを持ってくるように指示している。
このように1年目以上に厳しい状況で日産はルマンへ挑まなければならなくなった。悲壮な覚悟で日産は2年目のルマンを迎えることとなる。
(以下次号)
- 415 名前:CarNo.774:05/05/18 23:39:54 ID:gclZLvtv
- 乙です!
- 416 名前:CarNo.774:05/05/30 17:15:04 ID:ai6S0iIu
- 激しく遅れたが乙!
翌88年、高校入学を目前に控えた春休み、友人と二人でNISMOへ遊びに行き、
名前は失念したが営業の偉そうなオッサンにファクトリーの中を案内され、
『これが新しいV8エンジンに使うチタンのバルブ。お土産にあげるよ』
とVRH30のバルブを貰って、更には昼飯に蕎麦までご馳走していただいて…
あ〜懐かしい…
- 417 名前:CarNo.774:05/05/31 11:16:38 ID:dgrkLvqb
- 日産編其の弐拾七
1987年、日産にとって2回目のルマンである。日産の参戦により日本からの参加が3メーカーになったのが前年の86年。
3メーカー参戦でまるでJSPCごとフランスに来てしまった感のあるルマン。この年ついにテレビ朝日によりナマ中継が開始されることになり、その注目度はより高まった。
それまでは日本のアタックを含めたルマンの映像は1ヶ月後くらいのダイジェストでしか見ることができなかったのだから…。
VEJ30のできはともかく、日産も徐々にモータスポーツに力を入れる姿勢を示すようになった。
5月25日には大々的にルマン参戦壮行会が開催された。ここで難波は「ことしはヒトケタ入賞(9位以内)を目指す」と宣言している。もっともこれは単なる「大本営発表」であることは
言った難波本人が充分承知していただろうが…。しかし実際のレース参戦体制はともかく、広報活動と言う面に関して言えば、日本の3社で一番力を入れていたのも日産である。
- 418 名前:CarNo.774:05/05/31 11:35:58 ID:dgrkLvqb
- ルマンに乗り込んだ日産チームの実戦部隊は約40名。3メーカー最多である。
もっともニスモ単独チームでなく、ハセミMS、セルモ、チームルマンとの混成部隊である。
長谷見車は前年のアマダが降り、国内はノースポンサーであったが、ルマンではニチラ(カルソニック)がつき、星野車とともにカルソニックの2カー体制となった。
カルソニックはチームルマンのR86Vにもつき、日産車は3台ともカルソニックのロゴをつけ走ることとなった。
この年のルマン、日本にファンにとっては2通りの楽しみがあった。
一つ目はジャガーとワークスポルシェとの一騎討ちとなる優勝争い。それまでのWSPC4戦ではジャガーが4連勝とポルシェを圧倒している。
しかしルマンで勝たないかぎり真のスポーツカー王者とは言えない。ジャガーもそれは充分承知していただろう。ポルシェもルマンだけは死守したいと考えていたはず。
普段の1000kmレースとルマン24時間はまったく違う。果たしてどのような結果が待っているのか?
もう一つの楽しみは言うまでもなく日本の3メーカー7台の行方である。
このうちトヨタとマツダは極めて順調にJSPCやテストをこなしてきた。トヨタは3位、優勝。マツダは5位、4位。
過去日本製エンジン/日本人の最高位は、84年の10位のローラ・マツダ&片山義美。これを充分超える成績が期待できた。
しかし日産は、派手に広報活動をしてはいるが、一番期待できないのは関係者のみならずファンの間では常識だった。
VEJ30エンジンは2レース合わせて300kmしか走っていない。このようなエンジンでルマンに挑まなければならない。
テストデーでは好タイムを出したチームルマンを見るにつけ、「VG30で行ければ…」と言うのがニスモのスタッフの本音だっただろう。
- 419 名前:CarNo.774:05/05/31 12:04:37 ID:dgrkLvqb
- 6月10日、予選1回目。ハードはともかく、2年目を迎えソフトとしてのチームは進化していた。
前年のような右か左かもわからないパニック状態からガラリと変わり、各ドライバー順調に基準タイムをクリアしていく。
この日星野の日産R87Eは3:35:99をマーク、国産勢のトップとなった。しかしトップのワークスポルシェより14秒も遅い。
長谷見は3:38:13。しかしこの直後にエンジンブロー。長谷見車(32号車)のメンテナンスはハセミMSだから、
長谷見は「身内」と言うことでピット内でスタッフを激しく叱責した。しかし混成部隊の難しさか、この中にはニスモのスタッフも混ざっていた。
この時の「遺恨」が翌年の長谷見ルマン欠席の「遠因」となってしまう…。
- 420 名前:CarNo.774:05/05/31 12:39:57 ID:dgrkLvqb
- 一方一番期待できたはずのチームルマンのR86Vは?
実はスペアエンジンも含めかなり体制も充実したものだった。エンジンが壊れるのを恐れずアタックできる体制だった。
テストデーのタイム(3.31.10)を上回る限りなくPPに近いタイムを狙える位置にいたのである。
しかし予選1日目は遅いクルマにひっかかりクラッシュ、翌2日目はさあこれからと言う時に雨。結局3.41.46と平凡なタイムで終った。
レースに詳しくない人から見れば、チームルマンのR86Vはあくまでサテライトチームの「前年型」である。しかし実はワークスよりはるかに期待のできる位置にいることを示す(難波言うところの「本社への当て付け」)には予選が最大のチャンスであったのだが…。
- 421 名前:CarNo.774:05/05/31 12:40:55 ID:dgrkLvqb
- 予選2日目は、ワークス2台はタイムアタックを行っていない。正確には「できなかった」のである。相変らずエンジンは壊れまくった。
これは日産のせいだけでもなく、例年にまして「粗悪ガソリン」が供給されていたと言うこともあるのだが(これを露骨な「ターボ潰し」と見るむきもあった)。
この日の模様を日本のスポーツ紙は「日産は順調に推移し、2日目はアタックを行わなかった」と書いたところもあったが、もちろんこれは「大本営発表」。
金曜日の休息日、日産のエンジニアは徹夜でエンジンを組み直さなければならなくなったのである。
この様子をニスモの柿元はドライバーに見せ、「この有様だから2時間持てばいいんじゃないかな。明日は6800回転でいってくれないか」と伝えた。
ドライバー側は不満を漏らさずに「それならば4時間もたしてみせる」と積極的に応えたと言う。
一方のトヨタは対照的に順調。2台とも日産を上回るタイムをマーク(3.34.45、3.34.89)、国産勢トップを確保した。
しかもこのタイムにはまだ余裕があった。日産とは対照的トヨタは本気でシングル入賞を狙える位置にいたのである。
マツダもターボでない故、激しいアタックは行わなかったがこちらも順調に推移した。
「日本車クラス」トップ、それにシングル入賞目指し万全な体制で挑むトヨタ、マツダと、対照的に絶望的状態のまま挑む日産。
初めて日本のお茶の間でライブ観戦が可能となった1987年ルマン24時間、6月13日午後4時(日本時間午後11時)スタートを迎えた。
(以下次号)
- 422 名前:CarNo.774:05/06/01 09:04:58 ID:nxQ4Rwlb
- Z。
- 423 名前:CarNo.774:05/06/03 22:17:45 ID:EeMl2uJ0
- 乙
- 424 名前:CarNo.774:05/06/05 21:19:07 ID:/9e+CvT6
- そういえば,30日に東海大学ルマン号がお披露目になったな。
- 425 名前:CarNo.774:05/06/07 10:52:04 ID:uAzryTvp
- 日産編其の弐拾八
1987年と言う年は日本のモータスポーツ界にとってエポックメイキングと言える年であった。
中嶋悟が日本人初のF1フル参戦。10年ぶりの日本GP開催。そしてF1全戦とルマン24時間のテレビ中継開始…。
それまでの日本のレースファンはF1にしろルマンにしろ、数週間後に発行される雑誌のレポートを読みワクワクするしかなく、動く映像は年に1,2回のダイジェストのみ。
本来レースは「読む」ものでなく「見る」もの。この年日本のファンはようやく世界のレースを「見る」ことができるようになったのである。
この後日本はバブル景気に沸き、モータスポーツを支援する企業が相次ぎ空前のモータスポーツブーム(ルマン、F1、国内)を迎えることとなる。まさにこの年は日本の「モータスポーツメジャー化元年」だったのである。
日本初のルマン中継は、このような時期に開始された。中継するテレビ朝日では事前の煽りとしてニュースステーション等で車検・予選の模様を詳しく伝えるなどした。ぞれ以前から見れば夢のようなことだったと言えよう。
- 426 名前:CarNo.774:05/06/07 11:15:36 ID:uAzryTvp
- 6月13日午後10時59分、記念すべき日本初のルマン中継が開始された。
レース開始の1分前。ちょうどペースカーに先導された隊列がフォードシケインを通過するころである。
以降テレビ朝日のルマン中継は、フランスの選挙やW杯・ユーロサッカー等でスタートが1時間早まる年以外、この時刻の開始が定番となった。
午後11時(現地時間午後4時)、ついにスタート、と思われたが雨のためローリングラップをもう1周、11時5分ようやくスタート。
この時長谷見の#32日産がいきなりピットイン。またしてもトラブルかと思われたが、雨が止んだのを見越してタイヤ交換である。
レースは予想通りワークスポルシェとジャガーが先導する。しかしこの年のルマンの粗悪ガソリンは例年にもましてひどかったようで、ヨースト2台、高橋国光も加わるケンウッドクレマー、
そしてPPの#18ロスマンズと有力ポルシェ勢は1時間ももたずにリタイヤした。これを露骨な「ターボ潰し」と見るむきもあった。
以降ポルシェ勢は対策としてブーストを下げることに。ワークスポルシェは予選でクラッシュで1台失っており、以後1台でジャガー3台に立ち向かわなければならなくなった。
- 427 名前:CarNo.774:05/06/07 11:57:52 ID:uAzryTvp
- さて「日本車クラス」はどうなったか?
トヨタは#36が順調なペースで走行し、1時は5番手にまで浮上した。しかしその後エースドライバーのジョーンズがガス欠でコース上にストップの大失態。
わずか19周、1時間半で国産勢リタイヤ1号となってしまう。国産勢では一番期待が持て、シングル入賞も充分狙えた#36トヨタの意外な結末である。しかもつまらない理由で…。
同じころ#37トヨタもオーバーヒート、その後修復し復帰するも結局39周でリタイヤ。トヨタは夜を迎える前に全滅した。
マツダは日本人組#201がトップ10に浮上した直後の2時間過ぎでミスファイヤで消えたが、#202は3時間目に10位に浮上すると、常にトップ10以内をキープすることとなる。
さて日産勢である。どうせ始まればすぐ壊れる。そうすれば不眠不休から開放される。それが日産のメカニックの本音だったかもしれない。しかし日産勢は以外の健闘を見せる。
#29チームルマンのR86Vは予選でこそ出遅れたものの、レースが始まるとワークスを上回る展開を見せ、3時間目以降はトップ10以内をキープし、「日本車クラス」のトップを#202マツダと争うこととなる。
しかし7時間過ぎ、再度降り出した雨の路面にすくわれテルトルルージュでクラッシュ、リタイヤとなってしまった。マツダ#202が結局7位に入賞したことを考えれば、あるいはシングル入賞も狙えたかもしれなかったのだが…。
すぐに壊れると思われたV8のワークス勢も意外な健闘を見せる。#32長谷見組は序盤からトラブルの連続で低迷したが、#23星野組は安定したマイペースで周回を重ねる。
生粋のスプリンター星野がテレビのインタビューで「とにかく自分たちのペースで走る。他は関係ない。シフトチェンジもバスのようにダブルクラッチで行ってる。マシンを愛しいくらいに労わってる」と。
すぐに壊れるはずが、12時間目には8番手。国産勢トップである。リップサービスで言っただけのシングル入賞が現実味をおびてきた。
- 428 名前:CarNo.774:05/06/07 12:25:19 ID:uAzryTvp
- しかしドライバーが必死にもたせたVEJ30もついに終焉を迎える。朝を迎えた直後の14時間目、松本恵二ドライブ中に第6シリンダーがトラブル。
ピットイン後第6シリンダーのプラグを外し7気筒で走行するも振動がはげしくここでついにリタイヤを決断する。同じころ永くピットに止まってた#32もリタイヤを決断し、ここで87年日産のルマンは終った。
日本でのテレビ中継昼の部が始まったのはその直後だった…。
ルマンウィーク突入以来、徹夜の連続だた日産のメカニックもようやく休息の時が訪れた。
1台のワークスポルシェを3台で包囲したジャガーだったが、1台また1台と脱落し、結局このルマンではポルシェの牙城を崩すことはできなかった。
優勝は#17ロスマンズポルシェ。ポルシェは7連覇である。
徹夜で最後まで応援し続けたジャガーサポーターに、TWRのメカニックは前年と同じ「We will be back!」のメッセージボードを立てた。
日本車クラスは唯一残った#202マツダ757が7位完走。日本車初のヒトケタ入賞である。
- 429 名前:CarNo.774:05/06/07 12:25:50 ID:uAzryTvp
-
すぐ壊れるはずだったエンジンを14時間ももたせ、一時は本当にヒトケタ入賞が見えるところまで来た。
ドライバーもメカニックも満足感・充実感はあっただろう。しかし日産トータルで考えれば惨敗以外の何者でもない。
日産のルマンチャレンジは、全社一丸となって長期ビジョン戦うものでは決してなかった。ニスモの独自活動的感さえあった。
難波はルマン参戦を既成事実化し、そこで好成績を上げることにより本社の重い腰を上げさせ、全社一丸で戦う体制を作ろうと考えていたはずである。
そう言った意味ではこの年の惨敗は翌年以降のルマン参戦の休止・中止にまで発展しかねないとも思えた。
しかしこの考えはまったく別の方向に作用する。この年の惨敗が、日産本社により本気でルマンに取り組まなければいけないと考えさせる転換期になったのだから…。
(以下次号)
- 430 名前:CarNo.774:05/06/07 14:02:37 ID:D/bhyWmi
- おつかれさまです
そろそろ林センセイのご登場かな?
- 431 名前:CarNo.774:05/06/07 23:55:50 ID:CDe1D7Vu
- Z
神降臨間近!
6/13は東海大学内で神の車走行だとさ。12:40からだったかな。有給とるだな。
- 432 名前:CarNo.774:05/06/08 18:06:56 ID:18obFwfx
- XJR−15が走るのか…
- 433 名前:CarNo.774:05/06/13 01:09:58 ID:AQdR6m75
- 有給取る奴,結構いるみたいだな。俺はダメだったから写真うpきぼんぬ
- 434 名前:CarNo.774:05/06/17 19:55:06 ID:EHPu3t0b
- ここの住人は今年のル・マンにはもう興味ないですか?
- 435 名前:CarNo.774:05/06/17 21:26:19 ID:Yf1ft0HZ
- いよいよルマンですね。
日本のワークス出ない、地上波ないとないないづくしですが。毎年徹夜してたのになあ。
来年こそ!
- 436 名前:CarNo.774:05/06/19 06:05:35 ID:snyHjzpl
- 今年も柿本さんは偵察?に行ってるようですな
- 437 名前:CarNo.774:05/06/19 19:45:47 ID:Qu2qPpMc
- 勝てる体制で日産が出る頃には柿本も監督を下ろされている頃だろうよ。
- 438 名前:CarNo.774:05/06/19 20:17:59 ID:jusQXAQa
- 外国人が監督をやるってこと?
- 439 名前:CarNo.774:05/06/19 20:26:38 ID:Qu2qPpMc
- ハァ?
- 440 名前:CarNo.774:05/06/20 09:05:39 ID:2YwKjwhJ
- トム・ウォ(ry
- 441 名前:CarNo.774:05/06/20 19:42:21 ID:go5Z4i0a
- >>438
まぁマツダがそうだったように、総監督もしくは
ゼネラル・マネージャーやコンサルタントとして
欧州あたりの自動車レース業界の著名人を招聘するのは当たり前だべなw
(マツダはコンサルタントとしてジャッキー・イクスを招聘)
つうか日産も過去にそうしてるべw
- 442 名前:CarNo.774:05/06/21 12:23:23 ID:V+tWp1Zi
- 丸投げはやめてほしいね。
TMGはなんかトヨタの子会社だけど、トヨタがエンジン供給しメインスポンサーであるドイツのチーム、だからな。
言うなればトヨタがメインスポンサーのフィオレンティーナやバレンシアみたいな。
現場監督は外国人でもいいけど、TWRに丸投げみたいのはやめてほしい。
- 443 名前:CarNo.774:05/06/21 22:08:16 ID:iV/rWEPx
- でもヨーストあたりとタッグ組んだら鬼に金棒だぞ!
・・・・・・ドイツあたりの反対勢力が何か文句いったらダメっぽいけど・・・・・・
- 444 名前:CarNo.774:05/06/23 00:29:18 ID:jkid4uBD
- 日産編其の弐拾九
二年目のルマンは3台がすべてリタイヤ。日産の87年ルマンは惨敗と言って良い。
しかしこの惨敗こそが日産のルマンチャンレンジをより真剣なものに変えていくこととなる。
85年の久米社長体制になってから日産はモータスポーツへの取り組みを真剣に考え直していた。
公害問題も一息つき、世の中全体がクルマを文化と捕らえ、再びモータスポーツを楽しむ土壌が出来上がりつつあった。
一方で永くモータスポーツから離れた日産は、「技術の日産」のキャッチフレーズが過去のものとなりつつあることを感じていた。
企業イメージの高揚、並びに技術への挑戦と言う見地からモータスポーツへの取り組みは日産にとって真剣に向き合わなければならないものになりつつ
- 445 名前:CarNo.774:05/06/23 00:41:14 ID:jkid4uBD
- 組みは日産にとって真剣に向き合わなければならないものになりつつあった。
モータスポーツとの関わりの方向性を確立するため、日産自動車は荒川取締役広報担当を団長とする総勢約50名の視察団を海外に派遣した。
(今にして思えばバブル草創期の大名旅行と思えなくもないが…)
サファリ、インディ、モナコ、そして最後が日産自身の参戦するルマンだった。
そこでの惨敗が、逆に本社を含めた本気の体制で挑まなければならないと結果は残せないと決断させることとなった。
それまではあくまでニスモ主導で、本社が確固たる信念を持って参戦していたわけでは決してなかったのである。
- 446 名前:CarNo.774:05/06/23 00:42:07 ID:jkid4uBD
- 87年、モータスポーツとの関わりの方向性を確立するため、日産自動車は荒川取締役広報担当を団長とする総勢約50名の視察団を海外に派遣した。
(今にして思えばバブル草創期の大名旅行と思えなくもないが…)
サファリ、インディ、モナコ、そして最後が日産自身の参戦するルマンだった。
そこでの惨敗が、逆に本社を含めた本気の体制で挑まなければならないと結果は残せないと決断させることとなった。
それまではあくまでニスモ主導で、本社が確固たる信念を持って参戦していたわけでは決してなかったのである。
- 447 名前:CarNo.774:05/06/23 01:15:15 ID:jkid4uBD
- 日産がこの当時考えていたモータスポーツ(ルマン)の参戦体制は、日産が作ったエンジンをオーテックジャパンが開発し、ニスモが実戦に参加する、と言うものだった。
オーテックジャパンはスカイラインやR38シリーズの生みの親桜井眞一郎を社長に据えた、日産の特殊車両開発子会社で、86年に創立された。
モータスポーツエンジン・車両の開発もオーテックの仕事である。当初からVEJ30エンジンの開発を担当し、桜井は「今年(87年)はエンジンのみだが、来年以降は車体も開発する」と述べている。
オールドファンからすればR38シリーズの復活のようで胸を躍らせたはずである。
時期はルマン遠征と前後するが、87年5月に茅ヶ崎に新社屋が完成し披露式が行われた。そこのは既にCカーのモックアップも完成していたのである!
但し開発のオーテック、実戦参加のニスモの取り組みに比べ、本社は「作ったから後はよろしく」と言ってもおかしくない体制だったのも事実である。
VEJ30は間違いなく失敗作だったが、そう言ったモノしか作れない人員・予算だったのも否定しようがない。
日産本社もエンジン開発の体制の一新に迫られた。予算・人員も充分に確保し、本社の中央研究所を活用しなければならないと判断された。
そこで担当を任されたのが中央研究所の林義正である。「他人の作ったエンジンなど直せない」と当初は固辞した林だが、難波・柿元の熱意に根負けしたか担当に就くこととなった。
とは言え日産も大きな会社なので、ルマン惨敗の直後にレース専用部署を1ヶ月や2ヶ月ですぐに立ち上げるのは無理であった(専用部署は翌年1月1日付で設立。この件は後述)。
そこで林はまずVEJ30の改良から手をつけることとなる。しかしあまりに部品点数が多く設計の古いVEJ30の改良は、
あれもこれもと言ってる間に半ば新設計のエンジンを作らなければいけないこととなった。こうして生まれたのが88年シーズン用のVRH30エンジンである。
林は今あるVEJ30の改良する傍ら、翌年用新エンジンVRH30の開発も手がけることとなる。林のゼロから新設計のエンジンは翌々年にデビューすることになるが、
まだこの時点は林の頭の中にあるだけであった。
- 448 名前:CarNo.774:05/06/23 01:31:47 ID:jkid4uBD
- さて、ルマン後の最初の一戦が日産がホスト(SCCN主催)となる富士500マイルである。
日産はこれまで予選で必ずポールを狙ってきた。VG30デビュー後の国内耐久では12戦で6回PPを獲得している。
決勝で期待できない以上、せめて予選ではワークスチームとしては目立たなければいけないと言う考えもあっただろう。
しかしこのレースでは日産勢3台はアタックを行わず、予選中は決勝のセッティングに終始した。最上位は長谷見の7位。
翌決勝日はバケツをひっくり返したようなドシャ降り。雨ならばBSレイン+星野の組み合わせでおおいに期待できる。
ルマンからわずか1ヶ月後のレースで、エンジンの改良が充分に進んでるとは思えなかったが、雨ならば上位入賞もありえた。
エンジンの熟成と直接関係ないとは言え、ここで上位に入賞できればチームの沈滞ムードを吹き飛ばす効果はあっただろう。
しかしこの時期の日産は運にも見放されていたようで、星野車は前を走る周回遅れのRSクラスのマシンに直線で追突・クラッシュ、和田車はトラストポルシェに追突され、
長谷見車も1コーナーでスピン・ガードレールに激突と序盤で全滅してしまう。すべてクラッシュで。またしても日産勢は完走できなかった。
豪雨で短縮されたレースを制したのはベテラン高橋国光組のアドバンポルシェだった。
- 449 名前:CarNo.774:05/06/23 01:47:10 ID:jkid4uBD
- JSPC(=全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権、この年からこの名称になった)第4戦は8月の鈴鹿1000km。
11月のF1GPに向け、デグナーカーブが現在のような複合コーナーに改良された最初のレースである。
予選ではリースのトヨタ87Cが1:53,137でPPを獲得する。トヨタにとっては2回目のPPである。デグナーが改修されているので一概に比較できないが、
前年の大会より3秒ものUP。従来のCカーでのレコードをこの暑い時期にも関わらず1秒も上回る好タイムである。
2番手も童夢とトヨタがフロントロウを独占した。
日産勢は星野の3番手(1:55,496)を筆頭に4、5番手。しかし得意の予選でもトヨタの後塵を拝することとなった。
- 450 名前:CarNo.774:05/06/23 01:58:25 ID:jkid4uBD
- 翌決勝日は、前戦富士同様雨。
長谷見車は1周目からミッショントラブルでピットイン。
序盤はトップを行くリース・トヨタを星野が激しく追う。まるでF3000・GCのように。
しかし1回目のピットインでコレクタータンクの毀損から大きく遅れてしまう。
中盤まで和田組のR86Vも奮闘していたが、結局トラブルで低迷。
それでも星野組カルソニックはその後ふんばり、首位から14周遅れとは言え6位で完走。
R87Eは実戦5戦目にして初の完走・入賞である。和田組・長谷見組も最下位&ブービーながらなんとか完走。全車完走である。
しかし手放しでは喜べなかった。優勝はトヨタ。ポールtoウィンの横綱相撲である。
- 451 名前:CarNo.774:05/06/23 02:09:31 ID:jkid4uBD
- リースはこの優勝でJSPCのポイントリーダーに踊り出た。
日産は得意の予選でトヨタにポールを奪われ、決勝でも完走できたとは言えトヨタには完全に差を付けられた。
1ヶ月後のWECで掛値無しにトヨタを優勝候補に押す声が強まった。少なくとも王者ジャガーと互角に近いレースは期待できるだろう。
ルマンの前哨戦富士1000km同様、WECの前哨戦鈴鹿1000kmをトヨタは最高の結果で終えることとなった。
一方の日産はようやく完走ができたレベル。予選のppですら大きな期待はできそうにない雰囲気である。
またしても対照的な状態で、トヨタと日産はWECに挑むこととなった。
日産にとって5回目、ニスモになってからは3回目の第6回WEC−JAPAN。
意外なところから日産は大きな結果を残すこととなる。
(以下次号)
- 452 名前:CarNo.774:05/06/23 10:41:17 ID:1feyokUI
- 乙
VRH35はまだずっと先かぁ
- 453 名前:CarNo.774:05/06/23 19:23:20 ID:f8+OpOab
- 87年というと、鈴鹿でF1日本GP初開催した年ですなw
この年からモタスポファンが増えましたw
私の場合はこの次の年の88年の末あたりだったか?
- 454 名前:CarNo.774:05/06/24 00:57:04 ID:Resu9nTl
- 私は85年にニスモ結成、VG30デビュー、トヨタルマン参戦、
ホンダF1が勝ち始める、星野WEC制覇、グループA開始、ってことが要因でヲタになりますた。
まだヲタ、って言葉も無かったが…。
- 455 名前:訂正くん:05/06/28 00:51:16 ID:bXWBJuui
- >日産本社もエンジン開発の体制の一新に迫られた。予算・人員も充分に確保し、本社の中央研究所を活用しなければならないと判断された。
>そこで担当を任されたのが中央研究所の林義正である。「他人の作ったエンジンなど直せない」と当初は固辞した林だが、難波・柿元の熱意に根負けしたか担当に就くこととなった。
>とは言え日産も大きな会社なので、ルマン惨敗の直後にレース専用部署を1ヶ月や2ヶ月ですぐに立ち上げるのは無理であった(専用部署は翌年1月1日付で設立。この件は後述)。
>そこで林はまずVEJ30の改良から手をつけることとなる。しかしあまりに部品点数が多く設計の古いVEJ30の改良は、
>あれもこれもと言ってる間に半ば新設計のエンジンを作らなければいけないこととなった。こうして生まれたのが88年シーズン用のVRH30エンジンである。
↓訂正
日産本社もエンジン開発の体制の一新に迫られた。予算・人員も充分に確保し、本社のテクニカルセンターと中央研究所を活用しなければならないと判断された。
ルマンからわずか1ヶ月半後の8月1日付で、追浜の中央研究所内に動力機構研究所第4研究室(後のスポーツエンジン開発室)と言うレースエンジン開発部門を設立した。
そこで担当を任されたのが中央研究所の林義正である。「他人の作ったエンジンなど直せない」と当初は固辞した林だが、難波・柿元の熱意に根負けしたか担当に就くこととなった。
林はまずVEJ30の改良から手をつけることとなる。しかしあまりに部品点数が多く設計の古いVEJ30の改良は、
- 456 名前:CarNo.774:05/07/08 12:03:34 ID:Et/3VDfm
- 保守
- 457 名前:CarNo.774:05/07/10 15:54:58 ID:OICZLdpk
- 乙です
- 458 名前:CarNo.774:05/07/12 11:10:51 ID:EKgTsz78
- 日産編其の参拾
この年1987年のWSPC日本ラウンドは、富士の1000kmレースの翌週、西仙台ハイランドでスプリントレースを行うニ連戦になっていた。
「いた」と言うのは、西仙台ラウンドが急遽中止になり、結果的にニ連戦は実現しなかったからであるが…。
このレースまでの9戦で、ジャガーは7勝をあげ既にチャンピオンを決めていた。落とした2戦のうち1戦はルマンであるが…。
この王者ジャガーにトヨタが挑む。ひょっとしたら…、と言う期待を込めて。
一方の日産にそれを期待する人はほとんどいなかったであろう。熱狂的な日産ファンも含めて…。
- 459 名前:CarNo.774:05/07/12 11:28:00 ID:EKgTsz78
- この年のWEC−JAPANに来日したワークスチームはジャガーのみ。
ポルシェワークスはルマン以降活動を休止した。(シュパンのポルシェがロスマンズカラーで参戦)
ザウバーメルセデス(当時はまだワークス宣言していないが)は来日せず。
例年WECの予選は土日に1回ずつ行われていたが、この年は金曜は練習のみで、土曜に2回行われることとなった。
富士のコースはこのWECの直前のGC第3戦からAコーナーが設けられ、LAPタイムは4〜5秒落ちとなっていた。
午前中の予選は雨で各チームタイムを出せない。ドライになった午後の2回目、各チームタイムを出し始める。
とは言えワークスポルシェが来日せず、ジャガーもNAと言うこともあり欧州勢は積極的にPPを狙っていない。
一方のトヨタは積極的にアタックし、2戦連続、そして前年取りそびれた国産初のPPを目指す。リースが唯一の19秒台となる1.19.241をマーク。
童夢も1.20.065をマークし、トヨタのフロントロウ独占が見えてくる。
予選と言えば日産なのだが、今回は思ったほどタイムが伸びず20秒を切れない。
残り5分を切りトヨタの1−2が見えた時、意外な伏兵がトップタイムを奪う。和田のパーソンズ日産R86Vである。
- 460 名前:CarNo.774:05/07/12 11:40:21 ID:EKgTsz78
- 一気にピットが盛り上がる。直後タイムアップ。日産が国産初のPPをゲットした。
結果的に日産はWEC国産初優勝に続き、初PPをも獲得することとなった。
もちろん和田も日本人初のPPである。
今までチームルマンのR86Vは「3番目」扱いで目だった存在でなかった。しかし関係者から見れば
V8のR87EよりV6のR86Vの方がはるかに安定していることはわかっていたことだった。不運なトラブル等で結果に結びついていなかったが。
シーズン中から「V6のほうがV8より一発のパワーでは上回る」と言われていた。
ルマンのテストデーでもR86Vのほうが好タイムをマークしていた。
この年、アメリカのIMSAでは同じエンジンを使用するエレクトラモーティブのGTPが初優勝するなど徐々に熟成も進んできた。
このレースからチームルマンのマシンにもIMSAで使用されているアルミブロックの3.2gバージョンが投入されてきた。
日本では「主戦」を外れたVG30であるが、いよいよその本領を発揮しはじめたのである。
- 461 名前:訂正くん:05/07/12 11:42:16 ID:EKgTsz78
- >例年WECの予選は土日に1回ずつ行われていたが(誤)
⇒例年WECの予選は金土に1回ずつ行われていたが(正)
- 462 名前:CarNo.774:05/07/12 12:02:42 ID:EKgTsz78
- 一方で、V8の「ワークス」(今回のレースのみインパル、ハセミMSでなくニスモからのエントリー)勢は、
星野が1.20.459で7番手、長谷見が1.20.641で8番手と低迷した。
またしてもおいしいところを日産に奪われたトヨタではあったが、翌決勝こそ彼らが「主役」に上り詰める自信はあっただろう。
初めて国産勢がフロントロウを占めたWEC−JAPAN。9月27日、快晴の富士で決勝を迎える。
(以下次号)
- 463 名前:CarNo.774:05/07/12 19:57:42 ID:LFSfpZoB
- お疲れさまです!
このWEC-JAPANは放送があったんですか?
あいかわらず、8万人の観衆ですか?
- 464 名前:CarNo.774:05/07/13 01:37:21 ID:F7I9plM4
- WECは毎年TBS系で2時間半ほど中継。
前半録画、後半ナマ。
観衆は主催者発表で毎年8万人超え。プロ野球のような水増し実際は5万人くらいだったそうだ。
87年はF1開催の影響か主催者発表で8万人はじめてきった。
- 465 名前:CarNo.774:05/07/13 22:07:44 ID:6xovfbv/
- >>464
レスどうも!
- 466 名前:CarNo.774:05/07/17 11:41:30 ID:mFrwHtaj
- 乙
- 467 名前:CarNo.774:05/07/25 11:16:10 ID:AdzG1vSK
- 日産編其の参拾壱
PP後獲得後のインタビューで和田は「決勝はとにかく最後まで上位について行き、最後には笑えるようにしたい」と模範回答。
しかし実はチームルマンでは、決勝ではPPを獲得した3.2gアルミブロックのでなく、信頼性重視で従来の鉄ブロック3.0gで行くことを決めていた。
あまり大きく期待できる状況ではなかった。ただし折角のポール、テレビ的にも最初だけはトップで帰ってくるべく、ローリングスタートのコツをしっかり学んでいた。
9月27日快晴。予定より10分遅い10時40分、87年WEC−JAPANはスタートした。
スタートではPPの和田は首位を死守しストレートに戻ってくる。しかし2周目には早くもジャガーにかわされる。以降は安定走法での上位完走狙いに切り替える。残念ながらここがこの時点での日産の限界だった。
本来の「本命」であるV8は?
このレースからマンション販売の杉山商事がスポンサーに付き、「ニッサンR87Eスギヤマ」となり屋根が緑になった長谷見車は、わずか2周でドライブシャフト毀損でリタイヤ1号に。
(余談であるが、リタイヤ直後にスポンサーに原因を説明するハセミMSのメカニックの後方を、さっさと私服に着替え家路に向かう亜久里の姿がサラ今市女史に目撃されているw)
予選の不調をソフトタイヤでペースアップで返そうと狙った星野車も、予想以上に高くなった路面温度で早めのタイヤ交換を余儀なくされる。
- 468 名前:CarNo.774:05/07/25 11:25:38 ID:AdzG1vSK
- いいことなく推移する決勝での日産と対照的に、決勝で大活躍したのがトヨタである。
7周目にジャガーをストレートで抜きトップに踊り出ると、徐々にジャガーを放していく。
1回目のルーティーンピットインで、ジャガーとトヨタは燃費に大きく差が出た。このままではトヨタは完走できない。
しかしこの年のWECは大荒れで何度もペースカーが出動する。当然燃費には余裕ができる。このままジャガーとトヨタがつばぜり合いを続ければ…。
しかし100周目、トヨタは関谷がドライブ中に電気系トラブルで最終コーナー付近でストップ。以降はジャガーの1−2タンデム走行に終始した。
とは言え王者ジャガーと互角に首位争いをしたこの年のトヨタは間違いなくWECの主役だったと言えよう。
- 469 名前:CarNo.774:05/07/25 11:44:00 ID:AdzG1vSK
- 一方の日産は?
マイペース走法で上位完走、これが日産の目指せる精一杯だった。その思惑どおり10位前後を和田組のパーソンズR86Vは安定して走行する。
しかし82周目、周回遅れのC2マシンと接触、右フロントタイヤが脱落し3輪走行でピットへ。これで上位入賞の目はなくなった。他にはとくにトラブルも起きなかったため、なんとも悔やまれる接触である。
V8の星野車は、序盤タイヤ選定ミスで遅れるも徐々に安定したペースで上位を伺う。終盤には10位前後を狙える位置にまで浮上した。
しかしやはりと言うかエンジンがオーバーヒートを起こし長時間ストップ。上位完走はなくなった。
優勝はジャガーで1−2フィニッッシュ。スタートの遅れ、幾度かのペースカーインでレース終了が遅れ、この年の中継はプロ野球中継よろしくゴールシーン前に終る尻切れトンボとなる大失態となってしまった。
日産勢は、和田組が13位、星野組は16位で完走。トラブルが起きなければ7位くらいには入れただろう。逆に言えばその程度がこの時期の日産の限界だった。
レース終了後、翌週開催のはずだったWSPC西仙台スプリントが急遽中止になると発表された。
F1ホンダ快進撃&日本開催、WTC開催、3ワークスのルマン参戦など、この年87年は「モータスポーツメジャー化元年」と言われていた。
それに冷や水を浴びせる大スキャンダルとなてしまったと言えよう。
西仙台ラウンドが消えたことにより、最終戦となる次戦
- 470 名前:CarNo.774:05/07/25 11:49:20 ID:AdzG1vSK
- レース終了後、翌週開催のはずだったWSPC西仙台スプリントが急遽中止になると発表された。
F1ホンダ快進撃&日本開催、WTC開催、3ワークスのルマン参戦など、この年87年は「モータスポーツメジャー化元年」と言われていた。
それに冷や水を浴びせる大スキャンダルとなてしまったと言えよう。
西仙台ラウンドが消えたことにより、最終戦となる次戦 富士500kmの結果次第ではチャンピオンを狙える位置にトヨタはいた。
一方の日産は1年を通し1度もまともなレースを見せることなくシーズンを終えようとしている。
しかしトヨタ・日産が対照的な立場で迎えることとなった富士500km、しかしその結果も逆に対照的になることとなる。
そして日本レース史上に残る劇的な展開になることとなるのである。
(以下次号)
- 471 名前:CarNo.774:05/07/25 20:39:40 ID:eIgRNbyj
- 毎度おつかれさまです
- 472 名前:CarNo.774:05/07/25 23:33:09 ID:9juzlpmp
- 乙です!
- 473 名前:CarNo.774:05/07/26 01:14:13 ID:rRJi5lmR
- >>470
>>日本レース史上に残る劇的な展開になることとなるのである・・・
どうなるんだろ? ドキドキ、ワクワク・・・・
- 474 名前:CarNo.774:05/07/26 01:56:32 ID:OCPmd1JZ
- >>473
ネタバレはイクナイが、前のトヨタ編嫁ばだいたいわかるよ。
- 475 名前:CarNo.774:05/07/26 05:10:36 ID:rRJi5lmR
- 87年って個人的にモタスポファンになる1年前(厨3ですた)だったから、
この年のWSPC、いやそれ以前のWEC等の出来事って、
現在になって2ちゃんで勉強させてもらってますw
88年にAUTOSPORTの年間自動車レース総集編みたいなのを何だか面白そうだと思って買って、
そこでというかそれを何から何まで貪り読んだのがきっかけででWSPCを知った次第だったかw
そういえばこの年、同じ厨学の友達の兄貴が、
鈴鹿でF1の予選をしている同じ日に富士スピドウェイでマラソン大会してたとかw
とりとめのない話、スマソ・・・
- 476 名前:103:05/07/26 15:46:37 ID:w5UTycY1
-
http://www.kr4.net/extreme
7535
パス 8723
- 477 名前:CarNo.774:05/07/27 04:03:28 ID:eFJHyCsS
- >>476
ファイルが壊れていますって出ました・・・
折角DL出来たのに・・・ orz
- 478 名前:CarNo.774:05/07/27 20:16:40 ID:ZdrR/cq6
- >>476
どうもありがとうございます!
僕はちゃんとDLできて、観賞できましたよ!
パーソンズってむかしオニャンコ倶楽部が着てた奴ですよね?
- 479 名前:CarNo.774:05/07/27 23:24:34 ID:+ho9wEjh
- おニャン子クラブが着ていたのはセーラーズ。
- 480 名前:CarNo.774:05/07/28 20:19:06 ID:JtHhaKb/
- 乙です!
動画dlできますた。
関谷若い!
- 481 名前:CarNo.774:05/07/30 02:06:12 ID:FDc7SeXs
- ダウンロードできませんぞ。辛抱ですか?
- 482 名前:CarNo.774:05/08/08 21:48:48 ID:+2M66CmG
- JSPCが復活する動きがあるそうですね
- 483 名前:CarNo.774:05/08/09 11:32:14 ID:uaVv6jML
- >>482
マジですか?
- 484 名前:CarNo.774:05/08/09 15:34:13 ID:mDv/JrVB
- >>482
そうなると、ホンダはどうするんだろ?
いまスパGTのNSXを開発しているチームがプロとの開発もやるかな?
マツダ・ロータリーはいかに?
- 485 名前:CarNo.774:05/08/09 20:24:47 ID:mDv/JrVB
- 開発経費がかさむと、消滅の可能性もあるから、
あくまで市販者のエンジンを使って、そのほかの部分で調整とれるカタチで、
JSPC復活希望!
そのほか、どっか海外のメーカーも巻き込めないかなぁ・・・ アウディR8の改良版とかいいかも?
- 486 名前:CarNo.774:05/08/11 21:34:38 ID:RLuqDqVV
- >>485
>>アウディR8の改良版
R8なら、そりゃもう市販車(のエンジン)ではないぞ!
- 487 名前:CarNo.774:05/08/13 06:49:48 ID:IGrLdRhb
- 新JSPCです。全日本スポーツカー耐久選手権(仮称)来季スタート?
ttp://www1.as-web.jp/news/news_detail.php?c=9&nno=2604
富士1000kmと鈴鹿1000kmは外せない気しますけどねえ。鈴鹿1000kmはSGT入るそうですが。
日産の復活、童夢ホンダのSGTからの移行を期待と言うか見こんでるのでしょうか?
ルマン規定だそうですが、とりあえず旧規定のLMP900やハイブリッドマシンも特例で出場可となるんでしょうか?
期待したいと思います。
- 488 名前:CarNo.774:05/08/13 08:22:43 ID:6PtWRTz3
- >>487
富士は来年のスケジュールが決まってしまっているので、無理らしい
開催したい意向らしいですが
それよりもGTAに鈴鹿1000`を取られてしまいましたね、もうオートバックスで買い物しないぞ
- 489 名前:CarNo.774:05/08/13 10:59:27 ID:IGrLdRhb
- 日産編 其の参十弐
87年JSPC最終戦富士500kmを前に、チャンピオンの可能性を残していたのは、リース(トヨタ)、国光(アドバン)、関谷(トヨタ)、岡田(フロムA)の4名。
日産は蚊帳の外だった。
果たしてトヨタは国産Cカー初のシリーズチャンプを獲得することになるのか?
一方の日産は優勝どころか1度も表彰台に立てないままシーズンを終えるのか?
雨となった予選でPPを獲得したのは和田のパーソンズ日産R86V。2番手に2秒もの差をつけるダントツタイムである(1.41.075)。WECに続き2戦連続のPPとなった。
アルミブロックのVG30と共に、アドバンのレインタイヤが見事にはまったと言えよう。
2番手は伏兵LM06/トヨタ。「レインマイスター」中子とアドバンのレインタイヤの力だろう。
日産V8勢は4,5番手。チャンプを狙うトヨタ勢は9,10番手と出遅れた。
トヨタチームトムスは、前戦西仙台スプリントの中止のため、この最終戦には今までのダミーでなく、本当にミノルタカラーの87Cの2カーエントリーとなった。
リースと関谷が別のマシンに乗り、それぞれチャンプを狙う。
- 490 名前:CarNo.774:05/08/13 11:19:18 ID:IGrLdRhb
- 翌決勝日、肌寒い中スタートを迎える。
トヨタ勢には悪夢としか言い様のない決勝となる。#36がわずか3周、#37が7周でリタイヤ。
チャンピオンを目前に最悪の展開となってしまう。しかしアドバン、フロムAの動向次第ではまだチャンプの望みは残っていた。
(トヨタ勢では童夢も0周リタイヤ。これが今のところ童夢の国内最後のスポーツカー耐久レースとなっている…)
レースでまず飛び出したのはPPの和田。今回は前回予選のみだった3.2gアルミブロックを決勝でも使用。これが絶好調で序盤13周目までトップをキープする。
これを交わしてトップに浮上したのが#23日産R87Eの星野。最終戦にして初めて日産V8はLAPリーダーを記録する。
序盤はこの2台の日産とレイトン、フロムA,アドバン、日石トラスト、ロスマンズ(チームシュパン)の5台のポルシェがトップグループを形成し、激しい先陣争いとなる。
1回目のルーティンピットの後、レイトン、フロムAはトラブルで後退するが、高橋健二に変わった#23は56周目までトップをキープ、その次の周に#28R86Vのオロフソンがトップ浮上と、
2台の日産はポルシェ勢と互角に渡り合い、今季ベストレースと言ってよい展開となる。
- 491 名前:CarNo.774:05/08/13 11:49:45 ID:IGrLdRhb
- 2回目のルーティンを終えた後、#23は86周でエンジントラブルでリタイヤ。
#32の長谷見も調子が上がらず下位に低迷しており、結局派手に打ち上げられた日産VEJ30と言う花火は、
1度も表彰台に立てぬままシーズンを終えることとなった。
レーシ終盤、日石トラストとアドバンの首位争い、パーゾンズ日産とロスマンズの3位表彰台が激化する。
残り10周を切ってもテールtoノーズと耐久レースとは思えない展開に。
日産は最終戦にして初めて表彰台に立つのか?しかし最後まで奮闘したパーソンズだが、最後の最後にガス欠状態に。
日産Cカーがガソリンを使い切って完走したのは実はこれが初めてだったのだ!残り1周を残しフィニッシュラインで待機、
その横を歓喜の中アドバンポルシェがチェッカーを受けた。
アドバンポルシェ/国光の大逆転のシリーズ3連覇達成の瞬間である。
4位入賞となったパーソンズ日産はクーリングLAPのヘアピンでマシンを止めた。長谷見のR87Eは8位で完走した。
- 492 名前:CarNo.774:05/08/13 11:50:57 ID:IGrLdRhb
- 表彰台を逃がしたとは言え、
日産Cカーがドライコンディションで最後まで優勝争いに絡んだのは83年のCカーレース参入以来初めてのことであった。
当然ながらガス欠状態も初めての経験である。
そう言う意味では大健闘だったと言えるかもしれない。
しかしシーズントータルで見れば、結果的にチャンプを逃がしたとは言えトヨタは遥か前方に行ってしまったとも言えなくもない。
日産はシーズン終盤にはV6が奮闘したとは言え、
「本命」V8は最高位6位、のべ出走12回・完走4回。「大惨敗」と言ってよいシーズンだったろう。
日産は落ちるところまで落ちたと言って良かった。
しかしこのまま引き下がるつもりは無かった。翌88年、林義正の手による新エンジンで日産は逆襲を開始することとなるのである。
(以下次号)
- 493 名前:これも入れておこう。:05/08/13 11:55:52 ID:IGrLdRhb
- アドバンポルシェ/国光の大逆転のシリーズ3連覇達成の瞬間である。
大ベテランの国光をして「今日は絶対勝つんだと言う気持ちでレースに臨んだ。こんな燃えたレースは無かった。生涯ベストレースだった」
と言わしめる程、日本モータスポーツ史上に残る劇的なレースだったと言えよう。
4位入賞となったパーソンズ日産はクーリングLAPのヘアピンでマシンを止めた。長谷見のR87Eは8位で完走した。
- 494 名前:CarNo.774:05/08/13 13:57:07 ID:gjaXTLkw
- 毎度乙です!
- 495 名前:CarNo.774:05/08/13 20:37:00 ID:z476Fyil
- 本命のR87Eが大惨敗で、脇役のR86Vにも適わない・・・
この時代は苦悩の時期だったんですねw
- 496 名前:CarNo.774:05/08/13 20:55:15 ID:z476Fyil
- ちなみにこの次の年88年も苦悩が続いたようですね・・・
- 497 名前:CarNo.774:05/08/14 19:25:17 ID:SrprOMKG
- >>496
でも88年からはアメリカのIMSAでバンバン勝ちまくったんでw
といっても3時間までのレースに限ってだったけど(汗
セブリング12時間を制すのが89年から、
デイトナ24時間を制すのが92年でっせ!
- 498 名前:CarNo.774:05/08/14 20:31:01 ID:SrprOMKG
- >>487
>>全日本スポーツカー耐久選手権(仮称)来季スタート?
ル・マン参戦にほとんど障害ないよう、現行LMPとレギュ合わせるみたいだから、オープン・プロトかぁ?
なんかどうなのぉってかんじ?
- 499 名前:CarNo.774:05/08/15 13:12:22 ID:WytwpRbU
- 多分これはGroup.6からのなぞりなおしなんだよ>オープン
10年待たないうちにきっとGrupe.C相当のカテゴリーが訪れるはず
とお馬鹿な事を言ってみるテスツ
- 500 名前:CarNo.774:05/08/15 21:48:30 ID:AEY5e6rU
- >>499
トヨタ7復活でしゅか?
- 501 名前:CarNo.774:05/08/16 20:25:54 ID:m/zt+DFp
- >>498
参加車両規定はルマンと同じ。LMP1,LMP2、LMGT1、LMGT2。
LMPは現在クローズドでもオープンでも良くなってます。来季の童夢S102はクローズドらしいです。
来季本当に始まるのなら、恐らく03年規定のハンデ付&ハイブリッド(ルマンとLMESでは今年まで参加可)も参加可能になると思います。
そうすればLMESに参加できなくなったマシン(クラージュ、ペスカロロ、ザイテック等)を購入して参戦も可になりますし、逆に認めなきゃエントリーは集まりそうにありませんから。
童夢、チーム郷は参加期待できそうですが、やはりトヨタ、日産、ホンダの動向次第ですかねえ。
- 502 名前:CarNo.774:05/08/16 20:28:28 ID:m/zt+DFp
- >>496
結局1勝もできなかったとは言え、翌88年の日産は明らかに87年とは変わりました。
確かな進歩がありました。なんてたってDr.林本格稼動…
- 503 名前:CarNo.774:05/08/21 02:23:36 ID:xAC5mkKJ
- 日産編 其の参拾参
さて、88年シーズンに行く前に、86年同様87年のIMSA回顧も少々。
苦戦する「本国」を尻目に、ついにIMSA−GTPシリーズにおいてエレクトラモーティブの日産GTPは初優勝を記録したのである!
この年、エレクトラモーティブの日産GTP−ZXT(ローラT810)は、全16戦のシリーズのうち12戦に参加した。
前年同様、クラシック耐久イベント(デイトナ・セブリング)は欠場している。
この年初エントリーとなった3月の第2戦マイアミGPではポールtoウィンの完勝を遂げる。
「本国」のニスモでは、参戦1年目のWECで初優勝したっきり、1度も勝てないまま主戦から外れてしまったVG30だが、「生まれ故郷」IMSAでは参戦3年目にしてようやくの快挙となった。
- 504 名前:CarNo.774:05/08/21 02:41:00 ID:xAC5mkKJ
- 以降も鈴鹿実隆デザインのボディをまとい、(WECで和田をポールに導いた)アルミブロックVG30を搭載する日産GTP(ローラT810)は、
シーズン計5回もPPを獲得するなど俊足ぶりを発揮する。(この年のタイヤはBS)
だがこの年も決勝ではなかなか好結果に結び付かず、優勝は結局最初のマイアミGPのみとなってしまった。
しかしエレクトラモーティブ/日産チームの3年間の努力は、翌88年ついに大爆発することになる。
ローラ製から完全自製シャシーを使用することとなる88年シーズン、エレクトラモーティブ日産GTP&ジェフブラバムは、
WSPC制覇の勢いを駆り参戦するTWRジャガーらを向こうに回し、「IMSA史上最強」と言わしめるほどの快進撃を遂げることになるのだから…。
(以下次号)
- 505 名前:CarNo.774:05/08/22 11:55:30 ID:iuvsHTaW
- test
- 506 名前:CarNo.774:05/08/22 11:59:42 ID:iuvsHTaW
- 87年マイアミGPの日産GTP初優勝と言えば、当時土曜深夜にテレ朝でやっていた「スポーツUSA」で紹介されましたね。
MCは古館で、ニッカンスポーツの後藤さんもいました。
その後テレ朝がルマン中継することになったから、モータスポーツ情報も増えましたね。
古館から夏木ゆたかに変わって見なくなったけど。
- 507 名前:CarNo.774:05/08/22 17:57:35 ID:Yu/SDRnS
- 乙!
IMSAの映像はなかなか見つからないな
ルマンは探せばちらほら見つかるんだけど・・・
- 508 名前:CarNo.774:05/08/22 22:36:17 ID:DNpHuG88
- IMSAって日本テレビで深夜放送されてましたよね?88年89年ごろか?
清水ナントカとかいう解説者で?
- 509 名前:CarNo.774:05/08/22 22:39:34 ID:DNpHuG88
- IMSA史上最強はEagle+Toyotaの方では・・・
- 510 名前:CarNo.774:05/08/23 00:49:51 ID:/jJHMUPt
- >>508
87年ころの深夜に12ちゃんで「ESPNスポーツTV」ってのがあってIMSAもダイジェストやってましたね。
89年ころ深夜に日テレでクマ編解説で1時間くらいの録画中継やってたな。実家帰ればビデオ残ってるかも。
モーターランド2でもやること多かったね。IMSAが日本でも紹介されることが多くなったのはやはり88年からでしょうね。
>>509
なにをもって史上最強か、ってなるだろうけど、日産は4年連続チャンプ、トヨタは2年連続だけど、最後の1年は事実上レース
- 511 名前:CarNo.774:05/08/23 00:52:05 ID:/jJHMUPt
- 最後の1年(93年)はライバル撤退で事実上レースになってませんでしたからねえ。
- 512 名前:CarNo.774:05/08/25 00:35:34 ID:Cn6Fzlyf
- でもニッサンを破ったのは実質イーグル・トヨタだけでしょ?
だけといったら語弊があるかもしれんが・・・
- 513 名前:CarNo.774:05/08/26 15:12:21 ID:XQ+UtZSe
- 日産ヲタとしては四連覇の後の凄まじい廃れっぷりが悲しい
栄光から一転NPTI解散ってありえんorz
- 514 名前:CarNo.774:05/08/26 19:00:24 ID:auoBO+5T
- >>513
夏草や 兵どもが 夢のあと・・・
- 515 名前:CarNo.774:05/08/27 15:43:20 ID:y4ev/Twe
- 今やNPTIもNMEもないんだもんね。
気が付けば日産は日本一モータスポーツに消極的なメーカーになってしまった…。
- 516 名前:CarNo.774:05/08/28 00:14:33 ID:7aNhVCTQ
- NPTやNMEって事務所やファクトリーはどこにあったんですか?
カリフォルニア?イギリス?フランス?
- 517 名前:CarNo.774:05/08/28 17:40:49 ID:Tws/Gs6l
- NPTIはカリフォルニアだったと思うけど、自信ない。
NMEは英国のミルトンキーンズと言うところ。でもどこだそこ?
- 518 名前:CarNo.774:05/09/04 17:27:00 ID:Si/QhjPD
- エレクトラモーティヴの事務所やファクをNPTIが踏襲したんですか?
というと住所も一緒でつか?
代表者は?
- 519 名前:CarNo.774:05/09/04 17:29:13 ID:Si/QhjPD
- ニッサン・トヨタ最盛期の頃、IMSA日本開催の話は無かったんでしょうか?
富士で萌えwしたかった!?
- 520 名前:CarNo.774:05/09/04 19:55:04 ID:czMZTMaP
- エレクトラモーティブに米国日産が出資し、日産系チューナーから正式な米国日産ワークスになったのが89年。
代表者も変わらず。
ちなみにNMEの親会社は日産自動車でなくNISMO,
IMSA開催は、開催したところで日本でIMSA車両がマツダしかないから。WSPCにIMSA車両は出場可だが、逆は不可だった。
あとやろうにもFIAの横槍があったと思う。89年3月に富士でインディ(当時はCART)が開催されるのが内定してたが、FIAに潰された。
富士からWSPCが奪われたのは、このことに対する(CARTを開催しようとした富士への)いやがらせと言う説もある。
- 521 名前:CarNo.774:05/09/06 02:04:02 ID:6I90PM9Q
- >>520
ご存じだと思うが、R91CPがデイトナに出走してるが…(ルマンカークラス)
デイトナは特別に走れたの?
- 522 名前:CarNo.774:05/09/06 22:02:59 ID:uX0q9/TL
- >>521
1991年からCカーの出走も可能になった。ただしデイトナのみ。
91年にNPTIはGTPじゃなくCカーで参戦したが、GTPじゃないとシリーズポイント対象外。
これじゃイクナイと言うことで、92年NPTIはR90CKをIMSA規定に改造して参戦した(ニスモはCカー規定で参戦)。
- 523 名前:CarNo.774:05/09/07 10:36:27 ID:SIFRL5BG
- 日産編 其の参拾四
大惨敗に終った87年シーズンから巻き帰しをはかるべく、
日産はハード・ソフトとも大改革を行い88年シーズンを迎えることとなる。
まずはハード。耐久性、中低速トルク、レスポンス、軽量化、整備性、燃費、とにかくなにもいいところの無かったVEJ30の改良である。
87年の8月に作られた中央研究所の「動力機構研究所第四研究室」の林が改良を担当した。
燃焼室、バルブ挟み角、ロッカーアームを廃し直動式にと、あれもこれもと改良を重ねるうちにみんなやっちゃえとなり、
シリンダーブロック本体とクランクシャフト以外、ほとんど全面改良のエンジンとなってしまった。それだけVEJ30がひどい代物だったと言えるのだろう。
それでも林はサラリーマンらしく「VEJ30の本体が強くて良かったからこそ開発が楽だった」とコメントしていたが、本音は「こんなクソエンジンで勝負できるわけなかった」だろう。
(もっとも林もその後は本音でバンバン語るようになり、記者連中や読者を喜ばすことになるのだが…)。
- 524 名前:CarNo.774:05/09/07 11:15:18 ID:SIFRL5BG
- このエンジンの試作を作り出したのは87年10月ころ、火が入って回りだしたのが年末ギリギリ。間に合わなければ正月休みも返上のスケジュールだった。
正月明けからオーテックジャパンのベンチで回り出す。1000馬力以上のベンチは日産本社にないからである。
本音ではブロック・クランクシャフトも含めた全面改良エンジンを投入したかったのだろうが、前年8月からではあまりに時間が無さすぎた。一からの新設計エンジンは翌年への持ち越しとなった。
さてこのエンジンを載せるシャシーである。前年のマーチ87Gを日産独自に大改良し、半ば日産内製のシャシーとしてリニューアルされた。
重量配分を見直しタイヤの負担を減らすため、ホイールベースを130_延長した。
ボディもテクニカルセンターの大風洞を使用し、オーテックジャパンがデザイン・製作したニューカウルに変更した。
このカウルは日産の宇宙航空事業部の技術が導入されたCFRP製。当時の日産自動車はロケット開発にも参画しており、その噴射ノズルのカーボンの基礎技術を導入した。
その宇宙航空事業部もゴーン体制になってからIHIに売却されてしまったが…。
- 525 名前:CarNo.774:05/09/07 11:30:15 ID:SIFRL5BG
- (訂正)さてこのVRH30と命名された新エンジンを載せるシャシーである。前年のマーチ87Gを日産独自に大改良し、半ば日産内製のシャシーとしてリニューアルされた。
- 526 名前:CarNo.774:05/09/07 11:50:46 ID:SIFRL5BG
- このオーテックで組みたてられたニューシャシーは、「マーチ・日産」でなく、「日産R88C」として2月1日、富士スピードウェイでカーボンムキだしの黒いボディのままシェイクダウンを迎える。
(エントリーリストにも「日産R88C」と記載されるようになった。但しJAFのJSPCメイクス部門では「マーチ・日産」で記載されているが)
この後富士でテストを重ね、アリゾナの米国日産のテストコースでのテストも行う予定だった。しかしこの予定は思わぬ「天災」で大きく狂うことになっていくのだが…。
- 527 名前:CarNo.774:05/09/07 11:51:16 ID:SIFRL5BG
- さてハードの次はソフトである。この88年、日産/ニスモは初めて「フルワークス」としてシーズンに臨むこととなった。
前年まで、日産のグループC体制はホシノR、ハセミMSにマシンを貸し出しエントリーをすると言う形をとっていた。この形態は83年のCカー参戦から変わらず、
ニスモが設立された85年以降も継続された。できたばかりのニスモに独自にCカーをメンテナンスする力はまだ無かったからである。
ル・マンとWECはニスモからのエントリーになっていたが、これはあくまで名目で、実体はホシノR、ハセミMSで変わらなかった。
87年からホシノインパル車のメンテナンスはセルモとニスモの共同に近い形になってきた。
そして88年、エントリーもメンテナンスも2台ともニスモに一本化されることになった。長谷見も星野もヘルメット持ってサーキットに来れば良いと。
名実ともに日産グループCチームがフルワークス体制で参戦することになったのである。
ホシノRとハセミMSで独自にエントリーしていた時は、同じマシンながらタイヤはホシノRがBS、ハセミMSがDLと、それぞれ星野、長谷見の契約タイヤを使用していた。
しかしこの年からニスモでBS装着に一本化された。このほうがはるかに合理的なのは言うまでもない。タイヤメーカー優位の契約形態から、自動車メーカー優位への転換と言えるだろう。
- 528 名前:CarNo.774:05/09/07 12:31:02 ID:SIFRL5BG
- ニスモの海外戦略も着々進んだ。
欧州における前線基地および情報収集拠点として、英国のミルトンキーンズに「ニッサンモータスポーツヨーロッパ(NME)」を設立した。
代表は豪州ニッサンでグループA活動を行ってきたハワードマースデン。
このNMEから(WTCから格下げになった)ETCにR31スカイラインGTS−Rでワークス参戦することになった。ドライバーはアラン・グライスとウィン・パーシー。
ここが後にル・マン並びにWSPCフル参戦の活動拠点となるのである。
さてル・マン及びJSPCへの参戦体制である。
JSPCはニスモのR88Cが2台、星野/高橋健二組と長谷見/鈴木亜久里組と、組み合わせは前年と共通である。
V6搭載のR86V(プログラムにはR87Vと記載されたが前年と同じマーチ86G)もチームルマンからのエントリーで和田/オロフソン、タイヤはYHと変わらず。
シーズン序盤はむしろこちらのほうに期待が集まった。
- 529 名前:CarNo.774:05/09/07 12:32:04 ID:SIFRL5BG
- ル・マンにはワークスとしてニスモからR88Cが2台、前年参加したチームルマンも2台体制となり計4台で遠征することとなった。
ドライバーはニスモ2台は日本人組、外国人組に分けることとなり、日本人組は星野/和田/亜久里、外国人組がNMEのグライス/パーシー/未定、となった。
意外なことに長谷見がルマン参戦3年目にして初めて外れたのである。真相は不明だが、前年の遺恨、BSタイヤ装着のため(和田はグループAはホシノRのスカイラインをドライブ、タイヤはBS)、などの憶測が流れたが…。
その他のワークス活動は、グループAはニスモワークスとして前年同様リコーのスポンサードでR31スカイラインで参戦。ただしドライバーは亜久里/オロフソン、亜久里欧州遠征時は都平健二が助っ人を勤めることに。
(JTCはこの他ホシノRから和田/北野、ハセミMSから長谷見/健二、PMCS関根/都平が参戦。カルソニックスカイライン、リーボックスカイライン初登場の年である)
WRCはサファリのみS12シルビア(200SX)で参戦することに。
- 530 名前:CarNo.774:05/09/07 12:42:15 ID:SIFRL5BG
- 前年の大惨敗を教訓に、日産は全社一丸、グループ一丸、と言えるほどではないにしろ、より体制を強化しJSPC及びル・マンに挑むこととなる。
前年の悲惨な結果を見れば、いきなり改善されると考えることはあまりに楽観的すぎるかもしれない。
しかし難波をして「去年のようなハチャメチャな負け方はしませんよ」と言わしめるほど、確かな手応えは感じていたことだろう。
この手応えは決して的外れではなかったことは後に実証されることになる。
しかし88年シーズン開幕を前に高まって行ったニスモの意気込みも、シーズン前の「天災」でいきなり狂い出すことになるのだが…。
(以下次号)
- 531 名前:CarNo.774:05/09/09 00:47:33 ID:GdqUzvfd
- 乙です!
- 532 名前:CarNo.774:05/09/09 04:30:18 ID:65f60y0n
- 天災?天才?
- 533 名前:CarNo.774:05/09/12 21:20:28 ID:k+PzNd+9
- 天災です。雨降り雪降り、リクルート(は関係ない)。
- 534 名前:CarNo.774:05/09/16 14:54:16 ID:JNo6w0E2
- 88年というと、ソウルで鈴木大地が金取った年かぁw
亜久里がF3000で全日本制覇。
国際F3000もやてまそ。
中嶋はホンダの庇護でF1やってる感じがして応援する気になんなかったw
- 535 名前:CarNo.774:05/09/17 00:17:44 ID:8X/YuxBb
- 1988年
東京ドームオープン
ソウル五輪、鈴木大地、小谷美加子メダル獲得
カールルイスドーピングアウト
王監督解任
光GENJI大ブレーク
S13シルビアカーオブザイヤー
「夏の嵐」ブーム
リクルート事件
青函トンネル、本四架橋開通
- 536 名前:CarNo.774:05/09/20 21:04:11 ID:bfV5MLZs
- >>535
カールルイスじゃなくて、ベン・ジョンソンだろ!
んでもって、カールルイスが繰上げで金メダルになったんじゃん。
- 537 名前:CarNo.774:05/09/20 22:31:45 ID:E8l/pwbA
- >>536
そうだったスマソorz…
カレーライスって10回言います!
- 538 名前:CarNo.774:05/09/21 20:15:47 ID:7VG2TJCY
- >>535
そうそう、1988年といえば、
この年の秋口から昭和天皇が病気で命危なくなって、
日産セフィーロの井上陽水が出演したCMのフレーズ、
「みなさんお元気ですかーっ?」が相応しくないということで、オンエア打ち切りなんてのがありましたね。
でもって昭和天皇は翌89年1月に崩御、皇位が今生天皇へ遷り、年号は平成へ。
- 539 名前:CarNo.774:05/09/23 10:54:15 ID:NPuW+YgG
- 日産編 其の参拾五
シャシー&エンジン、そしてチーム体制を一新した88年日産チームの初戦は3月5/6日の富士500kmである。
前年まで富士500kmは11月に最終戦として開催されていたが、88年から3月の開幕戦に移った。
従来の開幕が4月の鈴鹿500kmだったから、1ヶ月も開幕が早まったのである。これが日産チームに少なからぬ影響を与えることとなった。
ニューマシン、R88Cは、2月1日に黒いカーボン剥き出し状態のまま富士でシェイクダウンを終えると、5日までにカラーリングを済ませ日産自動車のモータスポーツ発表会でお披露目された。
星野車#23はカルソニックがスポンサード。日本ラヂエータが、この年8月に当時流行のCIの一環で社名を「カルソニック」と改めるためこうなった。
以降「カルソニック」は日本モータスポーツ界に欠かせないブランドとなっていく。
もう1台の長谷見車#32は杉山商事がスポンサード。
カラーリングを終えたマシンはその後富士で再度テスト。この時フロントカウルはオーテック製の新カウルと、マーチ製の旧カウルを双方比較してテストした。
例年なら2月のこの時期にテスト開始となれば、充分に順調なことなのだが、この年は3月開幕。なにかあればテストのスケジュールが大きく狂うこととなる。
その「なにか」が実際に起きてしまった。
- 540 名前:CarNo.774:05/09/23 11:11:33 ID:NPuW+YgG
- 2月と言えば富士にはまだ雪が降る。日産が占有走行し最後の熟成をする予定だったはずの3日間、雪のためテストはキャンセルとなってしまったのである。
R88Cはシェイクダウンの次に、カラーリングを済ませもう1度テスト、これだけで本番レースに挑まなければならなくなってしまった。
日産陣営としては、デビューレース富士500kmをテストの場とするしかなくなったのである。
迎えた開幕戦。その前にちょっとした「変更」があった。#32長谷見車にスポンサードする予定だったマンション販売の杉山商事が不祥事で撤退。
以降この年は、#32はノースポンサーで日産トリコロールで走ることとなる。
「変更」と言えばもう一つ。オーテック製のニューカウルは結局使用されず、旧来のマーチのものに戻された。そのため前年のR87Eとの外観の違いは正面から見る限りなくなってしまたのだが…。
(余談だが、マーチのカウルも、直線的なノーズのタイプとしゃくりあがった形のタイプの2つある。コース、ドライバーの好みによって使い分けていた。
この2タイプをマーチ製とオーテック製と勘違いしてレポートを書いていた雑誌もあった)
- 541 名前:CarNo.774:05/09/23 11:28:29 ID:NPuW+YgG
- 3月5日の予選、ニスモワークスは予選もテストの場と考え、予選タイヤは使用するもの決勝用セッティングのままアタック。
#32が1:20,190 で8番手、#23が1:20,235で9番手と平凡なタイム。
一方、昨年のWECから3連続ポールを狙ったのは、チームルマンのV6搭載のR86V。
しかしWECのタイムを上回れず1:19,153 で3番手に留まった。
むしろ目だったのは3g全水冷の新エンジンを供給されたポルシェ勢の速さ。
フロムAの岡田秀樹が1:18,594をマーク。和田のWECのタイムを上回るコースレコードでPPを獲得した。
2番手も日石トラストポルシェのフーシェで1:18,740。ポルシェのニューエンジンのパワーをまざまざと見せ付けた。
トラストはこの年からRLRのマシンを投入している。
ポルシェが好調だったのは、ニューエンジンもさることながら、アンダーボディに関する新規定への対応がうまくいったこともあるだろう。
マーチ(R86V)はこれにうまく対応できなかった感もあり前年のタイムを上回れなかった。
- 542 名前:CarNo.774:05/09/23 11:55:31 ID:NPuW+YgG
- 翌決勝6日。
この日のレース結果がそうなるか、日産陣営ではすでに見えていた。燃費の関係で最後まで走りきれないと…。
実はその原因もわかっていた。フューエルインジェクターの位置が適切でなく、ガソリンの霧化がうまくいってないのだ。
そのインジェクターを適切な位置に移してやれば良い。しかしそのための時間は占有テストが潰れた時点でなくなっていたのである。
決勝レースは、3番手スタートの和田の#85がトップグループに加わり好走するが、4番手走行中の23周目に1コーナーでスピン、その後タイヤバーストを起こし、
これがサスペンションにまで影響が及び41周でリタイヤとなった。日産勢では一番期待のできたV6搭載車だったのだが…。
#32長谷見車も電気系トラブルで41周でリタイヤとなる。
一方、#23カルソニックはトップグループと遜色ないタイムで走行し、終盤ポルシェ勢とわたりあい4〜5番手を走る健闘を見せる。
しかし112周のレースの約8割強、95周を走った時点でピットイン。そのままリタイヤした。ガス欠である。
500kmレースは燃料総使用量は275g、リッター1.84kmを走らなければならないが、この日の日産は1.57kmしか走れなかった。
- 543 名前:CarNo.774:05/09/23 11:55:53 ID:NPuW+YgG
-
日産/ニスモはファクトリーチームとしては、まだまだ熟成不足であった。しかし「ワークス」であるが故に、次のレースまでには劇的に進化することは可能だ。
この年の日産/ニスモは1戦ごとにトライ&エラーを繰り返し、着実に進化して行くこととなる。
その「進化」は次戦の鈴鹿500kmで早くも実証されることとなる。
(以下次号)
- 544 名前:CarNo.774:05/09/23 20:28:19 ID:lgEOo3EB
- 乙です!
天災って雪だったんですな。
ここまでの話はどういった文献から借用されたんですか?
- 545 名前:CarNo.774:05/10/06 23:23:23 ID:HxwSGiJY
- あのころはモータスポーツ盛りあがってたなあ。
- 546 名前:CarNo.774:05/10/07 01:42:35 ID:61X95aJr
- 狂乱地価
- 547 名前:CarNo.774:05/10/08 10:36:13 ID:fQgiLXJh
- TEST
- 548 名前:CarNo.774:05/10/08 10:58:23 ID:fQgiLXJh
- 日産編 其の参拾六
デビュー戦を充分な状態で迎えることができず、不本意な結果に終った日産R88Cの2戦目は4月の鈴鹿500km。
例年ならこれが開幕戦だったのだが、開幕が1ヶ月早まったことが大きな影響を及ぼすこととなった。
開幕戦は不充分な状態のまま、ガス欠リタイヤとなったニスモチームだが、そこは「ワークス」チーム。
1ヶ月でも明かな進化を見せて2戦目を迎えた。インジェクター位置の変更で燃費は2割アップしていた。
これでレースを走りきる燃費は確保されたはずだが…?
予選は前戦同様、積極的なアタックを行わず、長谷見組が1.54.540で8位、星野組1.55.566で9位に留まった。
PPの日石トラスト(1.50.665)の4〜5秒落ちである。
V6の和田組はタイヤがマッチせず10番手。どうもマーチシャシーはアンダーボディの新規定への対応がうまくいってなかったようである。
- 549 名前:CarNo.774:05/10/08 11:12:23 ID:fQgiLXJh
- 翌決勝。
序盤からポルシェ勢とトヨタがレースを引っ張り、日産勢は中盤をキープする。
10周目に#32長谷見がピットイン。ブーストコントローラーのトラブル。コンピューターのロムを交換しピットアウトするも、
再びデグナーでストップ、ピットになんとか戻る。その後は順調に走行を重ねた。
#85和田も31周でリタイヤ。2戦連続の不本意な結果に終る。
さて、#23星野組カルソニックだが、トップ争いにはついて行けないもの、トラブルフリーで順調に走行を続ける。
結局燃費も問題なくノントラブルで走りきり、ポルシェ4台に次ぐ、1周遅れの5位でチェッカーを受けることとなる。
規定周回数違反(星野が2/3を超え走行)で1周減産のペナルティを受け6位となるが、
JSPC前半戦をルマンへのテストの場とわりきる日産にとっては大した意味は無かった。
日産V8エンジンがドライコンディションでトラブルフリーで完走したのはこれが初めて。
前回より明らかな進化を見せたと言えよう。長谷見組もトラブル克服後は順調に走行し完走し9位。2台揃っての完走となった。
- 550 名前:CarNo.774:05/10/08 11:24:00 ID:cpkeS8Nc
- ウルトーラのちちがいるー、ウルトーラのははがいるー、
そーして、タローがここーにーいるー!!
- 551 名前:CarNo.774:05/10/08 11:38:26 ID:fQgiLXJh
- 第3戦はGWの富士1000km。ルマン前最後のレースである。
この頃になるとJSPCの人気はうなぎ上り。
決勝日は快晴。富士のグランドスタンドは主催者発表で5万を超える観衆で満杯になった。
前年の同レースでは長谷見が日産V8エンジンに初PPをもたらしたのだが、今回も日産勢は予選はアタックせず。
長谷見組が8番手、星野組はインジェクタートラブルで13番手に低迷した。
和田組はまたしてもマシン不調で10番手。チームルマンは次のルマンからマーチのニューシャシーを投入する。
- 552 名前:CarNo.774:05/10/08 11:58:27 ID:fQgiLXJh
- 日産は今回のレース、ルマンへの予行練習と言うことで#23にはW・パーシー、
#32にはA・グライスが助っ人として加わった。
決勝。序盤はまたしてもポルシェとトヨタの先陣争いとなる。
一方日産勢はルマンを睨みマイペース。
前年のWECで優勝したジャガーが1分26秒平均でLAPしたと言うことで、トップと離れて26秒台キープのマイペース走行である。
(もっともそのジャガーのタイムも前年のWECはペースカーが何度も入るスローペースだったので実際はもっと速かった)
エンジンの改良は順調に進んだ日産R88Cだが、シャシーは未だ発展途上。
このレースでは左フロントのパッドが極端な減り方をするなど、ブレーキのトラブルに悩まされる。
また#32はグライス走行中にブレーキが抜け、#3STPトヨタと接触するアクシデントに見まわれる。
- 553 名前:CarNo.774:05/10/08 12:15:30 ID:fQgiLXJh
- マイナートラブルに見まわれ、また決してペース的にも速くはなかったが、2台の日産R88Cは7,8位で完走した。
和田組も9位と、ルマン前にとりあえず3台とも完走したのは上々な「テスト」だったと言えただろう。
日産R88Cのシャシーの問題点2つ。ダウンフォースの不足と、ブレーキの効きが悪いこと。
実はこれは日産R88Cがルマンを第一の目的に熟成を重ねてきたためである。
当時のユノディエールはシケインなしの6kmの直線。このコースに合わせ直線スピードを稼ぐため低ドラッグ・低ダウンフォース仕様とした。
ルマンに合わせてパッドを固くしたため、その分(国内レースでは)ブレーキを長く踏みヒートする―。
ルマンでは冷え過ぎるほどブレーキは冷えるのだ。
またルマン対策として、日産R88Cの車重は規定の最低重量(850kg)より100kgも重かった。
「ルマンのテストの場」として、日産チームは序盤のJSPCを割り切っていたのだ。
JSPCに合わせた対策はルマン後改めて検討されることとなる。
- 554 名前:CarNo.774:05/10/08 12:35:06 ID:fQgiLXJh
- 日産R88Cは、富士1000kmのあと、5月中旬に富士で2日テスト、栃木のテストコースで1日テストした後、英国に空輸され、その後ルマンへ運ばれた。
アリゾナでのテストは実現しなかったが、前年のようばドタバタとはならなかった。
3回目となる日産/ニスモのルマン。今回の目標は「4800km走行」と定められた。
それだけ走れば前年からの目標「ヒトケタ入賞」も現実味を帯びてくるが、
本音では順位はどうでも良かったはずである。
まずはプログラム通りきちっと完走する。
48,000kmと言えば約360周、1時間あたり15周がノルマとなる(前年の優勝車は354周だが、雨やペースカーランであまり参考にならない)。
- 555 名前:CarNo.774:05/10/08 12:35:48 ID:fQgiLXJh
- 日産首脳の頭の中では「テストは今年まで、来年からが勝負」と言う青写真があったはずである。
来年は勝負を狙えるマシン/エンジンを投入する予定が具体化していた。
日本人的には後先考えずトップグループに付いて行き、結果玉砕する戦法が好まれるだろう。
事実日本のメーカーはなぜそのような戦い方をせず、完走狙いしかできないのかと言うことを批判する評論家は多かった。
しかし当時の日本のCカーにはトップグループに付いて行くことさえ難しく、またチームのノウハウもまだまだ不足だった。
地味でもしっかりプログラムをこなす、それが日産/ニスモに課された本当のノルマだったと言えよう。
日産にとっては最後の「テスト」であると。これを突破しなければ次のステップへ進めない。
ジャガーvsワークスポルシェvsザウバーメルセデスの三つ巴で、空前の盛りあがりを見せた88年ルマン。
そことは大きく離れたところながら、日産も自分との戦いとなる、3回目の挑戦・88年ルマンを迎えた。
(以下次号)
- 556 名前:CarNo.774:05/10/08 20:38:34 ID:RhNPadrK
- 乙
まあお茶でも ( ´∀`)っ旦~~~
- 557 名前:CarNo.774:05/10/09 11:38:39 ID:B8HUelDv
- 復活してほしいね。あの興奮
(´∀`)
- 558 名前:CarNo.774:05/10/10 09:10:07 ID:1DM+bSaZ
- 小津です!
いやぁ、この頃からチョットずつはよくなって・・・まだこないか?
- 559 名前:CarNo.774:05/10/13 15:09:30 ID:nJ8s5Y2M
- 毎回楽しみにしています。
いよいよ88ルマンですね。
できれば「R88V伊太利亜カラー」も詳しく紹介してください、最後のmarch製Cカー(88G−01)です。
このルマンがデビュー、日本にもどってCABINカラーになるクルマです。
他の日産marchCカーと違ってルーフ後方左右にティアドロップ形状のホールがあります。
- 560 名前:CarNo.774:05/10/28 22:29:29 ID:ymPNNHhI
- JSPCも復活するようですね。
トヨタ・日産がワークス参戦してくれないかなあ。
- 561 名前:CarNo.774:05/10/31 20:33:48 ID:h6V/Ovrq
- >>560
ソースは???
- 562 名前:CarNo.774:05/11/02 13:46:55 ID:FnPNbbx0
- ttp://www.twinring.jp/race/sportscar/
これのことでしょ。
- 563 名前:CarNo.774:05/11/02 21:27:31 ID:p6gVDkYR
- JSPCの復活という言葉はやめろよ!
- 564 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :05/11/04 09:53:38 ID:5gG2FB95
- おや。鈴鹿や十勝ではやらんのか。
- 565 名前:CarNo.774:05/11/04 21:11:04 ID:tRdcGcDx
- やっぱクローズドだろ?
オープンなら日本車メーカーかかわらないで欲しい_!
- 566 名前:CarNo.774:05/11/09 10:12:57 ID:G9eZcp9m
- ファンですらこれだ。1年で無くなるシリーズだな。
- 567 名前:CarNo.774:05/11/28 22:37:49 ID:wW6uUk8B
- やむなき理由で連載中断してました。
やむなき理由は最悪の結果で決着が付きましたので、近々88年ルマンから連載再開させていただきます。
- 568 名前:CarNo.774:05/11/29 14:26:41 ID:4ggj4h4A
- お帰り!
期待してます。
ところでレーシングオンで
日産Cカーストーリーが連載開始ですよ。
今回はシルエットの復活。次号が全日本耐久参戦みたい。
- 569 名前:CarNo.774:05/12/04 16:04:58 ID:J3xNQsuH
- ガンガレ
- 570 名前:CarNo.774:05/12/08 11:01:18 ID:j+J2rUlL
- test
- 571 名前:CarNo.774:05/12/08 11:14:54 ID:j+J2rUlL
- 日産編 其の参拾七
日産にとって3回目のチャレンジとなる88年ルマン24時間。
しかし人々の間ではジャガーvsワークスポルシェのルマン史上に残る激戦の年として記憶されていることだろう。
「ワークス復活」宣言したメルセデスを含めた3大ワークスの決戦で事前から最高の盛りあがりを見せ、中継するテレビ朝日も事前に特番を組んだほど。
この年のWSPCでは前戦までジャガー3勝、メルセデス1勝、これにルマン7連覇のポルシェが前年のルマン以来1年ぶりのワークス参戦する。
まさに史上空前の盛りあがりだった。
さてこの盛りあがりとは別の所で、「日本車クラス」の戦いも行われる。過去最大の9台の日本車、16人の日本人が参戦した。
トヨタはTTTから88C2台、マツダはマツダスピードから初の3カーエントリー。4ローターの767が2台、3ローターの757が1台。
- 572 名前:CarNo.774:05/12/08 11:30:09 ID:j+J2rUlL
- 日産は日本勢最大の4台体制。
ワークスとしてニスモからR88Cの2台参戦。#23が星野/和田/亜久里、#32がNMEでETCを戦うグライス/パーシーにワイルズを加えたトリオ。
ニスモはこの年初めて単独のフルワークスとしてルマンに挑むこととなった。
2年目となるチームルマンは、従来のR86V(マーチ86G)に加え、新車となるR88V(マーチ88G)の2カーエントリー。
マーチの88年型スポーツカーはこの1台しか作られず、結果的にチームルマン用のワンオフモデルとなった。
ドライバーは#85のR86Vがオンガイス/トロレに鈴木利男、利男は初の日産Cカーでのルマン参戦、#86のR88Vがオロフソン/レオーニ/森本晃生。
スポンサーはどちらも伊太利屋がついた。#85は国内と同じ赤のカラーリングだが、新車#86はピンクの伊太利屋カラーに彩られた。
- 573 名前:CarNo.774:05/12/08 11:58:08 ID:j+J2rUlL
- 予選は路面が改修されたこともあり、タイムは大幅UPした。
PPはワークスポルシェ#17の3:15:64で前年のタイムを実に6秒も更新した。
一方で33年ぶり「ワークス復活」となるはずだったメルセデスはミシュランタイヤの原因不明のバーストで撤退を決意。
ポルシェ・ジャガー・メルセデスの3大ワークス対決はこの年の富士までお預けとなってしまった。
ミシュランのレース直前撤退劇はこの17年後のF1アメリカGPでも再現されることなるのだが…。
日本勢ではトヨタが好調で、3:25:39、3:26:57で8番手、10番手のグリッドを獲得した。
日産勢は積極的なアタックを行わず、本番用セットで#23星野が3:29:44で15番手、
#32パーシーが3:34:66で23番手に留まる。
ワークス勢よりは積極的にアタックしたいと考えていた、3.2gV6を積むチームルマン勢だが、
予選中に#85がオイルシール毀損、#86がコンロッドメタル毀損とトラブルに見まわれ不調。
結局#86が3:31:14で19番手、#85が3:35:86で25番手に留まった。
- 574 名前:CarNo.774:05/12/08 12:01:04 ID:j+J2rUlL
-
日産のこの年の目標は4800km走破。約360周である。トップの優勝争いとは別の所でまさに「自分との戦い」に挑もうとしていた。
このプログラムを遂行することが、翌年以降優勝争いに加わるための関門と言えた。
1988年6月11日現時間午後3時、ルマン史上に残る激戦、そして日産/ニスモの自分との「孤独の戦い」がスタートした。
(以下次号)
- 575 名前:CarNo.774:05/12/09 00:26:01 ID:HWJ+XdyW
- 乙です!
- 576 名前:CarNo.774:05/12/10 21:58:18 ID:8wzAz18K
- http://www.motorsport.com/photos/select.asp?S=LEMANS&Y=1988&D=&N=&E=24_Hours_of_Le_Mans/Saturday_race#
- 577 名前:CarNo.774:05/12/28 17:49:16 ID:vuGPsUnQ
- レーシンゴン、今月は日産Cカー特集83年。
この列伝も今夜更新予定。88年ルマン決勝。
- 578 名前:CarNo.774:05/12/29 01:23:48 ID:ojRbKWaO
- test
- 579 名前:CarNo.774:05/12/29 01:33:43 ID:ojRbKWaO
- 日産編 其の参拾八
1988年のルマン。この年はスタートが例年より1時間早く午後3時(日本時間午後10時)。
前年は最初から日本ではナマ中継だったが、日本時間10時59分にフォーメーション中の隊列がフォードシケインの辺りでいきなり中継が始まる慌ただしさだった。
しかしこの年は序盤は録画、その後ナマに移行と言う方式だった。
そのため視聴者は録画になった分、フォーメーションラップが最初から見られることになった。
日本のファンに日産R88Vを目にしたのは恐らくこの時が初めてだっただろう。その他の日本車はJSPCでお馴染みのマシンだが。
- 580 名前:CarNo.774:05/12/29 01:48:30 ID:ojRbKWaO
- スタートと同時に3台のワークスポルシェと5台のジャガーの「24時間スプリントレース」が始まった。
ルマンは新しい時代を迎えた。マイペースで完走したものが勝つのではなく、24時間に渡り闘い抜きもっとも過酷な走りに耐えたマシンが勝つと。
オープニングラップこそワークスポルシェ、ジャガーのトップ集団に混じりダンロップブリッジを下ったトヨタだったが、その後は「マイペース」に徹した。
残念ながら当時の日本のCカーにポルシェ・ジャガーの「24時間スプリント」に加わる力はなかった。トップと別個の「日本車クラス」を戦わなければいけない。
- 581 名前:CarNo.774:05/12/29 02:18:24 ID:ojRbKWaO
- トップ集団と15〜20秒落ちのタイムで「日本車クラス」のレースも推移した。
4時間目の時点でトップから5周遅れの20位前後に日本勢は固まっていた。
日産勢は#32とV6の#85、#86は順調に走行を続けたものの、ワークスの#23星野組はコレクタータンクにクラックが入りエア漏れを起こす。
この交換に時間を取られ4時間目にはトップから18周遅れの42番手にまで後退してしまう。この後は#32を上回るペースで追い上げることになるだけになんとももったいないトラブルであった。
ワークスを上回るペースで周回していたV6勢だが、5時間過ぎに両車ともエンジントラブルでリタイヤ。9台の日本車勢リタイヤ1号、2号となる。どちらも74周。
トラブルフリーで周回を重ねた#32は、トヨタ#36、2台のマツダ767との4台で、14時間目まで「日本車クラス」のトップを争っていた。
しかしレギュラードライバーではない、NMEのグライス/パーシー/ワイルズはシフトチェンジに難があった。14時間過ぎにミッショントラブル。ミッション交換を余儀なくされる。
交換されたギアを見た星野は「こんなシフトチェンジしてたんじゃもたないよ」とあきれてしまった。
これで外人組#32は日本車クラスのトップ争いから脱落しただけでなく、序盤大きく遅れた星野組#23にも先行されることになった。ヒトケタ入賞も絶望的である。
- 582 名前:CarNo.774:05/12/29 02:56:39 ID:ojRbKWaO
- マツダの2台の767も16時間過ぎにそろってトラブル。エグゾーストマニホールドにクラックが入り、また補記類を動かすコックドベルトも損傷。
両パーツの交換はアンダーパネルを外す必要があり、それぞれ1時間47分、3時間5分のロス。これでマツダルマン初登場4ローターの1ケタ入賞も消えた(しかしこの3年後に最高の結果を生み出すことになる。その第一歩だった)。
この時の整備性の悪さは翌年以降きちんと改善され、767Bから後方排気から側方排気の変更された。
終盤まで2台揃って14,15番手を走っていた日産R88C勢だが、21時間目、#23の排気バルブが割れ万事休す。日本のワークス勢では唯一のリタイヤとなった。
レースは最後の最後までワークスポルシェとジャガーの激しい戦いが続き、394周走って同一周回と言う僅差でジャガーが31年ぶりに優勝を飾った。まさにルマン史上に残る名勝負だったと言えよう。
ジャガーサポーターもサルテ中に響く「God save the Queen」で、トムとジャガーを称えた。サッカーW杯がまだそれほど浸透していない日本人にさえ新鮮な感動を呼んだはずである。
- 583 名前:CarNo.774:05/12/29 02:57:27 ID:ojRbKWaO
-
「日本車クラス」はそこから43周も大きく離れたところで、ノントラブルで走り切った#ミノルタトヨタ88Cが制した。一桁には届かず12位である。トヨタは日本車勢では予選とは一転して一番遅いペースでの我慢のレースであった。
しかしこれだけ離されても燃費はギリギリ、日本のCカーはまだまだやるべきことが山ほどあったのである。
さて日産勢は?唯一生き残った#32はその後はノントラブルで完走、344周走って14位。4,656km。チェッカーは亜久里にドライブさせ物議をかもした。
結果だけ見れば決して満足できるものではない。目標にしていた4,800km走行も、ヒトケタ入賞も達成できなかったのだから。
しかし344周と286周の走行は最高の「テスト」となったはずだ。ルマンは1年に1度、レース時にしか「テスト」できないところなのだから…。
「テストはこの年まで。来年から勝負に出る」日産首脳のこの言葉は決して強がりでなかったことは、翌年、このルマンで証明されることになる。
そのためのアクションは、実はこのルマンでレースの前に始まっていた。
(以下次号)
- 584 名前:CarNo.774:05/12/29 10:40:13 ID:ZZisbnoX
- 乙です!
- 585 名前:CarNo.774:05/12/30 08:49:32 ID:K8muFItZ
- お疲れです!
動画ある方はどうかUpしてください!!
- 586 名前:CarNo.774:06/01/04 13:38:50 ID:jLPNErL1
- 動画くだされぇぇぇぇ♪
- 587 名前:CarNo.774:06/01/05 13:26:14 ID:Nk0JH6LA
- http://ja.wikipedia.org/wiki/VRH35
VRH35の説明作ってきました。
こんな感じでしょうか?
- 588 名前:CarNo.774:06/01/07 01:07:15 ID:ODsJwX7z
- ウィキペディアの編集の仕方しらないけど、素人がまとめてるの?
機会あったら日産Cカー関連まとめたいな。
- 589 名前:CarNo.774:06/01/07 02:36:54 ID:sHVtGAMM
- >>588
wikiはみんなが書ける辞書なんでホボ素人かと
- 590 名前:CarNo.774:06/01/07 09:59:13 ID:ssha8U8a
- >>587
NPTIのR90CK IMSA-GTP仕様って3リッターじゃなかったっけ
- 591 名前:CarNo.774:06/01/07 11:20:02 ID:VrtfCXSe
- >590
そのはず。
- 592 名前:CarNo.774:06/01/07 11:34:18 ID:ODsJwX7z
- 日産編 其の参拾九
88年のルマンで、目標とした4,800km走破・一桁入賞は実現できなかったもの、それなりの充実感を日産/ニスモは感じたことだろう。
そもそもR88Cは勝負を挑めるマシンではなかったし、この年は決められたペースで走り切るのが目標の「テスト」の年。
#32はミッショントラブルで1時間を失いながらも後は順調に完走。#23はコレクタータンクのトラブルで1時間失い、残り3時間で息絶えたが、それ以外は決められたペースで走り切り充分「テスト」はこなせた。
初めてニスモ単独で臨んだチームは貴重な経験を積んだはずだ。
次の年に向けて日産が必要なもの。それは言うまでもなくジャガー、ポルシェ、ザウバーメルセデスと互角に渡り合える「ハード」(マシン)の開発である。
ルマンの時期とは前後するが、89年ルマンに向けて日産は本気でルマン制覇を狙えるマシンの開発プログラムに着手していたのである。
- 593 名前:CarNo.774:06/01/07 11:48:02 ID:ODsJwX7z
- そもそもR88Cは「間に合わせ」でしかないマシンだった。
87年ルマンの惨敗から社内の体制を一新し、とりあえず「まともに走れる状態に組み上げた」と言う感のあるマシンだ。
「駄作」VEJ30を中央研究所の林が大幅に手を加えVRH30とし、マーチの87年シャシーに独自の手を入れ自製カウルを被せR88Cとした。
前年のR87Eよりはるかにまともに走るようになったが、ゼロから開発したマシンではない。勝負云々言える代物ではなかった、
元が87年マーチのため、アンダーボディが旧規定で作られており、88年からの新規定の合わせ改良してあるとは言えダウンフォース優先のオールドファッションスタイルである。
車重もルマン車検時は規定の850kgより80kgも思い約930kgもあった。
- 594 名前:CarNo.774:06/01/07 12:00:24 ID:ODsJwX7z
- 当然日産も早いうちから翌89年に向けて動いていた。「改良」でなく、ゼロから林が設計するエンジンの開発も並行して進んでいた。
シャシーもマーチの「改良」でないブランニューの開発に迫られていた。
当初、日産として「半自製」としたR88Cの次期マシンは、内製シャシーで臨みたい考えがあった。実際オーテックジャパンでもクレイモデルを製作していた。
しかしこの頃、Cカーは大きな技術革新を向かえている時期だった。カーボンファイバーモノコックの採用である。
ポルシェ初のモノコックボディのレーシングマシンとして登場したのがポルシェ956。以降これがグループCの標準となる。ただしアルミモノコックである。
F1では80年代半ばからアルミから軽量・高剛性のカーボンへとモノコックの材質も変わっていった。
Cカーで初めてカーボンモノコックを採用したのは85年のTWRジャガー。同時期にC2のアルバも採用した。
しかしCカーの最強マシン、ポルシェ956/962Cは一部ユーザーがアルミハニカムモノコックを自製するものの、カーボンモノコックは採用せず、
ジャガー以降カーボンモノコックボディのCカーはなかなか誕生しなかった。
- 595 名前:CarNo.774:06/01/07 12:18:29 ID:ODsJwX7z
- しかし88年ころになると、一般ユーザー向けにローラ、レイナードが販売するF3000マシンもカーボンモノコックを採用するようになる。
Cカーでも童夢と組んでトヨタがTRDで自製するブランニューマシン88C―Vがカーボンモノコックとなった。Cカーでもカーボンモノコックが主流になるであろうことは明白だった。
こうした状況の中、日産はいきなりカーボンモノコックのCカーを自製する方法を取らず、新たにコンストラクラターとパートナーシップを結びニューマシンを開発することを決めた。
88年の初めである。以降ニスモの柿元は新たなパートナー探しに奔走する。
候補にあがったのがエレクトラモーティブ、ウィリアムズ、ベネトン、アローズ、ローラ、マーチ、そしてTWRジャガーをデザインしたトニーサウスゲート。
このうちF1チームはF1以外の仕事に関わる余裕がなく早いうちから候補から消えた。アメリカIMSAを戦うエレクトラモーティブも当時の規模では自らのレース以外のマシンを開発する余裕はなかった。
トニーサウスゲートとはかなりの進展があったが、口を出すなと言うトニーと、口を出したいと言う柿元の話がまとまらず流れた。トニーはこの8年後に日産とR390を開発することになるのだが…。
- 596 名前:CarNo.774:06/01/07 12:26:14 ID:ODsJwX7z
- 残ったのは結局マーチとローラ。まさに「振り出しに戻る」である。
ここで柿元が選択したのはローラ。マーチでは結局同じマシンとなり流れが変わらないからと。
ローラの使うCADシステムが、日産のそれと同じタイプのものであったと言う点も決め手であったようである。
ルマン予選中の6月8日、日産のテント内でローラのエリックブロードレーと林で打ち合わせを行う。
ここでブロードレーが伝えたのがストレスマウント方式の採用である。ストレスマウントとはエンジンをシャシーの構造材の一部として使うもので、
フォーミューラーカーでは普通に採用されていたが、Cカーでは採用している例は無かった。
当初難色を示した林だが、最後は折れ、ローラが製作する日産のCカーはストレスマウント方式が採用されることとなった。
話が済むと、ブロードレーはレースを見ずにイギリスへ帰ってしまった。
- 597 名前:CarNo.774:06/01/07 12:35:23 ID:ODsJwX7z
- ローラが製作するとは言え、基本コンセプトは日産が決めることとなるこのマシンは
「ローラ/日産」でなく「日産」と呼ばれることになる。JSPCのメイクスポイントも「日産」と表記されるようになる。
林設計のニューエンジンと、ローラ製作のカーボンモノコックニューシャシー。
88年ルマンを戦う前に89年ルマンを戦う日産Cカーの概要は固まった。
そしてこのニューマシンはCカーに革命を起こすと言って過言でない革新的なマシンとなる。
さて、「オールドタイプ」となってしまったR88Cだが、ルマン後のJSPCでは大幅に進化することとなる。
ルマンへのテストに徹していた前半戦から、一転して「変わった日産」を表現する存在となる。
その場面はルマンから帰国後初のJSPC、第4戦JAF−GP富士500マイル…。
(以下次号)
- 598 名前:CarNo.774:06/01/07 12:37:25 ID:ssha8U8a
- 乙です!
- 599 名前:CarNo.774:06/01/08 00:31:00 ID:XGxUUrna
- 乙です、ほんと。ワクワクですよ。
ここいらから自分がこの目で富士で、そしてそれ以外はテレ東で見ていた
あの輝ける国産JSPCの時代だ!
- 600 名前:CarNo.774:06/01/08 01:02:00 ID:rcHvHMh/
- >>587
プロフェッサー林の書籍に「V10はロングディスタンスには向かない」
との記述があったのを思い出した。
プジョー905がかなり速いペースで24時間を走りきったのも思い出した。
- 601 名前:CarNo.774:06/01/15 13:06:12 ID:O4zmAGhT
- test
- 602 名前:CarNo.774:06/01/15 13:19:44 ID:O4zmAGhT
- 日産編其の四拾
ルマンから帰国し最初のレースは1ヶ月後の7月23,24日の富士500マイル。
このレースのは「JAF−GP」のタイトルが懸けられた。
と言っても「グランプリ」と言う名前がついただけで、実際は何も変わらないのだが…。
ルマン前のJSPCの3レース、これは日産R88Cにとって完全にルマン向けての「テスト」の場で、勝負は度外視だった。
そしてルマンは翌89年ルマンへ向けての「テスト」だった。
この富士500マイルが、日産R88Cにとって初めて迎える「レース」と言って良かったとう。
ブラケットを外したり、パーツの材質変更で車重も20`ほど軽減。エンジンも「スプリント」用の新スペックを導入した。
2台のR88Cは「国内用」の#23星野/健二、#32長谷見/亜久里の組み合わせに戻り、チームルマンはこのレースからR88V(マーチ88G)にマシンをチェンジした。
- 603 名前:CarNo.774:06/01/15 13:38:58 ID:O4zmAGhT
- 練習日にレイトンハウスポルシェのニッセンがクラッシュし、その対応のため予選1回目は中止になり1回のみで行われることに。
その予選でPPを取ったのが#32長谷見。タイムは1.19.179。日産はこの年初めて本格的なアタックをした。
#23はセッティングが合わず、また予選中のイエローラインカットでタイム抹消、13番手に留まった。
翌決勝。スタンドは主催者発表で5万5千人の大観衆で埋まった。ルマンからの凱旋レース、そしてトヨタ88C―Vのデビューレースと言うことで大きな注目を集めた。
(「グランプリ」のタイトルはあまり関係なかっただろうが)
スタートで飛び出したのは亜久里がスタートを努めた#32日産R88C。それを追ったのがデビューレースの#36トヨタ88C−V。
予選は積極的なアタックを行わず7番手に留まったが、決勝ではデビューレースとは思えないほど積極的に攻め込み、9周目のストレートで#32日産をかわしトップに立つ。
そのトヨタを星野の#23カルソニック日産が追走し、20周目ついにトップを奪う。#36トヨタのリースも引き下がらず追走するも21周目のコーナーでスピン…。
序盤はトヨタvs日産のスプリント並のバトルに終始する。JSPC前半戦には見られなかった展開である。
この展開をどこかで見た記憶がある人もいただろう。2年前の同じ富士500マイルのまるでビデオでも見ているような展開である!
あの時も序盤はトヨタvs日産で激しいバトルが演じられるも、終ってみればポルシェの1−2−3だった。果たして今回は…?
- 604 名前:CarNo.774:06/01/15 13:54:45 ID:O4zmAGhT
- 1回目のピットインの直前の35周目にリース#36トヨタが首位を奪還する。
ルーティーンピットを終えた50周目、首位は#36トヨタ、以下#23日産、#55オムロンポルシェ、
#27フロムAポルシェ、#32日産でトップグループを形成する。
一時は2位に40秒近いマージンを築き「デビューウィンか?」と思わせたトヨタ88C−Vだが、
70周過ぎからブースト圧のトラブルに見舞われ徐々に後退、結局119周でリタイヤした。
この展開(独走→トラブル→リタイヤ)も2年前の3S−Gデビューレースの焼き直しのような展開である。果たして日産は…。
- 605 名前:CarNo.774:06/01/15 14:19:16 ID:O4zmAGhT
- しかし今回の日産は2年前とは違った。
#23はパット交換に手間取り、またジャッキのトラブルで後退したが、#32は最後まで首位に浮上した#27フロムAを追いかけた。
しかし終盤燃費がきつくなり大幅にペースダウン。#55にも交わされ3位に落ちるもそのまま2周遅れでチェッカー。
日産Cカーにとっては86年富士1000km以来2年ぶり、V8エンジンでは初の表彰台である。
#23は終盤ガソリンを使い切ってしまいピットで待機、6位でチェッカー。序盤トップグループに加わるもトラブルで遅れた#85R88Vは8位でチェッカー。
2戦続けて3台とも完走。R88Cは3戦連続の2台完走である。
まだまだプライベートポルシェにすら勝てない日産Cカーであるが、その進化は誰の目にも明らかだった。一戦ごとに進化するのがプラーベーターに対するワークスのアドバンテージである。
そしてその日産Cカーの進化は次戦鈴鹿1000kmでも更にはっきり披露されることになる。
(以下次号)
- 606 名前:CarNo.774:06/01/15 23:58:59 ID:ax6i1ngI
- 乙です!
- 607 名前:CarNo.774:06/01/16 01:29:02 ID:/aM6K4Lt
- サイコー乙です!
- 608 名前:CarNo.774:06/01/18 20:04:44 ID:jXOIc72O
- http://www.nikkeimm.co.jp/support/needs/pdf/dp040201.pdf
http://www.nikkei.co.jp/nkave/about/history_4.html
当時の日本経済
- 609 名前:CarNo.774:06/01/19 00:38:46 ID:32IdCmOT
- >>587
編集合戦したくないんで、ここ(もしくはこの板の別スレ)にまとめたらコピペして載っけてくれます?
- 610 名前:CarNo.774:06/01/22 00:35:46 ID:syXOvksx
- test
- 611 名前:CarNo.774:06/01/22 00:51:36 ID:syXOvksx
- 日産編其の四拾壱
富士500マイルの次レースにしてWEC前の最後のレースが、1ヶ月後の8月27・28日の鈴鹿1000km。
前戦シーズン初の表彰台を獲得した日産/ニスモ陣営は更に進化した姿を満天下に示した。
ニスモの柿元はレース前「燃費が8%向上してます。鈴鹿は富士に比べて3%悪くなるので差し引き5%の向上」と語っている。
サスペンションのジオメトリー変更、フロントへのリップ装着等のアンダー対策で、
長谷見も「これでニュートラルになった。ただパワーバンドが狭いからレースではポルシェの2〜3周遅れになるかも。高速コースの富士なら問題ないが」と日産Cカーの進化を認めていた。
予選、83年の初参加以降、3回PPを取った日産の鈴鹿1000kmだが、今回のPPは日石トラストポルシェのフーシェで、タイムは1.53.502。
日産勢は1.54.513の#32長谷見の4番手を頭に、#85R88Vパーソンズ和田が1.54.366、#23星野が1.54.874で、5番手、6番手で続いた。
- 612 名前:CarNo.774:06/01/22 01:09:57 ID:syXOvksx
- 翌決勝。
PPの#100フーシェが飛び出し、以下#27フロムA岡田、2戦目となる#36ミノルタトヨタ88C―Vのリースが続く。
この後方4番手につけていた#23カルソニック日産の星野だが、「トップに出る気はなかったがポルシェとトヨタに追い付いたので」
6周目#36トヨタ、7周目#27ポルシェ、更に7周目トラブルに合い後退した#100ポルシェをかわし一気に首位に浮上した。
その後も順調に周回を重ね2位以下を引き離しトップでルーティンのピットへ。
星野は「ピットの指示どおり走ってるだけで問題なし。今から表彰台に上がりたくてうずうずしてる」と語る。事実首位でピットインした#23日産は、C1の中で一番の低燃費を記録したのである。
柿元も「富士500マイルのように終盤ガソリンがなくなりピットに入ることはない」と自信を見せた。この1ヶ月の間に日産Cカーは目に見える形で更に進化したのである!
しかしこのピットで引火し、1分余計なロス。首位を#27に奪還される。2位に#32日産が浮上、#23は3位でコースに戻る。
このレースで#23には鈴木利男が助っ人に加わっていた。利男がニスモのワークスカーに乗るのはこれが初めてだった。その利男ドライブ中に48周目、ミッショントラブルでピットイン、リタイヤ。
燃費もよく、本気で優勝を狙える位置にいただけになんとも悔やまれる結果となった。しかし利男はこの時の走りが認められたか、翌89年日産ワークス入りを果たすこととなる。
- 613 名前:CarNo.774:06/01/22 01:28:24 ID:syXOvksx
- #23リタイヤ後も#32は順調なペースで#27フロムAを追い2位をキープする。
しかし98周目、リヤカウルが外れるトラブルで緊急ピットイン、5分弱をロスする。なんとももったいない…。
今回、好調に4〜5番手をキープしていた#85R88Vだが、115周目に周回遅れのSJマシンと接触しタイムロス。
137周目には2コーナーでコースアウトしサンドトラップにはまりリタイヤとなる。
こちらもトラブルフリーだったのだが…。
カウルトラブルで7番手にまで後退した#日産だが、その後は順調にハイペースをキープし順位を上げる。
1分40秒もあった2番手#25アドバンポルシェとの差は見る見るつまっていったが、結局13秒差での3位となったところでチェッカー。
優勝は終始トラブルフリーで走行した#27フロムAポルシェ。169周レースの2周遅れでアドバン、#32日産と続いた。
長谷見/亜久里組は2戦連続の表彰台となった。しかしリヤカウルのトラブルで5分弱を失ったのがなんとも悔やまれる。
今回#25のアドバンは耐久性を重視し2.8gエンジンを使用。ノバメンテのフロムAとの2周差は3gエンジンとの差とも言えた。
#32日産はこのトラブルさえなければ2.8gポルシェの前に行ける状態に既になっていたと言えるだろう。
- 614 名前:CarNo.774:06/01/22 01:41:55 ID:syXOvksx
- #23のミッショントラブル、#32のカウルトラブル、エンジン本体のトラブルでないだけに悔やんでも悔やみ切れないトラブルだった。
しかし燃費に苦しんだ前戦富士500マイルより、日産Cカーが更に進化したのは誰の目にも明らかだった。
当時ノバメンテのポルシェは、ヨーストと並んで世界最強のプライベートポルシェと言えた。
そのノバメンテのポルシェのうち、2.8gエンジンなら既に抜き去り、3.0gエンジン車にも肉薄している。
1ヶ月後のWEC−JAPANまでにはどこまで進化するのだろうか?もちろんコースは得意の富士である。
7回目にして、日産Cカーへの期待は最大値に達したWECと言えただろう。
7回目を迎えるWEC−JAPAN。日産Cカーの大幅な進化、トヨタ88C−Vの参戦。
これに加えザウバーメルセデスの初来日、そしてワークスポルシェの参戦(!)。
ルマンでも実現しなかったジャガー・メルセデス・ポルシェ3大ワークスの激突。
最高の盛りあがりで迎えることなったのである。そしてまさかこれが最後のWEC−JAPANになろうとは…。
(以下次号)
- 615 名前:CarNo.774:06/01/22 11:44:48 ID:CqiyxKNV
- 乙です!
- 616 名前:CarNo.774:06/01/23 00:30:05 ID:RPgDExiq
- Cカーは私の青春でした…。
- 617 名前:CarNo.774:06/01/28 18:14:35 ID:cbEKdhH+
- Cカーは、ストレートは異常に速いが、
タイトコーナーは遅いレーシングカーでした。
3.5?スポーツカーはタイトコーナーもケッコウ速かった。
- 618 名前:CarNo.774:06/01/29 00:50:46 ID:Lv8e4e+Y
- Cカーより美しく力強く何十台もが戦うレースはほかにはないな
- 619 名前:CarNo.774:06/01/31 18:52:48 ID:OigP+W+N
- レーシンゴンの連載第3回は84年シーズン、と思いきやWECの惨敗に入る前で「つづく」。
今月号は創刊20周年で86年特集。86WECの回顧があるが、ルマン回顧がないorz…。
F1にページ取り杉。
- 620 名前:CarNo.774:06/02/02 10:31:40 ID:jwUVkeQt
- 日産編 其の四拾弐
10月8,9日、第7回となるWEC―JAPANが開催された。
前年から日本でもF1GPが開催されるようになっていたが、スポーツカーの世界選手権も相変らず注目度は高かった。
今回の大会の注目度がより高まったのは、「ワークス宣言」したザウバーメルセデスの初来日と、この年はルマンのみに参加したワークスポルシェの来日が決定したことにある。
ルマンでも(ザウバーの急遽撤退で)実現しなかった3大ワークスの激突。チームタイトルはジャガーで決したものの、ドライバーズタイトルはブランドル(ジャガー)とシュレッサー(ザウバー)で未決着で、
この年のWSPCでも最も注目される一戦と言えた。
日本勢も含め参加ワークスは6メーカー。普段のWSPCがこれだけ充実したエントリーなら、と言うのがFISAの本音だったろう(そしてそれを実現するため後にFISAは行動に出る)。
迎え撃つ日本勢、既にJSPCはフロムAポルシェで決定していたが、「世界」に最強プライベーターノバエンジニアリングが挑む。
そして国産勢である。
トヨタはこのレースからタカQも88C―Vとなり2カー体制。デビュー戦の快走を再現できるのか?
しかし国産勢でもっとも期待を集めたのは日産である。富士500マイル、鈴鹿1000kmと連続表彰台。1レースごとの確実に進化を見せている。
鈴鹿1000kmではマイナートラブルさえなければ既に最強プライベーターノバと並ぶ所にまで来ていたのだから…。
- 621 名前:CarNo.774:06/02/02 10:45:59 ID:jwUVkeQt
- このレースに向けて日産R88Cは数々の改良を加えている。
燃費の向上、そしてこのシーズン何度か悩まされたブレーキの改良である。
パッドの性能向上、クーリングの改良で500マイルで3回必要だったパッド交換が1000kmで1度で済むめどがついた。
外観でも#32のフロントカウルにはフロントウィングが追加された(#23は使用せず)。
エンジンも予選のみであるがターボの軸受けにボールベアリングを使用した。メタル軸受より摩擦損失が少なくタービン回転数の上昇が早い。
ターボラグの小さくする有効な手段である。このボールベアリングターボは翌89年発売のR32スカイラインで市販車にも活用されることになる。
予選アタック時はブースト圧1.6で930馬力。これでポール奪取を狙う。
- 622 名前:CarNo.774:06/02/02 10:57:33 ID:jwUVkeQt
- 今回のレースからニスモはテレメーターシステムを本格導入した(それまでに試験的に使ってはいた)。
テレメーターシステムとは、マシンの走行状況、燃費をリアルタイムでピット内のコンピューターに送信し察知できるシステムである。
F1では85年からホンダが採用していた。耐久の世界では88年ルマンからワークスポルシェが使用している。
これ以降、耐久でもワークスチームには必須のアイテムとなる。
今回日産勢は4台体制。チームルマンがルマン遠征時と同様2台体制になったのである。
赤のパーソンズカラーの#85R86V、ピンクの伊太利屋カラーの#86R88V。
#85は利男/森本のコンビとなった。このため今回は利男はニスモの助っ人になれなかった。これが結構響くことになるのだが…。
#23カルソニックR88Cにはルマンにも参加したNMEのグライスが助っ人に就いた。
- 623 名前:CarNo.774:06/02/02 11:35:46 ID:jwUVkeQt
- 10月8日土曜日予選。86年までは予選は金、土に1回ずつだったが、前年87年から予選は土曜日1日で2回に変更になった。
この予選形態が大きく影響を及ぼすことになる。
このレースウィークは天候が不安定で、木曜日の練習日からウェットコンディションが続いた。
金曜日,一時的にドライになった中でトップタイムをマークしたのはオムロンカラーの#17ワークスポルシェ。
フロムAの岡田曰く「同じポルシェとは思えない」とポテンシャルの差を痛感した。
- 624 名前:CarNo.774:06/02/02 11:36:33 ID:jwUVkeQt
- この年のWSPCは撤退したルマンを除く8戦ですべてザウバーメルセデスがPPを獲得している。
ルマンではPPを獲得したのはワークスポルシェ。これに日産、トヨタの5メーカーで激しい予選が期待された。
コースレコードは1.18.594。しかしターゲットタイムは17秒はもちろん、16秒台突入も?
午前の1回目の予選。今に降り出しそうな空。早めにタイムを出すことが求められる。
まずはワークスポルシェが一番時計。しかしすぐに長谷見の#32日産R88Cが1.18.285のコースレコードをマークしトップに。
#62ザウバーメルセデスのバルディも1.18.390をマークし2番手に。
予選1回目も30分が過ぎたころ、「運良くクリアラップが取れた」フロムAの岡田が1.18.210を叩き出し一気にトップ。
プライベートポルシェとしては限界とも言える好タイムである。直後に雨が本降りとなり、これで事実上岡田のPPが決まった。
日本人として前年の和田に続き2人目。岡田曰く「普段の行い(笑)」。
しかし岡田には悪いが、予選はこれから更に盛り上がるところだっただけに残念な天のいたずらである…。
この後ワークスポルシェ、メルセデス、日産、トヨタはどのようなタイム合戦をしたかと思うと…。
- 625 名前:CarNo.774:06/02/02 11:56:20 ID:jwUVkeQt
- #23カルソニックはインタークーラーのエア漏れが発生し満足なアタックができぬまま雨が降り出し11番手に甘んじる。
#32の亜久里は「軽く流してすぐに18秒台が出た。クルマの仕上がりが凄くいいから16秒台も可能だった」と残念がる。
たらればの世界にあるが、雨があと10分早く降り出してい「れば」、雨が降り出すのがあと10分遅け「れば」、と言うのが日産陣営の偽らざる心境だったろう。
一方のV6勢は不調で、15番手、24番手に低迷した。前年大会のポールシッターだったのだが…。
決勝前、ニスモの難波は「表彰台を狙う。ジャガー、メルセデス、ポルシェの5台のワークス勢の真ん中辺りを狙う」と。
これは別に強がりでもなく、それなりの自信はあっただろう。
もちろんワークスだけでなくフロムAや、ワークス放出のボッシュ1.7モトロニックを使用するヨーストとクレマーも侮れない。
10月9日・日曜日、大きな期待感を抱きながら、日産にとって6回目、そして「最後」となるWEC−JAPANはスタートを迎える。
(以下次号)
- 626 名前:CarNo.774:06/02/04 17:48:28 ID:QKXCjIjW
- おお!俺が初めて観戦したレースなんですよ88年のWECinJAPAN.
当時小学6年生、その年F1でリジェでボロボロだったS,ヨハンソンの乗っていたタカQトヨタを応援してた。
orz
- 627 名前:CarNo.774:06/02/04 22:00:36 ID:X2vbwGRa
- トヨタ・R36V
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=R36V&action=edit
このエンジンの記事がまったく思いつきません。
どなたかここでネタを考えてくださるかたいらっしゃいませんか?
- 628 名前:CarNo.774:06/02/06 01:32:10 ID:G+fVFVj1
- トヨタRV36
とニッサンVRH35の違い。
シリンダーブロック
トヨタ モノブロック方式(ライナーレス方式)
ニッサン ウエットライナー方式
カムシャフト駆動方式
トヨタ ベルト方式
ニッサン ギア方式
他にもあるかも?
- 629 名前:CarNo.774:06/02/06 17:50:47 ID:97HL4J8y
- >>627
過去のCカー列伝 トヨタ編を参考にさせてもらうとかしたらどう?
- 630 名前:CarNo.774:06/02/06 18:21:49 ID:HBxFHwdZ
- 開発コード:697E
90度V8
排気量:R32V-3169cc、R36V-3576cc
ボア×ストローク:R32V-82.0×75.0mm、R36V-86.0×77.0mm
圧縮比:8.5:1(初期のR32Vは8.0:1)
重量:R32V-218kg、R36V-200kg
クランクシャフト高:135mm、91年型より115mmに改良
ターボチャージャー:トヨタ製CT26RT型(ツインエントリー式)
マネージメントシステム:日本電装製EFI-D
・88年型はエアチャンバーがマグネシウム製、軽量化のため翌年からカーボン製に変更
同じく88年型のみウェストゲートバルブが片バンク2個づつ
・93年ルマンでは規定により35.7mmのリストリクターを装着(700馬力程度)
翌94年ルマンでは33.4mmのリストリクター。
取り敢えず知ってるスペック一通り書いてみた
- 631 名前:CarNo.774:06/02/06 23:04:31 ID:k/5/EnS5
- >>627
★4気筒エンジンの戦力が低下していたこととか
★トヨタがレクサスのブランドイメージを築くために
モータースポーツ活動に力を入れはじめたこととか
★グループC用に開発された純レーシングエンジンであることとか
- 632 名前:CarNo.774:06/02/06 23:17:52 ID:k/5/EnS5
- >>627
★スペック
★搭載車
○○C‐V 19○○〜19○○
(簡単な戦績 )
○○C−V(○○mmエアリストリクター)
(簡単な戦積)
TS020(○○mmエアリストリクター)
(簡単な戦積)
★ニッサンVRHとの共通点と相違点
- 633 名前:CarNo.774:06/02/06 23:19:11 ID:k/5/EnS5
- >>627
94年のレース展開はいらないような気がする。
- 634 名前:CarNo.774:06/02/07 05:14:23 ID:OX4ltJO9
- まともな戦績ないエンジンをWikiに載せてもなー
- 635 名前:CarNo.774:06/02/07 11:10:04 ID:6SZPIr5l
- ルマン2位2回、ポール1回(+幻1回)はまともな戦績だと思うが・・・
- 636 名前:CarNo.774:06/02/08 02:05:33 ID:taxpdF4t
- >>634
89C‐V 90C‐V
世界選手権で結果を出していないね。
エンジンは良かったと思うが、車体がイマイチだった。
エンジンも車体の一部ともいえるが。
フロントラジエーターになった91C‐V以降は
車体もエンジンもかなり良かった。
ニッサンVRH35とRV36は甲乙つけがたいな。
トヨタもニッサンも時間切れだったような気がする。
- 637 名前:CarNo.774:06/02/08 23:32:54 ID:BQjy1Mby
- autosportsに88CVの写真が出たときは、これすげー962に勝てるかも
って真剣に思った漏れのリアル厨房時代。チラシ裏スマソ
- 638 名前:CarNo.774:06/02/10 05:44:44 ID:/461O8FY
- wikiのVRH35項目を見たら前よりも内容がかかれていました。
>>630->>632の様な詳細スペックもVRH35の項目に加えるべきですね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/VRH35
誰か圧縮比などの詳細スペック知っていらっしゃるかたいますか?
- 639 名前:CarNo.774:06/02/10 18:06:45 ID:xbYbxhvz
- 知っててもかける立場に無い
- 640 名前:CarNo.774:06/02/10 18:57:41 ID:jIW2DzDd
- >>638
VRH35Zの諸元(wikiに記載してない分)
バルブ径 インレット:33.0mm、エキゾースト:30.0mm
圧縮比 8.5:1
ターボチャージャー IHI製
マネージメントシステム ECCS-R-NDIS
重量 185kg(クラッチ及びターボ除く)
- 641 名前:CarNo.774:06/02/10 20:10:41 ID:dYPxBr70
- R36Vの項目の放置っぷりがすごい。
94年の話なんか断片的で、わかる人にはわかるけど、
わからない人から見ると何だコリャだな。
- 642 名前:CarNo.774:06/02/11 19:49:26 ID:wUuwdjIj
- >>628>>630>>631>>632>>640
情報ありがとうございます。
- 643 名前:CarNo.774:06/02/14 00:25:56 ID:SwDIecBu
- まあ公称値は大本営発表のようなものだからな
- 644 名前:CarNo.774:06/02/16 11:33:30 ID:UpweG9T9
- 日産編其の四拾参
10月9日決勝、空は曇天ながらドライコンディション。10時半、第6回、そして最後となってしまうWEC−JAPANがスタートした。
1コーナーへはトップでフロムA,2位で#32日産が侵入したが、ストレートに戻って来るまでフロムAはトップを守れなかった。
2コーナーで#62ザウバーが1周目のLAPリーダーとなる。2周目には#17ワークスポルシェも2番手に浮上。3周目には#2ジャガーも3番手浮上と早くも外来ワークスの三つ巴となる。
このホーム富士では3ヶ月前の富士500マイル同様、序盤からガンガン飛ばし欧州3ワークスに食らいつく、そう言う展開を日産のファンも期待したろうし、日産陣営もその気は充分であった。
しかしその日産陣営の思惑も、その通りには進まない。オープニングLAPで5番手にまで落ちた#32長谷見は、3周目、突然スローダウンし100Rイン側でストップしてしまう。シフトリンケージのトラブルである。
「このレース前に新品に換えていたんだが…」(柿元)
なんとかピットまで戻ってきたものの、修復してコースに戻った時にはほぼ最後尾、9周のビハインドを背負ってしまった。
一方#23カルソニックの星野だが、予選の不調を取り戻すべく、こちらも前戦、前々戦同様序盤からガンガン飛ばす、つもりだったのだが、10番手前後をトップから4〜5秒落ちの1分27秒台でペースが上がらない。
実は10周前後で左リヤタイヤがブローしていたのである。無線でピットインしたいとの連絡が入ったが、ピットインの回数を増やす事を避けるため、ピットはそのまま走行の指示。星野は我慢の走りを強いられることに。
- 645 名前:CarNo.774:06/02/16 11:52:23 ID:UpweG9T9
- 2カー体制で挑んだチームルマンのV6勢だったが、序盤から不調で#85パーソンズが11周、#86伊太利屋が25周でリタイヤとなってしまう。
同じV6を使うエレクトラモーティブはこの頃IMSAで無敵の快進撃を続けていたのだが…。
序盤リードしたのは欧州3大ワークス勢と2台のヨーストだったが、ルマンの時のようにクラスが違うかのようなペースの開きがあったわけではない。
日産も先陣争いには充分加われるはずだったのだが…。
(少なくとも「ワークス」である以上、テレビ中継で映る序盤の先陣争いには加わってもらいたかったのが日産本社の本音だったろう)
海外ワークスにも「魔の手」は忍び寄る。序盤首位を走った#62ザウバーが27周目にブレーキトラブルで予定外のピットインで後退。
#2ジャガーも35周目タイヤのトラブルで100Rでコースアウトリタイヤ。これで欧州ワークス勢はメルセデス、ジャガー、ポルシェ各1台となった。
- 646 名前:CarNo.774:06/02/16 12:22:59 ID:UpweG9T9
- その後この三つ巴は、#61ザウバーのウェストゲートトラブルの後退、#17ワークスポルシェのスローパンクチャーで、#1ジャガーの独走状態になる。
序盤のブレーキトラブルの後退から6番手にまで復帰した#62ザウバーもブレーキトラブルでクラッシュ・リタイヤとなった。
日産/ニスモの2台は、序盤のトラブル以降は順調に走行を続ける。
日産R88Cのベストタイムは1分23秒台、ジャガーも同じく23秒台。
もちろん燃費の問題もあるから一概に言えないが、少なくともルマンの時のような絶望的なタイム差があったわけではない。
とくに長谷見/亜久里組はジョイントNo.1と言える体制で、2人とも同じタイムでトップグループと遜色ない走行を続ける。
返す返すも何とももったいない序盤のトラブルである…。
- 647 名前:CarNo.774:06/02/16 12:23:26 ID:UpweG9T9
-
一方の星野組は序盤のスローパンクチャー以外はトラブルフリーで走行を続ける。国産勢トップの10位前後を淡々と走る。
しかし星野以外のドライバーの時にはペースが上がらない。高橋健二で2秒、助っ人のグライスだと更に落ちる。
「グライスでなく利男が助っ人であったなら…」。これが日産陣営/ファンの本音ではなかったか?
(この時の思いが作用したかはわからないが、翌年利男はニスモワークス入りし星野とコンビを組むことになる)
それでもトラブルフリーで走行を続ける#カルソニックは終盤まで10位付近をキープ。最後のピットで星野にチェンジし一気にポジションアップを狙った。
しかしここでも不運なトラブル。左フロントのハブが緩みこれを修復。これで6位を狙えるポジションを不意にした。
最後は星野の激走で日石トラストを交わし9位に浮上するもここまで。
7位の#99ロスマンズシュパンポルシェまで同一周回(214周)だったので、最低でもここまでは行けたはずである。
#32は序盤のトラブル以降まったくトラブルフリーでハイペースを維持。結局14周遅れ(210周)の12位でフィニッシュした。
序盤の9周のビハインドがなければ…。
- 648 名前:CarNo.774:06/02/16 12:34:03 ID:UpweG9T9
- 結局優勝はトラブルフリーで224周1000kmを走りきった#1シルクカットジャガー。
第3ドライバーとして#2から乗り換えたブランドルがWSPCのドライバーズタイトルを決めた。
2位にはこれが最後のレースとなる#17ワークスポルシェ。一回のスローパンクチャーが勝負を決めた。
奇しくもこの年のルマンとまったく同じ結果である。
3位、4位はヨーストとフロムAが同一周回(221周)で分け合った。日欧最強プライベートポルシェと言えよう。
5位が終盤トラブルで後退した#61ザウバーメルセデス。6位にアドバンポルシェ。
日産勢は9位#23カルソニック、12位に#32。
「たら」「れば」を何度言っても始まらないのであるが、日産R88Cはトップ6に加わる力は充分にあったのだが…。
(一時中断、夜にでも再開)
- 649 名前:CarNo.774:06/02/18 22:19:36 ID:/Ovt9wYw
- 乙です!
- 650 名前:CarNo.774:06/02/19 02:36:47 ID:C6xce7Rx
-
富士の100R手前にシケインが入ったのって、何時?
- 651 名前:CarNo.774:06/02/19 16:03:27 ID:Bbl+GHYV
- 88WEC
http://www.wazamono.biz/carmovie/src/up3516.wmv.html
23
- 652 名前:CarNo.774:06/02/19 18:39:34 ID:yxM8lIOK
- >>650
87年9月のGC第三戦から。
4月のF3000前座のF3の予選で女屋桂二選手事故死のため。
CカーはJSPC第3戦のWECから。
- 653 名前:CarNo.774:06/02/19 19:03:13 ID:yxM8lIOK
- >>651
ありがとう!久し振りに見た。
この貴重な映像消してしまった自分に氏ねと言いたい。
- 654 名前:CarNo.774:06/02/21 10:55:15 ID:uGNnseVP
- 日産編其の四拾参乃弐
レース後の評価はAS誌とRon誌は対照的だった。
AS誌は「惨敗」と表記。一方のRon誌は「来年に向けて手応え十分」。
AS誌は82年の第一回から6年も経つのに未だ(ドライでは)表彰台にすら立てない国産勢へのきつい叱咤激励と言う面もあったろう。
Ron誌はマイナートラブルに遭ったものの、海外ワークス勢と極端に差があるわけではないデータを示し、新マシンを投入する次年度以降への期待を示した。
耐久レースとは自身の力を100%出し切れるかと言う「自分との戦い」と、その力を出し切った場合の「他との戦い」と言う2つの側面がある。
9位、12位と言う日産R88Cの結果だが、これはトラブルの抱えてのもの。しかし観衆の目にとまるのはこの「現実の順位」である。それをどう捕らえるか?
そしてトラブルがなくても日産勢は良くて5,6位。これをどう捕らえるか?
- 655 名前:CarNo.774:06/02/21 11:15:07 ID:uGNnseVP
- レース後柿本は「レースに『たら』『れば』は禁物ですが、あれがなければもっと面白い戦いができた。
どちらもつまらないトラブル(#32=シフトリンケージ、#23=序盤のタイヤ、終盤のハブ)だっただけに悔しいです」と。
「燃費の点ではまったく問題なかった。一番悔しいのは今日のレースを見た人が『ジャガーやベンツは凄いな』と思ってしまうこと。
確かに彼らは勝ったから凄いんですが、データ的にはうちも決してひけをとってない。日産もまったく相手にならなかったわけではないんです」
これは決して負け惜しみではない。ワークスポルシェのベストLAPが1.21.795、ザウバーが#62が1.22.005、#61が1.22.492、
ジャガーが#2が1.22.710、優勝した#1が1.23.300。
対する日産は#32が1.23,320、#23が1.23.336。序盤の先陣争いに加わればもう少しいいタイムが出たかもしれない。
この約1秒の差をどう取るか?少なくともルマンの時のような絶望的な差ではない。
- 656 名前:CarNo.774:06/02/21 11:35:16 ID:uGNnseVP
- ワークスである以上、地味な我慢のレースをしてもあまり意味がない。
序盤海外勢相手に派手に立ちまわり、結果世界選手権での5,6位入賞なら周りの評価も変わったであろうが…。
しかしルマン以降の日産Cカーの進化は誰の目にも明らかだった。「優勝を狙える」マシンを投入する来季のWECこそ本当の勝負。
これは毎年繰り返す「根拠のない期待」とは一線を画していたはずである。
しかし富士での世界選手権は第7回の今回が最後となってしまったのであるが…。
マーチ87Gの改良シャシーにVEJ30の改良エンジン搭載と言う「間に合わせマシン」日産R88Cは、序盤こそ苦戦したものの、
ルマンでは完走、ルマン以降のJSPCでも速さ、燃費とも一戦ごに目に見える進化を遂げた。
プライベータとしては世界最強レベルのノバメンテのフロムAポルシェに並ぶところまで来た。ジャガー、メルセデスと言ったワークス勢はまだこの先なのだが。
単独チームとして初めてのシーズンとなったニスモも、ピットワークの早さ、テレメトリーシステムの導入などワークスチームらしく組織化されてきた。
JSPCではのべ12回出走9台完走。完走率75%。3位2回。地味ではあるが、壊れまくった前年にくらべれば大きな進歩だったと言えよう。
そしてバブルの勢いに乗り、日産のグループC活動は翌89年に向けて更に強化されることとなる。
- 657 名前:CarNo.774:06/02/21 11:52:04 ID:uGNnseVP
- 「日本勢はルマンと富士と言うシリーズのおいしい部分しか参戦しない」とは以前から言われていたことである。
富士と鈴鹿とルマンでしか走らない国産Cカーが海外勢と勝負にならないのは当然だともよく言われたことである。
一方でWSPCシリーズをルマン、富士ラウンド並に盛り上げるには日本のメーカーのシリーズ参戦が必須とFIAが考えたのも当然だろう。
FIAは翌89年シーズンからWSPCをF1のように一括管理し、参加メーカーは事前登録し全戦参戦を義務付けることを検討し、そしてそれは実行された。
これをAS誌は否定的に捕らえ、「日本メーカーの無視され具合」「全戦追うのはムリ」と同誌の社説とも言える「AS−HOTLINE」で記述。
一方のRon誌は国内メーカーの全戦参戦を期待する旨を「NEWS CLOSE−UP」に書いた。
- 658 名前:CarNo.774:06/02/21 12:08:18 ID:uGNnseVP
- 当時はバブルの「プレ全盛期」と言われる好況期。
日本のメーカーもシリーズ参戦を断念しルマンから撤退する道を選ばず、当然のように(紆余曲折はあったと推測できるが)「新WSPC」へのシリーズ参戦を決定することとなる。
1953年スポーツカーの世界選手権が始まって以来、初めて本当の意味での「世界選手権」の実現と言えよう。
WSPCにもF1並のステイタスが与えられることとなったのだから(しかし過去最高の盛りあがりを見せたその3年後にまさかシリーズが消滅することになろうとは…)。
しかしWSPCのステイタスアップに伴い、日本ラウンドは「スポーツカーの聖地」から富士から鈴鹿に、時期も10月から4月の開幕戦に移ることになる。
確かに当時の富士の施設が鈴鹿に比べればかなり落ちていたのは事実である。しかしそう言った「理屈」抜きに7回続いた世界選手権の富士ラウンドは欠かせないものだったはずだが…。
これは施設だけが原因でなく、CART日本ラウンドを富士で開催しようとしたことに対するFIAによる「報復」「いじめ」とも噂されたが…。
かくして富士での世界戦はこの88年WECが最後になってしまったのである。
1989年、WSPC全戦参戦、そして革命的なニューマシンR89Cの投入で、日産のグループC活動は大きな進化・転換期を迎えることとなる。
(以下次号)
- 659 名前:CarNo.774:06/02/21 17:53:02 ID:MrH/tbex
- 乙です!
- 660 名前:CarNo.774:06/02/21 18:19:28 ID:Q1fniTPr
- 遅ればせながら>>651dクス
88C-Vが走行してる動画はじめて見た
そして列伝もいつも乙です
- 661 名前:CarNo.774:06/02/22 12:13:43 ID:a9XUWoqV
- 日産編 其の四拾四
さて89年シーズンに行く前に、「分家」エレクトラモーティブのIMSA回顧を。
参戦4年目となるエレクトラモーティブは、この88年遂に大爆発しシリーズを席捲する。
この年のIMSA−GTPシリーズのシーズン開幕前の最大の関心事は日産ではなく、WSPCを制覇したTWRジャガーの参戦であった。
IMSA規定でエンジンは6.0gにスケールダウンされたものの、基本はグループCと同じXJR―9。スポンサーはカストロール。
デビュー戦となる第一戦デイトナ24時間でいきなり優勝する。ルマン制覇に向けて最高の出足だった。
しかしWSPCを制覇したジャガーさえ手に負えないライバルが出現するとはこの時は誰も気付いていなかった…。
エレクトラモーティブ日産は、この年もクラシック耐久2戦(デイトナ&セブリング)を欠場、第2戦マイアミGPが初戦となった。
前年に初優勝した縁起のいい大会である。
この年のマシンは外観は86年シーズン途中にデビューした鈴鹿実隆デザインのボディでほとんど変わらないが、
シャシーはローラでなくエレクトラモーティブの完全自製マシンとなった。
タイヤもBSからGYに変更された。1カーエントリーが基本なのは変わらない。
- 662 名前:CarNo.774:06/02/22 12:31:20 ID:a9XUWoqV
- このマシンのデビューとなるマイアミではジェフ・ブラバムの手によりPPを獲得したものの、
決勝ではトラブルで後退し8位に終る。
しかし前年87年シーズンはこのマイアミGPでポールtoウィンを達成したあと1勝もできなかったのとは対照的に、
この年はマイアミの敗戦の後は破竹の快進撃が始まる。
第3戦セブリング12時間を欠場し、再登場した第4戦ロードアトランタから第11戦シアーズポイントまでIMSA記録となる8連勝を達成したのである!
第10戦ポートランドからは強すぎる日産を抑えるためエアリストリクターの口径を変更したものの、それとは関係なくブラバムーモートンで1−2フィニッシュ(このレースから2カーエントリー)。
結局このシーズンは9勝、PP8回、ポールtoウィン5回の圧倒的強さで、当然のようにブラバムがドライバーズチャンピオンに輝いた。
- 663 名前:CarNo.774:06/02/22 12:43:20 ID:a9XUWoqV
- しかし皮肉なことにこれだけ圧倒的なシーズンを過ごしながら、メイクスタイトルはポルシェに奪われることとなってしまう。
1カーエントリー(後半は2カー)の日産に比べポルシェは常時8台。クラシック耐久2戦を欠場しノーポイントに終ったのも響いた。
ランクトップで迎えた最終戦・市街地コースのデルマーは、ブラバム、デイリーの2カーエントリーで臨むがデイリーの4位が最上位。
ポルシェが2位には入り大逆転でメイクスタイトルを奪われた(わずか1点差!)。
まるでシリーズを圧倒しながらダブルタイトルを獲得できなかった86年のF1のホンダを彷彿させるようだ(あの時取れなかったのはドライバーズだが)。
優勝は開幕戦以来となるジャガー。WSPC王者もIMSAでは簡単に勝てなかったのである…。
- 664 名前:CarNo.774:06/02/22 12:54:34 ID:a9XUWoqV
- これだけシーズンを席捲しながらダブルタイトルを獲得できなかった…。
タイトル奪取のためエレクトラモーティブ日産は翌年のクラシック耐久への参戦を決断することとなる。
日産GTPとは言いながら、エンジンブロック本体を除けばほぼ米国製のマシン。
コンストラクターと言えば英国中心だったが、米国のコンストラクター/チューナー/チームが欧州チームを圧倒したのは稀なことだった。
そしてこれが日産本社の腰を上げさせることとなる。
エレクトラモーティブの大活躍は、単に同社の名前を高めただけではない。後に日産本社の資本が入り、正式に米国日産のワークスチームとなるのだから。
そしてルマンに参戦するようになり、日産のグローバルモータスポーツ活動の中心的ポジションを担うことなる。
(以下次号)
- 665 名前:CarNo.774:06/02/22 17:41:48 ID:if7qPHrB
- いつもお疲れ様です。
いよいよ1989年ですね!期待してます!!
- 666 名前:CarNo.774:06/02/22 18:03:07 ID:j04pffTm
- 89年の日産IMSAネタですね!
世間の人間はなにも知らないことでしたが、当時高校の友人とよく話してましたよ。
京都への修学旅行(ダサ)の帰りの新幹線でも話題はそれだった・・・・
その夜、日テレで録画放送されるのを楽しみで話が咲いて・・・
それにしてもすごい快進撃でしたね!
またあの時代が来ないのかなぁ・・・・
- 667 名前:CarNo.774:06/02/22 18:07:32 ID:j04pffTm
- >>666
すいません、勘違いしてました・・・・
列伝の著者の方のお話はまだ88年でしたね・・・
私の話の方は89年です・・・
読み違い、すみませんでした・・・
- 668 名前:タナケン、復活!?:06/02/22 19:56:09 ID:ARJgcBwl
- 88年はモータランドでやっていたような?
スポーツ深夜族とか見てました>IMSA
1985年に国内V6投入のTX系特番、テープのカビがひどくてorz
カリフォルニアの低湿度のせいかVG30の音が乾いた感じでいい!
- 669 名前:CarNo.774:06/02/25 12:05:16 ID:zbcJu6po
- Cカー用(IMSA用も)VG30は最終的にブロックもヘッドGK(3mm)も
アルミになりました。アメリカではELVISのニックネームで呼ばれてました。
3年くらいすると日本でもVGサウンドが聞けるかも。
- 670 名前:タナケン、復活!?:06/02/25 14:06:01 ID:ONMiChPx
- >>669
和田さんのPP取った時、アルミのVGがあるのを初めって知ってビックリしました。
日本ではヘッドの新造だって滅多に無い大事業(OSとかありましたけど)なのに、ブロックの新造ですから。
VGはハーフスカートでしたけど、このあたりも引き継いだのかな?それとも・・・?
WEC1982に出場した280ZX-T、アレの直線の速さを生で見て、アメリカの実力を見直しました。
最終で気にL28ツインターボで700馬力を出したという・・・
- 671 名前:タナケン、復活!?:06/02/25 18:28:22 ID:ONMiChPx
- 670訂正
最終で気→最終的に<(_ _)>
- 672 名前:CarNo.774:06/02/25 18:33:43 ID:zbcJu6po
- VG30アルミブロックはノーマルとは形状が違ってハーフスカートの下に
80mmほどのデッキが一体で成型されています。
(言葉で表現しずらいです、見てもらうとはやいのですが・・・)
- 673 名前:CarNo.774:06/02/25 20:10:05 ID:Ktfu7+eA
- 鋳型は同じなの?アルミブロックと鉄ブロック。
てかそれすら違ったらもうVG30でもなんでもなく純粋エレクトラモーティブ製純レーシングエンジンじゃん。
純レーシングエンジンは2.1gまでじゃなかったけか?
- 674 名前:CarNo.774:06/02/25 20:47:27 ID:fD4q+uPb
- フェラーリ Tipo 034(1989 F1)は
鋳鉄ブロックだったね。
- 675 名前:CarNo.774:06/02/25 20:53:14 ID:fD4q+uPb
- >>652
アリガト。
30度バンクはこんな感じになってた。
http://www.gdecarli.it/Circuiti/ITA/Foto/ITA%20Monza/ITA%20Monza%20F13.jpg
- 676 名前:CarNo.774:06/02/28 22:03:53 ID:B3zAzwNo
- いつもご愛読(って言っても3人くらい?)ありがとうございます。
列伝の中の人です。
レーシンゴンの日産Cカー連載読みました。
素人のおれと変わらないジャン(w、って思ったり、やはりプロ、ちゃんと取材して新事実が出てる記事もありますね。
私の場合当然一切取材なしの記憶のみですから。
で新事実を。
「追浜は(プリンス系の)FJ20開発に乗り気じゃなかったが、販売サイドの意向でしょうがなく開発してた」
「エレクトラモーティブチューンのVG30導入はニスモ独断。勝手に外された追浜とは関係がまずくなった」
とのこと。
まあ日産らしいと言うか。昔から内紛は日産のお家芸なんですね。これが結局ルマン制覇できなかった最大の原因だと思う。
- 677 名前:CarNo.774:06/03/01 12:51:42 ID:T5xLFmlH
- >>676
いつも楽しく読ませていただいます。見事な筆っぷりです。
FJ23悲運のエンジンですね、追浜の現場の人達はガンバッテいました。FJ23の整備書があるんですけど
手作りの整備書でそれは見事です。その後、追浜の人達がオーテックジャパンに移りVRHのメンテに携わりました。
VG30は最後は追浜で開発をしていたみたいです。
- 678 名前:タナケン、復活!?:06/03/01 13:09:56 ID:K7YYB7bO
- 85年のWECのリポートが載ったAT誌。FJ23Tが二位になって追浜国内組が大歓喜みたいな記事が
ちょっと大きく載ってました。ちょっと不自然な気がしたものです。しかし昨今の話を聞くと
このあたりのネタをつかんでいたのかな?
FJ20系、バルブの挟み角が広くてクラシックな感じでしたけど、過給を考えると高圧縮の必要もすくないし
あの燃焼室もありなのかな?兼坂氏がシャレードのCB70エンジンに書いた毒舌を読んで
そんな気も若干思った次第・・・
- 679 名前:CarNo.774:06/03/01 23:45:11 ID:l609Agg1
- FJ23は、WECまでに使えるブロックがなくなってしまい、
仕方なく急遽中古のクラック入りブロックを修理して…
そしたら2位になって…という噂が。
- 680 名前:タナケン、復活!?:06/03/02 17:10:35 ID:c2RQfaCX
- FJ20ネタ、FP1600後継のF2000用として長谷見選手がテストしてましたね。
黒歴史中の黒歴史?
- 681 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/03/10 15:44:12 ID:YeyKEpJU
- 現在、業者さん対策に"http://(コレの半角)"を含む書き込みを弾いてることを
試験的に導入しております。
アドレスを書き込む際は直リンははずしてくださいまし。m(_ _)m
- 682 名前:CarNo.774:06/03/20 09:55:18 ID:pINhO7hB
- 日産編 其の四拾五
1989年と言う年は、100年後の歴史の教科書にも深く刻み込まれるだろう年と言えるだろう。
いい国(1192)作ろう鎌倉幕府や、意欲に(1492)燃えたコロンブス、のような…。
天安門事件、冷戦終結、ベルリンの壁崩壊。日本でも昭和天皇崩御、平成へ改元、リクルート事件と大きな出来事が並ぶ。
そしてスポーツカー耐久レース、そして日産のモータスポーツにとっても大きな変革を迎える年となった。
1989年シーズンをまとめるにあたり、WSPCシリーズの変革、日産本社の体制変更、現場のニスモの体制と順を追って述べていくことにする。
- 683 名前:CarNo.774:06/03/20 10:14:23 ID:pINhO7hB
- 1953年、F1GPに続く世界選手権として始まったスポーツカー選手権は、
その後何度もシリーズ名やレギュレーションの変更を迎えながら40年近く続いてきた。
1960年代のフェラーリvsフォード、ポルシェで沸いた時期にはF1をも凌ぐ人気を得ていたこともあった。
しかし80年代末期には注目度やステイタス等で、スポーツカー選手権(WSPC)はF1とは大きな差がつけられていた。
86年にはFIAのバレルストル会長によってF1と同じ規定の3.5gNAエンジンを積む「市販車のガワを被ったF1」プロカー選手権が提唱され、
グループCの選手権の廃止まで検討されていた。しかしこの「プロカー」を実際に製作したのはアルファロメオ1社だけで企画倒れに終るのだが…。
多くのメーカーを引きこみ、F1の新規定エンジンを作らせようと言うバレストルとFOCA会長バーニーエクレストンの思惑大きく外れることとなった。
そんな中バレストルが目を付けたのが、少し前までは見向きもしなかったグループCレースである。
82年のグループC規定導入後、ポルシェの圧勝でルマン24時間でさえ観客が減少してしまったWECシリーズだったが、
85年からのジャガー、86年からのザウバーメルセデス(88年からメルセデスがワークス宣言)の参戦で俄かに盛りあがりを迎えた。
富士とルマンではこれにバブルニッポンの3メーカーも加わる。
88年のルマン24時間はポルシェvsジャガーの対決に沸き、気がつけばルマンはF1をも凌ぐ人気を得ていた。
プロカー構想は失敗に終ったが、復活してきたWSPCに力を入れ、多くのメーカーを参入させ、F1規定エンジンを作らせる、
ついちょっと前まで酷い扱いをされてきたスポーツカー関係者/ファンからすれば都合の良い話に聞こえるだろうが、このようにしてFIAのスポーツカー改革は始まった。
- 684 名前:CarNo.774:06/03/20 10:26:51 ID:pINhO7hB
- それ以前までのWSPCシリーズは、世界各国のプロモーターが主催者となり、エントリーの受理、チケット販売、広告販売、TV放映権販売を一手に行ってきた。
極論すればFIAは公認を与え、ポイントを与えるのみであった。
一方のF1も以前はそうであったが、80年代に大改革を実行し、エントリーもシリーズとしてFIAが一括して受理し、原則スポット参戦を認めず、
広告、TV放映権も各国のプロモーターでなくFIAが一括管理することとなっていた。主催者側の収入は極論すれば入場料収入のみと言うことに。
こうしてFIAが一括管理することにより、シリーズ全体での収入、一体感、収入が増加する。F1の市場価値は80年代に入り飛躍的に高まることとなった。
- 685 名前:CarNo.774:06/03/20 10:37:44 ID:pINhO7hB
- WSPCの改革として、FIAは同じ手法を取ろうとしていた。
エントリーは各国主催者でなくFIAが一括受理。スポット参戦は認めない。
これはなにを意味するか?ルマンと富士のみ参戦していたバブルニッポンの3メーカーのシリーズ参戦の義務付けである。
これは珍しくFIAのヒット政策と言えただろう。日本の3メーカーを引っ張りだし、スポーツカー選手権の歴史上最多の7メーカの参戦を取り付けたのだから。
もちろんFIAとしてもWSPCのルマン+富士とそれ以外のラウンドのあまりに違う観客動員・注目度・エントリー台数を一気に解決する手段として思い付いたのだろうが。
バブルニッポンのスポンサーマネーを当てにしたのも想像に固くない。
引きずり出された格好の日本メーカーだが、ルマンとJSPCのみの参戦でルマン制覇など夢のまた夢なことくらい充分承知していただろう。
WSPCのシリーズ参戦はいつかは決断しなければならない懸案だったはずだ。
- 686 名前:CarNo.774:06/03/20 10:55:04 ID:pINhO7hB
- WSPCの改革がすべてうまくいけば、スポーツカーレースの未来はバラ色になる、そう期待したファンも多かっただろう。
エントリーの充実はその一歩である。そしてそれをうまくプロモートすればF1並のステイタス獲得もそう遠い話ではない。
しかしことはそうすんなりとは進まない。
WSPCのテレビ放映はルマンと富士以外ほとんどなかった。したがってルマンと富士以外の主催者がテレビ放映権をFIAに譲り渡すことはそう問題はなかった。
そしてFIAはレース距離をルマン以外は500km程度に短縮することでテレビ向けソフトに変換することを決断する。これも賛否両論あったのだが。
しかしすでにテレビ放映権他既得権のあるルマンと富士ではすんなりいかない。紆余曲折の上、計時システム(FIAはF1同様オリベッティ―ロンジン)の問題も絡み、
結局後にルマンはWSPCシリーズから外れることになってしまう。ルマンの離脱は新WSPCにとって大きな痛手となったはずである。
- 687 名前:CarNo.774:06/03/20 11:22:25 ID:pINhO7hB
- 88年12月8日、FIAは唐突に翌89年シーズンのWSPCの日程を発表する。
注目すべき点は、日本ラウンドがいきなり富士から鈴鹿に変更されていた点である。
開催時期は4月で開幕戦、本来ならJSPC鈴鹿500kmが入る日程である。
これは富士も鈴鹿も寝耳に水、急遽富士(と主催者)側はJAFを通じFIAに再考を要請するが、結局却下。
翌89年1月12日にJAFと鈴鹿は正式にWSPC開催を受理し、18日発表される。開催まで3ヶ月を切った時期である。
この急な開催地の変更は、表向きは富士の改修の遅れである。87年11月の時点でFIAは富士に対しピットロード入口の改修を伝えたが、
88年WEC開催後もそれが完了しておらず、よって89年シーズンの世界選手権開催は認めないと。まるで1年前の西仙台のようだが…。
確かに通達されたことを速やかに実行しなかった富士に落ち度があるのは明白で、また富士の設備は「世界選手権」に相応しいサーキットとは言い難いのも事実だろう。
だがルマン同様富士もWSPCシリーズから欠かすことのできないラウンドであることは、後に証明されることとなるのだが…。
- 688 名前:CarNo.774:06/03/20 11:30:39 ID:pINhO7hB
- こうして7年間続いた世界選手権富士ラウンド「WEC−JAPAN」は幕を閉じた。
これは即ちWSPC日本ラウンドからプロモーターであるVICICを排除してしまったことになるのだが…。
7年に渡るWEC―JAPANの成功は主催者であるVICICに負うところが大きかったはずである。
一部の噂では89年にCART日本ラウンドを富士で開催しようとしたことによるFIAによるバッシングとも言われたが。
(一時中断、一両日中に再開予定)
- 689 名前:CarNo.774:06/03/20 20:20:23 ID:1o+8i9/C
- 乙です
- 690 名前:CarNo.774:06/03/21 00:36:28 ID:VfjQgP98
- 小津です。
一説にはIMSAを富士で開催しようと模索したことによる腹いせという話もありますね。。。
今後AOCとFIAは仲直りできるのだろうか。。。
- 691 名前:CarNo.774:06/03/21 11:02:11 ID:jsCAP8Rn
- IMSAじゃなくCARTですね。楽しみにしてたのになあ。
今はACOとFIAけんかしてないんじゃない?
WSPCが富士から鈴鹿行って客が激減しましたねえ。
- 692 名前:CarNo.774:06/03/27 10:16:30 ID:s1z4h5Nj
- 日産編 つづき
テレビ放映権に関しても問題は山積した。
前述の通り、ルマンの主催者ACOは日本のテレビ朝日に放映権を既に販売していた。
ルマンは単体でソフト価値があったのだから。調整は続いたが、開幕後シリーズ離脱が決定する。
日本でのシリーズ放映権を獲得したのはNHKである。公共放送であるNHKがモータスポーツの放映権獲得とは驚きをもって伝えられたが、
この話を持ちこんだのはFIAの方からだったそうである。(国営放送ではないがそれに近い)NHKで放映されることにより、FIAがシリーズのステイタスUPを考えたようである。
実際当時NHKがモータースポーツと言うことでかなり話題になった。NHK自体はその数年前のパリダカールラリーのダイジェストの放映でモータースポーツの実績はあった。
NHKとしては当時放送を始めたばかりの衛星放送(BS)での有効なソフトを獲得したいと言う思惑もあったのである。
BSならば長時間放送も可能だ。しかし当時のBSの普及率はまだまだ低く、今のCS以下だった。当然(WSPCが)人の目に触れる機会は多くはない。
またNHKはあくまで放映権を獲得したのみで、WEC−JAPANの時のようなスポニチ・毎日新聞・TBSグループ総力あげてのプロモート活動を行ったわけではない。
この違いは実際に鈴鹿で開催された時明らかになる。
- 693 名前:CarNo.774:06/03/27 10:41:44 ID:s1z4h5Nj
- レギューレーション面では、レース距離がルマン以外は480kmに統一され1000kmレースと言うフォーマットは廃止された。
前述のとおりテレビ放映にをめるに相応しいための変更である。
車両規定は大きな変更はない。従来のC1とC2。ただし両クラスとも50kg最低重量がUPした(C1は900kgに)。
新たなクラスとして、F1と同規定の3.5gNAエンジン搭載で燃費規制なし、最低重量750kgのカテゴリー1が設けられた。
従来のC1はカテゴリー2に。そして2年後の1991年からC1はカテゴリー2に統一されると。
新エンジンを開発したばかりのトヨタ・日産、ロータリーエンジンのマツダは当然ながら反対するが、FIA会長のジャンマリーバレストルはこのカテゴリー1規定導入を強行する。
- 694 名前:CarNo.774:06/03/27 10:42:25 ID:s1z4h5Nj
- FIAの思惑は、グループC参加メーカーにF1規定のエンジンを作らせF1に引きずり込むことと言われた。しかしF1とグループCでは簡単に互換性のあるエンジンとなるものではない。
DFV時代とは違うのである。(F1のコスワースDFZエンジンを使用するプライベーターも現われたが)
この規定強行導入には、FIAのプジョーに対する優遇と言う一面もあった。1986年のWRCにおけるグループB規定の突如の廃止で、FIAはプジョーから訴えられていた。
プジョーのために新レギュレーションを導入することでその裁判を和解させようと言う思惑もあった。もちろんそんなこと日本のメーカーとは一切関係のないことなのだが。
経済的力をつけても外交面・政治面での日本軽視は昔から変わらない。
もう一つ新設されたクラスがGTCと呼ばれるGTクラス。フェラーリがセミワークスでF40を開発し、(この年F1デビューする)ジャンアレジのドライブで参戦を検討していた。
しかしF40以外のエントリーが見込めず結局このクラスのエントリーは無くなった。
様々なゴタゴタはあったものの、40台近い盛況なエントリーを集め、トヨタ、日産、マツダ、アストンマーチンもシリーズ参戦する新生WSPCは4月鈴鹿で開幕する。
- 695 名前:CarNo.774:06/03/27 10:51:19 ID:s1z4h5Nj
- (追加)
従来のC1(カテゴリー2)の燃料使用総量はレース距離×0.51となった。
前年まで1000kmレースが510g(1リッターあたり1.96km)だから変更はないようにも思える。
しかしレース中盤にペース調整し燃費を節約できる1000kmレースと異なり、480kmレースでのそれは事実上燃費規制の強化に他ならない。
前年までの規定では500kmレースは275g(リッターあたり1.81km)だったのだから。
※89年のJSPCは88年までの燃費規定を踏襲。
(一時中断、以下早々に再開)
- 696 名前:CarNo.774:06/03/28 23:54:39 ID:6J5VYd/R
- 乙です
- 697 名前:CarNo.774:06/03/29 17:43:32 ID:x26EhaO/
- Zです。
どきどきしながらNHK-BSでの放送を見ていた学生の頃の記憶が甦ってきたわ…
- 698 名前:CarNo.774:06/03/31 22:24:13 ID:ZiknHQKq
- 明日発売のレーシンゴンはCカー特集最終回のなので買いです。
日産Cカーの連載もありますが、今回は正直ここのほうが詳しいと思いました。
- 699 名前:CarNo.774:06/04/01 00:41:51 ID:jk3YdnUK
- ここの日付はどうなんだ?
- 700 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/04/01 16:49:49 ID:KnQ0L8Ui
- >699
さすがに設定できん希ガス
- 701 名前:CarNo.774:06/04/01 20:41:15 ID:cZ/Yz8mf
- 優勝しないままでいる、日産・トヨタの野望は滅びてないですよね・・・
復活希望!そしてLMES世界選手権化!
- 702 名前:CarNo.774:06/04/02 19:58:00 ID:zK+a0Ulk
- >>698
日本メーカーの記事ないじゃん・・・
- 703 名前:タナケン、復活!?:06/04/02 20:02:14 ID:p8yZL+uS
- >>702
後の方のページ。
- 704 名前:CarNo.774:06/04/03 00:43:09 ID:7DnMfhyo
- 日産編 つづき
さて、ここでようやく日産自動車の体制である。
当時はバブル景気に沸き、日産も「シーマ現象」なる言葉が流行するほど業績は好調。
この89年は後々まで名車として語られるR32スカイラインやZ32フェアレディZが発売されるなど、
日産にとってエポックメイキングな年であった。
モータースポーツにとっても同様。日産は60年代のR38シリーズによる日本GP参戦時以来とも入れる力の入れ方となる。
1月1日付で日産本社内にモータースポーツ専門セクションが設けられるのである。厚木のテクニカルセンターにマシン開発部門「スポーツ車両開発センター」、
追浜の研究所に「スポーツエンジン開発室」が設けられる。
スポーツ車両開発センターの主管に就いたのは、U12ブルーバードの開発主管を努めた町田收が、「スポーツエンジン開発室」の室長に引き続き林が就任した。
日産自動車は市販車のブルーバードを開発するのと同様の体制でグループCカーを開発すると宣言したと言っても過言ではない。いよいよ日産が本気になった。
(余談だが、町田が開発主管を努め、87年に発売されたU12ブルーバードは歴代で一番カッコいいブルーバードだったと筆者は感じる。センターデフ+ビスカスのフルタイム4WDシステム「アテーサ」を採用したのもこのクルマが最初である)
- 705 名前:CarNo.774:06/04/03 01:16:55 ID:7DnMfhyo
- 2月の日産のモータースポーツ体制発表会において、日産が89年シーズンに投入するローラとの共同開発Cカー「R89C」と、
そのR89Cに搭載される、林がゼロから新開発した3.5gV8のニューエンジン「VRH35」が発表される。(R89Cはイラストと模型のみ)
R89Cは前述の通り、Cカーとしては初の試みとなるストレスマウント方式を採用。日産Cカー初のカーボンモノコック車である。
ジャガーXJR−9LMのような、リヤタイヤをスパッツで覆い、低い位置にマウントされたリヤウィング。このマシンの第1の目的がルマンであることの証明だった。
フロントはローラのオリジナリティの出た、(ローラT810のような)大きな開口部の開く独特なスタイル。
マシンのカラーリングもより日産色の濃くなる完全トリコロール。筆者的には歴代日産Cカーでこの89年のR89Cのカラーリングがもっとも美しいと思っている。
このR89Cに積まれるVRH35は前述のとおり林の完全オリジナル作品。「他人の作ったエンジンなど直せない」と言った林の意欲作である。
(もっともこのVRH35でも林は上司の干渉にあったそうで、本人が完全に思ったとおりの究極のエンジンは翌年のVRH35Zまで待たないといけない)
R89Cの実際のシェイクダウンは4月まで待たないといけないが、このマシンはCカーの歴史に残るマシンとなるのである。
この日産R89Cで日産自動車はJSPCだけでなく、WSPCへのフル参戦を決定する。拠点は英国ミルトンキーンズのニスモヨーロッパ(NME)。
日産にとっては初の世界選手権シリーズフル参戦となる(タイトル直前まで行ったWRCでさえフル参戦ではなかった)。
- 706 名前:CarNo.774:06/04/03 01:19:03 ID:7DnMfhyo
- この発表会で中心になったのは、それまでのニスモ難波、オーテック桜井でなく、町田と林だった。言うなればこれまで現場の子会社主導だったグループCへの取り組みが、本社主導へ転換したのである。
主役の座を奪われてしまった感のある難波だが、これはある意味本望だったかもしれない。ついに本社の思い腰を上げさせたのだから。
ニスモ設立以来、日産のCカー活動は極端な言い方をすれば「子会社のニスモが勝手にやってる」活動に近かった。
難波はルマン・Cカーの活動をニスモ主導で行い既成事実化することで本社のバックアップ体制を取り付けたいと考えていたはずである。
そして「勝つ」ためについに本社が腰をあげ、専門のセクションを立ち上げ、責任者を置いた。いいとこ取りの感がなくもないが、本社が本格的に取り組まない限り勝利は望めないのがこの頃のモータースポーツ。
ある意味ニスモはやっと「実戦部隊」に専念することができるようになったと言えるかもしれない。
(以下またすぐに再開します。現場の実戦部隊の体制について。おやすみ)
- 707 名前:CarNo.774:06/04/03 19:04:23 ID:J3i/Qdfn
- 乙です
- 708 名前:CarNo.774:06/04/03 23:19:56 ID:c3PbsXf+
- R89C、
- 709 名前:CarNo.774:06/04/03 23:20:16 ID:c3PbsXf+
- R89C、素敵だった。
- 710 名前:CarNo.774:06/04/04 03:45:22 ID:y3f1dRme
- R89C。ジュリアン・ベイリーがヘマこかなかったら…と今も思う。
でも、あのスタートからの衝撃のダッシュ、追突があったからこそ、
みんなの記憶に残っているんだよね。
そういえば、J・ベイリーってニッサンCカー降りてからは
何やっていたのか知らないなぁ。
- 711 名前:CarNo.774:06/04/04 22:18:23 ID:C4f+e1SI
- あの時はテレビの前でまじで心臓がバッコンバッコンした。
もう少しバッコンバッコンしたかった…。
- 712 名前:CarNo.774:06/04/04 22:30:04 ID:JALlOjxM
- >>710
最近じゃリスターでFIA-GTなんかに出てたな。
- 713 名前:CarNo.774:06/04/05 02:52:58 ID:Ka2FY1sM
- サンクス!まだ現役なんだ。何となく嬉しい話です。
- 714 名前:CarNo.774:06/04/05 10:50:18 ID:fCtpQffE
- 日産編 つづき
本社の体制の次は現場の体制である。
前述の通りJSPCだけでなく、WSPCへのフル参戦を決定した。
拠点となるのは英国ミルトンキーンズのニスモヨーロッパ(NME)。
開幕戦の日本ラウンドのみNMEでなくニスモが参戦し、その後欧州ラウンドからNMEが参戦する。
前年はR31スカイラインGTS−RでETC(欧州ツーリングカー選手権)に参戦していたが、
ETCが88年限りで廃止されたので、そのままWSPC参戦へ移行した(但しツーリングカーとスポーツカーでは勝手が違い、スタッフの半数は変わったが)。
ハワードマースデンが代表に専念し、監督は新たにキースグリーンを採用した。86年ルマンで長谷見とケンカした御仁である。
マシンはもちろん日産R89C。1台体制である。
ドライバーには前年F1をドライブしたジュリアンベイリーと、国際F3000の若手マークブランデルを起用した。
「耐久」と言えば実績のあるベテランを起用するのが多いなか、日産はそう言った「経験」より若いドライバーの「速さ」に期待したのである。
これからはスポーツカーも「じっくり走って」ではなく、とにかく速さが求められるようになると。
- 715 名前:CarNo.774:06/04/05 11:08:32 ID:fCtpQffE
- 当時のF1はまさにバブルで、39台もエントリーを集め、毎レース予備予選を行っていた。
ベイリーもブランデルも、粗製濫造の予選突破もままならないF1チームより、スポーツカーのワークスチームのほうが得策と判断したのだろう。
WSPC欧州ラウンドの開幕日程は二転三転したが、5月のディジョン(フランス)となった。このレースがR89C&NMEのデビューレースとなる。
国内の体制も若干変更となった。
JSPC第1戦、第2戦、WSPC鈴鹿はR88Cで参戦。ルマンからR89Cとなり、
R89C国内デビューはJSPC第3戦富士500マイルとなる。もちろんニスモからのエントリーである。
ドライバーにはF1へ行った鈴木亜久里に替わり鈴木利男が加入した。
「万年スター候補」でイマイチ自分の殻を割ることのできなかった利男だが、
このニスモ入りが後に日本のトップ、そしてF1に上り詰めるスタートとなる。
星野とのコンビは高橋健二に替わり利男となる。長谷見とコンビを組むのは前年はチームルマンのマシンをドライブしていたA・オロフソン。
チームルマンは和田のコ・ドライバに森本晃生を起用した。前年は助っ人で度々チームルマンマシンをドライブしていた。
マシンも前年に引き続きR88V(マーチ88G)である。エンジンはもちろんIMSAで快進撃を続けたVG30。
- 716 名前:CarNo.774:06/04/05 11:27:17 ID:fCtpQffE
- 星野車のスポンサーはもちろんカルソニックの継続だが、
長谷見車には新たに横河ヒューレッドパカード(YHP、現ヒューレッドパッカードジャパン)が付いた。
カラーリングも大きく変わり、より日産トリコロールを強調するデザインとなった。
日産、カルソニック、YHPともコーポレートカラーは青のため、青部分は3社の中間カラーを採用した。
ヒューレッドパッカードは欧州ラウンドのNMEのスポンサーにも付いた(hpブランドで)。
チームルマンのR88Vは、キャビンがメインスポンサーに。
豪州ロケで撮影されたCM(和田孝夫出演)がお茶の間に頻繁に流れた。
この年の特徴的なのはタイヤの選定である。
R88Cは前年に引き続きBSを使うが、R89Cは日欧ともDLを採用した。
つまりニスモはシーズン途中からBSからDLにスイッチすることになるのである。
「BSの顔」とも言える星野がDL装着車をドライブすることになるのである。
日本のモータースポーツ界は80年代中盤はタイヤメーカー主導で進んできた感があるが、
ようやく欧米並に自動車メーカー主導、チーム主導に進んで行くこととなる。
- 717 名前:CarNo.774:06/04/05 11:35:07 ID:fCtpQffE
- チームルマンは引き続きYHを採用。この頃は和田は「横浜の顔」だった。
ルマン24時間にはワークスとしてニスモから長谷見/星野/利男が、
NMEからベイリー/ブランデル/未定、のR89C2台体制で挑む(エントリーは双方ともニスモから)。
ニスモにとってはR89Cはルマンでぶっつけ本番となってしまうのである〇
- 718 名前:CarNo.774:06/04/05 11:55:54 ID:fCtpQffE
- チームルマンは引き続きYHを採用。この頃は和田は「横浜の顔」だった。
ルマン24時間にはワークスとしてニスモから長谷見/星野/利男が、
NMEからベイリー/ブランデル/未定、のR89C2台体制で挑む(エントリーは双方ともニスモから)。
ニスモにとってはR89Cはルマンでぶっつけ本番となってしまうのである…。
(この後NMEの第3ドライバーはF1パイロットM・ドネリーに決定。後にさらに1台エントリーも追加される)
この年から日産ワークスのカーナンバーも変更される。前年までの#23、#32から、#23、#24の連番となる。
ルマン24時間でも日産Cカーは#24で走ることとなるのである!
少なくとも日本人にしか意味のわからない#23より、#24を獲得できた意味は大きかっただろう。
チームルマンのR88Vは、和田/森本の国内コンビに加え、オロフソンが加わる。
ルマンでもスポンサーはキャビンである。チームルマンのカーナンバーはキャビンの#85。
- 719 名前:CarNo.774:06/04/05 12:07:38 ID:fCtpQffE
- ニスモにとって序盤の富士500km、WSPC鈴鹿、富士1000kmはR88Cで挑まなければならない。
そう言った意味でR89Cで臨むルマンとは直結しない。しかしチーム力を示し、
さらに士気を上げる意味でもなんとしても3年間遠ざかってる優勝を手にしたいと考えていたはずである。
特にWSPC鈴鹿では、前年のWECで掴みそこなった世界相手の上位入賞をなんとしても獲得したい。
過去最高とも言える体制で、日産は「平成元年」のシーズン開幕を迎える。
開幕戦は3月11,12日、富士500kmである。
(以下次号)
- 720 名前:CarNo.774:06/04/05 21:22:03 ID:a4O/QxcP
- 乙です!
ベイリーは89年というとティレルF1と掛け持ちだったのかな?
ブランデルはこのあとブラバムでしたっけ?
- 721 名前:CarNo.774:06/04/05 22:24:07 ID:8ukhjHen
- ベイリーは88年がティレル、89年はF1に背を向けWSPCで日産でした。
91年だか92年にロータスでF1復帰してましたね。
ブランデルは91年からブラバムだったような…。ブランドルとのブラブラコンビw
ドネリーは89年どっかでF1スポット参戦だった気がする。
90年日産と契約するも、ロータスのシート得てCカーはルマンのみ(0周リタイヤorz)。
でスペインGPで大クラッシュ…。
- 722 名前:CarNo.774:06/04/05 22:44:24 ID:5CdV28nZ
- 確か、ドネリーは2度、ニッサンからエントリーしつつ、
本戦で一度もステアリング握ってないんだよね。
89年はドネリー24号車、90年はアチソンの25号車。
そして、あのF1での大事故。
ついてないドライバー人生だったねぁ。
- 723 名前:CarNo.774:06/04/05 23:39:49 ID:8ukhjHen
- しかしNME&日産R89Cの初勝利はドネリーだったりする、
ディープホルツのADACスーパーカップ(スプリント)。
- 724 名前:CarNo.774:06/04/06 01:01:18 ID:iw6zVjpE
- そう、本業ではないスプリントV、ありましたね。
でも、全く嬉しくなかった。
あくまでル・マンに勝って欲しかったからね。
- 725 名前:722:06/04/06 01:02:38 ID:iw6zVjpE
- 訂正
ドネリー24号車→ベイリー24号車
- 726 名前:CarNo.774:06/04/06 20:44:48 ID:qjL3Xppz
- ドネリーはあの時代、最も将来を嘱望されたドライバーだったな・・・
アレジよりも良かった・・・
- 727 名前:CarNo.774:06/04/06 22:59:44 ID:s9DQng3W
- ベイリー/ブランデルがレギュラーだったが、ドネリー以外にも現琢磨のマネやってるAGスコットもR89Cドライブした。
- 728 名前:CarNo.774:06/04/08 22:22:23 ID:rbOPJAEC
- AGスコットって、鈴鹿で星野とも組んだ事有るよね?
- 729 名前:CarNo.774:06/04/09 20:55:33 ID:wKVqsUn5
- 90年WSPC鈴鹿でケガで欠場の利男に代わり出場しました。
結果はリタイヤ。
- 730 名前:CarNo.774:06/04/10 20:07:00 ID:fs9j8ehn
- 星野さんがDLタイヤに乗ったのはR89Cが唯一かな?
あれは違和感ありありでしたね。星野さんの89年スーツにDLロゴってありましたっけ?
誰か知ってますか?
- 731 名前:CarNo.774:06/04/11 08:35:31 ID:0LfPdS7P
- 長谷見さんがBSで表彰台立てばBSキャップじゃなく日産キャップ、
星野さんがDLで表彰台立った時も日産キャップ。
スーツにはワッペン貼ってなかったと思う。
もちろんデイトナでGYの時も。
今インパルのFポンマシン、TOYOTAとnismoが同居してますね。
>星野さんがDLタイヤに乗ったのはR89Cが唯一かな?
90年富士500マイルまでです(R90CP)
- 732 名前:730:06/04/11 20:15:30 ID:NGaYaq87
- >>731
ありがとうございます。
やはりスーツに入っていませんでしたか。また黄色の帽子被った星野さんは記憶なかったもんで...
今のGTよりもグループCは燃料制限などもあり、グループCの方がレベル高かったような気がします。
- 733 名前:CarNo.774:06/04/12 20:07:28 ID:g04NQ3g+
- ドネリーやベイリー、ブランデルっていまどうしてるのかな?
あとIMSAで活躍してたジェフ・ブラバム&チップ・ロビンソン、あとアリー・ルイエンダイクはいまどないなってるの?
- 734 名前:103:06/04/12 20:55:55 ID:xF/mXoKJ
-
日本の名レース100選 007 発売記念
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up4539.wmv.html
- 735 名前:CarNo.774:06/04/13 10:01:53 ID:aEHlJmDO
- ブランデルはブランドルと一緒にF1の解説やってるな。
- 736 名前:CarNo.774:06/04/15 21:31:32 ID:8DeBwzst
- >>733
ルイエンダイクってそれまでほとんど無名だったけど(とりあえず日本では見聞きすることはなかった)、
90年にインディ500で優勝して、当時のR’onにバッチリ掲載されたのでその名前を知った。
そして日産のドライバーということでル・マンに注目してたんだよね。
- 737 名前:CarNo.774:06/04/18 10:09:18 ID:VRd1AQsh
- 日産編 其の四拾六
1989年3月11日、JSPC開幕戦富士500km予選。
日産はR89Cデビューまで前年型R88Cでの戦いとなる。
しかし熟成されたR88C、本格的に導入したテレメトリーシステム、そして力を付けてきたニスモのチーム力でどこまで上位に付いていけるか?
柿元に代わり就任した臼井の監督デビューレースでもある。
予選でトップタイムをマークしたのはリースのミノルタトヨタ89C―V。コースレコードとなる1,16,141。
半年前のWECで岡田がマークしたレコードを2秒以上上回る驚異的なタイムである。
日産勢は星野の#23カルソニックが2番手、タイムは1,18,857。可もなく不可もなくと言った感じか。
長谷見組の#24YHPは電気系トラブルでまともに走れず1,24,870の15番手に低迷、同じく和田組#85キャビンR88Vも1,20,415で9番手と出遅れた。
- 738 名前:CarNo.774:06/04/18 10:35:08 ID:VRd1AQsh
- 翌12日決勝、快晴。
今回のホストはMSCCと言うことで事実上マツダの冠レース。スタート前には新型ファミリアのお披露目も行われた。
12時20分決勝スタート。PPのミノルタトヨタが飛び出し、オムロンポルシェが交わし、それをレイトンハウスに移籍した岡田のポルシェが抜きさる。
更にルーティーンのピットイン直前にフーシェの日石トラストポルシェがトップに浮上と目まぐるしい先陣争いが続く。
このころの500kmレースはもはや「スプリント」だったのである。
この序盤の先陣争いに加わらなかった日産勢だが、しか1回目のルーティーンが終ると#23カルソニックがオムロンポルシェに次ぐ2番手に浮上していた。
戦闘力の落ちるマシンをチームの総合力でカバーする、ここまではニスモの思惑通りであった。しかし一方の#24YHPは相変らず電気系の不調で3周でピットインしてしまう。
- 739 名前:CarNo.774:06/04/18 10:35:36 ID:VRd1AQsh
-
しかしニスモの計算も予定が狂い出す。2番手走行中の鈴木利男が徐々にペースを落とし、レース半ばの57周目、フロムAに交わされ3番手に。
そして2回目のルーティーンを前にした73周目に突如白煙をはきそのままピットイン、リタイヤとなってしまう。オーバーヒートであった。
実はこのオーバーヒートはラジエターホースの繋ぎ目のミス、つまり人為的ミスだった。
それより少し前に#85キャビンはタイヤが外れリタイヤ、#24YHPはなんとか完走するものの8位に低迷。
希望に満ちた「平成」初のレースは、日産/ニスモにとってほろ苦いものとなってしまった。
優勝はフロムAポルシェ。体制はノバメンテで前年とまったく同じだが、ドライバーのみ総入れ替えでグロース/中谷明彦組である。中谷はグループCデビューウィンとなった。
欧州では既にポルシェの時代は過去のものとなったが、JSPCではポルシェの時代は続くのか…。
- 740 名前:CarNo.774:06/04/18 10:47:56 ID:VRd1AQsh
- 次戦はWSPC開幕戦鈴鹿。この年からJSPCとのダブルタイトルではなくなりWSPC単独となった。
例年より半年早くの欧州勢の来襲となり、場所も富士から鈴鹿へ移った。FIA直轄となる新生WSPCの開幕戦でもある。
富士500kmではいいことなく終った日産勢だが、WSPCでは「世界」を相手にそのチーム力をまざまざと見せ付けることとなる。
1989年4月8日、新生WSPCは鈴鹿で開幕を迎える。
(以下次号)
- 741 名前:CarNo.774:06/04/18 18:35:18 ID:Lk7Ut2/G
- 乙です!
- 742 名前:CarNo.774:06/04/18 18:41:23 ID:OePxiVvF
- 乙です!
このときの中谷明彦って、ちょうどF3000ステップアップしたときでしたっけ?
- 743 名前:CarNo.774:06/04/19 00:19:24 ID:Jh4WGXV/
- >>742
そうです。ノバからマルボロカラーのローラ乗ってました。
- 744 名前:CarNo.774:06/04/20 18:30:22 ID:9W+XHHrd
- >>743
レスどうも
- 745 名前:CarNo.774:06/04/23 19:42:08 ID:QQR49Gzo
- 中谷ってどこかのワークスに入れてもよかったんじゃないか?
日本一の理論派レーサーと呼ばれてたからな
- 746 名前:CarNo.774:06/04/23 21:39:25 ID:AoNHowq/
- 一応三菱ワークスではあった
- 747 名前:CarNo.774:06/04/25 04:21:53 ID:GxNY2ifX
- 今でもS耐でランサー乗っているね。
あそこはエボ最新型をすぐ入れるから実質ワークス?
- 748 名前:CarNo.774:06/04/25 16:39:16 ID:xewEPNHr
- テストアンドサービスがやってるんだから実質じゃなくてワークス。
- 749 名前:CarNo.774:06/04/27 05:36:07 ID:nDxXnIdG
- アーカイブ以降の分ってどこで読めますか。
- 750 名前:CarNo.774:06/04/27 22:03:29 ID:2gUcpbwy
- ジャガー編アーカイブ
89年ルマンと前後するが、TWRはIMSA用とWSPC用のターボマシンをデビューさせた。
IMSA用は3.0g、WSPC用は3.5gのV6ターボを搭載し、前者がXJR‐10,
後者がXJR‐11と名づけられた。
IMSAでのデビューが5月の第6戦ライムロックで2位、
WSPCのデビューが7月の第4戦ブランズハッチで5位であった。
しかし大西洋を挟んだ両方ともターボジャガーは熟成が進まず、
IMSAでは1勝(この他NAのXJR‐9が2勝)、WSPCではついに1勝も
できないままシーズンを終える。
シーズン終盤には両シリーズともXJR‐9にマシンを戻してしまう有様である。
こうしてTWRジャガーにとって思い出したくもない89年シーズンは終った。
- 751 名前:CarNo.774:06/04/27 22:04:09 ID:2gUcpbwy
- 誤爆した。以下アーカイブスレにて。
- 752 名前:CarNo.774:06/04/28 16:35:21 ID:g0nzY7/l
- >>750
ルマンもメルセデスに持ってかれたしねw
- 753 名前:CarNo.774:06/05/01 09:59:31 ID:IT1mH2SD
- 日産編 其の四拾七
新生WSPCは鈴鹿で開幕を迎えた。
FIAが直接運営に乗り出し、F1並のステイタスを与える新方式。
60年代〜70年代のようなスポーツカー黄金時代の再来となるべく「スポーツカールネサンス」となるのだろうか?
日本の3メーカーを含む7つのメーカーがシリーズ参戦と言うのはもちろんスポーツカーの世界選手権史上初めてのことである。
今まで事実上「欧州選手権」だったスポーツカーの世界選手権が有史以来初めて真の意味での「世界選手権」になったと言える。
このままWSPCがF1並の人気シリーズになる、この時そう期待したスポーツカーファンは決して少なくなかったはずだが…。
開幕戦には36台がエントリーした。シリーズエントリーは38台だが、C2は日本の遠征義務を免除されたため9台中、4台のエントリーに留まった。
さらに期待の初登場のアストンマーチンAMR−1も、テスト中の事故で来日を取りやめた。こちらは罰金が課されることに。
- 754 名前:CarNo.774:06/05/01 10:13:02 ID:IT1mH2SD
- 海外からのエントリーは21台(アルファブルン、レイトンクレマーを除く)。
これは例年並。しかし半年前のWEC同様ジャガー、メルセデスの2大ワークスが来日した。
ザウバーメルセデスはこの年からカラーリングを伝説の「シルバーアロー」を復活させる力の入れようである。
この年からスタートし、2年後の91年から一本化される(予定だった)3.5gNAの「カテゴリー1」はスパイスが3台エントリーした。
全戦参加が義務付けられたため、日本のプライベートポルシェは参加資格がなくなったわけだが、
全戦参加しているプライベートポルシェチームからの枠で「ヤドカリエントリー」が認められ、JSPCレギュラーの7台のポルシェも参加している。
アドバンポルシェがアルメラス、フロムAがオベルマイヤー、オムロンがチームデイビー、日石トラストがRLR,BATSUがサラミン、と言った具合にである。
この「ヤドカリ」エントリーに関しては雑誌等での説明が充分になされてはいなかった。国内ポルシェが参加しないと「誤報」を書いてしまった雑誌すらある。
今更言ってもしょうがないが、事前に詳しくファンに説明するべきだったと思うが。
- 755 名前:CarNo.774:06/05/01 10:21:36 ID:IT1mH2SD
- 迎え撃つ国産ワークスは、トヨタが3台の89C―V、日産がJSPC開幕戦同様旧型のR88C2台とチームルマン(エントリーはニスモから)のR88V。
マツダも767Bと767の2台体制。
トヨタは新型3台であわよくばジャガー、メルセデスを食ってしまおうと言うスタンスだが、日産は今回は「守り」。
総合性能の劣る旧型を、本格的に活用を始めたテレメトリーシステムを駆使し最大限の力を発揮させる。この日産の思惑は「完璧」に遂行されることとなる。
日産は欧州ラウンドとなる第2戦ディジョン以降はNMEからのエントリーとなり、期待の新型R89Cをデビューさせることとなる。
- 756 名前:CarNo.774:06/05/01 10:43:46 ID:IT1mH2SD
- さてレースに触れる前にこのWSPC鈴鹿の大会自体について触れてみなければならない。
決勝日は快晴。しかしファンはそこにガラガラのスタンドを見ることとなる。もちろん関係者は事前にそうなることを知っていたはずだが。
今回のWSPC鈴鹿大会の開催が正式に決まったのは、開催わずか3ヶ月前の1月18日。チケット発売は開催1ヶ月少し前でしかない3月1日。
F1同様すべて郵便申し込みと言う、今思えばとんでもない発売方法であった。
もともと政治的色彩が強かった富士⇒鈴鹿への開催地変更だったが、急遽開催決定でも鈴鹿サーキットランドサイドでは、
「鈴鹿のF1は満員」「富士のWSPCも満員」「故に鈴鹿のWSPCも満員」と言う図式が勝手にできあがっていたのかもしれない。
しかし富士のWSPCの盛況は、「スポーツカーの聖地富士」「VICICのプロモート」「スポニチ―毎日グループのバックアップ」と言った様々な要素に負うところが多かった。
もともと4月に開催されていた鈴鹿500kmはJSPCで一番客の入らないイベントであった。
VICIC/スポニチが消えたことで、イベントの前宣伝は確実に減った(と言うより関東では無くなったと言ってよい)。
NHKは放映権を獲得しただけで、イベントの運営には一切関わっていない。当然プロモート活動も行っていない。
- 757 名前:CarNo.774:06/05/01 10:55:29 ID:IT1mH2SD
- 加えて料金である。
富士のWECでは前売り3日間有効指定席券(グラスタ中央部)が7,000円、決勝日のみ有効前売り自由席券が5,000円。
決勝当日券は8,000円だった。
これが鈴鹿になると前売り3日間有効券8,000円、決勝当日のみ有効前売り券が7,000円。決勝当日券はなし。
これだけなら大して変わってないように思えるが、鈴鹿の場合、スタンドで観戦しようと思えばこれとは別に5,000円〜10,000円の指定席券を購入しなければならない。
ご丁寧にコース周りすべての観戦ポイントがF1並に指定券がないと入れないことになっていた。事実上大幅な値上げと言ってよい。
- 758 名前:CarNo.774:06/05/01 11:09:58 ID:IT1mH2SD
- 「開催地の変更」「開催時期の変更(10月⇒4月)」「開催の急遽決定(3ヶ月前)」
「メディアグループのバックアップの欠如」「全て郵送による前売り販売」「事実上の料金値上げ」
これら負の要素がすべて絡み合い、決勝当日のガラガラのスタンドが実現してしまう。急遽当日券が販売されたほどである。
富士のWECどころか、普段のJSPC以下の動員でしかなかった。
発表された観衆は31,000人。富士での半分以下。この数字はプロ野球同様の水増し発表で、実数は9,000人でしかなかったと言う。
記念すべき新生WSPC開幕戦は、別の意味で多難な船出となってしまったのである。
(レース当日のスポーツニュースの扱いも、NHK以外は無かった。富士でのWECはTBS以外でも報道はされていた)。
(以下次号)
- 759 名前:CarNo.774:06/05/01 14:29:12 ID:k4Ihp3qS
- いつも楽しみにしています
関西在住ということもあってWEC(WSPCといったのは後で知った)を見れるというので
勇んで行ったのを覚えています。まさかそんなショボイ入りだったとは今始めてです。
ま、それにしても7リッターV12NAとシルキーな音と5リッターターボの地の底から
沸いてくる音のロータリーの金属音、聞けたのはいい思い出です
- 760 名前:CarNo.774:06/05/01 20:30:42 ID:mGdVipn+
- 乙です!
- 761 名前:CarNo.774:06/05/01 21:14:07 ID:h3fC0HDu
- いつも楽しみに読ませてもらってます。
このレース、当時工房でしたが初めて
観戦したCカーのレースでした。
確かにお客さん少なかった気がします。
D指定席で見てましたが、横になって寝ながら
観れましたから(^^;
- 762 名前:CarNo.774:06/05/07 20:25:21 ID:RFfgExbP
- 89年ルマン参戦車両の写真がみられます。(画質は悪いですが)
改めて当時のジャパンマネーのすごさがわかります。
ttp://www.racingsportscars.com/photo/Le_Mans-1989-06-11-photo.html
- 763 名前:CarNo.774:06/05/11 10:54:25 ID:qNvRQlO2
- 日産編 其の四拾八
さてレースに戻る。
金曜日の練習走行は快晴。鈴鹿のレコードは予選が1.50.665(フーシェ)、決勝が1.56.691(岡田)。
当然これがターゲットタイムとなる。しかし快晴ながらこの日の鈴鹿は埃が多くコースコンディションが悪くタイムが伸びない。
海外勢はほとんどが鈴鹿が初レースと言うこともありセッティングに終始していたと言うこともある。
半年前富士で圧勝したTWRジャガーでさえセッティングがなかなか決まらない。
加えて燃費の新規定は大きくレースを左右することとなる。前年までの1000kmレースの燃料使用総量は510g、リッターあたり1.96km、
新規定ではレース距離×0.51g。480kmの新WSPCでは約245g、リッターあたり1.96kmとなる。
これだけなら前年と変わらないが、1000kmレースならレース中盤ペースを落とし燃費を稼ぐことができるが、480kmならそのヒマはない。
事実上の燃費規制強化と言えた。
(ちなみに前年までの規定では360kmレースは190g/リッターあたり1.89km、500kmレースは275g/リッターあたり1.81km。
この規定に合わせば480kmレースでは265g使える計算になる。事実上使える燃料が20gも減ってしまったことになる。これが決勝レース終盤大きなドラマを呼ぶことに…)
- 764 名前:CarNo.774:06/05/11 11:36:12 ID:qNvRQlO2
- 翌土曜日は朝から雨。豪雨の中行われた予選1回目はキャビンカラーのRLRポルシェがトップタイム。
午後の2回目はキャンセルされ、決勝当日の朝に行われることに。決勝のグリッドは事実上この日曜の予選で決まることとなった。
4月9日日曜日決勝。
前日とうって変わって快晴。決勝レースを控えた朝の予選となったたため、各チームそれほど激しいアタックを行わなかった。
それでもトヨタ89C−Vの#37リースが1.50.635でコースレコードでPP、#36小河が1.51.553で2番手とトヨタがフロントロウ独占。
狙っていたタイムはF3000並の48秒台であったから不満はあったろうが、決勝レースを直後に控える以上ブースト圧もそうは上げられずやむをえなかった。
日産勢もブースト圧を決勝より0.2bar上げたのみでアタック。
#24長谷見が1.54.347で6番手、#23星野が1.54.518で7番手。和田の#85R88Vは1.55.250で11番手。
それほど激しいアタックをしなかったことを考慮すればまずまずのタイムとグリッドと言えただろう。
ジャガーは3,12番手、ザウバーは4番手、もう1台は直前のドライバーチェンジのためC1最後尾の30番グリッドとなってしまう。
- 765 名前:CarNo.774:06/05/11 11:48:30 ID:qNvRQlO2
- ザウバーは#62のマスが体調不良で決勝出走を断念。#61にシュレッサーとバルディを組ませ、#62はアチソン一人でドライブすることとなった。
(この年から一人で全レース距離を走りきっても良くなった)
午後1時決勝スタート。新WSPCの幕開けである。この記念すべきレースで、日産/ニスモは旧型マシンながらそのポテンシャルを120%搾り出すレース展開を見せることとなる。
(以下次号)
- 766 名前:CarNo.774:06/05/12 00:17:52 ID:Oi30yMpk
- 乙です〜!
- 767 名前:CarNo.774:06/05/15 10:58:47 ID:IwYtrJ/D
- 4月9日午後1時、新生WSPCの門出に相応しい快晴のもと、決勝レースはスタートした。
ttp://wspr-racing.com/wspr/results/wscc/nf_ms_home.htmlにある通り、
バブル全盛期をうかがわせる派手なスポンサーカラーに彩られれた華やかなスタートシーンである。
スタートで飛び出したのはフロントロウの2台トヨタを交わしたザウバーメルセデス#61号車。
以降レースをリードするが、13周目のストレートエンドでミノルタトヨタの小河がザウバーを交わしトップに浮上する。
丁度前年のF1日本GPで一瞬だけプロストのマクラーレンホンダを交わし首位に浮上したカペリのレイトンハスウのように。
しかしその時と違い、首位に立った小河は3周の間順位をキープする。しかしシケインでスピン。これはドライバーのミスと思われたがそうではなく、むしろトヨタシャシーの問題があったのである。
そしてこの時のスピンが後に大きく響くことになる。
- 768 名前:CarNo.774:06/05/15 11:00:31 ID:IwYtrJ/D
- 日産編 其の四拾八
4月9日午後1時、新生WSPCの門出に相応しい快晴のもと、決勝レースはスタートした。
ttp://wspr-racing.com/wspr/results/wscc/nf_ms_home.htmlにある通り、
バブル全盛期をうかがわせる派手なスポンサーカラーに彩られれた華やかなスタートシーンである。
スタートで飛び出したのはフロントロウの2台トヨタを交わしたザウバーメルセデス#61号車。
以降レースをリードするが、13周目のストレートエンドでミノルタトヨタの小河がザウバーを交わしトップに浮上する。
丁度前年のF1日本GPで一瞬だけプロストのマクラーレンホンダを交わし首位に浮上したカペリのレイトンハスウのように。
しかしその時と違い、首位に立った小河は3周の間順位をキープする。しかしシケインでスピン。これはドライバーのミスと思われたがそうではなく、むしろトヨタシャシーの問題があったのである。
そしてこの時のスピンが後に大きく響くことになる。
- 769 名前:CarNo.774:06/05/15 11:29:19 ID:IwYtrJ/D
- 一方の日産は、旧型のR88Cで臨むこともあり、また新燃費規定を睨み序盤は先陣争いに加わらない我慢のレース。
スタートドライバーも#23が鈴木利男、#24がオロフソンが努め、後半星野、長谷見で勝負と言う形をとった。
ザウバーの独走は止まらず、それを追いかけるのはC1最後尾スタートとなった#62のアチソンのザウバーのみ。61周目にはなんと#61を交わし首位に浮上する。
この後チームオーダーが出て#61、#62に戻るもザウバーメルセデスの1−2は磐石。新生WSPCはシルバーアロー復活を高らかに宣言し幕を開けたのである。
独走しながら新燃費規定にもまったく問題がなかった。ボッシュの新MP2.7システムに負うところも大きかった。
メルセデス以下の3位争いは混沌。ヨースト、オムロン、アドバン、フロムA,ジャガー、ミノルタトヨタ、日石トラストで激しく表彰台をめぐるバトルが展開される。
しかしこれらのマシン郡はレース終盤、序盤の先陣争いが燃費の悪化を招きことごとく脱落する。
チャンピオンナンバーをつける#1ジャガーに至ってはガス欠でコース上で止まってしまう。他のポルシェ勢もすべてスローダウン。#7ヨーストが這うようにゴールし表彰台をゲットすることに。
ミノルタトヨタはヨーストと表彰台争いできる位置にいたが、序盤のスピンで早めにピットインしたことによりピットインタイミングが狂い、2回目のピットストップ時に5.5g規定分のガソリンを給油できなかった。
これを給油するため3回目のピットイン。6位にまで順位を落としてしまった。
ザウバー以外の各車は新燃費規定におおいに苦しめられることとなったのである。
- 770 名前:CarNo.774:06/05/15 11:44:06 ID:IwYtrJ/D
- さてこの先陣争いに加わらなかった日産である。
日産は前述のとおり、スタートドライバーを2ndドライバーの利男、オロフソンが務め、序盤は10位近辺をキープ。
30周目に#24がピットイン、80g給油と長谷見へドライバーチェンジ、(80秒ストップの)完璧なピットワークでピットアウト。
続く31周目に#23がピットイン、84g給油および星野にドライバーチェンジ。
中盤多くのチームがペースダウンする中、むしろ日産R88Cはペースを上げ、星野は61周めの2回目のピットストップ時には3位にまで浮上していた。
その後脱落していくジャガー勢、プライベートポルシェ勢を交わし、ヨーストに次ぐ4位でフィニッシュする。(#24は11位)
- 771 名前:CarNo.774:06/05/15 12:04:11 ID:IwYtrJ/D
- テレメトリーシステムの活用、並びに完璧なピットワークが招いた日産の作戦勝ちと言えよう。
前年王者にして、半年前のWSPC富士で完勝したジャガー(5位)を抑えての4位入賞である。
もちろんワークスチームである以上、「我慢のレース」はそれほど魅力あるものでなく、ドライバー・スタッフともフラストレーションがたまったのが本音であろう。
しかし今回のレースで見せた日産/ニスモの完璧な仕事は、「戦える」ニューマシンを投入すれば、本気でザウバーと戦えるのではと言う期待を抱かせたのも事実である。
そのニューマシン、「R89C」はこのレースの1週間前の4月3日、英国のスネッタートンでシェイクダウンを終えている。
この「ダークホース」はWSPC第2戦ディジョンでデビュー戦を迎える。
それにしてもたった半年前、富士で完璧な勝利を収めた王者TWRジャガーの無様な敗戦は一体どうしたことか?
金曜日の練習走行からセッティングが決まらず、土曜日は豪雨でほとんど走れず、鈴鹿初登場のTWRジャガーに不運が続いたのも事実である。
しかしそれはザウバーメルセデスもまったく同じこと。なぜここまでの差が付いたのか?
旧式の大排気量NAエンジンであるジャガーの限界であったのかもしれない。TWRジャガーはこのシーズン途中からターボエンジン(3.5gV6)を投入することとなる。
- 772 名前:CarNo.774:06/05/15 12:11:03 ID:IwYtrJ/D
- 「JSPCクラス優勝」と言う100点満点に近い結果を出した日産/ニスモ。
次戦はルマン前最後のレースにして、またR88C最後のレースとなる富士1000km。
ルマンで使用するのはR89Cとなるが、ルマンに向けてチームの士気を高めるためにも、R88C有終の美を飾りたい。
最後のレースとなるR88Cは予選から全開で挑むこととなる。
(以下次号)
- 773 名前:103:06/05/15 20:08:19 ID:g0xL7P2N
-
89wspcRD1suzuka
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5059.wmv.html
小河選手のインタビューも・・
- 774 名前:CarNo.774:06/05/16 01:48:07 ID:5yEd/oE9
- 乙です〜
いよいよ核心に迫る、ですな。楽しみ
- 775 名前:CarNo.774:06/05/17 00:15:05 ID:v0vADvbj
- >>771
過給器付きの車だと吸気温を細かく制御できるけど、
自然吸気の車は気温が下がると燃料を濃くしなければならないからね。
★ cold
ttp://www.teamdan.com/archive/wsc/1989/1989.html
- 776 名前:CarNo.774:06/05/18 20:47:25 ID:1B8o+gxg
- 773のムービー見て思い出した。
このころのNHK−BSの中継で、国営放送だけにスポンサー名が出せないもの
だから、順位表示が1位61メルセデス・2位62メルセデス・3位1ジャガーまではいいとして、
以下ポルシェ・ポルシェ・ポルシェ・・・だったのは何とかしてくれと思った。
さすがに後からはプライベートポルシェはヨーストなりクレーマーなりのチーム名
くらいは表記するようになったけど
ところで、当時レーシングオン誌だけがヨーストをイェストと表記していたのは
どういう理由かご存知ありませんか。それと正しくはヨースト・イェストどっち
- 777 名前:CarNo.774:06/05/18 23:27:30 ID:wL0466lz
- >>776
発音の違い
- 778 名前:CarNo.774:06/05/19 00:04:28 ID:Zkl8DH2l
- >>771
ttp://www.teamdan.com/archive/wsc/1988/1988.html
1988年の世界選手権
アベレージスピードの高いコースでTWRジャガーXJR‐9が速く、
アベレージスピードの低いコースでザウバーメルセデスC9が速い傾向
にある。
ttp://www.mulsannescorner.com/trap90.html
ttp://www.mulsannescorner.com/trap90.html
- 779 名前:CarNo.774:06/05/19 00:07:00 ID:Zkl8DH2l
- 空気抵抗の小さい自然吸気のジャガーはストレートスピードが高い。
インタークーラーの抵抗は小さくないのだろう。
’86 ‐ ’87 ‐ ’88
シルバーストン(超高速コース) ジャガー12気筒エンジン搭載車3連勝
ttp://www.teamdan.com/archive/wsc/1986/86silv.html
ttp://www.teamdan.com/archive/wsc/1987/87silv.html
ttp://www.teamdan.com/archive/wsc/1988/88silv.html
- 780 名前:CarNo.774:06/05/19 00:22:16 ID:CX0JK17w
- >>776
JOESTはヨーストと発音するのが一般的な模様
イェストも間違いではないんだろうけど
- 781 名前:CarNo.774:06/05/19 02:25:00 ID:1y4kPtJm
- >>776
89年時はBS見れなかったが、「中継は失敗だった」と雑誌に書かれてたな。
だいたいスポンサー名出さないとどのポルシェかわからんし、普段からヤクルトだの日本ハムだのフジサンケイクラシックだの言ってると矛盾してるな。
90年になると一応チーム名(ヨースト、クレマー)は言うようになったが、ヤドカリエントリーの説明一切なかったから、前年解説やってた堀氏(この人全然知らない。一瞬すがやみつるかと思った)が
ジ・アルファのスタッフになった時も「堀さんは今年アルメラス(=ヤドカリ先)のスタッフ入りしました」なんて説明してるんだも。
ただNHKも一生懸命やる姿勢はあったな。クソレギュレーション(カテ2車重1t化)で日産が撤退するの一番に朝のニュースで詳しく報じてた。
- 782 名前:タナケン、復活!?:06/05/19 19:42:54 ID:kr9YcdCf
- 堀氏はラリーストでイギリスに語学留学してましたね。
- 783 名前:CarNo.774:06/05/19 20:11:33 ID:QobPAhJE
- 笑い話なんだが、たしか次の年のSUZUKAラウンドの中継でNHKのピットレポーターが
「デンソートヨタが、いや失礼・・・38番のトヨタが」と言っていたのがOAされたのを確かに聞いた
ことがある
- 784 名前:CarNo.774:06/05/19 23:21:42 ID:1y4kPtJm
- >>783
おれも聞いた記憶ある。確か両角さん。まあデンソーはサードでいいんだが、トムスはミノルタかタカQか言わないとわからんのにな。
NHKもWRCやるころになったらカストロールセリカとか平気で言うようにならなかったか?WGPでもロスマンズホンダとか言ってたように思う。
>>782
タナケンさん毎度ありがとう。
まじですがやみつる先生かとオモタ
- 785 名前:CarNo.774:06/05/20 21:39:57 ID:Oej/rQ6D
- >>781
1991 SWC SUZUKA
ttp://www.teamdan.com/archive/wsc/1991/91suzuka.html
この結果からみると、
旧規定車両(C2)の最低重量が950kgだとスズカでメルセデスC11が
プジョー905と互角かそれ以上?に走れた可能性がある。
それでは新規定車両を用意したチームに背をむけることになった。
旧規定車両(C2)の最低重量は1000kgが妥当かな?
XJR−14の速さは想定外だったのだろう。
- 786 名前:CarNo.774:06/05/20 22:07:49 ID:Vum2NdQL
- というか、実際にC2は元々950kgのはずがシミュレートの結果C1より速かった為急遽(強引に)1000kgに変更されたのだが・・・
- 787 名前:CarNo.774:06/05/21 11:03:57 ID:BqLE6zv8
- >>785>>786
カテ1を優遇するのでなく「プジョー」を優遇したかったんだな。
プジョー905=(ハンデなし)メルセデスC11、日産R90CKだったろうが、
ジャガーXJR−14>>>>>(ハンデなし)メルセデスC11、日産R90CKだったろうし。
FIAとプジョーの癒着のなせる業。
だいたい850kgで設計されたシャシーが1tじゃ危なっかしい。
しかも給油時にカテ1は1秒1gルールなし、カテ2は1秒1gルールあり。
カテ1の1回のピットストップが30秒とすれば、カテ1は60秒、カテ2は120秒。やってられないな。
かくしてポルシェ勢(ヨースト他)、日産は撤退。参加台数激減。スパイス倒産も痛かったが。
日産の場合、レギュレーションより社内の派閥抗争のほうが大きかったのだろうけど。
- 788 名前:CarNo.774:06/05/21 19:49:56 ID:bOG6tiqX
- まあ所詮日産、ということでFA?
- 789 名前:CarNo.774:06/05/21 21:22:25 ID:cSZeiuX/
- C2は特例で旧グループCが出走できるカテゴリー。
C1がメインのカテゴリー。
C1の車両がノントラブルで走行すれば総合優勝できるように
調整するのは当然。
- 790 名前:CarNo.774:06/05/21 22:07:48 ID:yCoMmQYF
- >>789
問題なのは、遅いカテゴリー(カテ2)のほうにハンデをつける素晴らしいレギュレーション。
しかもピット作業だけで1分も。
鈴鹿ならフルブーストでアタックしてもカテ2の(ハンデなしの)メルセデスやニッサンが、ジャガーXJR−14より速いタイムを出すのは不可能だったろうね。
わざわざ重量ハンデやピットストップハンデなど与えなくても、カテ1がカテ2に負けることなどありえなかったのに。
カテ1とカテ2がハンデなしガチンコ勝負したのは、91年JSPC菅生500マイル(ジャガーXJR−14vsニッサンR91CP、トヨタ91C-V)、
92年JSPC富士1000q(トヨタTS010vsニッサンR92CP)、MINE500km。
いずれも余裕でカテ1の勝ち。
- 791 名前:CarNo.774:06/05/22 07:36:46 ID:69IkdY4t
- >>790
まさしく仰る通りですね。。。
- 792 名前:CarNo.774:06/05/22 23:50:23 ID:ipIGIKwK
- そもそも3.5リッターグループCが速い車だとは考えられていなかった。
最大トルクは総排気量にほぼ比例するのであるから
高回転化しなければならなくなる。
高回転型エンジンの特性として低回転域のトルクが細いから
F1より重い3.5リッターグループCの加速は良くないだろうと。
ロス・ブラウンは、
ドラッグが増えてもリフトを大きくすればコーナリングスピードが上がり
コーナーをストレートに変えることが出来ると考えてXJR−14を設計
したのであろう。
- 793 名前:CarNo.774:06/05/23 00:44:16 ID:Eocpf1PZ
- >>792
一応突っ込むがドラッグ増えてリフトが増えたら最悪だろw
- 794 名前:CarNo.774:06/05/23 20:56:49 ID:glqG4Unh
- マイナスリフトだな
- 795 名前:CarNo.774:06/05/23 21:53:06 ID:2jScORdN
- 揚力
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%8A%9B
〜垂直な〜
- 796 名前:CarNo.774:06/05/29 11:31:06 ID:MfatCdiP
- 今年はスカパーでルマン中継しないのか。残念だ。
- 797 名前:CarNo.774:06/05/29 20:04:28 ID:C1VnsCrM
- 最近のルマン24Hは地上波で放送されていても観るか否か怪しいトコだが…
- 798 名前:CarNo.774:06/06/03 19:24:11 ID:Ip88a1t9
- 今年は見に行けそうだ
- 799 名前:CarNo.774:06/06/03 21:44:18 ID:epJXmz07
- とりあえずCカー時代のように日本メーカーの大挙参戦が実現すればなあ、地上波フカーツもあるだろ?
今やCSすら無くなったわけだが。
- 800 名前:CarNo.774:06/06/08 17:23:01 ID:lhxJ1qEH
- >>799
S-GTにご熱心な現状を考えると、ル・マンに出る気はないでしょ。
GT2クラスでもいいから、どこかのメーカーが出てくれれば変わるかも知れませんが・・・。
- 801 名前:CarNo.774:06/06/18 01:19:11 ID:qLu/Aous
- 日産編其の四拾九
WSPC開幕戦鈴鹿で、旧型では最高と言ってよい結果を残した日産。
次戦は日本が「旧型」R88Cの最後のレースとなるJSPC第2戦富士1000km、
そしてWSPCは第2戦ディジョン。ニスモヨーロッパ(NME)と「新型」R89C、チーム・マシン共デビューレースとなる。
どちらもルマン前最後の一戦である。
これとは前後するが、WSPC鈴鹿の1週間前の4月3日、「新型」R89Cのシェイクダウンが英国スネッタートンで行われている。
まだカラーリングの済んでいない、真っ黒のカーボンむき出しボディのままであったが、逆にそれが迫力を醸し出した。
ドライバーはNMEでレギュラードライバーを努めることになるジュリアンベイリー。前年はティレルのレギュラードライバーだった。
- 802 名前:CarNo.774:06/06/18 01:35:39 ID:qLu/Aous
- 2月の日産体制発表会ではイラストと模型が公開されていたが、実車が人の前に出るのはこれが初めてである。
フロントはイラストや模型で明らかにされていたとおり、ローラT810同様大きな開口部を持つ。ここから左右におかれたインタークーラー、オイルクーラーにフレッシュエアが送りこまれる。
ラジエータは、フロントに置かれる。低くかまえたシルエット、個性的なフロントスタイルと相まって、かなり強烈なインパクトを与えたはずだ。そして他のどのCカーとも似ていない…。
丸みを帯びたボディはよりコンパクトに締まって見えた。
R89Cの第一の目的がルマンと言うこともあり、ウィングはジャガーやポルシェのルマン仕様同様、低ドラッグを狙ったローマウント。
リヤタイヤはスパッツで覆われる。
写真ではわかりようがないが、前述のとおり日産初のカーボンモノコックCカーであり、またCカーとしては初のストレスマウント方式である。
この時のシェイクダウンの模様は、自動車専門誌だけでなく、一般写真週刊誌でも紹介された。
当時はバブル景気で各メーカーがモータースポーツ活動に力を入れ、F1やルマンはまさにブームだった時期である。
自動車レースにおけるマニア以外の関心も高かったのである。
- 803 名前:CarNo.774:06/06/18 01:51:44 ID:qLu/Aous
- この時のシェイクダウンの模様は、自動車専門誌だけでなく、一般写真週刊誌でも紹介された。
当時はバブル景気で各メーカーがモータースポーツ活動に力を入れ、F1やルマンはまさにブームだった時期である。
日産のルマン制覇に向けてのリーサルウェポンは、モータースポーツファン以外にも関心が高かったのである。
日産はスネッタートンでのシェイクダウンの後、日産のアリゾナテストコース、ポールリカールでもテストを重ねていくこととなる。
ルマンまでに3台のR89Cが製作される。
そして4月10日、未定だった第3ドライバーも含め、ルマンに挑む日産チームの正式な陣容が発表される。
既に長谷見/星野/鈴木利男、ベイリー/ブランデルは発表されていたが、欧州組の第3ドライバーはこの年F1デビューすることになるマーチンドネリーと発表された。
そして当初2台の予定だったが、急遽3台目が追加された。ドライバーはIMSAで連勝街道を爆進中のエレクトラモーティブのブラバム/ロビンソンのコンビに、アリー・ルエンダイク(翌90年にインディ500を制覇)を加えたトリオ。
実際のメンテナンス&マネジメントはNMEで、ドライバーが出向くだけだが、これがIMSAで無敵のエレクトラモーティブのルマン初参戦とも言える。
そしてこの3台の日産R89Cが、過去どの日本車も与えることのできなかった大きな衝撃をルマンに与えることになるのは、この2ヵ月後のことである。
- 804 名前:CarNo.774:06/06/18 02:18:04 ID:qLu/Aous
- 脱線ついでに、この年初めてルマンに挑むエレクトラモーティブのIMSA序盤戦におけるの活躍を。
前年圧倒的強さを発揮しながら、結局ダブルタイトル(メイクスタイトル)を日産が逃したのは、ポルシェに対して台数のハンデと共に、
デイトナ&セブリングのクラシック耐久を欠場したため。
そのためエレクトラモーティブはこの耐久2戦への参戦を決意する。
初出場となる開幕戦デイトナ24時間で予想どおりブラバムがPPを獲得。もう1台も3番手に。ただし2台目はタイヤの皮むきと割り切る作戦だ。
このデイトナにはアメリカのAARからトヨタ88C、日本のマツダスピードからマツダ767が参戦し、ルマン同様トヨタ・日産・マツダの揃い踏みとなった。
トヨタはこの年よりAARからIMSA-GTPフル参戦を果すことになる。
日産GTPは序盤からトップグループに加わり、深夜に入ってからはトップをキープし続ける予想外の健闘を見せる。彼らのマシンは今まで3時間以上のレースを戦ったことがない故、「6時間も走れば潰れる」と見られていたのだが…。
- 805 名前:CarNo.774:06/06/18 02:31:22 ID:qLu/Aous
- 日産の快進撃は、濃霧で3時間レースが中断し、再開したあとも続く。18時間を過ぎても首位をキープ。
「あるいは…」と期待を抱かせた19時間目、1番シリンダーのバルブが落ち5気筒状態に。それでも走り続けたが万事休す。
しかし初出場ながら19時間もの間首位を快走したエレクトラモーティブには賞賛の声が多く届いた。
優勝したバスビーポルシェのデレックベルは「彼らは来年完走し、再来年は優勝するだろう」と最大限の賛辞を送った。
このベルの予想はその後1年遅れで現実のものとなる…。
第2戦は「得意」のマイアミGP。難なくポールtoウィンで制すと、続く第3戦、伝統のセブリング12時間をも制してしまう。
エレクトラモーティブ初の「耐久」制覇である。
第4戦ロードアトランタもポールtoウィンと、ブラバム&ロビンソンコンビとエレクトラモーティブ日産はまさに無敵状態。
このブラバム&ロビンソンコンビに、セブリング制覇クルーのルエンダイクを加えたトリオのルマン参戦が発表されたのはこの直後であった…。
(以下次号)
- 806 名前:CarNo.774:06/06/18 02:35:46 ID:qLu/Aous
- 追記
ルマンの夜、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
と言っても今年はCSすらないし…。LT見ながら想像働かすだけ。
89年のルマンは、R89C&ベイリーの劇走&自爆で最高に興奮したことを昨日のことのように覚えています。
もう一度あのような興奮するルマンを見たい…。
- 807 名前:CarNo.774:06/06/18 02:46:30 ID:+TSaSxS/
- おまちしておりました。
乙。
- 808 名前:CarNo.774:06/06/19 00:50:59 ID:GYlRAtS/
- 乙です
今年は海外のライブ中継を悪戦苦闘しながら見ていました
やはりアウディは強かったですね・・・
- 809 名前:CarNo.774:06/06/20 23:12:24 ID:i1oRcFk7
- R89C マーチシャシーの頃とは比較にならないほどの優れた空力
性能を持った車だと思う。
ボディ
ボディ表面の面積を減らしてドラッグの低減を図っているが、
上向きの揚力の発生が少ないデザインになっている。
またエアアウトレットをボディサイドに設けてボディ上面の空気の流れ
を乱さないようにしている。
- 810 名前:CarNo.774:06/06/20 23:13:08 ID:i1oRcFk7
- エンジン
3.5リッターターボエンジン
全開時のフィリクションロスを少なくして
ロングストレートでの燃料消費を抑える。
アルナージュからフォードシケインまでの高速コーナーが連続する
区間でタイムを稼ぐ。
ということで3.5リッターターボなんだろうね。
R89Cは88年からのテクニカルレギュレーションに合わせて
設計された車ということもあるが、
89年のル・マンで日本チームのR89Cが快走。
このコンセプトは当たりだったようだ。
- 811 名前:CarNo.774:06/06/20 23:25:04 ID:i1oRcFk7
- メルセデスC9
中低速コーナー主体のコースで速い。
(スズカのヘアピン、スプーンからの加速は物凄い。)
ニッサンR89C
中高速コーナー主体のコースで速い。
1990年のWSPC
メルセデスは新型のC11を投入。
この車、90年中ごろの登場したニッサンNPT‐90にデザインが
似ている。
メルセデスC11の方がドラッグ低減重視だが、
両方とも上向きの揚力の発生を抑えるデザインになっている。
- 812 名前:CarNo.774:06/06/20 23:28:26 ID:i1oRcFk7
- ストレートスピード重視のR89Cを厚化粧した
R90Cで挑んだNMEは不利だったと思う。
R90Cはルーフでかなりの揚力を発生させていたと思うな。
- 813 名前:CarNo.774:06/06/22 00:11:45 ID:pmP+C8vR
- タイヤ一緒だったらR90CKとC11の差はなかった希ガス
- 814 名前:103:06/07/02 00:16:40 ID:RNdr4jNy
-
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5749.wmv.html
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5752.wmv.html
デイトナ24時間
- 815 名前:103:06/07/02 01:32:56 ID:bzlhVhMP
-
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5749.wmv.html
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5752.wmv.html
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5754.wmv.html
デイトナ24時間
- 816 名前:CarNo.774:06/07/03 03:11:02 ID:0cgPdk6t
- >>815
頂きました、乙です
- 817 名前:CarNo.774:06/07/03 12:15:42 ID:VMkia0KL
- >>815
有難うございます。
しかし、こっちの車はカッコイイ。
Gr.CとIMSAじゃ車両規定も違うんですか?
リヤ回りに迫力があって素敵。
- 818 名前:CarNo.774:06/07/03 23:01:31 ID:h7dJ0Aeg
- グループC
燃料使用総量制限
IMSA‐GTP
吸気制限
燃料タンク
グループC
100リッター以下
IMSA‐GTP
120リッター以下
最低重量、床、安全基準、その他
- 819 名前:CarNo.774:06/07/04 23:13:56 ID:HO6rrYAA
- JSPCのウィキなんですが、
なぜか「歴代タイトル」の欄の一覧表が、一番下に飛んでいます。
直せるテクある方いらっしゃいますか>?
- 820 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/07/05 16:54:46 ID:iVygwnJi
- >819
直してみる
- 821 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/07/05 16:58:31 ID:iVygwnJi
- 完了。あんな感じで桶?
- 822 名前:CarNo.774:06/07/06 23:58:51 ID:L6H5CGrd
- >>821
乙です。ついでにSWCのウィキに目次表示されないんだけどなんで?
- 823 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/07/07 03:34:10 ID:7qE8GxUp
- >822
項目が少ないからかと思われ。
ちなみに漏れはその当時はF1マンセーな餓鬼だったんで
SWCに関してはなんも書けません(;´ー`)
- 824 名前:CarNo.774:06/07/07 22:37:03 ID:3GDlxtrP
- >>823
SWCも「歴代タイトル」欄飛んじゃった。スマソ直してorz
あと画像持ってる香具師、SWCやJSPCのウィキに貼っていただけませんか?
- 825 名前:CarNo.774:06/07/08 12:54:43 ID:jhytlRxX
- >>824
当時物でなく、イベント時に撮影したものでもよいなかな?
- 826 名前:CarNo.774:06/07/09 02:02:18 ID:3TBufe6i
- >>825
824じゃないですが、ルマンのとこにはってあるマツダ787Bも博物館で撮影っぽいじゃん。
- 827 名前:CarNo.774:06/07/09 18:35:35 ID:bgk7n1EX
- wikiでR92CPについて書きたいと思ったんですが、
私が書くとあまりリアル世代でないのであまりうまくかけません。
どなたか書ける方いませんか?
ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBR92CP&action=edit
- 828 名前:CarNo.774:06/07/09 19:05:42 ID:EusSsCMx
- ウィキペディア 「グループC」
「新車両規定が裏目に出た」 × 間違い
89年頃、多くのプライベーターが走らせるポルシェ962Cは
TAGと日本の金、88年の車両規定の改定で甦ったが、
ポルシェ962が再び競争力を失うのは時間の問題であった。
世界選手権では90年後半、JSPCでは91年後半、ポルシェ962は競争力を失っている。
ポルシェ962が競争力を失えば、多くのプライベーターがスポンサーを獲得できなくなる。
総排気量制限車両規定が導入されなっかたとしても、参加車両の激減は必至であった。
- 829 名前:CarNo.774:06/07/09 19:07:05 ID:EusSsCMx
- トヨタとニッサンは、グループCに転用するのに適当な乗用車用のエンジンを持っておらず、
グループC用の純レーシングエンジンを開発しなければならなかった。
この時点で燃料使用総量制限グループCは終わっていると言っていい。
グループCに転用するのに適当な乗用車用のエンジンを持っていない自動車メーカーが参戦するとなると、
グループC用の純レーシングエンジンを開発しなければならないことになる。
グループCに転用するのに適当な乗用車用のエンジンを持たない自動車メーカーにとっては、
純レーシングエンジンを開発しなければならないのであるから、燃料使用総量制限グループCも
総排気量制限グループCも同じ。 高回転高出力型エンジンの方が金はかかるが。
- 830 名前:CarNo.774:06/07/09 19:07:32 ID:EusSsCMx
- トヨタとニッサンにはグループC用の純レーシングエンジンを開発する余裕があったが、
企業規模が小さいジャガーに純レーシングエンジンを開発する余裕は無かった。
ローバーのエンジンを拡大したジャガーのグループC用3.5リッターV型6気筒ターボ
エンジンは耐久性に難があった。
総排気量制限車両規定が導入されなかったとしても、
ジャガーはシルクカットと共に91年限りで撤退したであろう。
総排気量制限車両規定が導入されなかったとしても、
92年には参加車両は激減したと考えられるから、
92年頃にグループCと世界選手権は消滅したはず。
- 831 名前:CarNo.774:06/07/09 19:11:35 ID:EusSsCMx
- ウィキペディア 「スポーツカー世界選手権」
トヨタ、ニッサンが91年の世界選手権に参加しなかったのは、
新規定の車両を用意できなかったこともあるが、
ル・マン24時間で優勝を狙える車を持っていなかったのが最大の理由。
90年の世界選手権で圧倒的に速かったメルセデスC11が出てくる以上、
ル・マン24時間で優勝できる可能性は低いと考えたのであろう。
ジャガー撤退の理由
○ル・マン24時間レースに出す車両を持っていなかった。
(ジャガーに24時間レースで使えるエンジンを開発する余裕はなかった。)
○ヨーロッパでタバコの広告規制が強まったことによるシルクカットの撤退。
- 832 名前:CarNo.774:06/07/09 19:14:00 ID:EusSsCMx
- メルセデス撤退の理由
新型C291が駄目な車だった。
C291のレイアウトだと、エンジンの燃焼室の設計に制約がある。
1回の燃焼で発生させることのできる力が小さければ、高回転化しないと大きな馬力を出せない。
高回転化すれば、フリクションロスが増大する、振動が大きくなる等の問題が生じる。
多気筒化、高回転化で大きい馬力を発生させようとすると中低回転域のトルクが細くなる。
ル・マンのコースには低速コーナーが多い。
駄目だろ。
- 833 名前:CarNo.774:06/07/09 19:14:31 ID:EusSsCMx
- メルセデスの選択肢
1)92年のSWCにC291の改良型を出走させる。
(トヨタ(レクサス)のブランドイメージ向上に協力することになる。)
2)C291の改良型を走らせながら、急いで新型エンジンと新型車両を開発する。
(先行きが不透明なSWCに多額の投資をすることになる。)
3)SWCから撤退する。
3)が最良の選択。
- 834 名前:CarNo.774:06/07/09 21:05:33 ID:V5i2WQc+
- ID:EusSsCMx
色々突っ込んでるが、おまいさんのレスの方も突っ込みどころが満載なのはどういう事だろう。
・燃料使用総量制限規定は燃費向上技術の開発・低燃費への挑戦という
メーカーが参戦する大義名分があり、事実市販車へのフィードバックも多かった。
市販車とのリンクが殆ど無い3.5LNA規定とは訳が違う
・トヨタは2T-G/4T-G/3S-G、日産はVG30と
市販エンジンベースのグループC用エンジンを使ってた訳だが。
これらが「グループCに転用するのに適当な乗用車用のエンジンではない」
というのなら、後のIMSAでの3S-GとVG30の大活躍はどう説明するのだろう?
- 835 名前:CarNo.774:06/07/09 21:06:03 ID:V5i2WQc+
- ・ジャガーが撤退したのはジャガー本社の新社長がSWCに消極的だった為。
ジャガーからのバックアップが望めないので
TWRが独自に資金を集めなければ参戦できない状況だったが、
シルクカットに変わるスポンサーが見つからなかった為に
91年の時点でウォーキンショーは次期マシン開発を早々に凍結させていた。
・メルセデスはハイテク満載のC292を92年用に開発済みだった。
撤退したのは不安定なSWCの情勢とFISAの態度に嫌気が差した為。
- 836 名前:CarNo.774:06/07/09 22:38:15 ID:txwyEx5T
- >>835
>FISAの態度
ジャガーやメルセデスが撤退した理由にメディアへの露出等もあったみたいですね
FISAが言っていたほどの物では無く、期待はずれで、
「テレビへの露出が少なく、同じ程度の費用が掛かるのならF1に参戦した方が良い」
とメルセデスも、TWRも考えたみたいですね
- 837 名前:CarNo.774:06/07/09 23:24:04 ID:wi43PJW2
- C292とされるマシンがザウバーのファクトリーで眠っているのを写真で見たことがある
- 838 名前:CarNo.774:06/07/10 08:16:52 ID:azAn412s
- あとは2ちゃんのCカースレでお願いします。
ここは列伝とその感想書くとこなんで、それ以外でスレ消費されちゃうと困るのでは?
- 839 名前:CarNo.774:06/07/10 23:26:24 ID:LY/MZMfi
- >>834
3S-Gは8どうみてもグループCには使い物にならんだろ。
IMSAと88年以降の燃料規定の差があることに注意。
87年まではレースガソリン使えたからチャンピオン狙えたんだけど・・。
- 840 名前:CarNo.774:06/07/10 23:50:37 ID:GqZI+A2S
-
>>837
ttp://www.saubercafe.ch/album/displayimage.php?pos=-1154
>>834
どの自動車メーカーも多額の資金を投じて内燃機関(内燃機関以外も)の研究をしている。
研究の成果をモーターレーシングに生かしているに過ぎない。
自動車メーカーが参加する自動車レースは技術の博覧会といったところだ。
- 841 名前:CarNo.774:06/07/10 23:51:31 ID:GqZI+A2S
- tp://www.jsae.or.jp/09award/lst1995.html
セラミックターボチャージャー
ニッサンがグループCのレースで使っている。
(耐久性に難があったようで、予選のみ)
レーザクラッドバルブシート
トヨタがRV36、RV10に使っている。
燃料使用総量に制限なし、使用する燃料が高オクタン、燃料タンクの容量が120リッター以下、
エアリストリクターを装着させてエンジン性能の調整を図っているIMSA‐GTPと
グループCには違いがあると思うが。
- 842 名前:CarNo.774:06/07/10 23:54:24 ID:GqZI+A2S
- >>835
ジャガーが92年のル・マン24時間に出場したくても車が無い。
エンジンディベロップメントが金欠F1チーム向けに開発した
耐久性重視のV型10気筒エンジンをXJR‐14に搭載した車を造って出場することもできなくないが。
ウォーキンショウはジャガーにスポーツカー用の3.5リッターエンジンを開発する金が無いこと
を知っていたから、ベネトンの株を取得して、ジャガーとのビジネスを見限っている。
- 843 名前:CarNo.774:06/07/11 00:07:46 ID:GKbe7I4P
- >>835
C291は、未完成のまま急遽91年のSWCに投入されたC292。
C291は、エンジン、車のレイアウトがダメののだから、
最初から全部作り変える必要がある。
新機構満載のC292を煮つめるにしても相当な時間と金が掛かる。
注目度が低いSWCに金を掛けてシルバーアローがトヨタの後塵を拝する。
これだけは避けたい。
メルセデスはC291、C292の開発に多額の資金を投じたが、
撤退を決断しなければならなかった。
- 844 名前:CarNo.774:06/07/11 00:09:53 ID:dMH1imVv
- Cカースレでやれよ
- 845 名前:CarNo.774:06/07/11 00:19:36 ID:O6ErgoUy
- >>840-843
いい加減ウザイ
- 846 名前:列伝の中の人:06/07/11 22:52:25 ID:b+QRtKCK
- ごめんなさい。週末には続き書きます(多分)。
Cカー論議はCカースレ行きましょう(笑)。
あとウィキの修正してくれたのユニ(・・ ◆35zZnos9Ow さん?
ありがとう。
- 847 名前:CarNo.774:06/07/12 03:11:07 ID:CChXEgAC
- >>846
乙です。楽しみにしてます。
- 848 名前:CarNo.774:06/07/16 01:02:30 ID:U0xAL6tt
- 日産編其の五拾
WSPC鈴鹿で、「JSPCクラス」優勝を遂げたニスモは、ルマン前の最後のレース、
かつR88C最後のレースとしてGWの富士1000kmに挑んだ。ルマンではマシン(R89C)もタイヤ(BSからDLにチェンジ)も異なる。
しかしここで優勝してチームの士気を高めるのに大きく役立つはずだ。
予選ではR88Cこの年初めてフルブーストでタイムアタックし、長谷見がPP、星野が二番手とフロントロウ独占。
日産のフロントロウ独占は86年8月の鈴鹿1000km以来。タイムは長谷見が1.17.293、星野が1.17.562でトヨタ/リースのコースレコードには1秒ほど及ばなかった。
これがR88Cの限界性能だったろう。今回そのトヨタは3、4番手。
- 849 名前:CarNo.774:06/07/16 01:29:11 ID:U0xAL6tt
- 翌4月30日決勝。この富士1000kmにはJAF-GPがかけられていたが、しかし普段のレースともなにも変わりはなかったのだが…。
スタートではアルファキュービックの1年落ちポルシェが珍しく首位を快走するも27周目にデフトラブルでリタイヤ。代わってトップにたったアルファ・ブルンポルシェもトラブルで後退し、34周目にオムロンが首位に立つ。
一方の国産勢は、ミノルタトヨタは序盤にドアが浮いてしまうマイナートラブルで後退。日産勢は前戦のWSPCと同じく序盤はマイペース走法で後半に勝負をかける。
レース序盤にペースカーが入ったこともあり、日産はより燃費に余裕ができることに。
1回目のルーティーンピットの後は、オムロンが独走体制に入り、それを追って日石トラスト、アドバン、2台のR88Cが中盤まで2位争いを続ける。
171周目にアドバンがクラッシュで後退し、2位争いは日石トラストとカルソニック日産に絞られる。この時点でトップのオムロンと2位グループとは50秒ものビハインドがあった。
見た目にはオムロンの独走だったが、普段からJSPCを見慣れているレース・フリークには燃費をセーブした2位グループの2台がこの後猛追することは充分予想できたはずだ。
果たしてこの後日石トラストとカルソニックのスパートが始まる。独走するオムロンとの差をみるみる縮め、カルソニックは最後のピットストップで星野に交代。
燃費にも余裕があり、充分優勝を狙えるポジションでコースに復帰する。
- 850 名前:CarNo.774:06/07/16 01:50:11 ID:U0xAL6tt
- しかし星野の猛追はそこまでだった。224周レースの残り16周時点でトラブルでピットイン。左リヤのCVジョイントのトラブルである。
場内FMのアナウンサーの「星野の劇走は見られません!」との絶叫が空しく響く。
優勝争いはオムロンと日石トラストに絞られ、213周目トラストはついに0秒65。214周目には完全にテールtoノーズに。そして215周目のヘアピンでついに大逆転でトップに浮上する。
このドッグ・ファイトの中に星野も加わっていればと考えたファンは、日産/星野ファン以外でも多かったことだろう。
このバトルは残り3周で猛追がたたりガソリン残量がギリギリになったトラストのスローダウンで決着がついた。
そして3位に終始マイペース走行を続けた長谷見組YHPが入る。星野組は結局6位で完走となった。
結局優勝できないままR88Cは勇退となってしまったが、3位表彰台獲得は、ルマンに向けてチームの大きな士気高揚にはなっただろう。
しかしJSPC史上に残るあの激戦の中に、星野・R88Cが加わっていれば…。
- 851 名前:CarNo.774:06/07/16 02:26:54 ID:U0xAL6tt
- さて、最後のレースがR88Cなら、最初のレースとなったのがR89Cである。
富士1000kmの3週間後、5月21日のWSPC第2戦ディジョン。WSPCにフル参戦する日産にとっても初めての欧州ラウンドのレースであり、
そして現場をオペレートするNME(ニスモヨーロッパ)にとっても初めてのレースと初めてづくしだった。
このディジョンのレースに先立ち、日産はR89Cを4月のシェイクダウンの後、アリゾナのテストコースに空輸しテスト。
とんぼ帰りで欧州に戻り、2号車も加えポールリカールでテスト。その後5月上旬には日本人ドライバーも加えディジョンでテストと、積極的にテスト走行を重ねてきた。
そして迎えたWSPC欧州ラウンド開幕戦。ウィングはシェイクダウン時と異なりハイマウントである。
予選では、エキゾーストパイプや、電気系のトラブルが相次ぐ。1.09.536で6番手のタイム。PPのメルセデスからは約2秒落ちである。
日産とは逆に欧州ラウンドのデビュー戦を旧型の88Cで迎えたトヨタは予選2位と健闘した。2戦連続のフロントロウである。マツダは11番手。
- 852 名前:CarNo.774:06/07/16 02:53:06 ID:U0xAL6tt
- このレースは開幕戦鈴鹿を欠場した、ワークス・アストンマーチンAMR-1のデビュー戦でもある。
決勝は予想通りメルセデス2台のリードで始まる。それをヨーストポルシェが追い、デビュー戦の日産R89Cは序盤これらに次ぐ4番手を快走する。
しかし23周目にフロントのウィンドスクリーンがはずれピットイン。大きく順位を下げる。1時間後にも同じトラブルに遭い、結局7周遅れの15位完走に留まった。
他に大きなトラブルはなく、タイム的にも上位陣に劣らないものだっただけに、次戦ルマンへの期待は高まっただろう。
レースは、5月なのに30度を超える暑さのコンディションだった。
このコンディションにメルセデスのミシュランタイヤは音を上げ、一方でヨーストが使用したグッドイヤーは絶妙に悪コンディションにマッチした。
そしてヨーストはメルセデスを2,3位に押さえ、約2年ぶりのWSPC勝利をポルシェにもたらすことになる。ヨーストの使うグッドイヤータイヤは次戦ルマンでも強力な武器となるのである。
シルクカットジャガーは相変わらず絶不調で2台とも首位争いに加われないままリタイヤ。それでもディフェンディングチャンピオンとなるルマンでは優勝候補ナンバー1と言えるだろうが、
「スプリント」用に一刻も早くターボ仕様(XJR-11)の投入が迫られて来た。
対照的にトヨタは好調で、予選2位に続き、決勝でも4位に入賞した。マツダは10位完走でポイントゲット。
5位にキャビンカラーのRLRポルシェが入っている。
- 853 名前:CarNo.774:06/07/16 03:10:35 ID:U0xAL6tt
- マイナートラブルで結果は伴わなかったものの、デビュー戦でまずますのパフォーマンスを示したR89C。
テストも含め順調にプログラムを消化してきたと言えるだろう。
そして次戦ルマンでは、日本車として初めて上位争いに加わり(その中には日本人選手も加わる)その実力を天下に示すことになる。
7つものメーカーが参戦し、バブル景気全盛期で多数の日本企業がスポンサードし、「史上最も華やかなルマン」。
1989年6月6日、公開車検でルマンウィークは始まる。
(以下次号)
- 854 名前:103:06/07/16 08:55:00 ID:6B0bR+nu
- >>852
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up5927.wmv.html
- 855 名前:CarNo.774:06/07/17 22:18:40 ID:K2KPy2ZJ
- >>853
乙です
>>854
頂きました
- 856 名前:CarNo.774:06/07/18 18:03:18 ID:2nfTVX33
- >CarNo.774
今日から愛読者です
>>854
私も頂きました
- 857 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/07/21 19:04:41 ID:0EVB8zbf
- >856
CarNo.774はここの名無しさんでつよ〜_no
- 858 名前:CarNo.774:06/07/22 19:41:57 ID:T9WAoXaU
- >>850
VRH30とVEJ30のバルブの挟み角と圧縮比はどの位何でしょうか?
>>852
ポルシェ962CはIMSAの車両規定に合わせて956より前輪車軸を前にもっていったが、
前にだけでなく、後ろにも伸ばしたのでしょうか?
- 859 名前:CarNo.774:06/08/09 23:23:14 ID:LEijwDot
- まもなく再開予定
- 860 名前:CarNo.774:06/08/10 23:45:36 ID:E7wo39UM
- 日産編 其の五拾壱
さて、WSPC第2戦と時期は前後するが、5月18日、この年のル・マン24時間はWSPCから外れることが急遽決定した。
シーズン前にはテレビ放映権はフランスと日本を除きFIAが持つと言うことで一度は解決したのだが、この放映権が再度問題になり、また計時機器(WSPCはオリベッティ−ロンジン)の問題も重なり、
結局この年のル・マンはWSPCから外れることになった。(この年のル・マンの計時は100分の1まで。WSPCは1000分の1まで計測されていた。)
この問題が後にスポーツカーの世界選手権、グループCカテゴリーを崩壊させる一因となるのだが…。
この年のWSPCは、単独イベントのみの参加を認めず、ル・マンに出たければシリーズ全戦参加しなければならなかったが、
そのためにWSPC全戦参加を決めた日本のメーカーにとってル・マンのシリーズ除外は梯子を外された気分だったろう。
しかしシリーズを外れたと言う事実以外、この年のル・マンは大きな影響もなく、例年以上の充実したエントリーを集めた。
WSPCに加わっていれば参戦不可だった、「直線番長」WMプジョーも急遽エントリーが追加された。
総勢60台。決勝出走台数は急遽55台に増やされた(86年以降は50台に減らされていた)。
- 861 名前:CarNo.774:06/08/11 00:05:39 ID:XI0YyxIt
- この年のル・マンは「史上最も華やかなル・マン」と言えるほど、充実したエントリーを集めていた。
参加したワークスマシンは6メーカー・18台。内訳はジャガー4台、メルセデス3台、アストンマーチン2台、トヨタ3台、日産3台、マツダ3台。
ポルシェも伊太利屋カラーのヨースト#9(シャシーナンバー000)は、ポルシェAGのノルベルト・ジンガーが指揮をとる「隠れワークス」である。
時代はまさにバブル真っ盛り。日本車はトヨタが89C-V2台、88C(WSPC第2戦で4位入賞したマシン)1台の計3台。
日産はワークスのR89C3台に加え、チーム・ルマン(エントリーはクラージュからのヤドカリ枠。結局意味はなくなったのだが)のR88Vの計4台。
マツダは4ローターの767Bが3台。日本車が10台と言うのも史上最多である。
日本人も17名と過去最多。バブル日本の企業の支援を受けるポルシェも10台(ヨースト=伊太利屋、ブルン=フロムA、アルファ、RLR=CABIN、シティライフ、シュパン=オムロン、武富士
クレマー=ケンウッド、レイトンハウス、デイビー=マルカツ)。
メーカー関係者のみならず、報道陣、スポンサー、観客と、ル・マンのパドックがまるで富士や鈴鹿と変わらないくらいの多くの日本人が闊歩する。
ル・マンにおける日本の存在は益々大きくなっていった。そしてそれはマネーだけでなくレースにとっても言えるようになってきたのである。
- 862 名前:CarNo.774:06/08/11 00:21:34 ID:XI0YyxIt
- 6月7日、予選一日目。メルセデスがまずは1-2位を独占する。しかし前年ワークスポルシェの出したコースレコード3.15.64は上回れない。
前年コースレコードをたたき出したスタックが駆る「隠れワークス」#9は、予選エンジンを壊し決勝用エンジンでアタック、3.19.80に留まり自身のレコードを超えることはできなかった。
しかしグッドイヤータイヤを履くこのセミワークスマシンは本番で大活躍を見せることとなる。
日産は静かな一日目を迎えた。R89Cは当然ながら初めてのル・マン。特に日本人組がドライブする#23(3号車)は完成したのが6月1日で、まさにシェイクダウン状態だったのである。
電気系などのマイナートラブルが重なり、また強烈なスコールも加わりまともなアタックはできなかった。
初日のタイムは*****と低迷した。しかしそれでも日産に対する注目度は変わらなかった。
- 863 名前:CarNo.774:06/08/11 00:50:54 ID:XI0YyxIt
- 翌2日目。#37Tトヨタ89C-Vのリースが、フルブーストでアタックし、3.15.51のレコードをマークしトップに立つ。
しかしこのタイムはTカーのため認められず。トヨタは86年WECと同じミスを犯したのである。
トヨタのアタックに、メルセデス陣営も反応し、シュレッサーがアタック。リースのタイムを上回る3.15.04をマーク、PPは確定的だったが、コースレコードもトヨタから奪い取った。
一方の日産は決勝のセッティングに集中、#24が12番手となる3:24,09、IMSA組が駆る#25が15番手の3:25,38、日本人組#23が19番手3:26,95とタイムも揃う。
日産陣営はこのタイムで決勝を走ると宣言する。町田は「予選をセッティングの場にしてしまってすいません」と笑う。
「レース本番で日産はひょっとしてダークホースになるのでは?」そう言った期待感は益々大きくなっていった。
一方のトヨタ陣営は中々セッティングが決まらず、苛立ちが濃くなっていく。
レース前の記者会見で町田は「我々はサーキットを劇場と考えております。来て下さったお客さんに感動を与えることのできるレースをお約束します」と宣言した。
そしてこの「公約」は掛け値なしに実行されることになる。かつて「参加」するだけだった日本車が、この年初めて「参戦」したと言えるようになったのだ。
バブル全盛「史上最も華やかなル・マン」、そして「6kmストレート最後のル・マン」。
1989年6月10日午後4時スタートを迎える。
(以下次号)
- 864 名前:CarNo.774:06/08/11 01:14:13 ID:2HIHkZPk
- 乙です!
- 865 名前:CarNo.774:06/08/28 18:37:09 ID:ofqlUKh+
- またプロトの耐久レースが見たいなあ。
- 866 名前:CarNo.774:06/08/30 11:57:41 ID:7z1/bTKS
- レーシングオンのCカー特集
DVD付き総集編が9月25日発売らしい
- 867 名前:CarNo.774:06/08/31 22:51:04 ID:zgvyEwU2
- それは非常に楽しみ。「C伝説」か?タイトルは。
- 868 名前:CarNo.774:06/09/01 16:41:41 ID:eytpo/Ak
- 今まで4回有った特集を1冊にまとめたもの+αだね。
- 869 名前:CarNo.774:06/09/02 00:33:34 ID:MUwYkf46
- 明日更新予定
レーシンゴンの連載に追いつかれる前に
別冊総集編は即買い予定
- 870 名前:CarNo.774:06/09/02 22:29:37 ID:Ezxbp6z5
- 日産編 其の五拾弐
6月10日午後4時、日本時間午後11時、カラフルに彩られたCカーの隊列が一斉にスタートした。
スタートこそフロントロウのザウバーメルセデスが先行するが、すぐにジャガーの1−2フォーメーションとなる。
短距離化したWSPCでは苦戦を強いられているジャガーだが、このル・マンは死守すべく序盤から飛ばす。
しかしこのジャガー勢を追いかける意外な伏兵が現われる。#24ジュリアン・ベイリーの日産R89Cである。
予選12番手から、オープニングラップで7台抜き5位で1周目を終える。そして予選1−2のザウバーをかわし、4周目には3位にまで浮上する。
日本車が序盤とは言え、上位を争うのは史上初めてのことと言ってよかった。
少なくとも1987年から始まったテレビ朝日の中継で、テレビ朝日の独自映像でない国際映像に日本のマシンがこれだけ大映しになるのはまったく初めてのことだった。
ベイリーの快走は尚も続き、5周目のミュルサンヌコーナーで2番手を走る#2ジャガーを抜き去ろうとした祭に追突。コースアウトしてしまう。
- 871 名前:CarNo.774:06/09/02 22:50:26 ID:Ezxbp6z5
- なんとかピットまで戻ってきたベイリーだが、追突した際のダメージはモノコックまで及んでおりここでリタイヤとなってしまう。
24時間レースを20分少々で終えてしまったのである。
しかしベイリーの快走は間違いなく多くの日本人を楽しませてくれたことは間違いない。できることならもう少し長く、人為的ミスでなくマシンの命運が尽きる瞬間まで楽しませてもらいたかったのだが…。
何も強引に抜き去らなければならない状況ではなかったし、あのまま落ち着いて走行を続ければ、日本車初のLAPリーダーを1年早く見ることができたのだが…。
レースはその後ジャガー勢と「隠れワークス」#9伊太利屋ヨーストが引っ張り、それをザウバーが追う。
優勝することになる#63メルセデスは、序盤コース上に落ちた他車のエキゾーストパイプを踏み20番手にまで順位を落としていた。
#9ヨーストの快走はその後も続くが、このポルシェ、ジャガー、メルセデスに三つ巴に割って入っていったのが、長谷見/星野/利男組の#23カルソニック日産R89Cである。
その模様はテレビ朝日の中継で日本の視聴者にも伝わっていた。テレビ朝日の独自映像でなく、国際映像でである。
長谷見は後に「我々が初めて好きに走ることが許された日本人ドライバー」と語るが、まさに史上初めて日本車/日本人がル・マンのレースに単なる「参加」でなく「参戦」したと言えよう。
- 872 名前:CarNo.774:06/09/02 23:04:22 ID:Ezxbp6z5
- #9伊太利屋ヨーストの快走は夜になっても続き、3分の1終了の8時間目の時点で2位以下を2周も離す独走状態だった。
この時点で#23日産は#1ジャガー、#61メルセデスに次ぐ4番手につけていた。深夜に入っても日産の快走は続き「ひょっとして」と淡い期待を抱かせた深夜2時19分、長谷見がピットインする。
水温の上昇である。13分の修復作業でピットアウトするが、3周で戻り、そこでリタイヤとなった。
オーバーヒートである。ラジエターとホースの継ぎ目の金属がレースが進むうちにカウルと接触しそこから水漏れが起きていたのだ。
しかしこれが事実上初めてのレースとなる日本人組R89Cの快走をどれだけの人が予想したか?
次年度以降に向けて日産は大きな自信になったはずである。
- 873 名前:CarNo.774:06/09/02 23:23:53 ID:Ezxbp6z5
- 何しろ#23日産はリタイヤの時点まで優勝することになる#63メルセデスより上位につけていたのだから!
日産が脱落した同じころ、独走していた#9伊太利屋も、ウォーターパイプからの水漏れから水温が上昇し緊急ピットストップ。
修復に15分の時間を要し首位を#2ジャガーに明け渡す。更に#9伊太利屋は深夜3時45分、給油中に引火し炎上してしまう。
これでタイムロスし、大きく順位を落としてしまう。
折り返しの12時間目の時点で首位は#1ジャガー、1周遅れで#61、#62のメルセデス勢が続く。
ル・マンが夜明けを迎えた午前6時17分、トップを快走する#1ジャガーにトラブルが襲う。ミッショントラブルである。この修復に50分を要し8位まで順位を落とし、この時点でジャガーの連覇の夢は絶たれた。
- 874 名前:CarNo.774:06/09/02 23:38:44 ID:yJosZChQ
- 乙です。
振り返れば一番惜しかったかもな89ルマンですね。
下馬評でも日産は評判がよかったように記憶しています。
ポスターだかチケットだかの絵が日産だったのって、この年でしたっけ?
- 875 名前:CarNo.774:06/09/02 23:55:12 ID:Ezxbp6z5
- オープニングラップを1位で戻ってきてから、その後ずっと首位とは無縁だったメルセデス勢が、なんと14時間半を経過して首位を奪還したのである!
その後ミッションを交換し、ファステストラップを連発し続けた#1ジャガーだが、4位まで挽回するのが精一杯であった。
メルセデス勢に続く3位の位置にいた#9伊太利屋だが、終盤クラッチが滑りだし、こちらも追い上げはならなかった。
さて、日産も終わったわけではなかった。序盤ブレーキトラブルで大きく遅れたIMSA組の#25は、朝8時、16時間目の時点で5位にまで順位を上げていた。
燃費的にも余裕があり、日本のテレビ放送開始(日本での夕方4時からの放送分)に合わせて順位を上げるべく攻める予定だった。
しかし8時32分、#25はオイルを拭き最後のR89Cもそこでリタイヤとなってしまう。テレビ朝日の中継の「夕方の部」にR89Cは生き残ることができなかったのである。
日産の1989年ルマンはここで終わった(チームルマンのCABIN日産R88Vは15時間でリタイヤとなっている)。
リタイヤ直後、町田はその報告会見を行った。目に涙を浮かべ「楽しんでいただけましたでしょうか?」と。
詰め掛けた日本人プレスから拍手が起きた。帰国後もいつもは辛口の評論家が、町田・日産の戦いぶりを絶賛した。
ファンばかりでなく、多くのプレスも参加するだけでない「ル・マンで戦う日本」を永く期待していた。
そしてそれを初めてと現実のものとしたのが町田率いるこの年の日産だった。絵空事に思えた日本車の「ル・マン制覇」が初めて現実のものと思える時が来たと言ってよかった。
- 876 名前:CarNo.774:06/09/03 00:10:19 ID:qPX0KlCY
- レースは#63、#61のメルセデスがそのまま首位をキープし1−2フィニッシュ。
シルバーアロー・メルセデスにとって37年ぶりのル・マン制覇である。
終盤は#61にミッショントラブルも起き、決して楽勝ではなかった。そもそも前年予選で撤退しているザウバーメルセデス勢にとって、この年は翌年に向けての「テストの場」と言ってよく、
ムリにトップ争いに加わると言うよりは、ペースを守りなにがなんでも完走と言うのが最大の目標だったはずだ。
事実この年の優勝車の周回数は389周。前年の1位、2位のジャガー、ポルシェは394周。ジャガー、ポルシェの自滅がなかったら果たして優勝できたか?
この年優勝してしまったがために、翌年メルセデスは「勝ち逃げ」(?)してしまうことになるのだが…。
- 877 名前:CarNo.774:06/09/03 00:28:32 ID:qPX0KlCY
- このメルセデスほか、有力チームはレース中、頻繁に日産のピットを訪れ、給油量ほか、ピット作業を「スパイ」していた。
日産も有力なライバルと認められた証だろう。
トヨタは決勝ではまったくいい所なく序盤で全滅、マツダは7、9、12位で全車完走した。
同じ全滅でもいるのかいにのかわからないうちに消えたトヨタと、攻めに攻めた結果リタイヤとなった日産では世間の評価は違った。
マツダは前々年に続く7位完走だが、2年前ほどの評価を得ることはできなかった。
「じっくり走って完走」と言う旧来の耐久レースの戦い方では、もはや上位入賞はともかく優勝は望めない時代になっていたのだから。
「24時間のスプリントレース」、それが近代のル・マンの戦い方となっていたのである。
- 878 名前:CarNo.774:06/09/03 00:29:16 ID:qPX0KlCY
-
日本車初のル・マン制覇を多くのファン・プレスに期待されるようになったのは、間違いなく日産であった。
大活躍したR89CのVRH35エンジンだったが、設計者の林にとっては決して満足のできるものではなかった。
設計時から上司からの干渉は日常のことだった。人事異動でその心配がなくなった翌年型こそ、林の理想とする究極のレーシングエンジンが出来上がる。
翌年のル・マン制覇に向けて日産は動き出す。
その成果は早くもWSPC後半戦で示されることとなる。
(以下次号)
- 879 名前:CarNo.774:06/09/03 02:09:14 ID:rVloHogA
- 乙です
>>874
90年では?
89年はザウバーメルセデスのポスターだったと記憶
- 880 名前:CarNo.774:06/09/03 22:40:39 ID:bmfL6rPG
- >>876
メルセデスが90年のル・マン24時間に出場する場合、
C9を出走させることになっただろうから、
C9、C11、3.5リッター自然吸気エンジン搭載の新型車の開発、
3つの仕事をこなさなけらばならない。
それが90年の欠場の理由だろうね。
- 881 名前:CarNo.774:06/09/03 22:49:11 ID:bmfL6rPG
- >事実この年の優勝車の周回数は389周。前年の1位、2位のジャガー、ポルシェは394周。ジャガー、ポルシェの自滅がなかったら果たして優勝できたか?
一箇所を変えればいろいろ影響がある。
潰れたら負け。
気温、路面温度、湿度等に因ってラップタイムは変わるから。
88年と89年のどちらが条件が良かったのかは知らんけど。
- 882 名前:CarNo.774:06/09/04 16:13:09 ID:nsGAJsGj
- 10円のパーツがぶっ壊れてリタイヤすることもあるし
結果がすべてのレースには適さない表現だな
- 883 名前:CarNo.774:06/09/08 00:32:13 ID:4lUA0O/n
- でもまあ89年のベンツが本気で優勝狙ってたとは思えなかったけどね。
最初のLAP以外は完走ペース。翌年のデータどりがメインだったろ?
でヨーストかジャガーが勝ってれば、まいいのか悪いのかわからんが翌年C11でベンツはル・マン出てきたんジャマイカ?
90年C11が圧倒的に強かった理由に
1.C11自体が優秀なマシンだった
2.グッドイヤータイヤ
と共に
3.スプリントに専念できた
もあったと思う。もしルマンも出てたら他のWSPCどうだったかなあ?
- 884 名前:CarNo.774:06/09/10 01:47:43 ID:mJNPflGi
- とりあえず富士1000km復活だそうです
- 885 名前:CarNo.774:06/09/10 14:32:39 ID:oi2VhZgo
- 今の富士で1000kmとか言われてもな・・・
- 886 名前:CarNo.774:06/09/10 22:16:06 ID:5TzEWBtp
- 新しい富士スピードウェイ、
前よりいいコースになったね。
- 887 名前:CarNo.774:06/09/10 22:46:20 ID:4T5q0iPd
- >>886
工工エエェェ(´Д`)ェェエエ工工
- 888 名前:CarNo.774:06/09/10 23:33:15 ID:8GFQvBiz
- >>886
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
- 889 名前:CarNo.774:06/09/13 19:27:54 ID:MxlasIl3
- Cカーは燃料規制もあり、燃費の駆け引きなどレベルが高かったと思う。
漏れは今のGTよりも、Cカーの方が好き。
Cカー列伝、楽しみにしてますよ。
- 890 名前:CarNo.774:06/09/13 21:06:28 ID:s4miDWDy
- >>884
JLMCの1戦?
>>876
グループC車両規定(’89)
最低重量
750kg(カテゴリー1エンジン搭載車)
900kg(カテゴリー2エンジン搭載車)
ル・マン24時間仕様は重装備になるから、
88年のジャガーとポルシェの車両重量は900kgぐらいあったと思うが。
89年ル・マンのメルセデスC9の1台が最低重量を1kg割っていた
(誤差の範囲内ということで問題なし)
のを思い出した。
- 891 名前:CarNo.774:06/09/16 10:25:29 ID:A8Q65Oge
- >>890
そうです。
6月2日の予定。でもルマンの2週間前じゃん。どう言う組み方だよ。
- 892 名前:CarNo.774:06/09/17 21:07:04 ID:hu9fLZdd
- >>890
アリガトウ。
最新のレーシングスポーツカーを観てみたいが、
今の参加台数ではあまり行く気が・・・・
- 893 名前:CarNo.774:06/09/18 01:18:23 ID:kUod1jWW
- 日産編 其の五拾参
89年ルマンでの日産の快走は、日産のルマン制覇と言う目標が単なる絵空事ではないと世間に思わしめるに充分な効果があっただろう。
90年か91年にはそれが現実のものとなるのではないか?少なくともトヨタ・マツダよりは遥かに現実的なことに思えただろう。
ルマン制覇と言う目標に近づくため、WSPC、JSPC後半戦は何としても結果を残さなければならない。
そしてそれはすぐに目に見える成果となって現われる。
さて89年後半戦は、WSPCとJSPCを分けて述べて行く。
NMEのWSPCは、ルマンの2週間後、第3戦スペイン・ハラマから始まった。
この年のWSPCは全戦参加が義務付けられていたが、欧州ラウンドのうち1戦のみ欠場が許されていた。そのためマツダやアストンマーチン、RLRなどこのレースを欠場するチームも多かった。
ルマンで活躍したヨーストも同日開催のドイツ国内選手権に参加し、ここハラマ・ラウンドを欠場した。
参加台数は普段より少ない24台。それでもメルセデス、ジャガー、トヨタ、そして日産は出場する。
日産はルマン後2週間と言うこともあり、基本的にはルマンと大きな仕様変更のないまま臨むこととなった。
- 894 名前:CarNo.774:06/09/18 02:10:01 ID:kUod1jWW
- 予選PPはメルセデス。日産は約2秒落ちの6番手。フルブーストのアタックを行ってはいない。
2番手もメルセデス、3,4番手はジャガー、5番手にトヨタ。
決勝は序盤メルセデス、ジャガー勢に次ぐ5番手争いを、トヨタ、ポルシェ勢としていた日産R90CKだが、
スピンや、タイヤ選択ミスなどで8位に留まった。ルマンのような快走とはならなかった。
続く第4戦は英国・ブランズハッチ。予選でPPを取ったのは、このレースがデビュー戦となるターボエンジン搭載のジャガーXJR-11。日産R89Cは0.5秒落ちの4番グリッド。
このレースから日産R89Cの仕様が一部変更され、(ルマンの)直線重視で前後とも17インチだったホイール径が、スプリント用にリヤが19インチへと拡大された。
リヤのフェンダーもルマン仕様より大きく盛り上る形になった。
決勝レースは、スタート・ドライバーのジュリアン・ベイリーのルマンを彷彿させる快進撃で始まる。
スタートでトヨタに次ぐ6番手へと順位を落としたが、その後は周回ごとに順位を上げ、18周目には2番手にまで浮上する。しかし結果までルマンの通りになってしまうとは…。
19周目の最終コーナーで単独クラッシュ、リタイヤとなってしまう。まさにルマンでの出来事の劣化コピーである。
確かにベイリーの快進撃はNHK-BSの録画中継を観戦していた日本のファンを大いに楽しませたろうが、(短距離化されたとは言え)耐久レースは完走してなんぼの世界。
日産はF1パイロット・ベイリーに「速さ」を期待して採用したのであるが、とは言えF1だって完走しなければ結果は出ない。
ルマンに続いての単独クラッシュは信用を失わせるのに充分な出来事であっただろう。
- 895 名前:CarNo.774:06/09/18 02:35:57 ID:kUod1jWW
- ルマンでの16時間におよぶ快走で、WSPCではすぐに結果を残せることが期待されたが、
第3戦、第4戦は期待外れの感を否めない結果となった。
NMEでは実戦テストの場を求め、ドイツ国内のCカー・スプリントレース「ADACスーパーカップ」の参戦を決意する。
8月6日の第4戦ディープホルツ。ドライバーはレギュラーのベイリー・ブランデルでなく、テストドライバーのマーティン・ドネリー。
この年アロウズからF1デビューを果たしている。
予選ではトラブルでノータイムとなってしまったが、決勝レースでは10周目に首位に浮上すると、給油のピットイン時を除いてキープしたままトップでチェッカーを受ける。
R89Cのみならず、NMEにとって初優勝、欧州にお意て日本のCカーが勝利をあげたのもこれが初の快挙である。
以降のWSPC、そして翌年のル・マンに向けてこれ以上ない弾みになったと言えるだろう。
(日本優勝!眠いんで続きは明日)
- 896 名前:103:06/09/18 09:09:00 ID:EZ1wAwkZ
-
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up6755.wmv.html
- 897 名前:CarNo.774:06/09/18 12:08:17 ID:kUod1jWW
- >>896
ありがとうございます。実家の棚の奥探せばビデオ出てくるかもしれないが、10年以上ぶりに見させていただきました。
人気ないと言っても、このブランズハッチは観客一杯入ってますね。
当時2ちゃん実況あれば、日産2位、トヨタ3位の時点で祭でしたね。
でベイリーのクラッシュ時は「ベイリー氏ね」でスレが埋まるとw
- 898 名前:CarNo.774:06/09/18 23:08:09 ID:WzYG60xO
- ★ブランズ・ハッチ
89年の世界選手権が開催されたコースで
もっともアベレージスピードが高かったコース
(富士スピードウェイと同じくらい)。
当時の富士には高速コーナーが存在しないが、
ブランズ・ハッチは高速コーナー主体の高速コース
(古いタイプのコース)。
高速コーナーが遅いトヨタ89C‐Vが飛ばしたら・・・・
- 899 名前:CarNo.774:06/09/18 23:09:55 ID:WzYG60xO
- DFZとDFRの違いって?
誰か教えてくれ。
- 900 名前:CarNo.774:06/09/24 19:11:01 ID:R8x04rGS
- うろ覚えだが、DFRはF1の3.5リッターNA規定にあわせた新設計エンジン
その後もフォードはZtec-Rとかの新エンジンを開発している。
DFZは旧式のDFVを3.5L化したもので、間に合せのエンジンでしかない
- 901 名前:CarNo.774:06/10/01 13:26:11 ID:JkBYFhf/
- 日産編 つづき
WSPC第5戦はニュルブルクリンク。予選ではザウバーがフロントロウを独占する。日産は予選ブーストを使わずPPから約3秒落ちの4番手。
決勝朝のウォームアップでは日産はトップタイムをマーク、ADACスーパーカップ優勝からの良い流れを維持する。
今回日産は、F3000出場のブランデルに代わりアンドリュー・ギルバート・スコット(現佐藤琢磨マネージャー)がドライブ。スタートもミスが続いたベイリーに代わり勤めることになる。
スタートでフロントロウのザウバーが飛び出すが、A・G・スコット駆る日産R89Cは、14周目に2番手浮上、17周目に首位に浮上する。
以降グングン飛ばすスコット/R89Cは2番手のザウバーの10秒以上のマージンを築く。まるで燃費を無視するかのように…。
- 902 名前:CarNo.774:06/10/01 13:46:44 ID:JkBYFhf/
- ベイリーに交代した後も、日産の快走は続き、レース中盤には2番手を30秒以上も引き離していた。
その2番手争いは2台のザウバーと、「セミワークス」のヨーストポルシェ。中盤までに同一周回走行車はこの4台のみとなっていた。
レース終盤、やはり日産はペースを落とす。30秒あった差が、105周レースの80周目に9秒まで迫り、90周目に1秒差、そして91周目にシュレッサーのザウバーとウォレクのヨーストに揃ってかわされついに首位を明け渡す。
以降もペースの上がらない日産は残り2周半を残しガス欠でストップする。コントロールライン前でチェッカーまで待機していればポイントを獲得できたかもしれないが、ベイリーのドライバーとしての闘争本能がそれを許さなかった。
日産後退後も尚もザウバーとヨーストのトップ争いは続いたが、最終LAP目前にヨーストがガス欠状態になり決着がついた。ウォレクもコントロールライン前で待機すれば3位表彰台は確実だったが、それをせずに最終LAPでストップ、順位は消えた。
結局はザウバーの1−2フィニッシュだったが、これまでのザウバーのワンサイドゲームではなくなった。
日産、ヨーストの脱落で、燃費を気にしマイペースで走行を続けたトヨタ89C−Vは3位目前だったが、こちらも最終LAPのガス欠で7位に後退した。
しかし攻めて攻めてガス欠の日産と、マイペースながらガス欠のトヨタとでは、世間の評価に大きく差が付いたと言えるだろう。
- 903 名前:CarNo.774:06/10/01 14:00:32 ID:JkBYFhf/
- 実は日産の快走には裏話があり、レースに協賛金を提供しなかった日産に対し、FIAはテレビ局に「日産は写すな」と持ちかけていたと言う話が日産の町田に伝わり、
激怒した町田は「燃費なんか気にしないでいいからガンガン攻めろ」とドライバーに指示を出したと言う。
トップを独走する日産をテレビカメラも追わないわけにはいかない。結果日産R89Cは大写し。リタイヤになったとは言えチームの士気は大いに向上した。
この一件でFIAも町田/日産に一目置くようになったと言う。
- 904 名前:CarNo.774:06/10/01 14:15:42 ID:JkBYFhf/
- 第6戦は英国ドニントンパーク。予選はまたしてもザウバーの1−2。予選ブーストを使わない日産が1.6秒落ちの3位。
トヨタが4位と続いた。
決勝では序盤、メルセデス、ジャガー、日産の三つ巴で展開する。これにカテゴリー1のスパイスが加わる。
燃費のきついドニントンでは燃費規制のないカテゴリー1は本領発揮である。1回目のピットインが終わると、ジャガー、スパイスが脱落し日産とザウバーの一騎討ちとなる。
およそ12秒の差でベイリーからバトンを受け継いだ日産R89Cのブランデルが首位を快走する。
一時は20秒まで差が開いたが、再び12秒の差まで詰まった89周目(120周レース)に日産、メルセデスが同時ピットイン。
今回の日産の快走は前戦ニュルブルクリンクのような「玉砕戦法」ではない。テレメーターで綿密に燃費を計算しての走行である。85年WEC−JAPAN以来の日産、そして日本車の世界選手権優勝が現実味を帯びてきた。
しかしこのピットイン時、日産は給油速度が早いと、12秒のストップペナルティを受ける。日産のマージンは消え、メルセデスの真後ろから同時にピットアウトして行くことになる。
- 905 名前:CarNo.774:06/10/01 14:22:16 ID:pVbwn9qv
- ここ、個人的に最高のスレだあ
押入れの奥を探す気になりますた!
- 906 名前:CarNo.774:06/10/01 14:29:21 ID:JkBYFhf/
- しかしそれでも最終スティントで日産とメルセデスのバトルが期待された。だがその後日産のペースが上がらず徐々に後退していく。
実はこの時日産R89Cの右フロントタイヤがスローパンクチャーを起こしていたのだ。
このためベイリーは首位のメルセデスを追うのをあきらめ、ピットインせず我慢の走行で2位を守ることに専念する。
しかし残り2周でついにバースト、3位走行のメルセデスに抜かれ3位に後退するも、そのままフィニッシュまで走行する。
R89Cの初優勝は逃したものの、初の表彰台である。この結果メルセデスの89年WSPCチャンピオンは確定したが、日産はついにシルバーアローの尻尾を捕らえるとこにまで来たのである。
しかしながら「たら」「れば」であるが、不運なパンクがなければ…。
トヨタはマイペース走行で5〜6番手をキープしていたが、またしてもガス欠で10位。
日産はトヨタには完全に差を付けたと言えるだろう。
- 907 名前:CarNo.774:06/10/01 15:34:55 ID:JkBYFhf/
- 第7戦はスパ・フランコルシャン。「スパウェザー」の名のとおり、レースウィークの天候は安定しなかったが、予選時はドライ。
今回日産はタイヤがうまくマッチせず、PPのメルセデスの5秒落ちの7番手に留まる。
決勝はドライコンディション。この年のWSPCスパはF1と同じラ・スルス前をスタート/フィニッシュラインとした。
(通常のスポーツカー・ツーリングカーはラ・スルスを回った先がスタートラインとなる)
今回の日産はタイヤの選択ミス、カウル修理などでザウバーを追うに至らない。1回目のピットインでコンピューターのチップを交換し、終盤はペースもアップする。
しかし3位のヨーストには追いつけず、2戦連続の表彰台を逃すと思われたが、最終LAPでなんと2位走行のシュレッサーのメルセデスがガス欠。棚ボタで日産は連続表彰台を獲得する。
スパの翌週の9月24日、ADACスーパーカップの最終戦ニュルブルクリンク(ショートコース)に参戦。ヨースト、ダウアーに次ぐ3位。連勝はならなかった(ドライバーはベイリー)。
- 908 名前:CarNo.774:06/10/01 15:36:07 ID:JkBYFhf/
- 最終戦は10月29日メキシコ。なんとしても1勝をあげたい日産にとって、メキシコは初めて海外工場を建設した思い出の地である。町田もメキシコでの勤務経験があった。
メキシコでのスポーツカーの世界選手権は35年ぶりの開催である。しかし日産はバンピーな路面にマッチせず予選は8位に留まる。
トヨタはザウバーに次ぐ3位と好調。ジャガーは次年度の開発に専念するため、ターボのXJR-11を持ち込まずNAでのXJR-9を持ち込んだ。
日産R89Cは決勝でもセッティングが決まらず、またペースカーの入るタイミングが不運に見舞われ1周をロスし、5位走行中のラスト2周で燃圧低下でストップ。再スタートするも12位完走に終わった。
中盤からトップコンテンダーに加わってきたWSPC初参戦の日産だが、最終戦はほろ苦い結果となった。
優勝はメルセデス。8戦中7勝の完勝である。ドライバーズタイトルはシュレッサーが獲得。
初のシリーズ参戦の日産(ニスモ)のチームランキングは5位だった。
初優勝こそ逃したとは言え、参戦初年度としては健闘と言えるだろう。次年度のWSPC並びにルマンに大いに期待を持てることとなたっと言えるだろう。
(以下次号)
- 909 名前:CarNo.774:06/10/02 21:22:43 ID:tp3ouxo9
- >>904
’89 WSPC ファステストラップの平均速度
スズカ 179.435km/h
ディジョン 190.681km/h
ハラマ 147.256km/h
ブランズ・ハッチ 197.929km/h
ニュルブルクリンク 183.143km/h
ドニントン・パーク 171.409km/h
スパ・フランコルシャン 195.397km/h
メキシコ・シティ 186.978km/h
だいたい平均速度の高いコースの方が低いコースより燃費が厳しい。
- 910 名前:CarNo.774:06/10/02 21:25:13 ID:tp3ouxo9
- >>909の続き
もっとも、ドニントン・パークのようなツイスティーなコースなら、
ターボエンジン搭載車は、
パワーよりピックアップを重視して
小径の排気タービンを装着していたであろう。
ドニントン・パーク
DUNLOP STRAIGHT(COPPICE → FOGARTY ESSES)
直線距離 約600m
GOODARDS → RED GATE
直線距離 約550m
- 911 名前:CarNo.774:06/10/02 21:26:33 ID:tp3ouxo9
- >>910の続き
コーナリングスピードの高い車が速いコースと言えるだろう。
レース中の給油が禁止されている頃のF1は、
ドニントン・パークのようなツイスティーなコースでは、
空燃比を燃費重視にセットして
燃料の積載量を減らしていた。
大きな力を出すことより
車を軽くことが大事なコースもある。
(そのあたりの計算は難しいのだろうが。)
- 912 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :06/10/04 15:35:47 ID:Cbb4AzZs
- んぢゃ、次スレ立ったんでここは以後雑談用ってことで。
- 913 名前:CarNo.774:06/10/04 23:32:52 ID:23SFg6EQ
- 梅ちゃうと落ちちゃう?
- 914 名前:103:06/10/07 03:51:20 ID:zN5F5EUa
-
ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up6933.wmv.html
テープの状態が悪い
- 915 名前:CarNo.774:06/10/07 14:16:44 ID:5KYrU2wP
- >>914
ありがとう!久し振りに見た。史上もっとも華やか&6q最後の89年ルマン。
ぱっと見90年より客多いんじゃ?
これ消してしまった自分に氏ねと言いたい。
ザウバーは序盤からマイペース。
当時2ちゃん実況があったら「ベイリー氏ね」で祭だなW
- 916 名前:CarNo.774:06/10/08 07:29:35 ID:3vnTULRa
- さんくす!!!!!
これは90年ですよね。89はシェルポルシェ対ジャガーだったと思う。
- 917 名前:CarNo.774:06/10/08 10:57:31 ID:ydWKGGcs
- それ88年。
- 918 名前:CarNo.774:06/10/08 17:47:40 ID:HHZbDQum
- この頃はまだポルシェ962の活きがよかったな。
- 919 名前:CarNo.774:06/10/08 20:19:00 ID:qHC+cwSX
- そうでしたか。既に記憶があいまいですね。
確かに日産がニューマシン投入したのは89でした。
- 920 名前:103:06/10/09 15:43:52 ID:XD/dYwQr
-
ttp://w32.wazamono.jp/carmovie/src/32up0080.mpg.html
Gr C TVCM
- 921 名前:103:06/10/14 23:36:11 ID:KAY41paS
-
ttp://w32.wazamono.jp/carmovie/src/32up0102.mpg.html
Gr C TVCM 2
- 922 名前:CarNo.774:06/10/22 21:40:18 ID:HdTCdAiB
- >>900
自分で調べてみた。
【DFZ】
DFVショートストロークバージョンをベースに総排気量を3.5リッター化
したもの。
【DFR】
DFZの発展型。
主にシリンダーヘッドに改良が加えられている。
DFL、DFVショートストロークバージョン、DFY、DFZ、DFR、
全部、シリンダー内径が90mm。
- 923 名前:CarNo.774:06/11/26 09:25:56 ID:i3K8gUcN
-
ttp://w16.wazamono.jp/carmovie/src/16up0459.wmv.html
ttp://w32.wazamono.jp/carmovie/src/32up0249.wmv.html
- 924 名前:CarNo.774:07/01/01 14:02:58 ID:obe9aouF
- うんこもらしちゃったお(;^ω^)
- 925 名前:CarNo.774:07/01/11 01:07:47 ID:iAW9k3ev
- トヨタトムス85C
- 926 名前:CarNo.774:07/01/23 23:26:30 ID:/dvmB9YW
- g
- 927 名前:CarNo.774:07/01/27 23:59:28 ID:IdnSq7P2
- s
- 928 名前:CarNo.774:07/01/28 10:47:56 ID:FcAWiDzJ
- ttp://www.wazamono.jp/carmovie/src/up7433.mpg.html
- 929 名前:CarNo.774:07/04/12 19:57:07 ID:qtqDgFLj
- うめ。480Kもいってたのねここ
- 930 名前:ユニ(・・ ◆35zZnos9Ow :07/04/15 22:35:43 ID:vH0FFaLW
-
- 931 名前:CarNo.774:08/02/15 11:06:05 ID:nbphNNgw
-
- 932 名前:CarNo.774:10/03/11 00:49:01 ID:LJzo9i2y
- age
- 933 名前:CarNo.774:10/07/29 21:47:18 ID:r8iMZLWB
- 歯と歯茎の経済摩擦
- 934 名前:CarNo.774:11/04/03 20:35:08 ID:cKjtp/n9
- うんこもらしちゃったお(;^ω^)
- 935 名前:CarNo.774:11/06/15 19:53:53 ID:a01JnM8l
- しらべてたらきちゃったあげ
- 936 名前:■ BLACK FLAG:■ BLACK FLAG
- ■ BLACK FLAG
- 937 名前:■ BLACK FLAG:■ BLACK FLAG
- ■ BLACK FLAG
- 938 名前:■ BLACK FLAG:■ BLACK FLAG
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